その初撃を以て必殺の一撃とせよ


DARC
−ダァク−
全てを凌駕するもの


CHAPTER XXII
「想いと思い出、集う場所」


SESSION・66 『ここからはじまる物語』
SESSION・67 『魔皇の方程式』
SESSION・68 『哀じゃない愛、そんな相変わらずの愛』
SESSION・69 『水を司る天使』
SESSION・70 『PROJECT EVA』




SESSION・66
『ここからはじまる物語』



――前座は終わった

無数に漂う遊星。
黒く激しく渦巻く乱雲。
瞬く小さな星たち。
全ての次元の中心。
この世の果て <クロス・ホエン> 。
その不可思議な空間に、その <声> は響き渡った。

――これからお前達には、中世に存在したアランソン侯とラ・ピュセルの物語を体感してもらう

「アランソン……中世のシンジ……」

気付くと、意識は一瞬にして <クロス・ホエン> から飛び去り、見慣れない土地にあった。
先程のような宇宙空間を思わせる場所ではない。
地も空気もあり、一面に緑の丘が広がっている。明らかに地球と思われる場所だ。
だが、どうやらアスカの見慣れた第三新東京市ではないようだ。
なにせ見渡せば地平線が広がっているし、空には電線も見当たらない。
背の高いビル群も無ければ、通りを行く自動車も線路もない。

「ここは……?」

――ここは中世ヨーロッパ
  1400年代前半のフランス王国だ


「……フランス」

マナに説明を受けたおかげで、一通りの事は理解している。
俄かに信じられる話ではなかったが、シンジが15世紀に実在したフランスの貴公子だったこと。
その世界でラ・ピュセルという名の救世主と知り合ったこと。
時空を渡って新世紀にやって来たこと。
だけど、この景色を見て自分が本当は何も理解していなかったことをアスカは悟った。
600年前、シンジが……本当のシンジが生まれた場所。
それは全くの別世界だった。

――この場所において大切なのは、大きくふたつ
  アランソン侯と、ラ・ピュセルの出会いと別れだ
  この2人の繋がりが、ある意味全てを生み出し、そして育てた
  これからお前は、2人が僅か3ヶ月という期間で生み出した
  絆とやらを垣間見ることとなろう


「この時代に、シンジはいた……」
あたしの知らない、シンジ――アランソン侯がいた。
アスカは興味に駆られた。
彼が育った場所、彼が駆け抜けた時代。
今、自分が同じ場所に立ち、今、その同じ時を感じることが出来るというのなら――
そのシンジを、今すぐ見てみたい!

――よかろう
  では、案内しよう
  1429年3月5日、フランス王国中部『サン=フロラン』
  南東に200M程行った場所に、小さな森が見えるであろう
  あそこに、アランソン侯は……いる


その <声> と共に、景色が壮絶なスピードで流れはじめた。
高速で、そのアランソン侯がいるという森に接近しているのだろう。
数瞬後には、アスカは森の中を見渡していた。
柔かな日差し。薫る木々。溢れる程に感じられる森の生命力。
環境破壊に対する免罪符を得る為に、人工的に植林された不自然極まりない新世紀の森とは違う。
本物の自然が、そこにはあった。

タンッ

アスカが周囲に視線を巡らせていると、比較的近くからなにか乾いた物音が聞こえてきた。
斧で木を叩くような、澄んだ音だ。
ある予感めいたものを感じて、アスカはその音源に目をやった。


風を切り……

タンッ!

矢は幹に突き刺さった。

矢を放ち、『残身』の体勢にあるのは――

歴戦の勇士という風貌ではなく、線が細くどこか繊細な感じのする、どちらかと言えば文官タイプの青年。
額でやや短めに切り揃えられたライトブラウンの前髪、すっきりとした顎筋のラインに、優しい光を湛えた黒の瞳。
ほっそりとしたとしていて、戦闘に必要最低限とされる実用筋肉のみで引き締められた躰。
どこか中性的な雰囲気。

――似ている。
新世紀の彼より少し逞しく、何より人種が異なるがそれは明らかに……

「シンジ……」
気付けば、アスカはそう呟いていた。

――そうだ
  あれが、フランス王国アランソン侯爵ジャン二世その人
  後に時空を渡り、新世紀に碇シンジとなる男だ


アランソン侯は、『打起』した弓を発射直前の矢束まで引き絞る。
ギリギリと軋みを立てて撓る弓。
――だが、『伸合』が甘い。
『離』!
放たれる矢……

ヒュンッ

風を切り……

タンッ

矢は標的からそれて、また幹に突き刺さった。







SESSION・67
『魔皇の方程式』


真紅の瞳。
透けるような白い肌。
月の満ち欠けと共に、微妙に色が変わってゆく蒼銀の髪。
アスカは、その少女を奇麗だと思った。

600年前、シノンという名の都市で……中世のシンジ、アランソン侯は彼女に出会った。

その時から、彼は必死に彼女の心を開こうとした。
何故だろう。
彼女に、恋をしたから?
……それも確かにあっただろう。
でも、もっと深い何かがあったような気がする。
いずれにせよ、シンジは彼女の心を動かしてみせた。
使徒 <リリス> であり、救世主であり、人々の天使であり、聖女であり……ただの少女だった彼女。
――ラ・ピュセル。

それは、駆け抜けるような3ヶ月。
2人は戦場で背中を合わせて戦った。
多くの出会いがあった。
クレス・シグルドリーヴァ、リリア・シグルドリーヴァ、ラ・イール、ロンギヌス隊――そして、使徒。
不器用な2人の、焦れったいようで暖かな、仄かで微笑ましい、掛替えのない日々。
出逢い、語り、月の光を浴びながら2人、約束を交わした。
思えばたった3ヵ月。
常識的に考えれば、それはあまりに短い時。

そんな中で、決して切れることのない <絆> が2人の間に育まれたことに、アスカは驚きを覚えた。
……だが、考えてみれば、それは <戦> という極限状態の中での3ヶ月であったのだ。
平穏で、全てを保証されたアスカの生きる日常の3ヵ月とはわけが違う。
人として、本当の心が表に出る、命を賭した日々の中で、なにより2人は心を交わし合ったのだから――
そこに時空すらも別つことの出来ない <何か> が生まれたとして、なんの不思議も無かったのかもしれない。

アスカは、そんな2人の激動の日々をその目で、耳で、心で追っていった。
幼い中世のシンジが父親を戦で失い、そして悲嘆に暮れる母親を支えるため、自分を泣きながら鍛え上げたことを知った。
アランソン侯の爵位を継ぎ、領主として市政に尽力し、後にロンギヌス隊の隊員となる男達の力を借りながら1つの街に生命の息吹を取り戻したことを知った。
命を弄ぶ戦争という名の地獄の中で、戦うことでしか――相手を滅ぼすことでしか問題を解決できない現状に心を痛めていたことを知った。
大切なものにさえ、守るべき優先順位を付けなくてはならない世を、いつも弱者が虐げられ、苦しみ、奪われ、辱められる世を愁いていたことを知った。
彼が、心から <全ての涙を凌駕する> 何かを探し求めていたことを知った。

そして、彼が愛した少女のことを知った。
彼女が生まれ落ちたその時から、異形の存在として全てに拒絶されて生きてきたこと。
故に、人の中に自分はあってはならないと思い込み、唯一全ての創造主たる <神> に縋ったこと。
だがその異形の姿を与え、彼女を利用していた存在こそ、その <神> たる <人類監視機構> であったこと。
そして彼女がシンジ――アランソン侯と出会い、やがてその心を救われていったこと。
2人の間に、ささやかで何より強い絆が生まれたことを知った。

マナの話で分かっていたのは、表面的なことだけだった。
今、 <ヘル> の導きによってシンジの記憶を追うことで、初めてその真の意味を知った。
新世紀の世では消えかけている、何かを2人が育んでいったこと。
人として、本当に大切なこと。何より大切なこと。
アスカはそれを垣間見たような気がしていた。

新世紀から600年の時を隔てたこの時、この場所で――
本当のシンジは生まれ、そしてラ・ピュセルと共に走り続けた。
2人が生きた、この世界。


――だが、その世界が終わる夜が今、訪れようとしていた。


夜の闇の中にぽっかりと浮かんだ、なにより深い漆黒。
アランソン侯を飲み込もうとする、黒い手。
それは、アスカには見覚えがあった。
規模という面から見れば、全く次元が違うが……

「あれ、確か…… <次元封印> ……?」

――そうだ
   <次元封印>
  この場合、時空封印の方が適当だが……
  とにかく空間に穴をあけ、亜空間に対象を送り込む <禁呪> であることには変わりない


「あれは全てウソだったのか?虚言だったのか?」

シンジが、アランソン侯が叫んでいる。
必死になって、時空に開けられた穴からの吸引力に抗いながらも、叫んでいる。
だがその抵抗も空しく、彼の半身は既に闇の中に飲み込まれていた。
この時、アランソン侯は知らなかった。
ラ・ピュセルが、アランソン侯の死を予感する <予知夢> を見ていたことを。
そして、その予知夢が必ず実現すると言う絶対性を持つことを。
乙女の、涙よりも哀しい微笑みの意味を。

「なんて娘なの……」
知らぬ内に、アスカは涙を流していた。
あまりにも、あまりに切なすぎるではないか。
孤独と絶望という名の地獄の中で、1人きりもがき苦しみながら求めた希望が――
そしてやっと掴んだ希望が、指の隙間から零れるように逃げていく。
いや、僅かに残った希望の糸さえ自らの手で切らねばならない。
その究極の絶望への道を自ら選び、実行した少女。
小さな小さな少女の、哀しい哀しい選択。
それは如何ほどの悲しみか?
それがどんなに辛いことか……想像を絶する。

――その通り
  ラ・ピュセルはアランソン侯が戦死する <予知夢> を見た
  故に、その来るべき悲劇を回避するため、自らの手で運命を変えることを選んだ
  アランソン候を <次元封印> を用いて、夢で見た未来へと送り込む
  その代償として、自分の希望の象徴たるアランソン侯を永遠に失うことになるがな


ゆっくりと……、そう、ゆっくりとアランソン侯は飲み込まれていった。
限りなく深い闇の向こうへ。
そして、時空に2人は別たれた。永久に。

「……ラ・ピュセルは、何度か新世紀で『碇シンジ』として暮らすアランソン侯の姿を夢で見た。
時空に穴を開けて別の時間、別の空間に彼を送り出せば、その夢で見た未来へと辿り着いてくれるかもしれない。
その僅かな可能性に賭けて、彼女は計画を実行した……」

アスカは止まらぬ涙をそのままに、呟くように言った。
何故か今は、その涙を流すことを恥ずかしいことだとは思わなかった。

――そう
  そして、それこそが私のシナリオ通りの展開だった


「……ッ?」

それは、アスカにしても全く予想外の言葉であった。
「ちょっ……それ、どういうことよ?」
伏目がちだった顔を上げた勢いで、涙の雫が弾ける。

――全ては、私のシナリオ通りだった
  訊くが、ラ・ピュセルが立てた荒唐無稽な計画が本当に成功したと思うか?
  時空に穴を開けアランソン侯を1度亜空間に送り込む
  その後、更に亜空間にもう1つの穴を開け、そこを潜らせて新世紀に碇シンジとして転生させる
  僅か3ヶ月前には、A.T.フィールドの使い方すら知らなかった使徒風情が、
  そんな高度な技術を、たった1度の機会で成功させることができると思うか?


「どういうこと……?」
蒼白な表情で、アスカは訊いた。
胸騒ぎがする。
体中を駆け巡る、細かな震えが止まらない。

――惣流アスカよ
  ラ・ピュセルは何故、 <予知夢> など見たのだろうな?
  何故、監視機構の任務に差し障りが出るような……
  監視機構への忠誠を揺るがすような夢を……
  何故に、ラ・ピュセルは見たのだろうな?


「何故……」
何故、夢を見たのか……
確かにアランソン侯が死ぬ夢など見たら、あの時点で彼を心の支えとしていた彼女が、結果的に監視機構を裏切るような選択肢をとる可能性が高くなることは容易に想像がつく。
監視機構の不利に働く可能性がある <予知夢> は、一体どこから来たのか?
「……彼女の特殊能力なんじゃないの?
そういう超能力者がいるかも知れないって話は、巷に氾濫してるわ」

――違うな
  あれは、あのラ・ピュセルの <予知夢> は私が見せたのだから


「な……ッ!」
アスカは驚愕に目を見開いた。

――ラ・ピュセルが見た、新世紀に生きる『碇シンジ』と言う名のアランソン侯の姿も
  いつか近い未来、戦場の中でアランソン侯が戦死するであろうという予知夢も
  全て、この私が見せたのよ
  この魔皇の力を以ってしてな


「どっ……どうして! なんで、何の為にそんなことを?」

――分からぬか?
  未来と思われる異世界で、『碇シンジ』として幸せな日々を送る『アランソン侯』
  中世に生き続ければ、いずれ戦死するのが確実である『アランソン侯』
  どちらも確実に発生する未来であるとき、好ましい方を選択することが可能であるとしたら、
  その選択者はどちらを選ぶであろうな?


「はっ……?」
何かに気付いたのか、アスカは驚いたような声を上げた。
悟った驚愕の事実に、体の震えが傍目でもハッキリ分かるほど大きくなる。

――そう
  どちらを選ぶかは明白
  答えは、異世界で『碇シンジ』として生きる『アランソン侯』だ
  実際、ラ・ピュセルはそれを選択し、私の望み通り、亜空間へのゲートを開いてくれた


「そうか……アランソン侯は、奇跡的に高いルシュフェルのコア特性を持っていた。
生まれながらに、比較的大きなルシュフェルのコアを持っていたアランソン侯は、知らない内にあんたに狙われてたのね?
ルシュフェルは過去、 <コア> と <本体> に分離された。
本来の姿を取り戻すには、特殊な異次元に封印された <本体> が人間界にある <コア> と再びひとつになる必要があった。
つまり、 <異次元の本体> + <人間界のコア> =ルシュフェルの <復活> !」

――そこまで分かれば話は早い

「あんたは、 <グレイプニル> とかいう光の紐で呪縛された挙げ句、特殊空間に封印されてた。
だから自分から『人間界』への門を開いて、細かく分離し全人類の魂に封印された <コア> を取り戻しに行くことが出来なかった」

――そうだ
   <グレイプニル> 自体は、時間をかければ何とかなったが
  問題は私の幽閉されていた <アンチA.T.フィールド> の粒子で構成された無間の海だった
  あの空間では、一切のA.T.フィールドによる技術は無効化される
  当然、 <次元封印> を用いて時空のゲートを開くこともできん


「だから、ラ・ピュセルを誘導――
<予知夢> や <心理効果> なんかを巧みに使って操り、彼女に外側から <次元封印> を使わせた」

――その通り
  ラ・ピュセルはA.T.フィールドを応用した <次元封印> を自分で編み出したと錯覚しているだろうが、
  実際には私が精神の深層に働きかけることで、それとなく <次元封印> に至るヒントを与えてやったのだ
  幾ら我々魔皇とて、能力を制限された中ではそれくらいの干渉が精々だったがな
  まあ、リリスが天才的なA.T.フィールド応用力を持っていたことは確かだ
  だが、如何な彼女とて、僅か3ヶ月で使徒の奥義ともいえる技を習得するのは無理がある

「なんて非道な! ――あんた、自分の自由を得るために、彼女をあんなにも傷つけたって言うのッ?」

――面妖なことを
  人間の悪癖だな
  全てが万事、己がものさしで酌量できると考える
  我々は <人> ではない、魔皇ぞ
  卑しくも人間の下賎な感覚が、我等にもそのまま通用すると考えるとは

  よいか、人でない存在には人の価値観など通用せぬ
  人間のように <情> というようなものを以って、互いを支え合わねば
  生きていけぬほど、我等は脆くはないのだ
  魔皇はまさしく単独でも――ひとりでも生きていける
  孤独も感じなければ、心を病むこともない
  非情、優しさ、斯様な概念など私は持たぬのだ

「……」

アスカは鼻白む。
激昂した様子も無く、ただ淡々と語る <ヘル> のその声には、なにか理屈を超えた説得力があった。
それに、確かにそうかもしれない。
人間なんて、弱くて……愚かだから、拘るもの無しに生きてはいけない。
その愚かさゆえに過ちを犯し、罪を嘆き、罰に苦しみながら命を繋ぎ、徐々に育っていくしかない。
だけど、永遠とも言える時をたったひとりで生きてきた魔皇という名の存在には、そんな必要などないのだ。
人間など及びも付かない高みに、彼らはいる。

――だが、考えてもみるがいい
  少なくともエンシェント・エンジェルたちと戦った時、己に非はなかったと私は認識する
  ならば私が封じられ、自由を奪われたのは何故か?
  私は理不尽なその仕打ちを甘んじて受け容れ、そのまま永久の時を生きなければならなかったのか?
  自らの自由を、生命を維持するため、他を糧とし、犠牲とするは当然のことではないのか

「人間が家畜として動物を飼い、己の都合で屠殺するように――
あんたはラ・ピュセルを利用し、己の自由を得た。そのことをどう捉えるかは個人の自由ってことね」

――厳密な意味では正解とは言えぬが、まあ、そう捉えてもよかろう
  その例えを借りれば、私がラ・ピュセルに行ったマインド・コントロールにも近い介入は
  家畜の屠殺に相当しような

 他の生物を育て、最終的には <食う> ことを目的とするシナリオを完成させるために、
  お前に言わせれば <非情> である、 <屠殺> という行動をとる
  私のシナリオにおいて、その不運な家畜がたまたま都合の良い
  ラ・ピュセルという存在であったに過ぎぬ


「あんたのそのシナリオっていうのが、ラ・ピュセルに <次元封印> を使わせ、ある亜空間へアランソン侯を送り込ませるっていうものだったわけね。
……そしてその亜空間こそ、100万年前に4騎のエンシェント・エンジェルたちの手によって、ルシュフェルの <本体> が封印された特殊空間そのものだった。
そしてルシュフェルは、まんまと純度の高い自分のコアの欠片の封じられた、アランソン侯の魂を手に入れた」

――ご明察
 人間でも、仮に躰の一部が失われ障害を被ったとして、人間として生きていけなくなるわけではない
  同様に、私も全人類の魂に散りばめられ、封印されている <ルシュフェル・コア> 全てを集めずとも、
  ある一定の純度を持つ <コア> の欠片さえ入手できれば、取り敢えずの開封は可能だった


「じゃあ、最後に導き出される解はこうなるんじゃないの? …… <ルシュフェル> = <ガルムマスター・ヘル> 」

――残念だが、それは違う

「違う?」
アスカは方眉を持ち上げて訊き返した。
これまでのフラグメントは、皆この結論を示しているように思えたのだが……。
「何が違うって言うのよ?」

――ルシュフェルは、自らを拘束していたアンチ・A.T.フィールド製の呪縛帯 <グレイプニル> を破るため、
  あることをやってのけた……それが、三体分離だ
  自らの本体を3つに分解することで、属性を変化させ <グレイプニル> のプログラムを無効化したわけだ
   <グレイプニル> は一種のプログラム――
  魔皇ルシュフェルを呪縛するなら、その特性や力の波動にプログラムを合わせなくてはならない
  三体分離とは、3つに分離することでそのプログラムの対象外の存在となることを意味する

  3体に分離したルシュフェルの分体たちは、それぞれ取り敢えずの自由を手にし、
  その亜空間に自分たちの王国を建造していった
  それが <魔界> もしくは、お前達人間共の言う <地獄> <冥界> の誕生だ


「王国? 自分を3つに分けて、その3人だけのささやかな王国を作り出したってわけ?」
自分が自分を収める王国。たった3人の王国。
かつて神のひとりとして全ての上に君臨した存在にしては、何ともつつましいことだ。
皮肉たっぷりにアスカはそう言った。

――違うな
  監視機構の使徒が、私との戦いによって全滅したことくらいは覚えているだろう
  故に監視機構は、新たなる使徒を作らねばならなくなった
  その過程で出来た失敗作、不穏分子、用済みとなった実験体等……
  様々な天使のゴミが、その後私のいる <魔界> に捨てられるようになった

  私は、その廃品を組み替え、自分の手足となるオリジナルの <使徒> を作り上げたのだ
  私のファミリアである <ガルム> が、その代表的な例として挙げられよう
  尤もそれらは <天使> ではなく、監視機構によって <悪魔> と呼ばれるようになったがな

それで合点がいった。
がうむでございまし〜とかへうさま〜とか言って、あの狼が妙にシンジになついていたのは、正真正銘、シンジ――というか <ヘル> の手によって作られたインペリアルガード(魔皇守護者)だったからだ。
使徒バルディエルに乗っ取られたJ.A.を倒したのも、シンジ抹殺を目的とした敵から主人を守っただけということか。

「じゃあ……あんたは、その3つに別れた魔皇ルシュフェルの内の1体ってわけ?」

――魔皇ルシュフェルが三身分離したが故に、我々は <魔皇三体> と呼ばれている
  第1魔皇 <カオス>
  第2魔皇 <サタナエル>
  そして第3魔皇が私、 <ガルムマスター・ヘル> だ


「ややこしいわね……。
それで、ラ・ピュセルを利用してアランソン侯――
……って言うより、彼の持つ純度の高い <コア> を手に入れようっていうのは、あんた単独の計画だったの?」

――そうだ
  我々魔皇三体は、もはや別の個性だからな
  今回の計画は、私が個人的に発動したことになる


「抜け駆けってやつね。
……でも、その監視機構が使徒の出来損ないを捨ててくる時、その次元の門が一時的にでも開かれるんじゃないの?」

――いや、ラ・ピュセルのような使徒クラスでは不可能だろうが、エンシェント・エンジェル程になれば
 開けた次元門を双方ではなく、一方通行限定にすることなど容易い

「なるほど……。
外から入る分はフリーだけど、中からは出られないような高度なゲートを形成できるわけね。
だから、あんたが外に出るにはラ・ピュセルのような外にいる人間に、『外側からも内側からも通過できるような』ゲートを開いてもらわなくちゃならなかったんだ。
そしてそのゲートの外側からやって来た、純度の高いコアを持つアランソン侯の魂に潜り込んだあんたは、新世紀に脱出した」

――左様になるな

「……ちょっと待った。
魔皇ルシュフェルは <グレイプニル> だっけ? ――とにかくそれから逃れるために自分を3つに分けたのよね。
それは分かったわ。
その3人になった魔皇の内の1人があんた。そのあんたは1人だけこの新世紀に脱出できたんでしょ?
……じゃあ、他の2人の魔皇はどうしてんのよ。まだその特殊空間に幽閉されたままなの?」
 

――当然の、問だ
  お前達にとっては、それが今後最大の焦点となるであろうな
  結論から言えば、第1魔皇 <カオス> と第2魔皇 <サタナエル> は結託した
  自らを封じ、幽閉したエンシェント・エンジェル延いては <人類監視機構> に復讐するためにな
  もっとも、彼奴等とは違い私にはそんなつもりはないが……

  ともかく、彼らは打倒 <監視機構> のため、既に動いているはずだ
  ラ・ピュセルに開かせた <次元門> から、私だけでなく彼らも脱出したからな
  第1魔皇 <カオス> については、私が使徒の残骸から <ガルム> を作り出したように
  自らの仮の肉体を作り出し、その衣を纏って過去に飛んだ
   <カオス> は、自ら下級天使 <使徒> になりすまし、 <監視機構> の内部に入り込んだのだ

……ってことは、なに?
この前 <ガルム> が食い殺した <バルディエル> ってのは、死んじゃったから除外するとして――
まだ監視機構が自分達の手下だと思ってる使徒の中に、 <カオス> が紛れ込んでるって言うの?」

――そういうことになるな
  確率から言えば、お前の直ぐ隣にいる、あの渚カヲル――タブリスがその <カオス> やも知れぬぞ

「そっか!
使徒の肉体を作り出し、 <監視機構> に悟られない様に <使徒> の内のどれかと入れ替わる。
使徒ってのは、基本的に人間に憑依するもんだから……その内、監視機構の手によって魂を人間の躰に移植してもらえるわよね?
結果、シンジほど純度が高い物ではないにせよ、使徒のベースとして選ばれるほどの人間の保有する <コア> を手に入れられる。
<カオス> は過去、人間の魂の中に散りばめられたルシュフェルのコアを、再び取り戻すことができるわけね?

しかも……監視機構の内部に入り込めるし、しばらく使徒として行動して信用を勝ち取れば、いざ行動を起こそうって時に絶大なダメージを与えられる!」

――そこまで計算していたかは知らぬが、確かに <カオス> は侮れぬよ

「 <カオス> のことは分かったわ。……それで、もう1人の <サタナエル> って奴は?」

―― <サタナエル> の本体も、私と同じくこの新世紀の世に脱出したはずだ
  ただ、彼奴はまだ <ルシュフェル・コア> の欠片を手にしておらぬ
  亡霊のように、コアを求めてさ迷っている段階であろう
   <サタナエル> が何を画策しているのかは、現時点では予測が付かぬな

「じょ……冗談じゃないわよ!
じゃ、今巷に魔皇の魂だか本体やらがうろついてるわけ?」

――案ずるな
   <カオス> にせよ、 <サタナエル> にせよ、未だ純度の高い <ルシュフェル・コア> の欠片を
  手にしたわけではない故、理屈の上では、その魔皇としての能力はかなり制限されるであろう
  それにしても、人間風情では相手にならぬ程の力を発揮できようがな
  まがりなりにも、彼らも地獄を統べる者 <魔皇> なのだから……

  反面、及第レヴェルまで純度の高い、アランソン侯の <ルシュフェル・コア> を入手した私は
  既に魔皇三体としての力を制限無く、この新世紀の次元で発揮できる
  私の復活は、既に9割方完成していることになるからな

「9割方ね……。
あんたはまんまんと純度の高い
<ルシュフェル・コア> の欠片を秘めたシンジ――アランソン侯の魂を入手した。
更には特殊空間から脱出して、この新世紀の世で自由を手にした」

――そう
  そこまでは、全てシナリオ通りであったのだが……
  此処に来て、不測の事態が発生した
  アランソン侯の想いの力が思いのほか強く、私の支配力と拮抗するだけの力を有していたのだ
  これによって、新世紀に脱出後すぐにでも碇シンジの躰を乗っ取り、
  コアと融合して、 <ガルムマスター・ヘル> として実体化できたはずが
  アランソン侯=碇シンジとの同居というような、現状に陥ってしまった


「それで……他の2人の魔皇と違うあんたの目的って、一体何なの?
良く考えれば、何を血迷ったか勝ち目もないのにエンシェント・エンジェルにケンカ売ったり、ラ・ピュセル操って新世紀に脱出を試みたり……
なんか目的が無きゃ、できないことよね?」

――目的か
  あえて言えば、神から逃れ自由を手にすることか


「神ぃ? あんたがエンシェント・エンジェルだったころ、その神ってやつだったんじゃないの?」
そう考えてみれば、自分が今話している相手は、実はとんでもない存在なのだということになる。
何といっても、相手は魔皇三体の片割れ、地獄の女王 <ヘル> なのだから。

――人類監視機構の上層、5騎のエンシェント・エンジェルはあくまでエンジェル…… <上位天使> でしかない
   <ミカエル> 、 <ラファエル> 、 <ガブリエル> 、 <ウリエル> 、そして我 <ルシュフェル>
  これら5騎のエンシェント・エンジェルたちは
  お前達も知っている通り、あくまで神に最も近い最上位の大天使なのだ
  唯一絶対神に値するひとつの王座は、私たちの更に上にあるらしい


「それが、 <神> ?」

――恐らく

「恐らく?」

――我々もその存在が何者なのか知らぬ
  1つ分かっているのは、その存在が我々エンシェント・エンジェルを作り出し
  最終的に <人類監視機構> を操作しているということだけだ

  我々は便宜的に、その神たる存在を――



<全てを知る者> と呼んでいた




その言葉とともに、彼らの異世界の旅は終了した。




SESSION・68
『哀じゃない愛、そんな相変わらずの愛』




ジオフロントという名の巨大地下空洞にあっても、やはりそれなりの空気の流れくらいはあるらしい。
眺めの良いNERV本部の屋上に、やさしい風が吹く。
冷たくも暖かくも、強くも弱くもない……それは地上では感じたことのない不思議な風だった。
サワサワと控えめに聞こえる、本部周辺を囲む森林の歌が耳に心地良い。

アスカはゆるやかに流れる髪を、やんわりと押さえながら言った。

「シンジは……どうするつもり?」

その声に、シンジは俯いていた顔を上げた。
複雑な表情を彼はしていた。
泣いているような、憤っているような、覚悟を決めたような、何かを思いつめたような……
ありとあらゆる感情が、シンジの表情――いや、彼の全身から感じられた。

シンジは、言った。
彼女は――ラ・ピュセルは死んだと。
ならば、アランソン侯として、碇シンジとして目指す目標を失ったことにはなるまいか?
この新世紀にやってきたアランソン侯は、いつか迎えに行くというラ・ピュセルとの約束のために生きてきた。
いつかまた彼女ともう1度会うためだけに生きてきた。
それは、もうかなわないのではないのか?
戦う意味を失った戦士は、今、何を目指すのか。
何処に帰っていくのか。

「……」
口を開かないシンジに、アスカはもう1度問いかけた。
それは普段の彼女からは考えられないほど、穏やかで優しくて、どこか悲しい声だった。
「何を、今のシンジは何を見てるの?」

シンジに訊ねながら、アスカはその胸中で自問していた。
“なぜ、シンジにそれを問うのか? ”
“惣流アスカにとって、碇シンジとは一体どんな存在なのか? ”
これまで、ある意味 <碇シンジ> という少年は、アスカにとって特別な存在だったと言えよう。
それは長きに渡り幼馴染として共に育ってきたということもある。
1番近くにいて、1番お互いを理解し合う人間だということもある。
では、その特別な存在を、世間で用いられる <間柄> に当てはめてみると、何に当たるであろう。

<幼馴染> で、はい、おしまい?

もしそうだと言うのなら……
では、マナという少女の登場がもたらした感情の揺れは何だったのだろう。
アスカは考える。
何もかもと言えるほど、自分はシンジのことを知っているし、シンジも同様に自分のことを知っている。
誰より近い存在だ。
そのシンジに中学入学間も無く、親友と言える存在が出来た。
<相田ケンスケ> と <鈴原トウジ> である。
だが、彼らの登場に自分は特に感情を抱かなかった。
流石に最初は戸惑ったが、何時の間にか <3バカ・トリオ> などと括って受け容れるようになっていた。
結局、あの2人に関しては特に問題を感じなかったのである。

だが、 <霧島マナ> の時は違った。
何か受け容れ難いものを、感じたのだ。
それは焦燥感にも似た、かつて感じたことのない感情だったと思う。
その感情の源。
<3バカ> と <マナ> との相違点。
それは、前者が男性であり後者が女性であったことではあるまいか?

霧島マナがどんなつもりでシンジ少年と懇意にするかは定かではないが、アスカはマナの姿に女性を感じていた。
マナと接する時、シンジはクラスメートとしての面と、男性としての面、2つの顔を見せた。
そう。マナに関する限り、シンジに性別という概念を差し入れずには見られなくなった。
だから……
だから、アスカは違和感を感じた。焦りを感じた。
今まで見せたことのない顔。
碇シンジが、自分にとって異性であるという事実、これを認識せざるを得ない状況の訪れ。
それは、小さなトリックスターだった。

――トリックスター。
日常を破壊する者。
停滞する秩序を壊し、活性化を促すもの。
マナは、そのトリックスターだったのだ。

男性と女性の純粋な友人関係。
それは、相手を異性と意識しないか、それとも端から恋愛対象から除外し合った間柄でなければ成立し得ないのかもしれない。
アスカは初めて、そう思った。
では、シンジを男の子として捉えた時……自分は、どの位置にいるのか?
言い換えれば、シンジを異性として求めているのか、それともそういった感情はないのか。

今、その結論を出しておく必要がある。
――何故かアスカには、そう思えていた。
それは恐らく……いや、明らかにシンジの口から放たれた言葉がもたらしたのだろう。
聞き逃したりはしない。
はっきりと胸の内に、今でも響き渡っている。
シンジは確かに、こう言ったのだった。

出ないんだ……涙。
哀しいはずなのに……ラ・ピュセルのこと、愛してたのに……

そう。
シンジは言った。
それは、シンジの口から初めて聞いた言葉。

「愛していた」

600年前にいた、伝説の聖女―― <ラ・ピュセル> 。
だが、彼女は天使じゃない。
彼女は、聖女なんかじゃない。
シンジにとって、アランソン侯にとって……
彼女は、ひとりの <少女> だった。

その心は、とても信じられたことではないが……
600年の遥かなる時空を超えても、何も変わる事は無かったのだ。
<愛情> という言葉で表されたその想いは、変わる事無く、今なお生き続けていたのだ。

<恋> と <愛> は違う。
アスカは、自分の中で明確にその2つを区別していた。
<恋> とは、言わば熱病のようだ。
自分の持つ異性への理想像を、ある対象に投影――重ねて、その幻に想いを寄せる。
恋は盲目、理想であるが故にその虚像が崩れるような相手の短所からは、故意に目を背ける。
あくまで相手は自分にとっての理想なのだ。
恋心はそれが破れることを許さない。
勝手に相手の素敵なイメージを描き、それを現実と決め付けて、またそれに恋してゆく。
だが、それはあくまで熱だ。
いつは冷める泡沫の夢。
感情を昂ぶらせ、恋愛という甘美な世界に浸っている自分に陶酔するだけの儚い時。
それが、アスカの定義する <恋> だった。
無論、ごく稀に <恋> が本物の <愛> に変わる事もあるのだろうが。

そして、問題はその本物の <愛> とやらである。
これは少なくともアスカの中では、 <恋> とは全く別の存在だった。
その相違は、相手に幻想を抱かないという点にある。
<恋> は勝手に相手に自分の理想の衣を纏わせ、それを想う行為だが……
<愛> の場合は、そんなことはしない。
相手の欠点、嫌いなところや汚いところ、言わば影の部分、なるべく目を背けたい人間としての『負』の部分にも目をやる。
それでもそれらを認め、それらをひっくるめてなお相手を想い、慕える。
それが、アスカの言うところの <愛> であった。
<恋> は『欲しい』だけだが、 <愛> の場合『欲しい』以上に『必要』が前面に出るような気がする。

欲しい人でもあるが、それ以上に自分が自分であるために必要な人。
そう想える人に対する感情を……アスカは <愛> と呼ぶことにしていた。

シンジがアスカと同じような定義付けをしているかどうかは分からない。
<恋> だの <愛> だの、ややこしく区別してすらいないかもしれない。
だが、アスカには感じられた。
シンジの語った『愛している』という言葉が、少なくとも己の定義するところの『愛』と同一のものであることを。

そして、シンジが乙女に寄せるものと同様の想いを、今のアスカがシンジ対してに抱いているか……。
答えは、恐らく『NO』だろう。
アスカはそう結論づけた。
多分、独占欲と愛情の狭間にある感情が、今の自分の感情だと思えた。
今まで1番仲の良かった存在が、自分以外の人間に高いプライオリティを置く。
自分という異性が1番近くにいるのに、彼が自分以外の異性に目を向ける。
シンジにとって、自分が1番で無くなることへの焦りと、代わって1番になる者への嫉妬。

だが、それだけではない。
はっきりと自分の中で意識できたわけではないから、確かなことは言えないが、多分異性としての愛情もアスカのなかには生まれようとしていたのだろう。
まだ小さくて、形になってはいないが芽生えつつあったシンジへの好意。
とにかく様々な要素が入り交じって、アスカの中に複雑な感情を作り出していた。
それが霧島マナや、ラ・ピュセルという女性達の登場によってアスカの心に浮上した。

――それに、ホントは羨ましかったのかもしれないな

アスカはぼんやりと思った。

――私より先に誰かを心から愛せて、私より少し先に大人になったシンジが

「私、羨ましいのかもしれない」
アスカの口から出されたその言葉に、シンジは不思議そうな顔をした。
「羨ましい……僕が?」
躊躇いがちにシンジは訊いた。
アスカはそれに小さく頷くことで肯定する。
「シンジには自分の命より大切なものが出来た。
顔見れば分かるわよ。ずっと今まで1番側に居たんだから……」
依然として、ふたりの間にはある程度の距離があった。
もっと側に行きたいのに、アスカには踏み込めなかった距離。

その時、アスカは気付いた。
それは、アランソン侯に――シンジにつけられた距離なのだと。
自分よりも少し大人に、自分よりも少し強く、自分よりも少し先に進んだシンジまでの距離。
シンジが自分の足で歩んだ距離なのだと。

「私には、そんなものないわ。自分が1番大事。
命懸けで守らなくちゃならないものも、どうしても叶えたい夢もない」
「……」
シンジは静かにアスカを見詰めている。
だから、アスカは続けた。
「でも、シンジには見つかったみたいね。
自分が1番輝けるっていうの……?
そういう、方法。自分にとって1番大切だと心の限り言えるもの。
……認めてやるのは悔しいけど、そんなあんた、羨ましいわ」

「アスカ――」
「だから、聞いておきたいのよ。
その目標、夢、輝ける方法を失ったあんたが、今、何を思ってるのか」
アスカは真っ直ぐにシンジを見詰めていった。
「いつものシンジみたいに、また自分の殻に閉じこもっていじけるだけ?
それとも、あんたはそれでもまだ歩けるほど強いの?」

兵士は戦いの中でこそ存在することが許される。
理想のために、未来のために戦う兵士、戦士たち。
戦い、相手を傷付け、勝利を掴む。
もしくは志半ばにして戦場に散って逝く。
だが、戦うことで存在意義を示す戦士が、戦う意味を、戦う場所を失った時――
彼らの存在と魂は一体何処へ帰ればいいのか。

戦士として、ラ・ピュセルとの未来のために戦ったアランソン侯は、そのラ・ピュセルを失った今、何処に向かうのか。

「負けたままなんて、悔しいよね。
ううん、負けたんじゃなくて、戦うことすらできなかった。
僕は守ろうとした人に守られて、自分が生き残る代わりに好きな人を殺してしまった。
彼女に顔向けできないくらい、心に傷を負わせてしまった」
シンジは呟くように言った。
「だけど、僕らは約束したんだ。だから、僕はそれを果たさなくてはならない」
シンジは顔を上げると、アスカに視線を合わせて言った。
「――僕は、彼女を目指す」

「あんた……」
呆れたような、驚いたような、どこか嬉しいような……
アスカの声音は、不思議に色々な感情が交ざっていた。
「あんた、バカ……?」
「――」
「彼女は死んだ。そう言ったのはあんたでしょ?
死んだ人間を追いかけても、絶対掴めないのよ。現実を見詰めなさいよ。
第一、過去なんかに溯れるわけないじゃない!
時は未来にしか流れない。過去には戻れないのよ。
花瓶を割ることはできても、割れた花瓶を元に戻すことができないように……
出来ることと、出来ないこと。諦めてはいけないことと、諦めなきゃいけないことがあるわ」

それは正論だった。
シンジにしても、正しいと思えた。
死んだ人間は蘇らない。
死んだ人間を追いかけても、決して捉えられることはない。
彼女はもう、あらゆる意味において <過去> の存在なのだ。
その現実を受け容れず、頑なに幻を追っても……
空しくて、惨めなだけだ。

……でもね

「――信じてくれた人がいる」

シンジは静かに言った。

「バカなヤツと囁かれても構わない――。

彼女はね、アスカ。
自分は人と関わってはいけない存在だと思い込んでいた少女だった。
人と人との絆という存在を知らないひとだった。
心の触れ合いなんて、自分には縁のないものだと考えていた」
シンジの目に力が篭る。


貴方が、私を迎えに来て下されば……私を其処へ連れていって下されば……きっと、一緒にいられます

良く分からないけど、君を迎えに行く。君が夢の中で見たその場所に連れていくよ

……約束?

――うん。約束


「侯、あなたを信じます」



「その彼女が、たったひとりの兵士にだけ心を開いてくれた。
その男にだけ、心を許してくれた。……僕を、信じてくれたんだ。
そんな彼女と交わした唯一の約束を、自ら放棄するなんて、僕にはできない」

「知ってるわ。
でも、その約束にしたって……
あんた、その意味もはっきりと知らずに勢いだけで頷いた、ただの口約束じゃないの」

そう言いながらも、アスカには分かっていた。
シンジは、決して自分からは裏切らない。
彼は人との絆に、この世の誰よりも貪欲だ。
そんな絆を自ら断切るなど、彼にできようはずもない。
そして、根拠はないが……
シンジは本気で確信しているのだ。信じているのだ。
必ず、もう1度あの少女と出逢えると。

だから、彼は告げる。

「たとえ書面に残っていなくても……

契約でないただの軽い口約束でも……

僕らにとってあの <約束> は、ふたりが互いを心から信じ合ったという――」



アスカは悟った。

どうやら彼は、目標など見失ったつもりはないらしい。

彼にはまだ、目指す場所がある。

だから、彼は行くと言う。

時の壁さえ飛び越えて

ふたりの想いと、思い出集う場所へ

勢いを増した向かい風の中を――



――なにより大切な「証」なんだ」






SESSION・69
『水を司る天使』


――2018年8月21日

「碇、シンジ君がフランス行きを申請してきているそうだな」
NERV本部プレジデント・ルーム。
要するに総帥である、ゲンドウの執務室だ。
またこれがむやみに広くて、むやみに薄暗い部屋である。
間違いなくゲンドウの趣味だ。
「どうするつもりだ?」
このプレジデント・ルームに入室できる権限を持つ唯一の人物、副司令冬月コウゾウが言った。

「行かせる」
ゲンドウの返答は実に素っ気ないものだった。
「しかし、いいのか?
<監視機構> に『アランソン侯復活』の事実が知れてしまった現状では、危険過ぎはしないか」
「……問題ない。ガルムを護衛に付ける」
正確に言えば、護衛云々を他人に言われるまでも無く、ガルムはシンジの行くところ何処へでも付いて行く。
トイレの時も必死にシンジに抵抗されて、中に入ることは何とか我慢するも、結局は入り口のところでじっと待っているし……
オフロにも一緒に入る。
寝る時も一緒のベッドで仲良く眠るのだ。
彼……もしくは彼女は、片時もシンジから離れることがなかった。
それはもう、ラ・ピュセルがこの事実を知ったら、嫉妬するかもしれないくらいのくっつき様だ。
とにかく、シンジがフランスへ行くと言えば、例え海を泳いででもシンジの後を追うであろう。

「それに、シンジは厳密に言えばNERVとは何の関係もない。あれが何処へ行こうが、我々が干渉するべきことではない」
確かにシンジはNERVとは何の関係もない。
打倒 <人類監視機構> という、NERVと目的を同じくしても、シンジにとってはあくまでこれは個人的な戦争なのだ。
組織に組するつもりはないし、誰に命令されようとも思わない。
彼がそう考えている以上、NERVは彼に対して何も手を出せないのだ。
精々協力を要請するくらいだ。
それに下手にシンジの気を害せば、あの魔狼ガルムが敵に回る。
それだけは避けたい。

「フム……」
冬月は顎に手をやって、思案する。
<監視機構> の目的は、明らかに不穏分子 <アランソン侯> の抹殺だ。
対して <NERV> 延いては <ゼーレ> の目的は、 <エンクィスト財団> の人類支配者たる地位の維持と、こう要約できよう。
確かに両者の最終的な目標は、全く異なる。
それに、 <ゼーレ> にとって <監視機構> は邪魔な存在であることは確かだが、 <監視機構> にとって <ゼーレ> がどう写っているのかは定かではない。

ということは、J.A.を乗っ取ったバルディエルの目標は、NERV本部の破壊よりもシンジの抹殺が目的であった可能性が高い。
そしてそのバルディエルに対して、NERVはまったく抵抗できなかった。
つまり、NERV本部にシンジを留めておいても、監視機構の刺客から彼を守ることは出来ないということだ。
それに、実質シンジを守ったのは彼の忠実な僕であるガルムなのだ。
ならば、ガルムさえ側に付けておけば、シンジが何処にいようとその安全性は変わらないということになる。
それにフランスにもNERVの支部はある。
冬月は一応納得した。

「……それで、今シンジ君は?」
「フランス行きの前に、1つ仕事を依頼している」
ゲンドウの声に、冬月は眉を顰める。
「まさか、例の案か?」



――同日同時刻  大韓民国

渚カヲル。
彼は自由天使タブリスのファクチスではあるが、それなりに有用な能力を備えている。
その1つが <使徒> の存在の感知だ。
使徒が発する特殊な波動と言うか、気配と言うか……そういったものを、彼は感知できるのである。
故に、現在地球上で活動している使徒が、何処にいて、どのような役割を演じているのかが、彼には探れるわけだ。
その能力を以って、彼が探り当てた <使徒> の1人が、この韓国にも潜入していた。

「……水を司る使徒 <サキエル> 。そうか、君だったか」

天使が囁く。
天使、とは要するに、それが男性の声とも女性の声とも判じ難いものだったからだ。
その声の主、渚カヲル。
銀髪を風になびかせて、彼は静かに対峙する男に微笑みかけた。

「呼び出しがかかったときは、 <監視機構> からの新たな <任務> を伝える使者が来るかと思っていたが……」
男はやけにゆっくりとした口調で言った。
「まさか、ウワサの賞金首からのお声とはな」
一見、ひょろりと背が高い以外は、良くも悪くも特徴のない、ただの壮年の男だ。
だが、彼は使徒サキエル。
韓国の強力な経済官僚テクノクラートの権力と威信の中に身を潜める、監視機構のエージェントだ。

その黒髪は、恐らく銀髪を染めたものに違いない。
色を落とせば、カヲルと同様の見事な銀髪が現われるだろう。
使徒の身体的特徴である、銀髪と白い肌。そして真紅の瞳。
男はそれを隠し、これまで人間として韓国の歴史に介入していたのだ。

「確か貴君の肩入れするNERVとやらには、バルディエルが送られたと……そう耳にしていたが」
ご丁寧に、声にも特徴と言えるようなものはない。
「バルディエルは死んだよ」
対照的に、まるで歌うような弾みのあるカヲルの声が流れる。
「ほう……」
場所は、人里離れた山中。
当然、周囲には木々とたまに聞こえてくる鳥のさえずりしかない。
人目を避けるため、カヲルがわざわざこの場所を指定したのだ。
これから一悶着起こそうと画策するカヲルには、その方が都合が良かったからだ。

「では、あのバルディエルがアランソン侯抹殺の任務に失敗した上、返り討ちにあったということか?」
「そうなるね、サキエル」
カヲルは、いつもの小さな微笑みを浮かべたままそう言った。
「タブリスの波動を持ちながら、全く使徒の気配を感じさせない貴君……タブリス・ファクチスには戦闘能力はないはず。
では、J.A.に憑依したバルディエルを倒したのは何者だというのだ」
「フッ……」
きゅっと唇の端を持ち上げて、カヲルは笑う。
「興味が、あるかい?」

「……あるな」
男は微動だにせず、ただ唇だけを動かす。
その声音からは如何なる感情も読み取ることはできない。
「では、教えてあげるよ。……でも」
言葉を1度切って、カヲルは上目遣いにサキエルを見詰めた。
「そのかわり、僕にもひとつ教えてほしいね」
「……」
サキエルは、無言でカヲルに先を促す。

「僕が把握していた限り、この地球上に降臨して活動していた <使徒> は君を含めて9体。
今や消滅してしまったバルディエルを含めると、10体になるかな?
……だが、妙なことがある。
この数日の内、NERVの監視下にあった使徒たちが次々に行方を晦ましている。
事実、僕も7体の使徒に関してその反応を見失った」
サキエルの表情は変わらない。
カヲルはそれに構わず続けた。

「何の前触れも無く消えた使徒達。
僕の予測が正しければ、彼らは <人類監視機構> の強制帰還命令に従って、この地球を去ったのだろう。
この仮説が正しいとして……抱えている任務を放り出させてまで、彼ら使徒を呼び戻すほどのどんな事態が、監視機構に起こったんだろうね?
僕も、そしてNERVもこれには首を傾げるばかりさ。
だが、君なら知っているはずだ。サキエル」
「……」
「教えては、くれないかな?」
「タブリス、貴君が質問できる立場にあると思うのか?」

唐突に、サキエルの全身から総毛立つような強力な殺気が湧き起こった。

「反乱分子・自由天使タブリス及び、不穏分子・アランソン侯=碇シンジには抹殺命令が下っている」
「……知っているよ」
カヲルは両手をズボンのポケットに収めたまま、涼やかに言った。
その声音にも表情にも、まったく緊張は窺えない。
「バルディエルが貴君等の抹殺任務に失敗したとなれば、私にもそれを引き継ぐ義務が生まれて来る。
タブリス本体ならまだしも、戦闘能力を持たぬファクチスならば葬ることは容易い。
貴君から無理にでも情報を引き出せるとは思わぬのか?」

「確かに……」
カヲルの相貌から微笑みが消えた。
「確かに、それは可能だ。
だが、僕は真実を追うことに命を賭ける身。
君から真実を聞き出せれば、その後は君の好きにしてくれていい。
君も近い内地球を離れるのだろう?
その時の手土産として、このタブリス・ファクチスの命を持っていくがいいさ」
「ほう――」
初めてサキエルの声音に感情が篭った。
カヲルのまるで人間のようなものの考え方に、いささか驚いたようだ。

「それに、もうひとつとっておきの手土産も用意してある」
そう言うと、カヲルは近くの木陰に顔を向けた。
「シンジ君、出て来てくれないかい」
「……?」
サキエルの表情が激変した。
何故なら、カヲルの呼びかけと共に少し離れた木の影から姿を現したのは――
「アランソン侯ッ?」

「そうさ。
彼にも話を聞かせてやってくれないか」
カヲルは、傍らにシンジを導きながら言った。
「な……ぜだ?
何故に、自ら私の前に現われた?
タブリスとアランソン侯両名に抹殺命令が下されていることは知っていたはずだ」
「僕もアランソン侯も、人間社会に長く身を置く内に、その考え方に感化されたのさ。
真実を知るためになら、真実を知った後なら、死しても構わない……とね?」
「……」

サキエルはこれが罠ではないかと考えた。
抹殺の対象である人物が、揃いも揃って殺されに出てきたのだ。
疑っても当然である。
――真実の為に命を賭ける。
カヲルの言う感情は理解できないが、人間の中にそんな考え方をするものがいることは知っていた。
逃げ切れないと悟った2人が、どうせ殺されるならなるべく多くの真実を知ってから死にたいと考え、自分の前に現われた……
そう捉えることも可能である。

だが、仮にこれが罠だとしたら……?
どんな可能性が考えられるだろうか。
相手の目的は、使徒が引き上げた理由。そして、その引き上げを命令した監視機構の意図だろう。
それを聞き出すために、自ら生身を晒した。
罠だとすれば、ここから逃げ出せるという採算がたっているということか。
つまり、首尾良く自分から聞き出したい情報を得て、殺される前に逃げ延びる。
まさか、使徒である自分をこの場で倒せるとは考えまい。
狙撃ならばA.T.フィールドで完全に無効化できるし、爆雷投下や核兵器での攻撃を仕掛けようものなら、タブリスやアランソン侯自体も滅びる。
よって、それはない。

「……いいだろう」
サキエルは考えを一瞬でまとめると、そう言い放った。
「死する前に、お前達の望みを叶えてやるもやぶさかではない。
これでも私も天使の端くれであるからな」
「それは、ありがたいね」
「ありがとうございます、サキエルさん」
カヲルと律義なシンジのお礼を受け取った瞬間、彼らを覆うようにドーム状のA.T.フィールドが展開された。

半球体の光の檻の中に、サキエルとシンジ、カヲルが閉じ込められた形になる。
このようにしてフィールド内に閉じ込めてしまえば、例え罠であろうがカヲルとシンジに逃げ出す術はない。
何を画策していようが、ゆっくりと殺せる。
そう考えたサキエルの安全策だった。
「用心深いね、サキエル」
「仮にファクチスと言えど、タブリスと名の付くものには油断はできぬからな」
「いいさ。それで君が納得してくれるのなら。
では、話してくれるんだね? 監視機構の意図を……」

「――冥途の土産にな、タブリス」





SESSION・70
『PROJECT EVA』



「冥土……か」

カヲルは自嘲の微笑みを浮かべる。
「堕天使した僕は流石に神様には受け容れてもらえない様だね」
「それじゃあ僕もだね。僕は天使じゃないけれど監視機構に反目しているのは事実だ」
シンジもカヲルに合わせるように口を開いた。
どちらの相貌にも、言葉のわりには緊張や悔恨の色は浮かんでいない。

――当然だ。
あの人にもう1度逢えると言うのなら、地獄に足を踏み入れるなど覚悟の上。
彼女は今、その地獄の中にいるのだから。

「フッ……貴君等の最期の言葉として、受け容れよう」
サキエルが不敵に言う。
絶対不可侵のA.T.フィールドに閉じ込めてしまえば、使徒としての能力を持たぬ者に逃げ場はない。
唯一警戒しなければならないのは、ファクチスが600年前のタブリスとリアルタイムに繋がっていて、ファクチスの得た情報が過去のオリジナルに筒抜けになることだが……。
はっきり行って600年越しの未来に、過去から何かを仕掛けるなど不可能だ。
たとえ過去のタブリスが何からの予備工作をしたとしても、600年という年月と予測不可能な不確定因子がそれを狂わせてくれよう。
問題ない。

「最期か。確かに最期だ。
僕らが知りたい、真実。監視機構の真実。是非、お聞かせ願いたいね」
「――良かろう」
カヲルの言葉に小さく頷き、サキエルは語りはじめた。

「 <JUDGE ADVOCATE> は知っているな?」
「無論だよ。…… <JUDGE ADVOCATE> 、通称 <J.A.> 」
「カヲル君やリリアさんといった、主力とも言える使徒たちの離反に危機感を抱いた監視機構が、決して裏切ることのない――
そもそも裏切ろうにも心を持たない天使を作り上げた。それが、J.A.」
カヲルの言葉を補足するように、シンジが続けた。
「――その通り。
現在 <使徒> がどのくらいの数存在するのかは私も知らぬが、ともかく『力天使・ゼルエル』、『自由天使・タブリス』という最強の使徒達が監視機構に反目の意志を明らかにした600年前から、新たな使徒は作られていない。
新たに使徒を生み出しても、またいつ裏切り者が出るとも予測が付かなかったからだ。
だが、実際監視機構から離反したゼルエルとタブリスは、逆に危険となる。
あまつさえ、反抗の意志を表したのだからな」

「僕はただ、その名の示す通り自由を求めただけなんだけどね?」
面白そうにカヲルは言った。
だが、そんな皮肉めいた言葉にはまったく反応せず、氷のような美貌の男――サキエルは続ける。
「タブリス、そして最強の天使ゼルエル。
たった2騎とはいえ、こと戦闘にかけては他の天使とは次元の異なる位置にある彼らの抹殺命令を、使徒たちに遂行させるのは監視機構としては避けたかった。
負けが見えていたし、仮に数に訴えたとしても残りが限られている貴重な手駒が減るからだ」
「そこで、カヲル君とリリアさんの抹殺を目的とし、また他の使徒達への牽制として……心無き戦闘兵士 <J.A.> が生み出された?」
シンジが言った。
このあたりの事情はカヲルから聞いていたし、更には今ではその知識を共有する <ヘル> からも窺い知っていた。

「……そうだ。
600年前に作られた <J.A.> 。
その新型が、既に完成し――更には量産体制すら整っていると言ったらどうする?」
サキエルのその言葉に、シンジとカヲルは目を見開いた。
J.A.のバージョンアップは、ある程度予測されていたとはいえ、既にそれが完成され量産化されていると知ったのだ。
当然と言えば当然の反応だった。
「新型のJ.A.……やはり開発されていたのか!」
カヲルの声に、ここにきて初めて緊張が混じった。

「その新型J.A.開発計画が、 <PROJECT EVA> だ」
「プロジェクト……エヴァ」
シンジがオウム返しに呟く。
「 <EVA> か。
……まさか、『船外活動(EXTRAVEHICULARACTIVITY)』なんて言わないよね?」
カヲルが、真っ直ぐにサキエルを見据えたまま訊いた。
「 <EVANGELIZAR> が、新型の正式名称だ」
「 <裁く者> の次は <福音伝導者> かい? 監視機構も懲りないね」
カヲルの言う <裁く者> とは、勿論J.A.のことだ。
正確に言えば、法務官という意味合いになる。

「戦闘能力だけなら、下級天使 <使徒> ……つまり我々をも凌ぐというウワサだ。それ以上は私も知らぬ」
「だが、それが世界各国の使徒たちの引き上げとどう繋がると言うんだい?」
「新型J.A.―― <EVA> の生産施設は月にある。
丁度、お前達が <エンディミオン> と名付けたクレーターの地下にな」
シンジは密かに首を傾げた。
結局、ここまで話を聞く限り世界で活動していた使徒たちを、任務を投げさせてまで監視機構が呼び戻した理由は見当たらない。
だが、まだ水を司るこの得体の知れぬ天使の話しは終わっていない。
シンジは黙って先を待つことにした。

「今からして約89時間前……地球で潜入工作を行っている全使徒の前に急使が遣わされた。
その使者の口から発せられた命令は、
『月面のEVA量産プラントに正体不明の <破壊工作員> を確認。
現在地上で活動する使徒達に強制送還命令を下す。任務中断に際し、適当な処置を下し帰還に備えよ』
……大方このようなものであった」
それは、使徒らしく感情を全く感じさせない、淡々とした口調であったが……
シンジとカヲルに驚愕をもたらすには十分だった。

「月のEVA量産工場に破壊工作員――」
囁くようなそのカヲルの言葉の示す意味。
それは、あり得るはずのない事実だった。
破壊工作と言えば、明らかに監視機構が秘密裏に計画していたプロジェクト・EVAを察知していたと言うことだ。
それに実際に月に行ける技術力がいる。
これらの条件を兼ね備える人間が、NERVを含めいたとは思えない。
と、なれば考えられる可能性は1つしかない。

――第2魔皇サタナエルだ

心のもっとも深い場所で、囁く声が聞こえた。
シンジの中に眠る、第3魔皇ガルムマスター=ヘルだ。

(確かに。第1魔皇カオスは過去へ溯って、使徒として監視機構に潜入しているらしいし……
 となれば、第2魔皇サタナエルしかいないね)


――間違いあるまい

(監視機構は、魔皇が新世紀に開放されたことを知っているのかな?)


――既に察知しているはずだ
  忘れたか、僅かの間とはいえ汝の躰の主導権を我が握った事実を
  あの時放出した魔皇ルシュフェルの波動は、確実に監視機構には検出されているはずだ
  例え三体分離して <ヘル> となり、若干性質は変わったものの
  我が魔皇であることには変わりない
  我等魔皇三体の半復活の事実は、周知の事実と考えて良かろう



「……その破壊工作員とやらは、使徒たちが総がかりで掛からなければならない程の存在なのかい?」
カヲルが冷静に訊いた。
彼も既に、その――この表現が正しいのかは定かでないが――工作員とやらが、サタナエルであろうことには行き着いているはずだ。
「知らんな。タブリス、貴君も知っているはずだ。
我々使徒は、基本的に己の任務に関する最低限の情報しか与えられない。
600年前の貴君の反逆を契機に、多少与えられる情報量は増し、監視機構の全貌を少しは垣間見ることが出来るようになったものの、あくまで我々は末端のエージェントなのだ。
与えられる情報や指示が、例えるなら <戦略> ではなく、 <戦術> レヴェルのものに過ぎないことには変わりない」

「君から得られる情報は、これが限界と言うことか……」
そう言ったカヲルは、ある程度の期待していたのか、少々残念そうだ。
「そして、貴君等の命の残り制限時間も、そろそろ限界ということになる」
約束は果たしたと言わんばかりのサキエルの、その硬いスーツに包まれた体躯から、再び身を切るような殺気が溢れ出す。
「これで貴君等の望みは果たした。――報酬を戴こうか」
シンジもカヲルも、その言葉に少しも表情を崩そうとしない。
カヲルなどはポケットに両手を収めたまま、涼しい顔をしている。
鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。

ふたりのあまりの余裕に、些かの不審を抱いたサキエルだが、要はこの敵にもならぬ2人を殺せばいいのだ。
A.T.フィールドで周囲から完全隔離している以上、何人たりともその行為を妨げることが出来るものは存在しない。
簡単なことだ。
サキエルは不敵に唇を歪めると、1歩、シンジたちに足を踏み出した。
「――死ね」

サキエルの両手には、いつの間にか光る『棒』の様なものが出現していた。
DEATH=REBIRTHの死神の鎌と同じ、青白い光を放つ、長さ70CMほどの――ライトニング・パイル。
サキエルのメイン・ウエポンである。
それを二刀流のように、片手に1本ずつ構えているわけだ。

「カヲル君、どうやらここまでのようだよ?」
流石に緊張の表情を浮かべて、シンジが傍らに立つカヲルに囁く。
カヲルはその声に、微かに頷いてみせた。
シンジの言う通り、そろそろ潮時だろう。
得たかった最低限の情報は手にした。この使徒にはもう用はない。
「……サキエル」
カヲルの抑揚のない呼び掛けに、サキエルの歩みが止まった。
「君は <オスカー> を知っているかい?」
「……オスカー?」
突然出てきた固有名詞らしきものに、サキエルは怪訝な顔をした。

「毎年、優秀な演技を見せた者に送られる、名誉ある賞さ」
「――死を前に、気でも違ったか?」
「いや、ただお別れの前に僕も真実を明かしておこうと思っただけさ。
個人的に、僕らの今回の演技はオスカーものだと思ってね。
僕の話はそれだけさ。それでは、さようなら。……サキエル」
悪戯っぽく微笑むと、カヲルはその言葉を最後に口を噤んだ。
「言いたいことは、それだけか。では、逝くがいいッ!」
サキエルがまず、カヲルとの間合いを詰める。

その瞬間――

「ガルムッ!」
シンジの声が、木霊した。

「わふっ!」

呼ばれて飛び出たのは、ご存知シンジの愛犬――もとい、ファミリア <ガルム> である。
彼(女)は、シンジに呼ばれるまで完全に気配を消して、近くの木陰に身を隠していたのだ。
ガサガサと躍り出たそのガルムは、白い裸身を晒したままてけてけと走ってくる。
「ぬっ?」
突然の闖入者に、サキエルの動きが再度止まった。
「なんのつもりだ、アランソン侯。こんな幼女に何ができる!」
愚弄されたととったのか、サキエルが吠えた。

「……まあ、見ているがいいさ、サキエル」
カヲルが詠うように言った。
ちょこちょこと、短い足で一生懸命走って来るガルム。
NERVが立案した今回の作戦の要が、このガルムであった。
カヲルと、アランソン侯ことシンジが生身を晒し、その命と引き換えに情報を得るよう使徒と交渉する。
使徒に喋らせたら、ガルムに使徒を殲滅させる。
単純極まりない作戦だが、上手く使徒をのせさえすれば十分な成果を得られるはずだった。

「無駄なことを! 私がA.T.フィールドで貴君等と共に、外界から完全隔離されていることを忘れたか?」
「忘れちゃいないよ」
シンジのその言葉とともに、ガルムは丁度、サキエルが張ったドーム状のA.T.フィールドの縁に差し掛かった。
サキエルはそのA.T.フィールドに弾かれる、小さな少女の姿を予測していたのであろうが……現実は違った。
ガルムはまるで何事も無かった様に、サキエル御自慢のA.T.フィールドを粉砕すると、易々と絶対領域に侵入する。
「馬鹿な――?」
サキエルは、あっさりとA.T.フィールドを無効化してみせたガルムに瞳を奪われていた。

第3魔皇 <ガルムマスター・ヘル> の名が示すように、ガルムを使役できるというアビリティーはそれだけで力の象徴となる。
つまり、ガルムが持つ戦闘能力にはそれだけの影響力があるということだ。
魔皇三体が自らの手足として、丹精込めて作り上げた魔皇守護者 <インペリアルガード> に、監視機構の雑魚風情が展開したA.T.フィールドなど何の障害になろうか。

「たべちゃいまし〜!」
ガルムは、凍り付いたように動かないサキエルに向かって駆ける。
シンジとカヲルは、絶対の自信をもってそのガルムの後ろ姿を見送った。
カヲルと同じくらいに白い肌。
腰まで伸びる、流れるような黒髪。
シンジの胸程までしかない、小さな体。
サキエルに向かって行くその姿は、控えめに見ても頼り甲斐ないが、それでも彼らは勝利を確信していたのだ。

とてとて走るガルムの小さな尻の上から、ふさふさとした大きな黒いしっぽが現われる。
次の一瞬、ガルムは一見華奢な少女の姿から、押しつぶされそうな殺気を放つ巨大な黒狼に姿を変えていた。
これが、 <彼> を含む <女> の子……彼女の本来の姿。
幻獣にして魔獣。
北欧神話における冥界、ニブルヘイムの女王 <ヘル> に仕える最強の使い魔。
魔狼ガルムだ。

その圧倒的な闘気に、躰が反応しない。
身体の自由を奪うほどの強力なプレッシャー。
それを放つ獣を前に……

サキエルは、最初で最後の恐怖と絶望を感じていた。





TO BE CONTINUED……








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