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ガジェット ボックス GADGET BOX ネパールの三馬鹿02



・旅の仲間
◆Y…………今回の旅行の発案者・主催者。女(23歳)。某大学の大学院生。研究者としての生涯を画策しているらしいが、よくわからない。
◆K…………同行者。女(20歳)。某大学の学生。大学のサークルで芝居をやっている。『芝居の人』になりつつある。
◆俺、またはJ…………筆者。男(28歳)。職業作家をめざして日々怠けている。現在某広告関連零細企業で寄生虫をやっている。
 

第一部 ダッカの三馬鹿

SAN-BAKA IN DHAKA


    チープシック・エアライン


 3月13日(金)AM7:09、東京。
 エアポート成田というご大層な名前のラインは、実は単なる通勤電車であった。巨大な荷物をおっかかえたYとバッグ一個のK、そしてデイバッグにズタ袋の俺の三人組はちゃっかり奥の席に陣取って東京を後にする。いよいよ出発だ。日本は寒い冬の季節からそろそろ抜けだそうかという頃あいで、厳冬のさなかよりはずいぶん温暖になってもいたのだが、ネパール用にセーターと長袖のTシャツに、上に羽織るのはジャケットだけというわれわれには非常に寒い。
 列車は川をこえて千葉に入り、周囲の景色も徐々に田舎街にと変貌していく。Kはやけにうれしそうだ。さもあろう。俺も多少おちついているフリはしているが、初めての海外である。内心では小躍りしはじめかねない自分を抑制するのに一苦労であった。Yはといえば……熟睡している。吉祥寺で合流をはたして以来、ずっとこの調子だ。もともと忙しい娘ではあったが、二週間にわたるこの旅行のために常にも倍するハードスケジュールをこなした結果であるらしい。つんつんと頬でもつっついて安眠の邪魔をしてやろうかとささやく俺の内部の悪魔の声を強いて無視し、俺は見るともなく窓外の光景に目をやりながら話しかけてくるKの言葉に受け応えていた(Y注:二人も寝てました!)。
 成田空港は思っていたほどハイテクな景観ではなかった。駅に毛が生えた程度の代物だ。それでも頭上にそびえるインフォメーションの電光掲示板や街に倍する外国人の数には、なるほどという感慨を覚えたものだ。
 やけに煩雑で気怠い手つづきを終え、免税店で煙草を買い求めた後、俺たちは自走歩道の長い通廊を経ていよいよ日本の表玄関に歩を踏みこむ。ここはすでに日本ではない。ではどこの国なのだと自問して、俺はひとり答えに窮したりしていた。どこでもないのだ。とにかく日本ではないのだ。
 利用する航空会社はバングラデシュエアライン、通称BIMANという。きいたこともない。ちなみに代理店の名はペガサスうんたらという、これもまったく聞き覚えのない会社だ。はたしてこれで俺たちは本当に飛行機に乗れるのだろうかという疑問と不安は終始つきまとっていたのだが、どうやら本当にまちがいなく飛行機に搭乗できるらしい。うれしい。浮き足だってしまう。ひゃほーいっ。ちなみに俺とKは飛行機は初体験である。Kもやっぱりはしゃいでいる。うひょほーいっ。
 空港内をバスで移動し、俺たちは初めて間近にみるバングラデシュエアライン、通称BIMANの、尾翼に変なマークのついた見るからに巨大なエアプレーンの下に立つ。どう見ても鉄の塊だ。まあ大丈夫だろうが、これが落ちたら海のもくずになってしまうんだろうなあ。
 機内に入ると……なんだか、けっこう狭いなあ。横幅はあるけど。席つめこんだって感じで……。ふうん。こういう風に仕切られてるのか。横長のバスを三つ、くっつけたような構造なんだなあ。座席もバスとかわらんし。しかし……この壁の唐草模様は……いったい……? 流れてくるこの音楽といい……。飛行機というのはこういうものだったのか。ふーん……。
 「なんか……すごくエスニックというかチープシックというか」
 Kの言葉に俺はふきだしてしまった。そう。なんだか安っぽいのだ。座席について窓をのぞいてみて、その感想はいっそう補強される。やけに小さくて外が見にくそうなのはまあ仕方ないとしても、なんだか細かな傷や大きな傷が縦横に走っていたりする。
 「やっぱ傷がつくんだろうね」
 窓側に陣取ったKがいう。やっぱり空の上にはいろんなものが浮遊しているのだろう。飛行機というのはとどのつまり、こういうものなのだ、と俺は安易に納得していたのであった(補足:これはKが後に得た情報であるが、同じ機に乗りあわせた人物が「こんなボロい飛行機、見たこともない」と傍白していたらしい)。
 飛行機が動きだすまでの時間は、ひどく退屈だった。なんだか変なオレンジジュースが出てきたりしたが、量も少ないしなによりも禁煙サインがつきっぱなしなので一服することもできないので一気に飲み干してしまったのである。ちなみに席順は窓際にK、その隣に俺、通路ひとつ隔ててY、という構成。禁煙席にはけっこう人がたくさんいたのだが、喫煙席であるこのエリアはなんだか空席のほうが目立っていて、Yの向こう隣からあっちはきれいに空席がならんでいる。この航空会社、大丈夫なんだろうな、経営……。
 とか思っていたら、サリーを着たエスニックでトウのたったスチュワーデスが機内放送にあわせて安全ベルトのかけかた、救命具の使い方を実演しはじめた。なんだか奇妙な仕草で座席の背中をさわったり天井を指さしたりしている。あの顔、あの格好でこの動作をされると、なんだかエスニックダンスかなにかの講習に見えてしまうから不思議だ。ちなみに機内放送はバングラ語、英語で二度くりかえされた後、もうしわけ程度のように日本人スチュワーデスによる簡略な説明がつけ加えられた。実演はない。やはりここは外国だ。なるほど、この機内はどこの大地に降りていようと、バングラデシュなのだ。
 とかいっているうちに、飛行機が走りはじめる。構内をぐるぐると経巡り、停まってはまたゆるゆる走り、で、その間ずっとエンジン音が鳴りつづけている。どうもこう、不経済なのりものだな。やたらバカでかいし。と思ってたら。
 滑走路の端にたどりついたのか、数瞬のタイムラグをおいて、いきなりエンジン音が甲高くなった。そしていきなり――いきなり、だ、つっ走りはじめた。ぎょっとして俺とKは夢中で外を眺める。おお、疾走している!
 機は、これもいきなりぐわりと機首をあげた。とたん、窓から見える翼の一端に空気の流れが白く、はっきりと視認できた。そして地上が斜め後方にあっという間に遠ざかった。すごい角度だねえとささやき交わしながら、俺とKは夢中で窓外の光景に釘づけ。見えていた千葉の海はすぐに雲の下に隠れ、まったく退屈している暇もないまま飛行機はいつのまにかものすごい高空に踊り出ていた。
 ほんとに退屈しなかった。ふだん宇宙船がぶんぶん飛び交いチェイスやドッグファイトをばりばりと展開するような小説をぶっこいたりしていても、現実の前には他愛ないものだ。
 そうこうするうち、Kと俺の感覚に少々相違があることを発見する。俺はゆっくりとだが着実に後方に飛びすぎていく雲の群れを眺めながら、この飛行機はものすごい高速でつっぱしっているのだな、と思っていたのだが、どうもKはまったく逆の感想を抱いたらしい。ひどくゆっくりした感じだという。おもしろい。おもしろい。なにもかもがおもしろくてたまらなかった。Kがひどくはしゃいでいる。当然俺も。Yは……通路ひとつ隔てたせいか「この席、寂しい……」などと言っている。かわってやろうかと言ってみたが、ダッカを立つときに窓側にすわらせてくれればいいという。
 やがて機内食が出た。けっこうちゃちなシロモノではあったが、俺もKも物珍しさも手伝ってかひどくおいしく感じた。コーヒーだの7UP(!)だの、なんだか細々といろいろなものが出てくる。楽しい。それにしても狭い。飛行機のなかの狭さというのは、はっきりいって新幹線よりもうわてだな。トイレもやたら混んでて汚いし。でも楽しい。まったく、他愛ないものだ。
 日本時間PM7:00。
 日没が迫るなか、機はシンガポールに到着しようとしていた。眼下には、やけに整然とした白い街がすでに間近に迫りつつある。まさに都市、といった感じだ。美しいという言葉が実によく似合う。こりゃ物価が高そうだ。
 飛行機はシンガポールの街なみをなめるようにしてゆっくりと旋回し、やがて飛行場に迫った。きゅろっという音とともに軽い衝撃が機内に走り、滑走路を疾走する。ちょっと恐かった。
 出発は一時間後。その間30分ほど、空港内のみ降りられるという。俺たちはどっこらしょっと腰をあげる。
 目的地はまだまだ先、ということもあろうが、生来の怠けものばかり三人そろったせいか、俺たちはなんやかやと機内でのんびりしていた。と、スチュワーデスが早く降りろと急かす。降りられるというより、強制的に降ろされるという感じだ。救命具の説明の時もジェスチャーしながら声高におしゃべりしているし、なんだかこの連中、ひどく雑だな。Kの言葉によると、バングラというのは女性の地位がまだまだ低く、スチュワーデスなんかもうエリート中のエリートなので、自然態度もでかくなるんだということらしい。うーん。べつにいいけど……。
 シンガポールはひどく小ぎれいな印象で、東京よりも都市という感じだった。道にゴミを捨てただけで罰金ということは知っていたが、都市計画が完璧すぎて「人間の住む場所でない」街ができあがってしまったらしい、ということはこの時初めて知った。さぞ観光収入が入ることだろう。予想どおり、免税店に安いものは見あたらなかった。ぶらぶらしたり写真をとったりしているうちに、30分はあっというまに過ぎてしまった。
 残りの30分はひどく長かった。機内からは日本人の姿が極端に減少し、かわって浅黒い肌の団体さんがひどくハバをきかせている。バングラ人の一団だろう。ここはもう本当に日本ではないのだ、と改めて思いしらされる。
 機がふたたび空へ立とうというころ、地平線は暮色に染められていた。上昇する窓から斜めに見える白い街も紅の時に占められ、そして空はバラ色から紫へ、そして濃い藍色へと染めわけられている。機首は西へ、西へとひた走り、逃げる夕暮れを懸命に追いつづける。俺たちはそれから長いあいだ、暮れない夕景をあかず眺めつづけていた。
 日本時間PM10:30、現地時間PM8:30、バンコク、夜。上空にさしかかったころから機内はやたら蒸しはじめる。眼下に見える都市は暖色系のやわらかな光の遠いつらなり。あれは車の列だろうか。あまり動かない。鈴なりになっている。渋滞しているのだろう。ああ、渋滞。
 やけにくすんだ空港の建物を横目に、消えない禁煙サインを毒づきながら出発の時間を待つことしばし、飛行機は乗りこんできた浅黒い肌の人間を満載してふたたび空の上に立つ。もう俺たち日本人は完全に少数派だ。蒸す。そして日付がかわり……
 ダッカに降り立ったとき、そこには暑い夜が待っていた。トランジットの手つづきを待つあいだ(こういう煩雑な手つづきは全部Yにまかせっきりだった)、空港職員らしき現地の男がやたら親しげに話しかけてくる。日本人とトモダチになりたいらしい。この時点で俺は自分の語学力を試す気には毛頭なれず、相手はもっぱらKにまかせていた。もっとも、Kも少々もてあまし気味だ。
 いくつかの小集団を形成している日本人、みな、目的地はここではないのだろう。バングラデシュは極端に外貨を欲しがっている。俺たちも最初は、翌日にはネパールに立つ予定だった。航空会社の都合でその予定は変更され、ダッカに三晩四日、足どめを食うことになったと報されたのは出発の一週間も前ごろだったろうか。これはバングラ政府の陰謀にちがいない、とYはしきりに主張する。
 トランジットルームの内外を、こまねずみのようにしきりに出たり入ったりしながら空港職員とやりとりしている東洋人がひとりいた。苦笑いと愛想笑いを交互にくり出しながら、たどたどしい英語でバングラ人になんとか意志の疎通をはかろうとしている。最初は中国人だろうか、と考えていたのだがどうやら日本人らしい。少々うすらみっともない。俺は鼻先で笑いたい気分でその男を眺めている。この時点で、俺はまったく気づいていなかった。これが伏線だ。正しい解答はこの時、目の前にころがっていたのだ。今となっては、まあよかろう。どうしようもなかったことだ。
 気後れする英語とうろ覚えの場違いなバングラ語でなんとか入国手つづきを終えた俺は、同行のふたりとともに税関をぬける。職員の指示はまったく統一がとれず、その上どいつもこいつもやたらのんびりしている。俺たちは疲れているんだ。いったいどうすりゃいいんだ。教えてくれ。トランジットルームに戻ればいいのか? なに? そっちへいっちゃいけない? 早くいえよ、じゃどっちにいけばいいっての。ん? ちょっと待ってろ? 早くしてくれよ。
 うんざりしていた。手ぎわの悪さは天下一品。この時点で俺たちは「トランジット用のホテルを予約してある」ということを強硬に主張してどれだけ時間がかかろうとも空港職員にしっかり理解させるべきだったのだが、無論この時点でそんなことなど思いうかびもしない。一刻も早くどこかにおちつきたい、頭にあるのはただそれだけだった。初歩的なトラップにひっかかったのも当然のことだ。
 その後に起こったことはすでに述べた。実をいえばそれほど落胆してもいなかった。16ドルは大きな痛手だし苦もなくだまされたことには腹わたよじれるが、なにこの国では俺たちゃ成金だ。がっかりし、不安になり、怒り狂ってもいたが、その一方で楽しんでもいる自分がたしかにいた。Kもたぶんそうだったろう。俺たちにつられた形でだまされたカルカッタいきの二人や、手つづきすべてまかせっきりのYには少々もうしわけない気分だったが――おもしろいじゃねえか。
 ふん。

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