イタリア・ドライブ'97 (2) バーリ到着

[6月7日](

9時頃

前泊した成田ANAホテルに車を置いて、送迎バスで空港へ。チェックインはバーリまでの分をここで済ませてしまう。ローマで入国することになるが、スーツケースはバーリまで預けたままだそうだ。

11:45発

AZ789便で、ローマへ向け発つ。

17:30頃

(ここから現地時間)ミラノ着。ここで大半の客は降りてしまう。1時間ほど両替など、時間つぶしをして出発。

19:25着

ほぼ定刻通り、ローマ着。トランジットなのでモニター表示を確かめ、バーリ行きの搭乗口へ向かうと、途中に簡単なパスポートチェックがある。これで入国。あまりにあっさりしており、フライトまで時間があまる。

20:55発

AZ1609便。21:55、バーリ着。ここまで日本から17時間。国際線からの乗り継ぎ客の荷物は最後に別室で出てきて税関チェックを受ける。エイヴィスで車を借りて出発。

23:30頃

ホテル・レオン・ドーロ

ローマ行きのアリタリアはほぼ満席だった

 こんな時期になぜ? だめだよ遊んでいちゃって、それは自分のことか。とにかくチェックインが2時間前を少し割ってはいたが、禁煙席では2人並べない状態。前後席ということでとってもらった。

 ぼくはヘビスモなのだが、妻は吸わず、喫煙席は耐えられない。まあ、最後部には喫煙用共用席があるので、旅行をするときは禁煙席を取ることにしている。長時間のべつまくなし煙がたなびいているよりは、自分としてもかえって快適なのだ。

風邪の兆候がひどくなってきたぞ

 前夜から風邪の予感がして、珍しくホテルのプールに行かなかったのだが、シベリア上空で次第にせき込み始める。げぇ、やばいなあ。何か熱も出てきた気がする。ワインを2本もらって強引に毛布をかぶって寝る。

ローマ空港ではもうへろへろだった。こうなったらもう気合しかないです。

バーリ行きの日本人はさすがにわれわれだけだった

 ローマで搭乗口に並んでいたら日本人の若いカップルが前にいた。へえ、いるものだねと思っていたのだが、直前に搭乗ゲートがバーリになったのを見落としていたらしい。係員に違うと言われて「なに? げっ。バーリだってよ。」「なにそれぇ」などと言い交わし、あわてて走って行ってしまった。あのカップル、どこへ行くのか知らないが、ちゃんと乗れただろうか。

 結局、小さなジェット機に乗り込んだ日本人はわれわれだけであった。

車はなぜか英国車

 エイヴィスで借りた車はローヴァー618。シルバーメタリックのマニュアル。当然エアコン付き。新車だった。左ハンドルの英国車にイタリアで乗るとは妙な感じだ。でも内装はウッドパネルなどがなかなかいい感じ。

 低回転のトルクは結構あって静かで滑らかなのだが、高速からの追い越しダッシュはいまいちで、きわどい追い越しはスリル満点です。

 トランクは広く、ぼくの特大スーツケースと妻の標準サイズのがきちんと収まって、まだ余裕で全ての手荷物が入れられる。これは見えないところに荷物を隠す意味では結構重要なことなのだ。

ホテル到着が遅いって?

 空港からバーリの市街までは20分ほど。それにしてはホテル到着が遅いのは・・・またまた街中で道に迷っていたのだった。だって空港出たときはすでに真っ暗だったのですから。

 それでも一昨年のローマに比べれば、バーリは小さな都市である。小一時間もウロウロしていればだいたい把握してしまうのである。(十分だという意見もあろうが)

レオン・ドーロは手頃な哀愁ホテルだった

 鉄道駅の駅前広場に面して建つレオン・ドーロ(黄金のライオン)は立地もいいし、値段もお手頃。グランド・ホテルと名乗るだけあって、出来たときは立派だったろうと思うのだが、調度や建て付けにちょっとボロッとした所があって、哀愁が漂います。

 南イタリアは深刻な不況と失業にあえいでいるのだった。おまけにクロアチアあたりから難民が、アドリア海を渡って押し寄せている。なんてことを少し考えたりして。しかし夜が明けると、強烈な日差しにそんな哀愁はどこかに蒸発してしまうのであった。

本格的に風邪だ

 ホテルで服を脱ぐと上半身に汗疹のようなものがびっしり。風邪引くとたまに出る自家中毒のようなものだ。せき込むと痰に血が混じっている。おいおいおい・・・。

 二人きりの旅なので心配かけてもいかんと、平気を装うがかなりキツイです。とにかく寝るしかないと、風邪薬を成田で買ったバーボンで流し込む。(大変危険ですので良い子は絶対真似をしないで下さい)

本日のお買い物

 真珠(イミテーション)の首飾り/何故か成田空港のミキモトで

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