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「バンブルビィ飛行」 槙弘樹



  20

 クラスメイトのなかには、もう顔をよく思い出せない者もいる。
 もともと二ヶ月の付き合いしかなかった生徒も多い。時田が彼らの元を去ってからの時間は、それよりはるかに長いのだ。すでに忘却はお互いさまのことなのだろう。
 だが、竹島さつきは違った。遠くたたずむその姿を見た瞬間、時田はすぐに理解した。それが彼女なのだとはっきり分かった。
 竹島は白丘第一高校の制服をまとっているようだった。
 両親によれば、彼女が姿を消したとき、その服だけが無くなっていたという。
 彼女は、少し憂いのある表情でまっすぐに時田を見詰めていた。
 唇がなにか言葉をつむいでいるのが分かったが、声は聞き取れなかった。距離のせいかもしれない。顔は記憶にあっても、声は思い出せなかったからかもしれない。理由は分からない。だが、そのことを不審に思うことはなかった。
 やがて彼女は歩き出した。ゆっくりと時田へ近づいてくる。
 不思議なことに、距離が詰まるにつれて竹島の姿はぼやけていった。水に映った姿が波紋によって歪んで行くように、徐々に輪郭を失っていく。
 吐息が感じられるほどになったとき、彼女の手が額に触れてきた。それが竹島さつきなのか別の誰かなのか、もうなにも分からない。ただ、少しひやりとした感覚に、時田はゆっくりと目を閉じた。
 ――ほんと、大変な話に巻き込まれちゃったもんよね。
 どれくらい経ってからか、はっきりとした声がそう告げた。
 芯のある、凛とした声だった。耳に心地よく、聞き慣れた感じがする。
 まったくだ。言葉にせず、時田は苦笑だけでそう答える。相手が誰なのかは考えなかった。
 でも、なんであのとき、途中で降りなかったのよ。
 彼女が訊ねる。
 それは時田にとって、すでに結論の出た問題だった。
 困難に直面したとき、克服する術を考えるか。それともあきらめるための理由を考えるか。そんな問いを投げかけられたときの話だろう。
 言葉が返るのを期待していなかったのかもしれない。
 本当は来ないかも……って思ってた。
 彼女が静かにそう告げ、薄く笑ったのが気配で伝わった。
 色々わがまま言ってきたし、私はこの通りの性格でしょう?
 好き勝手に振舞う代償として、ひとに嫌われる人間になってることは分かってるつもり。
 でも、相手はそれなりにちゃんと選んでるのよ? 受け入れて、許してくれるって知ってる相手だから、つい無茶なことを言ってしまう。気づいたら勢いで口にしちゃってて。あとになって言い過ぎたかなって思う。
 でも、簡単には謝れないじゃない?
 だからそこは――
 彼女はいったん口ごもり、だが思い切ったように言った。
 いつも……ちょっとゴメン。
 らしくない言葉に、時田は目を閉じたまま軽く肩をゆすった。なにかが溶けていくような、心地良い笑いだった。
 そんなに言わなくたって良いのに。胸のうちでそう答えた。
 誰もに投げている言葉でないことは分かっている。だから、それが自分に向けられてることをうれしく思う。
 口では文句を言いながら、見えないところではにやにやしていた。
 望む意味での特別な誰かは、きっとどこか他にいるのだろうけれど。でも、今は近くにいて助けになれればそれで良い。
 かねてから、時田の胸の奥にしまわれていた考えだった。
 無論、自分ごときがいつまでも側についていられるような相手でないことは分かっている。いつかは必ず追いつけなくなる日が来る。
 だからしばらくは――という程度の話になるのだろう。
 でも、それでも良いのだ、と思う。たとえ彼女の記憶に残らなくても。いつか忘れ去られても。身代わりにされる償物《あがもの》でも良い。使い捨ての幣《へい》で良い。
 俺は、別にそれで良い。
 そんな思いが固まっていくと同時に、また静けさが訪れた。
 軽く肩を叩いていくような感覚を残して、声の主はいつしか消えていた。ただ微かな残り香だけが辺りに漂っている。

 それが夢で、自分が眠っていたことに気づいたのは、ずいぶんと無音の時が流れ去ってからだった。
 どこかで携帯電話が振動している。
 ようやくそのことを理解した時田は、ゆっくりと目を開けた。
 周囲はなぜだか夜のように暗い。寝ぼけた頭で状況の把握に努めつつ、手探りで電話を探り当てる。相手を確認せず耳元に寄せた。
「はい、時田――」
「弘二?」
 聞こえてきたその声に、一瞬で眠気は吹っ飛んだ。
「母さん」思わず上体を起こす。
「なに、もしかして寝てたの?」
「ああ、どうもそうらしい」
 親が相手では、寝起きの枯れた声も誤魔化せない。素直に認めた。
「あんた、帰宅部なのにお疲れかい。年寄りでもあるまいし」
「今は小学生でも、人間関係のストレスで胃に穴あける時代だよ」
「学校でなにかあったの?」
「ん、いや……」
 どこまで話すべきか考えながら曖昧に答える。
 長距離のトラック運転手をしている都合、母は家にいることの方が珍しい。六月からつづく不登校をいまだに隠匿していられるのもそのおかげだった。入院者の続出と担任の死で、学校が時田ごときに構ってなどいられなくなったことも大きいのだろう。
 彼女はそれらの事情をなにも知らない。なにも報せていない。
「実はさ、インフルエンザでも流行ってんのか、クラスで休むやつがやたら目立っててね」
「インフルエンザ?」
「いや、俺はピンピンしてるんだけどね。周りのやつらが大勢やられちゃってさ」
「へえ。そりゃ大変だね。あんたも気をつけんだよ」
「そこは安心して良い。俺、最近は学校行ってないから。なんて言うのか、今はちょっとした学級閉鎖状態なんだ。すでに死人も出てるしね。学校側が色々対応に困ってるみたいで」
「はあ――?」
 素っ頓狂な声があがる。時田は思わず電話を耳から離した。
「母さん、声でかいよ」
「死人って、学校のひとが亡くなったのかい?」彼女が無視して言った。
「ああ。なにが原因か分かってないんで、教室も外にプレハブの新しいの作ってさ。通えるやつは、今そっちで勉強してるよ。とは言っても、半分くらいしか行ってないみたいだけど」
「ちょっと、ちょっと。そういうことは、ちゃんと報告してって言ってるでしょ」
「報告したって、母さんが解決できる問題じゃないでしょうに。そうやって心配させるだけで意味ないから言わなかったんだよ」
「それ言ったら地震速報もいらなくなるでしょうが。まったく……明後日のお昼に帰れるから、そのときに詳しく話を聞かせてもらうよ」
「え、明後日?」
「そうだよ。なんか、通れないって言われてた道が通れてね。おかげで仕事が早く片付きそうなんだ」言って、彼女は口調を変えた。「そんなことより、今はあんたの話をしてるんでしょ。ちゃんとやってんの? ちょっと、今日の晩御飯なに食べるつもりだったか言ってみなさい」
「そんなのまだ決めてないって。あ、だけどさ、昨日はドイツ料理を食ったよ。この感じでいくと今夜はフランス料理かもな」
 にやりとしながら言った。案の定、母親は大仰に驚いて見せる。十分にその反応を楽しんだあと、時田はタネを明かした。たまたま知人が遊びに来ており、手料理をご馳走になったのだとだけ説明する。
「誰よ、その知り合いのひとって。もしかして、女の子? その子の手料理かい? まさか、よそさまの娘さんをかどわかしたんじゃないだろうね」
「かどわかすって?」
「要するにさらってくるってことだよ。誘拐」
「そんなことするかっ。所長といい、どうしてこう俺の周りにいる連中は俺が犯罪者であることを前提に話を進めるんだ」
「それで、どうなの。かわいい子なの?」
「ものすごくかわいい顔をしてはいる」
「胸は大きいのかい?」
「なにを想像してるのか知らないけど、胸はまったくない。だけどその子、金髪で目が青くて、しかもなんとフランス人ですよ、奥さん」
 今度は悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。肘の関節を伸ばしきって、時田は再び電話を遠ざける。それでも、「外人さんときたよ」という声がはっきりと耳に届いた。
「はあ、まさか弘二に彼女ができるとはねえ。しかも家に連れ込むとは。あんたは父親に似ちゃったし、頭悪いしでね。半分あきらめてたんだよ、母としては」
「なんか、俺の欠点をあげつらうときは常にいきいきしてるよね。母さんって」
「良い、弘二」
 ひとの言葉をまったく聞かず、彼女は一方的にまくしたてていく。
「まだ慣れてないうちは、自分じゃ気づかなくとも無意識に力んじゃうもんだよ。だから、相手に触れる前にまず自分の腕を握ってみなさい。痛いくらいに力が入ってるはずだよ。だから少しゆるめ過ぎるくらいの加減で、優しく丁重に扱ってやること。あと、自分から避妊のことを言ってあげなさい。それだけでも女の子は安心するから。まあ、相手が外人さんなら自分の意思もはっきり表示できるだろうし、オーイエーとか言って向こうから手ほどきしてくれるかもれしないけどね」
「なんか、ものすごいこと言い出しましたよ。この母親」
「良い、私のアドヴァイスを活かしてうまくやるんだよ。明後日、成果を報告してもらうからね」
「ちょっと待った。そんな勝手な。だいたい、ディセットは――」
「弘二、ガンバ!」
 本人は小粋に決めたつもりだったのだろう。古過ぎる激励の言葉を残し、彼女は一方的に通話を切った。
 暗がりのなか、浮かびあがった液晶画面をしばし呆然と眺める。
「なんて母親だ」
 言って、時田は思わず吹き出す。自分の周囲には嵐のような女性が多すぎるように思えた。
「なにやら楽しそうなお電話でしたね」
 薄闇の向こうから、場違いなほどおっとりした声が聞こえた。
「六合村さん――?」
 返事の代わりに、オレンジ色の小さな明かりがともされる。その光の下に彼女がいた。
 時田は、自分が後部の寝台で仮眠をとっていた事実を思い出す。眠りについたのは夕方。それから日が落ちるまで眠りつづけていたらしい。
「今、何時ですか?」
 毛布をどけてベッドから足を下ろす。つま先で靴を探しながら訊いた。
「七時十五分です」
「さっきまで所長がここにいませんでした?」
「いましたよ。私と入れ替わりに出て行かれましたから、五分ほど前までですかね。それがなにか?」
「いや、特に……」
 まさか、夢に彼女が出てきたような気がする、などとは言えない。
「で、みんなはどこです?」誤魔化すように訊いた。
「玲子さんは校舎の方に行きましたよ。多分、例の放射性物質の件じゃないでしょうか。――コーヒー、いかがです?」
「いえ、そういうことなら俺も行かないと。ひとりだけ寝てると思われちゃ、あとで連中になんて言われるか分からない」
「それが、時田さんはここで待機と玲子さんからのおたっしです。だって、あれは時田さんがいると作動しないトラップなんでしょう?」
「あ、そうか」時田は寝台から浮かしかけた腰を再びおとした。「この件に関しちゃ、俺は完全な邪魔者なんだった」
 観念して六合村が淹れてくれたドリップ・コーヒーで眠気を飛ばす。
「しかし、放射性物質の撤去なんてどう考えても危険でしょう」
 コーヒーを吹き冷ましながら、時田は上目遣いに六合村を見た。
「素人だけでやっちゃって良いんですかね」
「それでしたら、あの大きいひとが処理班を手配するって言ってましたよ。大陸から呼び寄せるので、最速でも四時間はかかるそうですけど。夕方の時点での話ですから、もうそろそろ着くころじゃないんですか?」
 大きいひとと言えば、ティガのことだろう。「大陸」が中国をさすなら、自家用ジェットで花巻に直接飛ばない限り四時間で来るのは不可能に思えた。
「スリングウェシルにはそんな部署と設備があるのか。なんか、思ってたよりすごいところだな」
「気になるようでしたら、ベースに行って映像をひろってみますか? 二年四組周辺には幾つもカメラをしかけてありますから、それを通せば様子は分かりますよ」
「おお、そうだった。それは是非利用しないと」
 時田は膝を打ち、コーヒーの紙コップを持ったまま立ち上がる。
「時田さんにくっついて行動しろと言われてますので、私もご一緒させてもらいますね」
 うなずき、時田は六合村をともなってベースに移った。
 キャンピングカーを出ると、そこは慣れない夜の学校だった。敷地内はひっそりと静まり返り、昼間とはまったくの異界と化している。校舎に入ってさえ不思議なくらいの肌寒さを感じた。いつもは気に障るPCの駆動音が、このときばかりはどこか頼もしい。
「照明はつけないでおきましょう。夜の学校のあちこちに明かりが見えると、周辺住人が不審に思うかもしれませんから」
 カーテンを閉めながら六合村が言う。時田は首肯して答えた。
「ですね。ただでさえ、変なうわさを立てられてるわけだし」
「じゃあ今、二階の映像をモニタに出しますね」
 事務椅子に腰を落とし、六合村はマウスに手をかけた。液晶ディスプレイのバックライトが彼女の横顔を青白く照らし出す。
 ほどなく、画面上に縮小画像《サムネイル》一覧が表示された。マウスポインタが動き、そのうちのひとつが選び出される。それが二年四組のライヴ映像だった。なぜか机と椅子が消え、空の部屋と化しているのが分かる。
 明かりに関する配慮は所長たちにもあったらしい。教室の窓には遮光シートがかけられ、現場組はハンドライトの明かりだけを頼りに活動していた。
 ピックアップされている画面のなかには、少なくとも所長とディセットの姿が映し出されている。「女王がかわいそうな臣下を酷使する」の図がそのまま展開されていた。
「六合村さん、彼らと話せますか?」
「無線で交信できますよ。携帯電話は持っていってないと思います」
 そう言って渡されたのは未契約のPHSだった。現行型が普及する前に利用されていた旧世代の携帯電話で、現在は通話手段としてのサーヴィスはほぼ終了されている。これがモードの切り替えにより、簡易トランシーバとして利用できることはあまり知られていない。
「ははあ、これなら放射線に汚染されても捨てて惜しくない」
「そういうことです。機種によっては親機への登録などが必要で少し面倒なんですが、特定機種に限って裏コマンドによる仮想登録モードを利用したりすると個人で手軽にトランシーバ化できるんですよ。もちろん通話料無料で、電話のように同時《デュプリクス》通話できます。有効範囲や性能はおもちゃ並ですけどね。子機番号は8ですから、試してみてください」
 フロアを隔てているため交信は難しそうに思えたが、今回は幸運に恵まれたらしい。階段の吹き抜けが上手く作用した可能性もある。言われるまま8番を呼び出すと、応答があった。モニタのなかのディセットがポケットから同じAJ‐35を取り出すのが見える。
「はい」
 かなり雑音が混じっているが、確かに声が聞こえてきた。
「こちらベースの時田。ディセット聞こえる?」
「ええ、聞こえてますよ」
「なんか、四組から机と椅子が消えてるみたいだけど」
「はい。北条さんの指示で運び出しました。机と椅子は五組に、中に残っていたステイショナリィや他のこまごまとした備品は三組に移してあります」
「ティガのおっさんは?」
「日本のマンガやアニメーションでは良く屋上でランチを食べているシーンが描かれるが、あれは事実に基づくのか――と言い残して屋上に行ってしまいました」
「聞きました、六合村さん? あのおっさん、本物のアホですよ」
「話はうかがってましたけど、本当におもしろい方ですねえ」
 彼女がくすぐったがるように笑う。
「なあ、ディセット君。それはサボタージュというのではないかね」
「すみません。彼の分は僕が働きますから」
「なんと健気な」思わずホロリとさせられる。「で、放射性物質は見つかった?」
「いえ、今のところそれらしいものは、まだ……」
 時田は別のPCモニタに視線を移し、線量計から送られてくるデータを読む。
「なるほど、こっちの計器に異常は出てないな。夕方に一度、トラップが発動したときの名残で数値自体は高めだけど」
「時田さんがいるときとは別に、人数が少なすぎてもトラップは動かないのかもしれませんね」横から六合村が指摘する。「時田さん、覚えてますか? 四組に出入りしてた福田|梨絵《りえ》さんという方がいたでしょう。あのひとは何度も単独で四組に出入りしてたはずですけど、見た限り健康そのものでした」
「ああ、献花の面倒見てた例の女の子ですね。確かに」
「僕と北条玲子さんのふたりでも反応なしです」ディセットが言った。「たぶん、最低でも三人以上の人間が揃わないと放射能は出てこないんですね。他にもスイッチがなにかあるかもしれませんけど」
 そのとき、モニタに人影が現れた。一瞬身構えかけるが、すぐにそれがティガであることに気づく。
「ディセット、おっさんがもどってきたみたいだな」
「そのようです」
「じゃあ、邪魔になるとアレだから一度切るよ。様子はカメラで見てるけど、なんかあったら連絡くれ」
「了解しました」
 カメラに向かって笑いかけ、ディセットは電話をパーカーのポケットにしまった。それからすぐにティガと合流し、やがて出入りを繰り返していた所長も加わって三人がそろう。
 彼らはいったん二年三組、四組、五組をつなぐ廊下に出ると、すみやかに捜索を開始した。
「どうも、四組の構成要素を三分割して、探しやすくする作戦みたいですね」
 六合村が液晶ディスプレイを見つめながらつぶやく。
 時田も同じことを考えていた。捜索対象を「机と椅子」「教室そのもの」「その他の小物類」と三分し、順に調べていくつもりなのだろう。準備に手間はかかるが、その後の作業は飛躍的に効率化される。北条玲子がパソコンを好む理由のひとつだった。彼女らしい戦術の選択と言える。
 現場の三人が最初に向かったのは二年五組だった。そこにもともとあった机や椅子は廊下に撤去され、代わりに四組のそれが並べられている。線量計を持った所長が先頭に立ち、一行はその間を縫うようにゆっくり歩いていった。
 ややあって、モニタのなかの所長がディセットのとは別のAJ‐35を取り出した。すぐに時田の手元で同機種のPHSが呼び出し音を鳴らしはじめる。
「はい、時田です」
「時田君、まだベースにいる?」
「ええ、所長のこともモニタリングしてますよ」
「じゃあ、エリアモニタのデータを確認して。なにか異常な変化は出てる?」
「いえ、〇・二Sv超を前後してるだけですね。四組と比較するとかわいいもんです」
「フム……二年五組はクリアか」
「クリア?」
「安全確認ってことよ。時田君は引きつづき、そこでデータを監視しててちょうだい。通話は切らずにこのままで。異常が出たらすみやかに報告するようにね。PHSの無線は仕様の関係で三分ごとに一度、約二秒間切れるけど、そのまま待てばまた繋がるから」
「分かりました。お気をつけて」
「まかせなさい。今夜の私はなかなかの不死身っぷりよ」
 ――じゃあ、一度ここから出ましょう。次は四組ね。
 そんな声が少し遠くに聞こえ、モニタ内の三人が同時に移動をはじめた。五組を出るとそのまま隣室に入っていく。がらんどうになった四組だった。ここでもやはり、サーベイメータを片手に所長は隅から隅まで時間をかけて歩いて回った。天井、床、壁、さまざまな場所に計測器を近づけて反応を見ていく。
「どう、時田君。グラフに変化は?」
「ありません。数値自体は異常ですけど、所長たちが入る前と違いは出てないですね」
「そう。分かった」
 所長は背後を一瞥すると、ティガとディセットに聞こえる声で言った。
「四組《クラス4》、クリアよ」
「あの、所長。こうなると――」
「目的の物は、三組に移した備品のなかなのかもね」かぶせるように彼女が言う。「まあ、可能性としては一番ありそうだとは思ってたけど」
「四組に置かれてないと発動しないって条件付けがあるのかもしれませんよ」
「次で反応が出なければ、その線も検証してみましょう」
 そして彼らは三組に向かった。
 六合村がモニタの映像を切り替えて、そちらに焦点を移す。
 備品と一口言ってもそこには様々な物が集められていた。掃除用具やコルクボードにとめられていた画鋲。花瓶、チョーク、黒板消し。それに生徒が机のなかに置き忘れていった無数の私物も積み上げられている。
「あ、そうだ。時田さん、良かったらそれ使ってください」
 六合村の白い指が、隣席のPCに繋がれた密閉型のヘッドフォンを指した。
「すっかり忘れてましたけど、基準値を超えたらアラームが鳴るように設定したじゃないですか」
「そう言えば、なんかそんな機能がありましたね」
「時田君、聞こえる?」
 ヘッドフォンの片側を耳に押し当てたとき、所長の声が右手から聞こえてきた。握ったPHSを顔に寄せる。六合村が廊下にカメラを移すと、所長と画面越しに視線があった。
「はい、聞こえてます」
「今から三組に入るから。夜だし、こっちの線量計のアラームは切ってある。だからモニタの方、良く見といてちょうだい」
「了解っす」
 手のひらをジーンズにすりつけ、汗を拭いながら応じた。
 そうしているうちに、画面のなかの所長が三組のドアに手をかける。それに合わせて、六合村は再び映像をクラス内のカメラに切り替えた。
 ヘッドフォンのなかでけたたましい警報が高鳴ったのはその瞬間だった。


to be continued...
つづく