ボラボラ島記(6)

 

7月17日(

 

もう最終日。昨日タヒチ島に渡って一泊したのでボラボラ島記ではなくなっている。

 

朝一番にエイヴィスのカウンターに行く。午後3時までしか開いていないので、昨日は予約も確認も出来なかった。おそるおそる車が借りられるかと尋ねると、

 

「あなた達はラッキーです。たった1台だけ空いていますよ。」

 

ああ、良かった。これで取りあえず好きな所を自由に回れるし、チェックアウト後の居場所に苦労することもない。

 

朝食は昨日のダイニングでのビュッフェだが、昨夜のひどさに比べればまあ満足。

 

大きなトランクだけホテルに預け。プジョー205に乗り込んで土砂降りの雨の中を島内巡りに出発した。

 

 

まず、パペーテの町へ。大した土産を買う予定もなかったが、妻のお母様に黒真珠をリクエストされていたこともあり、いちおう最終日の買い物など。が、予想通り週末とお祭り月間のダブルパンチで殆どの店はクローズ。ちらほら開いている店も午前中だけ。

 

雨の周回道路次に島を逆時計回りに半周ほど走り、ゴーギャン博物館へ行く。

 

周回道路は町を離れるとがらがらで、晴れ間が出る中を、非力なプジョー205でガンガン飛ばす。時折地元らしいゆっくりした車がいるが、楽々パスできる。

 

博物館のワン公ゴーギャン博物館見学後、ここには隣接して植物園、レストランがあり、ここで昼食。それまでこれといったタヒチアン料理を食べていなかったので、初めて注文してみた。豚の蒸し焼きは多少脂っこいがまあいける。タロ芋他いろいろ蒸し焼きは素材感と言えば聞こえは良いが、早く言えば特に味がしない。しかも量が多すぎて半分ほど残した。

 

このまま走って1周しようかとも考えたが、買い物が済んでいないと妻が言うので、町やホテルのある所を通らねばとそのまま戻る。

 

お祭りの山車?途中、植物の固まりが道路を移動してくるのに遭遇してびっくり。よく見るとトラックを様々な植物で飾り立てているのだった。お祭り月間の「山車」のようなものなのだろう。かろうじて運転手の顔付近だけガラスが見えている。これで人まで乗せて公道を走るというのはなかなか凄い。

 

途中タヒチ博物館によったりのんびりしていたら、パペーテの町の商店はもう全店クローズとなっていた。こうなりゃホテル巡りだ。

 

ロイヤルパークホテル内のブティックでやっとお目当ての黒真珠を購入。

 

もはや真っ暗になりまたも土砂降り。

 

ガソリンスタンドで給油ポンプをいじっていたら、慌てて店員が飛んできた。しかし、全く英語が通じず、日仏ジェスチャー大会となる。タヒチのガスはセルフなのかと思っていたが、どうやら店員が入れてくれるようだ。

 

 

ハイアット・リージェンシーに帰着。既に大勢の日本人が集まっている。点呼と大型バスでの送迎。もう殆ど最後は団体旅行のノリとなる。現地代理店はこのほうが人件費節約で良いのだろうが、ちょっといただけない。

 

9時頃空港に送り届けられ、免税品など買うが、時間があまりまくる。帰りの便は夜中の00:05発AF279便だ。

 

しかも悪天候で1時間ほど遅れるらしい。おおい、何とかしてくれい。

 

7月18日(

 

夜半過ぎ。大勢の日本人が搭乗ロビーでぐったりとしている。

 

午前1時近くようやく搭乗開始。ところが、まもなくバケツをひっくり返したような豪雨となった。ゲートから飛行機までは徒歩で行くしかない。遠くの方から運悪く滑走路移動中だった人々の悲鳴が聞こえる。

 

搭乗中断。屋根からは滝の様に水が流れ落ち、ターミナルの天井からもいたるところ雨漏りが糸のように落ちる。この空港の建物はその後、フランスの核実験に端を発する暴動で焼かれてしまうのだが、少なくとも雨漏りはしなくなったのだろうか。

 

20分程待ち、やや小降りになったので搭乗再開。我々の番になり、妻の荷物も持ってダッーシュ。タラップを1段飛びで駆け上がる。それでもすっかりずぶ濡れとなってしまった。

 

7月19日(月)

 

日付変更線を越える。

 

最後は段々優雅とはかけ離れて来た今回の旅行だったが、朝7頃定刻より少し遅れただけで成田着。T夫妻をはじめボラボラ島で知り合った多くの方々とお別れをして成田空港を後にした。

 

成田ANAホテルまで送迎バスで行き、預けてあった車で帰途に。途中、船橋のららポートで鮨と蕎麦を食べ、無事の帰国を祝う。

 

ふと見ると、妻の手にはどこから持って来たのか、また別の旅行パンフが握られていたのだった。

 

***** ボラボラ島記 完 *****

 

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