この世に生を受ける度、何度でも
そう、何度でも
彼らは迷わず繰り返すだろう。




CHAPTERXXVIII
「少しずつ壊れゆく世界の片隅で」
SESSION・101 『海』
SESSION・102 『最後の覚醒』
SESSION・103 『アスカ、語る』
SESSION・104 『もしも私が天使でなかったら』
SESSION・105 『命の終わりに』
The duc that shouted love at the heart of the world



SESSION・101
『海』


 一四三〇年五月二三日。夕方遅く――歴史書の記すところによれば、時刻は恐らく一八時から、一八時半。
 ラ・ピュセルはコンピエーニュ攻防戦に敗北した。そしてピュセルは、彼女の副官ジャン・ドーロンらと共に、 <クレロワ要塞> に捕虜として連行されたのである。
 ピュセルが降服の宣誓をした <リオネル・ド・ヴァンドンヌ> という敵兵士は、顔に大きな刀傷を持つ男であった。クレス・シグルドリーヴァならば、この <リオネル> という名に聞き覚えがあることだろう。リオネルはかつて、まだリリアと出会う前のクレスと戦ったことがあるのだ。
 溯ること七年前。一四二三年のことである。アラスという場所で彼らは一騎討ちし、クレスの斧の一撃でリオネルは顔に裂傷を負ったのである。その傷痕はいまなお、リオネルの苦い思い出と共に残っている。
 そのリオネルが、名誉挽回とばかりに今回ピュセルを仕留めたわけだ。これはリオネルの階級や身分を考えると、想像を絶するほどの大手柄であった。
 ――さて。
 このリオネルは、 <ジャン・ド・リュクサンブール> というブルゴーニュ派の武将の副官であった。これによって、当時の慣習に乗っ取りラ・ピュセル撃破の手柄は、このジャン・ド・リュクサンブール伯爵のものとなった。捕虜が最終的に帰属するのは、降服の宣誓を受けた兵士の上官であるというわけだ。ゆえにラ・ピュセルはイングランドではなく、ブルゴーニュ派の捕虜として扱われることになった。
 そしてここから、ピュセルを巡る権力者達の思惑は交差し合い、様々な裏工作が展開されていくこととなった。リリア・シグルドリーヴァの言葉通り、ピュセルを巡る今回の事件は高度に政治的な問題へと発展していたのである。
 まず、『神の声を聞く』などと偽り、教会を愚弄した <異端者> としてパリ大学が。宿敵である <フランスの魔女> 抹殺のため、イングランド王国が。そして形ばかりではあるが、国民へのパフォーマンスのためフランス王家が。それぞれピュセルの身柄を求めた。
 例えばフランス王家にとって、ラ・ピュセルの存在はもはや邪魔でしかなかった。コンピエーニュで罠を仕掛け、連合に彼女を捕らえさせたのは、他ならぬフランス宮廷である。だからリュクサンブール伯に莫大な身の代金を支払い、ラ・ピュセルを取り戻すつもりなど彼らには毛頭無かった。
 だが民にとっては、たとえ国王の思惑がどうであれ、ラ・ピュセルは救国の英雄だった。だから彼ら国民に対するパフォーマンスのため、シャルルは身の代金交渉の真似事だけでもしなければならなかったわけである。
 そんなこともあり、ラ・ピュセルを取り戻すために、フランス中の国民が集めた身の代金は莫大な額にのぼった。しかし、結局それは連合との交渉に使われることは無く、全ては侍従長ラ・トレモイユの懐に入った。
 彼はフランス国民には、さもピュセル奪還のために尽力しているようなポーズをとり続けた。が、実際はなんの行動も起こしてはいなかったのである。もう、彼らにとってラ・ピュセルは既に『終わった』存在だったのだ。
 しかしフランス陣営はそんな風でも、 <イングランド王家> と <教会> は、彼女の身柄争奪に積極的だった。皮肉な話だが、彼らにとっては、まだピュセルには利用価値があったのである。その中でも、彼女の処分を巡って最も熱心に行動を起こしていた人物がいた。ピエール・コーションという名の男である。
 ――ボールヴォワール城
「ごきげんよう、リュクサンブール伯。……御健勝のご様子なによりです」
 麗らかな午後の日差しが差し込む、城内は謁見の間。現れたのは、金刺繍を施した僧衣をまとう壮年の聖職者であった。
 ピエール・コーションその人である。
 パリ大学の先代学長。また神学博士であり、文芸学修士でもあり、そしてボーヴェの司祭でもある男。彼は、 <合併王国> 実現のために <トロワ条約> 締結に尽力した、野心家であった。
 フランス王シャルルから見れば、この男は最も憎むべき『裏切り者』であることだろう。フランス人でありながらイングランドに肩入れし、あまつさえ国を売り渡した張本人なのだから。
 それはともかくとして、ラ・ピュセルの処刑裁判を語る上で、このコーションという男の名だけは無視するわけにはいかない。何故なら、教会を代表して、この男がラ・ピュセルの裁判を執り行うことを決定させたからである。そして彼は自らピュセルの審問を行い、彼女を死に追い込んでいった。
 ラ・ピュセルの死のキーとなった、最重要人物。ピエール・コーションをそう言い表すしたとしても、少しも大袈裟ではないだろう。
「――ようこそ、我が城へ。コーション殿」
 リュクサンブール伯は、鋭利な笑みを浮かべながら言った。彼の傍らには、ブルゴーニュ候の腹心として知られる <デジョン> という男も控えていた。
「いかがですかな、コーション殿。このボールヴォワール城は?」
 リュクサンブール伯は穏やかに訊いた。
「随分と歴史がおありのようで。このような御住いをお持ちとは、羨ましい限りですな」
 ボールヴォワール城は、 <クロレワ要塞> から <サン=カンタン> という地を経由して、ピュセルが収容された古城である。この城は、リュクサンブール伯爵の居城で、ピュセルはここの天守閣に一時期幽閉されていたわけである。
「それで、今日はどのような……?」
 ぬけぬけとリュクサンブール伯は訊いた。ラ・ピュセルの処分の決定権を持っているのは、このジャン・ド・リュクサンブールだ。その彼のもとに教会関係者がやってくる理由といえば、最早ひとつしかあるまい。
 交渉は、既にはじまっているのであった。
 コーションのような <キリスト教会> の権力者にしてみれば、ラ・ピュセルのような『神の声を聞いた』などという人間の存在を許すわけにはいかない。神の声を聞くのは、あくまでその神の僕である『教会』が絶対にして唯一の存在であり、それが彼らの存在意義でもある。
 故に、その立場と存在意義を脅かすラ・ピュセルの如き存在は、 <異端> として抹殺すべきであったのだ。コーションを筆頭とする教会関係者が、ピュセル争奪に奔走するのはそれ故である。
 さて、結論から言えば――
  <パリ大学> 、 <フランス王家> 、 <イングランド王家> 、 <ブルゴーニュ派> と、この戦争における全ての勢力を巻き込んだラ・ピュセルの『身柄争奪戦』に勝利したのは、大方の予想通り <インクランド王国> であった。理由は簡単。彼らが1番金を持っていたからだ。
 一四三〇年一二月。
 ジャン・ド・リュクサンブール伯爵は、イギリス人にピュセルを売り渡した。そしてその引き換えとして、彼は金貨1万クラウンを手に入れたのである。これは仮に貴族の身柄をやりとりする金額としても、法外な額であった。ピュセルには、並みの貴族以上の価値があったというわけである。
 こうして、自身が予測していた通り、外交と取り引きの道具と成り果てたピュセルは、その身柄を街から街へと転々と移されることとなる。まず、大勢の兵士に囲まれた彼女は、クロレア要塞から広大なクレシー森を迂回し、ソム河の河口に出た。目的地は、ノルマンディー最大の要所 <ルーアン> の都である。
 その道中、彼女はノルマンディー最北の地で、恐らく初めて「それ」を見たことだろう。
 ――そう。限りなく広がる大海原。ノルマンディー海峡が、そこにはあったはずだ。
 ピュセルは海を見たことが無かった。アランソン侯の話でしか知らなかったそれを、いつか見てみたいと……
 そう望んでいたはずである。
 そしてそれは、最悪の状況下で叶えられたのではなかろうか。彼女の隣には、待ち望んでいた人物の横顔は無く、自由を束縛する敵兵しかいない。彼女は捕虜として囚われながら、生まれて初めて海を眺めたのだ。
 それは苦痛でしかなかったであろう。彼女は知っていたはずだ。その海が、自分を買い取った敵国イングランドに続いているだろうことを。
 待ち受ける死の運命から逃れうる希望は、その時、彼女に果たして残されていたのだろうか。



SESSION・102
『最後の覚醒』


 ノルマン様式の町並みに囲まれた、難攻不落と名高い要塞がある。ル・ブーヴルイユ城。 <ルーアン要塞> とも呼ばれる、ノルマンディ地方最大の要所のひとつである。
 再び安定期が訪れ、ゴーストとして覚醒したアランソン候が最後に訪れたのが、このルーアンの町だった。
 既にことある度語られてきたことだが、アランソン候はピュセルによって時空の彼方へ飛ばされる直前、意識の一分を切り離した。それがいわゆるゴーストである。
 ただ、ゴーストはあくまで意識の欠片――残留思念の一種にすぎない。いわば主が去ったあと、椅子に残されたかすかな体温のようなものであるから、その存在は希薄極まりなく、長時間維持するのは困難を極める。
 事実、アランソン候は時間が迫りつつあることを明確に感じ取っていた。恐らく安定期を迎えられるのは一、二度。それ以降は意識が薄れ、霧散するように消えてしまうだろう。もう、時間が無かった。

 ゴーストとして最後にピュセルに出会ったのは何時だっただろうか。
 記憶が確かなら、ランスだ。
 戴冠式の後、シャルル勝利王誕生を国民が歓喜と共に迎えていた時――彼女は、ひとり思案に暮れていた。
 あの青月の夜、自分の足で立って歩くための決意をピュセルは固めたようだった。
 そうすることが適当な対応であったかは分からない。だが、彼女は泣いてたのだ。それを黙して眺めていられるはずもなく、アランソン候は彼女に寄り、そして声をかけた。
 ゴーストは声も出せない。彼女からは見えもしない。触れ合うこともできない。そう知っていたのに。
 それでも彼女は、侯爵の気配に気付いてくれたようだった。その意識はすぐに薄れ、風と共に散ってしまったけれど。アランソン候にはそれで十分だった。
 ただ、彼女にとっては――どうだっただろうか?
 気が付けば、あれからもう半年が過ぎていたらしい。アランソン候はその間、一度も目覚めることができなかった。そしてようやく安定期に入って覚醒した時には、この状況だ。
 ランスで最後に出会ったのに、今、彼女の波動を感じるのはランスから遠く離れたルーアンの都。ルーアンは未だ対抗勢力下にあるはずだ。そこに彼女がいるということから導き出される結論は、ひとつしかない。
 彼女は戦に敗れ、捕虜になったのだ。

 ゴーストの特性を生かした情報収集で得た話によると、案の定、彼女は囚われの身となっているらしい。それで、各地を転々と移動させられた彼女は、最終的にこのルーアンの地へ辿り着いたという。クレスマス・イヴの前日のことだ。
 ルーアンの町に聳え立つル・ブーヴルイユ城。遠目にもでも、この要塞には見る者を竦み上がらせるような威容さがあった。夜闇に浮かび上がるその陰惨なシルエット。死を待つに、これほど似合いの場所があろうか。
 そう。ピエール・コーションが、ベッドフォード候に裁きの地として申し入れたのがこのルーアンであった。
 彼女は、ラ・ピュセルという名の少女はこの地で死ぬのだ。

 アランソン候にとっても、ピュセルにとっても、残された時間はあと僅か。候の意識に限界が訪れて、ゴーストが消失するのが先か。それとも、彼女に有罪判決が下されて、刑が執行されるのが先か。もうこの中世で彼女と過ごせる時はないに等しい。
 問題はその限られた時の中で何ができるかということだ。悩んでいる暇は無かった。
 本来なら、単独の兵士が何の用意も援護も無くこの要塞に侵入するのは不可能だ。だが、今度ばかりはゴーストであることがプラスに転じた。物理的な肉体を持たないアランソン候には、壁をすり抜けるなど容易い。
 ピュセルの気配と波動を辿りながら、要塞の中を飛びさ迷い、一途彼女の元を目指した。
 なんの力もない意識の塊には、もうそんなことしかできそうもない。それが何より悔しかった。


 身動ぎでもしたのか、ジャラリと鎖が床に擦れて音を立てた。
 そしてまた、闇に沈黙が訪れる。少なくとも、彼女にこの沈黙を破る気力は残されていなかった。
 が、番卒の男たちは違ったらしい。
「惨めな姿だな、リリス」
 夜闇に包まれた牢獄に、低い男の声が響いた。
 返事はなかった。いや、できないのか。尤も、男にとってはそんなことはどちらでも構わなかった。
 ラ・ピュセルが閉じ込められたのは、 <冠状塔> と呼ばれる小高い塔の一室だった。ル・ブーヴルイユ城には広い中庭があり、それを取り囲むように七つの塔がある。冠状塔とは、要するにその内のひとつである。
「貴様は異端として告発されている。じき宗教裁判も決着し、貴様には有罪判決が下され刑は執行されよう。異端の魔女の処刑方は火刑。生きながらにして火炙りにされてな」
 乙女という名の少女は、なにも応えなかった。
 房内には、夜の帳が下りると完全な暗黒が形成される。光はまったく存在せず、ピュセルの姿はもちろん、房内の全てが闇に溶け込み識別は不可能であった。低く響く声も、狭い空間に反響するせいもあって、何処から誰が発しているものか分からない。
 彼女は、常に五人のイギリス人に監視されていた。牢の鉄格子の外側に二人。そして獄内に三人。
 この内、四人が監視機構から派遣された使徒であることを知る者はいない。ピュセルと本人達以外は。

「しかし、皮肉なものだな。我々使徒は、 <監視機構> という名の神が創り出した真の天使。――リリス、その意味でお前は紛れもなく天の使い。天使なのだ。その天使を人間どもはそうとも知らず、異端裁判にかけ、生きたまま焼き殺そうとしているのだ。奴等は天使を魔女として殺すのだよ。傑作な話ではないか」
 皮肉混じりの使徒の声がピュセルの脳裏に直接響いてきた。
 だが、それにさえも小さな少女の躰は反応を見せなかった。また、絶望的な闇と沈黙が場を支配した。
 それから、どれほどの時が過ぎただろうか。ふと、彼女の牢獄へと続く狭い回廊に、甲高く響く足音が聞こえてきた。
 ひとつではない。足音から察するに恐らく五、六人。ちょっとした集団のようだ。一定のペースを保ちながら、徐々にこちらに近付いてくる。
 やがて、ピュセルが閉じ込められた房内にあまりにも場違いな香水の香りが漂ってきた。どうやら来客は女性らしい。

 ピュセルは正気を保つために、常に冷静な思考を保つことを心がけていた。状況に少しでも変化が訪れる度、それを細かに分析し吟味する。そうして常に頭を使い続けることで、気が狂うのを回避しているのである。
 もっともそれでさえ、今自分が正気を保っているのか、それともとうに発狂してしまっているのか、判別し難い状況であった。
 何も見えぬ、光のない漆黒の絶望の中で、すぐ側に壁があるのか、それともそこは見渡す限りの広大な空間なのか、それすらも分からず、ただ時だけがゆっくりと――いや、そもそも時は正常に流れているのか?
 決して助けは現れず、四肢は固定され動きは完全に封じられ。常に見知らぬ男達に監視されつつ、たまに牢が開かれては異端審問に引き摺り出される。
 それは、一九歳の少女が正気を保つには、あまりに辛すぎる環境だった。

「どうか、お手に触れるようなことはございません様に。相手は魔女です。なるべく近寄らず、常に細心の注意を払って下さい」
 門の外から、緊張した番兵の声が聞こえてきた。
「――心得ているつもりです」
 返ったのは気品を感じさせる女性の声だ。しかも、ただ品格を感じさせるだけではない。それは、明らかに命令しなれた者が持つ何かを有していた。
 貴婦人、それもかなり高い身分にある者だろう。
 そんな女性が、この囚人の魔女に何用か。自嘲しながらもピュセルは素早く考える。
 そこまで考え、ここにきてからまだ処女鑑定を受けていないことに気づいた。女性が来たということは、そのためか。可能性としては十分にあり得る。
 彼女はキリスト教において神聖とされる純潔の少女――ラ・ピュセルと名乗るからには、当然乙女でなければならない。この証言が嘘か真か、それを調べるつもりだろう。
 もし、未婚にも関わらず男と交わっていれば女は不浄な者と見なされる。同時にピュセルも虚言を吐いていたことになる。有罪はそれだけで確定だ。
 だが、確かめるまでもない。どんな男にもこの肌に触れることを許したことはない。また、これからもそうするつもりはない。
 もしその決意が揺らぐようなことがあるとすれば――
 瞬間、ピュセルの脳裏に遠慮がちに微笑む青年の相貌が浮かんだ。
 あわてて頭を振る。いかな彼にとて、やはり抱かれるわけにはいかない。いかないのだ。
 ピュセルは、思わず乾き荒れた唇を噛んだ。
 自分は <使徒> だ。死神ゼルエルの例を見るまでもなく、人間と契ることの意味はりかいしているつもりだった。ある意味、それは血の契約に等しい行為となり得る。不用意に新たな使徒を生むわけにはいかなかった。リリア・シグルドリーヴァが第二の力天使クレス・シグルドリーヴァを誕生させたようには。

 そこで、ピュセルはハッと気付いた。
 だからであったのだ。連合が、身体を奪おうとしないのは。
 ラ・ピュセルを名乗る女がもし異性を知っていれば、それは即座に <罪> 。この図式が成り立つ以上、無理矢理にでも破瓜の血を流させてしまえばそれで全てが終わる。
 フランスの味方兵士に囲まれている時にすら、自分の躰を女のそれとして付け狙う輩の視線を無数に感じていたほどだ。幾ら魔女と恐れているとはいえ、イングランドの人間とて男は男。異性を知らぬとされる娘の身に全く関心がない訳はあるまい。男の低俗な欲求は時に恐怖すら誤魔化すようだから。
 それに待ったをかけているのは、恐らく監視機構なのだろう。下手に人間の兵士などに自分の身体を奪わせれば、その男が使徒になってしまう。監視機構に属さない使徒の誕生。彼らが、それを望むわけがない。
 では、使徒にやらせるか?
 理屈の上では可能かもしれないが、これは賭けである。もし、そのようなケースが現実になった場合、自分は迷うまいと思う。使徒は人間が舌を噛むより確実に自害する術を幾つか持っている。代表的な例が、コアの暴走による自爆だ。
 ピュセルにその覚悟があることは、監視機構も承知しているということなのだろう。
 そういうわけだ。
 命も、自由も、未来も、全ては近いうちに奪われる。ピュセルはそう悟っていた。だから、アランソン侯との約束も、結果的には果たせない。もう、守るものはひとつしか残されていないのだ。
 そんなに欲しいのなら、この命はくれてやる。だが、それ以上に譲れない物がある。
 この絶望的状況下で、いっそ発狂した方が楽なのかもしれない。だが、それができない理由がピュセルにはある。守るものが、できたのだ。
 候との出会いから、大事に大事に育ててきた心。それから生まれた、ヒトとしての絆と誇り。たとえ他の全てを奪われることになってもそれだけば、絶対に譲れない。
 だから、ピュセルの心はまだ死ねなかった。たとえその身を失っても、最後の瞬間まで自分はそれを守り抜くだろう。そんな思いを新たにする。
 或いは、それが戦場を駆ける中ラ・ピュセルに生まれた騎士道なのかもしれなかった。


「――牢を開けて下さい」
 ベッドフォード公爵夫人、アンヌ・ド・ブルゴーニュは静かに言った。
「本当によろしいのですね? 相手は、オルレアンで我々の生き血を啜った魔女なのですよ」
 相手は、イングランド軍の最高権力者の奥方だ。番卒も慎重にもなるというものだ。
「構いません」
 そんな番卒の心境を知ってか知らずか、アンヌはきっぱりと即答した。
 アンヌの決然とした態度に観念したのか、番卒は鍵束を探りゆっくりと牢獄の格子を開く。その場にはアンヌ以外にも彼女の侍女が数名控えていた。彼女たちの幾人かは、既にハンカチをスタンバイし口元に構えている。
 牢獄とは不浄な場所。そういうイメージがあるらしい。そして少なくともこの場合、そのイメージ通りの光景がそこには広がっていた。
 アンヌたちは護衛の兵を連れ、ゆっくりと独房に入っていった。房内はジメジメと湿気に満ちた、陰欝極まりない空間だった。あまりに濃い闇とその瘴気染みた空気に、足を踏み入れただけで激しい嘔吐感が押し寄せてくる。排泄物か、それとも差し入れられた食物の腐敗臭か、悪臭も酷い。果たしてこれが人間の住まう場所だろうか?
 アンヌは眉根を顰めながらも、この暗闇の中、フランスの魔女を見つけようとあちこちに視線を巡らせた。だがなにしろ、松明の光があってさえなお、そこは暗すぎる。明るい外界から訪れた人間には、暗がりに目が慣れるまでかなりの時間がかかるのだ。アンヌたち貴婦人には尚更だった。

 ――だから当然、それを発見するにも少し手間取った。
 最初は壊れた人形かと思った。ボロ布をまとったまるで死骸かのような、あまりに小さな闇の集まり。房内の隅に影に溶け込むように無造作に崩れた人型。それがフランスの魔女だった。
 もとはかなり白い肌をしているのだろうが、それは薄汚れ、しかも荒れ果てていて見る影もない。細すぎる足首には無骨で大きな足枷が嵌められており、それが鎖で寝台の脚に繋がれている。その上、身動きすらできない様に鎖で身体を縛られ、さらに木塊に結び付けられていた。
 暗い上に、俯いているせいで顔を窺うことはできない。また、その顔を隠すかのように垂れ下がる蒼銀の髪は、荒れ、もつれ、本来持っていたであろう艶を完全に失っていた。素足に乱暴に嵌められた足枷のせいで、足首の肌が傷つけられ赤黒い血が付着しているのが痛々しい。
 彼女の側にぶちまけられた食事らしき腐敗物に、侍女たちは思わず顔を顰めた。もはや、ラ・ピュセルは人間として扱われていない。それが一目で理解できた。
 番卒のひとりが、グッタリと座り込んでいるピュセルに歩み寄っていく。

「おい、顔をあげろ」
 そう命令すると、靴の爪先で少女の腹を乱暴に蹴り上げる。鎖が甲高く鳴り、少女の小さな躰がよろめいた。
「面を上げて、御婦人方に顔をお見せしろ!」
「やめなさい」
 今度は顔面に蹴りを入れようとした番卒を、アンヌが止めた。
「女性の前で無用な暴力を奮うとは。我が王に仕える男子なら、節度を知りなさい。彼女が異端であると、まだ証明されたわけでもありますまいに」
「はっ」
 アンヌの叱咤に、番卒は身を縮こまらせて後ろに下がった。
 戦争という混乱と極限状態の中で、人間らしさ――そんなものを保つことができる優しさと強さ。それを持っているのは、どうやら女性が主らしい。
 囚われてから早半年。ノルマンディーをほぼ横断するような形で各地を転々と移動してきたピュセル。様々な町で、様々な牢に閉じ込められてきた彼女であるが、捕虜に対して人間らしい扱いをしようとしない男達に対し、出会った女性の多くは彼女に同情的であった。
 それは、ピュセルが彼女と同じ女性であったからであろうか。たとえば、リュクサンブール伯の居城、ボールヴォワール城の天守閣に幽閉された際も、ジャンヌという三人の貴婦人たちは彼女に非常に優しくしてくれた。
 彼女たちはピュセルに快適な寝床や、清潔な衣類を提供し、話相手にもなってくれた。まるで古くからの友人のように、優しく微笑みかけてくれる三人のジャンヌとの一時は、ピュセルにとって束の間の安らぎであった。

「今後、判決が下されるまでこの娘に暴力を振るうことは一切許しません。これは命令です。何人たりとも、故無くこの少女に触れてはなりません。いいですね。この命に反した者は厳罰に処します」
 アンヌは厳命すると、傍らに控えた侍女たちに命じてピュセルを起こさせた。衰弱した体には辛いだろうが、これから処女検査を行わなくてはならない。そのために場所を移す必要があるのだ。
 本人の見立て通り、ピュセルの立場は非常に微妙で曖昧なものだった。それは誰の目にも、このアンヌという有閑貴婦人の目にさえも明らかであったに違いない。彼女が捕虜として囚われて以来、幾度と無く無理矢理引っ張り出されたのは <異端裁判> である。つまり、教会がピュセルの罪を神に代わって問う場所である。
 それなら当然、彼女は <異端者> または <異端の告発を受けた者> として教会の牢に繋がれるのが順当だった。しかも男性ではなく女性の看守が付けられ、異端の疑いを掛けられたほかの女囚と同じように、比較的穏やかで、適度な品位を保証された扱いを受けることができたはずだ。
 だが、現実はどうだろうか。彼女は戦争捕虜として捕えられ、人間として最低限保証されるべきものすら奪われている。暗く陰鬱な牢に閉じ込められ、異性の看守五人に昼夜ベッタリと張りつかれているのだ。
 ――そう。形として、これは宗教裁判。異端裁判である。だが実際のところ、これは完全に政治的な処刑裁判であった。
 用意された結果は『処刑』による死。その処刑にかけることが妥当であるか否か。問われるのはそれであり、異端の告発はただの口実に過ぎない。
 虚構と欺瞞に塗れた政治裁判。それが、彼女の死の舞台だった。
 一四三一年、五月三〇日水曜日。アンヌの計らいも虚しく、権力者達はピエール・コーションの協力を得て、数十回に渡る審問を行った結果、ついに彼女の処刑を決定した。
 その罪状は、やはり異端としての背徳行為。つまり『神の声』を聞いたなどと偽り、神を冒涜した罪は万死に値するというわけである。
 刑の執行は、翌日と定められた。処刑方法は、火刑。
 ――生きたままの火炙りである。



SESSION・103
『アスカ、語る』


 フランスに来てから列車に乗るのは、もう何度目だろうか。長距離の移動にはもっぱら列車を使っていたから、結構な回数になっているだろう。列車の旅は、概ね快適なものだった。
 リニアタイプの国鉄、しかも特急だから地方を走るような揺れは少ない。というより、ほぼない。音も揺れもない、静かな旅路が続く。車窓から覗く景色の流れていく速度も、かなりのものだった。
 シンジは、アスカ、カヲル、そしてガルムを伴い、予定を切り上げて最後の予定地ルーアンに向かっていた。スケジュールの変更を迫られたのは、月面の魔皇 <サタナエル> が動きを見せはじめたからだ。
 現状でサタナエルに対し最も高い勝率を期待されるのは、ガルムとヘルだと言われている。そのため、のんびりと感傷旅行を楽しんでいられなくなったのである。

「色々あって結構楽しかったけど、フランス旅行もこれで終わりってわけね」
 四人掛けの自由席に腰掛けたアスカが、流れる景色をボンヤリと見詰めながら言った。
「そうだね。本当はもっとゆっくりしたかったが……」
 窓側に座るアスカ、その隣に陣取っているカヲルが呟く。表情はいつもと大して変わらないが、声音は確かに残念そうだ。
「仕方ないよ。もともと無理して企画された旅なんだから。高校の方も、これ以上休学しているとさすがに留年になりかねないし」
 肩にガルムの頭の重みを感じながら、シンジは言った。自分でも面白みを欠いた優等生的発言だとは思うが、事実は曲げられない。
「短かったが、得るものはあったと言ったところかい?」
 カヲルの言葉に、シンジは小さく頷くと言った。
「でも、これから行くルーアンには一番大きなものがあるだろうね」
「彼女が、その、死んじゃった場所だもんね」
 アスカが珍しく、言いにくそうにして小さく呟く。
「彼女が炎に包まれて、そして消えていく瞬間と……僕の残存思念体の存在が希薄になって、消滅していく瞬間とはほぼ同時だった。僕は彼女を殺した全ての存在を呪詛しながら、消えて、そして」
「――霧島邸で目覚めた」
 カヲルが後を継いで言った。シンジはそれを無言で肯定する。

 もともとシンジが六〇〇年前の記憶に目覚めたのは、霧島理事長の咒術のおかげだ。理事長とマナはその際、同じ術にかかることでシンジの記憶を垣間見た。その後、術の効果は消え、理事長とマナは目覚めたものの、シンジだけは眠り続けたのだと聞いている。引き続き夢の中、術の中、そして過去の中をさ迷い続けていたのである。
 その間見ていたのがゴーストを通した過去のつづき。次元封印後、アランソン侯の失われた世界での出来事であったというわけだ。
 そこで見たものは、今も網膜に焼き付いてしまったかのように残っている。ピュセルがまさに、世界に殺されていく様だ。
「あそこには、まだピュセルの残存思念っていうのかな。六〇〇年前から消えずにずっと残っている、想いのカケラみたいなものが残っていると思うんだ。きっと」
 だから、彼女が消えた地ルーアンを最後の目的地に選んだ。
「はぁ……」
 その言葉をきいたアスカは、小さなため息を吐くと座席に身を埋めた。そして車内の天井を見上げて、何事かを思案するかのように黙り込む。
 らしくないアスカに、シンジとカヲルは顔を見合わせた。
「どうしたんだい、アスカ君」カヲルが代表して訊く。
 アスカは唸るように応えただけで、目立った反応を見せなかった。

「具合でも悪いの?」
 心配になってきたシンジは、恐る恐る訊いた。幼馴染として見ても、今のような表情をしたアスカはそう記憶にない。
「別に」アスカは視線をシンジに向けると、気だるそうに言った。「ただ、私なりに色々と考えていたわけよ」
「何を?」
「アンタ馬鹿? 今、この時期考えなきゃいけないことって言ったら、一つしかないじゃない。まったく、シンジ!」
「は、はい」
 アスカの声に、反射的に萎縮して応える。声に驚いて眠っていたガルムが目覚めるかとも思ったが、彼女は何事もなかったかのように静かな寝息を立てていた。
「あんたがややこしい問題を次から次に持ってきてくれるおかげで、私まで悩まされちゃったじゃないの」
 また訳の分からないことを言い出したアスカに、カヲルと再び顔を見合わせた。
「色々と難しいから、なるべく考えないようにしてたんだけどさ」
 アスカはそんな二人を無視して、ゆっくりと語りはじめた。
「やっぱり私としての結論はこうよ。シンジ、あんたは間違ってるわ!」
 シンジを指差してアスカは突如宣言した。
「――アスカ嬢。僕らにも分かるように説明してもらえないかな」
 カヲルが遠慮がちに申し入れた。

「だからね、私はシンジの考えが根本から間違ってると思うのよ」
 座り直して姿勢を正すと、アスカは言った。
「過去にこだわり過ぎっていうか、振り回されてるっていうのか」
「僕が?」
「そうよ!」
 キッと鋭い一瞥をくれると、他に誰がいるのよと彼女は小さく怒鳴った。一応、他の乗客を配慮しているようだ。
「いい、シンジ。あんたはシンジ。バカシンジなのよ。分かる? あんたは碇シンジ。それ以外の何者でもないのよ」
 相変わらず意味不明だったが、下手に口を挟むと余計に話がこじれると結論づけ、沈黙を守ることにした。カヲルも考えは同じらしい。無言で話の先を促している。
「六〇〇年前だっけ。アランソン侯っていう、シンジ似の貴族がいたかもしれない。その人がラ・ピュセルって女の子と懇意にしてたのは、そりゃ歴史書の語る通り事実なんでしょうよ。で、ふたりは約束したわけよね。いつかもう一回逢おうねってさ。それから一〇〇歩譲って、シンジがそのアランソン侯の生まれ変わりだか、転生だかってことにしてもいいわよ」
 そこまで一気にまくし立てると、アスカは缶入りの紅茶を一口飲んだ。
「でもね、それが何だって言うのよ。そんなの過去のことじゃない。あんたはシンジなの。碇シンジなのよ。前世の記憶を持ってたって関係ないじゃない。それは、前の人生でのことなわけでしょ? 転生があり、生まれ変わりがありってことなら、私にだって前の人生があるかも知れない。でも、それが何だって言うの?」
 アスカはわずかな沈黙を挟むと、シンジの視線を固定したまま、思いのほか落ち着いた口調で話を続けていく。
「男は過去を引きずりたがるけど、そんな風に全部を保存しようとするから抱えきれなくなってハングアップしちゃうのよ。必要があれば、記憶は上書きする。女のそういう部分もたまには見習うべきね。それが前世の記憶っていうならなおさらそうよ。生まれ変わったのなら設定はリセット。まっさら白紙としてとらえるべきでしょう。新しい人生を、新しい設定で、新しい環境下で謳歌する。それが正しいあり方だわ。そして健康的なあり方でもあると思う。もとからそんな性格ではあるけど、今のあんたって本当に不健康だと思うわ。考え方そのものだけじゃなくて、生き方からしてそう」

 当事者たる立場からすれば、何らかの言葉を返すべきなのかもしれない。しかし、口にできる言葉など何もなかった。
 相手の沈黙をどう取ったのか、アスカがよどみなく続ける。
「だから断言するわ。シンジ、今のあなたの生き方は間違ってる。アランソン侯の記憶の影響を受けて、過去に無くしてしまった約束のために今の人生を賭けるなんて何の意味もないの。ううん、するべきじゃないのよ。人は未来のために生きるわ。でも、シンジ。あなたは過去のために生きてる。しかもその過去に振り回されている。むかし持っていて無くしてしまった物のことばっか考えて、新しい人生の中で手に入れた大事な物には目もくれない。それじゃ、あまりにも不幸よ。あたしもいい面の皮」
「でも、それを僕は選んだ。過ちだとしても、僕はその過ちを自分の意志で選択したんだ」
 アスカの視線を受け止めると、ようやくそう返した。
「ま、そりゃそうよね」アスカは軽く肩をすくめた。「シンジの人生だから、シンジがどう使おうが勝手ってもんよ。でも、今ではその理屈も通用しないと思わない? あんたのワガママのために、今世界は凄い勢いで変わろうとしている。世界に戦争がはじまるかもしれないって、そういうところまで来てるんでしょ」
「それは……」
 言葉に詰まる。それが全てではないが、確かに事の発端が自分にあることは理解していた。
「ねえ、シンジは監視機構との決闘を望んでいるって言ってたわよね」
「う、うん。これはピュセルを賭けた、僕と監視機構との個人的な問題だから」
 その言葉にひとつ頷くと、アスカは続けた。
「でもね、シンジ。私が思うに、それは決闘じゃなくて復讐なんじゃないの? あんたの恋人を酷い目に合わせた組織。それが許せない。だから、戦って潰す。確かにそれはどちらも個人的な感情でしょうよ。だけど、今その個人的な復讐の手助けをしようとオジサマが動きはじめた。マナも動いてるわ。そしてそれに呼応するように、世界も動こうとしている。もう個人の問題だとか、そんなこと言ってる場合じゃないと思うんだけど。ひとりで責任取れるような事態じゃないわよ。戦争って、責任のとりようがないでしょ?
 そりゃ、シンジと監視機構が戦って、どっちかが死のうがそれは自由よ。自分の命だからね。だけど、戦争って関係ない人まで巻き込んで殺すわよ、きっと。そうなった時、他人の無くなってしまった命に責任なんてとれるもんなの? お金払おうが、為政者が辞任しょうが、国が謝ろうが、命は返らない。違う?」

 正直、アスカの言葉に少なからず衝撃を受けていた。
 周りを知らなかったわけではない。だが、確かに自分の事情と感情に溺れて周囲が見えてなかったのは確かのようだ。そこまで、考えが回っていなかった。それは、アランソン侯らしくない、致命的なミスの生産に繋がる重大な見落としであった。
「だが、アスカ君。今更シンジ君が剣を収めても、走り出した時代は止められない。戦争はもう回避できないところまで来ている」
 見かねたのかカヲルが助け船を出してくれる。あるいは、これは碇シンジという一個人に完全帰属する問題だとまでは認識していないのかもしれない。
「まあ、ね。それが分からない程、私も子供じゃないわ。だけど、シンジにもその辺のところ考えて欲しかったわけよ。マナはこの戦争で、自分の居場所を見つけて戦うつもりらしいけど、私は他人の戦争に巻き込まれてあれこれ考えさせられるなんてまっぴら。癪に触るわ」
 おどけた手振りで語るアスカだが、目は真剣だった。彼女なりに熟考を重ねた結果の結論なのだろう。
「覚えといてね。シンジ。あんたの望んだ戦争の中で自分なりの大義を掲げて戦おうって人もいるようだけど、それを望まない、いえ、迷惑に思ってる人間もいるわ。私もその内のひとり。――ま、そうは言っても私の予測通りなら、私はそれでも巻き込まれることになるでしょうけどね。無関係の立場をとるには、私はシンジに近すぎるから。だから火の粉を振り払うために結局は戦わなきゃならない。形は分からないけど。シンジ、貴方のしようとしていることはそれだけの大事なのよ」

 力を持つということ。戦争を起こすということ。責任をとるということ。そして、過去に向かって走るということ。
 これまで幾度と無く考え、頭を悩ませてきたことだ。それでも、解答は出ない。いや、求めている正解などないのかもしれない。
 あるいは、それは人間を越えた――例えば魔皇である <ヘル> のような存在にしか解けないリドルなのかもしれない。そういった問題が山積みされているのだ。
「言いたいことは、まだまだ沢山あるわよ。あんたの都合で、勝手に時間を溯って過去の恋人を助けていいのか。死んだ人間を、生かしたままこの世界に連れ帰ることが許されるのか……とかね。あんたたちは、そりゃ確かに凄く辛い目にあって、死ぬほど哀しい想いをしたことでしょうね。できるなら、もう一度過去をやり直したい。そう思うのも良く分かるわ。でもね、シンジ。あんた、自分が世界で一番哀しい人間だって思い込んでない? ピュセルが一番不幸な少女だなんて思ってない?」
 口調こそ穏やかに装われているが、彼女のその視線は鋭い。
「確かに、ある意味それは正解かもしれない。心から好きだった人を失うことほど辛くて哀しいことはないと私も思うから。でも、命より大切な人を失った経験を持つのは、何もアンタたちだけじゃないわ。できるなら過去に戻ってやり直したい。助けたい。そう狂おしく思っている人達は、過去にも今にも、そして未来にも大勢いるはずよ。でも、彼らにそれは叶わない。何故なら、過去に戻るなんて人間には不可能だから」
 アスカはそこで言葉を一旦切ると、一呼吸置いて、静かに続けた。
「だったら、シンジ。なぜ、アンタたちには例外的に許されるの。魔皇の力を得た。それだけの理由で、アンタたちにだけそんなワガママが許されていいの?」
 もっとも、ホントにアンタの魔皇の力で過去に溯れたら、の話だけどね。そうアスカは付け加えた。
「元々アタシはね、運命とか、生まれ変わりとか、転生とか前世とか、とにかくそういう展開は大っキライなの。そんなこと考えてたらいつまで経っても前に進めなから。それに過去を持ち出したら、際限無く人生に言訳が付きそうだからよ」
「アスカ……」
「その資格もないくせに、シンジに酷いこと言ってるのは自覚してるわ。でも、事が事だけにそれだけの事を考えて、きちんと覚悟して、それでもって言う人間しかここから先には進んじゃいけないような気がするのよ。愛しの乙女もいいけど、シンジにはパパもママも、友達も、私だっているわけなんだから、ちょっとはそっちの方も考えてみたら?」
 口調を緩めて、アスカはのんびりとそう言った。

「なるほど。どうやらアスカ君も、これまでの経験から色々と考える機会に恵まれたようだね」
「ん?」
 カヲルのしみじみとした物言いに、アスカは小首を傾げる。
「成長したってことさ」
「なに偉そうなこと言ってんのよ」
 アスカは照れ隠しのように言い放った。
 そんな二人のやりとりも、今のシンジには聞こえていなかった。
 カヲルの言う通り、もう戦争がはじまるのは必至となった今、碇シンジという個人に一体どれほどのことが出来るのか。
 少なくとも現時点では、ただの一つも救いはない様に思えていた。戦争は多くの人の命を奪うだろう。悲惨な世界を作り上げ、多くの悲劇を生むだろう。だが、その戦争を望んだのは他ならぬ自分自身であり、その戦争を導いたのもまた己であると言えるのだ。
 また、意識が深く自分の内側へもぐりこんでいくのを感じた。  あり得ないかもしれない答えを、ただ探し求めて。



SESSION・104
『もしも私が天使でなかったら』


 ベッドフォード公の后、アンヌの存在は幸運だった。ピュセルは彼女の存在に感謝した。もちろん、ゴーストとして彼女の身辺をさ迷うアランソン候の <ゴースト> にしても、それは同じだった。
 アンヌ后妃と、その侍女たちによって身体検査を受けたピュセル。その場でピュセルが本当に『乙女』であることが確認された。少なくとも <ラ・ピュセル> の名に偽りはなかったことが、これで証明されたのである。
 アンヌ后妃はその事実に感動したらしい。ピュセルの年齢で純潔を保っていると言うのは、当時の社会ではそれこそ奇跡にも等しいことだったからだ。彼女ももう一九歳。普通なら当に結婚して、子供がいなければおかしい年齢なのだ。
 それにやはりアンヌとて、キリスト教の教義が根底に流れる社会で生まれ育った女性。『乙女』が『神聖』な存在である、という考え方に疑念を抱いていない。
 だから、ピュセルがピュセルである限り、彼女は神聖であり『魔女』呼ばわりされて異端の疑いを掛けられることなどナンセンスだという結論に行き着く。アンヌは、ピュセルの潔白を同じ女性として信じた。
 それからというもの、アンヌはさらにピュセルに同情的になった。ピュセルに訪れた思いがけない幸運とは、まさにこのことだ。
 アンヌの計らいにより、ピュセルは牢を移された。光の届かない劣悪な環境下からすれば、彼女に与えられた新しい牢獄は、快適とさえ感じられる空間であった。
 もっとも、彼女が相変わらず捕虜としての扱いを受けていたことは変わらない。やはり鎖によって四肢は拘束されていたし、牢獄の外には番卒が常に張りついていた。だが、それでも以前よりは、格段に衛生的で安全な環境であったこと否めない。
 しかし、アンヌのこの好意的な計らいも、結局は無駄に終わる。
 ――ピュセルに有罪判決が下され、処刑が決定されたのである。
 ラ・ピュセル本人も、 <教会> や <連合> が自分を処刑せんと、事を性急に運ぼうとしていることに気が付いていた。
 実際、端から見ている人間にも、それは相当に急な展開に見えたであろう。だが、それは仕方のないことだ。事は本当に、険しい崖を転げ落ちていく小石の如く、終末へと急展開していったのだから。
 一四三〇年 五月三〇日。
 ラ・ピュセルが囚われてから、今日、この日を迎えるまで……実に一年の月日が流れた。だが、それを長いと取るか短いと取るかは別として、彼女を裁こうとする人間達は、早急に彼女を抹殺したがっていたのだ。本当は彼女を捕虜としたその日の中にでも、さっさと処刑してしまいたかったに違いない。
 だが、彼には彼女を堂々と火炙りにするだけの、口実がなかった。それ無くして抹殺しては、彼女を殉教者に仕立て上げてしまうことにもなりかねない。だから、彼らはピュセルを貶(おとし)めようと躍起になっていたのである。
 彼らは何度も彼女を審問し、処女検査を行い、牢獄に叩き込んで精神的に追いつめて、自白を強要しようとした。だが、彼女はそれに耐えた。そこで――
 事が予想以上に長期化しつつあることに焦った彼らは、手段を変えて彼女に迫ることにしたのである。
「――閣下」
 サン・トゥーアン墓地に臨時に設けられたテントの中で、裁判記録に目を通していた男はその呼び声に顔を上げた。イングランド国王の叔父にして、 <連合軍> 最高司令官であり、フランス王国の次期宰相でもある男。ベッドフォード公爵その人である。
「コーション司教か」
 ベッドフォード公は、テントに入ってきた聖職者をそう呼んだ。ピエール・コーション。ラ・ピュセルの異端裁判を任されている男である。
「閣下、お喜び下さい」
 コーションは満面の笑みを張り付かせたまま、ベッドフォード公に歩み寄った。
「フェア・ウェル。事は万事うまく運んでいます。今日で全ての決着が着くでしょう。……我々はようやく、あの小娘を処刑台に送り出すことができるのです」
「うむ――」
 パタンと微かな音を立てて、ベッドフォード公は裁判記録を閉じた。「あの娘を捕えてから早一年。長かったな」
 公の言う通り、ピュセルが連合の捕虜となったのが去年の春だ。あれから幾度と無く異端審問を行い、すでに一年が過ぎ去った。
「まったくです。あの狡猾な小娘に、のらりくらりと尋問を躱され続け……。よもや、これ程までに事が長期化するとは考えてもおりませんでした」
 だがその言葉の内容とは裏腹に、コーションの頬は緩みきっていた。当然だろう。その小生意気な魔女を、遂に火刑台に追いやることができるのだ。今日、この日の異端審問を最後にして!
 ――そのための準備は、整えてある。
「我等があの娘に受けた見えざる被害は、想像を絶する。魔女の死を持って、その呪いから皆が解き放たれることを期待しているよ」
 ベッドフォード公は渋い顔で、そう告げた。
 彼が言っているのは、イングランド=ブルゴーニュ連合の士気の低下のことだ。オルレアンやパテをはじめとする <フランスの魔女> に受けた全滅に近い負け戦の話は、尾鰭が付いて全軍の元へ届いている。
 連合の支配下にある街……たとえば首都 <パリ> などは、ラ・ピュセルが攻めてくるというデマのために、一時期収拾不可能なまでの恐慌状態に陥った経験があるほどだ。
「――恐ろしい話です。 <兵士達> はおろか <宮廷> 、あろうことか <陪席判事> たちの間にも、あの娘が本当に天の使いであるだとか、聖女であるだとかいうことを囁き出す者が出る始末。げに恐るべき魔女です。あの娘は!」
 コーションは、豪華な刺繍の施されたハンカチで額の汗を拭いながら言った。そして、今朝の陪席判事たちとの忌々しいやりとりを思い出す。
 コーションは、ピュセルを陥れるための罠を仕掛けた。罠といっても、単純極まりないものである。それはピュセルが戦場でいつも『男装』していたということを、巧みに利用したものだった。
 キリスト教の思想では、女は婦人服を男は男物の服を着ることが当然とされている。つまり女性でありながら、男の服を着て男装するのは御法度であるわけだ。コーションはまず、そこを攻めた。
 敬虔なキリスト教徒であり、異端の者でないのなら、何故男装をしたのか。その問いに、ピュセルは戦場では男の服を纏い、その上から甲冑を装備するのがもっとも合理的であったからだと応えた。
 確かに、戦場は命のやり取りを行う場所だ。女男に関係なく、スカートをヒラヒラとはためかせながら戦うよりも、甲冑を着て戦った方が生き残れる可能性が高まる。
 当然の解答だった。
 ならば、とコーションは返す。お前はもう戦場にはいない。自分が教会に逆らう意志がないことを証明するために、婦人服を与えられればそれを纏い、二度と男装をしないと誓えるか?
 ピュセルの返答は、『YES』だった。
 そこで、コーションは牢に戻ったピュセルに、約束通り婦人服を与えた。当然ピュセルはそれを身に纏う。……だが、そこに罠があった。
 翌朝、ピュセルが目を覚ますと着替えの婦人服が、忽然と消えていた。代わりに牢の外から投げ込まれたのは、男物の服である。他に着替えがないので、ピュセルは仕方なくそれを着るしかない。
 だが、その事実はコーションの格好の攻撃の的となってしまった。そしてそれこそが、彼のしかけた罠だったわけだ。
 宗教裁判所が処刑を命ずることができるのは、いわゆる『戻り異端』に対してだけだ。つまり、最初は異端であったとしてもそれを一度は許す。そして悔悛させる。
 だがその後、もう一度異端に戻ってしまった者。悔い改めながらも、同じ過ちを繰り返した者だけが、実際に宗教裁判所によって死刑判決を受けるわけである。
 コーションは実質的な訴因を作り出すため、窮余の一策としてこの男装の一件を強引にでっち上げ、ピュセルを『戻り異端』に仕立てたのだ。
 一度男装をしたという罪をあらため、婦人服を着るようになった。だが、翌日見てみるとまた男装をしている。コーションは満面の笑みを浮かべて、それをこう結論づけた。
 彼女は魔術で男の服を作り出し、婦人服を捨て再び男装をした――と。
 翌日、コーションは大急ぎで陪席判事を召集させ、彼らにこの話を聞かせた。そしてこの『戻り異端』と 『教会への不服従』についてどのように処置するかを討議させたのである。もちろんコーションは、彼らが断固たる処置……すなわち、処刑を決定するべきだという結論を出すことを期待していた。
 だかその最終審議で出された結果は、彼の期待を見事に裏切った。四二人の陪席判事たちのうち、実に三九人までが『もう一度、神の言葉を引きながら説明してやるのが望ましい』と言い出したのだ。
 つまり、今回もまたその罪を許し、今一度彼女に悔悛の機会をくれてやろうではないかという、実に温情的な裁定を下したわけである。まるで、三九人の陪席判事たちまでもが、彼女の魔力に魅了されてしまったかのように。
「まったく、如何様な術を用いて人心をたぶらかしていることやら……」
 コーションは顔を手で覆うと、二〜三度頭を振った。
「うむ……。確かにな。アンヌまでもが、どうもあの娘に同情的で困る」
 眉間に深い皺を寄せて、ベッドフォード公が言った。
「なんと! 公妃様までもが?」
 コーションは小さな叫びを上げた。
 一体どうしたことだろうか。魔女に情けをかけようとする人間が、思いのほか多い。もちろん、イングランドの国民たちはほぼ全員が魔女の処刑を望んでいるが……
 娘に近く関わった者ほど、彼女を擁護しようと動き出す。
 あの娘は、真に魔女なのか?
「しかし、閣下。ご安心下さい。陪席判事たちの反応はいまいち期待通りとは言い難いものでしたが、最終決定権は私にあります。ここに、小娘の『異端の再犯』を認証するという書類も用意できました。これで、今日の審問で正式に……有罪判決を言い渡すことができます」
 コーションのその科白に、ベッドフォード公は鋭利に微笑んで見せた。
「そうか。私はその言葉を待ちかねていた。これで、あの娘は世俗裁判権に引き渡され――」
「は。焚刑です」
 ――処刑前夜。
 ピュセルは、鎖に繋がれた牢獄の中で、じっと耳を澄ましていた。
 かつて信じていた『神の声』と引き換えに得た、新たなる <声> 。いや、それは声と言えるほど明確なものではなく……
 例えば、先程まで誰かが座っていた椅子に微かに残る人の体温。そんなぬくもりにも似た、微かで曖昧な存在感だった。
 それが恐らくアランソン侯の気配であろうことに、彼女は気付いていた。何故かは分からない。どうしてかは分からない。でも微かに、ほんとうにかすかにだが、感じるのだ。
 彼女には知りようもないが、それこそがアランソン侯自らが表現するところの <ゴースト> である。
 不意に現れてはピュセルの周囲を漂い、そして風のように消えていく。その幽かな存在は、長い投獄生活の中で時に彼女の心の支えとなり、時に孤独を痛感させる痛みとなった。
 再会を約束しながらも、その約束を果たすことが絶望的となった人物。そのヒトの気配が、感じられる。それはいつも彼が側にいてくれるようで、心強い。その意味で、彼女はその気配に多いに勇気づけられた。
 だが、彼が実際ここにいてくれるわけではない。あくまでボンヤリとした感覚なのだ。その中途半端な存在は、時に彼女の思慕の念を刺激し、彼を失ったことを一際強く感じさせる。それはある意味残酷なことであった。
 その孤独と過酷な環境に苛まされ、何度か脱獄を考えたこともある。実際、ラ・ピュセルがもし脱獄を実行に移したとすれば、戦場で確認された四騎の使徒の妨害さえ無ければ、かなりの高確率でその試みは成功しただろう。
 だが結局、彼女は自由の奪還に臨むことはなかった。仮に今ここで逃げ出すことができたとしても、連合は、そして監視機構は自分を殺すまで追いかけてくるだろう。そしてその度に罠を仕掛け、戦闘を仕掛け、結果的に大勢の人間がそれに巻き込まれて死ぬことになる。
 無関係の人間を巻き込み、犠牲を出してまで自分に生き延びる価値があるか――
 そう考えた時、ラ・ピュセルは脱獄を断念せざるを得なかったのである。それは……死が確定しつつあることを悟ってからも変わらなかった。
 ただひとつ。彼女が良心の呵責に苛まされるとすれば、それはやはりアランソン侯との約束を反故にしてしまうということであった。
 彼が未来に行ってからもまだ、過去の記憶を留めており、そして約束を果たすために尽力してくれているというのなら、自分の死はそれを無駄にすることになる。
 できることなら、直接会って詫びたい。許しを請いたい。が、それも叶わない。だから……
 彼女はこうして目を閉じ、静かな獄中から六〇〇年後の彼に向けてひたすらに謝罪することしかできなかった。ただひたすらに、謝罪することしかできなかった。
 ――ごめんなさい、と。
 かつてアランソン侯の側にいた頃に感じた、そのぬくもりを思い起こしながら――
 ピュセルは、アランソン侯に呼びかける。心の限り。
 それが、あした命が終わる夜に相応しい儀式だと思ったから。
「候……」
 ピュセルは、唇で呟いた。
 ごめんなさい。約束、守れなくて本当にごめんなさい。今はただ、あやまることしかできないけれど……
 本当はもっとたくさん、伝えたいことがあります。話したいことが、いっぱいあります。
 もう逢えなくなってから、色々なことを考えたから。様々なことを学んだから。強くなろうと努力したから。ひとりになっても、自分の生き方を誇れるよう賢明に生きてきたから。
 私は、あなたに認めてもらえるでしょうか?
 私は、あなたに誉めてもらえるでしょうか?
 私は、あなたに許してもらえるでしょうか?
 命の終わりに、途切れるけれど――
 終わりまで伝えたい言葉が、私には、ある。
 そして、その言葉だけは絶対に届けたかったから。だからピュセルは、自分に残されたもっとも確実な手段をとることにした。文字を、残すのだ。
 俯きながら、右手の人差し指の先に微弱なATフィールドを展開する。ごく些細なものだから、恐らく周囲にいる見張りの <監視機構使徒> にも探知されることはあるまい。
 ラ・ピュセルはフィールドでコーティングした爪を使って、暗がりの中、床に文字を刻んでいった。十分な明かりがないし、手も鎖で固められている。それに、もともと字は覚えたてだから上手じゃない。きっと、酷くいびつなものになるだろう。
 だけど、未来に想いを残すためには、これに賭けるしかない。弱くて愚かな自分には、こんなことくらいしか思いつけないから。でも、それでも、あの人ならきっと見つけてくれると信じることができるから。
 だから、今、伝えたい言葉を。謝罪の言葉を。そして、彼を過去の枷から解き放つための言葉をそこに込めて、ピュセルはゆっくりと刻んでいく。
 アランソン侯に教えてもらった、アルファベをひとつひとつ刻み込んでいく。
 やがて、堪えていた涙が……ぽたりと零れた。
 あらん限りの想いを込めて文字を刻みこむうち、やはりどうしようもなく幸せだった過去を思い起こしてしまう。
 今の自分を形作った、もっとも大切な一時。
 一番大切な人がすぐ側にいて、呼びかければ振り向いて、微笑んでくれて……
 のぞめば顔を見ることができて、声を聞くことができて。今思い起こせば、一瞬一瞬が信じられないほどに幸せだったあの時。もう、戻れないあの時。
 もし――
 ピュセルは考える。
 もし、自分が使徒として生を受けたのでは無く、ただ普通の村娘としてこの世に生まれて来たのなら……
 望むままに、願うままに、生きることが許されただろうか。ずっとあんな時の中、ふたり生きることができただろうか。もし、私が天使でなかったら。
 妄想でしかない。ラ・ピュセルは冷静にそう判断する。過去に <もし> を付けても、何の意味もない。
 自分は使徒であり、使徒であったからこそアランソン侯と出会えた。神に仕組まれ、操られていたからこそここまでの人生があった。一介の村娘に生まれていれば、侯爵である彼と道が交わることも無かったであろう。
 ピュセルは今、思う……。
 この世には、私たち人間の力ではどうしても変えることのできない『何か』があって。人はその見えない力に逆らうことができず、それに定められた結末に向かうしかないのかもしれない。ちょうど、私が <監視機構> に操られそのシナリオ通りに動き、死んでいくように。
 もしその不可逆の存在の名を、『運命』と呼ぶのなら――
 私の命の終わりは、その運命そのものなのだろう。
 だけど、それが全てではない。
 何に呪縛されようと。どんな劣悪な環境化に置かれていようと。人は誰しも、心のままに生きることが許される。
 大切なのは……
 運命を変えられるかではなくて、変えようとすること。この短い命をもって、学んだことだ。
 心のままに生きたなら。誇りある生を貫き通せたなら。たとえ志し半ばに、運命に命を消されようとも……
 その姿が誰かの心を動かし、想いは受け継がれていく。
 それが、消えていく命のせめてもの慰め、鎮魂となる。
「だけど!」
 ピュセルは遂に声を上げた。
「だけど……それでも、私は生きていたかった」
 理屈だけじゃ、心は静まらない。言葉だけじゃ、報われない。触れてたい、感じたい、このぬくもり失いたくない。
「私……死にたくない」
 だが、教会は是が非にでも自分を抹殺したいらしい。手の込んだ罠まで仕掛けて来た。自分にはそれを回避する術は無かった。死の決定が実行されるまで、もう時間がない。
 この命には、もう、時間がないのに!
「私は命の終わりにすら、あなたの顔も見ることができない。声を聞くこともできない。……最期に抱きしめてもらうことすらできない!」
 ピュセルはその小さな両の拳を、床に叩き付けた。鎖が跳ね、ジャラリと音を立てる。
「私は貴方が好き……。できることなら……許されるなら、ずっと貴方と一緒にいたかった……」
 ずっと、ずっと抑え殺して来た激情が――死の宣告を境に溢れ出てきて、止まらない。
「だけど……」
 我慢してきたから。今までずっと頑張ってきたから。せめて、この瞬間だけは独り泣かせて欲しい。
 心のままに己を哀しむことを、自分を哀れむことを許して欲しい。やりきれない運命への、それは彼女のせめてもの抵抗だった。
「私は間も無く処刑されます。それを、神が望んでいるから」
 そう、私はこうなることを以前から知っていた。神の望むままに生き、そしてその生の役割を負えて無に帰る。
「かつて私は、自らそれを望んでさえいた。望んでいたはずなのに……今ではそれが、怖い」
 死は人に等しく与えられた宿命だ。命あるものは、やがて必ず死に至る。分かっている。分かってはいるが、自分のこの死は他の人間の死とは異なるような気がしてならない。
 この死は、生ある故の死ではなく――全てに呪縛され、全てに望まれての『排除』ではないのか?
 ……だから自分を死に追いやる世界に
 自分の存在を許さない全てに、問わずにはいられない。
「どうして生きてちゃいけないの……?」
 世界が自分を取り囲み、早く死ねと、お前は邪魔だと囁きかける。拒絶の声を投げ掛ける。暗く狭い独房の中、ピュセルはひとり肩を震わせて泣いた。
「ただ、この世界にいたいだけ。……生きて、彼の側にいたいだけなのに!」
 まだ伝えたいことは、何一つ伝えていない。好きだとも、そばにいさせて欲しいとも言ってない。私と出会ってくれて、私を変えてくれて、ありがとうと……そう伝えることすらできずに。
「もっと貴方との日々を……ずっと貴方と……イヤ……死ぬのは、いや」
 軋む胸を抑え、激しく頭(かぶり)を振るピュセル。長い牢獄生活の中で、すっかり色褪せ痛んでしまった蒼銀の髪が哀しく揺れる。
「絶対に……厭……!」
 言葉の最後は、もう声になっていなかった。掠れた音が、虚しく闇に消えていく。
「たすけて……ねえ、お願い……我が候よ……わたしを、解き放って……」
 でも、その言葉を書き記すわけにはいかない。この悲鳴を残すわけにはいかない。死の恐怖に震えた事実を、彼に知られるわけにはいかないのだ。ここに刻みこむ文字は、アランソン侯の救いとなるものでなくてはならない。
 ラ・ピュセルという存在から彼を切り離し、そのすべての呪縛から彼を解放する。そのためには、今のこの感情を伝えるわけにはいかないのだ。
 ピュセルの声は、闇に染み込むように消えていった。誰にも届くことはなく、消えていった。それがまたピュセルの胸を締め付けるが……今は、それでいい。
 この悲劇は、ラ・ピュセルという名の堕天使の死によって完結させなければならない。未来のアランソン侯が、これ以上巻き込まれるようなことがあってはならないのだ。監視機構から逃れるためにも、悲劇にの舞台に上がらぬためにも、ここでアランソン侯を止めなくてはならない。
 この言葉で、アランソン侯を呪縛から解き放たなければならない。せめて、彼だけでも。もう自分には彼の未来にしか、希望を見出せないのだ。
 だから、ピュセルは指先で堅い石畳に想いを刻んでいく。救いを願って刻んでいく。
 涙と鳴咽に震えながら、ピュセルは候への最後の言葉を、ゆっくりと刻み込むその言の葉に託し――
 そして、生まれてはじめてウソをついた。



SESSION・105
『命の終わりに』


 事は最悪の方向に進んでいた。いや、すでに最悪の絶望的状況に陥っていた。
 これまでは、ピュセルが思いのほか異端審問で粘っていてくれたおかけで、裁判は長期化していたし、僕も微かな希望を抱けていた。イングランドの実質的な最高権力者ベッドフォードの公爵婦人アンヌも、ピュセルに同情的なことであったし、もしかしたら何とかなるかもしれない。
 ……そんな風に楽観していた。
 だが、ピエール・コーションはそんなに甘くはなかった。まさか聖職者たる彼が、あんな卑劣な罠を仕掛けてピュセルの罪をでっち上げるとは――!
 連合と教会は、僕が考えていた以上にピュセルの存在を恐れていたのだ。
 その形振り構わぬやり方に、ピュセルは窮地に追い込まれていった。コーションは、虚構とは言えピュセルを有罪に追い込めるだけの材料と状況を作り上げた。このままでは彼女の処刑は必定。
 だが、そこまで状況を把握していながらも、僕には何の手も出せない。ゴーストである僕は、この世界の本来の住人ではないし、事に干渉する手立てもない。ただ、彼女の側をはぐれ曇のように漂い、成り行きを見守ることしかできないのだ。
 もう、僅かな可能性に縋るしか僕にはできなかった。
 宗教裁判で『異端』として有罪判決を受けたものは、 <世俗裁判権> にその身を委ねられる。つまり、コーションら教会関係者が神の名において被告を裁き、有罪と認めたのなら俗世の裁判官に処刑をさせるわけだ。罪を認定するのは <教会> 、実際に処刑するのは <国家> ということである。
 ――世俗に委ねられてからも色々と手続きはある。 時間はまだ、残されているはず。
  だから、頼む! お願いだ……!
  奇跡よ、起きてくれ。誰でもいい、彼女を救い出してくれ!
 フランス王国元帥ジル・ド・レが、ラ・ピュセル救出のために兵を起こしたという情報は、このルーアンにも伝わってきていた。もちろん彼にも期待するし、もしかしたらリリアさんやクレスさんも動いてくれるかもしれない。
 今この瞬間にも、彼らが単身このルーアンに潜入しピュセルを助け出してくれるかもしれない。コーションが気まぐれを起こして、ピュセルの処刑を取りやめるかも知れない。フランス宮廷が意向を変えて、ピュセルの身の代金交渉に腰を上げてくれるかもしれない。
 彼女が助かるなら、たとえそれが悪魔の手でも構わなかった!
 僕は考えられる全ての奇跡を頭に描き、それに縋った。それで彼女を救えるというのなら、祈っても良い。だが、皮肉なことに祈るべき神そのものが、今ピュセルを殺そうとしているのだ。願いが届くわけがない。
 そして、もうひとつ。ゴーストとしての僕の存在の維持も、もう限界だった。最期の時が刻一刻と近付いてくることを、僕は感じ取っていた。おそらく……今日中に僕は消滅するだろう。
 奇跡は――起きるはずも無かった。
 それどころか、状況はさらに悪化していった。コーションが異端裁判における通常手続きを無視して、世俗裁判権による判決も要請せずに、ピュセルを直接火刑台に送り込んだのである。
 一四三〇年五月三〇日水曜日。
 その日の早朝のことだった。
 ラ・ピュセルの牢に二人のドミニコ会士が訪れた。どこかで見た顔だ。記憶を探るとすぐに、陪審判事席でもよく見かける <マルタン・ラヴニュ> という男と、その助手の修道士だと思い当たった。
 僕の記憶が確かなら、彼らはピュセルに好意的な数少ない人たちだった。
 現にラヴニュは陪審判事として、ピュセルの処刑に反対する発言を事ある毎にしてくれていた。そんな彼らの訪問であるが、僕としては今回ばかりは素直に歓迎できないものがあった。なぜなら、彼らがピュセルにとって絶望的な報せを運んで来たからだ。
 しばらくすると、ラヴニュは重い口を開き、沈痛な面持ちで『有罪判決が下った』とピュセルに告げた。彼女に同情的だった彼らにしても、その決定は心苦しいものだったに違いない。
 だが当の本人であるピュセルは――
 ラヴニュの突然と思われるような死の宣告にも、既に昨夜のうちに感情の処理を済ませていたせいで、さしたる動揺を見せなかった。修道したちの方が、かえってうろたえていたくらいだ。
 ピュセルは静かにひとこと、「分かりました」とだけ告げた。
 その後すぐに、彼女は死刑執行官とラヴニュらに連れられて、牢を出た。行く先は、もちろん死の舞台。火刑台である。誰もいなくなった牢獄の門が、乱暴に閉じられる。
 金属がこすれる甲高い音を聞きながら、僕は目の前が真っ暗になっていくような錯覚に陥っていた。
 ――ピュセルの処刑場に選ばれたのは、コーションが以前から用意を進めていたヴィユ・マルシェ広場だった。
 広場には、既に火刑台の準備が整っていた。俗世裁判権での決定を待つこともなく、コーションは着々と処刑の準備を進めていたのだ。これはもちろん、重大な違法行為であった。
 正規の手続きを無視してまで、刑の執行を強行したかったコーション。彼の頭には、この気の毒なピュセルを早く焼き殺すことだけしか無かったのだろう。
 この男さえいなければ……。裁判を取り仕切るのが、この男でさえなければ!
 僕は殺したいほど、この男を憎んだ。
 フランス宮廷侍従長、ラ・トレモイユ。フランス国王、シャルル。そしてこのピエール・コーション。
 この男たちが、いったい何程のものだというのか。誰も彼もピュセルの無垢な躰を灰にしてまで、権力の座に上り詰める価値のある人間ではない。こんな屑のような人間達の恣意によって、僕のピュセルは殺されるのだ。
 だが、なにより許せないのは――自分自身だった。今目の前で、護ると約束したひとが殺されようとしているのに……
 無力な僕は、何もできずにただ叫ぶだけ。
 1番護りたい人を、救うこともできない騎士にどんな存在価値があるというのだろう。
 全てを呪いたかった。権力者たちも、神も、そして自分も。この世界の全てを壊してやりたかった。
 後ろ手に鎖で拘束されながら、ピュセルは執行官たちに連行されていく。僕はその後を追いながら、気付いた。彼らは恐らく執行官に化けた使徒だ、と。
 よくよく考えてみれば、ピュセルにはATフィールドがある。火刑と言っても、炎くらいは余裕で跳ね返せるのだ。もっともそんなことをすれば、余計に魔女だという疑惑を掛けられるかもしれないが……
 どうなるだろう。
 教会が異端として裁こうとする者が、見えざる壁で炎を跳ね返す。見るものは、その現実をどう捉えるだろうか。神がピュセルを炎から守ったと考えるか。それとも悪魔の力が、神の裁きの炎を寄せ付けないと考えるか。
 コーションは、恐らく後者のような捕らえ方をするだろう。だとすれば、彼女の立場は余計に悪くなるだけだ。恐らくピュセルもその事に気付いているはず。
 だが、使徒が執行官としてついているとなると、そんな疑問を挟む余地が無くなる。使徒が四騎、ピュセルの周囲を取り囲むように立ち、彼女がフィールドを張った時それを中和するのだろう。丸裸にされた彼女に、襲い来る炎を防ぐ手立てはない。
 ――くそっ!
 やっぱり、どう考えてもピュセルは助からないのか?
 状況は、最悪の中の最悪だった。普通の人間が焚刑に処せられるなら、まだ救いはある。呼吸を早めて煙をなるべく多く吸いこむようにするのだ。
 そうすれば、運がよければ火が近付く前に気を失うことができる。苦しい思いをせずに済むのだ。だけど……ピュセルは『使徒』だ。
 詳しくは知らないが、多分身体の構造も普通じゃない。前に少しだがリリアさんに聞いたことがある。使徒の身体は人間とは違う構造になっていると。
 たしか、息をしなくても、食べ物を食べなくても生きていけるというようなことを言っていた。これがピュセルにも当てはまるとなると……
 彼女は気を失うことすら許されず、炎に身体を焼かれていく地獄のような苦痛を、死ぬ瞬間まで耐えなければならないことになる。
 ――それでは、あまりに残酷すぎる。
 僕のそんな思考は、突如上がった大衆の喚声に遮られた。ピュセルが……処刑場にあらわれたのだ。
 ヴィユ・マンシェ広場には、溢れかえらんばかりの人々が詰め掛けていた。中央の一段高いところに設置された火刑台を取り囲むように、イングランドの兵約800と、詰め掛けた一般人たちが、フランスの魔女の処刑はまだかと待ち構えている。
 群集の異様な熱気に包まれて、火刑台の十字架にピュセルは縛り付けられていった。
 ――ピュセル!
 もう、どうしようもないのか?
 ジル・ド・レ元帥は……シグルドリーヴァ夫妻の助けはまだか?
 もし僕がこんな思念体などではなく、生身の肉体を纏った人間だったなら、きっと心臓は爆発してしまうくらいに激しく高鳴っていただろう。そして何も考えず、ピュセルを救うために火刑台に駆けつけただろう。
 ――ちくしょう! ちくしょう、ちくしょうッ!
  何人いるんだ?
  1000か、5000か?
  これだけの人間が、広場に溢れんばかりに集まっているのに……
  誰もピュセルを救おうという人間はいないのか?
 乳飲み子を抱いて火刑台を見詰める女。酒瓶を片手に、殺せ殺せと囃(はや)し立てる男。絶望的光景に顔を背ける、フランス人。いままさに殺されようというピュセルに、嘲笑を投げ掛ける連合兵。
 そして、勝ち誇った表情でピュセルを眺めるピエール・コーション!
 焦燥と怒りが臨界を突破する。身体さえあれば。肉体さえあれば、ここにいる人間を一人残らず皆殺しにしてやるのに!
 そして、ピュセルを助け出すのに!
 ……だが、僕のそんな狂気染みた感情とは裏腹に、僕自身の存在が薄れていく。残存思念体である、ゴーストの限界が訪れようとしているのだ。このままでは、あと数分とせずに霧が晴れていくように、僕の存在はこの次元から消失するだろう。
 ――どうして……
  どうして僕は、いつもいつも大切な時に無力なんだ!
  どうして僕はこんなに弱いんだッ?
 気が狂いそうだった。守りたい人が、今、火刑台に立たされている。なのにただ、それを見ていることしかできないのだ。
 切迫した空気、群集の熱気、行き交う連合兵、そして死刑執行人。全ての要素が今、一団となってこの場に渦巻いていた。そのボルテージが最高潮に達した頃を見計らって、コーションの命令が発せられた。
「火を、放て」
 ピュセルは、静かに火刑台の十字架に抱かれたままその言葉を聞いていた。紅い瞳は瞼によって閉じられ、彼女は空を見上げるように顔を上げている。今、この瞬間、彼女は一体なにを想っているのだろう。
 パチパチと彼女の足元に積み上げられた薪が、火花を上げはじめた。朝の冷たい空気は、詰め掛けた群集の熱気と勢いを増していく炎によって、汗ばむまでに温められている。
 ――ピュセル!
 僕は消えかけるゴーストの思念体で、彼女の側に駆け寄った。そして抱きしめるように彼女を包み込む。無駄だと分かっていても、僕のこの思念体で彼女を炎から守ってあげたかった。
「候……」
 その時、ピュセルが微かに呟いた。それは燃え上がる炎が、薪をはじく音に掻き消されるほどに小さな声だった。
 ――なに? なに、ピュセル?
 僕の声は、彼女には届かない。でも、僕はそう応え叫ばずにはいられなかった。
「この死を……哀しまないで」
 彼女は堅く閉じた瞼の端に涙を浮かべながら、そう呟いた。
 ――えっ?
「命の終わりに途切れるけれど、終わりまで届いて、貴公に、送る、こと……ば……」
 ――ラ・ピュセル。君は一体何を……
 くそっ!
 炎よ、近付くな!
 僕は身体を振り振り、炎を追いやろうと悪戦苦闘する。だが、所詮は実体をもたない思念集積体。無駄な足掻きだった。
 薪は音を立てて燃え盛り、炎はいよいよ勢いを増して行く。ピュセルは既に、黒い煙に全身を覆われつつあった。
 ちくょう! ちくしょう!
 どうすればいいんだ!
 燃えちゃうよっ! ピュセルが燃えちゃうよッ!
 何とかしてくれ!
 ピュセルがいなくなっちゃうんだ!
 このままじゃ、苦しくなって、死んじゃうんだ!
 なんで見てるだけなんだよ?
 何がそんなにおかしいんだ?
 彼女よりいい娘なんて、いないじゃないか?
 なにも知らないくせに!
 ピュセルのこと、何にも知らないくせに!
 貴方たちは、自分たちがやろうとしていることが分かっているのか?
 世界で最も無垢な女の子を、生きながらに火炙りにして殺そうとしてるんだぞ!
 世界で1番優しい娘の魂を、灰にしようしてるんだぞッ!
 分かってるのかよッ!
 僕は無茶苦茶に暴れまわった。もがき苦しんだ。でも声は出ない。ピュセルには触れられない。誰にも、何も伝えられない!
「……んぁッ!」
 ピュセルが、微かな悲鳴を上げた。小さな小さな声。きっと、僕にしか聞こえないくらいの微かな苦痛の声。
 ついに燃えさかる炎と、舞い上がる火の粉が、彼女の白くて奇麗な足を炙りはじめたのだ。
 ――ピュセル、ピュセルッ!
  ごめんね、ごめんね!
  くるしいでしょ?
  ごめんね、苦しいでしょ?
  でも、僕……何にもしてあげられないんだ。 身体が消えかけて……君を助けてあげられないんだ!
  君にも、皆にも、僕の声は届かないんだ!
 苦痛に顔を歪めるピュセルを、せめて抱きしめてあげたいのに……
 僕にはそんなささやかな慰めさえも、彼女に与えてあげることはできないのだ。
「くッ……ぁ……ぅ」
 彼女は歯を食いしばって、必死に地獄のような苦痛を堪え忍んでいた。誰にも聞こえない様に、唇だけで悲鳴を掻き消して。彼女は、耐えようとしていた。
 ――なんで……なんでだよッ!
  彼女は何にも悪いことしてないじゃないか!
  なのに……なんでこんなことするんだよッ!
 やがて、彼女のズボンに火は飛び移り、舐めるように全身に広がっていった。
 赤い……紅蓮の炎が、高熱で彼女の躰を焼いていく。
 瞬く間に、ピュセルの小さな躰は炎に包まれていった。月の満ち欠けと共に色の変わる、あの神秘的な蒼銀の髪が焼ける嫌な香りがする。細い髪は、まるで半洋紙で出来ているかのように、あっさりと炎に溶けていった。
「……んっ……くあッ……」
 そして、遂に彼女のあんなに滑らかで奇麗だった白い肌が、炎に焦がされようとしていた。
 だが、そこで残酷にも使徒の超回復が働きはじめた。彼女は、まだ使徒の <超回復能力> を微調整できる程、使徒の技術は熟練していないのだ。中途半端な能力は、逆に彼女を更に残酷な状況へと追い込んでいった。
 火傷で醜くタダレた肌が、超回復能力で見る見る元の状態に回復していき――
 だが、それさえも再度、炎は蹂躪していく。
 回復と火傷を繰り返しながら、ピュセルは必要以上の苦しみの中で焼かれていった。気を失うこともできず、酸素供給が無くても生命活動を意地できるため、コアが破壊されない限り死ぬこともない。
 既に服は燃え尽きていた。髪もほとんどが溶けて消失している。高熱が肉を焼き、灰にし、骨を露出させる。
 終わらない永劫の灼熱地獄のなかで、ピュセルは戦い続けた。
 僕はもう、炎に抵抗することも忘れて――ただ幻を見るように、その光景を呆然と見詰めるしかなかった。
 思えば、僕はもう正気を失っているのかもしれない。
 哀しみと怒りと、屈辱。心を打ち砕くには、どれをとっても強大すぎる激情だった。
 もう、ピュセルの喉から声が漏れることは無かった。気管と声帯を熱でやられたらしい。
 炎は勢いを増し、ねっとりとした黒煙がうねりながら昇っていった。
 ――ピュ……セル……


 揺らめく……
 赤い……

赤い光が……紅蓮の炎が徐々に大きく……
「……やめ……」
 熱に揺らめく……
「……彼女は……何も悪くない……」
 静かに目を閉じ……
「……どうして……こん……な……」
 燃える……
「……やめてよ……」
 燃やされる……
「……神よ……」
 燃えゆく……
「……やめて……」
 僕の大切な……
「……彼女を……どうか……」
 何よりも大切な絆が……
「……なぜ……」
 灰になってゆく……



「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」




 復元能力を上回る速度で、少女の無垢な肉体を焼き払っていく炎。
 それとともに風に散ってゆく思念体。
 ふたつの存在は、やがてルーアンの空に消えていった。

一四三一年 五月三〇日
 ラ・ピュセル
 死亡


中世編最終話
『少しずつ壊れゆく世界の片隅で』
 フランス北方の町、ルーアン。
 中心部に広がる近代都市のモダンな町並みと、中世から残る遺跡や通りが融合する街。シンジ達一行がこの町に降り立ったのは、今回のフランス旅行最終日と定めた日の黄昏時のことだった。ピュセルの足跡を追う旅は、間も無く訪れようとしている夜闇とともに幕を閉じるのだ。
「ずいぶんと遅くなったわね」
 リニアレールから降り立つと、茜色に染まったルーアンの町を見渡し、アスカは言った。予定では昼過ぎには到着するはずだったのだが、またガルムが迷子になりかけたせいで、列車を一本遅らせてしまったのだ。
「でも、奇麗な夕日だ」
 カヲルがアスカのとなりに並びながら、そう言った。赤く染まる中世と近代の入り交じる町並みは、カヲルの言葉通り美しくそしてどこか物悲しく見えた。
「なに言ってんの。夕日なんてどこでだって見られるわよ」
「しかし、『ルーアンで見る落陽』というものに、特別な意味があるんじゃないのかい?」
「夕日は夕日であって、夕日以外の何物でもないのよ」
 ふたりがギャースカやっていると、遅れてガルムの手を引いたシンジが彼らに追いついた。
「わ……ふぅ……」
 シンジに連れられながら、寝惚け眼をこするガルム。彼女は単純に眠いから静かなだけだが、シンジは別の意味で沈黙していた。
 ここに至る列車の中からそうだった。シンジは何か考え込むように、ずっと黙ったまま背もたれに身を沈めていたのだ。おそらく、道中でのアスカの言葉が原因であるのだろうが――
 このルーアンの町に期待する何かが、尚更彼を緊張させているのかもしれない。
「宿は確保してある。早速だが、そこへ向かうことにしよう」
 カヲルが三人に振返り、そう言った。
「そうね。今日は何だか疲れたわ。どっちかっていうと、気疲れだろうけどね」
 反対する理由も特に無かったので、アスカは大人しくその言葉に従った。ただ列車に乗って来ただけとはいえ、車内での気の重い話題に疲労を感じていたのも確かであった。
 だが、シンジは違った。ガルムの手を握り締め、俯いたまま全く動こうとしない。
「ん? どうしたのよ、シンジ」
 怪訝に思ったアスカが、その伏せられた顔を覗きこむ様にして訊いた。
「ゴメン……」
 シンジはポツリとそう謝ると、ゆっくりと顔を上げた。
「ここからは、僕ひとりにして欲しいんだ――」
「……」
 カヲルはしばらく無言でシンジの目を見詰めていたが、やがて口を開いた。
「それは、ここで僕たちと別れ、今後は単独で行動したいということかい?」
「うん。悪いけど、そうさせてもらえると助かるよ。ふたりはホテルに行って休んで、明日になったら帰国して。僕に構わずに……」
 随分な我が侭を言っていることを自覚しているのだろう。シンジは、遠慮がちにそう言った。そして恐る恐るふたりの反応を窺う。
「……分かった。だが、ガルムはどうするんだい?」
「え、ちょっと?そんなこと勝手に承知しちゃっていいの?」
 あっさりと承諾するカヲルに、アスカは驚きの声を上げる。状況は差し迫ってきていて、シンジが望むような我が侭が通用するとは考えられないからだ。
 今回の一連の事件は、元はシンジが <中世> からこの <現代社会> に持ち込んだ問題である。その張本人に、そんな自分勝手が許されるのか……。アスカが納得できないのも無理はない。
「事情はどうあれ、種をまいたのはシンジなんでしょ?
 それに芽が出て邪魔になってきたんなら、それを刈り取るのは本人の義務だわ」
「アスカ君、ちょっと……」
 抗議をしだすアスカを、見かねたカヲルはシンジから離れた場所に引っ張って行った。シンジはそれをただ見守るしかない。
「ちょっ、ちょっと! なにすんのよ、放して!」
 カヲルに引っ張られるのを振り払いながら、アスカは言った。「一体なんなのよ?」
 アスカの明らかに怒気を孕んだ声音にも、顔色ひとつかえずカヲルは向かい合う。そしてシンジに聞こえない様に声を落として、彼女に告げた。
「アスカ君。……君は現代の一七歳という年齢を考えれば、非常にクールでクレバーな人だ。他意はない。本当に僕は君を評価している」
「突然なに言ってんのよ?」
 いきなり誉められたアスカは、幾分鼻白みながら言った。「そんなことで誤魔化されないわよ」
 そんなアスカの言葉を、まるで聞こえなかったかのように無視してカヲルは続ける。
「……だが、君は歳相応に幼く、人生経験に乏しい。それが時に、他人を思いやることを失念させる。というより、そこに気付けないと言うべきか」
 アスカは、何となくカヲルが真剣に何かを伝えようとしていることを悟り、黙って話を聞くことにした。偉そうに自分を評価し出すカヲルはかなり気に入らなかったが、それも何とか我慢する。
「いいかい?
 碇シンジという男は、その本質はアランソン侯なんだ。ただの高校生とは、キッパリ一線を画して考えてくれ。彼は中世の混沌と戦乱の時代の中で、生きていくことを強要された男……」
 カヲルはアスカの両肩に手を置いて、ゆっくりと続けた。
「だから、見逃してやってくれ。――彼は、君が考えている以上に傷ついている」
 その言葉にアスカは青い目を見開き、息を呑んだ。
「そんな中でも、最も深い心の傷痕。その源が、この地にはある。彼はきっと、この場所のどこかでそれと向き合う覚悟を決めたのだろう。それは今日、列車の中で彼に聞かせた君の言葉が引き金になっていることは、まず間違いない。
 恐らく彼には自信がないのだろう。……傷痕に向き合った時、平静を保ち、いつもの自分でいられるための自信が。
 君のあの言葉が間違っていたとは、言わない。正論を告げていたと思うし、大部分は僕も賛同できるものだった。そんなことを、君はシンジ君に話した。それは彼次第で今後プラスへ転換されていくだろう。
 だが、君もまだ彼の全てを理解できているとは言い難い。彼のピュセルへの想いは、僕が見る限り一般的な人間が知る『愛情』だとか『思慕』などといったレヴェルを遥かに凌駕していた。
 あんなに強く他人を想えるのは、きっとこの世で彼らくらいなんだよ。
 考えても見てくれ。彼はピュセル本人によって、記憶を完全に抹消された挙げ句、転生紛いのことまで経験させられたんだ。それで尚、彼は自分の魂に刻み込んでいた想いを呼び起こしたんだよ?
 そんな事を為し得た男は、この銀河で彼が唯一の存在だ。
 だからこそ、そんな想いの対象を失った彼の気持ちは、彼だけにしか分からないのさ。僕らにはそんな彼の感情を、バカにする資格も権利もない。彼の想いをバカなものだと評価できるのは、彼自身が唯一の人なんだ」
「……」
 そんなこと、考えてもみなかったのだろう。アスカは半ば呆然として、カヲルの言葉を受け止めていた。
「だから――」
「もういい」
 沈黙するアスカに向けて、更に紡ごうとしたカヲルの言葉を彼女は唐突に遮った。
「……?」
 アスカは踵を返すと、カヲルに言った。「もういいわ。分かったから。――今回だけは、大目に見てあげることにする」
 そして一瞬だけ振返り、カヲルを一瞥すると囁く。
「……あなた、もう十分人間じゃない」
 小さくそう言い残すと、アスカはカヲルを置去りにしてさっさとシンジの元に帰っていった。
「シンジ!」
 ふたりの密談をボンヤリと眺めていたシンジに、ツカツカと歩み寄ったアスカは『びしぃ!』っと人差し指を突き付けると、高らかに宣言する。
「アンタのわがまま、今回だけは見逃してあげるわ!
 頭を下げて頼むアンタのヘッポコ相棒と、なにより、心広き寛大なこの私に感謝しなさい!」
「あ……ありがとう……アスカ」
 いきなりボルテージ最高潮なアスカに戸惑いながら、シンジは何とかそれだけ言った。
「なによ、このバカシンジ?
 アタシがせっかく許しを出してあげたんだから、もっと嬉しそうな顔しなさいよ!
 そのボケボケっとした『あ……ありがとう』が、優しい幼馴染に捧げる唯一の感謝の言葉なのう?」
「フフ……」
 さっそくシンジを苛めはじめたアスカの後ろ姿を眺めながら、取り残されたカヲルは柔かに微笑む。
「――それに、こう言い添えるべきだね?」
 加えて君は、不器用でとても優しい娘だ。
 花の匂いがする。闇に溶けた幾つもの花の香りだ。
 春の夜風が、緩やかに草木を揺らしその仄かな香りを運んでくる。
 これが日の光の元でなら、赤、黄、白、青。色とりどりに咲き誇る花々に、視線を奪われたかもしれない。
 だが、シンジにはそんなことはどうでもよかった。
「……」
 彼はただ、人気の無くなったその花の広場でひとり佇んでいた。無論、言葉はない。ただ白く光る月だけが、シンジを見詰めていた。
 アスカとカヲルの了解を得て、シンジはひとりルーアンの町をさ迷った。背の高いビルや、舗装された道路。そして夜を流れるヘッドライトの河。どれも六〇〇年前にはなかったものだ。
 だがそれでも、中世の町並みを未だ色濃く残すこの場所は――
 やはりアランソン侯の知るルーアンだった。ピュセルが死んだ、ルーアンだった。
 夜のとばりの中、シンジが最後に訪れたのは <ヴィユ・マルシェ広場> であった。ピュセルが異端として公開処刑された、その広場である。
 今でこそ <復権裁判> において聖女として認められ、歴史上の偉人として知られるピュセル。一四三一年五月三〇日は、このフランスではその死を悼んで休日となっているし、この広場も鎮魂のために花で埋め尽くされ、碑文さえ置かれている。
 だが、一体そんなことに何の意味があるのだろう。
 彼女が望んだのは、聖者の列に並べられることか?
 聖女として名誉を回復することか?
 死を持って、後世にまで名を残す偉大な英雄になることであったか?
 シンジには、全てが滑稽に見えた。
 皮肉と憎悪、そして深い哀悼を湛える瞳のままシンジはじっとその石碑を見詰めていた。その白く磨かれた石には、フランス救国の伝説的英雄の悲劇の歴史が刻み込まれていた。ラ・ピュセルは、六〇〇年前ここで処刑された、と。
 シンジはゆっくりと、本当にゆっくりとした動作で膝を折ると、その石碑に視線を合わせた。背の低い研磨石は、身を屈めることでようやく目線の位置にやってくる。
 シンジは静かに、その冷たい石に触れた。指先にヒンヤリとした感覚が伝ってくる。まるで魂の抜け落ちた、骸のようだ……と、シンジは思った。
「ピュセル――」
 今でも信じきれずにいる。あの時、思念体の自分が見たピュセルの死は、現実だったのか。本当に起こった出来事だったのか。
 夢では、無かったのか。
「僕は今でも、まだ、信じきれずにいる」
 それがまるで彼女の頬であるかのように、シンジは石碑を優しく撫でながら語った。
「だから、今日はそれを確かめに来た。僕は、そのためにフランスへやって来た。六〇〇年の時を超えて、もう一度……」
 正直、今日アスカに突き付けられた現実には、今でも止むこと無く苛まされている。そして衝撃を受けたのも確かだ。
 死者を追いかけることの悲しさ。空しさ。今、自分は未来にではなく、過去に向かって逆走しようとしているのか。それが現実なのか。
 心の命ずるままに、感情に溺れるままにただひたすらに走ってきたが……
 それは誤りであったのだろうか。
「――どう思う、ピュセル?」
 何の脈略もない唐突な問いかけではあったが、彼女なら理解してくれる。そんな根拠のない自信がシンジにはあった。
「もう、何も分からなくなっちゃったよ……。正しいとか間違ってるとか、そんなの通用しないんだ。人間を捨ててまで手に入れたい物は、人間として生きることができる未来。だったら、全てに意味がないじゃないか。そうでしょう?」
 シンジは力無く微笑むと、続けた。
「人が大勢死ぬのを見過ごさなければ、全てに決着を着けることはできない。だからこのまま行けば、僕は大量虐殺の英雄として利用されることになるだろう。でも、それを容認してでも、僕は君を迎えに行きたいんだ。
 だけど、そうなることをどこかで拒絶している自分もいる。非道の道を行き、その手を自ら汚した時、君は僕を受け容れてくれるだろうか……?」
 言いたいこと、吐露したいこと、それらはとても複雑で――
 シンジは支離滅裂に、思い付いたことから順に問い掛けていくしかなかった。彼の抱えている問題は、その全てがそもそも言葉で語れる類のものではなかったこともあるだろう。
 だが、それでも彼女は理解してくれている。シンジはそう思いたかった。そして、そう素直に信じられた。
「こんな時、『とりあえず出来ることからやればいい』なんて言うけど……。現状で僕に出来ることは、何一つないんだよね。全て、何か運命の流れのような、とてつもなく大きなものに委ねるしかないんだ」
 言葉を一旦切ると、シンジは俯いた。目元に咲く花を見詰めながら、彼は続ける。
「君の声が、聞きたいよ」
 掠れた声で、シンジはそう呟いた。風に消されるほどの、小さな小さな声であったが、それは彼の心からの叫びでもあった。シンジは今、自分に限界を感じていた。
「強くない……。僕は皆が言うほどに、強くなんかないんだ……」
 アランソン侯は、感覚がマヒしてしまうほどのハイスピードで、時代を駆け抜けてきた。わき目も降らず、ただ終わりを目指して走り続けてきた。ひたすらに。
 でも、この時代に来て碇シンジとなって。また様々な咎を背負って。幾重にも分岐する道に、立ち止まった今。
 今まで見てこなかった全てが、彼の瞳の中に飛び込んできた。それをたった一人で処理しきれるほど、彼は器用でも強くもなかった。
「……」
 死を慰める夜の花園に、シンジはひとり佇む。柔かな風が、サラサラと彼の髪を揺らし、吹き抜けていった。ただそこには語りきれぬほどの意味を持った、沈黙しかなかった。
 石碑に刻まれたピュセルの名は、シンジには何も応えてくれなかった。
 なにも……
 いや、何もできることがないわけじゃない。ひとつだけ、できること。やるべきことがあった。
 それを思い出したからこそ、シンジはここに来たのだ。
「ピュセル」
 不意に、白い月が厚く垂れ込めてきた黒雲に包み込まれ、姿を隠した。ポタリと、雫が石碑に落ちてくる。暫しの無言。
 沈黙を破りはじめたのは、その雨音だった。
 蛇口からポツポツと断続的に零れるような雨粒が、時とともに徐々にその勢いを増していく。
 シンジは、ゆっくりとした動作で立ち上がった。そして石碑を見下ろすと、雨に濡れることにも構わず小さく言った。
「……じゃあね、ピュセル」
 シンジには、今夜のうちにどうしても行っておかなければならない場所があった。ここには、その場所に赴く前にひとこと挨拶に来ただけなのだ。今宵の目的の地は、他にあった。
「僕は、行くよ。思い出したんだ。ルーアンにいた時、君が牢に何かを刻んでいた微かな記憶。僕は、それを今から確かめに行く。そうすることで、六〇〇年前のピュセルという少女との絆に決着を着けられる。……そう思うから」



SPECIAL SESSION
『The duc that shouted love at the heart of the world』


 ルーアンの中心部に、かなりの歴史を感じさせる白い石造りの塔がある。見上げるばかりに高く、ドシリと太い大きな搭だ。
 今ではラ・ピュセルの名を冠し、ちょっとした観光名所ともなっているその搭こそ、彼女が投獄されていたとされるルーアン城の名残である。現在では城自体が崩壊し半ば遺跡と化してはいるが、この搭だけはほとんど当時の姿のまま残されていた。
 僕は、そこを今回の旅の最後の場所に定めた。降り続ける夜の雨の中、その巨大なシルエットはそこが近代都市であることを疑うほどの威容であった。
 外から見た限り、牢獄として作られていただけあって、外壁には窓の類はほとんど無くノッペリとしている。ただの白い円筒に三角の屋根を被せたような、無骨な造りの搭であった。壁自体も、分厚く頑丈な石が選別されて使われているらしい。
 それにも関わらず、塔内の狭い螺旋階段を登る僕の耳には、既に豪雨となりつつある外の激しい雨音が届いていた。遠くから雷鳴も轟いてくる。もちろん、僕自身も此処に来るまでの間相当に濡れていた。
 だが、そんなことに構っている余裕は今はない。
 何故なら、この搭に入ってから強く……鳥肌が立つほどに強く、ピュセルの波動を感じるからだ。それは何かの魔法のように、僕を強く引きつける。まるでこの搭の頂きで、彼女が自身が待っているかのような、そんな錯覚すら抱かせるのだ。
 カツンカツンと足音が、石造りの螺旋階段に反響する。その足音は徐々に甲高く、早くなっていった。はやる気持ちを押さえ切れない。
 僕は、当時のルーアンを思い起こしながら、廃虚と化した搭をひたすらに駆け上っていった。
 何処もかしこも良く覚えている。忘れていた記憶が、明確に蘇ってくる。
 六〇〇年前、アランソン侯として……この搭を、ピュセルを求めてさ迷いつづけた。僕はあの時から何も変わっていない。時が流れて、ここが廃虚になっても僕の時は、あの時凍り付いたままなんだ――。
 ある程度階段を登り踊り場に辿り着いた僕は、素早く視線を周囲に巡らせながら、ピュセルが囚われていた独房を目指す。彼女に導かれいてるかのような錯覚を感じながら。
 目的地につくまで、そう時間はかからなかった。迷うことも無く、僕は真っ直ぐにその場に辿り着いた。
 間違いない。
 ピュセルがいた、あの場所だ。
 ――六〇〇年ぶりに訪れた彼女の独房は、酷く荒れていた。頑強で陰鬱な雰囲気はそのままだったが、風化し所々崩れた石畳とシミだらけの壁。鉄格子も取り除かれ、そこは最早ただ狭いだけの意味不明な空間と化している。
 きっと僕意外の訪問者は、そこがかつて牢獄だったと見抜くことはできないだろう。狭く閉鎖的な造りである意外に、そこが牢獄であったと思わせる要因はない。
 でも、時と共に廃虚として様変わりしていたものの、それでもやはりあの時の面影はあった。すくなくとも、僕はそう感じた。
 ピュセルを繋いでいた、あの忌々しい鎖の留め金も残っている。排泄用に設けられた、部屋の片隅の窪みも当時のままだ。それにあちこちに染み付いている、囚人たちの血と涙。そしてなにより、彼女の気配をこの場所はまだ覚えているのだ。
 それだけで、涙が溢れてきそうだった。
 命の終わりに途切れたけれど。ふたりを結ぶ絆は、確かに六〇〇年前この場所には在ったのだ。まだあたたかな躰をもった彼女本人が、ここに……確かにここにいたのだ。
 ひとつひとつ、思い出が蘇ってくる。
 囚われていた彼女が、この場所であんな仕種をしていた。訪れてきた審問官に、どんな返答をしていた。暗い闇の中で、どんなことを思い、どんなことを考えいたか。
 僕はアランソン侯に還り、そこで六〇〇年前を見ていた。
 やはり、 <ゴースト> の見た世界は現実だったのだ。思念体としてフランスに残り、ピュセルの最期を見届けたあのヴィジョンは夢でも幻でも無かったのだ。ここで囚われのピュセルの波動を、こんなにも強く感じるのがその何よりもの証拠である。
 雨音と雷鳴が分厚い白壁を貫通し、くぐもった音で旋律を奏でる中、僕はただそこに立ち竦むしかなかった。この場に訪れ、ピュセルの思い出と記憶に浸りながら、他に一体何ができようか?
 ……ここに、彼女はいた。
 でも、今はもう、ここに彼女はいなくて。それが感じられることが、とても哀しくて。ただそこに立ち竦むしかない。
 それしかないのだ。
 思考がまるで働かない。何をしていいのか分からない。今感じている感情を、どう処理すればいいのか……。
 そもそも、今自分は何かを感じているのか?
 感じているとすれば、それは言葉にするとどんな感情に類するのか。何故それを感じるのか。
 自分の事なのに、何もかもが分からなくなって、全てがどうでもいい事の様に思えてくる。思い出と過去に、気力を奪われてしまったかのように。ただ、そこに立って六〇〇年前に帰還したいと願う。
 不思議な虚脱感を覚えながら、僕はぽんやりと周囲に視線を走らせた。
 ここが廃虚となり、やがて乙女の伝説が無邪気な観光客を集めはじめてから、一体何人の人間がこの場所を訪れたことだろう。彼女の事を何一つ知らない輩が、ここにきてロマンでも感じていったのだろうか。彼女の伝説に引かれた者たちが、ここに何かを求めて訪れたのだろうか。
 風化し、脆く崩れやすくなった壁や床には、いたる所に観光客が残していった『イタズラ書き』や旅の記念に記していった『メッセージ』が刻み込まれている。まるでこの部屋自体が、旅先の掲示板になってしまったかのようだ。
 英語、もちろんフランス語、ドイツ語、スペイン語。様々な言語で人名や日付、十字マークや意味不明な走り書きが彫り込まれている。
 何か自分の思い出が他人に土足で踏み荒されたようで、それが気に入らなかった。
 が、そこでハッと思い出す。
 ――そうだ!
 ピュセルも……
 そう、ピュセルもここに何かを刻んでいたはずだ。何を書いていたか、思念体の自分にはよく窺うことは出来なかったが――
 確かに一生懸命に、何かを刻み込んでいた。
 それを確かめるために、此処に来たのだ。
 躰に活力が蘇ってきた。あの時の記憶が確かなら、彼女は床にその何かを彫り込んでいた。爪をATフィールドでコーティングして、それで堅い岩に傷を付けていたのだ。
「たしか……この辺に……」
 呟きながら、キョロキョロと視線を巡らせる。遠い記憶によれば、ピュセルは部屋の入り口向いの壁に、もたれるようにしていたことが1番多かった。ならばその付近の床に、彼女の残した何かが残されているはずだ。
 ――残っていて欲しかった。
 考えてみれば、この部屋に刻まれた観光客の悪戯書きも、彼女の残したメッセージか何かに触発されたものなのかもしれない。
 最初にピュセルの残した傷痕に気付いた観光客が、それを別の旅人のメッセージだと思いこみ、自分もそれを真似した……。そしてまた別の観光客が、それにならって文字を残していった。
 考えられない話ではない。
 僕は闇雲に探すのを止め、精神を集中して彼女の波動からそれを探すことにした。夜闇でほとんど視界の利かない今、持参してきたペンライトの明かりを頼りに探していては、埒があかないと考えたからだ。彼女の残した微かな時の糸を辿って行った方が、見つかる確率は遥かに高い。
 僕は目を閉じて、ゆっくりと心を解放していった。部屋に残された様々な人間達の残存思念を退け、愛しいピュセルの温もりだけを迎え入れる。彼女がメッセージを刻んだと仮定するなら、間違いなくそこに何らかの感情や想いを託したはず。
 その想いは、きっと探している何かに自分を導いてくれるだろう。そう信じた。
 波動の発生源。僕は感じるままに、ゆっくりとその方向へ歩みはじめた。目を閉じているため歩調は慎重ではあったが、それでも確実にその場所に近付いて行く。
 まるで薄暗い洞穴のなか、何処からか微かに吹いてくる風をたよりに、外へ通じる小さな小さな隙間を探すかのように。
 ――何処?
 どこにいるの……ピュセル
 雨音が遠ざかっていく。神経と感覚が研ぎ澄まし、僅かなゆらぎすら見逃さない。見逃せるはずもない。
 そして、遂に――
 アランソン候は、現代語より数段階も古い中世で用いられていた様式のフランス語に辿りついた。多くの観光客達の文字に埋もれるように、ひっそりとささやかに残されていた、消えかけた傷痕。
 たどたどしいその文字は、いつかアランソン侯がふたりきりで彼女に教えた、ピュセルのアルファベだった。
「……」
 衝撃に声も無く、飛び掛かるように床に組みつきその文字を覗き込んだ。ペンライトから投げ掛けられるか細い光が小刻みにぶれる。あまりの緊張と興奮に、その手が痙攣するように震えているのだ。
「ピュセル。やっぱり……やっぱりだよ」
 やはり、彼女はメッセージを残していた。望んだ通り、彼女は残しておいてくれたのだ。何が刻まれているにせよ、自分にはそれを読む義務がある。
 彼女が残した言葉を、知らなくてはならない。
 震える指先が掠れた文字を、読む。

――未来の我が侯に、千の栄光と万の希望があらんことを願いこの文を記す

 我が候。未来の、我が候。
 それが何者を意味しているのかは問うまでもなかった。
 知らぬ間に頬を熱いものが伝っていく。
 そのたどたどしい筆跡は、いつかアランソン候自らが教えた古のフランス語だった。処刑前夜に覚えたての文字で書かれた、それはたったひとりの青年へ向けたメッセージだった。

 我が候 御免なさい
 もしいつの日か、何かの巡り合わせでこの文に卿が辿り着いた時
 しかし私はもう今生の者ではないでしょう
 私には、貴方との約束を果たすことが出来ませんでした
 御免なさい


 そこからは書体が変わっていた。紋章のようにも見える見慣れない文字が綴られている。
 ――エノク文字。
 自分にはなかったはずの知識が脳裏に浮かび、そして消えていく。
 高級機械語のように短い構文に多くの情報量を秘めているだけでなく、各シンボルが持つ呪的効果が概念レヴェルからのイメージ想起をもたらす超高位文字。
 地上において使徒たちが暗号文書の意味合いも兼ねて使用していたのが、このエノク文字である。
 本来、純粋な人間であるアランソン候には解読し得ないこれを、なぜピュセルが利用したのかは分からない。だが、壁面に刻み込むというやり方が物理的に長文には向かなかった――という以上の意味があることは疑う余地もなかった。

 私の死は悲劇ではありません。
 貴方には話していなかった、使徒の秘密があるから。
 だから、この死が哀しまれる必要はありません。


 使徒の……秘密?
 思わず文字を追う指を止める。
 今、魔皇ヘルとして、使徒に関する全ての知識を持つアランソン候だったが、秘密というほどの物に思い当たりはなかった。

 ――我ら使徒には、等しく転生の能力が備わっています。
 使徒は死しても滅びず、後の世に姿を変えて復活するのです。


 信じられなかった。驚愕に喉が詰まる。呼吸が、胸が焼けるように苦しい。
 それは、虚言だった。
 この世に転生という事実はない。それは宗教や神話上で、人々が死を恐れ、死後に希望を見出すために作り上げた理想であり、真実には転生輪廻はあり得ない。
 あり得るとすれば、アランソン候のように人為的に魂を別の肉体に移し替え生まれ変わりとするくらいだろう。人類はおろか使徒すらも超える規模の、魔皇のデータベースがそう告げているのだ。これはピュセルの誤りであると完全に断言することができた。
 だが……なぜ。
 何故、彼女はこんなウソをこんなにもハッキリと書き記しているのか――
 続きに急いで目を走らせた。

 私も使徒だから蘇ります
 私は蘇ります
 今度は貴方を送り届けた未来に
 貴方と同じ時に生まれ変わると私は約束します
 だから探して下さい
 私のことを忘れて新しい私を探して下さい
 貴方が、貴方と同じ時に生きる誰かを心から愛せたなら
 きっとそれは私の転生の姿
 たとえ中世の記憶を失い別人のようにあらわれても、それは私の転生した姿なのです
 だからお願い申し上げます。
 ラ・ピュセルの名にこだわらず、その人を想うままに愛し、大切にしてあげて下さい
 貴方はいつの時代でも私を見つけて、そしてまた想ってくれると確信します


「どうして……」
 どうして、こんなことを
「どうして、そんなこと……言うのさ」
 ただ、掠れたその声と共に、その場に崩れ落ちることしか、できなかった。
 ――ウソだった。すべてが、どうしようもない嘘だった。
 彼女は知らないのだ。アランソン侯が、未来で <声> の力と知識を取り込み、使徒を越える全てを知ったことを。アランソン侯が使徒であり、使徒を越える存在となったことを。
 使徒に転生の能力などありはしない。使徒は監視機構という名の神が創り出した使い捨ての道具なのだ。輪廻の環に組み込む必要などありはしない。
『使徒には、等しく『転生』の能力が備わっています』だって――?
『私のことを忘れて、探して下さい』だって――?
『同じ時に生きる誰かを心から愛せたなら……きっと、それは、私の転生の姿』だって――?
 嘘だ!
 嘘だッ!
 知っていたはずだ!
 自分が死後、どうなるかを。誰よりも良く知っていたはずだ!
 自分に転生などあり得ないと、誰よりも……彼女は、誰より知っていたはずなんだ!
 その彼女が、自分を忘れて同じ時を生きる誰かを愛せというのなら……
 それは……
 自分を忘れ、自分でない誰か他人を愛せということだ。アスカの言うように、過去の呪縛を断切り、新たな生に生きろということだ。
「どうして……」
 床に刻み込まれた彼女の言の葉を抱きしめるように、うずくまる。
「そんなこと、言うのさ……」
 そんなことを言われたら
 こんなことを書かれたら
 もう……
「耐えられないじゃないか……」
 躰の震えを止めることも。
 躰中を駆け巡る、感情と想いを押え込むことも。
 鳴咽を堪えることも。
 溢れてくるそれを、食い止めることも。
 もう――
「ピュセル……」
 だから、もう、苦しまないで
 どうか、もう、哀しまないで
 どうか、もう、傷つかないで
 貴方の言っていた、全てを凌駕するもの。
 私は受け取ったから。
 たとえ自由を奪われても、命を失っても、未来が見えなくなっても、
 それさえあれば、生きてゆける。
 全てを失った人間にも、まだ守りとおせる物があるということ。
 私はそんな <絆> を抱いて死に、そしてそんな <絆> と共に生まれ変わるでしょう。
 もしその事実が、貴方や私の何かの支えになるというのなら……
 その名を、こう、呼んでほしい
 ――希望、と。
 そして、その希望と私を繋ぐ架け橋として、貴方はいつもこの心にいてくれた。
 まだ見ぬ、空と光の架け橋。
 まるで、ビフロストのように――。

 そこで、彼女のメッセージは途切れていた。
「……ュ……セル……!」
 僕は!
 僕はいつも、ささやかな約束すら守りきれずに……
 たったひとりの少女すら、救いきれずに……
 彼女に、
 誰より大切なあの人に……
 生まれて初めての、こんな嘘までつかせてしまった……!
 もう……
 限界だった。
 これまで、どんなことがあっても流れることの無かった涙が――
 とめどなく溢れ出てきた。瞼が燃えるように熱く。大粒の雫が、夜闇に舞い、彼女の刻んだ文字にポタポタと落ちていく。
 今なら良く分かる。流れなかった、その涙の理由が。良く分かる。
 僕は、認めていなかったのだ。ラ・ピュセルが死んでしまったことも。ラ・ピュセルがいなくなってしまったことも。目の前で、彼女が焼け死んでいく様を見たのに。
「彼女は死んだ」
 自らの口で、そう言葉にしてみることで
 僕はいつもそれを、嘲ていた。自分で口にし、自分の声でそれを訊く度、『そんなことがあるものか』と……
 いつも否定していたのだ。
 そう。僕は、彼女の死から逃げていた。彼女が死んだなんて、全く信じも認めもせず。ただひたすらに、その事実から逃げていた。
 でも、彼女の残したこのメッセージは、僕に現実を突きつけるには十分すぎた。
 僕は、今、ここで、はじめて彼女の死を受け容れた……
 弱くて愚かな、ただの小さな男に過ぎないのだ。
 思えば、いつからだろう。素直に泣くのを止めて、我慢して生きてきた。
 うずくまって、母体で胎児が眠るように、体を丸め込む。埃と悲哀に塗れながら、僕はただ、その痛みに躰を震わせていた。
「くっ……ぅ……」
 胸が軋む。
 目が熱い。
 喩様もない大きな感情が、心を粉々に砕いてしまいそうだ。
 こんな痛み
 とても堪えきれない、でも、偽れない。
 この絆は、消せない。
「……っぐ……ぅ」
 痛い。痛い、ピュセル……。
 ごめんね。やっぱり、僕さ――
 全然……ぜんぜん強くなんてなれそうもないよ……。
 震えが止まらないんだ。怖くて、哀しくて。それに、死んじゃうくらい、胸が痛いんだ。
 もう、壊れちゃいそうだよ……。涙で、もう、何も見えないんだ。
「……ぁ……ぅぐ……」
 ごめんね。ごめんね……!
 あの泣き虫だった子供の頃のように……
 この夜、この時だけは
 涙に負けて良い――?
「……ぅ‥ぉ……ぉお……」
 嘘と欺瞞で固めた、僕の強さと世界。少しずつ壊れ行く、その世界の片隅で――。
「うおおお……ッ」
 僕は堅く目を閉じ、頬をとめどなく流れ落ちていく熱い涙を感じながら、
 ただケモノのように、空に咆哮した。


 少しずつ……
 少しずつ壊れゆく世界の片隅で
 僕の今日は目を閉じる。
 ――だけど、まだ全てが壊れたわけじゃない。
 もし、涙の中でまだ、そう信じられるのなら。
 少しずつ壊れゆく世界。
 その方隅で、虹を作ろう。
 時を越えて
 僕と君とを繋ぐ
 時空にかかる何よりも大きな、架け橋を。
 架け橋を作ろう。
 まるで、ビフロストのように――


to be continued...


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