F英国福祉日記


Vol.04 1997年09月11日Thursday
 日本は台風のシーズンでもあるのかな?こちらの気候はもうすっかり秋。といっても紅葉はないですが、トレーナーやセーターが恋しいです。天気も本当に雨が多いですね。でもチェルトナムに着いてからずっと晴れているな。

 T.M.、またまた中国に行くのですか?今度は留学、それとも旅行?まさか仕事?'93の夏に北方工業大学であなたから譲り受けた食券は、日本の自宅に大事に保存されております。もしかして今度ご馳走しなきゃ駄目かな?Y.T.先生、わざわざお手紙ありがとうございます。もう9年経つけれど、私にとっては一生、先生ですからこれからもご鞭撻のほどよろしくお願いします。クレマチスって今の季節にも咲くのですか?さすが私の血が流れているな(?)。今年の文化祭はどうなるのですか?成功を祈ります。M.I.、会社で開けたのですか?爆発しませんでしたか?このディスクの分類は「危険物第一種(?)」なので、火の気のない、常温の、静かなところで使用してください(?)。けっこうたくさんの映画を見ているのですね。私も見習わなきゃな!「Bad Name〜」…いきなりバグった!?いや、失礼いたしました。私は日家ポテト族に分類されるのかな?渡航前の私の部屋は、はずかしながらレンタルビデオのダビング工場と化してました。出発前に見たかったのが成龍ことジャッキーチェンの映画「Final Project」でした。全部レンタルされていて、結局見逃してしまいました。個人的に「Police Story」シリーズは大好きです。前回の「~3」も最高でした。N.F.、大連行ったのですか?なぜ自転車が少ないのでしょうか?他の乗物が発達しているとか?それとも宗教上、「二輪車」に乗ってはならないとか?北の方の言葉も北京語ですが、訛りとかはありませんでしたか?一人旅とはまたまたすごいですね。写真ありがとうございました。初めて中国での海を見ました。美味しそうなコーヒー色ですね。私も大陸に戻りたい。

 私事ですが、無事、チェルトナムに到着いたしました。いろいろと事件はありましたが、そのことは後で触れると言うことで。ここは田舎ですね。街自体はにぎやかですが、そこからタクシーで15分ほど山に入るのです。すると、バカでかい敷地が見えてきて、それが来年の夏までお世話してやろうじゃないの(もとい、お世話になりっぱなしの)The National Star Centre Collegeなのです。初日は、私が一番最後に到着しました。この日は近くのPubでボランティアの方が集結してましたが、全員、夕食を終えていました。担当の方に「何食べる?」と聞かれましたが、独り、取り残されたようでメニューも見ずに「フィッシュ&チップ」を頼んでしまいました。貧乏性が身に付いてしまったもんだなぁ。ボランティアは何人いるのか分かりませんが(私は11人に会いました)、出身国がDenmark、Germany、Canada、Ecuador、…というのに、英語ができるんですね。悔しい!!明日から自分に厳しくならなきゃ。

 スティ先を去る時ってやっぱり物悲しいですよね。やっぱり眼が潤々きてしまいました。「また来てください」と言われたし。7週間、本当にお世話になりました。そんなロンドンを離れ、エディンバラに行ってきました。前日、ロンドン、22:30出発の予定だったので早くスティ先を出まして、結局 20:15に着いてしまったのです。することもなくただじっと待っていたら、女性の係員が「エディンバラ!」と叫んでいたので、乗車手続きをしました。21:00のことです。乗り込んでしばらくすると、このバスは出発してしまいました。21:40発、50分の繰り上げスタートです。びっくりしました。たぶんエディンバラ祭りのための増発便だったのでしょう。そのことを知っていなければ一人で戸惑っていたことでしょう。
 車内は以前にも何回か乗ったことのあるバスで、寝るにはちょっと狭いけれど、それなりに快適だった…はずでした。となりに座った男性が途中で眠りこけてしまい、私の方へ、めちゃめちゃプレッシャーをかけるんです。おかげでまったく寝つけませんでした。しかも、出発が繰り上がったため、当然、到着も50分早くなりました。6:30着が5:40着に。友人と待ち合わせの バス発着所の待合室でさえ、まだ閉まってましたとさ。

 この街はいまだ多くの石畳が残っており、スーツケースなどで旅行している方にはかなり辛いかも。キャスターが溝にはまって逆効果になるんだな。また、自転車やバイクに乗ると、すぐお尻が痛くなるのです。

 Scotland版パルテノン神殿(ギリシア)、カルトンヒルに登りました。近くで見るとけっこう小さいのにびっくり。『地球の歩き方』に掲載されている写真の写し方がうまいのでしょう。でも、やっぱり感動しました。ここから見えるエディンバラの街並と海の眺めは最高です。はるばる来た甲斐がありました!

 Scotlandの名物料理(というより、迷惑料理かも?)はハギスという、羊の肉と内臓のこってりしたミンチ料理です。かなりクセがありまして、地元の方でも好き嫌いはっきり別れるとか。あなたにはどうかな?私は日本でいうレバーやモツ煮も平気なのでこれも難なく食べられました。

 この日からあいにくの雨が始まりました。ジャイルズ大聖堂や、エディンバラ城を見てきました。こちらの建造物はグレー系で統一されているので、暗く、重苦しい雰囲気を漂わせていました(晴れたら、美しいのだろうけれど)。赤レンガの美しいロンドンとは違う光景でした。エディンバラ城では無料でテープガイドプレーヤ(私が名付けました)を貸してくれるので、日本語で歴史などを勉強できました。もちろん、英語でも聞けます。ウィンザー城、リーズ城に続く、私のお城マニア本(?)に新しい1ページが記されたわけです。

 他にも、国鉄でパースとグラスゴーに行ってきました。どちらもロンドンや今までに訪れた地域とは異なった風景で、新鮮でした。Scottishしてました。強いて言えば、天気に関しては共通してたかな?行ったところ、すべて雨にやられたもんな。寒かったし。チェルトナムも例外ではありませんでした。もう夏も終わりなのですね。

 さっき、ちょっと触れましたが、バスの移動中にtroubleがあったのでした(交通事故じゃないよ)。途中で乗り換えるバーミンガムに16:30到着の予定でしたが、丁度、通勤ラッシュのため、高速道路が渋滞してまして、17:00になってしまいました。私が乗り継ぐバスは17:00発なので、もしかすると…予想は的中しました。係員に訪ねると、電話で発車済のバスを呼び戻してくれました。めでたしめでたし…それだけではないのです。乗り継ぎの際、預けたはずのバッグが降ろされなかったのです。そのときは次のバス捜しに夢中でしたから、気がついたのは、呼び戻したチェルトナム行きのバス車内だったのです。翌朝、バス会社に問い合わせして、無事、郵送されることとなりました。英語が通じて良かった。

 9月4日(木)〜9日(火)までガイダンスがありまして、なんか、学生に戻った気分です。私は福祉の仕事が中心です。朝、生徒を起こし、服を着替えさせて、食事を与え、洗濯、掃除…、それを22:00の消灯まで続けます。今までにたくさんの知識を覚えました。特に新鮮だったのが、車椅子の方を椅子やベッドに移すテクニックを習得したことです。けっこう難しいんですよ。他にも、食事の与え方、下着の交換など。中国おたくの私にとって、未知の分野に飛び込んだ気分です。

 9月10日(水)、11日(木)が休暇、12日(金)、13日(土)が仕事、14日(日)、15日(月)が休暇、16日(火)、17日(水)が仕事…のように、2 days on & 2 days offが私のシフトです。また、10月24日(金)〜11月02日(日)、12月19日(金)〜1月04日(日)、2月13日(金)〜2月22日(日)、3月27日(金)〜4月19日(日)、5月22日(金)〜5月31日(日)は学校の休校日で、私が施設を追いやられる日です。もし、上記の日にイギリスへ来られるなら、ヒースロー空港(ロンドン)まで送迎するなどの特典がつきます。

 ここの施設は本当に山奥に位置しています。町からバスも通っていないので、学校専用バスに同乗して町にでなければなりません。その分ですが、ここの施設の敷地は広いですね。ゴルフコース、スポーツジム、体育館、室内プール、コンピュータルーム。馬も放牧されております。お金のかからない環境なので助かっております。

 私みたいなボランティアスタッフが十数人おりまして、デンマーク、カナダ、ドイツ、エクアドルからそれぞれ来ております。なぜかみんな英語が達者なんですね。めちゃめちゃ悔しいですね。なんとか友達になり、「Hiro!」ってみんなから呼ばれております。私の部屋はシェアルームで、エクアドルの方と一緒です。みんなとっても社交的で、のんびり部屋で手紙など書いている暇さえない状況です。英語の勉強上、いい環境なんだろうけれど、少しはプライバシーが保たれてほしいですね。でも、いい人たちです。

 私がロンドンを離れてエディンバラの友人のところに行った時、BBC放送の訃報ニュースが流れてきました。Di's driver had drunk.(Di=ダイアナ)だったのですね。イギリス国民の彼女に対する思いは、日本人が皇室に対する思いとはまったくかけ離れています。彼女は本当に愛されていたんですね。イギリス国内の教会や公園には国民からの花束で埋め尽くされており、掲揚されている国旗も全て半旗になっておりました。そして 9/6(土)の告別式(と呼ぶのか知らないけれど)の日、町中の店などが14:00まで閉店しているなど、私に対する影響もたくさんありました。その日、朝食も食べていなかったので、昼時は辛かったですね。日本では連日報道されていたのですか?We pray her soul may rest in peace.

 そうそう、聞くところによると、オウムが活動再開したとか?恐いですね。どんな活動をしているのでしょうか?宗教は心の拠所にしている方がいるのだから、間違っても人に危害を加えてはいれませんよね。こちらの街中では毎日のようにサイレンが聞こえます。ほとんどが交通事故だとか。自転車とクルマが同じ車線やロータリーを走っているのだから日本より頻繁に起こるのかも知れません。自転車にも方向指示器が必要なのではと考えてしまう今日この頃です。

トピックス

『12年以上前に食べた肉が原因?水道水による感染の可能性』
−べジタリアンの女性、CJDに感染−
 ケント州で、過去12年間完全なべジタリアンだった若い女性が、狂牛病(牛脳海綿状症)との関連が指摘されているクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)に感染していることが明らかになった。そのため、12年間以上前に食べた牛肉により何千人もの人々がCJD
に感染している可能性があり、人々を不安に陥れている。また、この他にもケント州では何件かのCJDのケースが発見されており、科学者によりさらに調査が進められる中、ケント州の家庭水道水が狂牛病に感染しているという仮説が立てられた。
 1986年、クレア・トムキンズさん(現24歳)が肉を食べるのを止めた翌年であり、狂牛病とCJDが関係するとすれば、非常に希な、つじつまの合わない話である。
 彼女は、非常に厳しいベジタリアンで、チーズやミルク等の酪農品は摂取するものの、ゼラチンや動物性脂肪を含むビスケット等は決して食べなかったという。
 ある専門家によると、1985年より前に食べた肉から狂牛病に感染した可能性もないわけではないと言う。
 一方、CJDのケースがケント州東部に多いことから進めていた調査で、CJDは狂牛病の人間に起きる種であると確信する科学者達は、CJDには口から体内に入ったものから感染したはずであると考え、家庭用水道水がその媒体である可能性が高いと疑っている。
 カンタベリー・ミルズ工場の井戸に、狂牛病に感染し屠殺された牛の死骸などを廃棄していた疑いがある。

『モンセラット島住民の混乱を治める』
−ブレア首相、新しい対策委員会設置−
 過去二年間火山の噴火が続いており、、特に最近被害が増加しているカリブ島の英国植民地モンセラット島では、英国政府の対策の遅れと援助金の不足などから住民が抗議運動を起こしていた。
 これまでの噴火で約19人が死亡、数百軒の民家が破壊されている。科学者らによると、噴火は今後さらにひどくなり、次の大噴火はかなり危険なものになると予測、住民に自発的避難を勧めた。8月20日から始まるはずであった政府の援助もかなり遅れ、援助金も不十分であると住民の抗議運動は増し、モンセラット島のチーフ・ミニスターである、バートランド・オズボーン氏は21日辞任を表明。次期チーフ・ミニスターにはモンセラット内閣によって、モンセラット島の火山爆発危機への対応に対する批評家、デイビッド・ブラント議員が任命された。
 クレア・ショート国際開発相は21日、カリブ島のほかの島に避難する場合、一人あたり£2,400の援助を受けると発表した。また、英国に避難する場合、渡航費が援助され、労働許可証の規制対象外となり、収入の援助などが保証される。しかし、住民は政府のこれらの対応に対して不満を抱き、援助金額を増やすように要求した。
 ショート氏は、24日、他の国々への訪問で忙しいことを理由にモンセラット島への訪問を拒否、島の役人らの要求が法外であると批判していた。
 25日、休暇を終えたブレア首相が、この問題について話し合う新しいグループを設けることを発表。島民の不安はようやく治まりつつある。

『ダイアナ妃の行動に影響を受ける?』
−クリントン大統領、対人地雷の国際的廃止を支持−
 8月18日、クリントン米大統領は、今年末までに国際的な対人地雷廃止を行なうことを支持するとの意志を表明した。ダイアナ妃のボスニア・ヘルツェゴビナの地雷の犠牲者訪問など、意表をついたキャンペーンに影響を受けたと見られている。これによって、地雷廃止に関する風向きが変わり、英国政府は歓迎している。
 これまで米国政府は不可能と見て、条約「オタワ・プロセス」において指導的役割を持つことを避けていた。尚、地雷の生産、使用の最大国である中国は「オタワ・プロセス」に参加していない。
 一方、英国のダイアナ妃によるボスニア・ヘルツェゴビナの地雷犠牲者訪問は、政府をもてあそんでいるなどと保守党から非難されていた。しかし、ワシントンの国会が休みの8月にタイミングよくこの訪問を行なったため、クリントン米大統領が腰を上げざるを得ない状態となったとも言える。
 このため、英国を含め100カ国以上の国が参加している「オタワ・プロセス」運動には。世界で最も影響力の大きい政治指導者である米国の支持により、新たな進展が見られそうである。
 地雷による死亡者は毎年約9,600人、負傷者は約14,000人にも昇る。

前の晩から行列、記録的売れ行きとなる』
−オアシスのニューアルバム−
 8月21日、オックスフォードストリートのHMVでは、人気バンド、オアシスの新しいアルバムを買うため100人以上のファンが列を作った。
 このニューアルバム、「BE HERE NOW」は開店後約1時間以内で750万枚売れた。また、このアルバムは、アワ・プライズやヴァージン・メガ・ストアーズなどの店で1時間9,000枚の売れ行きを示しており、既に最も早く売れる英国のアルバムとして全国史上1位になった。
 小売業者の予想では、1995年にロブソン・グリーンとジェローム・フリンの48万3,000枚が5日間で売れた記録を破ることになるかもしれない。
 朝8時の開店と同時に「BE HERE NOW」を買うため、数千人のファンが前の晩から野宿した。長く待った甲斐があり、彼らは「I WAS THERE THEN」サーティフィケートと、ノエルとリアム・ガラガーが支持するフットボールチームのTシャツを店員からプレゼントされた。
 全国の店により約80万枚のアルバムが注文されていたが、その日の終わりには、ほとんど売り切れとなった。
 ピカデリーサーカスのタワーレコードではアルバムは過去10年最大の売れゆきとなったと言う。尚、このCDは£13.99である。