ちばさんに代わって書かせていただきます。 上のイラストは、 私が「なにわなくとも小春団治」(2004年5月15日)という落語会を、 私の店で開催するに際し、 ちばさんに無理を言って描いてもらったものです。 ちばさんからイラストが届いたときにはびっくりしました。 それはなぜかと言うと私の予想していたものとは、 まったく違うものだったからです。 ちばさんの描く似顔絵イラストというと、 まず「かわいい」というのが特徴です。 それが今回はこれです。 いや、このイラストがかわいくないというわけではありません。 しかし、かわいいという前に、 あまりきついデフォルメをしないと思っていたちばさんにしては 今回は珍しい作風になったのではないでしょうか? 最初はギョッとしましたが、眺めているうちに笑いが込み上げてきて、 「あはははは」と声に出して笑ってしまいました。 ちばさんご本人も「今回はうまく出来た」 とあとでコメントしていましたから自信作のようです。 実は私はこんな会を催していながら、 小春団治師の噺を聴くのは初めての経験でした。 一席目はこちらからのリクエストで『失恋飯店』を。 二席目は師匠から『冷蔵庫哀詩』をということになりました。 この二席に共通するものは何かというと、 [失恋]というキーワードが浮かびます。 さて、古典落語の中に失恋をテーマにしたものがあるでしょうか? 今、思い起こしてみようとしましたがどうも浮かんでこない。 古典落語の世界で恋をテーマにしたものは、 『崇徳院』にしろ『宮戸川』にしろ、 あるいは『紺屋高尾』にしろ『幾代餅』にしろ成就される。 あるいは成就されないままでも心中という方向に行く。 新作落語に[哀愁]という要素を持ち込んだのが三遊亭円丈だとしたら、 それを一歩進めて[失恋]というテーマを持ち込んだのが柳家喬太郎の 『純情日記』でしょう。 喬太郎は失恋の苦しさをやりきれないまでに描いたの対し、 小春団治はあくまでも笑いの中で描いた。 日本女性に恋する中国人、プッチンプリンに恋する高級アイスクリームは、 恋する気持ちがつのるほど、笑いが大きく生まれてきます。 この辺が作り手の感性の違いなのでしょうが、 私は失恋に対するこの軽やかな笑いに夢中になっていました。 それでいて聴き終えて思い返してみると[失恋]というテーマは心に残る。 そして、円丈の持ち込んだ[哀愁]がここでは軽やかに使われている。 この辺が大阪人気質なのかとも思い、また師の別の噺を聴きたくなりました。 (文: 人形町翁庵 井上恵司 (蕎麦屋のカバ息子)、2004-07-08) |