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「バンブルビィ飛行」 槙弘樹



  19

 当然ながら、二年四組の眺めは前回と大きく違った。
 要因はウィッキーネズミの妨害から開放されたためである。
 そこは懐かしい故郷のようであり、不案内な見慣れぬ空間のようにも感じられた。
 ただ、今もむかしも変わらず好印象はない。それだけははっきりしている。
 現在の二年四組には、打ち捨てられた廃墟の雰囲気があった。かつての活気と喧騒を知っているからだろう。耳障りなほどの静寂が寂寥感を抱かせる。それはおそらく、夜の無人の学校が肌寒く思えるのと同種の感覚だった。
「日本の学校ははじめてですけど、クラスルームなんてどの国でもたいして違いはないんですね」
「教壇を作って教師をひとつ高い場所に置くのは儒教の影響か?」
 ティガが答えを期待していない口調で言った。その証拠に、彼は間を置かず次の問いを口にする。
「それがサーベイメータか?」
「そうよ。時田君が昼間設置したやつね」
 教室の中央からやや前よりの机に、スリムタワーの自作PCと線量計のセットが置かれている。全員の目はそのモニタに集まっていた。ガンマ線の計測値がグラフになって表示されている。そのデータはコンセントを通じて一階の拠点に転送されているはずだった。
「状況は?」ティガが重ねて訊ねる。
「致死量には遠いけど、異常な数値が確かに出てるな」
 所長があごに手をやりながらつぶやいた。
「やっぱ六合村さんが言うように、放射性物質は既に犯人が回収していったんですかね?」
「可能性は否定しないけど――」
「生徒はプレハブの急造校舎に移ったわけですし、ここにいつまでも置いてても意味ないと思ったんですよ。きっと。役所とか保健所とかもチェックに入ったって言うし。放置してると状況悪くなるだけでしょ?」
 所長は答えず、かわりにティガとディセットに顔を向けた。
「おたくらはどう見る?」
「物探しや読み取りは私の専門ではないからな。ディセット、なにか感じるか?」
「うん」神妙な顔つきで碧眼の少年はうなずく。「ここはとてもノイジィだよ。でもトンネルのなかみたいに反響がすごいんだ。具体的なことは、だから良く分からない」
 そう言ったあと、ディセットは話を聞きなれない言語に切り替えた。少なくとも英語ではなかったようである。小声で所長に確認してみたところ、おそらくフランス語だろう、というのが返答だった。内容までは流石の彼女にも理解できなかったらしい。
「とにかく、検証だけはしておきましょう。ティガ‐アデプト、ディセット‐ジャーニマン。あなたたちにも協力してもらうわよ」
「なにをするんだ?」ティガが代表して訊く。
「とりあえず、みんな教室から出てちょうだい」
 言うと、所長は全員を引き連れて出口に向かった。廊下に出たところで改めて振り返る。
「これで教室は無人になった。次に、ひとりずつなかに入るのよ」
「それでなにが分かるんですか?」時田は訊いた。
「時田君、情報を盗まれてた企業の話を覚えてる?」
「あ――」
 なにかハッとさせられるものがあった。それが具体的になんなのかは分からない。考えがまとまる前に、時田は北条玲子によって教室に放り込まれていた。
「どう、時田君。グラフに変化はある?」
「いえ。特には」
「じゃあ、次はティガ‐アデプト」
「ただ入ればいいのだな?」
「まあね。でも、あまりしゃべらないように。人数、顔ぶれ、騒音。どれがトリガーになっていてもおかしくないから」
 廊下からそんなやり取りがかすかに聞こえ、やがてティガが教室に現れた。間をおいてディセットが続き、最後に所長が入ってくる。
 その間、サーベイメータとグラフに変化は一度も生じなかった。
「四人では反応なしか。本当に撤去されたのか、それともクラスの大半が集まらないと起動しないしかけなのか」
 所長が難しい表情でつぶやく。
「このクラスの人間にしか反応しない可能性もあるのでは?」
「あり得るけど、それはちょっと高度すぎるな」
 ティガの言葉に、所長は一瞬だけ眉間のしわを深くした。
「まあ、良いわ。無駄かもしれないけど念には念をいれましょ。次は顔ぶれの実験ね。すべての組み合わせを試して反応を見る。時田君ひとり、時田君とティガ、それにディセットを加えた三人。それに四人全員のパターンは既に検証済みよね」
「じゃあ、今度はとりあえず俺が出てみましょうか?」
 時田は挙手しながら提案する。
「そうね。じゃ、時田君はちょっと教室から出てみて」
「了解っス」
 被曝症の心配こそないものの、異常数値が出ている部屋だ。離れるのに抵抗はない。時田は喜んで教室をあとにした。ドアを閉め、念のために十分な距離をとる。
 ついでにトイレに行っておこうと考え、そちらに向かいはじめたときだった。教室内からけたたましいアラーム音が鳴り出す。あまりの音量に、どこから聞こえてくるのか正確にはつかめない。だが、状況から二年四組以外とは考えられなかった。
 誰かがぶつかったのか、机か椅子の脚が床をこする耳障りな音が廊下にまで聞こえてくる。ドアと壁ごしにも内部の異変が感じられた。
「所長、どうかしたん――」
「まずい。みんな急いで出なさい。早く!」
 所長の凛とした声とほぼ同時、机をなぎ倒す音が出入り口に向かいはじめた。扉が荒々しく開かれる。最初に現れたのはティガの巨体、次いでディセットが転がるように駆け出てきた。最後に強張った表情の所長が現れて、ピシャリと戸を閉める。
「ベースに行きましょ。今のデータを確認したい」
 返事を待たずに彼女は早足に歩きはじめた。時田はあわてて横に並ぶ。
「所長、なにがあったんですか?」
「さあね」彼女の硬い足音がリノリウムの廊下に響く。「アラームは、放射線量が一ミリSv《シーベルト》に達すると鳴るようになってた。それが時田君が出た瞬間、あれよ。どこからか十倍を超える量の放射線が一気に噴き出した感じね」
「十倍って――」
「アラームが鳴るのがその数値というだけだろう。実際にはそれを超えるものだったかもしれん。そうなると十倍どころでは済まんぞ」
 ティガの冷静な声が背後から指摘してくる。
「ともあれ、トリガーについての有力な仮説は得られた」
 言って、所長は時田を鋭く一瞥した。
「ちょっと待ってくださいよ。それってどういう」
 とっさに自己弁護に走りかけた瞬間、時田のふところで携帯電話が震えだした。番号を教えている相手は数少ない。液晶画面にはそのうちのひとり、和泉光司の名前が表示されていた。
 無言で先に行くよう三人に告げ、時田は電話を耳元に寄せる。
「はい、時田です」
「お疲れさま、和泉だ。今、時間良いかな?」
「お疲れさまです。時間なら大丈夫ですよ」
「今、君はどこにいる?」
「現場です。所長と六合村さんと一緒に、例の白丘第一高校ですよ。なんでしたら、彼女たちに代わりますけど」
 怪訝に思いながら答えた。和泉が私用で電話をかけてくるなど考えられない。かといって、業務連絡なら所長に直接入れれば良いはずである。なぜ自分の携帯電話が鳴ったのか理解できなかった。
「いや。仕事の話に違いはないが、最初に君の耳に入れておこうと思ってね。私は今、そちらとは別件で東京都にいるんだが――」
「相変わらず大変ですね。面倒そうな仕事は、全部所長から押しつけられてるんでしょ?」
「否定はしない」
 苦笑する気配がスピーカー越しに伝わる。だが、彼はすぐに表情を引き締めたようだった。
「上京したついでに、彼女にはもうひとつ頼まれていることがあってね。昼ごろに電話をもらって、君の友人について調べるように言われたんだ」
「俺の、ですか。友人って?」
 緩めて歩調を戻しながら時田は問い返す。すでに所長たち三人の姿は階下に消えていた。もうベースで六合村と合流しているころだろう。
「名前は竹島さつき。今年の五月まで君のクラスメイトだったと思うんだが、覚えてるかな」
「ええ、まあ……」
「知っての通り、彼女は両親の仕事の都合で東京《こちら》に引っ越して来ている。ところがその後、行方不明になったという噂があるらしくてね。私が事実関係を調べることになったんだ」
 思わず歩みを止め、電話を握り返した。
「で、どうだったんですか?」
「家族と会うことが出来た。彼らは一ヶ月以上も前に捜索願を出している。彼女は夏休み中に忽然と姿を消した。噂は真実だったということだ」
「ひと月以上も見つかってないんですか?」
「そう。今もまだ行方はつかめていない」
「事件性は? 警察は乗り出してるんですか」
「警察は家出と事件に巻き込まれた可能性の両面において捜査をつづけている。とはいえ、特異家出人の要件を備えていないから、山狩りをはじめとした捜索などは基本的に行われない。一般家出人として各方面に情報を回すだけだな」
「そうか。和泉さんは元警官なんでしたね」
 ならば当局の思考・行動パターンは誰より把握しているだろう。
「ところで、家族が近所に撒いているビラを手に入れた。それに、失踪時に着ていたと思わしき服装のイラストがある。あとで、そちらと事務所にFAXで送るよ。参考にしてくれ。それから、警察が使っている捜索願の書式を私なりに再現して、家族に記入を頼んだ書類もある」
「そんなものまで……」
 北条玲子の懐刀は、やはり恐ろしく切れる。
 和泉の手にした書類は事実上の警察資料だ。捜索願の完全な複製を持参すれば、自分が警察関係者であったことを竹島の家族に強くアピールすることもできたはずである。
「頼まれてから四時間たらずで、そこまでの物を手に入れてくるのは和泉さんくらいですよ」
「だが、こちらは個人情報だから、高速メール便で出さざるを得なかった。届くのは早くて今日の夜だ。今必要な情報なら――」
「いえ、十分ですよ。ありがとうございます。なんか、気を遣ってもらったみたいで」
「構わんさ。家族に会うとき、君の名前を勝手に出させてもらった。元警官である私に力になってやって欲しいと頼まれた、とね。それですんなり家に入れてもらえたんだ。情報も得られた」
「うまいアプローチだ」
 そう言ってもらえると助かる。和泉はそう告げて、話をつづけた。
「竹島さつきは、君のことを家族に話していたことかあるようだ。ご両親も覚えていたよ。彼女にとって、君は特別な存在だったんだ。ふつうの女の子を相手にするように、なんでもない世間話をしてくれる。そんな相手だった。気兼ねなく自然に誰かと話せることが、彼女にとってはいつまでも記憶に残る大切な出来事だった」
「そんな……俺は、ただふつうにしてただけですよ」
「音楽鑑賞は我々にとって日常的な行為だ。だが、生まれつき耳の聞こえない者にとっては永遠の憧れだろう」
 無言で返すしかなかった。
 同級生と交わす何気ない会話を「永遠の憧れ」として思い描く。そんな人間の心境に思いをめぐらせた。
 竹島さつきは、そんな少女だった。
「事実確認の件とFAXおよびメール便の事、君から所長に伝えてもらえるか?」
「ええ、はい」思索を中断しながら、時田は慌てて応じる。「責任持って伝えます」
「うん。では、よろしく頼むよ。私はしばらく帰れない。こちらでまたなにかできることがあれば連絡してくれ」
「分かりました。所長にも言っときます」
 再度、礼の言葉を言い重ねて、時田は通話を終えた。
 うち捨てられた校舎に静寂がもどる。放課の時間になったのだろう。窓の外から、生徒たちのあげる喧騒がかすかに届いてきた。
 あんな風に、同年代の人間たちのなかで笑い声をあげたのはいつが最後か。竹島さつきには、一度でもそんな経験があったのだろうか。彼女は新しい学校でうまくやっていたのか。なぜ消えたのか。とりとめもなく考えながら歩いた。そのまま一階に下り、ベースに使っている多目的会議室のドアを開ける。
 なかには入り口に背を向けた四つの背中があった。所長とスリングウェシルのふたり、そして六合村だ。全員が肩を並べるようにして、PCの液晶モニタを覗き込んでいる。
「遅かったじゃない」
 所長が振り返って言った。
「仕事中だってのに、私用の電話だったら減棒ものよ」
「相手は和泉さんですよ。所長、昼に電話したんでしょ。竹島の件、裏取れたみたいですよ」
 彼女の目がかすかに細まった。身体ごと時田に向き直る。
「なんて言ってた?」
「やっぱり行方不明だそうです」
 つづく言葉で、和泉からの報告をそのまま伝えた。
「家族が作ったビラをFAXでここと事務所に送るって言ってました。あと、捜索願の複製を郵送で届くそうです」
「そうか……この学校で立ってた噂のうち、はじめて真実を語った話が出てきたってわけね」
 彼女はつぶやくと、部屋中央のテーブルに歩み寄った。椅子のひとつを引いて腰を落とす。
「お六合、なにか冷たいものない?」
「ジュースならキャンピングカーの冷蔵庫にありますよ。とって来ましょうか?」
「うん。アップルジュースがあったら、それをお願い」
「了解です」
 六合村は他の者にも注文を聞いて部屋を出ていった。入れ替わるようにして、時田は部屋の奥まで足を進める。長机をはさみ、所長の向かい合う位置に陣取った。
「それより所長、さっきの教室のデータはどうだったんですか?」
「最大で四・七ミリSv」所長が言った。「平常時の約五十倍ね。あんなところに毎日何時間もいたら、そりゃ死人が出るのも当然よね。そういう数値よ」
「では、あの教室にはまだ放射性廃棄物が存在している。そう解釈して良いのだな?」
 オフィスチェアに腰かけたティガが、身体ごと振り向きながら言った。
「そう考えるべきでしょうね。普段は放射能をどうにかして抑え込んでいて、条件がそろったときにのみ開放される。そういうシステムが存在してるんでしょう」
「そうか。それで、例の盗聴されてた会社の話が出てくるんですね」
 時田は思わず顔を上げた。
 所長に聞かされた、特殊な盗聴器がしかけられていたという企業の案件《ケース》だ。
 その盗聴器は、開業時間中――しかもある一定以上の話し声を感知して自動的にスイッチが入るものだったという。だから、休日や社員が帰った夜に探知機で探し回っても反応が出なかったのだ。
「ようやく気づいたわけ。時田君、本当にとろいわよね」
「面目ないです」
「ともあれ、これで思考材料はすべてそろった」
 所長はあごを上げ、天井に向かって深く息をついた。
「なぜ、二年四組が狙われたのか。それを望んだのは誰か。どうやって放射性物質を手に入れたのか。手配した共犯者は存在するのか。そして、トラップが時田君を避けるようにして作動する理由……」
「えっ、それ全部、分かったんですか?」
「話はすべてリンクしてるからね」
 気だるそうな声が返る。
「情報を整理してみなさい。特定の相手ではなく、二年四組そのものに恨みを抱いていた人間はそう多くない。しかも、その人物は時田君を特別視していた。二年四組の連中は皆殺しにして構わないけど、時田君だけは被害者にしたくなかった。だから、あなたがいるときは放射能が漏れないようなしかけが作られた」
「所長、それって……」
 頭の中で、電話で聞いた和泉の言葉が反響した。
 ふつうが特別。何気ない瞬間こそが、永遠の憧れ――
「あのクラスが嫌いだった子。でも、時田君だけは特別に想っていた子。復讐のために自分の命を捧げることすらいとわなかった子。全てが起こりはじめたと同時に忽然と姿を消した子。そんな人間、関係者のなかにひとりしかいないじゃない」
「それはともかく」流れを断ち切るようにティガが口を開いた。「我々としては教室にしかけられた物の方を優先して押さえたいのだが。致死性が確認されたのだ。どの道、いつまでも放置してはおけんのだろう?」
「そうだね」ディセットが沈痛な面持ちでうなずく。「それと、考えたくないけど遺体も捜してみないと」
「そうだ。トレーダーの関与を証明するためには、そっちも見つけ出す必要もある。どうだ、ディセット。放射性物質が出てきた場合、それから殺された依頼者をトレースできるか?」
「やってはみるけど、確かなことは言えないよ。でも、期待はできると思う」
「遺体については近くにある可能性もあるわね。でも、教室の放射性物質も含め、今すぐに探し出すのは無理よ」
 所長が冷ややかに言った。
「なぜだ」ティガが問い返す。
「決定的な一打になるからよ。そんなことをされて、そのトレーダーってやつが黙ってるわけがない。もし、脊髄反射みたく飛びかかってきたらどうなるの? あいつは病的なほど仕事の完遂にこだわってる。計画通りに物事が進まないのを許せないタイプよ。怒り狂ってなにしてくるか分からないわ」
「言えてますね。放射性物質は今回のあいつの仕事の核だ。そいつをとっぱらうなんて、やつにとっちゃ最大級の業務妨害ですよ。戦車に乗って学校に乗り込んできても俺は驚きません」
 肌が粟立つのを感じながら時田は言った。落ち着かせるように自分の腕を撫でこする。
「まあ、そういうこと。部活もあるだろうし、生徒はまだ学内に残ってる。そんななかでドンパチやらかすわけにはいかないでしょ」
「フン。面白くないが、一理ある」
 ティガは両目を閉じながら唇をへの字に曲げた。そして片方だけまぶたを開き、所長を流し見る。
「生徒と関係者が帰宅したあとなら、動いても構わんのだな?」
「まあ、そういうことね。どうせ派手なことになりそうな気配なんだし。人目がない方が、お互い気兼ねなく暴れられるでしょ」
「確かにな。なら、しかたない」
 ティガがにやりとしてうなずく。
「――夜を待とうではないか」


to be continued...
つづく