救ってくれるのはメロディ
乙女の囁きと――
盟友たちの熱歌




CHAPTER XXXVII
「全てを知る者」
SESSION・146 『葛城上級特佐』
SESSION・147 『Doppelgangerにくちづけを』
SESSION・148 『天使の階級』
SESSION・149 『ダッシュ&ヴァルキリー』
SESSION・150 『全てを知る者』



SESSION・146
『葛城上級特佐』


 夕闇迫る茜色の空。
 ヨーロッパ大陸を横断する勢いで、迷彩色に塗装された軍用ジェットヘリが、滑るように天駆ける。その尾翼には、控えめに特務機関NERVのロゴが刻み込まれていた。
 同機関フランス支部所有の、最も速い輸送用ヘリであった。
「こうなってみると、僕にも色々と貴重な使い道があると思いませんか」
 その機体内部、高速で回転するローターの発する爆音で本来なら多少聞きづらいはずの肉声も、何故か彼のものとなるとハッキリと届く。
 特に声量を上げたというわけでもないのに何故だろうか、と葛城ミサト特佐は内心首を傾げた。
「使い道、と言うと?」
「レーダーですよ、特佐。エンディミオンは完全なステルスです。でも、僕なら彼らが発する微かな天使の波動を感知できる」
 本部司令室特別顧問という奇妙奇天烈な役職で紹介された――渚カヲルは即答する。
 その口元には、やはり普段と変わらぬ微笑が浮かんでいた。いわゆるアルカイック・スマイルというやつだ。

「なるほど。確かに、貴方は貴重な人材です」
 葛城特佐は素直に認めた。
「先の偵察任務で、あれを直に見ました。あのエンディミオンを叩くには、我々が有する既存の概念を根底から見なおす必要があると考えています。常識を捨て、先入観を排除し、自由な発想を以って対応しなければ、あれは倒せないでしょう」
 後の戦いのためより多くのデータを集めるためにエンディミオンに挑み、そして散っていった戦友たちの姿を脳裏に浮かべながら、ほとんど自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「貴方の経歴を拝見しましたよ、葛城特佐。NERVに入る以前の、各軍における外国人部隊での分もね。確かに輝かしい実績はない。それ故、並の人間になら貴方はそれなりにしか評価できない」
 彼はそこで一旦言葉を切ると、特佐と真っ直ぐに視線を合わせながら続けた。
「だが、たとえその行動によって汚名を着せられることになっても、全体として利となるのなら、あえて上層部の評価や名誉には拘らない。見る人間が見れば、貴方の作戦時における判断は非常に高く評価できる」
 ニコリと魅力的に微笑んで、カヲルは続けた。
「名より実を取る。これは並の人間にできることではない。だが、あなたにはそれができる。これからの戦争で必要なのは、そんな貴方のような人材なのでしょう」

 ――そう。エンディミオンや魔皇、そして人類監視機構。
 人外の存在との戦いに対応していくには、どうしても既存の概念や思考、慣習、常識といったものに拘らない人間が必要となってくる。
 国連軍もNERVも、物理攻撃完全無効化をはじめ既存の相手とは違いすぎる特徴をもつ彼らの存在に、それを認めざるを得ない状況に追い込まれていた。
「この任務が終われば貴女は本部の作戦部長として迎え入れられる。米軍もNATO軍も、そして国連軍も貴方を正しく評価できなかった。だがNERVは貴方を正しく、そして高く評価している。これはその証明なのでしょう。そしてこの僕も特佐の活躍に期待しているんです」
 渚カヲルの言葉通り、葛城特佐はこの度めでたく上級特佐に昇進。日本は第三新東京市のNERV総本部、作戦部長として迎え入れられることとなっていた。
 これはNERV本部において、総帥、副司令に次ぐ第三位の地位である。

 ドイツ、フランス、イギリスなどを中心とする欧州で建造中のG.O.D.量産型――開発コード <ダッシュ> シリーズ。そしてアメリカ合衆国とアジアで建造中の、同じくG.O.D.量産型 <ヴァルキリー> シリーズ。
 急ピッチで進められるこれらの実戦配備に向けて、組織は今、戦術指揮官を必要としている。
 それに伴って今回、特性からか評価を受けることができず、アメリカ海軍、NATO軍、国連軍外国人部隊と渡り歩き、結局NERVドイツ支部勤務の一般職員として埋もれかけようとしていた自分に、白羽の矢が立てられたということなのだろう。それが特佐の自己評価と現状認識であった。
 またNERV上層部は、各国のNERV支部に勤務する一般職員、そして各国の軍、諜報部などから使えそうな人材をスカウトし、大量に前線に回すという計画を立案、実行段階に入っている。
 そのプロジェクトメンバーの相談役として書類選考や審査に参加し、葛城ミサトを本部に新設される作戦部のトップに、と推挙したのは、他ならぬ目の前の渚カヲル本人であると聞く。

 それだけではない。
 彼は他にも、量産されていくG.O.D.に対応できるパイロットを探すために新設されたマルドゥック機関の指揮者、NERV本部司令室特別顧問などの重要な役職に就き、数々の重要プロジェクトに参加しているらしい。使徒の特殊能力は使えなくとも、それ以外部分において彼は紛れもなく自由天使タブリスである。
 彼のなにものにも捕らわれない、まさに自由天使ならではの柔軟な発想と、そして工作員・情報員としての能力。使い様はいくらでもあった。

「しかし、大丈夫なのでしょうか?」
 ふと、つぶやくように葛城特佐は言った。
「葛城特佐。上級特佐となり作戦部長へと昇進した暁には、NERVでの地位は確実に貴方のほうが上になります。客観年齢も貴方のほうが上ですし。ボクにそんな堅苦しい言葉遣いは無用に願います」
 極めて友好的な笑みを浮かべながら、渚カヲルは楽しそうに言った。
「はぁ、実はちょっちやりにくいなあ、とは思ってたんですよ。ナハハ」
 頬を掻きながら、曖昧な笑顔を浮かべる。
 頭が軟らかすぎるだの、先進的過ぎるとは言われることの多い人間ではあるが、それでも十代そこそこにしか見えない少年を超法規的組織の特別顧問として見ることは、さすがに優しくない。戸惑いがなかったといえば嘘になる。
 だから正直な話、彼からその点に触れ、立場を明確にしてくれたのはありがたかった。
「いやあ、カヲるんも人が悪いわねえ。そういうことは、先に言ってくれないと!」
 胸のつかえが取れた気がして、気分は爽快だった。そもそも高速で飛ぶジェットヘリのスピード感とまさに飛んで流れていく景色は素晴らしいものなのだ。心躍らない方がおかしい。
「カヲるん?」
 少し背を強く叩きすぎたか、渚少年は身体を揺らしながら目を白黒させる。
「ああ、なんか、軍人モードって肌に合わないって言うのかしら。こう、疲れちゃうのよね。肩が凝っちゃうわ。長時間やってると」
「貴方、多重人格者なんですか?」
「ん〜。まあ少なかれ、人間って言う生き物は人格を多数、己の中に住まわせてるものよ。渚カヲル君」
 年下の男の子に諭すような口調で言った。実際、相手は年下の少年なのだから何ら問題ない。
「幾つもの仮面を使い分け、演じなければいけない役割を演じる。時に、女はそれを上手く使いこなすわ。演じたい役割と、演じられる役割は必ずしも一致しないものだから」

「特佐。貴方はボクが思っていたより奥の深い人物だったようだ。ある意味。書類上で評価できないのは、貴方の非凡な才能以上に――」
「性格以上に?」
「いえ、それで何が心配なんです?」
 雰囲気を変え、場を仕切り直すように彼が言った。
 思わず話を見失い、素っ頓狂な声を出して小首を捻る。
「心配?」
「さきほど、大丈夫なのか? というようなことをおっしゃっていたでしょう。なにか心配事があるのではないのですか」
「――ああ。そのことね」
 それで思い出した。ひとつうなずき、表示をを引き締めながら改めて口を開いた。
「アメリカのネヴァダ第二支部消滅。あの報告を聞いてまっさき思ったのはNERV本部のこと。三機のエンディミオンは既にガルムによって退けられたけど、これで明らかになったことがあるでしょう。魔皇サタナエル――NERV以外の連中にすればテトラグラマトンだっけね――は、NERVという組織を不穏分子と捉えていること」
 渚カヲルが無言で先をうながす。
「だけど、NERV本部を魔皇ヘルのインペリアルガードが守護している以上、サタナエルはこれ以上直接的には本部に手を出せない。何故ならガルムを敵に回すと、そのマスターである魔皇ヘルをも敵に回す、という図式が成り立つから。違うかしら?」
 その問いに、黙って話に耳を傾けていたカヲルは素直に答えた。
「その通りだと思います。少なくとも、サタナエルはそう考えているでしょう。それ故、今後NERV本部にエンディミオン、または彼の側近であるビ'エモスやリヴァイアサンが襲来する恐れはないと思われます」

「そう。問題はそこね」
 爆音を放ちながら回転するローターに負けないよう、彼と若干顔を近づけ合った。
 乗っているのは、NERVフランス支部所有のヘリだ。つまり、部外に漏れては困るような内容を含む話もできる。
「私も、上級特佐昇進と作戦部長就任の話が来てから極秘事項にあたる情報を貰ったわ。だから、あまり詳しく魔皇や監視機構のことを知っているわけではない。でも状況から見て、サタナエルがどうしてもNERVを諦めたとは思えないのよ。直接的な手出しができないとなった時、私がサタナエルの立場にあるなら、やりかたを間接的なものに切りかえるわ。この場合、それに一番良い方法は、ズバリ、エンクィスト財団とNERVを切り離すこと。
 豊富な財源でNERVをバックアップしてきた財団。これから流れ込む金銭、物理的、人的資源を絶てば、NERVは孤立して窮地に追いやられる。新型兵器G.O.D.の開発と運用にはかなりのお金がかかるでしょうからね」
「実は――これはまだ、僕以外には理事長と総帥、副司令、それに赤木博士の四人しか知らない事実なんですが――」
「なに?」
 幾分声のトーンを落とした彼に詰め寄る。だが言わんとされていることには、既にある程度の見当がついてた。
「ブレーメンにある財団の迎賓館で、今日の午前、財団最高幹部会が開かれていたんです。未確認ですが、その場にリヴァイアサンと思われる女が現われたという情報があります。本部の情報員が掴んだんですが、財団側の隠蔽工作もあって詳細はまだ分かっていません。ですが、僕も総帥もこれで確信を得ました」
「切り捨てられたのね、NERVは」
 それはもはや質問ではなく、確認であったと言える。
「まず、間違いないでしょう。リヴァイアサンがどんな交渉を持ちかけたかは不明ですが、内側を情報員に探られるのを頑なに拒んだ事実から、財団側はこれに乗ったと思われます」
「動きが早い。財団を既に丸めこんだって事は、エンディミオンが本部を襲うのと同時期、いえ、それ以前からもう行動を起こしていたってことでしょ? つまり、魔皇サタナエルは本部に行かせたエンディミオンが撃破されることも、ガルムが本部を守るためにそこに残ることも予め予測して行動していたということになるわ」
 喋りながら、自然と眉間にしわが寄っていくのを感じる。
「凄い――」
 まるで詰め将棋だ。こちらの対処を数十手先まで読み、王手まで最も最適化された行動をとる。
 しかも思考速度が滅茶苦茶に速い。
 こっちが相手の手に気がついた時には、すでに計画は遂行され、そして完遂されている。
 仮に先読みできたとしても、回避の仕様がない――例えば王手飛車取りのような策で押しきられる。敗北が約束された詰め将棋。まさにそれだ。

「エンディミオンという現在の軍事力では対処のしようのない兵器。戦略レヴェルで致命的な損害を――それもたった一瞬で与えることができるインペリアルガード二騎。そして智将とも呼ぶべき、サタナエルの頭脳。私たちはとんでもないバケモノを相手にしてるってわけね」
 この瞬間、相手にしなければならない存在の力を正確に認識した。
「だが、安心していて構いませんよ、特佐。財団から切り捨てられるのは想定にあったことです。それこそ、NERV設立当初からね」
 ニッコリと爽やかな笑みを浮かべてカヲルは言った。
「シンジ君――魔皇ヘルの助言もありました。こうなった時のため、総帥と副総帥はすでに資金調達のためのルートを財団に悟られないように確保してきました。確かに財団の豊富な財源、それから強力な政治的バックアップを失ったのは辛い。しかし致命的というわけではありません」
 これには素直に驚かされる。
「予測していた……財団にきられることを?」
「常に最悪のケースを想定して行動してきただけですよ」彼は軽く肩を竦め、事も無げに言う。 「NERV設立当初から総帥が貫徹してきた方針らしいですね。それに我々使徒の間にある伝説おいて、魔皇ヘルの予測能力はサタナエルのそれに勝ると言われています。監視機構のエンシェント・エンジェルにも比肩し得る」
 極最近、NERVの中枢に足を踏み入れることになった身だ。自由天使タブリスがそうというなら反論すべき材料見出せない。ただ、黙って彼の話に注意を向けているしかなかった。
「それに、まもなく対サタナエルと言う意味においては、戦況は一転しますよ。もうすぐ、そのジョーカー的切り札が届くんです。僕らの向かおうとしている場所にね」

「あ、それそれ!」
 不敵に笑って見せる彼に、当初から抱いていた疑問を思い出す。
「このヘリは一体どこに向かって飛んでるの? それから目的は」
 今回、いきなり上から降りてきた辞令を要約すれば、渚カヲルに随伴しその指示にしたがって任務を遂行した後、第三新東京市に向かい作戦部長として勤務せよ、とのことだった。
 恐らく作戦部長の椅子に座るに当たって、必要な任務であるとは考えていたが、それが何なのかは良く分からない。
「すみませんね、この任務は僕が無理言って貴方に課してもらったんですよ。それで行く先ですが。ヘリは今ルーアンに向かってます」
「ルーアン?  この国のノルマンディにある都市でしょ。そんな所に何の――」
 そこで、気が付いた。
「まさか、エンディミオン」
 それは、降下してきた時に自ら確認した三機だった。
 彼らは北海に落下し、そしてまずは北上。
 グレートブリテンに存在する各国の主要軍事施設を破壊して回っていたと聞く。
 もしグレートブリテンが片付いたとしたら、当然予測され得る進路はドーヴァー海峡を渡って南下。フランスはノルマンディからの、ユーラシア大陸上陸である。

「そうです。北海に降下したエンディミオン三機は、イギリスの主な軍事施設をほぼ壊滅させました。大都市に集中した行政機関の本部もやられています。これで、U.K.各国の政治・経済・軍はかなりの間麻痺状態に置かれるでしょう」
「NATOと国連軍は……やっぱり、ダメだったのね」
 その小声は、ヘリのローターが発する回転音に掻き消された。
 予測していたとは言え、あまりの事態だ。ショックが大きい。
「ですが、エンディミオン三機の進攻はノルマンディでストップです。そこで彼らは舞台を降りるわけです。我々は――貴方は、それを目撃しに行くわけですよ」
「どういうこと?」
 まさか欧州で開発の進んでいた量産型G.O.D.『ダッシュ・シリーズ』が既に実戦配備にまで漕ぎ着けたとは思えない。
 魔皇ヘルとやらが直接動く以外、エンディミオンの侵攻を食い止める術を思いつけなかった。
「正確に二七分三一秒後」
 カヲルは腕時計を確認しながら言った。
「次元の向こう側から、ジョーカーが降ってくるんですよ。その切り札の影響力は極大です。なにしろ彼女は、既にマスター・ヘルと同様、覚醒に充分な純度を持つコアを手に入れ、その能力をフルに開放することを可能としている魔皇なのですから」



SESSION・147
『Doppelgangerにくちづけを』


 周知の通り、ドイツ連邦共和国はフランス共和国にとって東に位置する隣国である。
 当然、両国の繋がりは中世の昔より深く長く続いてきた。
 新世紀においても、EU(欧州連合)という枠組みの中で、両国間では『関税同盟』『市場統合』『通貨統合』『政治統合』が確約・保証されているわけであり、その関係はなお深まりつつあると言える。
 とりわけ、『市場統合』の分野においては、人、モノ、カネ、資本、サービスの移動の自由が謳われている訳であり、これらが国境を跨いでドイツからフランスへ、フランスからドイツへと移動するのは容易い環境ができあがっている。
 それ故、麻薬などの違法な物品や犯罪者の国境を超えた移動が問題視されたこともあるくらいで、そういった面からでも、両国を隔てる国境線が非常に開放的なものであることが分かる。
 だから、フランスに訪れた惣流アスカがドイツへと単身渡るのもそう苦労は無かった。

 ドイツ連邦共和国は、惣流アスカの故郷である。
 ドイツ人の父と、日本人の母を持つ彼女は、この国の『フランクフルト』という都市で生まれたのだ。
 二〇歳になったとき、どちらの国籍を本籍とするか選択することになっているが、現在アスカは一七歳。つまりまだ、彼女は日本とドイツの両方の国籍を持っているわけだ。

 両親の離婚の際、アスカは母親に引き取られ日本に渡ったわけであるが、幼少はずっとこのドイツで過ごしていた。今でもこの国を『故郷』とする考え方は、だから変わっていない。
 つまりこれは一〇年ぶりの、帰郷。アスカには父なるラインがたまらなく懐かしかった。

 これからアスカは、このライン川を下り(地理的には北上)ローレライを超えてシュトロハイムに向かう手はずになっていた。そこで、ある人物たちが彼女の到着を待っている。
 アスカはどうしても彼らに会わねばならなかった。そして、彼らを巻き込まねばならなかった。
 これから成そうとする大事には、彼らの助力が必要不可欠なのだ。シュトロハイム家の力が。

 それは本来一七歳の少女が抱くような野望ではなかったのかもしれない。
 だが、未来を紡ぐのが、その時代を生きる子供たちであるべきだと言うのなら、それはある意味正しい行動なのだろう。
 これからはじまる戦争の中で、アスカは自分なりに生きてみようと決意を固めたのだから。

 戦争にただ巻き込まれるのは嫌ならば、更に上を行き……その戦争を利用してみせればいい。
 人間を極限まで追い詰めていく『戦場』というフィールドの中で、あくまで己を強く生き抜くことができたのならば、それはなによりの自己主張とはなるまいか。
 流転する時代の中で、急速にその姿を変えていく碇シンジに刺激を受けた彼女は、自分の可能性を試してみたくなった。
 口先だけではなく、その行き様を以って『惣流アスカ』を証明する。
 世界にそれを発信する良い機会と捉えるべきなのだ、この戦争は。

 ラグナロクに炎立つ。
 北欧神話のクライマックスが最終戦争ラグナロクにあり、そしてその戦争が戒めと浄化の炎で終わるのならば――自分がその役割を演じてみたい。
 ラグナロクを生き延びた炎の巨人族の長『スルト』が、その帯剣レーヴァテインを以って放った再生の炎。
 伝説によれば、神々の黄昏の終わりに、炎の中からやがて世界は蘇る。
 滅びの後に、新しい未来がそこから生まれてくるのだ。

 この壮絶なまでにラストを飾る美しい炎となるには……やはり力がいる。
 スルトの役割を演じ、レーヴァテインを扱いこなすだけの強大な力だ。
 だが、己の力がまだそこまでに至らないことを、アスカは自覚していた。

 自分ひとりではダメだ。
 全てを自分一人で動かそうとしてきた今までの自分では、きっと、このラグナロクの中を生き抜く中でやがて限界を迎えることになる。
 そうならないためには、時に協力者を求め、その力を上手く利用していかなくてはならない。

 ――おそらくこれは、シンジを通して『アランソン侯ジャン』と云う名の男に学んだことだ。
 己を支えてくれる『同志』の存在があるという事実は、間違いなくその人物を強くする。
 そしてそれもまたひとつ、人間としての力なのだ。しかも、なにより強力な。

 ヘルの仲介によって映し出された、シンジの前世の記憶。
 その中で見せつけられたアランソン侯一世、そしてその息子と近衛騎士団たちの生き様は、アスカにそれを強烈に訴えかけてきた。
 震えるような衝撃だった。この現代では消えかけている、あんな人間関係――
 あんな力が、人間にあるものなのか。

 言葉にすれば照れくさいが、それは『絆』と呼ぶべきものなのだろう。
 そして信念を共有する一団。確かに、これほど強いものない。
 アスカは気付かせてもらった。
 子供じみた意地だけでは、なにも変えられない。安いプライドを捨てれば、大局が見えてくるはず。
 彼女は決起を前にして、非常に良い精神状態にあった。
 熱すぎて周囲が見えない程ではないが、かといって冷めすぎてもいない。
 程よい緊張と興奮。
 もしかしたら、人生最大の挑戦になるかもしれない大いなる夢を抱きながら――
 惣流・アスカ・ラングレーは第2の故郷、ドイツの土を踏みしめていた。

「……この辺りでいいと思うんだけど」
 ほとんど徐行というまでに速度を抑えながら、若い女運転手は言った。
 彼女は落ちつきなく車窓に流れる白く高い城壁を見やり、そしてチラチラとアスカにも視線を向けてくる。明らかに、乗客に判断を求めている態度だ。
「この城壁、高くて内側が見えないけど……この向こう側が、シュトロハイム城なんでしょう?」
 アスカは正確な発音のドイツ語で、問いかけた。
 タクシーの運転席と、後部座席の間には防犯用の防刃・防弾ガラスが嵌め込まれているが、当然ながら声は届く。それを証明するように、運転手は少し長めの前髪を揺らしながら頷いた。
「ええ。ただ、お城の城門前に行け……なんて依頼ははじめてだから。ちょっと緊張してしまって」
 おどおどとした彼女の顔に、アスカはクスリと笑った。
「なにも貴方が緊張する必要はないんじゃないんですか? シュトロハイム城に用があるのは、私なんだから」
 アスカにすれば尤もな理屈であったが、運転手は『分かってない』というような表情で首を左右する。
「シュトロハイム城の警備は、それはもう凄いのよ。不用意に近づいただけで、厳しくマークされるわ。地元の人間なら誰でも知ってる。……『シュトロハイム城には、無用に近づくな』」
「へぇ」感心したように相槌を打ちながらも、意外性はそうなかった。
 何故なら、実はそれらしい評判と情報を既に聞いていたからだ。
 だがそれでも、これだけ怯えた表情と共にリアリティたっぷりな声音でそれを告げられれば、思わず声もでる。
「楽しそう!」
 嬉しそうに言うアスカに、運転手はまたしても『分かっていない』という呆れ半分の表情で、力なく首を左右した。

 しばらく、沈黙が続く。
 後ろからでも、運転手のハンドルを持つ手に、緊張で無意味な力が込められていることが分かる。
 それを見て、アスカはまた小さく笑った。
 若いせいもあって、なんとも可愛らしく思える運転手だ。
 もちろん、アスカより少なくとも五歳は年上なのであろうが。
 次に訪れた状況の変化は、タクシーの停車という形でやってきた。
 キッという軽い音を立てて、車は穏やかに停車する。運転手はご丁寧にエンジンを止めさえした。あきらかに、もうこれ以上は運転できませんという意志がありありだ。
「えっと」少し言い難そうに、彼女は後部座席に腰掛ける若い乗客を振り返る。「お客さん、着きました」
「どこに?」アスカは、ちょっと小悪魔的に意地悪く訊いた。
「え〜と、あ〜と、とりあえず、シュトロハイム家の城門の少し手前です。はい」
 案の定、彼女はちょっと困ったような表情で、言い難そうに告げる。
 その「ホントに困った」と半分泣きそうな顔が、アスカの目には可愛らしく見えた。
 多分彼女は、この魅力で自分でも気付かない内に、様々な状況を切りぬけてきたのだろう。憎めない人である。
 そう言えばこの運転手、NERV本部にいた――伊吹マヤという名だっただろうか、あの若い女性職員に少しイメージが被るところがあるな、とアスカはボンヤリ思った。
「あのう……」
 黙り込んでしまったアスカに、何か勘違いしたらしい運転手は本当に半泣きになりながら、恐々と声を掛ける。本当にこれで客商売をやってきたのだろうかと、不安になるやら呆れるやらで複雑だったが、彼女を号泣させてしまわないようにアスカは急いで返事をした。
「あ、ごめんなさい。まあ、確かにちょっと先に城門が見えてるから、ここで良しとするわ」
 その言葉に、運転手はあからさまにホッと安堵の表情を作った。
 また苦笑を禁じ得ないアスカ。この若い運転手を見ていると、何故か退屈せずに済む。
 ここで彼女と別れなければならないのが、少し残念なくらいだ。
「それで、御幾らかしら?」
 アスカは、懐から財布を取り出しながら言った。誕生日に母親から貰った、どことかのブランドものだったような気がする。
 だがアスカ自身は、ブランドにはあまり価値を抱いていない。
 自分ならたとえボロ着でも、それなりのものに引きたてて見せる……という自信があったからだ。

「あ、はい。DM39.80です。あ、ユーロの表示はメーターを参考にしてください」
「いいわ。ドイツマルクの方で慣れてるから」
 欧州統一通貨ユーロが、ドイツでも一般的に通用するようになって既に久しい。ユーロ紙幣やコインが正式に出まわったのは二〇〇二年。もう一六年も前の事だ。
 ユーロ発効当時は、EU本部のあるベルギーの都市部ならまだしも、ドイツの片田舎では買い物の時に新通貨を見せると、一瞬首を傾げられることも少なくなかった。もっとも今はカード全盛、キャッシュは余程特別な機会がないと用いることがない社会であるが。
 ――ピッ
 運転席と助手席に挟まれるような格好で取り付けられてあるスロットにキャッシュカードを滑らせると、軽い電子音とともに支払いは完了する。
「凄い。お嬢様っぽいとは思ってたんだけど……本物のお嬢様なんだ」
 運転手は、アスカがスロットを潜らせたプラチナ・カードを見ると目を丸くして叫んだ。
 結構ミーハーなところがあるらしい彼女だが、今回ばかりは感嘆の声を上げるのも無理は無かったのかもしれない。
 なにしろプラチナは、富豪たちが持つことで有名なゴールドカードの更にワンランク上にある、事実上「支払い限度額=無限大」を保証する幻のカードだ。
 このカードは離婚の際、ルドルフ・ラングレーが妻であったキョウコと娘アスカに渡したものらしい。バックはシュトロハイム家。確かに支払いはほぼ無限に保証されるわけだ。
 いわゆる慰謝料がわりなのだろうが、アスカに渡されたものとしては些かものが大きすぎると言えないこともない。

「もしかして、お客さん、本当にシュトロハイム家の関係者なんですか」
 野次馬根性まるだしで、運転手は目を輝かせて問いかけてくる。
 ほとんどパパラッチだ。アスカはちょっと怯んだ。この女性は安全だと判断して、堂々とカードを使った――勿論、街中ではトラベラーズチェックを使ってきた――わけだが、彼女も別の意味で油断のならない人だったらしい。
 アスカは今更ながら、自分の判断ミスを悔いた。
「当たらずとも遠からずね。でもお願い。噂にはしないで欲しいの。でないと私、とても困るから」
 アスカは向かないことを知りつつも、精一杯困った表情を作りながら頼み込んだ。
 だが、この運転手が真面目で誠実な人間であることは傍目にも明らかだ。予想通り、彼女はキッと顔を引き締めると
「はい。わたし、お客様について知りえた情報は職業人として他言は致しません。くち、チャックですから。はい。本当です」
 ドイツ式敬礼でも飛び出しそうな口調で宣言する。
「本当? 約束だからね」
 後部座席から降り、運転席側に回り込んで彼女と目を合わせながらアスカは念を押す。
 そうまですることもなく、彼女は決してこのことは口外しないように思えたが、保険のようなものだ。
「はい。プロの誇りと女の意地にかけて」
 本当にドイツ式の敬礼を決めながら彼女は去っていった。
 エレカ(電動自動車)特有の些か迫力に欠けた駆動音と共に遠ざかって行くその影を見送りながら、アスカはまたクスクスと笑っていた。
「ああ、変な人だった」
 今回の旅で、アスカは色々な人とであった。
 ライン川を船で下っているときには、品のある老紳士に。そしてタクシーに乗れば、御茶目な若い女運転手に。なかなかに、幸先の良い出発ではあったと言えよう。

「さっ、いこ」
 シュトロハイム城へと続く城門は、目と鼻の距離だ。ゆっくりと行っても、一分とかかるまい。
 ここまで送っておいて、怯えて車を止めてしまうとは……やはりあの運転手は面白い。
 アスカは、微笑を絶やさないまま上機嫌で歩きはじめた。
 鼻歌まじりに、辺りを散策するような感じで周囲を見まわしてみると、すぐ左手に、川幅一〇メートル前後の小川が流れていることに気がついた。
 少なくとも通っている高校にあるプールよりかは深そうだったが、水は驚くほど澄んでいる。
 時折、小魚が気持ち良さそうに泳いで行くのがハッキリと見えるくらいだ。
 侵入者よけの為に、城の周囲を取り囲むように続いている一種の『堀』であることは間違いない。

 当然の事ながら、辿りついた城門もその掘の向こう側にあった。
 城の主に門を潜ることを許された者のみが、上げ橋を降ろしてもらい、川の上に掛けられたその橋を渡ることで初めて敷地内に入ることができるわけだ。
「本当だ……警備員もかなりウロウロしてるし。確かに、噂に聞く通り警備は厳しいみたいね」
 ――その言葉が終わるか終わらないか、絶妙のタイミングであった。
 アスカの目の前で、かなりの歴史を感じさせる大きな木製の上げ橋が、軋みを上げながらゆっくりと降りてくる。
 そして開かれた視界の向こう、城門の入り口に、黒のスーツを一部の隙もなく着こなした老紳士が白髪を垂れて優雅に一礼している姿が飛び込んできた。
 腹の底に響き渡るような重低音と共に、川の上に掛けられ安定した橋をゆっくりと渡ると、アスカは間近に老紳士と向かい合う。
 頭を上げた彼の顔に、アスカは見覚えがあった。
「エーベルハルト! 昔、二度だけあったわ。私に美味しい紅茶をいれてくれた、エーベルハルトよね」
 そのアスカの言葉に、老紳士は、手入れの行き届いた白いヒゲの顔を柔らかに綻ばせた。
「御久しぶりでございます、アスカお嬢様。私をまさかお覚え下さっていたとは。身に余る光栄です」
「忘れるわけないわ。もう一〇年以上経つけど、あんな魔法みたいに美味しい紅茶、あれから誰一人としてご馳走してくれる人、いなかったもの」
 やはり、エーベルハルトはシュトロハイム家の執事だったのだ。
 昔、セフィロスたちと共に紹介されたときは、子供心にエーベルハルトのお爺ちゃんくらいに思っていたのだが、最近になって思い返してみると、やはりそう考えるしかなかった。
「懐かしいわね。もう一〇年以上になるものね。貴方と会ってから」
「はい。まだお嬢様が四歳の時でありました。セフィロス様やジャスティス様はともかく、私とは二度しかお目にかからなかったはず。まさか覚えておいでとは、本当に驚きました。
 アスカお嬢様は、幼い時より利発なお方で……不思議はないのですが」

 なにやら遠い目で語りだすエーベルハルト。
 彼は骨格のガッシリとした老人で、もう七〇代のはずだが、その肉体は二〇歳は若く見えるほどにエネルギッシュだった。
 背筋も、姿勢制御用のフレームかギブスでも入れているかのようにピンと真っ直ぐに整っている。

 ……それもそうだろう。
 老執事とはいえ、天下のシュトロハイム家に長年仕える者だ。
 若い頃は恐らく、シュトロハイム家配下のシークレット・サービスの一員として、各国王室やVIPの警護の任についていたに違いない。
 だから肉体の鍛錬も、常人とは比較にならないはずだ。

 運動能力、戦闘能力という意味合いでは、恐らく並の二〇代三〇代の男性では、束になっても敵うまい。
 根拠は薄いが、アスカはこの老人がとてつもない手練であるような気がしてならなかった。
 穏やかに笑みの裏側に、付け入る隙のない凄みのようなものを感じるのだ。
「さあ、セフィロス様たちがお待ちです。お嬢様。どうぞ、城内へお入りください」
 エーベルハルトの言葉に、アスカは頷いた。



SESSION・148
『天使の階級』


 特務機関NERV技術部主任・赤木リツコ博士は、手にしていたレンチをデスクに置くと、ゆっくりと作業用の手袋を外し、妖艶とさえ表現できそうなその赤い唇を微かに綻ばせた。
 そして、温くなりかけたコーヒーで一息入れると、首を捻って背後の部下に呼びかける。
「――マヤ」
 赤木博士のその表情は、あまり感情を表に現さない彼女にありながら、どこか嬉しげにも見えた。
 それは、滅多に見られない科学者・赤木リツコとしての微笑であったわけだから、人によっては恐らく非常に貴重なものだったのだろう。
「できたわよ」
「えっ、もうですか?」
 赤木女史の直属の部下であり、右腕的存在でもある息吹マヤ上級特尉は上司の言葉に小さな叫びを上げた。そして椅子を蹴るようにして立ち上がると、小走りにリツコの元へ駆け付ける。
「さすが先輩です! 私、一週間はかかるかと思ってました」
「……これでも、広義に言えば電子工学は専門ですからね。それに適当にカテゴリーを作って、計器をそれに合わせるだけだったから。貴方が考えているほど難しい作業でもなかったみたいよ」
 そうは言っても、赤木女史の専用灰皿には紅いルージュのついた煙草の吸殻が山のように詰まれている。
 と言うか、溢れていると表現するべきか。2カートン(=四〇本)分はありそうだ。
 つまりそれは、女史の所有する時間と集中力をそれだけ要とする作業であったことの証明であった。
「それで、どう変わったんですか?」
 マヤは目を輝かせながら、リツコに顔を寄せるようにして計器を覗き込んだ。
 彼女達が今話題としているのは、よりにもよって、リっちゃん女史が何かの間違い(事故)で発明してしまった、いわゆる『使徒』とそれに類する超生命体が発する、普通の装置では検出することの出来ない妖しげな力を探知・計測する機器である。
 ――分かりやすく一言で表現すれば、『使徒っぽい感じのバケモノ探知機』となるだろうか。

 最初は、通常の使徒レヴェルを対象として作られていたため、それを大きく超える力を持つ『エンディミオン』や『インペリアルガード』、それに『魔皇』などには対応できなかったわけであるが、今回、その更なるバケモノたちにも対応できるよう女史が改良を加えたというわけだ。

 あらゆる電磁波を吸収でもしているのか、とにかくレーダーにさっぱり引っかからない――などという脅威のステルス性を誇るあのエンディミオンを、この世で唯一早期発見できる装置だからして、これの完成が意味するところは大きい。
「まず、私が注目したのは波形パターンね。使徒や魔皇、それぞれの発する力をグラフにすると、山と谷が連続する波状のグラフが出来あがるわ。この波は検出される力が強ければ大きく広くなり、弱ければ波は直線により近づくわけ」
「なるほど」
 敬愛する先輩の解説を、マヤは生真面目な顔をして何度も頷きながら訊いていた。
 彼女は割と、解説者に気分良く話をさせる雰囲気を形成するのが上手い。所謂、聞き上手に分類される人種であった。
「――それで、今まで検出されたうち最弱のパターンを最下層と設定。それをベースラインにして、天使が発する力に適当なランクを設けてみたわ」
 そう言って、赤木女史は装置の電源をONにしそれを作動させた。軽く唸るような音と共にシステムが起動する。液晶パネルに、次々と黄緑色の蛍光が灯っていった。
「最弱と言うと、ドグマに封印してあったJ.A.ですか?」
 渚カヲルの導きにより、南極で発見された無人稼動の心無き使徒。機械仕掛の天使、J.A.。
 それを氷付けのままNERV本部に運び込み、さらにその表面を硬化ベークライトで固めて封印していた、例のあれである。
「いえ、それに憑依したバルディエルと云う名の使徒よ。J.A.は正確には使徒とは言えないし、それに今となってはあんなものただのガラクタよ。エンディミオン全盛のこの時期にはね」
 システムには、大きく三つのグラフらしきものと、その他3種類のレーダーらしきものが設置されていた。
「天使のランクは <The Order of celcstial hierarchy> に習って、全部で九つ設けたわ。あれは有名だから、分かりやすくて良いでしょう」
 赤木博士は、三つあるグラフの内の一つを指差しながら言った。
 それはオレンジ色の蛍光色を放つ表で、Y軸方向に断層化――つまり、下から上へ九つの目盛が連なっているものであった。
「ディオニュシウスの <天上階序論> ではじめて明かされた、天使の階級ですね」
 マヤは、その表を見ながら言った。
 天使の階級というものは、様々な書物において様々なパターンが紹介されている。その内、確認されている中では最も古く、そして全てのベースとされているのがディオニュシウスの公表したヒエラルキーである。
「そう。上級3隊、中級三隊、下級三隊、三つの階層三つの階位からなる合計九段階のヒエラルキー。具体的には、最上級から順に――




熾天使 (セラフ) Seraph(im)
智天使 (ケルブ) Cherub(im)
座天使 (ソロネ) Throne(s)
 



主天使 (ドミニオン) Dominion(s)
力天使 (ヴァーチャー) Virtue(s)
能天使 (パワー) Power(s)
 



権天使 (プリンシパリティ) Principality(ies)
大天使 (アークエンジェル) Arcangel(s)
天使 (エンジェル) Angel(s)

 ――と、いう風になるわね」
「じゃあ、この前ガルムちゃんがやっつけたバルディエルは」
「無論、波形パターン <エンジェル> 。つまり、最下層下級三隊の内でも最弱に位置する天使に属するわけね」
 赤木博士は即座に言った。かつてNERVを壊滅の危機においやった、あのバルディエルでさえ最弱のパターン・エンジェル。
 分かっていたこととはいえ、マヤはそれが意味する事態の深刻さに息を呑んだ。
「後の二つのグラフは、それぞれ検出された波形パターンを記したものと、それを便宜的に数値化したものが表示されるわ。同じ階級でも、範囲が広いからかなり力に差が出るの。その差を詳細まで弾き出す際には、これを参考にするわけね。取り敢えず、どれも探知・検出がなされた時点で、オートで算出してくれるようになっているから安心なさい。つまり天使や悪魔の力を持つ存在が現れた時点で、自動的にそのエネルギー値を計測し、数値化し、そしてそれに相応しい階級別に分類してくれるわけね」
 早い話、ほとんどの作業をシステム自体がオートでやってくれるわけだ。
 どう、便利でしょ? というような視線をマヤに向けて、赤木女史は微笑んだ。
「あの、それで先輩。さっきから気になっていたんですが、なんか既に一一個くらい反応があるみたいなんですけど」
 マヤは当初から抱いていた疑問を、ようやく口にした。
 確かに彼女の指摘するように、グラフには十一通りの波が走っている。先ほどのハイアラーキー・グラフにも、幾つかの階級に光が灯っていた。
「当然よ。反応が無かったら、いきなり故障か失敗作ってことになるわ。
 今検出されている合計一一個の反応は、エンディミオン六騎、サタナエル、そのインペリアルガードであるリヴァイアサン、ビ'エモス、それから魔皇ヘルであるシンジ君とその愉快なペット、魔狼ガルムの反応と考えられるわね」

 マヤはその言葉に、小さく頷いた。なるほど、確かにリツコの言うように、現在『使徒』以上の力を有する存在が十一確認されているわけだから、これはある意味当然のことだ。納得である。
 マヤは、改めてヒエラルキー・グラフを見てみた。

 それによると、十一の反応のうち実に六個までが同じ波形パターンを持っており、同じ数値で表現され、同じ階級にランクされているの分かる。
 全くと言って良いほど、そのエネルギー値に差異のない存在が六つ。考えなくても結論は一つしかない。
「この『中級3隊』の最下級、『能天使』にランクされている六つの反応が、今地球にいるエンディミオンですね?」
 訊くというよりは、確認の意味を込めてマヤは言った。
「その通りよ。右側に立体映像ホログラフィのレーダーが三つあるでしょう。それぞれ短距離ショートレンジ中距離ミドル・レンジ長距離ロング・レンジ専用として使い分けるんだけど、それに各エネルギー反応が光点として表現されているわね?

 高い数値が検出される存在は、大きな光点として。弱い――エンディミオンなんかは、小さな光点として。大まかなエネルギー値と、位置関係はそれで掴めるようになっているから活用して。
 ちなみにショートレンジ・レーダーは、大体、日本列島全域をカバーしてるわ。ミドルは、もっと広域に世界を。ロングは、更に引いて太陽系をある程度の対象にしてるわけ。
 それを見れば、大体どのあたりから反応が検出されているかが分かるはずよ。もちろん、拡大・縮小もかなり幅を持たせているから、結構正確な位置が掴めるはず。ロングレンジのはちょっとそうもいかないけどね」

 なるほど、と呟きながらマヤはそれらのレーダーと各種モニタを確認する。
 今後、恐らく自分が扱うことになるであろうシステムだ。今のうちから慣れておかなくてはならない。
「このショートレンジのレーダーを見ると、ここNERV本部に巨大な反応がありますね。
 エンディミオンより一つ上、中級第二位の『力天使』、パターン・ヴァーチャーになってますけど。これがガルムちゃんですか?」
「そう。今は子供の姿――パワーをセーブしているからこの階級だけど、本来はもう2、3ランク上のはずよ。ちなみに、この『力天使』の階級にあのウワサの『デス=リバース』はいたと思われるわ。
 渚君の話を聞いて勝手に想定しただけだから、確かなことは言えないけれど。
 とにかく、力を司る『力天使』とこの階級としての『力天使』は別物でしょうけど、彼女はだいたいこの位にいたんじゃないかと思うの。自由天使タブリスはその一つ下の能天使級、つまりエンディミオンと同階級か、或いは死神と同じ力天使級ね。多分」

 赤木女史は、すっかり冷めてしまったコーヒーを流しに捨てに行きながら言った。
 そしてカラになったカップを濯ぎ、改めてコーヒーメーカーを作動させる。カフェインとニコチンは、彼女の研究を支える小さな巨人であった。
「普通の天使――バルディエルなどが最下位の天使級であったとするなら、自由天使タブリスは3階級上の権天使級。死神は4階級上の力天使級ですか……こうしてみると、本当に次元が違ったことが分かりますね」
 ひとり計測器の前に残り、様々なモニタや計器に視線を走らせながら、マヤは呟いた。
 どうも、ランク付けすると非常に力の差を把握しやすい。便利なものを入手したと思う。
「単に一つの階級でも、そこには次元と表現しても良いくらいの格差があるわ。数値的に表現しても、大天使級は天使級のざっと十倍。上層にいくに連れ、その格差も大きくなるように設定してあるから……その差は凄まじいものになるわね。
 特に上級三隊(熾天使・智天使・座天使)となると、ほとんど人間には神としか認識不可能ね。数値的な認識は可能だけど、相当イマジネーションに優れた人間じゃなければ実感は伴わないわ。多分。マヤ、信じられるかしら。シンジ君もガルムも、その気になればそのレヴェルの力を解放できるのよ?」

 女史は作業台の上に置いてあるケースから煙草を一本取ると、それにライターで火を着けながら言った。
 恐らく彼女が人類では唯一の存在であろう。彼ら超越者が、人間風情の抵抗だとか迎撃だとか、そういった駄々が通用する世界の住人ではないことを正しく認識できたのは。
 だからこそ、あのビ'エモスの虚無ブレスを見た時点で全てを悟れたのだ。
 諦めた、と表現しても良いかもしれない。

 虚無――ゼロを自在に操るバケモノなど、正気の沙汰ではないのだ。
 その存在そのものが、精神崩壊ものである。彼らの有する力量を理解・把握して、それでも精神の正常を保っていられたのは、彼女が赤木リツコだったという幸運に過ぎない。
 だから、ある意味、今度ばかりは己が凡人であったことを人々は喜ぶべきなのだ。

 壊れたくないのなら、まともに相手をしてはいけない連中がいる。
 そんな狂気に属する世界の住人が、宇宙には、いた。それ自体、リツコにとっては乱舞ものの驚きと喜びであったが、それを差し引いても彼らは危険過ぎる。
「もう、本当……どうしようもないのよ」
 嬉しそうに、でも憂いを含みながら赤木女史は呟いた。
 マヤはそれを見て思う。彼女は、まるで手の届かない恋愛に身を焦がしているような顔をしている、と。
 事実、赤木女史はそんな切なさを胸に抱えていた。勿論、科学者として。



SESSION・149
『ダッシュ&ヴァルキリー』


「まったく……ナメちょる! 小馬鹿にしちょる!」
 その大声は、果てしなく長く続く本部の廊下の壁に反響して喧しいまでに響き渡った。
 説明するまでもなく誰の目にも明らかであろうが、一応言っておくと――彼は大層ご立腹だった。
「結局、ワシゃなんの為にアメリカくんだりまで行ったんぢゃ? ん?  しかも砂漠のなぁ〜んもないところにぢゃぞ」
 ズカズカと大股で歩きながら、霧島理事長はNERV本部内のプレジデント・ルームに向かう。
 終生のライバル――なのかどうかは良く分からないが、天敵には違いない碇ゲンドウに八つ当たりするためだ。
「こら、このヒゲ面殺虫剤!」
 そして彼は目的の場所に到着するやいなや、ドッカ〜〜ン! と、スライド式のドアを霊気を込めた渾身の蹴りでブチ破り、『ノック? ……今のがそうぢゃ!』と言わんばかりにプレジデント・ルームの中に侵入していった。
 そのまま部屋の1番奥に設置されている執務用のデスクに腰を落としたゲンドウの前まで、ツカツカと肩を怒らせながら歩み寄る。
「新しいパターンだな。……どういう意味だ?」
 理事長の奇行には大概にならされてしまったゲンドウは、別段驚きもせずに冷静に返した。
 ドアを蹴破られたくらいでいちいち騒いでいては、この男の相手は務まらない。つまり、そういうことだ。
「お前の醜いヒゲ面を拝んだだけで、ムシも息絶える! 殺虫剤ぢゃ!」
 ビシイっ! とゲンドウの顔に指を付きつけながら、理事長は高らかに宣言した。
「フッ……負け惜しみだな。 貴様がもたついたおかげで、アメリカはほとんど壊滅だ。未だエンディミオンどもは健在。各主要軍事施設を破壊して回っている」
「ワシが行く前に、あの妙チクリンな化物が基地ごと女神を消したんぢゃぞ? ワシじゃなかったら、あのまま突っ込んで死んでおったわい!」
 理事長の機嫌が悪いのは、このせいだった。
 ネヴァダ支部で調整が行われていたG.O.D.試作二号機『ベルダンディ』に搭乗し、北米に降下してきたエンディミオンを迎撃。蝶のように舞い、ハチのように刺した挙句、美技の連発でこれを撃破。一躍時の英雄になる――という彼の計画は、突如現われた怪しい化物のせいで台無しとなった。

 おかげで何もすることなく、彼は本部までトンボ帰り。
 それだけでも充分腹ただしいのに、燃料や引継ぎがどうとかの関係で帰るまでにも色々な面倒を強いられた。待たせる分は幾らでも構わないが、自分が待つのは一ミクロンたりともイヤぢゃ! という信念を持っている彼にとって、これは非常な苦痛を与えられる状況であったと言える。
「まったく、あれでは何の為にワシ自らが出たのか分かりはせんわい。なぁ〜んもせんと、ただアメリカまで無駄に行って、挙句に真っ直ぐ引き返してきたなんぞ……まるでアホのようではないかい!」
「……心配するな」
 手足をバタバタ言わせてひとり騒ぎ立てる理事長に対し、ゲンドウは努めて冷静に言った。
「アホのようではなく、貴様は間違いなくアホだ」
「なんぢゃとう?」
「なにか文句があるのか?」
 睨み合う両者。理事長のペースにのせられ血が騒いできたか、徐々にヒートアップしていくゲンドウと、元からテンション最高潮の理事長。一触即発の危険な雰囲気が周囲に漂う。
 だがそこに、例の如く冬月副指令が、狙い澄ましたかのような絶妙のタイミングで現われた。
「またか……」
 ドアが外側から破壊されているのをみて『まさか』とは思ったが、予想通りの光景が広がっている部屋の内部を見て、彼は疲れ切った溜息とともに言った。
「二人ともこの忙しいときに、なにを喧嘩などしている……! まったく、少しは状況というものを考えてくれ」
 早足で入室し、素早く彼らの間に割って入りながら冬月は言った。
 この連中ときたら、顔を合わせた途端、毎回のようにコレである。まさに炎とダイナマイトの組み合わせだ。
「理事長、あなたもですぞ。孫娘のマナ君が意識を失って担ぎ込まれたというのに、見舞いもせずに碇なんぞと遊んでいるとは」
「碇『なんぞ』とはどういうことです、冬月先生」
 中指でクイっとサングラスを押し上げながら鋭く問うゲンドウであったが、冬月は当然のようにそれを無視した。
「……そうか。やはりマナは負けたか」
 冬月の言葉はそれなりに効果があったらしく、理事長の怒りは一時的にでも鎮まったかに見えた。
 予測はしていたのであろうが、やはり唯一残った肉親が戦闘に破れ意識を失って帰ってきたというのは、堪えるものなのだろう。
「帰ってきたとき、空からこの街を見た。少なくとも表層都市は8割型壊滅、崩壊しておったからの。  そうではないかとは思っておったんぢゃ」
「……申し訳ありませんな、理事長。我々としても最善を尽くしたつもりなのですが、如何せん時間がなさ過ぎた。パイロットの訓練もまだ6割程度しか完了していない状態での出撃では、やはり無理があったようです」
「フン……。冬月、この役立たずに謝罪することなどない。マナ君に直接言葉をかけるならまだしも、このアホには慰めの言葉など必要ないのだ。何せ、こいつには人間の心というものが欠落しているからな」
「碇!」折角の自分のフォローをぶち壊し、すかさず喧嘩を売りにいくゲンドウを冬月が一喝する。
「ガルムが狼の姿のまま、ジオフロントの地底湖でキャッキャと水遊びをしておったな。
 ……おそらく、あの子がG.O.D.に代わってエンディミオンを倒してくれたんぢゃろう?」
「そうだ」再び中指でサングラスを押し上げながら、ゲンドウが応えた。
 かと言って、フレームのサイズが合っていないと言うことではない。どうやらこの仕草、彼のクセらしい。
「私はこの戦争を人類のものとして処理したいと考えている。……が、現状で力不足は否めん。
 まだ我々人類だけでことを運ぶには、時間も人材も不足しているのだ。だから今は、彼らに頼り時間を稼いでもらう他ない」
 ヨーロッパのエンディミオンに対してもそうだ。
 本来なら、開発の進んでいるG.O.D.量産型『ダッシュ・シリーズ』を投入して、人類の力で対応したい。が、完成間近の機体はあっても、肝心のパイロットが見つかっていない。
 設立して間もないマルドゥック(パイロットの発見・養成のための)機関に、そこまで求めるのは酷だ。
「人類は弱い。故に後手に回る。まぁ、当然の展開ぢゃろうて」仕方がない、という風に理事長は言った。
 それは珍しくも、ゲンドウに対する慰めの言葉だったのかもしれない。本人は否定するであろうが。
「おまけに、財団に不穏な動きがある。未確認の情報だが、リヴァイアサンがゼーレに接触を試みたらしい。目的は恐らく――」
「ここの切捨てか」ゲンドウの言葉が終わらぬうちに、理事長は結論を自ら口にした。
「そのようですな。予測されていたこととは言え、今後、資金調達の面でかなり苦戦することになるでしょう」
 冬月の表情も、これまでになく硬い。

 今までNERVが自由に気兼ねなく動いてこれたのは、間違いなく『エンクィスト財団』の豊富な財源と、そして権力的な後ろ盾があったおかげである。  そのバックアップがなくなくるというのは、NERVにとって非常に大きな打撃であるといえた。
「ぢゃが、そのための碇ゲンドウぢゃろう。貴様得意の、反則的な卑劣極まりない、恐喝紛いの政治力でなんとかしてみせい」
「フン、貴様に言われずとも既にやっている。時には脅し、時には恐喝し、時には恐怖させ、時には実力行使することで、既にG.O.D.運用に必要な資金援助の約束はとりつけてある。失うものも大きいが、それはこの戦争が終わってからの話だ。問題あるまい」
 ニヤリと邪悪に微笑んで、ゲンドウは続けた。
「なにせ、この戦争が終わればNERVに存在意義はなくなるからな。約束が果たされる前に、オーヴァ・テクノロジーごと地上から消え去っていてもおかしくはない。その結果、闇商人や企業に資金提供の見返りとして約束していた『技術提供』の話が反故になっても、それは致し方のないことだ」
「……」冬月はゲンドウの言葉を聞きながら、諦めたような表情で目を閉じていた。
 少し、良心が痛むらしい。ゲンドウが、人との約束を素直に守るほど心優しい人間ではないことは分かり切っている。
「相変わらずそういうことをやらせたら、右に出るものはおらんのう」
 ――NERVが持つオーヴァ・テクノロジー(超先進技術)は軍事、医療、電子工学など多岐に渡る分野で、一般よりも数百年ほど進んでいる。
 ゲンドウの言ったように、兵器開発をメインとする企業や、闇商人、各研究機関などはその技術と情報をまさに喉から手が出るほど欲しがっているわけだ。
 だから、その技術を「一部譲り渡す」と言い出せば、怪しい話だと分かってはいても彼らは飛びつかずにはいられない。

 そして、とりあえず契約時に、それなりに使えそうな気がする技術を二〜3渡してやれば、こっちのもの。世紀の天才赤木博士と、MAGIが高度に捻くれさせた、ほとんど暗号とも言えるその図面を解読するにかなりの時間がかかるはず。
 彼らがそれを読み解き、『これは高度に偽装されたニセの情報だ』と気付いた頃には、戦争は終わり、そしてNERVは忽然と消えているだろう。
 結果、後払いとして約束されていた重要な情報と技術は、彼らの手に渡ることのないまま終わる。

 ゲンドウは、こういった人の足元を見たり、人の弱みに付け込んだり、人の心理的な弱点を突いたりすることにかけては、まさに天才だった。
 彼が、東洋の悪魔・NERV総帥『碇外道』と呼ばれる所以である。
「――さて。ヨーロッパの三機は、お前の息子たちに任せるとして……これからどうするつもりぢゃ?」
 理事長は勝手に応接用のソファに腰を落としながら訊いた。
「現状で、我々人類にできることはそう多くない」ゲンドウは姿勢を変えぬまま呟くように応える。
「……そうだな」 冬月は深く頷くと続けた。
「欧州の各国支部で開発中のG.O.D.量産型『ダッシュ・シリーズ』。 アメリカおよびアジアで開発中の、同じく量産型『ヴァルキリー』。これらの完成を急ぐと共に、マルドゥック機関の活動に力を入れパイロットの発見及び育成に尽力する。今現在、できることと言えばこれくらいだ」
「その『ダッシュ』と『ヴァルキリー』ちゅうのは、どう違うんぢゃ? 同じG.O.D.の量産型なんぢゃろう」
 アメリカに行き来していたおかげで、理事長の情報は若干遅れている。
 ただでさえ航空機に乗っていた間は、ビ'エモスの『ゼロブレス』の影響で磁場が乱れ、通信の送受信ができなかったのだ。
 ようやく本部に帰ってこれた彼にまず課せられるのは、この情報量のギャップを埋めること。恐らく彼は、しばらく眠れない日々が続くであろう。
「……構想が決定的に違う」即座にゲンドウは応えた。
「G.O.D.『ダッシュ・シリーズ』は、一機単独での戦闘を基本とする機体だ。
 武装の交換、各パーツのカスタマイズなど、それぞれの機体ごとに個性を持たせることで、同じダッシュ・シリーズの機体の間でも大きな差別化が計れる。一機当たりの汎用性も高い。
 逆に『ヴァルキリー・シリーズ』は、対エンディミオン戦を考慮し三位一体を最小とする、組織戦を基本とする機体にしあがっている。相対的に『ダッシュ・シリーズ』と比較して、一機当たりの死角は多い。
 だが、フォーメーションで互いを補完し合うことでその真価を発揮できるよう設計されている」
「……では、ユイ君もうちのマナも、どちらかといえば『ダッシュ・シリーズ』向きの操縦者と言えるのう」
「そう言う貴様も、まさに『ダッシュ』向きだ」
 口ヒゲを優雅に撫でつけながら呟く理事長に、ゲンドウはピシャリと断言した。
 だが確かにその指摘は正しく、理事長はどこからどう見ても協調性というものに欠けた人間であることは否めない。
「G.O.D.『ダッシュ』は、基本的に理事長やマナ君と言った高レヴェルの操縦者に乗ってもらう機体です。なにせ、『ダッシュ』のメイン・ウエポンである『ゲイ=ボルク』の最大出力は、試作型三機に搭載されていた『G.R.A.M.』の約2.6倍というスペックらしいですからな。
 理事長とマナ君以外に、使いこなせるパイロットは世界中探してもそういないでしょう」
「――面白そうぢゃな」冬月の言葉にニヤリと唇の端を吊り上げると、理事長は言った。
「で、その『ダッシュ・シリーズ』とやらは何時頃できるんぢゃ?」
「ベースとなるのは、死んだJ.A.の肉片から取ったコピーですからな。 形にするまではかなり短時間――数週間前後で培養できます。しかし問題はそこからの作業、つまりコクピット・システムとの接続にあるらしく、これに時間を取られます」
「赤木のリッちゃんのような能書きはいい。結論を言えい、ズバッと」
 冬月の技術的な説明は、理事長にとって煩わしいものでしかない。
 本質さえ掴めれば、大方良し。これが彼の信条なのだ。
「結論から言えば、この数週間でパイロット候補を使った試運転まで漕ぎ着けることができるだろうとされる機体は……イギリス支部のダッシュ〇号『ホライゾン」。
 フランス支部のダッシュ一号『エンプレス』、同じく二号機『バーニング・サン』。
 ドイツ支部のダッシュ三号『キャノンボール』。
 デンマーク支部のダッシュ四号『シューティング・スター』。
 そしてスイス支部のダッシュ五号『ダンシング・ドール』の全六機となりますな」
「六機! ……六機の新型か。ヨーロッパのエンディミオンを魔皇に任せれば、のこるはアメリカのみ。パイロットさえ見つかれば、倍の戦力を投入できる、か。――勝てるな」
 拳を握り締めて力強く言いきる理事長。
 先の騒ぎで活躍の場を奪われた彼は、密かに――どころか、傍目にも明らかなほどに燃えていた。
 いや、もしかすると、それは巧妙に憤りを隠すためのポーズだったのかもしれない。自ら臨んだ戦いとはいえ、自分の孫娘を傷つけられたことに対する憤りを。
「勝つさ……」
 理事長とは対照的に、ゲンドウは目を閉じて静かに言った。
 まるで、自らに言い聞かせるように。そして、何かに誓うように。
「そのための戦争だ」



SESSION・150
『全てを知る者』


 時を前後して、半ば廃墟と化した黄昏のルーアン。
 魔皇ヘルは受け取った手紙に指定された座標へ、自ら赴いていた。
 その場所、それは郊外にひっそりと佇む広い自然公園であった。

 魔皇に宛てられた1通の手紙。その内容は――
『我、魔皇ジャン・ダランソンとの会見を望むもの也』。
 魔皇ヘルと書かず、魔皇ジャン・ダランソンと表現するあたり、彼らの事情に深く精通した人物であることを窺がわせる。だがヘルの能力をもってしても、それ以上相手を限定することも推測することもできなかった。

 ヘルは公園に辿りつくと、その広い園内を隈なく走査した。
 結果、人間以上の生物の動体反応がたった一つしかないことが明らかとなる。
 もちろん、ヘルはその一つの反応源に真っ直ぐ歩み寄って行った。
 秋の公園というのは、どこか寂しいものだ。無論、魔皇ヘル自身がそんな感傷的な感想を抱くはずもないが、多感な碇シンジ――アランソン候なら、きっとそんな風に感じただろう。

 木枯らしに舞う落ち葉。夜の装いを見せはじめた落陽の空と、ザワザワと風に騒ぐ木々。
 そして何処か肌寒さを感じさせる園内が、もの哀しさを尚更演出している。
 その広い敷地内には人影はおろか生物の気配すらなく、ただヘルのシルエットが長く遊歩道に投げかけられていた。

 やがてヘルは、どこにでも見られる遊戯用の設備が点在している地点に到達した。
 アスレチックな遊具や、ジャングルジム、小さな砂丘、そしてブランコ。
 彼女が感じ取った、園内唯一の波動の発生源はそこにあった。
 ――果たして、そこには軽く足を組んだ格好でブランコに腰掛けた少年がいた。
 歳の頃は……ローティーンくらいか。おそらく、一三〜14といったところだろう。
 肌にピタリと張りつくような、タイトな黒色のノースリーブに、同じく黒のスパッツを身に纏っている。
 身体の線がクッキリと強調されるその衣服は、細身ながらも彼の引き締まった精悍な肢体を際立たせていた。
「……」
 それにしても、どこか奇妙で得体の知れない子供である。
 ――ヘルが人間の表現を真似ることがあれば、そんな風に言っただろう。
 少年は、ピュセルや死神と見紛うばかりの透けるように白い肌に、背中まで伸びる豊かで艶やかな黒髪を無造作に束ねていた。
 東洋人のような顔立ちのように見えるが、その肌の色は明らかに西洋人のそれだ。人種も、年齢も正確には掴み辛い不思議な少年である。
 その澄んだ黒いややきつめの眼差しが、ヘルに真っ直ぐ向けられていた。
「……お前か、碇シンジを呼んだのは」ヘルは完璧な発音のフランス語で、静かに問うた。
「如何にも」
 それは唄うような声であった。空気を奏でるような、限りなく済んだ声音。そして、明らかに少女の声だった。
 なるほどよく見れば、タイトな袖のない黒シャツを胸の双丘が控えめに押し上げていることに気付く。  微かな膨らみではあるが、それはまだ成長段階にある明らかな女性の胸部だ。
 彼女は中性的な少年では無く、そう――少女なのである。
「いかにも――、ガルムマスター・ヘル。我々の<クラウ・ソラス>に最も近しい特性を継承した魔皇よ。
 この場を設けたのは私の意志である」
 その言葉に、ヘルは僅かに眉をひそめた。
 この者は、魔皇の存在を知っている。魔皇の存在を知る者は、極一部の人間を除いて監視機構に属する天使だけのはずだ。
「何者か、お前は」
「……」
 少女はその問いにすぐには応えようとせず、代わりに組んでいた足を解くと、流れるような動作でブランコから立ち上がった。キイとブランコの錆びたチェーンが、微かに軋みを上げる。
 少女はゆっくりとヘルと向い合った。
 彼女の背はまだ低く、直立してもシンジの胸のあたりまでにしか及ばない。
「今一度、問う」再度、ヘルは口を開いた。「汝は何者か」

 少し冷たい風が、二人の間を通り過ぎていった。
 少女の細くて長い黒髪が、柔らかに踊る。ヘルはそう感じることはなかったが、一般的に、それは美しかった。
 暫しの沈黙。だが、恐らく無限の時……いや、時の概念を超越した両者に、その沈黙はそれほど重いものではなかったであろう。
「名は――」やがて、少女は静かに口を開いた。「ない」
 彼女はそう囁くように言うと、真っ直ぐにヘルを見つめた。  多分、魔皇である彼女とこうまで完璧に視線を合わせることが出来る存在は、同じ魔皇と監視機構の大天使たちを除けば、この少女が唯一の存在であろう。
 またしばらくの沈黙を置いて、少女は口を開いた。
「だが、そのせいか……他者からは、それぞれ異なった呼ばれ方をする」
 そして、微かに――本当に微かに目を細める。それは見様によっては、どこか微笑んでいるようにも、見えた。
「その時代、その人物の立場によってそれは様々だ。ある時、ある者は <唯一絶対の者>と。
 ある時、ある者は <摂理の支配者> と。ある時、ある者は <天地の創始者>と、私は実に多くの名で呼ばれて来た」

 ヘルは険しい表情のまま、その言葉を聞いていた。
 その鋭い視線は一瞬たりとも、この美しき少女から離れることはない。
「そして、しばしばこうも呼ばれる」少女は、その薄い唇の端を僅かに吊り上げた。
「全てを知る者と――」
「なに……?」
 ヘルの氷の表情が、ここまで崩れたのはこれがはじめてだった。
 ――全てを知る者
 それは、ガルムマスター・ヘルが求め続けて来た存在であった。
 その者は、遥かな昔大天使を生み出し、 <人類監視機構>を創設した。
 そしてその天使軍団を使役し、人類の歴史と進化の過程を裏から操作。数百万年の永きに渡り、宇宙最強のエンシェント・エンジェル、大宇宙、そして地球人類を支配し続けてきた。

 だが、その存在の一切は『謎』。
 事実上大宇宙の『神』として君臨する監視機構の大天使たちですら、その実態と実在を確認したことはない。
 全てを知る者とは一体何者なのか。それは魔皇ヘルや魔皇カオス、延いては魔神皇ルシュフェルが関心を抱く大命題となっていた。

 目的は。その組織形態は。いや、それ以前に彼らは組織を形成しているのか。
 姿ある者、形ある者なのか。そして、何故、人類という種族を監視するのか。
 何故、人類という種族に固執するのか。なんのために、エンシェント・エンジェルを創り出したのか。
 全てを知る者を知る者は、誰ひとりとしていない。
 全ては謎。そしてルシュフェルの造反がなければ、それは確実に謎のまま永久に流れていただろう。
「全てを知る者……」ヘルは、呟いた。
「汝は、真に <全てを知る者>であるのか。もしそうであるならば、私は問わねばならぬことが山とある」
「折角の機会である。まずはここで、その誤解を解いておこうか」少女は言った。
 そう。外見上は、まったくの人間の少女だ。
 だがヘルをもってしても、彼女が真には何者なのか、分析することが出来ない。

 確かに、人間の肉体を纏ってはいる。脈拍も確認できるし、人間同様に肺で呼吸もしている。
 ガルムと違って、そのタイトな黒の衣服の下には生物学的に人間とまったく相違ない肉体がある。
 そして、その気になれば自然の摂理に基づいた原始的な子孫の繁栄の方法を以って……
 その身に子を宿すことも可能だろう。
 つまり完全な、ヒトにして雌性体だ。

 エンシェント・エンジェルや、魔皇三体のような宇宙を圧倒するが如き爆発的な力の奔流も感じられない。
 それどころか、気配も生命力も、なにも感じられない。確実に生きているのに、まるで死体と向き合っているかのように彼女は静かで無だ。
 それがまた、ヘルを戸惑わせた。
「まず、ひとつ。私は、言われているほど全知なる者でも、全能なる者でもない。勿論、あらゆる事象に関する全てを知っているわけでもない」
 全てを知る者と呼ばれる少女は、静かに言った。
「だが、マスター・ヘル。貴女の疑問全てに、私は回答することができる。その意味で、貴女にとって私は全てを知る者であるやもしれぬな」
「では、応えてもらおうか。私の疑問全てに」ヘルは冷たく、即座に言った。
「残念だが、それできぬ。公平性が失われる故にな。……が、約束はしよう。マスター・ヘル。貴女の抱く謎は未来、全て解き明かされるであろう」
 少女は、預言めいた言葉でまたヘルを惑わす。
「――では、問いを変えよう。全てを知る者と呼ばれし我が創造主よ。何故に私の前に姿を現した。何故、碇シンジと我との会見を望んだ」
「退屈だったからな」少女は薄い苦笑と共に、即答した。
「――ヘル。貴女と違って、私には感情があり、不安定で頼りない心というものがあるのだ。それ故、時に孤独に耐え切れぬこととてある」
「……」
「考えてもみるがいい、ヘル。貴女ならば容易に悟ることができるはずだ。
 そうでなければ、何故わざわざ――人間の言う――生物学的に不完全なヒト型に拘る必要がある」
 今度はその笑みを自嘲的なものに変えて、少女は続けた。
「孤独故よ。孤独を抱く不完全さを内包するが故に、私は友を創造する際、わざわざ自らの姿に似せて彼らを造った。超越者というのなら、だからむしろ貴女の方が私より向いている。
 魔皇たちはその不完全さを、微妙にして無意味な揺らぎを持たぬからな」

 ヘルは内心――近しい表現を用いれば――混乱していた。
 彼女は自分達を創造し、支配してきたものだ。当然、全てを超越した神の如き存在。それが全てを知る者だと考えていた。
 だが、それはその全てを知る者本人の言葉によって、否定された。

 そもそも、彼女は果たして真実を語っているのだろうか?
 自分を混乱させることを目的として、虚言を重ねているのではないか。疑念と疑惑が、ヘルを否応なく後手に回らせる。
 意図してのものか、それとも偶然の結果か。その場を支配しているのは、明らかにヘルが見下ろす全てを知る者と云う名の少女であった。
「もちろん、遥々地球へ足を運んで来たのは、ただそれだけのためというわけでもないが……
 まあ、よかろう。真実を追い求める者よ。2、3核心に触れる話をしてもよいだろう」
「核心?」ヘルはその真紅の瞳を細めると、少女の言葉を繰り返した。
「それは全てを知る者、延いては彼が生み出した『人類監視機構』の存在意義――この命題の核心か」
「――とも言える。まあ聞くがいい、ヘル」
 柔かに細めた瞳でヘルを見詰めると、美しい少女はゆっくりと語りはじめた。
「……私は、かつて同朋たちと生き別れとなった。だから、捜すことにしたのだ。彼らをな。私は、たった二人の『同じ存在』と再び巡り会いたい。そして滅びから我々を救い、人類を我々へ導きたい。それが、現在における私の第一の関心事と言える」
「……生き別れ、とは?」
「本来、起こるはずの無かった事態だ。我々はそれによって引き裂かれたとも言える。不運な話、だがな」
 少女はそう言うと、どこか遠くを見つめるように視線を宙に漂わせながら続けた。
「――この地球に、アララトと云う名の山があった。そこで、ある力場に閉ざされたあの『箱船』が発見されたのは、もう何百万年も前の話だ。旧約聖書にも語られている、ノアの箱舟のモデルとなった真実だよ。
 ……だがもちろん、真実は物語とは異なる。乗っていたのは、ノアなる地球人類ではない。その箱舟の最深部で、ポッドに収まり眠りに就いていたのは――人間たちの言う、『神』。そして、死滅に瀕した私のたった二人の同族であった。
 それ故、『箱舟』は通常の手段では決して打ち破ることの叶わない力場によって、厳重な封印状態にあった。その封印の場の名を、絶対封印『オリハルコン』と我々は呼んでいた。聞いたことくらいはあろう?」

 突如はじめられた脈略のない話に、ヘルは内心疑問を抱いたが、ここは沈黙を守った。
 全てを知る者が無意味な言葉を好んで発するとは思えぬ。意味があるのだ。何かしらの意味が。
「その『箱舟』は不運にも私よりも先に、探索者たちに発見されてしまった。
 そしてその発見者たちは、あるひとつのミスを犯してしまったのだ。それは単純ではあるが、致命的なミスだった。おかげで、結果的に私は『彼ら』を失ったことになる。
 だから私は、そのミスを清算しなくてはならない立場にあるのだ。いや、正確にはそのミスを清算したい立場にある。今一度、『彼ら』出会うために」
 遥として見えてこない話に、ヘルは微かに柳眉をひそめる。
 少女は――全てを知る者はそれに気付いたはずであったが、応えず、話を続ける。
「そう遠くない未来、『第2の大洪水』が起こる。もちろん、洪水と言うのは比喩だがな。  とにかく、これに対する有効な対抗手段はない。放置しておけば、人類程度は確実に死滅するだろう。
 言うなれば、人類には絶対に克服できない確実な滅亡へと至る――それはセカンド・インパクトなのだ」
「――ほう」ヘルはその話に、正直かなりの関心を抱いた。実に興味深い話である。
「だが、それはある意味で我々が撒いた種でもある。無論、種から芽を吹き出させてしまった人類の自業自得でもあるがな。
 しかし、そうは言っても人類を滅亡に追いやってしまうのは、私としても些か心苦しい。よって、私は人類にチャンスを与えるべきだと考えている。そしてその行為に関連して、かつて訪れた悲劇と不運を清算することができるだろう」
 そこで、彼女は口を閉じた。
 その長い語りは、一応の終わりということらしい。
 それからしばらく続いた沈黙の後、今度はヘルが代わるように口を開いた。
「私の想像とはまるで違うな、全てを知る者よ。その一言は私を多いに混乱させる。まるで、貴女は人間そのもののようだ」
 ヘルは自分の思考をストレートに言葉にした。この少女が相手では、下手な駆け引きは通用しそうにない。
「フフ……。或いは、それが一番真実の解答に近いのかもしれぬぞ。先ほども言ったが――ヘルよ、考えたことはないか? なぜ、『大天使』たちと『使徒』、それに『人間』。3者は性質的に幾つもの次元を隔てた存在であるにもかかわらず、二本の足で立ち、二本の手を使い、一つの頭部で考えるか。
 聡明なる我が娘よ。お前なら、この奇妙な真実に偶然では片付けられぬ何かを、とうに見出しているはずだ」
「それには、人間たちの古の書物『旧約聖書』が回答している。全てを創造した『神』が、自分の姿に似せて『天使』や『人間』を――」
 そこまで言葉にして、ヘルは理解した。
「そうか……」気が付けば、謎は全て解けていた。  いや、完全ではないが骨格は見えた。この際、細部に頓着する必要はない。
「そういうことか」
 確かに、そう考えれば全ての謎は解ける。全てを知る者が、地球人類に固執する理由も。
 箱舟、封印空間オリハルコン、致命的なミス、絶えきれぬ孤独、同朋、そして創造主。
 少女の言葉は、全てある一つの結論に向かって収束していく。
 全てを知る者とは、即ち、人類のプロトタイプ……。
 彼らが作ったのだ。大天使は勿論、人類さえも。
「まだ、いるのだな。貴女と同じ『全てを知る者』が。貴女はその者たちを探している。
 失われた二人とは、その者たちのことか。そして、過去・現在・未来、いずれかの時の中、人類に紛れ込んで現われるのだな? その者たちは」
 一口で言いきると、ヘルは沈黙を守る少女に対し再び続ける。
「致命的なミスとは、『箱舟』内部のポッドに備え付けてあった非常警戒システムあたりを誤作動させてしまった――と言ったところか。
 恐らく、そのシステムとは『時間』と『空間』、或いはもっと広域に『次元』を無作為に設定、対象を転送退避させる『ランダム・ワープ』の類だろう。……それで、行方が掴めなくなった訳か」
「――お前は真に頭が良い、ヘル」暫しの沈黙を隔てて、全てを知る者は言った。
「もともと、ルシュフェルは最初に生み出した子達の間でも、最も賢い子であった。私はお前がこの道に到達し、監視機構……延いてはこの私に造反を企てることを、最初から期待していたのだよ」
 少女は優しく微笑む。
「候に伝えておこう。この事実を」しばらくして、ヘルは静かに言った。
「……そのことだが。どうやら、時期が悪かったようだな。ヘル。
 私は『碇シンジ』と『ヘル』双方を重ねた存在と対話をしたかったのだが、どうやら碇シンジの方は、私と会話するだけの精神状態にない様だ」
 ヘルは、その言葉が正しいことを知っていた。
 碇シンジは今精神的に非常に疲労しており、しかも心に傷を負っている。満足に超越者と会話を楽しめるような状態ではない。
「――残念だが、機会を改めるとしよう。ヘル。全てが終わり、貴女が勝利した時、また出逢おうではないか」
「監視機構には構わぬのか? あれは、貴女の同類が再出現するまでの間、人類が死滅せぬよう監視するため、そして人類がその事実に至るまでに成長するのを抑制するための存在であったのであろう」
 だから、全てを知る者は人類の存続に拘った。
 いつ現われるとも知れない同胞が、人類に紛れたまま間違ってでも死んでもらっては困るから。
 そして人類が <全てを知る者>の存在に気付くのを恐れたから。
「……構わぬよ。既に監視機構の役割は終わった。結論は見えたからな。私にはもう、必要ない。ヘル、お前の好きにするが良い」
少女は、ゆっくりと踵を返した。そしてヘルに背中を向けた格好で、続ける。
「カオスと、その伴侶にも伝えておいてほしい。フフ……。まさかカオスが、『娘』として人間の男に嫁ぐことになろうとはな。想像もしていなかったこの展開には、私も大いに笑わせてもらった。
だから、人間は時に面白いのだ。見ていて飽きぬ。ヘルよ。貴女も、同じ口であろう?
ともかく、クレス・シグルドリーヴァ。見当外れで愉快な思想を抱く男。彼とは是非話をしてみたい。それに、あの奔放で抜け目ない自由天使ともな」

一瞬後、少女の身体は忽然と消えていた。魔皇ヘルですら、なにが起きたのかすら理解できぬままに。
「――さらばだ、真実を追い求めし者。我が娘よ。黄昏が去り、また新しき夜明けが訪れるその向こう側で、再び相見えようぞ」
ただ、ひとつの言葉を残して……。


「愛しているぞ――ヘル」


to be continued...


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