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「バンブルビィ飛行」 槙弘樹



  12

 蒸かした大量のジャガイモをホワイトソースで味付けした、欧州の素朴な家庭料理がその日の夕食だった。
 言うまでもなく、ディセット‐ジャーニマンが調理したものである。ドイツ料理とのことであったが、これが日本人である時田の口にも意外に合う。とは言え、ディセットの性格を考えれば口に合うよう調整してくれた可能性も否定はできない。
 なんであれ、先ほどまで恐慌状態にあったわりに時田の箸は良く進んだ。
「――で、あんたらは結局なんなの」
 シャワーを浴び、あたたかい料理を食べたおかげで、時田はなんとか冷静に議論ができる程度には落ち着きつつあった。
 もちろん、それは自己評価に過ぎない。転倒したときに打った肩と背中が徐々に痛みを増しつつあるのと同じように、精神的な外傷が時間を置いて疼きだすおそれは常にある。
「なんだとは、なんだ?」
 ティガが口元を拭いながらぶっきらぼうに応じた。
「とぼけるなよ、おっさん。まったく、どいつもこいつも隠しごとばっかだ。スリングなんたらいうNGO団体っていったっけ。母さんの依頼受けて俺の社会復帰支援に来たとかさ。あれ、どこまで本当なんだよ」
 時田は対面のティガをめつけ、次いでその隣席に座る金髪の少年にも懐疑の視線を注ぐ。ティガの銀色は揺るぎないが、ディセットのエメラルドグリーンには若干の陰りが見えた。それはそのまま、彼の精神状態の揺らぎとして見ることができるだろう。
「なんかふつうっぽくなかったけど、おっさんがさっき持ってたアレ、消音装置サイレンサつきの拳銃なんだろ。あんなもの、まともな国際ヴォランティアの関係者が持ってるはずないじゃないか」
「サイレンサとはまた日本人も大層な言葉を使う。お前が言いたいのは減音装置サプレッサのことだろう。言っておくが、あれをつけても映画のようにはいかんのだぞ」
 ティガが言うに、銃声をおさえる装置の機能はハリウッド映画のなかほど優秀ではないらしい。時田も「プシュッ」という空気が抜けるような軽い音になるとばかり思っていたが、一般的な弾丸を使った場合、もっと派手な音が残ってしまうのだという。
「亜音速の弾丸を使えばかなり無音に近まるケースもあるが、対応している銃があまり一般的ではないのだ」
「いや、そんなことはどうでも良いんだよ」
 時田は叩きつけるようにフォークを卓上に置く。
「話を逸らそうったって、そうはいかないからな。最初からおかしいとは思ってたんだよ。あんたらのスリングなんたらって、本当のところはなんなんだ? 法律上は一号だ三号だいうカテゴリーがあって、最終的には特殊ケースが専門なんです――なんて言わないでくれよ」
 その言葉にディセットは一瞬、怪訝そうな表情を見せた。が、すぐに真顔に戻り、その大きな碧眼で時田を見つめ返す。しばらくして大きく息をついた彼は、観念した様子で隣の相棒に声をかけた。
 ただ、それは日本語ではなかった。英語でもない。どことなく巻き舌を多用した発音から、ラテン語ベースの言語らしきことは分かる。唯一聞き取れたのは、 <PG5> という英単語だけだった。
「フム……」
 相棒の話を黙して聞いていたティガは丸太のように太い腕を組み、思案するように宙をにらむ。
 ややあって、小さな唸り声と共にようやく口を開いた。
「しかたがない。確かに、あんな変態までもが徘徊しはじめたとあっては、最低限の情報くらいは与えておく必要もあるだろう」
「話す気になったのか?」
「確かに、我々は真実をすべて語っていたわけではない。それは認めよう。虚言もひとつだけ吐いていた。――そう、このティガ‐アデプト、実は白百合の妖精などではない。すっかり騙されていたお前が夢を壊され、裏切られたような気持ちになるのも無理からぬ話だが、いま真実を明かそう。限りなく妖精に近い私も、実は美しすぎる人間でしかなかったのだ。残念なことに」
「そこは最初から信じてないって。アンタ、本物のアホだろ」
「しかし、うそはそれだけだ。あと、母親の依頼を受けたという部分を除けばな。政府や公的機関の援助を受けていない自立した組織という意味において、スリングウェシルは確かに非政府組織NGOであると言える。また、青少年の健全な保護育成という活動理念も、あながち事実無根とは言えまい。我々は結果として劣悪な環境下にある子どもたちを数多く保護し、適当な形で社会に還しているのだからな」
 ティガの並べ立てる言葉に偽りがないことを示したいのだろう。ディセットは時田に視線を向けたまま、小さくうなずいて見せた。
「でもさ、それってうそでもない一方で、真実をすべて語るものでもないってやつでしょ」
 すなわち、ナイフを紹介するとき、単に「便利な道具である」と主張するようなものだ。「武器として用いられてきた歴史もある」という背景や「犯罪に利用されることも多い」という側面までは説明していない。
「 <ジンジャーブレッド・ハウス> というものがある」
 ティガが唐突に言った。
「なんだよ、いきなり。また誤魔化そうとしてんのか」
「そうではない。スリングウェシルとはなにか、というお前の問いに答えるには、まずこれを語る必要があるのだ。知りたいなら黙って聞け、天カス」
「分かったよ。で、その <しょうがパンの家> がなんだってのさ」
「時田さんは、グリム兄弟のヘンゼルとグレーテルという童話をご存知ですか?」
 ふてくされる時田に、ディセットがやさしく問うてくる。彼は返事を待たずに自ら説明をつづけた。
「あの話に出てくるお菓子の家を、英語圏ではGingerbread houseジンジャーブレッド・ハウスというんです」
「ドイツ本国のオリジナル版では <魔女の家> を意味するHexenhausヘキセンハウスと記されている。それにならって、ヨーロッパではそういう名を使う支部も多い。日本ではチョコレイト・ハウスなどと呼称しているらしいが」
「それがなんだっての」
 ティガとディセットを交互に見やりながら時田は返す。
「名前こそ甘ったるいが、こいつの実態は世界最大の人身売買シンジケート――その児童・青少年部門だ。世界各国から子どもをかき集め、ニーズに合わせて精製・教育カスタマイズし、商品として販売しているのだ」
「商品って……」
「ふつうなら愛玩用や安価な労働力としての取引を想像するが、最大手ともなるとそればかりではない。新鮮な臓器の貯蔵庫、さまざまな臨床試験の素体、献体としての価値も見出している」
「僕らスリングウェシルの大きな活動目的のひとつとして、このジンジャーブレット・ハウスの摘発と子どもの解放があげられます」
 ディセットが引き継ぐように言った。
 もはやその色に、ついさっきまでの揺らぎはない。混じりけのない鮮やかなエメラルド色がもどっていた。
「人権擁護系のNGOには似た組織がたくさんあります。一方で、家族全体を生かすために子どものひとりをよそに売り飛ばす――というのは、貧困国ならどこででも見られる日常的な行為なんです。そうして売られた子どもたちは非人道的な環境での生活を余儀なくされている」
「うん。むかしの日本も、国が貧しかったころはそういうことをやってたらしいね」時田は首肯しながら言った。「こっちには <花いちもんめ> って古い歌があるけど、あれはそういう子どもの売買が裏テーマだって説もあるみたいだし」
 この場合、花とは「女の子」を意味する比喩になるのだという。
 子どもを買いに来た行商人――いわゆるブローカーが「あの子が欲しい」と貧しい家庭にもちかける。親は「あの子じゃ分からん」ととぼけて抵抗する。そして、「相談しましょう」は「交渉しましょう」に言い換えられ、「勝ってうれしい、負けて悔しい」は「安値で買えてうれしい、買い叩かれて悔しい」という意味になるという解釈だ。
「いまでは否定されつつある説らしいけどさ、それが信じられたのは時代背景も含め強力な説得力とリアリティがあったからなんだろうね」
「日本ではかつての話ですが、第三世界では現在進行形のことです。スラムで生活する子や路上生活児童ストリートチルドレン、マンホールで寝起きするマンホールチルドレン……そういう子が文字通り五万といるわけですから」
 ディセットが眉根を寄せながらつづける。視線の先に、見えない敵を見出しているかのような表情だった。
「彼らはゴミ漁りをしたり人力車を引いたり、自動車の洗車、花売り、土産物の販売などで生計を立てています。ダイヤや金が採れる南アフリカでは鉱山での過酷な肉体労働を強いられ、インドでは劣悪な環境下で織物をさせられている」
「労働だけではない」ティガが補足した。「紛争地域では突撃銃AK-47片手に戦場へ駆り出される子も少なくない。いわゆる少年兵なる存在だ」
 ユニセフの報告によると、その少年兵の総数は世界で二十五万から三十万人。彼らは補充がきくという理由で最前線に出されることも多いのだという。地雷原を走らされ、探知機代わりにされる例も報告されているらしい。
「つまり、爆発で下半身や生命を失うのと引き換えに、使っている大人たちへ地雷の位置情報と撤去後の安全を提供しているのだ」
「吐き気のしてくるような話だな。子どもは家畜以下か」
「だからこそ、そうした子どもの解放は――ディセットが言ったように――人権擁護系NGOが掲げる非常にメジャーなテーマのひとつとなっているのだ。スリングウェシルはある意味でその一翼を担っているに過ぎん」
 そこまで語り、ティガは唇を邪悪に歪めた。
「もっとも、我々は武力の行使に躊躇のない過激派として、方々から批判を受けるはぐれ者ではあるのだがね」
 その象徴が、先ほどまで振りかざしていた弾丸の出ない銃なのだろう。見れば分かる。ティガがひとに銃口を向けたのは、あれがはじめてではない。慣れていなければ、あんなに迷いなくひとは撃てない。
「つまりスリングウェシルから見れば、俺みたいな平和ボケの登校拒否人間なんて単なる勘違いの甘ったれでしかないわけだ」
「まったくその通りだな」
 ティガは深々とうなずき、それをあっさり認めた。
 これは同時に、彼らが掲げていた当初の題目――時田弘二の社会復帰支援のために日本を訪れたという主張の否定になる。
「スラムの子どもやストリートチルドレンに夢を聞くと、学校に行ってみたいという声が圧倒的な多数を占める。お前を復学リハビリさせるだけの予算で、そういう貧困国の子どもを十人は学校にやれるわけからな。しかも彼らは嬉々として登校し、熱意をもって勉学に励む。真に支援すべきがどちらであるかなぞ、考えるまでもない話だ」
「もっともだね」素直に首肯し、時田は改めて問う。「まあ、おっさんやディセットの所属してる組織がどんなところかは大体分かったよ。でも、だったらなおさら分からない。なんだって、ふたりは俺のところになんかに来たのさ。なんか最近、そういう理屈に合わない話ばっかり聞かされるんだよね。警備会社がなんでか学校の怪談に乗り出したり」
「 <お菓子の家GBH> は、子どもを素体としても活用していると言っただろう。連中は、お前が持っているような共感覚シネステジアをはじめ、サヴァン症候群やADHDなど、代償として超能力にも近い才能を授けることのある疾患や遺伝、神経系、脳科学上の異常について高い関心を寄せている」
「関心って、どういう意味で?」
「優秀な運動選手アスリートや芸術家、学者の生殖細胞を売買する――精子バンクのようなビジネスが存在するだろう。発想はあれと似ている。ADHDなどは、進化の過程で人類の獲得した新種の才能であると唱える学者もいるからな。お前の持っているシネステジアのような能力を標準装備した、高スペックの人類を造り出そうというのだ」
「さらってきた子供たちを使って、天才を生産しようってこと? そんなの無理でしょ」
「なんだ、お前知らんのか」ティガが鼻で笑う。「むかしからシネステジアには遺伝性が認められていた。近年に至っては、ケンブリッジ大の発達心理学者サイモン・バロン=コーエンらによって科学的に証明されている。家系全員が共感覚者だという例も報告されているらしいぞ」
「ふうん、そうなんだ」
「つまり、お前とシネステジア保有者の娘との間に子どもを作らせれば、そいつが共感覚者として生まれてくる可能性はなかなかに高いということだ」
「じゃあ、なに。 <しょうがパン> に捕まれば、俺は色んな女の子と強制的にアレやコレやさせられて、いっぱい子どもを作ることになるってこと?」
 時田は目を閉じてその光景を想像した。
 考えれば考えるほど、特別問題ないような気がしてくる。
「あれ……なんかそれ、逆にすばらしくない?」
「えっ」
 思いもよらぬ反応だったのか、ディセットが目を大きくする。
「良く考えたらハーレムっぽいんですけど。というか、事実上のハーレムだよね。これ」
 所長から聞いた蜂と航空力学のリンクにも驚いたが、まさか共感覚とハーレムのパターンもあるとは思いもよらなかった。
「これはすごいことになってきましたよ。わが共感覚によもやこんな使い道があろうとは。弘ちゃんびっくり」
「なにを言っているのだ、お前は」
「ありがとう、共感覚。ありがとう、シネステジア。僕、生まれてきて良かった! 待ってて女の子たち。僕の愛は無限だよ」
「落ち着け、産廃」
 ティガが懐から例の拳銃もどきを引き抜く。その銃口はぴたりと時田に合わせられていた。
「なにが弘ちゃんびっくりか。貴様の場合、アホまで遺伝する恐れがあることを忘れるな。実験体に選ばれることなど永遠にありえんから安心しろ」
 無理にでも笑顔を引き出そうと探し出した光明だったのである。そこに冷や水をぶっかけられては時田も面白くない。
「じゃあ、なんだよ。あんたらはなにが目的でウチに居座ってるんだよ」
「フン、それが自意識過剰だというのだ。お前は張り込みをするときに、ターゲットの自宅に直接のりこむか? 近くに空き部屋を探し、そこから監視することを考えるだろうが」
「えっ? ちょっと待った。じゃあ……」
「そもそも共感覚者は珍しくない存在だ。色聴や書記素色覚グラフィムカラーといった低次のシネステジア保有者なら、二百人にひとりはいるという統計がある。人間の性格が色つきで見えるという実例報告もかなり多い。お前はこれに属すると考えて良いだろう」
「うそ、共感覚ってそんなに多かったの?」
「数が多くて希少性に乏しい上、細かなメカニズムはともかく現象そのものは神経の未分化と混線でほぼ完全に説明がついている。だいたいの答えと解き方は分かっているが、細かい式がまだ成り立っていない――シネステジアはそういう問題なのだ。素人やマスコミは面白がって取り上げるが、脳が見せる神秘としては凡庸な部類で超レアケースを除いてはもはや退屈な素材ですらある。メカニズムについて満足な仮説すら立っていない奇病が山とある以上、そちらを研究した方がよほど刺激的で実益もあるという見方もできるだろう」
「酷い言われようだなあ」時田は苦笑交じりに指摘する。「俺はともかく、全国の共感覚ユーザーが聞いたら傷つくぞ」
「その共感覚者だとて、ほぼ百パーセントが自称だろう。アリストテレスや異種感覚間連合クロスモダルアソシエイションらとの定義差を理解し、科学的な実験を経て共感覚保有を宣言している人間がどれだけいるやら」
「まあ実験なら俺も結構やったけど、あれも同級生の女の子につき合わされたやつだったからなあ」
 そのわりに良く整理された実験のようだったが――と胸のうちでつけ加えつつ、時田は当時を思い返す。
 彼女は時田の共感覚について様々な分析を行ってくれた。そのなかには、一般的な共感覚の定義からは外れた部分も多い、という指摘もあった。したがって、時田に共感覚という概念への強いこだわりはない。自分の個性につけられそうな名前が存在する。その程度の認識で覚えていたに過ぎなかった。
「それにしても、二百人にひとりとはねえ」時田はなんとなく小さな吐息をもらした。「どうせ数万人にひとりとかいう別統計とかもあるんだろうけど、それにしても、なんだかガッカリだな」
「試しに共感覚でネット検索をかけてみるんだな。この国だけで、共感覚持ちを自認する連中のウェブログが大量に見つかるだろう」
 言いながら、ティガはうんざりしたような表情で肩をすくめる。
「霊感や超能力の有無と同様、勘違いや誇大妄想、思い込みの類も呆れるほど多いがね。大衆は常に自分が特別な存在であると信じ込むための材料を欲するものだ」
「専門家に認められた本物は、自分の共感覚を特に意識しない傾向にあるんですけどね」
 ディセットが困ったような笑みで言葉を添えた。
「だいたいだな」ティガが言った。「我々はお前が共感覚者だということを把握してなどいなかったのだ。流れのなかで偶然知ったに過ぎん」
「だったら、あんたらの本命って誰なのよ。さっきの言葉からすると、この団地かその近所のひとっぽいけど」
「この場合、近いとは物理空間的な距離のことを言っているのではない。人間関係の距離だ」
「だから、それが誰かって訊いて――」
 言いかけて、いきなり思い出した。
 夕べ、通り魔の口から聞かされた言葉である。
 そこには時田弘二以外にもうひとつ含まれていた人名があった。文脈からいうと、むしろ話の主格として扱われるべき人物だ。
 よくよく考えれば、あの男も時田に直接的な用があったわけではない。ただ、その人物へのメッセンジャーとして使えると判断して寄ってきただけなのだ。その構図は、ティガがたちスリングウェシルの接近パターンと重なる部分がある。
「ようやく気づいたか」
 時田の表情から読み取ったのだろう。ティガがため息交じりに憎まれ口を叩く。
「さんざんヒントは与えていたのだ。話の流れからこれくらいもっと早く気づかんか、産廃」
「おいおい、うそだろ……」
「愚か者め。お前のシネステジアは確かに変り種ではあるが、それだけでスリングウェシルやGBHに注目してもらえると思うな。貴様はしょせんは天カス。より希少かつ、絶大な影響力を世に持つ異能は他にも数多存在するのだ。その主もな」
 確かに共感覚は大した特殊能力とは言えない。唯一、音に色がついて見える「色聴」タイプは、特性的に絶対音感をセットで持っているケースが多いと聞く。それを活かして、音楽方面で活躍できる可能性はあるだろう。その程度のものだ。
 他方、ときおり各メディアで紹介されるサヴァン症候群などは、その点において共感覚の数段上をいく存在だといえるだろう。知的障害や自閉症を患いながらも、驚異的な記憶力や速算力、天才的な芸術センスなどを伴うためだ。彼らの能力は、ほとんど超能力の域に近い。
 だから <キング・オブ・サヴァン> と称えられるサヴァン症候群の患者は、ダスティン・ホフマン演じる映画「レインマン」の主人公のモデルになり得た。
 ――問題は、話題となっている「彼女」がそうした奇病の患者ではないことだ。少なくとも時田はそんな話を聞いたことがない。
 一方で彼女は、スーツの内ポケットから苦もなく巨大な刃物を取り出し、微笑みながら人間を解体しようとした男をして「脅威」と認識されるほどの人物である。
 そして、時田が知る限りこの世でただひとり、黄昏色と鮮やかな真紅とを合わせてまとう女性なのだった。
 彼女が見せる炎の感覚クオリアは、記憶の中でさえいつも鮮やかに揺らめきおどる。
「所長か」口にしながら、時田は乾いた唇を舌で湿らせた。「あんたらの目的は北条玲子なのか?」
「そうだ」
 時田の声に、ティガは深くうなずく。
「私とディセットの主な仕事は <ピュセル> と目される北条玲子らの観察――場合によっては保護管理――にある。その足がかりとして我々はお前に接触したのだ、時田弘二」


to be continued...
つづく