陽気な連中
3月15日(日)AM8:30。
朝飯がこれまたうまかった。目玉焼きののったチャーハンに玉ネギの入ったマッシュポテト。この目玉焼きの卵が、日本の鶏卵とちがってなんだか黄身の色が薄くて大きさも小さめなのだが、もの珍しさも手伝ってか実においしいのだ。食後の紅茶がまたちょっと変わり種で、刻んだ生姜が入っている。アダ・サ、という名前なんだそうだ。これもいける。うん。ずずず。
この朝、バンコクからきた五人はそろってバングラの農村部を見学に出かける予定だった。当初はYも研究のために同行する算段だったのだが、明日の飛行機の出発にまにあわないかもしれない、ということで断念。バスで単独の帰還行を選択すればなんとかなるかもしれないらしいが、なにしろここらのバスは相当な悪路を走らねばならず事故などもしょっちゅうだそうで、現地の人でさえ乗りたがらないというシロモノ。その上、いくら外国人とはいえ女性ひとりでは少々うざったい目、危ない目に会いかねないということなのだそうな。
村へと立つ五人を見送ってからしばらくごろごろしていると、入れかわりのように今度は若い三人連れが姿を現す。女ふたりに男ひとり。俺たちと同じ構成だが、この三人は同行者ではなく偶然合流した組み合わせらしい。男は海外青年協力隊の人間だということだ。よくわからんが、妙に胡散臭い雰囲気のある野郎だ。海外を何年も単独で放浪しようなどという奴は、どんな形であれ一癖も二癖もある性格してるんだろう。女性二人のほうは――よくわからんが、どうやらYの同類のようだ。
そんなこんなで俺たちは、ふたたび三人そろってダッカの街にくりだした。しょっぱなは、きのう時間がなくて途中で見学を断念したミュージアムである。今度こそはくだんの壁面彫刻や得体のしれない神像、仏像をじっくりと舐めまわすことができ、俺はちょっとばかりご満悦(Y注:ギャク殺の歴史もちょっとだけ入れて欲しい……)(J注:そんなこと言われてもなーも覚えてないもん。えーと、なんだか世界残酷物語みたいな写真がいっぱい展示されていた一室がありました。部屋の中央には髑髏がいっぱい収納されたケースがでんと控えていた。どうもほんものの骸骨だったらしい。ちょっとびっくりした。俺に書けるのはこれっくらいのもんだ。それにしても、虐の字ぐらい漢字で書きなさいよ)。
しかし、どうも館内をへろへろ歩いているうちに、気がつくと周囲にたくさん人がいたりする。なんだか俺たちが移動するのと同じペースで移動しているようだ。妙だな、と様子をうかがってみると、どうも展示物そっちのけで俺たちを観察しているらしい。なんだ、こういう場所にくるような連中でもやっぱり外国人が珍しいんだ。おもしろい奴らだなあ。
この国の人間は好奇心を隠そうとしない。失礼という意識ももとからまるで存在しない。仰天したような表情で目をまるまると見開いて、まったく無頓着にじろじろと人を眺める。最初は不気味だったが、悪意はまったくないということがなんとなくわかってきたので、お返しにじろじろ見つめ返してやったりする。すると、なんとかコミュニケーションをはかろうと、なにかと話しかけてくる。俺も単語ひっつなげただけの英語に日本語おりまぜていろいろと質問したり感想を述べたりする。これでけっこう伝わってしまうのだからおもしろい。
三階には主にバングラデシュの現代生活に関する資料などが展示されていた。建築や当地の衣服など興味深いものがたくさん展示してある。そして後半は美術館。なんだか節操のない博物館だ。現代バングラデシュのアーティストたちが吐き出した絵画・彫刻の数々。大半は西洋美術の模倣、という雰囲気がなきにしもあらずだったが、目を瞠らせるような迫力のあるものも少なくない。そしてなによりも、どの絵も彫刻もパワーだけはあふれ返るほどみなぎっている。もっとも、芸術のことなど俺にはよくわからない。四階に展示された啓発用の模造品有名絵画をそれと気づかず感心しながら眺めていたくらいだ。どうあれ、堪能だけはした。
博物館を出るとそろそろ昼飯どき、この国の物価と手持ちの金のバランスとがだいたいつかめてきた俺たちは、ひとつ豪勢にいってみようとシェラトンとならぶ高級ホテル『ショナルガン』にくりこんだ。このホテル、日本の資本で建てられたものだという。なるほどやたらにでかくて豪勢だが、どことなく冷たい雰囲気が感じられる。客もみなりのいい外国人主体、どいつもこいつもビジネスマン風だ。
日本食レストランに入る。ところが、メニューを見てみると日本料理は一種類だけで、あとは中華。わけのわからん日本料理など食ってもしょうがねえなということで、日本式に三人でわけあおうと中華メニューを数種類。
食事を待つあいだ、ふと窓外に目をむけると、パティオの床板はがしてバングラディッシンがなにやらだらだらとした様子で下水らしきものを修理したりしている。超高級ホテルと銘打っても、やっぱりここはダッカだ。
やがてチャーハン、豚玉ネギの炒めもの、鳥肉の炒めもの、焼ソバ、それに白飯(残念ながらインディカ米)などが目の前にならぶ。とりわけ珍しいメニューでもないが、これはこれでやはりうまい。貪り食った。
満腹してロビーに出ると、なんの偶然か今朝方NGOの事務所で遭遇した若い三人組がお茶しているのに出くわす。国際電話でもかけにきたらしい。今後の予定はと問うと、本屋にいって現地の資料をさがすという。これまた偶然にも、社会教育関連の現地資料をさがしにいくというYのために立てた俺たちの予定とみごとに一致。つれだってニューマーケットにくりこむこととなる。
ホテル前で海外青年協力隊がベビタクをひろった。昨日の苦い経験を思いホテルからは離れたところで足を確保しようと考えていた俺はすこしばかり苦々しく見ていたのだが、さすがに単身アジアを放浪してきた男だけはある。実に手ごろな値段で交渉はまとまった。うーん。なんか、おもしろくねえ。
ニューマーケットの奥深くわけ入ると、表側の喧騒とは裏腹に妙に静かでおちついた雰囲気だった。識字率何パーセントだか忘れたが、飛行機のなかで読んだ資料によるとこの国の教育はまだほとんど行きわたっていない状態にある。こんなところまで踏みこんでくるのは一部の階層と外国人くらいのものなのだろう。いずれにしろYやKはともかく、英語を読めず読む気もない俺にとっては現地の人と同じく場ちがいな区画にはちがいない。五人が本や地図を物色しているあいだ、俺は近くの文房具屋で派手な模様の妙な形をしたノートを一冊購入しただけであとは終始、寄り集まってきたバングラディッシンとならんで広場に腰かけ、なんとなく煙草をふかしたり話ともいえぬ会話を交わしたりしていた。妙に平和でのんびりとしたひとときだった(Y注:Jさんのコンビニ坐りが妙に様になっていた……)。
三人組とはそこで右と左にわかれ、さらにニューマーケットをうろつく。絵はがき屋などを物色してまわっていると、カラフルに編みこまれた紐の束を売り歩いていた五、六才くらいのガキが寄ってくる。モノはベルトとして売っているらしいが、荷物をまとめるために紐がほしいという要請がYから出ていたこともあり、交渉してみた。意外に安い値段におちついた。ガキは表情が読みやすいので相場がよくわかる。こりゃいい。狙い目はガキのもの売りだな。
帽子屋に寄ってみた。昨日買った帽子では小さすぎるのでもっとフィットしたものをさがそうと思ったのだ。YとKも帽子なしではきつそうだったのでちょうどいい。と手近の帽子屋でいろいろ物色してみたのだがどうもしっくりこない。イスラム文化圏の特徴だろうか、ムスリム帽だけでなく日本でも手に入れられる類の普通の帽子であっても、どうも鉢が浅い。結局帽子を買うのはあきらめたのだが、バンコクからきた結核のFさんが履いていたルンギというスカート状の衣裳が気に入っていたので俺も手に入れようと、帽子屋に「ルンギはどこらへんで手に入る?」と聞いてみた。すると、案内してやるといって店ほうったらかしでひょろひょろと先に立って歩きはじめる。
「おい、ユア・ショップ・OK?」と心配して何度もきいてみたのだが、気安く大丈夫大丈夫とまるっきり頓着がない。なんだかのどかな連中だ。そうやって帽子屋とともに市場内をそぞろ歩いていると、例によって周囲は黒山の人だかりになっていたりする。ほんとうに好奇心むきだしの連中だ。中にバクシーシがまじってたりして、いつまでも「バクシーシいー、バクシーシいー」とあわれっぽくついてきたりするのだが、周囲の人が適当に追いはらってくれることもあってまるで気にならない。
ルンギ屋での交渉も、半分帽子屋まかせだからずいぶん楽だった。その上、買ったルンギを仕立屋にもってってきちんと縫製まで依頼してくれる。
できあがりを待つあいだ、帽子がわりにサリー(Y注:スカーフです)でも手に入れようと布きれ屋を物色するKとYのもとに赴くと、交渉の真っ最中だった。200タカから下にどうしても落ちないので妥協しようかと迷っていたところに、帽子屋が親しげに顔を見せる。と、とたんに150でOKがでる。現金なもんだ。もっとさがったかもしれない、とKがしきりに悔しがっていた。
仕立屋に戻るとルンギができあがっていた。履きかたがよくわからないのでここで教えろとジーパンの上からすっぽりかぶったら、なぜだか人だかりの間に爆笑がわき起こる。YとKにつきまとって細く哀れっぽく喜捨を請うていたバクシーシの女までが思わず噴き出していたらしい。俺はそんなにおかしなことをしたのだろうか。まあいいや。
ルンギの履きかたを教わり、二人が買った布きれの縫製もすむと、いつのまにか人だかりに合流していた帽子屋の友人という男が、俺のホテルで紅茶を飲んでいけという。どうも胡散臭いのだが、何、かまやしない行っちゃれ行っちゃれ、とばかりに進軍をはじめた時、周囲はすでにお祭り騒ぎと化していた。
ハサンと名乗るその男のホテルは、ホテルというよりは単なる屋台の喫茶店のようなシロモノだった。いきなり水の入ったコップをさしだす。これはまずい、一発でコレラだと思いさすがに断ると、意外とすんなり下げられた。かわりとばかりに油であげたらしい得体のしれない菓子が山盛り出現する。いくつかの種類があるらしいそれを、帽子屋がいちいちひとつずつ取り上げてはこれは野菜の入った菓子だ、これは肉だと注釈を加えつつ半分にちぎって俺にさしだし、残りの半分を無造作に己の口に放りこむ。どうにも楽しくって、ここでコレラで死んでもいいやという気分になっていたので、俺も躊躇なく食った。油でぎとぎとだが、うまい。
ちなみに、帽子屋の名はアリという。アリとハッサンとくればまるで典型的なイスラームのイメージだ。なるほどねえ。ついでにいえば、昨日路上で煙草を注意された例のイスラムの風習(Y注:ラマダン、というそうです)、あれはその月だけの話だそうで、来月になればもう屋外で煙草を喫ってもまったくかまわないのだということをこのアリから聞いた。糞、間の悪い時期にきたものだ。
出てきた紅茶を、アリが奇妙な飲み方で飲んでいた。カップをひょいと傾けて受皿にこぼし、ひゅっと飲む。またこぼしてひゅっと飲む。というような動作をくりかえし、あっという間に飲みほしてしまったのだ。これもイスラムの風習かとハサンに視線を転じると、なぜかこちらは普通の飲み方。いったいおまえはなんだってそんな飲み方をしているのだとアリに問うと、なんのこたない、このほうがさっさと飲めてしまうからなんだと。
店の板壁の合間からはあいかわらず好奇にみちた幾対もの視線が俺たちを観察しつつざわめいている。ガキだけならともかく、いい歳こいた大人までがこどものように目を輝かせているのだから本当に楽しい国だ。そんな光景を横目に俺たちとアリ、ハサンは互いの住所を交換していた。手紙を出しあおうというのである。手紙なんぞ日本語でもかったるいので俺は気がすすまなかったのだが、Yがなんだか勝手に話を進めてしまっていたのでこれはもう仕方がない。そのくせYめ、「手紙出すのはJさんの役目ね」とばかりにアリとハサンの住所を俺によこすのだから、困惑してしまうなあ。まあいいや。どうせこんなに気やすい奴らだ。なにを書こうと気にしやしないだろう。
やがて市場にも日暮れが訪れ、俺たちは帰ることにした。アリとハサン、それに周囲をとりまいた大勢がぞろぞろとバザールの入口まで送ってくれる。何者かこの連中は。「帽子はどうする?」と聞くアリに、もう陽も暮れたし明日はここを立つことになるからもういいや、と言うと妙に寂しそうな顔をしていたのをよく覚えている。果物を買い求めるKを待って俺たちはベビタクにのりこみ、アリたちに手をふった。
「Thank you,friends! Good people,Good Place,Good company!」
俺は叫び、そして市場を後にした。
本当にいい街だ。