出発
3月16日(月)。
朝飯は卵焼とルティ。このルティというやつはクレープとパンをたして二でわったようなシロモノでぺらぺらの熱い食べ物だ。山のように食ったが、薄手なのであまり腹が膨れない。でも味はよかった。生姜入りの例の紅茶を飲み干す(Y注:わたしは朝食を食べそこねたゾ)(K注:あ、そうだったの?)(J注:俺も気づかなかった)。
飛行機の出発は昼すぎだが、バングラデシュでは社会教育関係の現場をほとんど見ることのできなかったYはスラムの見学に出かけるという。同行者は、昨夜到着した某福祉関係の大学のSという、これまた妙な男。この男の通う大学は昔、私の実家のすぐ裏手にあったので妙に親近感を感じてしまう。そして三人組のうちの女の子がひとり。ちなみに青年協力隊の胡散臭い青年はまだ奥の部屋で眠りこけている。
あわただしく出かける三人を見送り、俺とKは昼ごろまでのんびりとそこで過ごすことにした。せっかくだからバザールでもうろつけばよかったのだろうが、いかにのんびりとした国とはいえ俺たちはこの二日間、あちこち歩きづめだったのでゆっくり体を休めておこうと、そういうことだ。へろへろと過ごしていると、青年海外協力隊がぬぼーっと起きだしてくる。昼近い。朝飯はとうになくなっているだろう。こいつはこいつでのんびりした奴だ。
などと時間をつぶしていると、ふいにYが帰ってきた。ずいぶん早いじゃないかと聞くと、出発に間に合いそうにないので断念したのだという。おやまあ気の毒に。このバングラでは、Yの本来の目的に関しては思い通りにいかないことが多かったようだ。
やがてSさんが現われ、しばし話をしたのだが、驚いたことにSさんは俺が卒業した某大学の先輩だということがこのとき判明した。中部圏のローカルな話題にしばし花が咲く。そして出発の時刻。
世話になったSさんに礼をいい、俺たちは空港に向かう。政府の建物を横目にベビタクは朝の街路を疾駆した。そういえば、絶対いこうねと固く約束していたあの公園、結局いかなかったんだよなあ。
街にはあいかわらず人があふれ、強い陽射しのもと気怠い活気が渦巻いていた。路上には腐りかけたゴミがあふれ出し、崩れかけた壁のむこうにバラックの内部で蠢く人びとがほの見える。昨日は、路上に横たわりムスリムの祈りの手を頭上にかざされた女の姿を見た。そしてまた、陽気で屈託のない笑い声もまた。旅行者と見ればカモとばかりに値段をつりあげ、時にはサギのような手段で暴利を貪り、そしてあるいは路上に佇んだ外国人にどうかしたのかといつの間にか黒山の人だかりを構成し、うろ覚えの英語を使ってなんのてらいもなく真正面からトモダチになりたがる奴ら。
この国の差別、この国の熱気、この国の日常、この国の悲惨、この国の力、この国の生きざまと、そしてこの国の死にざま、すべて奴らのものだ。
立派な邸宅に居留するNGOの連中を見て、何かが違うと俺は考えていたのだが、それは誤解だったかもしれない。
金にだって惨状をかえる原動力はある。だが、それだけじゃなにもかわらない。路上の死体は、少しは減るだろう。村の労働も少しは楽になるかもしれない。バスの転落事故もちょっとは少なくなるだろう。それでも、極端な貧富の格差はさして変わらないだろうし、女たちの地位も今のままだろう。女たちを無知の檻に囲いこんだまま街にあふれかえった男どもは、所在なげに肩をよせあい、今と同じ時を延々とくりかえしていくだろう。すべて奴らのものだ。悲惨を拭払し差別を排除し、そして死を今よりも少しでも遠ざけようとするのもまた奴らだ。その道を見出だすのに手を貸すことはできても、選択を肩代わりすることだけは誰にもできない。
この国がどう変わるのかなんて、俺の知ったこっちゃない。笑顔も泣き顔も形を変えていつまでもつきまとい、離れないだろう。誰も正しい答えなんざ知っちゃいない。とりあえず今の俺にわかるのはひとつだけ。
俺はこの街と、そして人びとが好きだ。それだけだ。歯をくいしばり、前へ進め。バングラデシュ。そしてすべての世界の、すべての人びと。
昼飯は空港のレストラン。メニューを見てみたが、なんだかよくわからないので、店の人間に適当に見つくろってもらう。出てきたのは、なんだかよくわからないがなんかの炒めもの、カレー、ダルスープと呼ばれる得体のしれないスープ、インディカ米のごはんにコーラ。制服姿が目立つ。空港だからだろう。中の一人が親しげに話しかけてくるので、俺はここに向かう途上で目にした『SCIENCE MUSEUM』なる看板について問うてみた。
俺たちが二度も訪れたミュージアムはナショナル・ミュージアムだ。そのほかにサイエンスうんたらなんてものが存在するとは露ほども考えていなかったので、その看板を目にした時は驚いた。大したものではないのかもしれないが、どうにもときめいてしまう。かといって見物にいっている時間はとうてい存在しない。で、気になっていたのだ。
男は英語でなにやら一所懸命説明しているのだがどうもよくわからない。日本に息子だかが物理学の勉強にいっているらしい(Y注:国費留学生として、本人が、いく予定がある、と言っていたんです。記憶力ないのか)(K注:京大なんだって)。ちょっと待っていろ、サイエンス・ミュージアムについて調べてきてやる、と言って、数人の制服姿とつれだって男はしばし姿を消した。うーん、なにげなく訊いただけなのに、なんだか悪いなあ。
待つことしばし、男はくだんの建物の場所とそこへの道順をくわしく、そして能うかぎりわかりやすく、説明してくれた。肝腎の、いったいどういうものがあるミュージアムかということは結局わからなかった。今からダッカをたとうという時分にこの種の情報を教えられてもなんの役にも立ちゃしないが、男の親切は身にしみた。忙しげに立ち去る男に礼を言い、俺たちも腰をあげる。
空港ロビーでは、いつのまにかKがふたりの日本人と親しくなっていた。それぞれ単独行だが、やはり二人ともネパールが目的地だ。トレッキングが主な目的だという。このダッカでの話をきいてみると、一人はトランジット・ホテルに泊まったのだが、もう一人のほうはやはり俺たちと同じようにトラップにはめられて妙なホテルにつれこまれたらしい。あてもないので三日間そこで過ごし、両替もせずにベビタクを駆使してダッカ見物を敢行したというなかなかの強者だ。どうも騙されたのは俺たちだけではなかったようで、結局予定どおりトランジットホテルに宿泊できたのは、いつまでも空港でぐずぐずしていて最後まで残っていた一行だけだったらしい。やはりこの国で勝利するのはだらだらした奴なのだ。短気はいかん。
煩雑で手順のまずい出国手つづき、搭乗手つづきを経て、ふたたび飛行機の中の人となる。今度の席順は窓際にY、その隣にK、通路へだてた寂しい席に俺という順番だった。フライトは一時間あまり。ダッカの、イスラムの尖塔を眼下にDC-10は舞いあがり――やがて右手に山々が現われる。ヒマラヤ、神の峰だ。
景観に機内の人間分布は右側へと傾き、しばし万国人種入り乱れて高峰に見入る。 驚いたことに、遠い高峰は高貴に雪冠を頭上にいただいているのだが、下方に見える山々には緑が見あたらず、むきだしの褐色の大地がどうにも下品な景観だ。ここでも森林伐採による緑の破壊が急速に進行中なのだという。近年、バングラデシュをくりかえし襲っている大洪水ももとをたどればこれが原因ということらしい。
やがて機は山をこえて低空飛行を開始する。恐いくらい低く飛んでいるなあ、と思ったらそろそろ到着の時刻だった。一時間くらいじゃ飛行機に乗った気さえしないというのは、どうも最初のフライトがバカ長かったせいかな。
太陽は高峰の陰に姿を隠しつつあり、機は日没の空港にランディングする。
カトマンズだ。
第一部 ダッカの三馬鹿――了(第二部につづく)