作者別一覧
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安井健太郎
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柳瀬義男
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山田太一
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山本剛
(1)
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山本弘
(2)
KENTARO YASUI
安井健太郎
「ラグナロク 黒き獣」
形態
文庫本
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
角川スニーカー
値段
¥580
初版
1998-07-01
総合
−
ストーリィ
−
技術
−
1997年の <第3回スニーカー大賞> における大賞受賞作「神々の黄昏−ラグナロク−」を改題の上、加筆修正してまとめた文庫作品。著者の処女長編でもある。
ちなみに角川スニーカー文庫は10代の少年少女を対象としたブランドで、俗にいうライトノヴェル(児童むき書籍)を取りあつかっている。また <スニーカー大賞> とは、ライトノヴェル作家としてスニーカー文庫からデビューしたい者のため開かれた新人文学賞で、安井健太郎が本作で大賞を射止めた際はイラストレータの天野喜考をはじめ、藤本ひとみ、水野良、角川歴彦らが選考委員を務めている。
なお、「ラグナロク」は今回の書籍化をきっかけにシリーズ化され、短編集(外伝)を含め刊行数は既に二桁に及んでいる。2006年4月現在、シリーズはまだ未完。
ところでこの <スニーカー大賞> 、名前は売れているが実績が伴わない賞で、グランプリを受賞してデビューさせたはいいものの書き手がなかなか生き残れない、大成しないという不名誉なイメージが定着してしまっている。
br> そんななか唯一に等しい例外として知られているのが本「ラグナロク」シリーズである。
大まかな内容は、強大な戦闘能力をもつ傭兵リロイ・シュヴァルツァーと彼の帯剣「ラグナロク」の冒険を描いたファンタジー小説。
造りはかなりオーソドックスで、ライトノベル業界で良く見られる要素がふんだんに取り込まれている。腕はたつがトラブルに自ら首を突っ込んでいく、というタイプの主人公リロイはその好例。どこかで見たような感の拭えない、いかにもといった主人公の造形といえるだろう。
北欧神話の固有名詞を借りてきた世界観や設定、意志を持ち言語を操る魔剣「ラグナロク」の存在などにも目新しさはなく、そういう意味での新鮮さやオリジナリティは皆無に近い。
しいて言えば、剣である「ラグナロク」を語部としてリロイの活躍を描く、というのがスタイルとしてユニークといえばユニーク。
ほかに本書、本シリーズの特徴といえば、やはり戦闘描写だろう。とにかくアクションシーンに大きなウェイトが置かれており、これらをコンパクトにまとめれば半分の文字数で物語をまとめられるのではないか、というほど長く細かく書き込まれている。
このアクション描写にはなかなかのスピード感と爽快感があり、最初の何回かは興味深く読めるかもしれない。
反面、結局はリロイが内に秘められた潜在能力を開放し、力押しでの決着に持ち込む展開が目立って多いのが欠点。戦術が勝負を決めるといった知能戦は望めず、ワンパターンの繰り返しは終盤にも差し掛かると飽きを生む危険性を内包している。
キャラクターの描写はストーリィテリングで魅せるというよりは、怒涛の戦闘シーンを連続させて勢いで突っ切るタイプ――要するに主人公リロイそのままの性格をもった作品、といった印象が強い。
真にすぐれた作品は、たとえそれが児童むけに作られたものであったとしても、大人の読書にも耐えうる。その点、本書は「漫画やアニメ、TVゲームで育った世代の若者が趣味で書いた小説」といったイメージが強すぎるような気がする。
2006/04/02
YOSHIO YANASE
柳瀬義男
「ヘボ医のつぶやき」
形態
文庫
種別
エッセイ
部門
−
出版
集英社文庫
値段
¥400
初版
1999-05-25
総合
−
ストーリィ
−
技術
−
1992年02月、講談社出版サービスセンターより刊行された作品の文庫版。札幌市夜間急病センター勤務の酒好き、女好きの庶民派ドクターによるエッセイ。
自らヘボ医を称するように、冴えない中年独身ドクターのやや寂しげな日々が赤裸々に描写されていて面白い。
2003/11/18
TAICHI YAMADA
山田太一
「見えない暗闇」
形態
単行本
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
朝日新聞社
値段
¥1500
初版
1995-04-15
総合
−
ストーリィ
−
技術
☆
奥田英朗という作家がある。その文章能力と確かなディテールに支えられる圧倒的リアリティは日本トップクラス。一部で熱狂的な支持をうけている直木賞作家である。
それが山田太一と何の関係をもつか。これは、彼の代表的著書である「邪魔」を読めば分かる。本編ではない。文庫版の巻末に付された、関川夏央氏の作品解説である。その中の一文によると「山田太一の作品を、テレビドラマ、小説の別によらずもっとも好む、と奥田英朗は明言している」とある。
山田太一を知らない読者は、ここでその名に興味を持つかもしれない。
山田太一。1934年に生まれ、松竹の助監督を経てフリーの脚本家となった人物である。 <彼岸のアルバム> 、 <ふぞろいの林檎たち> などに代表される数々のTVドラマを手がけたことで知られ、倉本聰、向田邦子と並び「シナリオライター御三家」とも称された。また奥田氏の発言からも分かるように小説も著しているほか、映画や戯曲の脚本もてがけている。いずれにも非凡な才能を発揮した人物だ。
そこで、両者の作品を読み比べてみる。
誰がそうしたとしても、関川氏の引っ張ってきた言葉が真実を告げていたことをまざまざと知ることになるだろう。
山田太一という作家を紹介する上で、まず筆頭に挙げられるのが「ディテールの凄さ」であることに異論はでまい。そしてそれが裏打ちするリアリティ。
本書において、主人公の妻がいわゆる浮気、不倫に走るわけであるが、その切っ掛けや動機は不可思議で浮世離れしたもののようでありながら、しかし奇妙に生々しく確実に実在しそうな現実感に満ちている。また、それを自ら口にする妻の語り口。これもまた、生きた人間の圧倒的説得力を秘めている。
事故、家庭崩壊、社会的没落、非日常との遭遇。普段はTVのむこうで語られる破滅や悲運の物語は、実際のところ、ふとした切っ掛けさえあれば誰もが落ちうる「ありふれた落とし穴」でしかない。山田太一にせよ奥田英朗にしても、それを見事に表現している。
ただ、本書が文句のつけどころがないリアリティで100%満たされているか、というと、これは読者によって意見が割れるかもしれない。
大方のところで目論見どおりのことが無事に達成されているわけだが、たとえば中盤に出てくる大男と美少女との奇妙な二人組みについては、何度も「芝居がかった」という表現をつかって描写されている。
実際、リアリティの薄い「芝居がかった」キャラクターなのだが、読者にそうした感想を口にされる前に、著者自らが認めておこう――予防線を張っておこう、という計算が見え隠れしないわけでもないのだ。
これを書き手側の弱気や姑息な計算ととるか、さして気にせず流して読めるか。細かい描写やエピソードを積み重ねていく手法が用いられた作品だけに、細かいところが評価を左右することになるかもしれない。
いずれにしても並のプロがなかなか到達し得ない領域の仕事が見られるのは確かである。
「話の道筋がはっきりしたエンタテイメント色の強い物語が読みたい」、「人間の描写よりも、とにかく手に汗にぎる緊迫のストーリィを味わいたい」といった読者に、本書はむかない。山田太一が提供しようとするものは、全く別の種類のなにかだからだ。そこを理解した上で興味をもたれたのなら、一度手にとってみて損はしない作品ではないだろうか。
2006/02/28
TSUYIOSHI YAMAMOTO
山本剛
「ダービースタリオンIII殺人事件」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
ログアウト
値段
¥520
初版
1995-04-22
総合
−
ストーリィ
−
技術
−
少年向けライトノヴェルを展開している、アスキー出版局の <ログアウト冒険文庫> に初めて収録された本格志向のミステリ作品。山本剛と山北篤の共著とアナウンスされているようだが、実際に小説を執筆したのは山本氏である模様。このあたりの事情や作品が誕生する経緯などは、両氏による後書きを参照されたい。
表題にもなっている <ダービースタリオン> というのは、競走馬を育成する競馬シミュレーションゲームのタイトルで、パソコンや家庭用ゲーム機などで好評を博した作品である模様。本書はこの <ダービースタリオン> の世界観を取り入れ、その中で発生した殺人事件を取り扱っている。
しかし、基本となる舞台設定に <ダービースタリオン> のそれが導入されていることや、ゲームを題材としたノヴェライズであるというようなことに、読者はあまりこだわりを持つ必要はないと思われる。
というのも、ヴィデオゲームや <ダービースタリオン> に関する予備知識を全く必要としない作品にしあがっているからだ。事実、私は <ダービースタリオン> というゲームを全く知らない読者だった。競馬場にだって一度も足を運んだ経験がない。G1といえば、新日本プロレスが開催している真夏の祭典を真っ先に思い浮かべる。
確かに本編中に <ダービースタリオン> という言葉が何度か出てきたりもするが、物語の本筋と有機的に結びついている風ではなく、むしろ申し訳程度――登場人物がTVゲームを趣味にしていて、所持しているソフトの中にそれがあった程度――にしか描写されていない。したがって、本書がノヴェライズであることを意識しながらページを捲る必要はないだろう。ゲームを知っていれば、所々でニヤリとできるシーンがある、というくらいの話である。
具体的な内容だが、兄が私立探偵、弟が捜査一課の刑事という双子の兄弟が、祐天寺スタリオンステーション・オーナーの殺人事件を調査していくというもの。当初、被害者の祐天寺豪の死は自殺とも考えられたが、残された莫大な遺産や父親は殺されたのだと主張する息子の証言、不可解な死に方などから、警察はこれを殺人事件と断定。しかし騒動はこれにとどまることなく連続殺人へと発展していき、同時に意外な様相を呈し始める――といったようなもの。
著者も後書きで言及しているが、競馬界を舞台にしたミステリといえば
ディック・フランシス
の <競馬シリーズ> があまりに有名である。故にどうしても作品の出来をこれと比較してしまうのが人情というものだ。
結論を言うと、本書は残念ながらフランシス作品と比較できる代物ではない。著者もそう思っているだろう。一応は競馬や競走馬を絡めた話にはしているが、フランシスのように必要不可欠な要素とはなり得ていない。競馬界ならではの事件ではないし、競馬界でなければ成立し得ない犯罪が行われているわけでもない。結局、本書の内容は普通のミステリで書けるネタを競馬界に引っ張ってきたに過ぎないのだ。この時点で、まずフランシスとは決定的に差が出てしまっている。
また、抑制の効いた文体、登場人物の描写、競馬界の雰囲気の再現などの面で、本書はフランシスに一歩も二歩も譲ってしまう。
なにやらディック・フランシスの格を強調するための踏み台として、自らの身を捧げているような感じだ。
とはいえ、一流のプロが騎手を務めるガチガチの本命馬と、アマチュアが駆る経験の浅い馬とを同じレースで走らせるのは酷というものだ。どんな書き手だってフランシスと比較されるのは嫌がるだろう。そういうわけで絶対評価を試みても良いのだが、それにしたところで本書はやはり凡庸だ。良くも悪くもライトノヴェルの枠で纏まっている。
もし本書を気に入ったのなら、フランシスに至るまでの入門書であったと捉えれば良いだろう。
2004/11/27
HIROSHI YAMAMOTO
山本弘
「ラプラスの魔」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
角川文庫
値段
¥430
初版
1988-03-10
総合
☆
ストーリィ
☆
技術
−
クトゥルー神話を題材としたオカルト系ともホラー系とも言える小説。原案者に安田均の名があるが、本の出来には全く関連していないので無視して問題ない。ちなみに解説はその安田氏。
クトゥルー神話を下敷きにしているだけあって、クトゥルーやハスターなどその系統の設定や邪神などの名が所々に見られ、雰囲気づくりにも一役買っている。が、初読当時の自分がクトゥルー神話やラヴクラフト(クトゥルー神話体系の生みの親)の存在を全く知らずにいたことなどを考えると、これらの予備知識が無くても充分に楽しめることの証明となるだろう。
話の舞台となるのは1924年、アメリカはマサチューセッツ湾にあるニューカムなる田舎町。その町外れにあるウィザートップ家の屋敷で2人の少年がバラバラ死体で発見され、更に1人の少女が行方不明となったことから物語は始まる。この事件を追う女性記者モーガンや私立探偵のアレックスに加え、オカルト学者、霊媒師、科学者などの個性的な面々が調査団を結成し、ウィザートップ邸に乗り込んでいく。
タイトルの「ラプラス」とは中世フランスに実在した数学者、ピエール・シモン・ド・ラプラス卿のこと。彼が提案した仮説を「ラプラスの魔」と呼ぶ。それはこの世のあらゆる情報を完全に網羅できる存在があったとしたら、それはこれから起こり得るであろう未来の出来事さえも正確に予言できてしまうだろう――といったもの。
世界中の気圧配置や変化の様子、大気を構成する粒子の一粒一粒までの情報をリアルタイムで操れるなら、絶対に外れない天気予報が出来あがるのではないか、というのと同等の発想だと思われる。これは中学生の自分も考えたことだったから、同じ発想を科学的に大真面目に考えた数学者がいたことに興味をひかれつつ読んだ覚えがある。
ちなみに、「ラプラスの魔」の理論はある程度までは現実に通用し得る。実際に神のような情報処理能力を有していれば、かなり精度の高い近未来予測はできないこともないだろう。多分。だが、世の中にはカオス的な要素――つまり不確定な存在や出来事が多いので、完全に未来を予測することは不可能であると近代科学は結論しているので悪しからず。
2003/11/20
「パラケルススの魔剣」上・下
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
ログアウト
値段
¥520+600
初版
1994-02-22
総合
−
ストーリィ
−
技術
−
ログアウト冒険文庫だとかいうワケの分からないところから出版されているせいで気付きにくいのだが、上で紹介している『ラプラスの魔』の直接的な続編となる作品。「ゴーストハンターシリーズ2」を謳っていることから、どうも前作『ラプラスの魔』が同シリーズの1と位置付けられることになったらしい。
上巻は1994年02月22日が初版発行。下巻は同年10月22日が初版。舞台は、前作で語られたウェザートップ邸の事件から七年後のヨーロッパ。やはり前作で活躍した草壁健一郎、アレックス、モーガン、ビンセントとお馴染みのキャラクターが終結。今度はジプシーの血を引く霊感少女フランカが予知した、全ヨーロッパに降りかかるという災厄を回避するため、ナチが勢力を広げるドイツやドラキュラの故郷、トランシルヴァニアを舞台に調査という名の冒険を繰り広げる。
この作品を2文字で完結に表現してしまうと、駄作。これ以外にない。
前作はクトゥルー神話を題材とし、そのおどろおどろしい雰囲気などが良く醸し出された佳作だった。個人的な話をすれば、幼心にクトゥルー神話への興味関心を抱くようになった切っ掛けともなる作品だったのである。しかし、このシリーズ2作目は全くクトゥルー神話とは関係しない。
どうやら「ゴーストハンターシリーズ」とはクトゥルー神話にこだわらず、著者や安田均が関心を持っているオカルト系統のネタを題材に節操なくシナリオを書いていくというシリーズのようだ。
なにもテーマがクトゥルー神話から離れてしまったために駄作呼ばわりしているわけではない。純粋に物語として面白くないのだ。前作では濃密で神秘的な世界観を形成するために一役買っていたオカルト系の薀蓄も、今回はサジ加減を間違えて著者の独り善がりな自己満足の領域に入り込んでしまっている。『ラプラスの魔』では危ういところで均衡が取れている、その絶妙なバランス感覚に魅力を感じたものだが、今回はバランスを崩してバッタリ倒れこんでしまった感じだ。
また、『ラプラスの魔』ではオカルト的現象は現実とは異なる、一種の並列世界でのみ通用していた。主人公立ちはウェザートップ邸という廃屋を通じて、現実世界とオカルト世界を往復しつつ冒険を繰り広げていたのだ。
ところが今回は、そういった日常と非日常、リアルとオカルトの線引きがない。中途半端に現実世界にオカルト現象を持ち込み、それに関するリアリティを薀蓄のみで演出しようとしているから全体的に胡散臭い印象を拭えなくなる。残念ながら失敗作といわざるを得ない。『ラプラスの魔』の続編と聞いて期待していただけに残念。
2004/01/23
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
I N D E X