8月9日 「旧」国境越え

■「西」から「東」へ
 今日こそ自転車漕ぎの日です。行きます。行くのです。

 本日の不安事項、国境越え、じゃない、国境越えです。
 ハンブルグからベルリンに向かう道、ハンブルグから50kmほど進んだ所が、10年前まで東と西に分断されていたドイツを隔てる国境があったところです。順調に進めばお昼時にこの国境跡を越えるはずです。今は同じ一つの国といえども、たった10年前まで社会主義政権下でインフラ整備が行われてきた国です、道路がどんな状況なのか想像がつきません。つーか、宿の状況はどうなんだろう?YHの状況はとりあえずインターナショナルYHガイド(活躍度特A)でわかるのだけど、それ以外の状況はよくわからない。「歩き方」でも旧東独にふれているのはちょっとだけ、ましてや、旧東独の西の果ての田舎(今は地理的にはドイツの中央部に当たる辺りが10年前はそういうことだったわけだ)がどういう状況になっているのかさっぱりわからない。
 でも、行くしかないべ。
 前夜もビールでそんな不安は追い出したちんた。  


■ドイツ式の「輪行」
 いい加減食傷気味のハンブルクのYHの朝食だったけど、それも最後。本日はうって変わってピーカンです。行きましょう。
 といっても、ちんたさん、もうハンブルグの市街はこりごりです。そして、昨日の地下鉄乗り歩きで一つ勉強をしたことがありました。

 地下鉄に自転車そのまま乗せていいんだ

 日本では鉄道に自転車を乗せるときには前後輪をはずしてパックして輪行という状態にしなくてはいけないわけですが、こちらではみんな素のままで自転車を電車に乗せています。これを使わない手はありません。地下鉄で行ける所まで行って、郊外の駅からスタートしようと言う目論見です。そうでないとなんだかハンブルクから出られないまま一日が終わってしまうのではないかという・・・・。


■一路ベルリン!(本日は途中まで)
 なんちゃらドルフとかいう駅で降り、正真正銘の本日の自転車旅を始めたのは午前10時頃。銀行に寄って少々現金を補充して(ここから先、どの程度カードが通用するか不安だったので少々多めに)、さぁ出発。8月のど真ん中だというのに風が冷たく、ウィンドブレーカーでは収まらず、まさか走行中には使うことはないだろうと思っていたフリースジャケットを着用してのスタートです。ホントに風が冷たいんだもん。
 南東に向かって延びるB5線。これをずーっとずーっとたどっていけばそのままベルリンのブランデンブルグ門に出ます。本日はそこまではとてもじゃないけどたどり着きませんが。道は森の中。木漏れ日がまぶしく、たまにパッと広がる野原では風が吹き込んできます。どちらかというと登っていることが多いのですが、斜度はあまりきつくは無く、だらだら、ゆるゆると登っていきます。


■(旧)国境越え
 途中、一回のGSでのトイレ休憩そして、新たなエリアの地図を買ったりしつつ、ちょうど正午になる頃、チェックポイントチャーリーハウスと大書きした小さな小屋が道の真ん中にぽつんと建っている所にさしかかりました。ここが10年前まで国境だったところです。チェックポイントチャーリーというのが国境の検問所跡だったということを知ったのはずっと後でしたが。今はその小さな検問所跡がある所の片側はちょっとした展望台に、そして道を渡った反対側にはレストランが一軒建っています。


 国境越え・・・といっても今はもう国境越えでもなんでも無いのですけど、オランダ・ドイツ国境を越えた時には拍子抜けするほど何も変化の無い国境越えだったのですが、この旧国境を越えた時にはいきなり道路の、そして街の様相ががらっと変わりました。
 道について書けば、わかりやすい変化はいきなり自転車道が無くなりました。これはかなりイタイ出来事です。車な皆さんは少々道が狭くなったくらいの変化でしょうから相変わらずびゅんびゅんぶっ飛ばしていただけるのですが、自転車のちんたさんはその風圧を間近で感じなくてはいけなくなりました。ダンプとかトレーラーが後ろから迫ってくるときなど泣きそうになります(^^;)。また、舗装も若干荒く質が落ちたような感じです。特に町中に入ると大変で、昔の仕様の石畳のままなのです。これまでもオランダからの道すがら、町中に入るとタイル張りだったり石畳だったりして走りにくいなぁちくしょうめ・・・と思っていたのですが、アレは実は平らだったのだ・・・ということをここに来て初めて理解しました。ここの石畳はホントに丸のままの石にちょちょっと目地を入れただけなんです。こんなんをまともにロードレーサーが走れようはずもなく、勢い速度は時速8kmキープです。ああ、楽ちん・・・ってそういう問題ではありません。

旧東西国境・チェックポイントチャーリーハウス脇の展望台からの眺め。エルベの流れが見えます。でもそれ以外は何も無し。まぁ10年前まで国の一番果てだったわけで・・・


■旧東独にて
 とりあえずお昼時なのでメシ。今更どうこう言っても道が良くなるわけでも無し。
 旧東ドイツ圏内に入って良かったことといえばやはり物価が安くなったことでしょうか?これでも高くなったんだ、とハンブルグで同室の旧東独の人が言ってたな。彼は「国境が無くなって良かったよ、こうやって俺でも自由にハンブルグに遊びに来れるんだもの」と繰り返してたっけ。
 物価で言うと、ちょうど旧西独でスープ無しのランチと旧東独のスープ付きのランチが同じくらい。その恩恵にあやかってスープ付きのランチをお一つ。スープにも肉がたっぷり入っているボリュームたっぷり。そしてメインの皿も温野菜がこれでもかとのっかった皿です。相変わらずドイツのメシは量だけは裏切りません。周囲を見てみると、老人も子供も、ちんたの倍くらい盛られた皿を平気で食べている。う〜ん、やっぱりこういうふうにしてシューマッハとかウルリッヒとかは作られて行くんだな。ちまちま食ってたんじゃダメなんだよ、ちまちま。青山辺りのイタメシ屋にそう説教してやりたい気分である。
 そうそう、旧東独に入ってもう一つ大きな変化。まったく英語が通じなくなりました(じゃ英語が通じりゃ英語でものごとを進められるのか・・・というつっこみは無しね(^^;))。ここまではちょっと若そうな人、かしこそうな人を捜せばまず英語が通じたのだけれども、こちらでは単語単位でも通じやしない。いよいよもって会話集大活躍。大活躍といっても会話集に従ってしゃべるのではなく、会話集の該当部分を指さす・・・というある種のボディランゲージなのですが、渡欧後1週間経ってもこんなことやってます

ちょっと物価安にあやかってランチにスープを追加。パブリカの入ったスープなのでハンガリー風?中に肉がたくさん沈んでいた。


■道はごつくがたがたと
 町中さえ出てしまえば石畳を抜けて普通のアスファルト舗装に戻ります。が、自転車道は無くなったままです。一応書いておけば旧東独圏も自転車道が皆無では無いのです。が、幹線道路沿いではまだまだその整備はとぎれとぎれで、お、自転車道だ、ラッキーと思ってもたいていはそのラッキーは1kmも続かなかったりします。
 しかしながら、やはりここは旧東独の田舎、車の通りもそれほどありません、まだそれに助けられてのんびりと漕いでいられるという感じでしょうか。さすがに午後になってくると暖かな日が射すようになり森の中、そして田園の中を抜ければ田園で、その向こうにはがあって・・・そんなことを何度も何度も50km近くずーーーっとずーーーっと続きます。幹線道路っすよ?ハンブルクとベルリンを結ぶなんて東京と名古屋を結ぶようなもんっすよ。それがずーーーーっと農地。つくづくヨーロッパは農地でできていることを実感させられます。北海道の方がずっと景色の変化があるような気がします。このばかばかしいほどの空の広がりと果てしなく続く農地に戯れてみたい・・・とでも思わない限り、もしかしたら北海道の方が面白いかもよ?とも思ったりしますが、これほど圧倒的な大地もまた北海道には無いものでした。

 ひたすら、ひたすら、のーーーーんびり・・・・・

 おひさまと、たまにこちらを見ている牛の群と。のんびり、のんびり、時速20kmです。

本日の代表的な景観。50kmばかしずっとこれ。左端に道路の路肩が移っていますが、白線の外側が10cmも無いアツい状況がわかっていただけますでしょうか?(^^;)


■YHへ
 さて、本日は早めに宿探しに入りましょう。変に引っ張ってはまると、旧東独圏、街道沿いになんにも無いだけにハンブルグの時とは別の意味でやばいです。
 旧東独だからさぞかしホテルも安いんだべな〜と思っていたのだけど、訪ねるホテル訪ねるホテル、いずれも高級なホテルだったらしく、軒並み100DM(約5000円)。大都会ハンブルグで80DMだったのですから、こんな田舎でそれ以上を出すのはしゃくにさわります。そんな感じで、ここもパス、あそこもパスとやっているウチに10km、20kmと進んでいくうちにGrabowという小さな街のYHに着いてしまいました。YHに泊まれるなら・・・そりゃYHにするわいな。


■子供達のヒーロー
 5時少し前に森の中にある到着。YHの受付はよくあるように、5時からだとか。それまで前庭で待っていましょうということで、先客のどこやらからの子供会?みたいなガキんちょの集団と引率の大人何人かとベンチに腰掛けて待つ。大人の一人は英語が喋れるようでいくらか挨拶。そのうちに子供の一人が興味示したらしく、ちんた並のつたない英語で「どこから来たの?」と聞いてきました。

 「アムステルダムだよ」

 と答えると、その子はひっくり返らんばかりにびっくり。周りの子に「アムステルダムからだって、アムステルダムからだって」と大声で、そして周りの子達も「アムステルダム!?アムステルダム!?」と大騒ぎになり、ちんたさんちょっとした子供達のヒーロー


■メシ抜き!
 YHに無事チェックインし、シャワーを浴び、さぁてメシ・・・と思ってはたと気がついた。この森の中のYH、周りにぜんぜんレストランがないじゃん!町中まで8kmもあるのです。往復16km。まぁ自転車なので行けないこともないけれど。行かないことには食べ物がありません。行くしかありません。だがしかし、町中に行ってみたはいいが、ここは実に小さい街、午後6時を過ぎると、まだ日は明るいにも関わらずキンコンと鐘の音とともに商売をやめてしまいます。もうどこの店も開いていないのです。

 ・・・く、食いもんが・・・無い

 とぼとぼと(自転車で)YHに戻る。YHの受付の片隅ではちょっとだけジュースと菓子類を売っており、ちんたさん本日のディナーはスニッカーズです。0.8PF(40円)。財政難には天の恵み・・・ってちゃうわい。


 そしてもう一つ困ったことが。
 例の子供会?の子供達が、これまたスーパーウルトラスペシャルうるさい。あっちへどたどたこっちへどたどた。きゃー、とかわー、とかいいながら所狭しと騒ぎまくる。おまけに誰が持ってきているのかCDラジカセもフルボリューム。中華航空の中でもそうだったのですが子供ってなんでこんなにうるさいの?布団を頭からかぶって、空腹を抱えながら無理矢理に寝るちんたさんなのでした。




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