絆だとか
想いだとか
バカにしちゃダメ
時代がそれを陳腐に変えてしまっても
人が人である意味、それしかないんだから
DARC
−ダァク−
全てを凌駕するもの
CHAPTERXXVII
「燃え尽きない流星」
SESSION・96 『ラ・ピュセル抹殺』
SESSION・97 『女神を駆る者−碇ユイ−』
SESSION・98 『女神を駆る者−霧島マナ−』
SESSION・99 『宮廷演義』
SESSION・100 『燃え尽きない流星』
SESSION・96
『ラ・ピュセル抹殺』
「ラ・ピュセルが囚われたぁ?」
ロレーヌ地方の山中深く。
丁寧な木造の小屋に、クレス・シグルドリーヴァの素っ頓狂な声が響き渡った。
「はい。確かな筋からの情報です。間違いありません」
対照的に、リリア・シグルドリーヴァは静かに頷いた。
「2日前、5月23日のことです」
「何故、彼女が……」
目を見開いて、クレスは驚愕していた。
ランスでの戴冠式も滞りなく終了し、フランス王国は正当なる国王の存在を取り戻した。
この勝利王シャルル誕生のおかげで、空中分解して、もはや修復不可能とさえ思われていた国民の心が今、再びひとつになりつつある。
民が、ふたたびフランスという国家を認識できるようになったのだ。
それもこれも、全てはラ・ピュセルの働きのおかげだった。
状況は好転し、順風満帆、暗い暗黒時代のトンネルの終わりを知らせる光は見えていたはずである。
「その今になって……何故だ?」
「分かりませんか?」
「分からねえな。全然」
クレスはリリアの問に憮然とした表情で言いきった。
「分からないのは、リリア。君もだ。
まるで、こうなることを予測していたかの様な言い方をするんだな」
ラ・ピュセルは無口で無愛想な娘だったが、戦友だった。
オルレアン攻防戦の時にだって、一緒に戦った仲間である。他人とは思えない。
クレスは、脅えた小動物のように自分からは決して他人には近付かないが……
1度信用すると、とことん情を尽くすタイプであった。
それ故、今、向かい合うリリアのように、ラ・ピュセルが敵に捕まったと聞いて冷静でいられる神経が理解できない。
クレスにとって、彼女が囚われたと言うのはそれ程の大事なのだ。
「おっしゃる通り、囚われる囚われないは別にして、ラ・ピュセルがこのような類の事件に巻き込まれることは、彼女が出現した時点からある程度予測は出来ていました」
「なに……?」
意外なリリアの言葉に、クレスは敏感に反応する。
「どういうことだよ」
「考えてもみて下さい」
リリアはしばらくの間をあけると、続けた。
「ラ・ピュセルは監視機構の駒なのですよ。
しかも、ただの駒ではありません。
彼女は、切り札――特別な意味を持つ <ジョーカー> なのです」
「ジョーカー?」
「もう何百年かしたら発明される、カードゲームの札の一種です。
ケルトのタロットカードに似たようなものですよ」
「それが、どうしたんだ?」
何の関連性も見えてこないクレスが、先を促すように訊いた。
合理性の徹底追及を絵に描いたようなリリアが、無駄な話をするはずがない。
何かの意味があるのだろうが……焦れったいことに、変わり無かった。
「ジョーカーは、特別な意味をもつ札。まさに切り札です。
ある時は万能の役割を果たし、最高の効果を期待できる何より重宝な存在。
ですが時によっては、その身を滅ぼす破滅の使者にもなり得るのです」
「……」
クレスは無言で先を待った。
もはや、下手に口を出すよりその方が早いと判断したからだ。
「――諸刃の剣とも言えますね。
彼女を所有、使役していた <人類監視機構> にとって、ラ・ピュセルはまさにそんな存在でした。
<救世主> <神の使い> と一般の人間達に認識させることで、自由に使徒としての力を行使できる、ほとんど唯一の存在。
ですから、私のように世間の目から己の力を隠し通さねばならない使徒より、場合によっては利用価値が非常に高くなるのです」
理解の証明に、クレスはひとつ小さく頷いて見せた。
「ラ・ピュセルは現れました。
そして彼女は神の声を聞く少女として、数々の奇跡を起こしました。
王太子の元へ赴き、兵を与かり、そしてオルレアンをはじめとする数々の都市を解放しました。
遂にはフランスの民の意識をひとつに纏めあげ、シャルルを戴冠させ国王を誕生させました。
敗戦確実であったフランス王国を建て直し、結果、イングランド=フランス合併王国の誕生を食い止めることに成功したのです。
……人類監視機構と、フランス王家の望み通りに」
ここまでのリリアの言葉で、クレスは全てを悟っていた。
「つまり……
ジョーカーであるラ・ピュセルは、フランスと監視機構にとって最強のカードだったわけだ。
だが、もうジョーカーはその役割を終えた。
監視機構も王宮も、フランスの建て直しを望んでいた。そして、それは成った。
恐らく、もうラ・ピュセルがいなくてもこの戦争はフランスの勝利で終わるだろう。
だから、もうジョーカーに必要性が無くなった。いや、逆に邪魔にさえなったんだな」
クレスは少し俯き、声のトーンを落とすと続けた。
「ジョーカーは捨て時を間違えたら、身の破滅にも繋がる諸刃の刃。
便利な武器として使えるうちはいいが、期待していた効果を得られた今、それは逆に危険な存在にしかならない。
だから、フランス王宮も監視機構も彼女の存在を……切り捨てた」
「――そうです」
「だが、分からないことがまだ1つだけある」
「何でしょう?」
リリアは静かに訊いた。
「彼女は使徒の力を公然と発揮できる、この世で唯一の存在だ。
……かつてのジーザス(イエス=キリスト)を別にしてな。
その彼女を、 <連合> ごとき――たかが人間ごときが捕らえられるとは考えられない。
彼女を力ずくでどうこうできるのは、リリアかオレか、あとはタブリスくらいだろう?」
「タブリスの話によれば、ラ・ピュセルは裏切りにあったようです。
圧倒的に不利な戦場に送り込まれ、被害甚大な敗北を喫したために、彼女は退却を決めたのですが――
戻るべき本陣であった村が正門を閉じたのです。彼女が戻りきる前に……。
退路を断たれた彼女は、やむを得ず徹底抗戦を試みました。
そこまでなら、とくに支障はなかったでしょう。
普通なら絶体絶命の状況ですが、彼女は使徒ですから」
リリアは俯き加減の貌を上げると、ゆっくりと続けた。
「問題は、相手側に <使徒> の存在が確認されたことです。しかも、4体――」
「4体?」
クレスは驚愕に、小さく叫びを上げた。
無理もない。それは尋常な数では無かった。
一騎当千――その気になれば単独で世界すら滅ぼせる使徒が、4騎!
如何にラ・ピュセルといえど、複数の使徒に同時に <A.T.F> を展開されてしまえば無力だ。
絶対領域を封じられた、ただの少女にされてしまう。
「汚ねぇ手をつかいやがる……。監視機構の奴等、使徒なんぞ派遣しやがって」
「それに味方にも裏切られたのです。
その状況下でなら、私でも無事でいられたかどうかは分かりません。
こういった状況に慣れていない彼女のこと、精神的な衝撃も大きかったことでしょう」
「だよなぁ……」
クレスは腰掛けていたベッドに、乱暴に躰を投げると呟いた。
「リリアだって人前じゃあ、使徒の力は使えないもんな。もちろん、 <混沌> の力も。
力を行使できないのと、行使が許されないのとはほとんど変わりないからな……」
クレスの言葉通り、リリアは使徒の力以外にも <混沌> の力を使えるらしいことが、最近判明した。
リリア自身も、自分にそんな能力があったということは全く知らなかったらしいのだが――
ある時、それに覚醒したのだ。
ことの切っ掛けは、もう半年以上も前のことになる。
このロレーヌの山中で訓練を続けていたクレスとリリアは、ある夏の日、2体の使徒の襲撃を受けた。
その内の1体が、 <心理攻撃> などという怪しげな能力を操る難物で、流石のリリアも多少の苦戦を強いられたのだ。
その闘いのおり、相手の <心理攻撃> というか <精神攻撃> を受けたリリアは、心の奥底に封じていたある扉を開いてしまった。
ある大いなる計画のために、自己暗示を駆けて自ら掛けていた封印の扉を。
そして軋みを立てて開くその扉から解放され、心の深淵より現われ出たのが……
魔皇 <カオス> であった。
まだ完全覚醒には至らない様だが、それ以来、リリアは徐々にその得体の知れない力を自分のものにしていっている。
それとともに、彼女が <ルシュフェル> と云う名の、いわゆる <魔王> だった頃の記憶と知識も蘇りつつあるらしい。
だが、クレスにとって、それはあまりに荒唐無稽な話であった。
それ故、リリアが『またバケモノじみたパワーアップをしつつある』というくらいにしか考えていないのだが……
案外それが1番正解に近いのかもしれない。
カオスに目覚めながらも <仮人格> であるらしい <リリア> の意識が崩壊することなく、己を保ち続けるなど、本来あり得ないことであるそうなのだが……
リリア本人に『これもクレスが側にいてくれるおかげです』などと言われては、クレスも赤面せざるを得ない。
というか、もうカオスだの混沌だのどうでも良いという気分にさせられる。
案外、彼も単純だった。
「で、これからオレたちはどうするんだ? ラ・ピュセルのことも含めてさ」
ベッドに寝転がったまま、クレスは訊いた。
「そうですね……」
リリアも就寝するつもりなのだろう、彼の横に躰を滑り込ませる。
「あなたの訓練も終えたことですし、やはり下山するべきでしょうね」
「うん」
隣にやってきたリリアをゆっくりと包み込みながら、クレスは呟いた。
「なんか、結局1年もかかっちまったな……。
半年くらいでどうにかなると思ってたんだけど」
「仕方がありません。結果、 <ゼルエル> <タブリス> 級の戦力を新たに確保できたのです。
今のあなたなら、並みの使徒なら2騎は相手に出来るでしょう。
これは今後大きくものを言ってくると思います」
ラ・ピュセルが次元封印を行使して、アランソン侯を未来に送り込んだのが去年の5月。
それから1年が経ち、もうすぐその5月も終わろうとしていた。
クレスが言うように、彼らがロレーヌ地方の人里は慣れた山奥で訓練を開始してから、もうそれだけの時が流れたのだ。
その間に、時代は大きく変動した。
概ね、人類監視機構の思惑通りに。
……少なくともクレスはそう評価していた。
監視機構は、確かに多くを失ったかもしれない。
エースであった自由天使タブリスと、最強の死神ゼルエル。
この2人の離反に加え、ラ・ピュセルの次元封印の使用。
そしてアランソン侯のタイムトラベル。
シナリオから逸脱する出来事だ。
だが、大局としてはどうだろうか。
巨大な勢力の誕生を恐れる監視機構は、イングランドがフランスを破り、これを吸収・合併することを未然に防ごうとした。
そのためにラ・ピュセルを送り込み、フランス側を建て直そうと画策。
結果的に、それは成功を見た。
イングランド=フランスの合併王国は幻想に終わり、戦争は終わろうとしている。
イングランドは洗兵(撤収)し、フランスは一王国として残るだろう。
時代は監視機構が望むままに動いている。
口惜しいが、それは認めるしかない。
「……オレさ」
一旦切って、言葉を脳裏でまとめるとクレスはゆっくりと語り出した。
「オレはさ。監視機構から、リリアを奪いきりたい。
奴等は離反者のリリアを許さないだろう。逃げても逃げても追いかけてくる。
だから、オレがリリアを完全に監視機構から奪うためには、やつらを潰す必要がある」
彼女を抱く腕に力を込めながら、クレスは言った。
直ぐ側には、緑と金色の神秘の瞳がある。
「……オレたち、勝てるかな?」
「……分かりません」
リリアはやけにあっさりとそう言った。
「だけど、貴方がそう思ってくれていること――凄く嬉しく思えます」
「うん」
クレスはそう返すことしか出来なかった。
「私の予測では、このままではラ・ピュセルの命はありません。
ジル・ド・レ元帥は、個人的に彼女の救出の為に兵を動かしているようですが……
恐らくどうにもできないでしょう。これは、高度に政治的な問題です。
彼にはいささか荷が勝ち過ぎると考えます」
「じゃあ、オレたちでどうにかするか……?
敵は使徒4体。オレとリリアでかかれば楽勝だ。
たぶん、リッシュモン元帥も力を貸してくれるだろう。無理な相談じゃないぜ?」
『自分はこれだけのことをやった。』
『だから、これだけの事が出来るはずだ。』
努力の積み重ねは、純粋な自信を生む。
聞けば当たり前の言葉に思えるかもしれないが、それは実感した経験のある者にしか分からない。
そんな事実だ。
そして、今、クレスはその自信を抱ける人間となっていた。
1年だ。
1年に渡り、最強の死神に死ぬほどに鍛え上げられた。
名を聞くだけで相手が逃げ出すほどの、桁の違う実力者にだ。
徹底的に、非情なまでに。
何度も死にかけた。やめたいとも、逃げたいとも思った。
あまりの仕打ちに不条理さえ感じ、怒りを抱いたこともある。
でも、それをやり遂げた。
限りなく密度の濃い時間を、1年。
容赦と妥協がなかった分だけ、それはクレスにとって誇りになり自信にもなっていた。
そしてそれに応えるように、実力もついた。
精神と、躰と。
ふたつが絶妙な相互関係を生み、相乗効果を齎した。
変わる事が出来た自分。
成長したことが、ハッキリと意識できるまでに高まった己。
クレスは、嬉しかった。
そんな自分と、それを可能にしてくれたリリアが愛しかった。
世界が、変わって見えた。
躰と精神はリンクしている。
クレスは今、それを堪らなく実感している。
心が、己という最高の僕(しもべ)と連携して <力> を生み出す。
鍛練を積んだ分だけ、僕は強くなる。
そしてそれは、精神に刺激を与える。
躰は人間に限界を設ける <枷> じゃない。
魂や心を閉じ込める <檻> じゃない。
それは、己という愛しき <しもべ> を解放しきれなかった者の戯れ言だ。
躰で心を表現する術を、ついに知ることの出来なかった者の哀しい遠吠えだ。
クレスは今、そう思っている。
「今のオレになら、大抵の注文は通るぜ。きっとピュセルも助けられる」
クレスは微笑みながら言った。
「その自信は、あるぜ」
「問題は……」
クレスとは対照的に、リリアは浮かない表情をしている。
「彼女を救出することに、それだけの意味があるかということです」
「はあ?」
ちょっとリリアから身を離すと、上から覗き込むようにしてクレスは言った。
「なに言ってんだよ、リリア!
彼女は敵側に囚われたんだろ? 捕虜になったんだ。
助けなきゃどんな目にあわされるか、分かったもんじゃないぜ?」
彼女が貴族であれば、身の代金を要求できる。
その場合は貴重な人質として、そこそこ丁重に扱われることを期待できもするが。
彼女は貴族ではなく、元はただの農民だ。
しかも、シャルル勝利王とも面識がある。司令官でもあった。
宮廷の意向や、今後の作戦に関することを彼女から聞き出さんと、拷問を加えられることも考えられる。
「しかも、ピュセルは女の子なんだぞ!
かなり変な奴だが、それでもかなりの美少女だ。
餓えたもてない連合のゴロツキどもに、あんなことやこんなことや……
あまつさえ、そんなことまでされちゃうかもしれないんだぞ?」
だが激昂したようなクレスに対して、リリアはあくまで冷静だった。
真っ直ぐにクレスの瞳を見詰め返す。
「言ったはずです。これは複雑で、高度に政治的な問題であると。
ラ・ピュセルが囚われた。それを助けに我々が踏み込んだ。
無事救出して、はい御終い――と、そう簡単にはいかないのです」
「……どういうことだよ」
決然としたリリアの瞳に、クレスは鼻白む。
「恐らく……いえ、このままではラ・ピュセルは確実に抹殺されるでしょう。
連合は、それだけ彼女の存在を恐れています。
また、彼女はフランスの宮廷にとっても既に邪魔な存在です。
<支配者> にとって、民の支持と尊敬を一身に集める <英雄> の存在ほど、疎ましいものはないでしょう。
秩序と国としての機能が蘇りつつある現状では、その傾向は尚更強まるはずです」
「英雄の存在は邪魔……か」
クレスは考えてみる。
万人が認めるように、ラ・ピュセルはすでに <英雄> として名を馳せている。
その名声は日ごと高まり、彼女のウワサはフランス国内はおろか、欧州全土にまで轟き渡っている。
事実、戦乱を収めるため彼女に協力を求める隣国の使者が、度々彼女の元にやってくるらしい。
クレスもそう言った類の密書を見せてもらったことがある。
民は少女に希望を見出し、彼女に期待と未来を重ねる。
支持も敬愛の視線も、欲しいままということだ。
国が落ちぶれ、滅亡の危機に瀕していた時は、それも良い。
兵の士気も高まるし、民を団結させることが出来る。
最高のアイドルであり、象徴、マスコットなのだ。英雄とは。
だが、国に秩序がある時はどうだろう。
英雄は戦の時にこそ必要なもの。
平和な国に、その存在は必要ない。
逆に、いてもらっては困るのだ。
国王より人気や尊敬を集めてしまう英雄など、為政者たちには邪魔でしかないのだ。
国王=英雄である場合以外は。
勝利王として戴冠した国王シャルルも、今、まさにそう考えている。
王は自分だ。
国民は国王を第一に敬い、そしてその命に従わなくてはならない。
それが秩序だ。
だが、今、国民が熱狂しているのはシャルルではなく……ラ・ピュセルという名の少女である。
シャルルがこの状況を好ましく思うはずもない。
「シャルルも、連合もラ・ピュセルの存在が疎ましい……。
なるほど、確かに彼女はいつ殺されてもおかしくない立場に置かれているわけだ」
「そうです」
リリアは小さく頷く。
「それともう1つ。
ラ・ピュセルはあくまで完全勝利を目指して戦っています。
ですが、シャルル勝利王はそれを望んでいません。外交による和平を望んでいるのです。
この思想はあくまで剣を交え、相手と戦うことで戦争を収めようとする、ラ・ピュセルの姿勢とは相容れないのです」
「ラ・ピュセルは、戦争を <武力> をもって終わらせようと……
シャルルは、対話による <平和的解決> を望んでいるわけか。
なら、ラ・ピュセルが剣を振り回して、連合を叩き潰すという行為は、外交に差し障るな」
小さく頷きながら、クレスは言った。
基本的に、彼の頭脳は優秀である。発想も時代を考えれば驚異的に柔軟だ。
まあ、彼も一応貴族の端くれだ。そこそこの教育は受けているのだろう。
「はい。
剣を収めて仲良くしましょうと働きかけるシャルル。
その一方でシャルルの部下であるはずのラ・ピュセルが戦いを続けている。
これでは纏まる話も纏まらないというものです」
「……当然だな」
「和平による平和的解決――
一見すると、シャルルの選んだ道はラ・ピュセルのそれに対して、非常に穏やかで人道的に見えます」
「確かに」
クレスも大きく頷くことで、同意する。
「血を流し、悲劇を生む戦争で決着をつけるよりかは、話し合いで穏便に片付けた方がいい」
「ですが、シャルルは戦争を理解していない……と言わざるを得ません。
この場合は、私もラ・ピュセルの選択を支持するでしょう」
「ああ。確かに。
この戦争はあまりに深く大きくなり過ぎた……」
シャルルは王だ。そして支配者だ。
戦場に出て、戦争というものを肌で感じることはない。
彼にとって、戦争は王の椅子を賭けた陣取りゲームにも相応しい。
そこでやりとりされる命。兵の死も生も数字上の問題だ。
だがラ・ピュセルは戦場を知った。
前線で死と隣り合わせながら、戦ってきた。
味方の犠牲も、敵兵の死も……
全てはリアルな感覚として、衝撃としてその心に残る。
戦争をその身を以って経験できる。
「戦争は、兵と兵の殺し合いで終わるほど単純じゃない。
戦うのは兵士だが、彼らには帰りを待つ家族がいるんだ。
1人の兵士の死は、1つの命の喪失と共に、残された家族の哀しみも生み出す。
戦争は集結後も長きに渡って、大きな爪痕を残す……」
シャルルは、その民の心の痛みを汲んでやれる男だろうか。
その器であろうか?
答えは否と言わざるを得ない。
そのことは、皮肉にも彼が <外交> と <和平> を選んだことで証明される。
「家族はあくまで <彼> を、愛しい家族の一員として送り出します。
そして、 <彼> は兵士として戦場で死ぬ。
残された家族は、 <彼> を殺した敵側を怨むでしょう。
その憎しみの感情と心の傷は、戦争が終わった後も決して消えることはありません。
遺恨と哀しみを残さない戦争の終わりを、真の <平和的解決> と呼ぶのなら……
戦場で最初のひとりが傷ついた時点で、それは実現不可能なものとなるのでしょう」
リリアは、クレスの夜着をキュッと掴みながら言った。
それは哀しい事実なのだ。そしてその悲しさを理解できるほど、リリアの心は育っているのだ。
「この戦争を終わらせるには、対立の図式を取り払わねばならない。
戦争の起きた根本的原因を絶つ必要がある。
現状でフランス側は納得しても、侵攻を決定したイングランド側は得るものを得ていないんだ。
納得はしない。
これは必然が生んだ、侵略戦争なんだからな。
和平が成立して戦争が終わっても、対立の図式は残る。
そして何時か、また別の切っ掛けで戦争は再開される……」
クレスの言葉の証明は、歴史がしてくれる。
この100年戦争は、本当に100年もの間継続して行われてきたわけではない。
その中には膠着状態も、両者の歩み寄り、そして和平による停戦もあった。
だが、戦争と対立の図式を取り払うことの出来ないまま、中途半端な和平を結んだおかげで、戦争は何度も繰り返された。
一時停戦と戦争再開の繰り返し。
それが、100年に渡って続いてきた。それが、この戦争なのだ。
「こんな惨めで辛い戦争は……もう繰り返してはならない。
この時代で終わりにしなくちゃならない。
だから、ラ・ピュセルは徹底抗戦を選んだんだ。
侵略を許さないフランス側の意志を、戦う意志を以って示すために……。
対立の図式を崩壊させるという、抜本的な解決を目指す。
そのためには、この戦争をとことんまで戦い抜くしかない。
シャルルには……それが理解しきれていない」
それが、誰からも育てられることが無かった哀しき支配者。
シャルル勝利王の限界なのだろう。
それは哀しいことなのだ。
クレスの伏し目がちな瞳は、そう語っていた。
「我々がラ・ピュセル救出に動けば、恐らく監視機構が阻止に動くはずです。
それは現状では避けたい。
ですから、ここは時代に身を委ねるしかないでしょう」
全てを知っている使徒が、同じく使徒であるラ・ピュセルを救う。
それは監視機構のシナリオから逸脱する出来事。
確かに、彼らがそれを許すとは思えない。
「だけどな……!」
だが、リリアのその言葉はラ・ピュセルを見殺しにすることを意味するのだ。
見かけによらず情のあるクレスが、黙っていられるわけがない。
「苦渋の選択であるのは、私も同じなのです。クレス。
私とて、彼女を殺したくなどありません。
同じ女として、そして同じ使徒として、彼女はどこか他人とは思えないのです。
今では、姉妹のようにさえ思えます」
「……」
リリアとて胸中は同じなのだ。
そう言われては、クレスも何も言えなくなる。
「それに――」
リリアはふと遠くを見詰めるように言った。
「それに?」
怪訝な表情でクレスが訊く。
「それに、彼女を救うのはアランソン侯の役目です。
タブリスの話によれば、彼らは……約束を交わしたそうなのです。
また再び出会うことを。
600年の時を越えて、再開することを誓い合ったそうなのです」
「……なんで元帥はそんなことまで知ってるんだ」
最近のニュースソースは、ほとんどがリッシュモン元帥――自由天使タブリスだった。
世界中のありとあらゆる情報は、まるで彼を中心に回っているかのように……
彼に問えば、必ず有益な情報が返って来る。
使徒といえば、ある意味監視機構が人類に送り込んだ諜報員のようなものだ。
彼はその意味でも超一級なのだろう。
「じゃあ、どうするよ。
ラ・ピュセルは救出できない。監視機構にはまだ手が届かない。
なんか折角力を付けたっていうのに、やることねーじゃん」
クレスは、今、活躍の場を欲していた。
鍛練によって培われた自分の力を、存分に発揮して、それに酔ってみたいのだ。
自分がどれほどまでに強くなったのか。どれだけ成長したのか。
早くその目で、肌で感じてみたい。
「……いえ、やることは山積みです。
いよいよ、監視機構と正面から構えてみようと、そう思っています」
リリアから返ってきたのは、意外な返答だった。
「正面から構えるぅ? ……どうやって」
「――未来に、行きます」
リリアのその言葉に、クレスはベッドから跳ね起きた。
「なにっ?」
慌ててリリアの顔を覗き込むが、ふざけている様子はない。
元々、彼女は冗談など言わないが。
「未来って、なんで?」
「これもタブリスから聞いた話なのですが――
ラ・ピュセルは600年後の未来……2一世紀と呼ばれる時代にアランソン侯を送り込みました。
そしてタブリスの分身も、彼を追ってその世界に辿り着いています。
今彼らは、その時代で <人類監視機構> と全面戦争に挑もうと画策しているようなのです」
「ぜ……全面戦争」
茫然自失といった感じのクレスが、なんとかそう呟く。
「恐らく、それは最初で最後の機会になるでしょう。
タブリスの根回しのおかげで、環境も整っています。
それに戦力も、これ以上ないと思えるほど強力になっています。
例えば、アランソン侯です。
聞くところによると、未来の彼は私と同等の力を身に付けているそうです。
……魔皇ヘルとして」
「まこう?
魔皇って、確かリリアもそれなんだよな? 3人いる内のひとりで、カオスだって言ってたか」
「そうです。まだ私もハッキリと全てを思い出した訳ではないのですが……
かつて <ルシュフェル> という、悪魔王のような存在がありました。
彼はある事件が切っ掛けで、3体に分離したのです。
前にも1度説明したと思いますが、それが魔皇三体。
すなわち、 <ガルム・マスター=ヘル> <サタナエル> そして <カオス> の3魔皇ですね」
「ふーん。またなんでアランソン侯が <ヘル> なんぞに?
そういえば、オレたちの <ATフィールド> を見ることが出来てたよな。
それと関係があるのかな?」
「……ええ。アランソン侯にも色々とあったようです。
とにかく、今彼は魔皇の力を有しています。
彼のインペリアルガードのガルムもいますし。
条件はこれ以上ないくらいに揃っています。最も勝率の高い戦場が、2一世紀なのです」
それは、何時にない力説だった。クレスも納得せざるを得ない。
「……未来か」
再びゴロンとリリアの横に寝転がると、クレスは呟いた。
「そこに全てを賭けるわけか」
「はい」
クレスは天井をぼんやりと見上げていたが、傍らのリリアが小さく頷いたことが気配で窺えた。
「そこで人類監視機構を倒せば……全ては終わるのか?」
感覚がよく掴めないのか、クレスはどこか漠然とした感じに訊いた。
「専門的な話になるので分からないかもしれませんが、結論だけ言えばそうです。
監視機構の存在自体が、この時空連続体に囚われない超然的なものですから。
エンシェント・エンジェルそのものが、独立した別の時空連続体そのものと捉えれば良いのか……。
クロス・ホエンの特異性のことは、我々も完全に理解している訳ではないのです。
恐らくそれに関する知識を有しているのは、ただひとり、 <全てを知る者> だけでしょうね」
遠くを見詰めるような目で語っていたリリアは、そこで一旦言葉を切ると纏めた。
「――とにかく、彼らをどの時代でも良い。
滅ぼすことが出来れば、問題は解決するはずです」
「悪い。予想通り、リリアが何を言ってるか、サッパリ分からねえわ」
クレスが頭をかきながら、複雑な表情で言った。
「いいんですよ。それで」
リリアはクレスにだけしか分からない程度に、微かに微笑んで言った。
「……う〜ん、要するに <過去> でも <今> でも <未来> でもいい。
監視機構を倒せば、どの時代からも奴らの存在は消えて無くなるって考えればいいのか?」
「ええ。その通りです。……クレスって、本当にときどき凄く賢いですね」
リリアはどこか嬉しそうにそう言った。
「ときどきってのはちょっと気になるが、一応お礼は言っとくよ」
照れたのか、クレスはぶっきらぼうにそう言った。
「だけどさ、どの時代からも消えて無くなる……ってことは、リリアやピュセルはどうなるんだ?
現在・過去・未来、すべてにおいて監視機構の存在が『無かった』ことになるだろ?
監視機構がいなかったら、リリアはどこから誰に送られてきたことになるんだ?
まさか、リリアまで『いなかった』ことになるのか?」
不安に眉を顰めて問い掛けてくるクレスに、リリアは少なからず驚いていた。
まさかこの中世の人間が、その矛盾に気付けるとは。
驚異的な思考の柔軟さである。
ある意味、天才と言ってもいいかもしれない。
「それをタイム・パラドックスと表現した人がいます。
そういった矛盾のことをいうんですが……。
――クレス、こう考えてみてくれませんか。
人類の歴史は、監視機構が読んでいる一冊の <小説> であると」
「監視機構が読んでいる小説? じゃあ、オレたちは物語に登場する架空のキャラクターか」
「そうですね」
理解の早いクレスに、リリアは満足そうに頷く。
「さて。監視機構は物語を読み進めますが、どうも内容が気に入りません。
そこでペンにインクを付けて、物語の内容を書き替えようと考えます。
ここまではいいですね?」
「ああ」
クレスが話を理解しているのを確認すると、リリアは続けた。
「しかし、それはただの本ではありませんでした。
監視機構が手を加えようとしたその書は、ある魔法のかかった <魔導の書物> だったのです」
「魔法?」
いつもクールなリリアは、どこかガチガチの超現実主義者であるような印象を他人に抱かせる。
その彼女から <魔法> などという言葉が聞けたことに、クレスはなにか新鮮さを覚えた。
「そう。その本は、読む者が自由にストーリーを書き替えることの出来る本なのです」
「ラクガキOKの小説か。太っ腹だな」
「ところが、どのようにでも好き勝手にストーリーを書き替えることが出来るわけではありません。
例えば、試しに少しだけ物語の内容を変えてみるとします。
すると、本にかけられている魔法がその続きのストーリーを勝手に紡ぎ出すのです。
幾ら書き換え可能といっても、それだけは自由になりません」
「どういうことだ?」
よく理解できなかったのか、クレスが複雑な表情をして訊く。
「そうですね。例えば、その物語に <ピーター> という登場人物がいたとします。
<ピーター> はイタズラ好きの少年で、父母と一緒に農村で暮らしているとします。
ところが、読み手はそんな設定が気に入りません。
クレスに似たエッチな読者は、登場人物が少年では無く、可憐な美女でなけば気が済まないのです」
「――おい」
クレスは『リリアも言うようになったな』というような苦笑を浮かべる。
リリアはそれに微かな笑みを返すと、続けた。
「そこで読み手は、 <ピーター> の存在を抹殺します。
ナイフで紙を削り、 <ピーター> の名前を削除すると、その名前を <マリー> という女の子の名前に変えたのです。
若くて奇麗な女性を頭に思い浮かべながら……。
ところが、そこで本の魔法が発動されるのです。
本は読者の改変の意図など全く取り合わず、新たな登場人物 <マリー> のキャラクターを勝手に設定し出します」
「ほほう」
クレスが唇の端を吊り上げながら相槌を打つ。
どうやら話に興味が出てきたらしい。
彼は元々好奇心旺盛な人間なのだ。
「本にかけられた魔法は、読者の思惑とは裏腹に <マリー> というキャラクターを、歳老いた老婆だという設定にしてしまいます。
本が勝手に話や設定を作り出すのです。
読者は本の内容を書きかえることが出来ても、完璧に全てを制御できる訳ではないのです」
「そうか!」
何かに思い当たったらしいクレスが、小さな叫び声を上げた。
「監視機構が、裏からチョコチョコとしか手を出さないのはそのためなんだな?
全知全能と思われる奴等にしてみても、人類の歴史は一種のブラックボックスなんだ。
少しずつ設定を変えてみて、その結果をフィードバックしながら調節するくらいしか出来ない。
ある時代に介入してみても、その結果、未来がどう変化するかまでは完全に予測できるわけじゃないってことか。
だから、使徒を使って細々とやってるわけだ」
「まさにその通りだと思います」
リリアは深く頷いた。
「クレス。あなたやアランソン侯などの存在が邪魔なら、過去に溯ってあなた達の両親を殺してしまえば良いのです。
それが1番簡単なのですから」
監視機構も万能ではない。
その事実は、クレスにとって救いとなりそうだった。
「ですが、それによってその後の歴史がどう変わってしまうのか、監視機構は正確に予測することはできません。
あなたの両親が死に、結果あなたの誕生はキャンセルされる。
それだけで終わるのか、それともそれによって別の脅威が誕生するのか。
全く予想が付かないのです。
だから、そのような大胆な歴史の改竄は出来ないのだと思います」
「成る程なぁ……。監視機構も色々大変なわけだ」
そう呟くと、クレスはリリアに視線を戻した。
「オッケー、だいたい理解した。話を続けてくれ」
「はい」
リリアは頷いて応えると、話を再開した。
「さて。
<人類の歴史> という名の物語を読み進めていく監視機構ですが、彼はこの話が気に入りませんでした。
そこでそのストーリーを書き替えることにします。
……まず監視機構は、物語を自分に都合よく運ぶために、その役割を果たしてくれるオリジナルの登場人物を作り出すことにします」
「それが、使徒。つまり、リリア。君たちなんだな?」
リリアはコクリと頷く。
「そうして監視機構は、自分の都合の良い様に物語を書き替えていきます。
ここで注意しなければならないのは、物語の中の <登場人物> である我々と、その <読み手> であり二次的な作者である監視機構とは、全く別の世界の住人であるということです」
「ま、当然だな。
その喩(たとえ)でいけば、オレたちは紙に書かれた架空の人間なんだから」
「そうです。
ここで話を分かり易くするために、監視機構と我々との間には、相互関係がないと仮定します」
「つまり、監視機構は物語を書き替えることで、実際はオレたちの存在に影響を与えているが、それは考えないことにするってことだな?」
「クレスは理解が早くて助かります。
この分ですと、未来に辿り着いても短期間で順応できるかもしれませんね」
リリアはクレスの長所を語る時、まるで我が事のように嬉しそうな顔をする。
「……そいつはどうも。ま、とりあえず話を続けてくれ。
なんか、そういう話はさ、難しいけど結構好きなんだよな」
「はい。
確認した通り、監視機構と物語の登場人物である我々は、まったく別の世界に存在しています。
例えば我々の世界が滅びても、それはあくまで物語の中の世界の滅亡であり、監視機構がいる世界には全く影響はありません」
「うむ。当然だな」
小説で描かれる世界が滅びる度に、現実世界にも影響が現れたらたまったものではない。
「クレスが危惧したパラドックスは、監視機構と我々が同世界の住人であった時に生じます。
監視機構がシナリオの一翼を担うキャラクターであったとき、その存在が消去されれば物語自体が破綻します。
例えるなら、犯人の存在しない推理小説のようなものでしょうか。
この時生じる物語の矛盾が、貴方の指摘するタイム・パラドックスですね。
ところが、監視機構は全く別世界の人間。
一読者が消滅したとしても、物語を記した小説は残るのです。問題はありません」
「ん……分かったような分からんような。
その喩によれば、リリアは監視機構の落書きの産物なんだろ?
だったら、監視機構がいなかったら、その落書きもされることはなかったわけで。
だけど物語にリリアの姿が描写されている。結局矛盾が生じないか?」
「いえ。そこは魔法の本ですから。
ラクガキがされた。でもラクガキをした者など存在しない。
では、ではどこからラクガキは現れたのか。
その手の問題は、本の魔法が解決してくれることでしょう。
それに前もって仮定しておいたはずです。読者と物語の両者に相互関係はないと。
テーブルの上に本が置かれていた。
監視機構という名の読者が、そのテーブルにある本を読んだか……
それとも監視機構という名の読者は、永遠に現れる事はなかったか。
どちらにしても、本はそこにあるのです。変わらない姿のまま」
「良く分からんが……
とりあえず監視機構に、もうこれ以上ラクガキをさせない様、絵本の世界に奴を呼び込んで叩き潰しちまえばいいんだな?
そうすれば、万事解決ということで」
「まあ、大方その通りです」
「そっかそっか。で、とりあえずオレたちは未来に行くと」
コクコクと頷きながら、クレスは納得したように言った。
話を全て理解した訳ではないが、とりあえず納得した気分にはなれたわけだ。
「はい。最高の環境下で監視機構との最終戦争に挑むわけです」
「ラ・ピュセルはその戦争が終わった後、アランソン侯に任せれば良いってわけだ」
「ええ」
「そっか〜」
はぁ〜っと吐息をつくと、クレスは夢見るように言った。
「未来ってどんななのかな。楽しみだな。きっとすっげえことになってるんだろうなぁ」
「私も実際、この世紀から以降の世界に派遣された事はありませんから、何とも言えませんが……。
きっと驚くような世界なのでしょうね」
「リリアはちょっとは予備知識があるんだろう?
なんかずっと先の技術とか、知識とかに精通しているし……」
「使徒は監視機構が立てる未来構想について、若干の知識を持っています。
将来人類がどのような発見をし、どんな技術を発明するか。
ある程度のことには精通していますが……やはり、実際行ってみない事には」
「ま、リリアもいることだし。なんとかなるよな?」
「ええ。きっと……」
「へへ。楽しみだな」
クレスはそう呟くと、高鳴る想いを胸に抱きながら、眠りについた。
SESSION・97
『女神を駆る者−碇ユイ−』
それは人類の英知の結晶といったところか。
地下数千Mという途方もない地底に、明らかに人口のものと分かるドーム状の空間があった。
ただの空間ではない。
地上に構えられるドーム球場をそのまま埋め込んだようなその広大な空間は、特殊技術を導入し擬似的な低重力状態に置かれている。
そこは重力制御を施された、特殊訓練施設なのであった。
無人を超えるパイロットの養成。
システムを超える人間の育成。
科せられたテーマと求められる人材は、ある意味人類の限界を超えている。
その限界を超えた人類になることを、時代に求められた人間がいた。
――碇ユイ。
アランソン侯の転生・碇シンジの実母であり、NERV総帥・碇ゲンドウの妻である。
NERV技術開発部主任である赤木リツコ博士と、スーパーコンピュータ <MAGI> がはじき出した、最も有力な新型兵器のパイロット候補のひとり。
それが、彼女なのであった。
2一世紀初頭、アメリカ空軍は無人偵察機 <グローバルホーク> を実戦配備した。
無人偵察機、すなわちパイロットが搭乗し戦闘機を直接操縦するのでは無く、システム(機械)による遠隔操作が実用化されたのだ。
このように、戦闘機を無人化するメリットは大きく2つある。
ひとつは機体が撃墜されても、パイロット自体が存在しないため貴重な人命を失わずにすむこと。
また、パイロットそのものの操縦訓練が必要無くなること。
もうひとつは、運動性能と反応速度が飛躍的に向上することだ。
パイロットが生身の人間であれば、当然様々な制約が生じてくる。
人間の肉体には限界があるからだ。
幾ら訓練を積んでも、人間は100Mを3秒で走りきることはできない。
戦闘機の操縦において、 <G> などにも同じようなことが言える。
<G> とは要するに、戦闘機などが高速で旋回したりする時に生じる『遠心力』等のことだ。
普段なら乗用車に乗っている時なども、微弱ながらこの <G> による加重を人は経験できる。
車が比較的早い速度でカーブを曲がっている時、乗っている人間の体は曲がる方向とは逆向きに引っ張られるような感覚を受ける。
これも、遠心力が生み出す <G> だ。
空軍で専門の訓練を積んだ者たちでも、アメリカ空軍の <F−16> の9Gが限界だと言われている。
これを超えると、 <Gロック> と呼ばれる現象に陥り、最悪パイロットは命を失う。
どんなに性能の良い戦闘機でも、乗っているのが人間である限り制限を受ける。
そこで考えられたのが <UAV> ……無人飛行機である。
それは、人間が戦闘機に乗って操縦するのではなく、システムによる遠隔操作で操縦される戦闘機の構想であった。
20世紀、神経工学の専門家である <グロレア・カルフーン> 女史は、この無人戦闘機を人間の脳だけで操縦するシステムの開発に尽力した。
彼女はパイロットの脳波をセンサーでモニターし、機体のコントロールを基本とする様々な制御ができないかと考えたのだ。
超音速で蒼穹を駆ける戦闘機同士の戦闘においては、脳から送り出される命令が指先に伝わるまでのタイムラグさえ枷となる。
それを取り払うためだ。
それらの技術と思想の延長線上に位置するのが――
NERVの新型機動兵器 <GOD(ガデス・オブ・デスティニー)シリーズ> である。
現在完成している試作1号機 <ウルド> 、同じく2号機 <ヴェルダンディー> 、3号機 <スクルド> の計3機は、従来の戦闘機とは比較にならないほどの潜在能力を秘めている。
この能力を最大限発揮させるために、パイロットの脳波によるコントロールを基本とする遠隔操作のコクピットシステムが開発された。
だが、それでさえも、この機体の性能を限界まで引き出すことは不可能であった。
世界中の軍から特級のパイロットたちを選抜し、専属パイロット候補として養成したが、誰もこの機体を扱いきれなかったのである。
GODシリーズがその搭乗者に要求するのは、操縦技術ではなく人間としての超然的な <生命力> そのものであったからだ。
そしてその方面から新たに <テストパイロット> として選ばれたのが、碇ユイと霧島マナであった。
……バシュ! バシュッ!
圧縮空気を抜くような音と共に、ゆっくりと視線が正常に戻ってゆく。
フワリフワリと風に飛ばされる麦藁帽子のように、体が宙を漂う感覚に集中する。
気を抜いたら、収拾不可能な状態になるか、パニックに陥ってしまうかもしれない。
空間を正しく認識して、バランスを制御しなければ。
ユイはこの地底の特殊施設でパイロットとしての訓練を連日行っていた。
ユイは宇宙服に酷似したボディスーツを身に纏い、 <空飛ぶ椅子> と彼女が表現する物体に腰掛けている。
それは本当に椅子をそのまま乗り物にしたようなシロモノで、四方八方に無重力状態での姿勢制御のためのバランサーが付いている。
フワフワと空中を頼りなく漂いながら、ユイは七八苦して姿勢を制御しようと務める。
慣れない低重力の空間は、真っ直ぐに姿勢を維持するのさえ困難であった。
体に少しでも妙な力が入ると、直ぐにクルクルと座った椅子ごと回転しだす。
そうなると、空気を発射するらしいバランサーを巧みに操り、バランスを取り戻さなくてはならない。
それがまた途方も無く難しいのだ。
ちょっと強く打ち過ぎただけで、自分の体がとんでもない方向に飛ばされていく。
力の加減が非常に難しく、体を緊張させずリラックスしたまま最大限集中力を高めなくてはならない。
また真空であり、かつ無重力に近いこの空間では、なんと言うかモノの大きさや距離感覚などが掴みにくい。
聞くところによると、自分が操縦することになる機体は地球上だけではなく、 <宇宙> での戦闘にも対応できるらしい。
これはそのための訓練らしいのだが……
ユイにはさっぱり意味が分からなかった。
とにかく与えられたメニューをこなすしかない。
これが終われば、シミュレーターで模擬操縦の訓練が続いて行われるのだ。
グズグズしてる暇はない。
「シンジ。母さんは、がんばるわよっ!」
SESSION・98
『女神を駆る者−霧島マナ−』
――同日・同時刻
<ジオフロント>
「いい、マナちゃん。
前もって説明しておいたように、 <スクルド> は貴方が体を動かそうと考えるだけで、その信号を読み取って代わりに動いてくれます。
だけど、電節義手のようにその制御には数ヶ月の訓練が必要となるでしょう。
要は慣れよ。まずは、実際に操作することで――大まかでいいわ、感覚を掴んでみて頂戴」
技術部主任、赤木リツコ博士がマイクを使って、既にコクピットにスタンバイしているマナに言った。
≪は、はいぃっ! が……がんばりまっす≫
モニター越しにも、マナが緊張していることが窺える。
これまで再三にわたりシミュレーターで訓練を積んできたのだが、それでも実物となるとやはり勝手が違う。
当然といえば当然の反応だ。
リツコとて、なんの予備知識のない女子高生に、いきなり <GOD> の全てを理解しろとは言わない。
だが、操縦に最低限必要と思われる知識は、これまでに全て叩き込んだ。
あとは <スクルド> を扱ってくれるだけで良い。
国連軍が選抜したどのパイロットにも為し得なかった、人類を超えた領域で……
この <スクルド> の力を解放してくれさえすれば。
「……システム、起動」
リツコは、傍らのオペレーターに指示を出した。
「了解。 <GODシステム> 起動。パイロットとの接続を開始します」
リツコ直属の部下であり助手である <息吹マヤ> が、よく通る声で復唱した。
同時に扇状に広がるコンソールに、全てのスタッフが集中し出す。
緊張と興奮が、俄かに場を活気づかせていった。
「システムは正常に起動。パイロットの認識を完了しました」
起動されたコクピット・システムは、まず、パイロットである <霧島マナ> の存在を認識する。
マナに被せられた頭部のほとんどを覆うヘルメットが、彼女の頭部を走査し、脳波をはじめとする各種情報を読み込むのだ。
その作業が完了すると、システムはシグナルを制御室に送信する。
「…… <コア> に接続」
認識完了のシグナル・グリーンを確認すると、リツコは言った。
ここからが本番である。
コクピットはマナの存在を認めると、今度はGOD試作3号機 <スクルド> のコアにコンタクトをはじめる。
それはさながら、女神に <霧島マナ> という生け贄の存在を報せに走る、巫女のようなものだ。
システムを仲介役とし、マナの存在が……魂が <スクルド> に認識される。
そして、そのマナの生命を以って <運命の女神> は目覚める。
「接続完了。
GODコアの活動を確認。出力上昇、臨界点突破!」
パイロットの活力を供給すると事でコアは活動を開始。
エネルギーを生み出しはじめる。
それが、機体を起動させるに十分なレヴェルに到達したのだ。
そのオペレーターの報告に、リツコはひとつ頷くと、言った。
「 <スクルド> 、リフトオフ」
ジオフロントの広大な地下空間を利用した実験場。
その壁に囚われたいた女神が、拘束具を取り払われ自由を得る。
その瞳に、鋭い光が宿った。
「……?」
マナは、一瞬身を強張らせた。
≪システム、起動≫
ヘルメットに内蔵されたスピーカーから、ノイズが僅かに混じった赤木博士の声が聞こえてくる。
……いよいよはじまるのだ。
蒼穹の女王と呼ばれた、国連軍のエースパイロット <オレシア・ドゥドニック> という兵士でさえ、この機体をたった1分半しか起動させることが出来なかったという。
≪メイン・システム各部正常、オールグリーン。コアへの接続準備良し≫
最初、赤木博士にこの話を持ち掛けられた時……正直、凄く驚いた。
驚いたけど、不思議と迷いはなかった。
それはきっと、マナが『碇シンジ』という少年を知っていたからだと思う。
同じ年齢の、ひょろひょろとした細い体つきの、一見頼りない少年が、戦っている。
得体の知れない者と、確かに戦っている。
世界は何も知りはしないけれど。
彼が背負っている咎が、如何ほどのものか。
マナには到底計りきれない。
だが、その計り知れない程の咎と傷を背負いながらも、負けずに生きている人がいる。
マナには新鮮な驚きだった。
なんか、凄いと思った。
夢追い人(ゆめおいびと)は、強い。
迷いもない。
彼らは一体、あの高みから何を見ているのだろうか。
それは日常の平穏と退屈を持て余す人間には、理解できない世界なのだろう。
その世界をマナは覗いて見たいと思った。
怖いけれど、好奇心の方が断然勝っていた。
≪……コアに接続≫
だから、マナは即答した。
乗ります、と。
赤木博士は、時間を考えてゆっくりと考えてくれと言ったけど。
決意は変わらなかった。
変わるはずもない。
戦う術も知らなかった。
戦いたくても、力が無かった。
動きたいのに、動くだけ邪魔になる。
助けになりたいのに、逆に困らせてしまう。
弱者は、優しさを持つことすら許されないのか。
それは力への羨望ではなかった。
それは、力への渇望であった。
必要だったのだ、彼女には。
何もかも無くなってしまう前に、手を伸ばしたいものがある。
そのために、力が必要だったのだ。
その力が、今、目の前にある。
鋼鉄の女神の形をとって。
自分の力で戦い、守りたいもの、勝ち取りたいもの、全部抱き留める。
それが、これに乗れば可能となる。
それで心は十分だった。
≪接続完了≫
マナは、まるで終わりのない深い深い宇宙の深淵まで、自分の心が落ちていくような感覚を覚えていた。
<コア> が自分を呼び込んでいるのだ。ひとつとなるために。
だから、身を任せてみた。
不快感はない。温かい川の流れにゆっくりと流され、飲み込まれていく感じだった。
だが不意に、終点は訪れた。
果てしない漂流にも等しいと思われた心の落下は、意外にも早く打ちきられたらしい。
そのかわりに、今度は心が広がりはじめた。
自分という躰が崩壊し、心が外に飛び出たような感覚。
膨らみ続ける風船のように、自分が広がり心が空と一緒になったような……
世界と同化したような、そんな不思議で楽しい感覚。
世界が見渡せる。
あらゆる音が、草木が囁く音すら聞こえてくる。
空気の匂いが、風の香りがこんなにも敏感に感じられる。
感覚が、恐ろしく研ぎ澄まされているようだ。
まるで地球を抱いた、女神になったように。
≪スクルド、リフト・オフ!≫
マナは、閉じていた目をゆっくりと開いた。
瞬間、全てが飛び込んできた。
世界が開ける。
光が溢れ出す。
あらゆるものが、全てのものが、つぶさに、完全に理解できる。
それは、まるで認識の洪水。
きっと、生まれたての赤ちゃんが初めて目を開いて世界を見た時、こんな風に感じるのだろう。
恐ろしいまでに何もかもが、リアルに感じられた。
認識力……そういった単語が何かの専門用語としてあるとすれば、それが人類の限界を超えたレヴェルまで、今、高められている。
見なくても分かる。
数キロ先の岩肌の色。形。硬さ。
触らなくても、手触りまでが伝わってくる。
ありとあらゆるデータが、頭の中に雪崩れ込んできて、マナに囁きかける。
聞かなくて分かる。
風と緑達が奏でる旋律。
この空間に幾つもの生命の気配を感じる。
ぜんぶ、ぜんぶ感じられる。
これが、女神の目から見た本当の『世界』だ、と。
「すごい……」
マナは知らぬうちに、そう呟いていた。
「すごい……スゴイ、凄い!」
胸がわけも分からずドキドキしてきて、マナはとにかく興奮した。
こんな世界があったなんて。
「すごい、凄いです! なんなんですか、これっ?」
はしゃいだ声で、マナは誰とはなしに訊く。
≪どんな感じ? マナちゃん≫
赤木博士が、耳元に問い掛けてきた。
「分からない……でも、凄い!
言葉でなんか、表現できない。
地面に立ってるのに、凄い勢いで風を感じながら空を飛んでいるみたい!
人間と、世界が全然違うの! スゴイよ!」
凄いを連発するマナ。
自分でも何を言っているのか、興奮で理解できていないのだろう。
理由も無く心が弾むのだ。
胸の高鳴りが押さえ切れないまでに心地良い。
≪世界が違う?≫
リツコには感覚が伝わらなかったのだろうか?
マナは問い返してきたリツコの言葉に、もどかしさを覚えた。
この世界を感じられないなんて、なんて不幸なんだろう!
「どこに何があって、どう息づいているのかハッキリと伝わってくるの。
命と気配が大合唱をあげている感じ!
この場に存在する幾万の命の存在の全てが、心から感じられるの!
こんなの人間じゃない! 凄すぎるんです!
世界がこんなに騒がしくて、元気だっただなんて……全然知らなかった」
子供のようにはしゃぎたてるマナ。
その言葉を聞きながら、リツコは小首を傾げていた。
確かに <GOD> のコクピット・システムは、脳波増幅機能やアドレナリン、エンドルフィンなど分泌系に刺激を与えて神経をある程度過敏に高める機能を搭載している。
実際、現在入院中の1号機テストパイロットであるドゥドニック少尉も、操縦中はあらゆる感覚が明確に意識できるほど敏感に鋭敏になると報告してきている。
だが、今マナが訴える程の劇的な効果があるとは思えない。
マナとドゥドニック少尉。
やはり両者に素質の差があったと、簡単に結論づけてしまって良いのだろうか?
「先輩、どういうことなんでしょう?」
傍らから伊吹マヤが訊いてきた。
ちょっと困惑気味のようだ。
「分からないわ。 <スクルド> がこれまでのパイロットの場合とは、違う反応を示しているのかしら」
計器を見ても、マナが現在かなりの興奮状態にあることしか窺えない。
≪マナちゃん、とりあえずどんな形でもいいわ。躰を動かしてみて頂戴≫
「あ、はいっ! 分かりましたー!」
マナはリツコの声に元気に応えると、考えはじめた。
躰を動かすといっても、とりあえずどうしよう。
目の前には広大な地下空洞が広がっている。
ただそれだけだ。
「う〜ん、とりあえず……」
マナは、手のひらを見てみることにした。
女神の手(マニュピレーター)は、一体どんな色や形をしているのだろう。
右手を目の高さまで持ち上げてみる。
女神の手はスムーズに動いて、マナの意図した通り手を翳してくれた。
マナ自身も、それをヘルメットの内側に展開されるスクリーンで確認する。
「ふ〜ん」
女神の指は、思ったよりごちゃごちゃとしていた。
特に関節の部分は、なにやら細々とした部品に覆われている。
もしかしたら、手って以外と精密機械でできてるのかも知れない。
マナはなんとなくそう思った。
≪どんな感じがするかしら?≫
「ううん、なんか、変な感じですぅ」
滅茶苦茶に指を動かしながら、マナは本当に気持ち悪そうに言った。
「自分の手じゃないのに、自分と全く同じ動きです〜。
なんか、気持ち悪い……けど、ちょっと面白い!」
妙に抑揚をつけたマナの台詞に、伊吹マヤは思わず吹き出した。
まあ、良く出来たヴァーチャル・リアリティを体験した者は、大概こんな感覚を受けるものだろう。
≪大体、理解してもらえたかしら。
スクルドは、あなたが望む通りの動きをそのまま再現してくれるの。
念じることで、遠くにある自分の躰を動かすような感じね≫
「はい。なんか、よく分かりました〜」
マナとしては、もうこうなってくると遊びと変わらない。
今日は特別にロボットに乗って遊んでみよう! ……そんなノリである。
指の動きに満足したのか、マナは今度は躰全体を使った運動を試してみることにした。
まず屈み込んで、足元の石ころを拾ってみる。
石ころと言っても、それは女神の視点での話だ。
実際は岩石と表現すべき、そこそこ大きな岩だ。
地面を見て、岩を発見し、しゃがんでそれを取る。
膝を伸ばして再び立ち上がり、それを……
「え〜っと、な……投げる! えいっ!」
可愛らしい気合とともに、ぽいっと捨ててみるマナ。
実際「投げる」という言葉と共に自分の手も動いていたが、その動きは小さく簡略されている。
だが、スクルドの方は実際マナが思い描いた通りのフォームで、岩を放り投げて見せた。
きちんと野球選手のように足を上げ、腰を捻り、肩を使って腕を軽く振る。
そしてその動きは、マナにフィードバックされる。
ぴゅ〜っと岩は飛んでいくのが見える。
その動きが、マナにはハッキリと追跡できた。
どの程度の速度で、どの程度の空気抵抗を受けながら、どの程度の割合で速度を落とし、どの地点に落下するか。
女神は一瞬で計算を完了させ、予測される未来をマナに見せてくれた。
……なんか、遅いなぁ
あれなら、走ったら追いつけちゃいそう。
全てが感じられる。
全てが可能に思える。
舞い上がったマナの心は、好奇心に変わった。
人間なら、自分で投げた石を後から走って追いかけて……追いつけるわけがない。
だが、今この女神と同化した自分になら出来るような気がする。
と言うより、絶対できそうだ。
根拠はないが、自信はある。
マナは試してみることにした。
「霧島マナ、走りまぁ〜す!」
ぴょこっと右手を挙げて宣言すると、制御室の反応も待たずしてマナは女神を走らせた。
≪えっ、マナちゃん……?≫
リツコが反応した瞬間には、もうスクルドは空を切り裂いて、『目標地点』に到着していた。
まず、ランドセルのように背負ったバックパックが展開し、中から4基のメインバーニアが現れる。
それが怒涛のような火を吐き出し、マナは『吹っ飛ぶ』。
制御・観測室の計測器は、初速から音速に迫る数値を記録していた。
まさにロケットダッシュをキメた <スクルド> の巨体は、直線ではなく半円を描くように空を爆走し、1000M近く進むと岩の落下地点に回り込む。
マナは瞬時に各バーニアを全開させ、進行方向へ逆噴射した。
時間的には、ほとんどダッシュ開始直後からの逆噴射である。
殺人的なGが襲い来るが、そんなものは遠隔操作をしているマナには関係ないし、フィードバックもされない。
結果、急制動をかけられたスクルドは、マナが計算した到着点にピタリと停止および着地。
遅れてやってきた岩を、パシっと片手でキャッチした。
「きゃっきゃっ☆」
大喜びのマナ。
女の子らしく、内股に膝を折り曲げながら飛び跳ねるスクルドに、制御室の面々は唖然ととしていた。
「なんか……マナちゃんとスクルドって、凄く相性が良いみたいですね……先輩」
口の端を引きつらせながら、伊吹マヤが言った。
「そ、そうね。……調子は良好みたいね。とりあえず」
操縦者が全力疾走をイメージすると、その脳波に反応して <スクルド> はブーストを利用したダッシュを敢行する。
今までのテストパイロットたちから採取したデータや要望などから、あらかじめプログラムしてあるパターンのひとつだ。
「それにしても、幾らなんでもあれは以上です……。機体への適応が早すぎます」
計測器を睨み付けていたオペレーターのひとり、青葉シゲルか言った。
確かに青葉の言う通り、どう考えてもマナの操縦ぶりは出来過ぎだった。
ほとんどアニメだ。
「……そうなると」
考えられることは、ただひとつ。
操作されているのは、 <スクルド> ではなく――マナだということだ。
確認はとれていないが、マナの訴える感覚の能力の飛躍的な上昇は、ちょっと普通には説明がつかない。
幾ら精神を集中し、感覚を研ぎ澄ましてみても、やはり限界というものがある。
それを超えるとなると……
やはり、 <スクルド> がマナに干渉しているとしか考えられない。
つまり <スクルド> 自身にも潜在的な意志があり、己の機体性能を最大限まで引き出せるように、パイロットに働きかけているのだろう。
スクルドのコアに接続されているマナは、乱暴に言ってしまえば <スクルド> と同化していると言える。
スクルドは、何か未知なる方法でマナに接触し……
人間を超えた身体能力を、一時的に付与しているのだろう。
女神が女神であるために、パイロットを自ら強化する。
道具が最大限実力を発揮するために、使用者に力を与えるのだ。
ちょっと聞く限り、それは美味しい話に思えるが――
果たして、この仮説が真実であった時、マナ自身にどんな影響が生じるのか。
危険極まりない話だ。
最悪、体を構成する情報すらも書き替えられて、人外の存在へと変貌してしまうことも……
そこまで考えて、リツコはその考えを否定した。
――まさか。
安っぽいSF小説のような話に、リツコは頭を振って苦笑する。
使徒だの監視機構だのと、現代科学の追いつけない場所での話に首を突っ込み過ぎたか。
論理の組み立てがメチャクチャだ。
この実験が片付いたら、ちょっと休みを貰おうかしら。
だが、そんなリツコ女史の思考は予想外の形で打ち切られた。
彼女の耳に、
≪霧島マナ、つづいて『てっぽう』撃ちまぁ〜す♪≫
……等という、とんでもない言葉が飛び込んできたのだ。
そう言えば、マナには <GOD> シリーズのメイン・ウエポンである、バスターライフル <G.R.A.M.> の発射手順も教えてしまっていたのだ。
GODは対 <監視機構使徒> 戦を想定して設計された物であるから、そのパイロットが武器の操作法を知るのはある意味当然なのだが、あれはあくまで切り札だ。
なまじ威力があり過ぎるため、そうポンポンと発射してよいものではない。
「飛んだ! 飛んだよっ! すっごぉ〜い!
……やっぱり凄いなぁ、これ。 <スクルド> ちゃん!」
自分の思い描いた通りの超人的な動きを、100パーセント完璧な形で再現してくれた女神に、マナは感嘆の声をあげた。
「なんか、なんでも出来ちゃうって感じよね?」
空気を切り裂いて躰をフッ飛ばすあの感覚と、快感。
ジェット・コースターなんてメじゃない。癖になりそうだ。
「次はなにしよっかなぁ……」
すでにリツコ達の存在を忘れて、早速次なる遊びを考えはじめるマナ。
「あ、そうだ。これって鉄砲がついてるんだよね?
鉄砲って1回撃ってスカッとしてみたかったし。チャンスチャンス!」
いたずらっ子のように目をキラキラと輝かせ、うぷぷと笑うとマナは活動を開始した。
「えっと、確かこの鉄砲の握りみたいなのを掴めば、自動的に構えてくれるんだよね」
マナはそう言いつつ、 <G.R.A.M.> の発射捍に手を掛ける。
それに反応して、 <スクルド> の背中からバスターライフルの砲身が降りてきた。
その瞬間、マナは体の力が、何かに吸い取られるような錯覚を覚えて、身を強張らせた。
が、それも一瞬の出来事。
大した事はなかったので、気を取り直してライフルをスタンバイさせる。
「ん〜と。それから、後は狙いをつけてぇ……
おお! なんか、十字架が出てきた。多分、これの真ん中に狙いを定めて……」
制御室の面々が、先程のマナの急速ダッシュに度肝を抜かれて呆然としているのをいいことに、着々と準備を進めるマナ。
実に嬉しそうである。
「最後に安全装置を解除してぇ……よっし、これでたぶん準備はOK!
じゃ、いくよぉ〜?……霧島マナ、つづいて <てっぽう> 撃ちまぁ〜す♪」
やはり彼女は、霧島理事長の危ない血をしっかりと受け継いでいた。
≪霧島マナ、つづいて『てっぽう』撃ちまぁ〜す♪≫
その声にハッと我に返るリツコとオペレーターたち。
「ちょ、ちょっとマナちゃん?」
リツコは、あわててコクピット・システムへ繋がるマイクを握るが……
「……って、既に準備整ってるぅ?」
そう。
天使殲滅の為に凶悪なまでの威力を持たせたバスターライフル <G.R.A.M.> の銃口はピタリとNERV本部に向けられていた。
当然、そこにはリツコ達が構える制御室もあるわけだ。
どうやらリツコたちが無駄な仮説に意識を捕われている間に、マナは既に発射準備を固めていたらしい。
迂闊だった。
≪じゃ、いっきまぁ〜す☆トリガーは引くのではなく、絞れっ♪≫
楽しそうに報告してくれるマナ。
「ちょ?ちょっと待ちなさい、マナちゃん!」
リツコが慌ててストップを掛ける。
≪えっ? なんですかぁ〜?≫
間延びした声で応えるマナ。
楽しみを中断させられて、ちょっと不機嫌そうだ。
「赤木博士! コアのエネルギー反応が急上していきます!」
オペレーター・日向マコトが悲鳴にも似た声を上げる。
「ぬおっ?計測器を振り切りました! これ以上は計測不能」
「なんですって?」
これまでのテストパイロットに合わせて作った、コアのエネルギー量を計測する機器が追いつかない。
それはつまり、新しい基準で作り直さないと、計測できないまでに高い数値を記録しているということだ。
実際、オレシア・ドゥドニック少尉が試作1号機 <ウルド> に乗って放った時の、ざっと数十倍のエネルギーがスクルドのコアから <G.R.A.M.> に伝達されている。
「発射された時の被害は……」
ドゥドニック少尉の放った <G.R.A.M.> の威力から逆算してみた青葉の表情が青ざめる。
「やべぇっ! ……ジオフロントがもちません!」
≪あのぉ、もうそろそろ撃っちゃってもいいですかぁ?≫
「やめろぉ〜!」
日向マコトが泣きながら叫ぶ。
「マヤ、コアとシステムの接続解除! 切り離すのよ、急いでッ!」
「はっ、はいぃ!」
慌ててマヤが <コクピット・システム> と、スクルドの <コア> との接続を切り離す。
こうすると、要するにスクルドという機体の操縦席から、マナが降りたことになるので、スクルド自身は動きを停止する。
≪あれ? あれれぇ? あのぉ〜、なんか急に動かなくなっちゃいましたけど〜?≫
何やら狼狽するマナの声に、スタッフ一同はガックリと安堵に頭を垂れた。
起動時間252秒。
霧島マナ初の起動実験は、主任の指示により緊急中止され、事無きを得た。
その後、 <G.R.A.M.> の安全装置の解除は、コントロール・ルームから制御できるよう改善されたという。
SESSION・99
『宮廷演義』
ランスでの戴冠以降、勝利王シャルルは <戦争> というものに意義を失っていた。
今回の戦は、イングランドによる侵略戦争である。
彼らはフランスの大貴族 <ブルゴーニュ公家> と同盟を結び、連合軍を組織してフランスの北部ノルマンディー地方から上陸。
国土の北半分を支配するまでになった。
これによって王太子シャルルは、王位継承権を剥奪され窮地に立たされた。
だが救世主 <ラ・ピュセル> の登場により戦局を盛り返し、ランスへ進軍。
聖別式を挙げ、シャルル7世として戴冠を成した。
元々、フランス王国側には優れた人材はいなかった。
アザンクールの大敗戦で、大半の実力者を失った王家には、求心力となるべき人間は残されていなかったのである。
この状況が、侍従長ラ・トレモイユなどの増長を招き、腐敗を呼んだ。
もはやシャルルも含めて、自分達の権益の死守と維持しか頭にない貴族達。
勝ち目の見えない戦争に消極的になるのは、ある意味で当然であったと言える。
更に、ラ・ピュセル起用による思いがけない戦局の好転は、シャルルに守る物を与えてしまった。
ようやく手にした王座。
シャルルはこれを再び奪われることを恐れた。
――シノン城
かつてこの城のホールで、王太子はラ・ピュセルと出会った。
そのホールにある大きな暖炉の脇に、樫の木で作られた見るからに頑強な扉がある。
それは貴族達が会議に用いる小部屋に通じていた。
そして今、その場にはフランス王国の頂点に立つ者たちが、一同に会していた。
勝利王シャルル。
その義母にしてシチリアの王妃、ヨランド・ダラゴン。
そして宮廷を裏から席捲する、侍従長ラ・トレモイユの3名である。
「陛下、ラ・ピュセルを止めるべきです」
長きに渡る贅を極めた生活が表に出たか、腹の周りに贅肉を纏わり付かせたラ・トレモイユが言った。
「今、武力を以って連合に挑めば、私が慎重に進めてきた和平への道が閉ざされてしまいます。
……陛下は戴冠なされた。望んだ物は獲られたのです。
ならば、これ以上戦を続ける必然はありますまい。民も長きに渡る戦に疲れております。
今は剣を収め、対話による戦争の集結を目指すべきなのです」
元々ブルゴーニュ派に付いていたラ・トレモイユは、連合にも顔が利く。
その利点を上手く利用し、彼は事ある毎に調停者として奔走していた。
事件を誘発させるくせ、それを陰で処理し報酬を得る <フィクサー> として彼は私腹を肥やしてきたのだ。
そしてその豊富な財を、資金難に苦しむ王家に貸し与えることで、宮廷を席捲していったのである。
故に、フランス宮廷において彼の発言は、多大な影響力を持っていた。
「今やあの小娘は図に乗って <救世主> 気取り。
このまま野放しにしておいては、逆に我々の障害ともなりかねません」
トレモイユの富を生み出すのは、秩序ではなく混沌とした社会から生じる歪みだ。
ラ・ピュセルが戦闘を続け、やがて完全なる戦の集結をもたらした時、彼が受ける被害は計り知れない。
トレモイユにとって、戦が生み出す秩序の崩壊の持続こそが理想の状態なのだ。
「フランスの <救世主> ラ・ピュセルか。……その言い方は好かんな」
窓から眼下の庭園を眺めるシャルル勝利王が、呟くように言った。
「国家は王の元にあり。
誰がこの国の真の支配者であるか、はっきりさせておくべきでしょう。陛下」
トレモイユが擦り寄るように、シャルルに近付いた。
「確かに、国の支配者は国王……私だ」
だがシャルルには些かの迷いが見えた。
それは彼が続けた言葉にも、ハッキリと表れる。
「だが彼女はよくやってくれた。……無碍にはできんだろう」
「――そうではありません」
そのシャルルに、落ち着いた女性の声が掛けられた。
部屋の隅に集まった影からゆっくりと姿を現す、その声の主。
シャルルの義母、ヨランド・ダラゴンである。
「いいですか、陛下」
それは命令することに慣れた者の持つ、王者の気質とでも言おうか。
ヨランドの言葉は、それ自身に魔法が込められてでもいるかのように、胸の奥底に浸潤していく。
ヨランドの王としての器は、シャルルのそれを完全に凌駕していた。
「王たるもの、常に大局に目を向けていなければなりません。
貴方はもう、この国の王。支配者なのです。
支配者は己を捨て、私情を排し、ただ国の政だけを考えていくべき。
あの者の存在が今、民の明日のために障害となっているのならば……
断固たる処置を以って、それを排除してみせる冷徹さも示さねばならないのです」
それは、事実上ヨランド・ダラゴンの下す、 <ラ・ピュセル抹殺指令> であった。
ラ・ピュセルが現れた当初、最も熱心に彼女を支持したのが、他ならぬヨランドであった。
シチリア王国の王妃であり、こと政においては天才的な手腕を見せる女傑として、隣国にその名を馳せるヨランドは、予てより娘婿の王国の未来を案じていた。
そんなおり救世主となるべく現れたラ・ピュセル。
彼女はそのラ・ピュセルを王国のアイドルに祭り上げることで、フランス王国を纏めようと試みた。
そして、それは成功した。
ラ・ピュセルの姿に希望を見た国民は、今一度 <フランス> という国家のために立ち上がり……
各地に残存していた国王派の兵力も蜂起。
ラ・ピュセル効果により、戦局は一転しようとしていた。
――十分だ。
ラ・ピュセルというなのアイドルは、十分にフランスという国を魅了し、奮い立たせた。
その役割を果たし終えたのだ。
これ以上は、舞台の上に残る必要はない。
後は支配者達の仕事である。
「彼女は、神に与えられた務めを果たしてくれました。
役目を終えた役者をいつまでも舞台の上に置いておくのは、残酷なものです。
陛下。彼女はもう休むべきなのです。休ませてあげるべきなのです」
ヨランドは皺の大分目立ちはじめたその顔を、にっこりと慈愛に満ちたものに変えた。
「た……たしかに、おっしゃる通りだ」
シャルルは、気圧されたようにそう言った。
「義母上の言われる通り、彼女を拍手と共に見送るべきなのかもしれぬ……」
……そして、ラ・ピュセルは <コンピエーニュ> へ派遣された。
――1430年5月23日
黄昏迫る緑の草原に、剣撃の……戦の音が聞こえる。
騎馬が大地を抉る音、兵士達の怒号と断末魔、轟く大砲の発射音。
砂塵が舞い上がり、血飛沫が飛び散る。
ラ・ピュセルは400という小部隊を率いて、 <コンピエーニュ> 手前の草原で連合を相手に戦闘を繰り広げていた。
この <コンピエーニュ> はオルレアンと同様、連合の攻囲に苦しむ町である。
ラ・ピュセルの今回の任務は、この攻囲網の撃破にあった。
だが、市の城壁から戦況を窺う市民には、既にこの戦の結末が見えていた。
そして、戦場に居ながらそれを既に悟っている者もいた。
ラ・ピュセルである。
「この戦、負ける」
愛馬スレイプニルの馬上、ラ・ピュセルは誰にも届かぬように唇だけでそう呟いた。
それは、約束された敗戦であった。
結局、フランス王家は最後まで自分の存在を利用し尽くすことにしたらしい。
ラ・ピュセルはそう考え至った。
そして、それは誤りではなかった。
つまり、フランス王家は <ラ・ピュセル> の存在を連合に『売る』ことにしたのである。
連合が現状で最も恐れているもの。
それが他ならぬラ・ピュセルであるならば、彼女を『贄(にえ)』として捧げれば良い。
対話による戦争集結を円滑に進めるため、彼女の命を敵側に贈呈する。
それで、 <フランス> と <連合> 両者は、和平の道を大きく前進できるはずである。
少なくとも、フランス宮廷はそう結論づけたのだ。
その為にまず、絶対的な敗北を約束された戦場に、彼女を送り込む必要があった。
<援軍> も <補給物資> も送られることのない孤独な戦場。
そして支配者達が与えた、彼女の最後の舞台。
それが、このコンピエーニュなのだろう。
自分に用意された退場の花道は、火刑台へと続いている。
ラ・ピュセルは、出撃前から薄々そのことに気が付いていた。
理由は幾つかある。
まず、解放軍としてピュセルに与えられた兵があまりに少なかったこと。
400の混合兵。それはとても町ひとつ落とせる数ではない。
だがそれでも援軍と補給を約束されて、彼女は出撃した。
しかし、最後まで援軍も物資も送られる事はないだろう。
王家には最初から、そんな用意はなかったのだから。
戦場を暇無く駆け巡り、連戦に注ぐ連戦を強いられてきた兵士達。
蓄積した疲労は極限に達し、満足に戦える状態ではない。
しかも物資は届かぬのだ。
飢えによる戦力低下も著しい。
勝てるはずが無かった。
戦闘がはじまった16時から1時間の間は、それでも勝機が見えていた。
ラ・ピュセルが <A.T.フィールド> を応用した広域射撃で、敵の第一波を根刮ぎ倒したからだ。
だが彼女の体力にも限界がある。
使徒の能力の乱用は避けられず、遂にそれも打ち止め。
さらに連合は各地から援軍を迎え入れ、その数をこれ以上ないほどに増加させていく。
(……私は外交の道具と成り果てた)
ラ・ピュセルは、そう確信を持った。
フランスの魔女の最後の使い道。
(…… <監視機構> も <連合> も、そして <フランス王家> ですら、私を抹殺しようとしている。
だけど、役割を失ったのは私だけ。他の兵は関係ない。
彼らが忘れたいのは、ラ・ピュセルという名の魔女、ただひとりなのだから)
彼女は決心を固めると、傍らに寄り添う副官に声を掛けた。
「……ジャン・ドーロン」
「はっ、ピュセル。なにか?」
混戦の中、剣を合わせていた敵兵を切り捨てると、ドーロンはピュセルに馬を寄せてきた。
彼はシノンにピュセルが現れた頃に与えられた、最も古い知人のひとりである。
いわばピュセルの右腕と言ったところか。
「退却する。指示を出して」
相変わらずのぶっきらぼうな物言いに、ドーロンは驚く。
「退却……ですか」
泥と、赤黒く固まった返り血を、手の甲で拭いながら言った。
「この場にいる如何なる兵も、私と同じ道を歩む事はない。
……巻き込むつもりもない。兵を率いて、コンピエーニュまで退却して」
ドーロンの顔も見ずに、ラ・ピュセルは馬上からそう言った。
彼女の細く小さな声は、戦場の喧騒の中では酷く聞き取りにくい。
が、ドーロンはそれに慣れていた。
「しかし……ピュセル、貴方はどうなさるのです」
不穏な空気を感じ取り、ドーロンは訊いた。
「――私は残る」
「なっ?」
ラ・ピュセルはこの解放軍400を率いる将だ。
それを1人残して、部下が退けようはずもない。
ヒュオッ!
鳴り損ねた笛のような音と共に、弓矢が風を裂いて飛翔してきた。
流れ矢だろうが……
使徒の反応速度を以って、身を捩るとピュセルはそれを躱した。
が彼女の頬を掠めたそれは、彼女付きの武官である <レイモン> の胸に突き刺さった。
ドウッと倒れるレイモン。
その右胸から、大量の鮮血が滲み出て鎖帷子を染めてゆく。
「レイモンッ?」
ドーロンが悲鳴のような叫びを上げた。
「これは命令。ドーロン、全兵に伝令。退却せよ」
レイモンの死に目もくれず、ラ・ピュセルは静かに言った。
「しか……ッ?」
反論しようとしたドーロンは、ハッとその言葉を飲み込んだ。
赤い……紅い瞳が、彼を見詰めていた。
ドーロンには窺い知ることのできぬ、深い悲しみを称えたその瞳。
固い決意と、限りない悲哀。
その瞳を受けて、一体どんな言葉を返せようか。
「分かりました……。ですが、私は残ります」
「……」
もうピュセルは何も言わなかった。
何事もなかったかのようにドーロンから視線を外すと、真っ直ぐに連合を見据える。
そして軍旗を携え、スレイプニルを走らせた。
「使徒がいる……」
彼女は囁いた。
感じ取った気配は、2……3……4つ。
間違いない。
殺気ともまた違う、全身を総毛立たせるような圧迫感。
<監視機構使徒> である。
一騎一騎の力は、ラ・ピュセルを下回るが、4騎総合されれば勝ち目はない。
人間なら尚更だ。
彼らの相手は、自分がするしかないのだ。
いや、それ以前に、彼らは自分の相手をするためにこの戦場に派遣されてきたのだ。
だから、彼女は自ら馬を走らせた。
監視機構と、王国の支配者達が用意した破滅へのシナリオに、ラ・ピュセル自身は逆らうつもりはなかった。
たとえこの場は切り抜けたとしても、自分が死ぬまで彼らは罠を用意し続けることだろう。
その度に戦闘がはじまり、巻き込まれる人間が生み出される。
自分が生き延びほど、逃げ延びるほど、無関係の人間が死ぬ。
元々、自分のワガママで続けてきた戦争なのだ。
他人を確実に待ち構える死の罠に、道連れにしてまで続ける気はない。
どの道、使徒を4騎も送り込んできてくれたのだ。
見逃してくれようはずもない……か。
死の覚悟は、とうにできている。
予知夢にも告げられていた通りだ。
だが……ただひとつ、心苦しく思えることがある。
――我が愛しき候よ
「……ごめんなさい」
不意に4つの使徒の圧力が、彼女に迫ってきた。
ピュセルもA.T.フィールドを張って対抗するが、敵方が上だ。
相殺、いや侵食されてバリアを無効化される。
こうなると、使徒としての能力は完全に封じられたに等しい。
――待ちかねたぞ、リリス
頭に直接、使徒達の声が響き渡った。
相手は使徒4騎。
どうやら、どう足掻いてみたところで、自分は監視機構の手の内より逃げ出すことはできないらしい。
「ごめんなさい」
「私から望んでおきながら――」
「あなたとの約束」
果たせそうにもない……
SESSION・100
『燃え尽きない流星』
本当はみんな、互いが大好きで
いつも「ありがとう」って言いたいのに
どうして僕らは、上手くそれを言えないのだろう。
どうにもならないことばかり、いつも僕らの前にあらわれて
大切な切っ掛けを、全部奪い去ってしまう。
本当は感謝していて、本当はとても大切で、本当はとても大好きなのに
伝える機会はいつも無くて、ほんの少しの勇気をもてなくて……
伝えられなかった想いだけ、ずっと胸に抱えたまま後悔ばかりしている。
そんな心とは裏腹に、どうしてわざと傷つけるような言葉を選んじゃうんだろう。
本当みんな大好きなのに、どうして傷つけあっちゃうんだろう。
優しくしてあげたいと思ってるはずなのに。
僕らは同じじゃなくて、違う人間なのだから、そんなこと当たり前なのかもしれないけれど。
「――先輩っ!」
椅子を微かに軋ませながら、息吹マヤは背後に陣取った赤木リツコを振返った。
「なに? どうかしたの、マヤ」
マヤの緊張した面持ちに、何事かとリツコは腰を上げる。
「はい」
マヤは小さく頷くと、歩み寄ってくるリツコを待った。
「これを見て下さい」
リツコにもモニターが見え易い様に椅子をずらして、マヤは言った。
その声にリツコはマナの背中から、覗き込むようにモニターに視線を落とす。
「月全域に電波障害が発生していますので、正確な位置は特定できませんが……
月面の1次クレーター <エンディミオン> あたりから、ラグランジュ・ポイントAXに掛けての質量移動が確認されています」
ふたりが凝視しているモニターには、地球の衛星軌道上にある監視衛星から転送されてきたデータである。
「このままのコースを辿れば、あと900秒で地球大気圏に突入します」
「……ひとつじゃないわね」
レーダーから目を離さず、リツコが静かに呟く。
妙に冷静さを感じさせる声だ。
「はい」
マナは神妙な顔つきで頷いた。
「隕石……なわけないですよね……。
大気圏突入のウェーブコースを辿る質量移動……。今のところ3つまで確認されています」
使い捨てられた前世紀の人工衛星の残骸ということも、考えられないことはない。
だが、その可能性は今マヤが否定した通りだ。
「3つの物体がまるで呼吸を揃えたように、同時に大気圏突入のウェーブコースを辿る。
ただ流星と片付けたら、私たちはクビね」
リツコはにこりともせずにそう言った。
「金属反応は、当然のように無し……」
データだけ見れば、ただの隕石だ。
「あのJ.A.にでさえ、金属反応は見られませんでしたからね。
輸送機はともかく、 <本体> は完全なステルスと考えるのべきですね」
マヤは冷静に分析した。
確証はない。だが、確信はあった。
「マヤ――よく見ておきなさい。あの燃え尽きない流星を」
リツコの額をツ……と汗が伝っていった。
「あれこそが、全世界を巻き込む最終戦争 <ラグナロク> のはじまりを告げる角笛よ」
「……」
「それで、其々の予想到達ポイントは?」
リツコの問いに、マヤはコンソールに指先を走らせる。
即座にシミュレートが完了し、結果が表示された。
「ひとつはフランスよりの <北海> 。
もうひとつは、アメリカの <5大湖> 周辺。
最後のひとつは……ここ、第三新東京市あたりと予測されます」
「明らかに、狙ってるわね」
リツコが鋭利な笑みを浮かべた。
だが目はまったく笑っていない。
シュミレートではじき出された到達ポイント。
いずれにもNERVの主要な施設及び、大国としての軍事施設があるのだ。
とりあえずのサタナエルの狙いは、人類の武器の排除ということだろう。
「EVAが3機……」
リツコは即座にその言葉を自ら否定した。
「いえ、この質量と大きさからすると、流星1個につき3機分は優に収容できるわね」
「となると、3個かける3機で、9機。……9機のEVAですか」
ゴクリとマナの喉が鳴った。
「この場合、常に最悪のケースを想定しておくべきね」
あの <J.A.> 1騎にでさえ、人類は手も足も出なかった。
それの改良型がやってくる。しかも9騎。
「北海に落下する奴は、フランスに出向いているアランソ……シンジ君に任せるしかないわね。
アメリカ支部には、GOD試作2号機 <ヴェルダンディ> があるわ。
ここ(第三新東京市)から補足できるやつに関しては、 <ウルド> <スクルド> で凌ぐしかないわね」
「凌げる……でしょうか?」
マヤは上目遣いにリツコに問いかけた。
確かに第三新東京市には、2機のGODがある。
だが、パイロットはまだ訓練を完成させていない。
果たして彼女たちに、操りきれるか。
アメリカ支部で開発された、GOD試作2号機 <ヴェルダンディ> にはそのパイロットさえ定まっていないのだ。
しかも、数の上ではいずれも不利。
勝機は見えない。
「それを考えるのは、開発者でもエンジニアでも科学者でもないわ。
私たちは、できるだけのことをするの。戦いの環境を最善に整える。それが私たちの急務だわ」
「は……はい!」
――そして、3つの流星は大気圏に突入した。
でも、それでもきっと絆は切れない
いつか、たったひとつの言葉で
きっと僕たちは互いに優しさを分け合える。
ちょっとした切っ掛けで良い。
小さな勇気で良い。
僕らは家族なのだから……
――シンジ君
碇は、自らも失うものを賭けて
この戦争に挑もうとしている……
命よりも大切なものを差し出して。
私はそれを止めるつもりはない。
君は戦争ではなく、個人的な決闘を望んでいるのだろうが、
事態は君の意志の及ぶ範囲を超えて、
もはや収拾のつかないところまで大きくなりつつある。
今、我々は凍える冬の到来を予感している。
最終戦争の幕開け
加速してゆく時代と、ラグナロクの示す問題提起に
君は如何なる決断を下すであろうか……
TO BE CONTINUED……