Tomas Milian トーマス・ミリアン
フィルモグラフィ
Index


ミリアン・フィルモグラフィー 一覧へいく



荒野の処刑(1975年) その1
監督 ルチオ・フルチ / 脚本 エンニオ・デ・コンチーニ / 撮影 セルジオ・サルバティ / 音楽 フランコ・ピクシオ&ファビオ・フリッツィ&ヴィンス・テンペーラ / 原題 " I Quattro Dell'Apocalisse "  aka " Four of the Apocalypse"  


ルチオ・フルチのウエスタン
監督がホラーの鬼才ルチオ・フルチ、撮影や音楽は、これ以後もフルチとともにゾンビ映画などにかかわっていくことになるスタッフ、セルジオ・サルバティやファビオ・フリッツィ。脚本に「鉄十字の愛人」(ティント・ブラスの傑作! 初公開時の邦題は「ナチ女秘密警察/SEX親衛隊 サロン・キティ」。これは裏「地獄に堕ちた勇者ども」として愉しめます)のエンニオ・デ・コンチーニという、個性の強いメンバーがつくった、イタリアン・ウエスタン。

ヒロイン、
バニーちゃん。
ルチオ・フルチは
美女が好き


キャストも豪華で、主演にモデル出身でメロドラマからマカロニ・アクションものまで幅広くこなす美男俳優、ファビオ・テスティ。彼は日本では残念ながらヒット作にめぐまれなかったが、シャーロット・ランプリングが主演したエリザベス朝残酷演劇の名作、「あわれ汝の名は娼婦」(映画邦題「さらば美しき人」)でみせた美丈夫ぶりを記憶されているかたもおおいだろう。ヒロインには愛らしいイギリス女優で、のちにピーター・セラーズの妻になったリン・フレデリック(かなしいかな、P・セラーズは彼女との結婚後、わずか三年でこの世をさるのだけれど。だって、年の差30歳・・・。失礼しました)。「俺たちに明日はない」で印象的な脇役を演じたUS俳優マイケル・J・ポラード。それにフルチがとりわけきにっていたトーマス・ミリアンが特別出演の悪役で登場。ミリアンはフルチと仕事をするのはこれで三度目になる。キャストに美男美女が多い点、くわえて、きにいった俳優をくりかえしつかうのは、フルチ映画の特色である(というか、イタリア映画の特色かな)。"Westerns All' Italiana !"(以下略WAI)によれば、ミリアンの出演は10日くらいの特別出演だったが、自分の衣装の選択、キャラクターの創造はほとんどまかされていたし、監督の病的な性質をもてあそんで自分も満足し、監督自身も満足していたと語っている。

さて。なにごとにおいても、作品を異色ということばでくくってしまうことには語弊があるが、(イタリアン・ウエスタンはみな異色にちがいないので)、本作はテーマ、展開、サントラ、人物造形、どれもかなり通常のマカロニ作品とことなるユニークな作品となっている。マカロニ映画制作全盛時代からやや時間がたち、末期ともいえる時期に制作・公開され、そのうえフルチ自身が低予算でかぎられた時間内に、自分のすきなように撮り上げたため、いささか当時の観客を無視したところがある。くわえて、重苦しい雰囲気の映画のためイタリア本国でもヒットはしなかった。しかし、それゆえに作品に表出したその独創性は今日では大いに評価できるだろう。

ミリアン=チャコ。
この衣装、自分で
きめたって?


たしかに、くりかえしみて単純にうれしいたのしい作品ではないので、正面きってかたられることがこれまですくなかったのはいたしかたないが、評価までひくいのはまことに残念で(海外のデータベースサイト調べ)、60年代から70年代のUSヒッピー・ムーブメントをイタリアから客観的にみるとこうなるのか、という風俗描写や(リアルタイムでデニス・ホッパーらとつきあいのあったミリアンと、衣装のマッシモ・レンティーニが貢献)、あきらかにシャロンテート事件をひきおこしたチャールズ・マンソンが投影されていると思われる悪役チャコ(これまたトーマス・ミリアンの怪演)など、みどころは多い。

本作は、日本では劇場未公開作であるが、80年代に東芝からビデオがでている。これはシネスコサイズの英語版字幕入りで、レンタル店でかりることができる。しかし、廃盤になってだいぶたち、最近ではだんだんみかけなくなりつつあるので、この場でサマリーを紹介すること自体は無駄ではないだろう。ただし、この作品にかぎらずフルチの作品は論理的に破綻がみられる。それがわざとなのか、公開のためにつっこんだ描写をひかえたのか、単に脚本がまずいのか、フルチの関係資料をもたない私には確証がない。だから、筋をおっていくことに困難をかんじることがあっても、多少話のつながりが妙でもがまんしていただきたい。


ロード・ムービー化するウエスタン
すごうでのギャンブラー、スタビー(ファビオ・テスティ)がかせぎにやってきた町は、運悪くその日が市民総出の悪党一掃の日であった。町にについたとたん、なじみの保安官によびとめられ、拘留されてしまうが、それはむしろ保安官の好意であったのだ。なぜなら、その日、悪所にたむろするやつらは、みな一掃される運命にあったので。

つめたい牢獄のなかで、ことのなりゆきに唖然とするスタビー。KKKよろしく、目だけをだした覆面の男だちが、闇にまぎれてうちまくっているのだ。酒場で、賭博場で、売春宿で、「良き市民」の結社によって虐殺されるならずものたち。銃声と同時にふきだす、血しぶきが闇を染める。保安官事務所にたすけをもとめた人々が叫び声をあげるが、保安官は、まきこまれたくないのでどんな物音もきこえないときめこんでいる。ところで、この牢屋のなかには先客がいた。愛らしい娼婦のバニー、のんだくれのクラム、黒人の墓堀人夫のバッドだ。みな、さしたる犯罪をおかしたわけでもないのに拘留されている連中ばかりで、ことのなりゆきにおびえるばかり。

よくあさ、スタビーから助けた礼に相応の金をうけとり、四人をおくりだす保安官。保安官の都合してくれた荷馬車にのり、となり町(といってもずいぶん遠い)のサンドシティまで道中がはじまる。

さて。この導入部からして、なかなか血なまぐさくてかわっているが、これには元ネタ、あるいは影響をあたえていると思われる作品がある。1969年制作の「イージー・ライダー」だ。アメリカン・ニューシネマとフルチ作品では、妙なくみあわせに思われるかもしれないが、当時のイタリアには遅れてきた風俗としてのヒッピー・ムーブメントがおしよせており、フルチの「マッキラー」(1971年)にも、ドラッグにあけくれる娘がでてくるし、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ の「ヒッチハイク」(1976年。コリンヌ・クレリーの、といったほうがわかるかなあ)などにも、サイケとドラッグとしてのヒッピー風俗描写がみられる。当然、こうした風俗は愚かな若者の行為のさいたるものとして、イタリア映画では否定的に描かれることが多いわけだが。69年の映画が受容されるのに、75年までかかるのは遅いという気もするが、フルチは1927年生まれだから、無理もないだろう。

どこがにているかというまえに、「イージー・ライダー」自体が、馬をバイクにのりかえた西部劇だということを知っておくべきだろう。荒野を走るならずものは、名前もビリー・ザ・キッドなのだ。ならずものが行く先々で変わったコミュニティにかかわり、なんらかの波紋をよびおこしていく、というのが、この一世を風靡したアメリカン・ニュー・シネマの記念碑的作品の大筋で、それがこのんでとりあげた手法がロードムービーであった。「荒野の処刑」は、あきらかにこの手法をとりいれている。ファビオ・フリッツィらが手がけたサウンドトラックも、従来のイタリアン・ウエスタンでモリコーネらが極めたような華麗なオーケストレーションをさけ、乾いたフォークソング風のうたものにまとめている。サイモンとガーファンクルより甘ったるいかんじの主題歌など、単独できくとなぜこれがウエスタンなのか理解不能であろう。

「イージー・ライダー」との類似は、まず、「市民総出の悪党一掃の日」にあらわれる。「イージー・ライダー」において、ジャック・ニコルソン演じる、泥酔して拘留されたのんだくれの弁護士が、町にきたばかりなのになぜか牢屋に入れられてしまった主役のふたりとなかよくなるシーンがある(若者同士が牢屋のなかでなかよくなる、というのは西部劇の常套)。なぜなにもしていない我々が牢屋にいれられなければならない? と毒づくデニス・ホッパーとピーター・フォンダに対し、「いまはこの町はアメリカ美化運動の最中でねえ」、といってきかせるところがあるのだ。まあ、この場合は長髪がきられてしまうんだってね、という与太ばなしですんでいるのだが。しかし、結局は、弁護士なのに、ホッパー一行に共感をおぼえて同行したジャック・ニコルソン扮する弁護士は、裏切りものとして町の人によって惨殺されることになる。(もっとも、「悪党一掃運動の日」は、ほかのウエスタンにもありそう。もしあったら、おしえてください)

こうした既成概念をうちやぶる若者にたいして当局、もしくは旧世代の人間がきびしく取り締まりをおこない、それがときに死をもたらす、いう発想自体が、当時はまだどの国家でもいまより頻繁におこなわれていた一種の思想弾圧をおもわせる。もっとも、政治の季節であった60年代から70年代において、この映画だけが出典とはいえないが。また、フルチの場合、当局というより、カトリック教会が当面の敵であったろうし、また、ある一定の土地にねざした結束の強いコミュニティが、その土地社会を浄化させるという名のもとに罪のない女をころす「マッキラー」という作品を先にとっているので、もっと根本には土俗的なものを内包しているのかもしれない。しかし、いずれにしても、本作「荒野の処刑」は、ウエスタンである、という前提にまったくとらわれずに、むしろつくられられた75年という時代をかなり濃厚に反映させていることはたしかなのだ。US俳優のマイケル・J・ポラードがのんだくれの役であるのは、ニュー・シネマ自体の先行きを象徴させているのだろうか。

さて、それでは、いよいよ牢屋でしりあった四人が、サンドシティへとむかう道中で、変わったコミュニティとの出会いと別れをくりかえすさまを、すじをおいながらみていこう。(やっとたびだちですか? という声がきこえそう。)


まだまだつづくぞ〜。
やまいぬの肉でも、
くうか?



荒野の処刑(1975年) その2
へつづく



その華麗なるフィルモグラフィ

ミリアン・フィルモグラフィー 一覧へいく

以下続予定


ルチオ・フルチのカルト作品
ベルトルッチ「ルナ」
アントニオーニ「ある女の存在証明」も予定



Index
INDEXへもどる


Top Page へもどる




Moviespotting Top Pageへ 


Copyright (C) 1998-2000 Kei Yamamoto, All rights reserved.
記事・画像及び情報を無断転載することを禁じます
bluetonic@geocities.co.jp