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ガジェット ボックス GADGET BOX ネパールの三馬鹿04



    ダッカの街なみ


 ベビタクをとっつかまえて、まずはBIMAN’Sオフィスにリコンファームだ。場所を説明するのに一苦労、そして、料金交渉。「タルティ・タカ」と運ちゃんは主張する。30だ。thがなまって、タ行の発音になってしまうようだ。ためしに「ドーシ」と言ってみた。バングラ語で10にあたる。運ちゃん、少し考えこんだが意外にあっさりOKを出す。相場は要求の3分の1くらいだというからこの値段をいってみたのだが、畜生、もう少し安くなったかもしれない。しかしとりあえずうまくいった。幸先いいぞ。
 オフィス街には小汚いビルが立ちならんでいる。飛行機の尾翼についていた妙なマークのBIMANの看板を見つけて足を踏みこむ。内部は――黒山のバングラディッシン。ん? 「デカセギ」か? ちゃんとしたビジネスなのかな。いずれにしろ大繁盛だ。これならBIMANの経営も安泰だろう。
 「BIMANはいい加減だから、とにかくリコンファームだけはしっかりしとくこと」とSさんは忠告をくれた。このバングラデシュエアラインという会社、航空業界でも悪名高いえーかげんなとこだそうで、遅れる、便がずれる、日にちがずれる、さらには出発が早まるというとんでもない事態まで日常茶飯事だそうで、オフィスに助けを求めに訪れる日本人のトラブルにもこのBIMANがらみがけっこうあるらしい。しかし、この混み具合ではかなり時間をくいそうだな。
 銀行の閉まる時間が迫っているというので、リコンファームはYにまかせて俺とKは通りひとつへだてた建物に換金に向かった。こっちも窓口の前には褐色の行列が鎮座している。念のために少し多めに換金してみた。出てきた札は、穴だらけの超使い古し。ちぎれかけているものまである。相当あちこち流通しているらしい。
 面倒な手つづきを終え、俺たちはレストランを求めてふたたび街へ。なにしろ最後の機内食を口にして以来なにも食っていない。腹がぎゅうとなきわめいている。しかし妙な屋台で伝染病をもらうわけにもいかない。俺とYは予防接種を受けていないのだ。
 歩き煙草でへこへこ進んでいると、なんだかバイクに乗った兄ちゃんがすりよってきて「シガレット、シガレット」とくりかえす。バクシーシかなと思い一本さしだすと、とんでもないとでもいうように手を左右にうちふりながら何やら述べている。なんだと思ったら、どうやらイスラムの慣習かなにかで街なかで煙草を喫ってはいけないことになっているらしい。「お、アイムソリー」と俺はあわてて煙草をもみ消した。
 そのまましばらくオフィス街をうろついていたが、まともなレストランらしきものが見つからない。時間のムダなので、リクシャをつかまえてつれてってもらうことにした。すりよってきた兄ちゃんのリクシャマンに「レストラン、チープ、クリーン」と要求するとOKOKさあ乗ってくれとやけに気安い。大丈夫かなあ。
 現地の人たちが利用するベンガルレストラン。チープ。クリーン。おまけにおもしろい。東京の大衆食堂と雰囲気が一緒だ。ただしもう少し広くてゆったりしている。店の真ん中に水道と石けん。ふむん。悪くない。食事のあとに市内見物はどうかとしきりに売り込むリクシャの兄ちゃんに無理やり料金を払って追いかえし(ずいぶんがっかりしていたようだ)、席についた。
 やたら喉がかわいていた。テーブルの上に鎮座まします水の容器に手をのばしそうになる衝動をかろうじて抑え、コーラを注文。うまいっ。昼飯のメニュー:鳥肉のカレー、ナン――煎餅を巨大にしたような形をしたパン、のようなもの、それから紅茶(K注:野菜サラダがついてたよ。玉ネギ、キュウリがおいしい! でもあぶない。ジレンマだ。青トウガラシがカライ。わたしは一口タベタ)。
 カレーはなんだかカップと茶わんをたして二で割ったような容器におさめられて出てきたが、空腹のせいもあってかめちゃくちゃにうまかった。やはり濃密なミルクで割った紅茶、一気に飲みほしたコーラ。いやあ。幸せだねえ。で、周囲を観察する余裕も顔を出す。
 右手で食ってる。これが実にもの慣れてて上手い。あたりまえといえばあたりまえだが、それにしても指の第二関節から上あたりはまったく汚さずにちゃくちゃくとインディカ米のカレーがかたづけられていく。どのテーブルを見てもそうだ。生活なんだろう。
 もうひとつ。粗忽な俺はまるで気づかなかったのだが、こういうレストランに女は珍しい。連れの二人に好奇心と困惑の入り混じった視線はつねにつきまとっていたらしい。なかにはウエイターになぜ女などがいるんだと文句をつけていた奴もいたという。この国では女性蔑視がはげしい。なんでもそこは、現地民でもわりあい富裕な階層が利用するたぐいのレストランだったらしい。ちなみに文句をつけられたウエイター、「外国人だから」ということで軽くごまかしてしまったようだ。うむ。ガイジンつうのも、やってみるとずいぶん気楽で便利なものだ。
 すっかり満足して、ふたたびリクシャをつかまえにかかる。いきさきはミュージアム、博物館だ。すりよってきたのは、なんだかやたらに元気で威勢のいい爺さんのリクシャマンと、ついでによってきた目立たない感じの若いにいちゃん。料金は20。もっと安くしろとがんばってみたのだが、爺さんやけに強気でそれ以上さがらない。しかたがねえなあ。それにしても、どうしてうまくいかないんだろう。
 中心部をぬけて露店の立ちならぶ一角を横目に、博物館に到着。これがまた意外に立派な建物で庭には花なんか植えられたりしている。が、入ってみるとこれがまたどことなく大ざっぱでえーかげんっぽい雰囲気。んー、いいねえ。
 荷物をあずけて説明をきく。と、なんだあ? 2:30で閉館だあ? 現在時刻2:15。閉館+10分、25分で出てこいという。あわてて二階へ向かう。
 へたな細工にしか見えないベンガルタイガーの剥製、現地の生活のディスプレイ、なんの変哲もない雑草だの小動物だの、けっこうしょうもねえなあと思いつつ周囲についてまわっていたバングラ人と適当な英単語や動物の鳴き真似で会話を交わしつつ半ばごろまでくると、見慣れない奇妙な道具や衣服と、だんだん展示物がおもしろくなってくる。それにつれて、閉館時刻も刻々と迫りくる。うがあ。小走りでなめるようにして展示物をやり過ごしつつ進軍。二階(Y注:一階(の間違い?))(J注:Kに確かめたところ、イギリス式で日本でいう二階から一階と表記されていたということなので、どっちでも同じこった)の終わり近くにたどりついて、俺は心中あっと声をあげていた。
 切りだしてきた壁面なのだろう、煉瓦様の地に、彫刻が刻みこまれていた。マヤ、インカ、という言葉が俺の脳裏に浮かんだ。デフォルメされた横顔の神像、奇妙なポーズ、からみつく蛇、どう見てもケツァルコアトルかなんか、南米あたりの彫刻を連想してしまう。南米もアジアも原住民は同じ民族だ。なにかつながりがあるのかもしれないとはいえ、どうにもわくわくしてしまう。それらしきものはその一角だけ、ほかの仏像や神像はインド風か中国風とくればもうたまらない。糞っ、なんてこった、時間がない。
 あわただしく二階を一周し終わり、明日早い時間にもう一度こようということにして俺たちは博物館をあとにする。
 ダッカの街は陽射しがつよく蒸し暑いが、それでもなぜか不快じゃない。排気ガスはすごいしやたらやかましいし、道ばたに放りだされたゴミは腐臭を発するわ、どいつもこいつも人のことじろじろ眺めてちょっと立ちどまってるだけでわらわら寄り集まってくるわでなんだかざわついているのだが、それでもなぜか街全体にのんびりとした、というよりはだらけきった雰囲気がただよっていて、それが俺にはひどくしっくりとくる。生来の怠け者には合った街なのだろう。
 博物館を出て通りに歩を踏みだすと、さっきのリクシャマンの爺さんがなんだかすりよってくる。若いのも一緒だ。俺たちが出てくるのを待っていたらしい。暇な奴らだ。市内見物はどうか、どこにでもつれてってやるぞとくるのに、いらねえいらねえアマールタカナイと手をふるのだがどうもなかなか離れていかない。まったく暇な連中。たしかにこの街にゃ、これだけリクシャやベビタクであふれかえってるというのに観光客は少なそうだわな。カモは離さねえ、というわけだ。
 しきりに市内見物をすすめる爺さんを無視してミネラルウォーターを購入、社会教育の勉強のための旅行という名目できたYが現地の新聞や本を手に入れたいというので、本屋に入る。
 本屋ったって英語かバングラ語のものしかないので俺はお呼びじゃねえなと、絵か写真関係の棚をずらずら眺めていると、ほう、これは漫画じゃねえか。なにやら不気味でいかがわしいアメリカンコミック調の妙な絵が描いてある。しかもフキダシの中身はバングラ語だ。これはいかにも胡散臭い! 一発でその絵に魅せられ、一も二もなく購入する。まったくなにをやってるんだか。「あとでわたしにも見せてね」とはKの弁。この娘も嗜好が尋常じゃない。
 それにしても陽射しがきつい。帽子を買うことにしたのだが、その通りは雑貨屋やふつうの商店がならんでいるようなところで、珍しい帽子を手に入れられそうな店が見あたらない。またリクシャかベビタクでもひろうか、とあたりを見まわしてみると、思わず視線のあったさっきの爺さんがニヤリ。
 「キャップショップ、キャップショップ」というと爺さん、どんな帽子がいいんだときく。「竹の帽子と布の帽子とどっちがいい?」竹は荷物になりそうだから布がいいな、てんでニューマーケットつうとこへ向かう。爺さん道々、なまりのきつい妙な英語でしきりと話しかけてくる。外国人と親しくなりたいらしい。文法もへったくれもないめちゃめちゃな単語英語で受け応えしているうちに、目的地に到着。
 露店の巨大な集合体。梁と屋根をおおう布だけで構成された狭苦しいスペースにところせましと物品つみあげ、売りものに埋もれるようにして店番が腰かけている。人群れも絶えず活気にみちあふれてる。うん。いいぞこいつぁ。
 適当なところでリクシャを降りてぐるりとまわる。なんだか、女性用の帽子が見あたらないなあ。装飾品なんかは山のようにあるってのに。そうか、みんな帽子がわりにサリーをドタマに巻いてるからなあ。というわけでYとK、持参のハンカチで我慢する、ということになり、俺は――ムスリムのかぶっている種類の帽子のなかで、適度に派手できれいな青地の帽子を見つけて気に入ったのだが、店番に値段をきいてみるとこれがいかにも高い。隣の白いやつなら安いぞというのだがそっちは値段に見あってどうにも安っぽい。あきらめるか、と一度は立ち去りかけたものの、未練断ちがたく踵を返し、高い帽子を買ってしまう。失敗した。小さすぎたのだ。その後、バングラ人とちょっと仲良くなるたびに「その帽子、小さいぞ」といちいち指摘されることとなる。があ! わかってるよっ。
 喉がかわいた。そのへんの露店でちょいと茶でもいっぱい、とはいかないので少々値ははるが現地の一流ホテルであるシェラトンにいくことにしてまわりを見まわしてみると――お察しのとおり、例の爺さんがまたニヤリ。忍者かあいつはと驚きあきれる俺に「日本人の三人づれなんて珍しいからすぐわかるんだよ」とK。この娘の指摘はいちいち理にかなっていて、どうもなかなか感心させられるな。
 ドアボーイに「へろー」と挨拶しつつ玄関をくぐりぬけてレストランへ。このあたりにいたって俺たちもずいぶん気安くなっている。Kのやつ、アイスティーなんか頼んでやがる。氷があぶないんだとわかってるはずなんだがなあ。しかし、俺も冷たいもの飲みたいしなあ。うーん。迷ったが、サンカ・コーヒーという名の正体不明のいかがわしそうな名前を発見し、これにする。ちなみにYはふつうのコーヒー(Y注:アイス(じゃなかったっけ…… ^^;))。
 日本じゃちょっと二の足を踏みたくなりそうなホテルもこの国でならなんの躊躇もなく入れる。事実、ほかの客は身なりもよくて内装もけっこう張っているし、そのへんの店の人間とちがって従業員も妙に慇懃なのだが、冷房(!)も効いてるしひどくリラックスできる。お、コーヒーがきたぞ。ずず。なんでえ普通のコーヒーじゃねえか。
 存分にだらけきってから表に出ると、すでに陽も暮れはじめるころあいだ。Sさんのオフィスに戻るべえとベビタクを停めるが、料金をきいてびっくり60タカ。どうがんばってもこれ以上さがらない。時間帯にもよるのだろうが、どうやら拾った場所が悪かったらしい。そりゃ一流ホテルから出てきた外国人からはふんだくりたくもなるだろうな。結局バクシーシまで求められ、合計80タカもふんだくられた。
 夕暮れ近い街に車があふれ出している。交わされるクラクションも一段と声高だ。道ゆく人もどことなく(この国にしては)せわしなく、露店にもそろそろ灯が入りはじめた。ほう、昼間も通ったけどこの公園、なかなかいいねえ。この三日のうちに一度くらいはここでのんびりしようじゃねえか。わ、この建物なんだ? やけにでかくて立派で、その上やたらときれいじゃないか。
 「リッチマンズ・ハウス」と気配を察してか聞きもしないのにベビタクの運ちゃんが解説してくれる。ええ、嘘だろう? リアリー? ほんまかいな、へー……。後でわかったことだが、こりゃたしかに嘘っぱちか聞きまちがいだった。こりゃ政府の建物なんだそうだ。
 「色彩感覚や美術感覚はともかく、こういう幾何学的なものはイスラム圏はすごい」とは、これも後にYから得た知識。例証に絨毯をあげられてなるほどと納得する。こっちのねーちゃんは雑学的知識にたけている。それにしちゃ、世間的な知恵が少々たりないような気もするが。
 そうこうするうち、ベビタクは暮れかけたアサドゲートにたどりついた。妙な石でできた意味不明の門のまわりに、軒に電灯をたらした露店が立ちならぶ。この街の夜はオレンジ色だ。蛍光灯がいきわたっていないからなんだろうが、俺はこの淡くぼんやりとした夜の色が好きだった。のんびりしていて、それでいてなんとなくにぎやかで、そしてちょっとばかりもの哀しくもある。いいねえ。ホントにいい街だ。
 こうして二日目は暮れていった。――でもまだ終わりじゃない。

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