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ガジェット ボックス GADGET BOX ネパールの三馬鹿09



第二部 カトマンズの三馬鹿
SAN-BAKA IN KATHMANDU

 


    天から降る水


 どうにも情けない気分のまま、タクシーに五人ぎゅうづめでカトマンズの街なみをぬけた。街路はダッカに比べて少々窮屈な印象だが、車の運転はずいぶん穏やかだ。といっても、やはりクラクションの音は姦しい。
 この街にはリクシャはあまり見あたらず、ベビタクの数も少なめだ。色も黒を主体とした穏やかな色彩で、街ぜんたいがずいぶんと落ち着いて見える。車にのっているのが日本人と知っても、ふりかえったりじろじろ張りついたりする視線はいっさいない。日本人はまったく珍しくないんだそうだ。リラックスできる。ちょっと寂しいけど。
 道は起伏に富んでいて、風景が浮いたり沈んだりする。ここは風景自体がおもしろい。やがて車は狭い道からさらに枝道へ入り、さらに左折して袋小路にある駐車場に停止する。『HOTEL RATNA』。
 「ここがわたしらがタダ同然で住んでいるホテルです」
 とM(日)さんがこどものように得意そうに言った。なんでも、ここのホテルの主人がこれまたS(ネ)さんの家族なんだそうだ。人のいい笑顔で中へどうぞと誘うS(ネ)さんについて、ラトナ・ホテルに突入。
 ホテルの主人のアマルさんという人は、眉も肌の色も濃い、意志の強そうながっちりしたおじさん。派手に歓迎の意を表し、疲れたろうとすぐに部屋を用意してくれる。YとKは二階のツイン、俺は三階のダブル――なんで? この部屋ツインより広いし――。俺の部屋からひとつおいた隣に、S(ネ)さんとM(日)さんが宿泊しているという。
 それぞれ荷物を適当にかたづけて、ホテルづきのレストランで夕食。メニューはフライドライス(つまりチャーハン)にカレーとご飯、それからナン。ビールの杯を傾けつつM(日)さん、S(ネ)さんをまじえてしばし雑談を交わし、そうしてカトマンズでの第一夜は更けていった。


 3月17日(火)。いよいよカトマンズの街にのりだす。第一の目的地は現王宮。つれだって歩きだすが、いきなり道に迷った。でも気にしない。そのまま歩きつづける。そのうちどっかにつくだろう。
 ひょろひょろ歩いていると、なんだか妙な寺がある。極彩色の壁や柱、派手なポーズの獣神像。ハヌマーンか。なんだか狛犬もいるのだがこれがまた日本のとちがって派手な色あいに変なつら。でも不思議と雰囲気は日本のそのへんの寺と同じだ。地域住人の寄り合い所。へへん。おもしろい。
 植生もどことなく日本と似た部分がある。そのへんをひょこひょこ歩いている人の顔も、色さえ薄きゃまるきり日本のおっさんおばちゃんといった感じの顔があちこちにいる。走りまわっているこどもをYがつかまえて道をきいた。どうも反対方向にきてしまったらしい。腹もへったことだし、目的地に方向を修正した。
 映画館。得体のしれない看板に得体のしれない入口、それに得体のしれない連中が群がっている。わけのわからぬ露店もある。時間があればぜひ寄ってみたいところだが、暗やみに女づれというのも心配だしな。うーん。残念。
 街の裏っかわをぐるりと一周した形で王宮前にたどりついた。巨大で立派だが、それをのぞけば取り立てて珍しくもない建物だ。なんだか拍子ぬけだな。途中で通りがかった病院や大使館やレストランのほうがよっぽどそれらしかったよな。まあいいや。衛兵らしきものも見たし。
 腹が減ったので飯を食うところをさがす。しかし、なんだこのへんは。航空会社の看板ばっか目立つな。なに、『串ふじ』? 日本食レストラン? まだこういうとこに郷愁わきゃしないしな。ホテルのレストランかあ。こういうとこでもいいけど、もうちょっとネパールっぽいとこがいいなあ。おや露店だ。なにやら怪しげなものがならんでるなあ。お、こりゃでっかい刃物だ。グルカ・ナイフだな。でもダッカの博物館で見た横握りのやつが見あたらないなあ。まあいいや、そのへんにあるだろう。
 とあっちこっちふらふらしてるうちに本格的に腹が減ってくる。こりゃいかん。おお、そこにレストランの看板が出ているぞ。二階か。ちょっとどういう店かよくわからんが、入ってみるか。よし。
 と階段をたんたんとあがり、入ってみるとこれがみごとに大あたり。ちょっと高めの現地食堂という感じだ。室内灯に妙なカサがかかっていた。灯篭のようなカサなのだが、中国ふうの絵が四面に描きこまれている。机や椅子の色が妙に原色系。わりと清潔な感じで、客は俺たち三人だけ。
 席についてメニューを繰り、カレー、マサラ、ヨーグルトのラッシー、チベットぎょうざのモモ、変なラーメンを注文。きのうホテルのレストランで食ったときもそうだったけど、出てくるまでにまた時間がかかるんだろうなあ。ネパール時間、というのが存在するそうで、この国の人はとにかく時間に大ざっぱだ。午前と午後くらいの区別しかつけないらしい。実にのんびりしている。飯を待たされるのだけは多少苦痛だが、俺たちにはとても合っている。ほけーと待った。
 まずラッシーが出てきた。シェィクと牛乳とヨーグルトの中間のような飲みものだ。うまい。あたったら恐いが、うまいんだからかまうもんか。このころにはもう、俺たちのあいだには火を通していないものへの禁忌はすっかりなくなっている。さすがに水だけはミネラルウォーターで通しているが。それからカレーだのマサラだのが出てきた。肉はマトン。この肉は骨が多くていまひとつだが、辛さにまぎれて肉の臭みも消え、なかなかうまい。チベットぎょうざも上々、マサラもおいしい。しかしこのマサラっての、カレーとどうちがうんだろうな。味は微妙にちがうような気がしないでもないけど。ガラン・マサラてのは鰹節みたいなもんだったよな(K注:これはタイとかで使う魚の奴。ガラム・マサラはいってみればカレー粉でいろんなスパイスがまざった奴。くわしくは『美味しんぼ』のカレーの巻をみよ)。てことはカレーよりはより原型に近いものかなんかか。まあいいや。おいしいから。変なラーメンは、変なラーメンだった。これは俺はいらない。
 すっかり満腹して表へ出た俺たちは、タメルというバザール地区に向かう。よくはわからんがこの地区には日本人のたまり場みたいな場所もあちこちにあるらしく、たいへん活気のある場所だそうだ。うー、わくわくするぞ。
 最初に入口あたりにある本屋に入り、あとはとりあえず一周するつもりで闇雲に歩きはじめた。すごい人出だ。露店の連中が気安く声をかけてくる。「コニチワー、ドデスカ、コレ」妙に日本語がうまい。ちょっとした会話くらいなら軽くこなしてしまう。それ以上にこの連中、日本人にずいぶん親近感をもっているらしい。
 街の要所要所に寺だか神社だかしらないが神様関係の構造物が大小さまざまに鎮座している。そのまわりにも露店があふれかえってる。神殿の上にも無数のネパーリが腰をおろしており、ひどく気安い。牛があちこちでわがもの顔にのたのたと歩いていたりする。ぐんにゃりと犬が寝そべり、ガキどもが走りまわり、「ヘロー」とか「コニチワー」とかあちこちから通りがかりのネパーリが声をかけてくる。この国では牛も犬も神さまだ。なにもかも神さまだ。だからどうも、神さまに対するにも実に親しげで気安い。しっぽをぶらぶらさせる神さまのケツをぽんとたたいて道をあけさせ、吠え声もあげずぐってり寝そべる神さまの横で「ヤスイヨ、ドデスカー」とくる。日用雑貨と野菜と香辛料と妙な菓子、装身具、衣服、曼陀羅から煙草や時計までが、大ざっぱにふりわけられながらも渾然一体と存在する。
 狭い街路に積みあがった石づくりの建物の上階から、突然水がふってきた。ねらわれたのはYとKらしい。この週は実はお祭りの時期だそうで、とくに女はねらわれやすいらしい。はっはっはっざまーみろ。明日は祭りの最終日だそうで、この日は老若男女の別なく全国ぐるみで騒然と水、粉のぶつけあいになるということだ。うくく、楽しみだ。
 ためしに、曼陀羅屋に入ってみた。不思議におちついた雰囲気だが、若い店番はやはりどことなく胡散臭い。そして狭い店内に曼陀羅があふれ返っている。横広の掛け軸みたいにきちんと裏当てをほどこしたものから単なる紙きれまで、大小さまざまの二次元平面に細部まできっちり描きこまれた無数の神さまが俺たちを無言で見返す。
 これがいいなあ、これもなかなか、とあちこち指さしながら眺めていると、ふいに店主がここにすわれと椅子を指さす。狭い店内にも人間二、三人くらいならすわれるだけの背もたれのないベンチが置かれているのだ。腰をおろして煙草に火をつける合間に、店主は間においたテーブル上に大小二種類の布に描かれた大量の曼陀羅を開陳した。
 これはどうだ、とでもいいたげに一枚づつ、ゆったりとしたペースで曼陀羅が繰られていく。これはいいな、とつぶやくと手をとめ、じっくりと鑑賞させる。間のとりかたもなかなかだ。ときおり解説を加える。これは金箔をたくさん使ってるから少し値がはるぞ。ディテールがていねいに描きこまれてるから、これもモノはいい。こっちの奴なら多少粗雑だが安いぞ。どうだ?
 気に入ったものをじっくりと一枚一枚眺めわたし、ターゲットを三枚にしぼりこんだ。値段をきいてみると、やっぱり高い。ルピーの感覚がまだよくつかめないのでよくわからないのだが、千の単位だ。日本を出てからこっち、千なんて単位はまったく不必要だったのでどうにも暴利に思えてしまう。むー、とっぱなに神さま関係のものに手を出したのは失敗だった。相場がさっぱりわからない。
 Yから電卓を借り、試しに十分の一の金額を提示してみた。店番、話にならないとばかりにふ、と鼻をならし「その値段だったら、こっちだ」といかにも安っぽいシロモノを何枚かひきだす。負けちゃらんない。こんなものは論外だと開示された廉価版をおし戻し、じゃあこの値段ならどないだっか、と電卓の数字を少しだけつりあげてみる。店番、むんむんと否定、自分の電卓の数字を少しだけ修正。まだまだだ。全然高い。
 こんな調子で問答をくりかえしたあげく結局、一枚をあきらめて合計二枚の曼陀羅を俺は手に入れた。ねばればもっとさがっただろう値段ではあったが、この手の料金交渉はへたをすると半日がかりだとM(日)さんに教えられていただけに、こういう駆け引きに対してはきわめて気の短い俺にはとてもじゃないがつきあいきれない。
 商談が成立すると店番は、黒を基調に描かれた日本人好みの二枚の曼陀羅を慣れた手つきでボール紙製の筒にくるくるとまきつけ、細長いビニール袋に丁寧におさめて口を閉じた。
 さて、満足した俺はわきにさがり、今度はKの番だ。第二の交渉がはじまる。前述と同様の手順でKは店番と問答をくりかえす。じっくり時間をかける姿勢らしい。俺とYは興味深く様子を見守る。なかなかまとまらない。あるレベルまで値段が落ちてから先、店番の提示する金額がぴったりと固定してしまう。
 ついにKは音をあげた。あきらめる、という。相手の提示する金額に手がとどかないというより、まずはこのあたりの商店を一周して金銭感覚を把握し、交渉の手がかりを得ようという意図らしい。それでは、と俺たちは一斉に立ちあがり、また後できてみるよと出入口をくぐりかける。と……
 よし、ちょっと待ってくれ、と店番がひきとめた。これがラスト・プライスだ。これでどうだ。電卓に示された数字は、先の数字よりももう少し低いものになっていた。なるほど、と俺は納得する。帰るフリをするのもひとつの手段なのだ。
 が、Kの愁眉はまだ開かない。まだ高いから、とふたたび帰りかけると、店番は奥から一冊のノートを取り出してKの目の前に広げてみせた。商品台帳の類らしい。俺はこの品物をこれだけの値段で仕入れた。だからこれ以上値段をさげてしまってはもうけがない。この値段がラスト・プライスだ。嘘じゃない。
 これでは双方納得せざるを得ない。それでもKはなお慎重だ。やはりまた後できてみる、という。俺たちは礼をいって店を後にした。店番ももう引きとめようとはしなかった。どうやらほんとうにあの数字が相場だったようだ。実際、この曼陀羅という奴はけっこう高いシロモノだ。
 またしばらく行く。小ぶりの広場に、やはり露店がひしめきあっている一角で立ちどまる。香辛料を見たいというKが積み上げられた野菜や篭いっぱいの黄色い粉を珍しげに物色するのを尻目に、俺は周囲を見まわした。ひっきりなしに人が行き交う小路のわきに、寺のようなものがある。そういえばこの街の道中、コンクリートの小さな屋根に覆われた地蔵らしきものがあるのをあちこちで見かけた。街の要所にはかならず小さめの広場があり、そこにはアパートと同じくらいの高さの尖塔が建っている。そしてこれも必ず、神さまを祭っているらしいその尖塔の階段状のきざはしには、ところ狭しと男やこどもたちがのんびりと腰をおろし、雑談に興じているのだ。塔の根もとではこれもたくさんの物売りが山積みに商品を積み上げて客を待っている。気安いのはいいが、この連中、神さまを崇拝するという感覚の持ちあわせがないのかなあ。
 などと思いながらあたりを眺めまわしていると、Yが俺の注意をうながす。傍らの寺を指さし、「鐘を鳴らしてる」という。見ると、いそいそと行き交う人びとのうち何人かが寺のわきを通りすぎる際に、軒先に吊された小さな鐘をカンとひとつ、立ちどまりもせず慣れた様子で打っ叩いていく。いきあたりついで、という感じだが、日本で地蔵にちらりと手をあわせていくのと同じような感覚だ。どうやらこの地でも宗教は息づいているらしい。
 さらに奥へと進む。と、「コニチワー、ニホンジン、オンリーミルダケネー」とすりよってくる妙な奴がいる。指さす建物の、二階の軒先から何本かの棒がつきだしていて、そこに大量の民族衣裳やカバンが吊り下げられていた。ヤクのセーターなら同じように展示されているのを今までに何箇所かで見かけたが、ここにさがっている衣裳は洒落ていて胡散臭げで、いかにも俺好みだ。ちょっと見ていこうと一階の露店に歩を向けると、店番こっちこっちと建物の入口の方を指さす。どうやら店は屋内にあるらしい。
 入口は腰をかがめてくぐらなければならないほど丈の低いものだった。このあたりの建物は概してこういうつくりだ。通路になった内部も洞窟のように低く、かがんでちょっと進むとすぐに中庭に出る。昔の日本の、こどもの遊び場か、あるいは時代劇に出てくる井戸端、といった雰囲気の小さな中庭だ。婆さんがひとり、なにやら手仕事しているのをちらりと見た。四囲は石づくりで無数の梁がわたされた、ビルともアパートともつかぬチープなつくりの住居。
 服売りは中庭に出るとすぐにくるりと踵をかえして別の入口をくぐり、頭に気をつけろと注意を投げかけつつずんずん進む。階段を昇る。ここも天井が低い。通路や入口に限らず、この建物全体の設計理念が個々の空間をできるだけコンパクトに、効率よく使用することにあるということがその原因らしい。やがて俺たちはひとつの部屋にたどりつく。衣裳をつりさげた棒の突き出ている、あの二階の位置に相当するようだ。
 そこは店、というよりは倉庫兼休憩所、といった雰囲気の小部屋だった。曼陀羅屋と同様、ベンチが入口わきに横たわり、真ん中はゆったりとスペースをとっているものの、四囲の壁戸棚やテーブル上に無数の衣裳がひしめきあっているため実に雑然としている。衣裳売りのほかに男がひとり、テーブルの後ろで所在なげに佇んでいる。
 「チョッキを見せろ。VEST、VEST」というと衣裳売り、心得たとばかりに戸棚から数点のチョッキを取りだしてくる。気に入ったデザインのものをひとつ選び、これに合った上着とズボンも見せろと要求する。この時点で俺の態度は実にぞんざいになり変わっており、「ちょっと気安すぎるよ、あれじゃ店の人怒っちゃうよ」とKやYに心配されるほどであった。
 ひとそろいの衣裳を試着してみる。黒を基調にした山岳民族風のナリだ。「ティベタン」の衣裳だと店番が説明する。チベット人のことらしい。ちなみにこの店番、今まで会った中でも奇妙に日本語がうまい。俺も半分がた日本語をまじえて、交渉開始。ところがこの男、根気がないのか意外と早いタイミングで「ラストプライス」を口にした。さして安い値でもない。
 「そうか、それがおまえのファースト・ラストプライスだな。じゃあ俺も第一の最終値段だ。これでどうだ?」と切りだすと、ファースト・ノーノーと笑いながら抗弁を試みるのだがしばらく押すとやっぱりまた少し値が下がる。「おまえ、ふざけんじゃねえよ。そんな大金ぼったくるつもりか? 観光客だと思ってあんまりなめちゃあいけないよ、なあ、おまえ」これではたしかに気安すぎるわ。
 この時点で俺は、自分の読みちがいに気づいて少々焦っていた。たいした値段じゃあるまいと二階くんだりまでほこほこ連れられてきたのだが、桁がひとつ上だったのだ。ルピーでそれだけの持ちあわせはないしドルで払う気は毛頭なかったので、非現実的な安値で相手をあきらめさせてしまおうという腹で、「ラストプライス」の十分の一を主張していた。だが値下がりのペースは遅々として進まない。なにより、くだんの衣裳が妙に気に入っていた。
 とうとう値段が固定された。まだ手の出ない金額だ。あきらめることにした。「OK、だが今ルピーのもちあわせがない。また後でくるからよろしく頼む」と帰ろうとすると、ま、ま、ま、という感じでなおもひきとめようとする。こっちは駆け引きじゃなくて本当に金がないのだからと言ってもなかなか離してくれない。手持ちは幾らぐらい出せるんだ? じゃあそれだけでいいからとりあえず置いていってくれ。残りは後でいい。と、ずいぶん無警戒なことをいう。こりゃチャンスだ。手つけだけおいて後は知らぬ存ぜぬで通すか、とちらりと思ったものの、こういうやり方は好みじゃない。おまえそりゃちょっとよくないよ、日本人正直だ信じてるなんつってるけど、どこの国の人間だって悪い奴は悪いんだよ、俺が残りの金払いにこなかったらどうすんの、いったい、え? それでも衣裳売りは、いやあなたはいい人だ間違いない信用できるとくりかえす。
 お金貸してもいいよと口添えするYとKを制止してなおも押し問答をつづけるうち、ついに男は手の内をあかした。具体的には、ポケットからサイフを取り出して中身を開陳してみせたのである。お察しのとおり、中はみごとにカラッポ。金がないのだ、昼飯も食えない、残りの金は後でもいいから、手持ちだけでもおいてってくれ。ときた。
 これはもう手持ちの金額でラストプライスとしてよし、という意味なのだなとなかば了解はしていたのだが、こうなると却って男の態度が塩らしく思え、よし、ここで清算してしまえとYとKからルピーを借り受け、全額耳そろえてわたした。くだんの衣裳がひどく気に入っていたこともあり、どうも気分がすっきりする。
 Kが俺の買った衣裳と同じ柄のおもしろい形をした肩かけカバンを購入し、店番はモノをパッキングしはじめた。「あんたたちいい人だから、これはオマケだ」と、首からぶらさげるのにちょうど具合のよさそうな紐つきのサイフを一緒につつんでくれる。俺たちは素直に喜びながら店を後にした。
 さらに通りをしばらく進むと、街の様子がかわってきた。道幅が少し広くなり、周囲の店も露店が姿をひそめてショーウインドウ式の普通の商店が立ちならんでいる。バザールの区画はどうやらこのあたりで終わりらしい。通りを一本かえて逆方向に進んでもよかったのだが、なんとなくそのまま進む。大通りに出た。車がひっきりなしに行き交っている。このあたりのランドスケープは、日本のちょっとした街とまるで変わらない。
 その通りをしばらく進んで、右におれてみた。昼さがり、ぶらぶらしながら宿に戻るにはちょうどいいころあいだ。
 と、YとKになにやら髭の男がつきまとっている。さてはまたもの売りかバクシーシの類かと警戒心が首をもたげかけるのだが、その男、妙に身なりが小ぎれいで態度も洗練されている。
 しばらく静観を決めこんでいると、Kがきらきらと目を輝かせてやってくる。「宝石屋なんだってー」なるほど、納得した。しかもこの男、その上音楽をやっていて数種類の楽器をひきこなせるという。「音楽家か。じゃあなんか弾いて聞かせてくれよ」と、ジゴロっぽい髭ヤサ男に少々挑戦的な気分をかきたてられつつ言ってみると、もちろんいいとも、まずは宝石を見にきてくれとくる。Kの瞳はすっかり少女漫画だ。しかたがない。宝石のことはよくわからんが、興味もあるしな。
 という経緯で大通りへ戻る。男はクリシュナと名乗った。わかる人にはすぐわかるインドの超人気ものの神さまの名前だ。あまりに人気がありすぎて、男性名としてありふれるほど使われているという。しかしこのクリシュナは、実にこのダンディで強力な神の名が似合う容貌とものごしだ。糞、おもしろくねえ。
 しばらく進むと、JEMSと看板の出た宝石屋の立ちならぶ一角にたどりついた。そのうちの一件の扉を開き、ここが俺の店だとクリシュナは俺たちを手招く。
 小ぢんまりとした店内、正面のガラスケースをメインに無数の宝石がディスプレイされている。多少の狭さをのぞけば、日本の宝石屋と雰囲気はあまり変わらない。どこの国でも女は同じらしい。クリシュナが椅子を用意してここにすわれとさし示す。ガラスケースのむこうに男がもうひとり。こっちの奴は、そのへんの露店の店番とかわらない。ほっとした。これ以上ヤサ男のお出ましは願い下げだ。
 紅茶はどうだと勧めるのでOKぜひにもと答えると、クリシュナはおもむろに店外に顔を出し、なんだか所在なげにそこに立っていた小汚い爺さんになにやら指示を与えはじめる。なんだろう、あの爺さん。小間使いらしいが、どうひいき目に見てもこの店の雰囲気にはそぐわない。
 しばらく待て、といってクリシュナもガラスケースのむこうに腰をおろし、説明を加えつつKとYの眼前につぎつぎと宝石を展開しはじめた。秘蔵の品はディスプレイせず、紙にくるんで奥のケースにしまわれているらしい。Kは開陳されたそれらの品に完璧に魅入られている。ふだんからなんにでも興味を示す元気印の娘だが、目の輝きがちがう。光ものに弱いのだ。弱点めっけ。しかしこの弱点、あまり利用価値なさそうだけど。
 そのうち紅茶が出てくる。ほっとすんなあ。ごくごく。うまい。ここらへんの文化圏は紅茶がメインだそうで、どこで飲んでも紅茶はすごくおいしい。そのかわりコーヒーはどこで飲んでもインスタントだ。ああ、それにしてもうまいなあ。ごくごく。とか思ってたら、尿意をもよおした。
 クリシュナ、すまん、トイレはどこだ? ん? ああ、あの爺さんが案内してくれるのか。すまんすまん。あ、そっちね。はいはい今いきますよ。
 と爺さんに先導されてビルの裏手にたどりつく。? ここでしろって? ……なるほど立ちションしろってのね。要するにトイレないのね。わかりました。
 カトマンズには公衆トイレというのがほとんどない。そういう概念自体がもともとなかったそうだ。むしろ他人が使用した場所に不潔感さえ感じるという。まあ確かにそれはそうだが。しかし、そのへんで糞小便たれ流して手も洗わずに物を売ったりしているわけだな、屋台や露店の連中は……。まあいいか。……ははは。
 宝石屋に戻ると、Kの選定はいよいよ大詰だ。いくつかの宝石にしぼりこんで、ひとつひとつ見比べる。スターサファイア。青い石に、光をあてると六つの手をもつ星型の反射が走る。四つ手のものは少しグレードが下だ。小ぶりだが、ものはいい。ついにひとつを選んだ。ピアスに加工するという。片耳だけ。なぜ両耳つくらないんだと不思議がるクリシュナともう一人にひとつだけでいいと納得させつつ、値段交渉に突入する。でもなんでひとつだけなんだろうな。片想い、という意味があると自ら言っていたと思うんだけど。
 値が張るせいか、交渉はドルですすめられる。俺はここでは完全に単なる傍観者だ。うーん、場ちがいだなあ。ディスプレイをあちこち物色してみるが、よくわからんけどあまり食指を動かすようなものは見あたらないなあ。お、でも、クリシュナが首にしているネックレスはすごくお洒落でかっこいいぞ。うーん、あれほしいなあ。そうこうするうち交渉もまとまり、受けわたしの段取りが決められた。金曜日の昼、場所はこの店。
 今夜シタールの演奏を聞かせてやるがどうだ、というのを今日は疲れているからと断り、帰途につく。少し残念だ。クリシュナはちょっぴり気障で多少気にいらない部分もあるが、シタールのライブには死ぬほど興味がある。
 歩いているうちに、どうも妙なところに出てしまった。坂がある。ホテルからこっち、坂を昇った覚えはないからまちがいなく道に迷っている。Yはさっきから写真を撮りまくっている。現地の人、とくにこどもの写真が多い。資料として利用するといっているが、もともとこどもが好きみたいだ。おっさんおばさんは照れていやがるし、こどもなどはちゃっかり撮影料よこせと言い出す奴までいるのだが、なんとも仲良くやっている。道をきいてみると、このへんは複雑だからタクシーをひろったほうが早いという。忠告に従うことにした。
 タクシー、といっても「なんたら交通」といった具合に頭に目印をのっけてるわけじゃない。ナンバーで区別できるらしいがよくわからないしベビタクのが安いだろうしで、黒いちっこいのを捜した。ダッカとちがってリクシャやベビタクは少なく、拾える場所もだいたい決まっているのでまた少し歩くことになる。
 坂を下ったあたりでベビタクをつかまえ、ラトナ公園までたどりついた。もう日はすっかり暮れている。商店はまだまだにぎやかだが、周囲は闇に包まれている。公園からホテルまでの道がまた少し曖昧なので、屋台に毛がはえた程度のお菓子売りの店先で店員に道をきいた。親切にくわしく教えてくれる。このあたりも実に気安く親切だ。仕事があるだろうにちっとも迷惑そうな顔をしない。
 住宅地らしい小路をさし、ここを進めという。行きには通らなかった道だが、近道なのだろう。夜は真っ暗になるから、女だけのときはタクシーを使ったほうがいいぞ、と店員は親切な注釈までつけてくれた。
 教えられたとおりの道をいくと、たしかに住宅街だ。タメルやラトナ公園の周囲とはちがって、閑静でおちついた雰囲気がある。そして薄暗く、少し寂しい。タメル地区では祭りの馬鹿騒ぎでか、外国人の女が通っていると見ると建物の屋上から水がふってきていたのだが、ここらではそういうこともない。少しばかり上流の人間が住んでいる場所なのだろう。
 小路から建物を透して、月が見えていた。いい月だった。

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