活 動 記 録 ![]()
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| 平成16年9月3日 | 10時 九州から親友来県。 旧高岡高校(美術館)、駅前再開発 ヒ ゙ ル(ウイング・ウイング高岡)等を案内しました。 15時 代表質問資料収集。 私が担当する「市財政の現状と今後の行財政改革について」の項目に関する資料を集めを行いました 。 |
| 平成16年9月2日 | 7時 奥漁業組合区会長とグリーンツーリズムについて打ち合わせ 。 8時 会社朝礼 。 11時 自民クラブ総会 。 高岡広域圏ごみ処理施設整備事業計画、総合斎場建設問題、新高岡駅周辺整備について当局から説明を受けました 。 |
| 平成16年9月1日 | 21時 高岡市役所到着。 奥田助役はじめ市国際交流室、議会事務局員の皆様や高田連合自治会長、辻婦人会長さん等市民の皆様ので迎えを受け、帰国式がありました 。無事、高岡の地に帰り ホ ッとしています 。 |
| 平成16年8月31日 | 日程予定表 6時 ニューヨーク空港着。 11時10分 CO009便で成田空港へ、機中泊。 日本時間9月1日13時50分成田空港着。 19時 羽田発富山着20時25分。 21時10分 帰国式。 |
| 平成16年8月30日 | 7時 答礼朝食会。 8時40分 ミランドポリス出発、帰国へ。 21時20分 サンパウロ空港CO030便でニューヨーク空港へ、機中泊。 |
| 平成16年8月29日 | 7時50分 ミランドポリス日本語学校集合、高岡公園散策。 9時 ノロエステ第三地区日本語学校体育祭参加。 11時 大規模酪農企業視察。 15時 ジュピア発電所視察。 17時 日南アルミ訪問 。 18時 弓場農場訪問。 弓場勇氏の「祈ること 、土を耕すこと 、芸術に親しむこと 」を実践し農作業の後、創作バレーに取り組む25家族の共同農場を訪問しました 。 創作バレー「よさこいそうらん節」「輝く開拓者」「よろこびの歌」を見ている内、涙が止まらなくなるほど魂を揺さぶられました。 |
| 平成16年8月28日 | 現地時間7時半 起床。 10時 30周年記念式典佐藤前市長揮毫による「千里同風」記念碑除幕式。 11時 市議会訪問、議会より橘市長へ名誉市民章授与。 ミランドポリス市議会本会議が開催され、15名のミランドポリス市議会議員、市民の翼団員、一般市民が見守る中ジュンケイラ議長から橘慶一郎市長に名誉市民章が送られました 。 13時 ミランドポリス市議会主催昼食会。 15時 第3アリアンサ訪問。 昭和二年に第3アリアンサを開拓した松沢謙二氏の墓参と富山県日本語学校を訪問、吉田実県知事時代からの交流の足跡や故山崎義平氏長女の寄せ書きを見つけ開拓の労苦と交流の歴史の一端に触れ、今回の訪問の意義を改めて考えています 。 18時 第38回ノロエステ・アラサツーバ盆踊り大会参加。 各地区の日系社会から大変多くの人が集まった大規模な盆踊り大会に参加しました 。野球グランドの会場には、10人は上れる櫓をくみ、周囲に提灯をめぐらし、遠くは 、リオデジャネイロ日本語学校の先生など老若男女が輪を作り「花笠音頭」「炭坑節」「そうらん節」「オクラフォマミキサー」など私の子どもの頃の盆踊りが今も伝えられていました 。 22時半 ミランドポリス市民とバスで帰宅。おやすみなさい・・・。 |
| 平成16年8月27日 | 現地時間6時半 起床 8時半 アラサツーバ空港行きが40人乗りの小型機のため団員の手荷物調整を行いました。 10時 橘慶一郎市長サンパウロニッケイホテル合流。 現地時間12時15分 サンパウロ発アラサツーバ空港を経由しミランドポリスへの予定でしたが40人乗り双発機1時間遅れで出発しました 。 17時 ジョルージ・ファリア・マルリ、ミランドポリス市長表敬訪問。 1時間遅れの到着にも関わらず市役所の前には 、多くの市民が出迎えブラスバンドによる両国の国歌演奏や記念品の交換がありました 。 18時40分 ミランドポリス高岡日本語学校視察意見交換。 19時半 ミランドポリス日本人会歓迎夕食会。 2時間に渡るセレモニーの後夕食会に入り、高岡日本語学校生によるアトラクション、市民の翼団員による「こきりこ」、「よさこいそうらん」が終わり閉会したのが24時に10分前でした 。 |
| 平成16年8月26日 | 現地時間4時起床 現地時間7時 イグアス空港からサンパウロへ向かう。 現地時間8時半 サンパウロ空港到着、富山県人会市川会長夫妻、神沢様、長沢様などので迎えを受けました。 現地時間18時10分 富山県人会歓迎夕食会答礼打ち合わせ。 現地時間18時半 富山県人会歓迎夕食会。 いよいよ公式日程が始まり穴田副団長が橘慶一郎市長の親書を市川会長に手渡すとともに、団員が「こきりこ」「よさこいそうらん」等の披露を行いました 。 フ ゙ ラ シ ゙ ル富山県人会側からは、「おでん」やみそ汁など手作り料理のもてなしに団員一同感激していました 。 |
| 平成16年8月25日 | 現地時間4時起床 現地時間7時15分 リオデジャネイロからクリチバ空港経由イグアスへ向かう。 現地時間12時半 イグアス着、ブラジルとアルゼンチンにまたがる国立公園を視察、世界三大瀑布に数えられる景観とそれを利用した観光施設に圧倒されました 。 現地時間19時 ホテル食事後明日の富山県人会歓迎会について役割打ち合わせ、私は 、「よさこい」の鳴子役になりました 。 |
| 日付変更線通過の為平成16年8月24日 | 現地時間8時半 サンパウロ着、富山県人会田中さん、伊藤さんので迎えを受ける 。 現地日本時間11時半 リオデジャネイロ着。 パンジャスーカ山、コカパバーナ海岸、イバネマ海岸など市内視察を行いましたが雨のため、一部行程変更しました 。国分浜海岸環境整備事業実施に際する示唆を多く受けました 。 現地時間19時 ホテルレストランに伊藤さん達を招き会食懇談、伊藤さんから「日本の国をもっと大切にしてほしい」など外から見た日本の姿について話を伺いました 。 |
| 平成16年8月24日 | 日本時間17時 ニューヨーク、ニューアーク空港着、乗り継ぎのため入国、手続きに若干の予期せぬ時間を要しましたが全員無事に待合室でくつろいでいます 。 日本時間22時 CO31便でサンパウロへ向かいます 。機中泊。 |
| 平成16年8月23日 | 7時半 高岡市ミランドポリス市姉妹友好提携30周年記念訪問団出発式 。 16時10分 成田空港 コ ン チ ネ ン タ ルCO8便にてサンパウロへ、団員全員出国手続きを終え出発を待っているところです 。 |
| 平成16年8月22日 | 6時 国分浜クリーン大作戦 。 7時 新湊漁業協同組合伏木支部施設整備活動 。 10時 高岡市消防団 ソ フ ト ホ ゙ ー ル大会。 12時 高岡市学童野球北東リーグ閉会式、伏木ヤングファイヤーズ7勝3敗1分け五位。 高岡市子ども輝き教室を国の「子どもの居場所づくり」事業を活用し、青少年スポーツ指導体制や施設整備に取り組んでいきたいと考えています 。 |
| 平成16年8月21日 | 昨晩高潮警報が発令され設置以来初めて同報系防災無線から警報が市民に発せられました 。国分浜では、花火を楽しむ若者たちが警報を知ってか知らずか多くいました 。何らかの対策が必要と感じています 。 |
| 平成16年8月20日 | 13時 港湾対策特別委員会。 外港建設、国分浜海岸環境整備事業、エコ・コースト事業について当局から説明がありました 。私は 、国・県事業に対する高岡市港湾課の地元要望を把握した積極的な関与を要望し市民の願い実現に一艘の努力を願いしました 。 |
| 平成16年8月19日 | 11時 自民クラブ政策審議会。 九月定例会代表質問項目について協議し、1.北陸新幹線高岡駅2.消防防災体制整備3.子育て支援策4.食育推進体制5.総合斎場6.市財政と行政改革、以上6点について当局の見解を質すこととなりました 。私は 、市財政と行政改革を担当します 。 |
| 平成16年8月18日 | 8時半 三協 ク ゙ ル ー フ ゚生産効率向上方針と会社対応策について幹部協議 。 |
| 平成16年8月17日 | 9時半 自由民主党高岡市連八役会。 10時 自由民主党高岡市連役員会。 富山県知事選の対応について協議、元消防長官・高岡出身の新潟県副知事さん、県西部の県議会議員さんなど複数の名前が上がりました。 |
| 平成16年8月16日 | 会社のお盆休みも今日まで。父の死にくぎりをつけて早く普通の日常生活に戻れるよう努力しなければと思っています 。 |
| 平成16年8月15日 | 命のともしびを見送って 7月27日夕刻主治医から血圧が低下し今晩が「やま」との通告を受ける。 近親者が集まり脈拍 、血圧 、呼吸のモニターを睨みながら夜を過ごす 。夕刻血圧が50−30位だったものが、夜半には 、70〜80に上昇し酸素 マ ス クをつけた呼吸も規則正しく夜も白々と明け始め「父も生きようと頑張っている」なんとか「やま」を越えたと思えた。 しかし、血圧低下により他の臓器も機能不全を起こし尿が出なくなっていた 。28日午前、医師から「向こうの世界へ行く準備をしておられます」と伝えられ長女と長男の帰省を待つ。 午後2時半長女が病院についた頃から呼吸が浅く、脈拍も不規則となる。医師が病室に付き添い家族近親者が見守る中、3時14分父は 、命の灯火を消し永遠の眠りについた 。 予期せぬ容態の急変に私は 、延命治療を施さなかったこと、胃ろう手術を受けなかったことの是非、死の迎え方を自問自答していた・・・。 父栄吉は、8年前5月に脳梗塞2回目の発作を起こし入院以来、車椅子の生活を送ってきました 。介護保険制度の発足もあり不自由な中にも母悦子の献身的な介護を受け土日には 、自宅へ帰り家族と一緒に食事をするなど比較的元気に日常を送っていました 。 自宅へ帰るために迎えに行くと「ありがとう」「ありがとう」と何回も同じ言葉を繰り返し母から「そんなに何遍も言わんでもわかっとるよ」と同じ会話を繰り返す日々を重ねて年が過ぎていきました 。 昨年6月頃、夜間に熱が出るようになり社会保険高岡病院で診察を受けたところ糖尿病が進み左足指が「えそ」を起こし治療が必要との診断がおり入院しました 。その日以来、母は、朝昼夜の食事の世話をするために、日に何度も家と病院を往復し病院で寝泊まりする生活を送っていました 。 主治医の先生から「胃へ直接食物を送る手術」の提案もありましたが、「食べることの楽しみを奪いたくない」との母の強い希望で手術を見送り、誤飲しないよう気を配りながら食事の介護をしていました 。 ところが、今年6月23日六月議会最終日副議長辞任の夜、父が嘔吐した物を誤飲、肺炎を起こし集中治療室に運び込まれたとの連絡が入りました 。この時も主治医の皆さんの適切な治療を受け、父は 、「食事を要求」するまでに元気を回復しました。7月中旬には、そろそろ口から食事をとるために「プリン」でも食べてみるか?と主治医の先生と相談していた矢先の父の死でした。 |
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