ベンガルの朝
3月14日、土曜日。
早朝の便で立つ予定の一夜の連れがひとり、ムスリムのモーニングコールでたたき起こされるのを夢うつつに聞いていた。きのうの大男が当の相手らしい。なにやら、空港まで1ドル半で送ってやるがどうだと交渉しているようだ。ホンマかいな、と俺は疑わしく思っていたが、どうやら本人はその気になっている。この男、バングラははじめてだが以前に一度、やはりカルカッタを歩いた経験があるらしいので、俺がよけいな口だしをするまでもないだろう。年もたしか俺と同じはずだ。男一匹あちこちでいろんな目に会えばよろしいのだ。他人のことなぞ知ったことか。
交渉を終えて笑顔で出ていくそいつを見送り、俺たちはもう一眠りしようと画策する。なにしろこの夜は朦朧としたまま満足に眠れていない。すこしでも休んでおきたい。
が、ムリな相談だった。興奮しているせいか、どうにも目が冴えきっちまってる。野郎二人はどちらからともなく起きだして煙草を喫い、そして話すともなく話しはじめる。
F、と名乗るこの学生は、今日の昼の便で立つという。目的地はインド。小汚い格好をのぞけば、渋谷あたりをうろついていそうな外見だ。どこかインドとはそぐわない印象だ。が、これは俺の偏見だった。目的をきいて、なるほどと首肯する。
「Lをやりにいくんだ」とそいつは言った。LSDだ。日本じゃやれない。でも東南アジアじゃやり放題だ。前々から目をつけていたという。なるほどそういうことか。たしかに渋谷あたりをうろついていそうだ。この一件で少々おちこんではいるようだが、カルカッタは気に入るかもしれない。がんばって天国をさがしにいくといい。
やがて女どももかしましく起きだす気配があった。ひどく元気なようすだ。悪くない。なかなかいいタマだ、こいつらも。
NGOの団体と連絡をとり、足をつかまえてやるという大男の宿の主人の言葉にしたがってしばし待つ。インドの行者みたいなじいさんがひとり、腰かけていた。昨夜「女はどうだ、買わないか?」と女づれの俺に下卑た声をかけてきた従業員たちもやけに雰囲気がいい。なにより、8ドルもふんだくってなおバクシーシまで要求してきたあの大男がやけに親切だ。「昨夜はすまなかった。これに懲りず、またこのホテルを利用してくれていい。そのときはできるかぎりのことをする」などという。騙されるか、この悪党、などと思いつつも妙に親近感を感じてしまう。朝の陽射しのせいかもしれない。なにもかもが輝いて見える。
道にはリクシャやベビタク、そして頭上にバランスよく大荷物抱えたもの売りなどがひっきりなしにいき交っていた。みな、ホテルの入口に腰かけて足を待つ俺たちをいかにももの珍しげに無遠慮な視線を投げかけていく。イスラム圏のせいか、たいがい男だったが、肌をむきだしにした女の姿も少数ながら見かけられる。どいつもこいつもでかい目をしてやがる。おもしろい。
やがて派手な色彩の二台のベビタクがホテルの前に横づけする。車体に花だのなんだのとやたら模様がついてるシロモノだ。リクシャもこの例にもれず、目ざわりなほど華やかで仰々しい。そういう文化圏だということなのだそうだ。イスラムはやたらぎらぎらしている。はははっ。見ているこっちまで楽しくなってきやがる。
四人が二台に分乗してNGOのオフィスに向かう。やたらに街のあちこちを走る。観光サービスではない。道に迷っていやがるのだ。はははーだ。これ幸いと俺たちは街を眺めわたす。道でなんだか女こどもが煉瓦を砕いているのは、なんでも陥没した道路を埋めるため(Y注:道路工事の建築の為です)なのだとYが説明を加える。石の建物のつらなり。正体不明の物品を店先に山づみした物売りども。
右に左に進路をかえる交通機関。よくもまあ事故を起こさないものだ、と観察していたら、クラクションとウインカーで、騒然とした雰囲気ながらけっこう体系的に道をゆずりあっている。荒々しいが理にかなっているようだ。ちなみに、街なかに信号はほとんどない。俺が認識したのは一ヶ所だけだった。リクシャがあふれかえってやたら走りまわっているので雑然と見えるが、交通量自体はさほどではないのかもしれない。
街路。並木がつらなっている。なぜか街頭にワープロの看板がつらなり立っていたりする。車の看板もある。道ばたのあちこちに痩せこけた女こどもがすわりこんでいる。あのバラックの立ちならんだ一角はスラムだろう。
ムスリムの運ちゃんは街のあちこちで車をとめては、そのへんにぼそーっと立ってる人に道を聞きまわる。そしてぶるん、とエンジンをかけ、しばらく走ってはまたとまって道を聞く。煙草をやろうかとさし出すと、いや、いいと手を左右にふる。もう一台のほうの運ちゃんは快く五、六本うけとったというのに。ムスリムの風習だろうか、それとも自分の車にのせた客からはものは受けとらないという運ちゃんの哲学だろうか。ならんで腰をおろし、悪路と荒い運転にがくがく揺さぶられる俺とYとは、小さな謎をもてあそぶ。
住宅街。整然としながらどこか泥くさい。この街にしては静謐な印象だ。もっとも、通り一本へだててチリンチリン、ブッバッブーと聞こえてくる。不思議だ。なにもかも不思議だ。なんて活気にみちた街なんだろう。
さんざんまわり道したあげく、ベビータクシーはやっとのことでNGOの事務所にたどりついた。呼ばわると、サリーを着た婦人があらわれ、ちょっと待っていろという。ここで一悶着、ベビタクの運ちゃんが料金を割り増ししろと要求しはじめたのだ。さんざ迷いながらさがしてやったのだから色をつけろということらしい。どいつもこいつも欲深い奴らだ。しかし、どうすべえ。
と思う間もなく、二階だてのオフィス、厳重に施錠された鉄の格子戸をあけてひとりの日本人が現われた。このダッカに在住してバングラデシュの人びとの生活を向上させるために活動しているSさんである。
見たところ温和でソフトな人柄、しゃべり方も紳士的でものしずか。とてもこんな厳しい国に踏みとどまって、生きるのに必死で純粋で油断のならない連中相手に活動しているような人間には見えない。
が、俺たちにとってはまさに神の援軍だ。運ちゃんとの交渉は自分がやるから、とりあえず二階にあがって休んでいてください、とのありがたき言葉に従い建物の内部に歩を踏みこむ。
武骨なコンクリートの階段。開け放された窓。高い天井と清潔だがむきだしの壁。部屋のなかには簡素な長椅子と籐椅子、そして長いテーブルの上には山積みの漫画本。『ゴルゴ13』『美味しんぼ』etc.全部日本の漫画だ。部屋の四隅を占領した本棚の中には援助関連、文化関連の本などがたくさん並んでいるのだが、ハバをきかせているのはこれら日本製コミックス群であった。俺はズタ袋のなかに、13日の金曜日、吉祥寺のコンビニで入手した『ハロウイン』4月号が入っていることを鋭く意識し、あとで貢ぎものとしてさしだそうと決心した。
やがて交渉を終えたSさんがあがってきた。昨夜なにが起こったのかを問い質す。俺たちがふんだくられた料金をきいて少しばかり驚いているようだ。おだやかに憤慨を表明する。よほど暴利を貪られたのだろうと俺も改めて意識する。糞っ、あの小悪党め。今度会ったらただしゃおかねえ。大男が目の前にいないと、考えることも威勢がいい。
観光客と見るとふんだくりにかかるから気をつけることだね、とSさんはわれわれに忠告を与え、そしてつけ加えた。
「まあ、それでも暴力をふるわれたりするようなことは絶対にないしね。口論はあちこちにあってもそういうことはないから」そういう意味では、この街は安全なのだと、どこか誇らしげにいう。やはりこの国を好きなんだろう。実をいうと、俺もあちこち眺めわたした印象でかなりこのダッカを気に入ってしまっている。
紅茶が出てきた。ありがたい。空港に降り立ってからこっち、今の今までまったく水分を補給していないのだ。緊張と興奮でか、切羽つまった喉のかわきを覚えることはなかったが、それでも湿度の高い暑い街だ。俺は煙草に火をつけ、濃密な味のミルクの入ったその紅茶をゆっくりと味わう。うまい。死ぬほどうまい。生きる喜びここにあり。
茶をのみながら今後の予定を話す。Fは午後の便でカルカッタへ。俺たちがカトマンズへ立つのは、三日後だ。じゃあここに泊まっていきなさい、とSさんは快くいう。この二階にはさらに奥にふたつの部屋があり、そこは宿泊施設としてこの国を訪れた日本人に実費に近い額で利用してもらっているのだという。ありがたい。実にありがたい。一も二もなくご好意に甘えることにする。ああ、地獄に仏とはこのことだ。とかいいつつ、この地獄、けっこう楽しいのだが。
とりあえずいくらか金を貸しておくから、自分たちだけで街を歩いてみろ、と現地の紙幣をさしだす。単位はタカ、という。英語表記にするとTK.となるらしい。全部で500タカ。心強い。
Lをやるために飛行場へと向かうFとわかれ、俺たちは勇躍街にのりだした。