使徒ではなく 聖女でもなく
乙女はただ人であらんと欲した
DARC
−ダァク−
全てを凌駕するもの
CHAPTER]Y
「601」
SESSION・41 『怒りの女神・ファイヤー・アスカ』
SESSION・42 『覚醒と、開放』
SESSION・43 『コード・ナンバー601』
SESSION・44 『使徒粛清』
SESSION・45 『堕ちてゆく神の欠片』
SESSION・41
『怒りの女神・ファイヤー・アスカ』
「おばさまっ、シンジが帰って来るって本当ですかっ?」
弾丸のように突如、碇家リビングに飛び込んできたその少女は、開口一番そう叫んだ。
澄んだブルーアイズに、艶やかに輝くそのライトブラウンの髪は、光の加減によっては金色にも見える。
ゲルマンの血を引き、整った顔立ちと、聡明な頭脳、見事なプロポーションを誇るその少女の名は、惣流アスカ。
コンフォート17マンションに居を構える碇家の隣人である。
通学している高校が夏休みに入った途端、怪しげな置き手紙を残して忽然と姿を消した碇シンジ。
幼馴染の彼をあちこちに引っ張りまわして、この夏休みを満喫しようと画策していたアスカにとって、それはシナリオから大きく逸脱する出来事であった。
尚気に入らないことには、シンジは彼女に何の断りも無く消え去ったのだ。
彼の残した置き手紙によれば、社会勉強のため、ひとりで旅行に出てみることだそうだが――。
「ぬぁにが、社会勉強よっ! バカシンジのくせに生意気な」
シンジの両親、碇ゲンドウとユイから見せられたその手紙を、アスカは悪態を吐きながら読んだものだ。
続く文面には、いつになるかは分からないが、夏休みが終わるまでには戻ること。
旅行中、必ず電話で連絡をいれること。
前々から計画していたことなので、路銀、宿泊場所などの心配はないこと。
詳しい理由は帰ってから報告すること。
そして、無断でこのような行動を採ったことへの謝罪。
ついでにアスカにも上手く説明しておいてほしいとの要請。
以上のようなことが簡潔に記されていた。
「フッ……フフ……」
ざっと目を通し終えると、彼女はゆらりと立ち上がった。
「私を『ついで』扱いするとは、なかなか命知らずの冒険野郎じゃないの、シンジ君。
冒険には、それなりのリスクが付き纏うって事を……骨の髄まで教えてあげる必要が有りそうね……」
逆恨み度400%の復讐を心に誓い、アスカは月に吠えたという。
書き置きの中には、旅行中、必ず電話で連絡を入れるとあったが、シンジが消えて4日間。
ユイの話によれば、シンジからの連絡は1度としてなかったらしい。
几帳面なシンジのことだ。
連絡すると言えば、何か特別な事情があってそれが困難な状況に陥らない限り、連絡をしてくるはずである。
それが、ない。
流石に心配しはじめたユイとアスカではあるが、シンジの父、碇ゲンドウの『問題ない』との言葉に取り敢えずその場は収めていた。
そして、今朝早くゲンドウの出勤先からユイへ電話が掛かってきた。
そのゲンドウからの電話によれば、急な都合により、旅先からシンジが帰って来ることになったと言うのだ。
この話は、直ぐにアスカの元にも届いた。
いつもシンジのことをバカ呼ばわりして、殴る蹴る、投げる、極める、絞める等の暴行を加えた挙げ句、責任を全てなすりつけたり、命に関わるような悪戯をしたり、故無く苛めたり、下僕扱いしたりするアスカではあるが――
根はとっても優しい娘である。
ただ、ちょっと(?)素直じゃないだけだ。
これは嘘ではない。本当だ。
その証拠に、シンジが帰ってきたら絶対ヤキを入れてやる。グーで入れてやる。凶器だって使ってやる! ……と、思ってはいたが、実はちょっぴりシンジのこと、心配してあげてたりもしていたのだ。
だからこそ、シンジが帰って来るという噂を聞きつけた途端、真偽を確認するため碇家に駆けつけたのだ。
「ね、おばさま。シンジが帰って来るって本当?」
「あら、アスカちゃん。おはよう」
嵐の如くリビングに踊り込んできたアスカにリビングから振り向くと、にこにこと微笑んで、碇ユイはマイペースにそう言った。
どうやら、朝食の後片付けをしていたようだ。
「あ、……おはようございます」
何となく気勢を殺がれて、アスカはペコリとお行儀良く挨拶を返した。
子供がいるとは思えないほど若々しくて、何でもテキパキこなせる、オシャレでチャーミングなママ、碇ユイをアスカはひとりの女性として尊敬していたりする。
地味なわりにはハードで、根気の要る『ママ』という役割を、ユイのように格好良くこなすのは、大変なことだし、凄いことなのだ。
しかもそれに加えて、ユイは研究者としての職も全うしているのだ。本当に凄い。
この人があのボケボケッとしたバカシンジのママだなんて、とても信じられないくらいだ。
アスカにとって、ユイは憧れの存在だった。
だから、ちょっとユイには逆らえない。彼女の前では何故か自然とお行儀良くなってしまう。
「それで――」
ついユイのほのぼのペースに乗せられて、忘れかけていた勢いを取り戻すとアスカは再度訊いた。
「シンジは、本当に帰って来るんですか?」
「ええ。あの人はそう言っていたわ。これで一安心ね」
ユイのいう『あの人』とは、勿論、夫ゲンドウのことである。
凶悪な相貌に似合わず、ゲンドウは、極度の親ばかだったりする。
その彼が、今回のシンジの件に関しては問題ないと言ったのである。
心配は心配だったが、彼がこう言った以上、既に何らかの手を打ち、本当に問題のない段階まで事を運んだのであろう。
ユイは、ゲンドウにすべてを任せていた。
「シンジ、何処に行ってたんですか?」
彼が帰って来ると言う話が真実であったことを確認できて、ほっと胸を撫で下ろしながらアスカは訊いた。
「私も詳しくは聞いてないんだけど……、お友達と一緒に京都まで行っていたそうよ」
ユイは、再び洗い物に没頭しながら言った。
「お友達……?」
その言葉に、ぴくっとアスカは反応した。
この天才アスカ様を差し置いて、他の誰と旅行に行ったと言うのだろうか。
この時点で、シンジの制裁コースにもうワンセットが追加された。
……しかし、引っ掛かるのはその『お友達』とやらの存在だ。
シンジが消えた途端、アスカは真っ先に『3バカトリオ』との関連を洗った。
3バカトリオとは、碇シンジとその親友、『鈴原トウジ』、『相田ケンスケ』の2名を加えた仲良し3人組のことである。
シンジが単独で動くとは性格上考えにくいので、まずはこの3バカトリオの線で考えてみたのだ。
だが、結果として収穫はゼロであった。
自宅に電話確認を入れた際、鈴原トウジは自宅に居たし、そのトウジの話によればケンスケはひとりで横須賀まで軍の追っかけに行っているという。
ケンスケは重度のミリタリー・ファンで、軍関係の催し物があると知れば、遠方までわざわざ駆けつけてその模様をフィルターに収めてくるという怪しげな趣味があった。
とにかく、シンジ出奔に3バカトリオは関わっていない。
……とすれば、やはりシンジはひとりで何処かに出かけたのだろうか?
あまり社交的とは言い難いシンジ少年のこと、他に可能性が見当たらないのである。
一応のこと、『シンジの一人旅』ということで結論づけていたアスカではあったが、ユイの口から出たのは『お友達』同伴という事実。
これは、アスカに少なからず衝撃を与えた。
「そのシンジの『お友達』って、誰ですか?」
身を乗り出して訊いて来るアスカにも動じず、ユイは相変わらずのマイペースで応える。
「え〜っと、何て言ったかしら……確か、霧島さんとかいう女の子よ」
クスッとさも可笑しそうに微笑むと、ユイは続けた。
「女の子と2人きりで旅行だなんて、ロマンティックだわ。シンジも意外とやるものね」
だが、そんなユイののんびり過ぎる感想など、アスカは聞いちゃいない。
「霧島っ?」
霧島、きりしま、キリシマと言えば――
アスカの脳裏に、明らかに自分を挑発するような悪戯な視線を投げかけながら、わざとシンジの背中に抱き着いてみせるショートカットの少女の姿が浮かび上がる。
……霧島 マナ!
「あんの、超常泥棒猫娘ぇ〜〜〜っ! ……この私を差し置いて、まんまとやってくれたわねぇ〜〜〜っ!」
プルプルと躰を震わせつつ、地の底から響くような声で悔しそうに叫ぶアスカ。
ユイはユイで、そんな様子をにこにこと楽しそうに眺めている。
「きぃ〜〜っ、くやしぃ〜っ!」
とか何とか言いながら、アスカは疾風の如く碇家リビングより駆け去った。
激情の赴くまま、一体何処に行くつもりなのだろうか?
まさか、ダッシュで京都の山奥まで乗り込むつもりなのだろうか。
「アスカちゃん、ころばないようにね〜☆」
既に消え去ったアスカの背中に向けて、ユイのおっとりとした声が掛けられた。
SESSION・42
『覚醒と、開放』
アランソン侯=碇シンジ。
この過去の英雄の存在が、これからの時代を大きく震撼させることだろう。
新たな戦を生み出す、乱世の卵とでもいったところか。
遥か600年の時空を超えて遣って来た、彼の存在を人類監視機構が見逃すはずもない。
事実、自由天使を使って、既に監視機構はアランソン侯の捜索に着手していた。
だが、この自由天使は、アランソン侯の影響と中世のDEATH=REBIRTHとの説得により、監視機構の支配下から離脱した。
自由天使故に、自由を求めたのである。
これによって、既に確信されていた『碇シンジ』=『アランソン侯』という事実は隠蔽されていた。
だが、それにも限界が訪れようとしている。
『アランソン侯』の魂が、シンジの中で覚醒しようとしているのだ。
彼には、常人にはない特殊能力がある。
それが何かは不明であるが……とにかく、アランソン侯覚醒は、即ち彼の特殊能力の開放を意味する。
彼の『覚醒』と『開放』。
監視機構が黙っているはずもない。
自由天使を介さずとも、この特殊能力が彼らに探知されるのは時間の問題。
碇シンジが、アランソン侯爵であることが監視機構に知れれば、彼らは歴史の補正のため、イレギュラー消去のため、彼の存在の抹殺を図るだろう。
碇ゲンドウは、人類監視機構所属の使徒、或いはJ.A.がその任務を帯びて襲来するであろうと予測した。
これは、正しいだろう。
だから、彼は『ゼーレ』を利用した。
古来より、各国の特権階級層を主な財源とする、エンクィスト財団。
その財団最高幹部会が『ゼーレ』である。
既得権と権益の維持拡大を目的とする彼らにとって、監視機構の支配体制は、障害以外の何者でもない。
渚カヲルの情報提供により、監視機構の存在を知るまでは、彼らの前に立ちふさがる黒い影の存在を只の不運の連続と処理していたが……
それが、人類の超越者による破壊工作だと知ったからには、動かざるを得ない。
その状況を上手く利用して、息子碇シンジを守るため、ゼーレにNERVの創設と、第三新東京市建設案を承認させた。
息子のために、世界の王たるゼーレを利用する。
確かに、彼の妻の認識する通り、碇ゲンドウは重度の親ばかであるらしい。
――ぢゃが、現状でアランソン侯=碇シンジを守護することは不可能ぢゃ。
エンクィスト財団理事長は、考える。
自由天使タブリスの分身たる『渚カヲル』には、使徒としての能力はほとんどないに等しい。
そして、NERV側の戦力はと言えば、この渚カヲルしかおらんのぢゃ。
これでは、監視機構使徒どころか、J.A.1体すらも退けることが出来んときちょる。
監視機構が、一体何体の使徒を擁するのか知れぬ。
また、J.A.がこの600年の間に、全くヴァージョン・アップせんかったとも考えられん。
NERVなどとは言ってみても、監視機構からすれば何の障害にも成り得んのぢゃ。
奴等がその気になれば、アランソン侯なぞ、直ぐに消せる。
離反者渚カヲルと共にな。
故に、碇は焦っちょる。
あのターミナル・ドグマのJ.A.の生体機能を完全に殺さずに凍り付けにしておるのは、恐らくJ.A.の力をこちらのものにしようと画策しておるからぢゃろう。
あのJ.A.の機構を解析して、こちら側の使徒としてプログラムし直せば、戦力となる。
……ぢゃが、それには時間が掛かり過ぎるな、碇。
恐らく、その解析が終わるまでアランソン侯の覚醒は待ってくれんぢゃろう。
幾ら財団理事長とはいえ、あれはほいほいと見せてはならぬ存在。
ぽっと現れたわしに、いきなりあれを見せたのは、彼奴の焦りの現われでもあろうて。
所詮は及ばぬ鯉の滝登りか?
如何なする、碇。
監視機構に挑むには、NERVはあまりに無力。残された時間も僅かしかない。
力が――
力が、欲しいところぢゃの、碇。
今、お前は『彼女』を狂おしいまでに求めておるぢゃろう。
最強のひとりと謳われた、自由天使タブリスを容易に退けるその絶大な戦闘能力。
最小限の動きで、最大の戦果を上げる圧倒的な力、技術、そしてセンス。
並居る監視機構使徒の極限に位置する、彼女。
力を司る、最強の使徒ゼルエルにして、死神の化身DEATH=REBIRTH……
――リリア・シグルドリーヴァ――
あの、蒼く輝く死の三日月……
「さあ、おじいちゃん。どうしてこうなったのか、ちゃんと説明して!」
あれを思い出すだけで、今でも鳥肌が立つわい。
「私にはひとつの相談も無しに、勝手に何でも決めちゃうんだから……」
彼奴は、本物のバケモンぢゃ。まったく底が知れん。
「そりゃ、おじいちゃんが何をしようが勝手よ?」
死神の化身とはよく言ったものよ。味方に居っても、尚恐ろしい。それが、リリア・シグルドリーヴァぢゃ。
「だけど、私を巻き込むならせめて前もって一言言ってくれるなり、相談してくれるなり……」
彼女が居れば、如何な状況をも打開できるような気にすらなる。
「……おじいちゃん?」
せめて、彼女がこの新世紀に居ればの……
「おじいちゃん! 聞いてるのっ?」
不意に、宗主の思考は、プンプンと御機嫌斜めなマナの文句に中断された。
「う……うむ。聞いちょる、聞いちょる」
「――まったくもぉ〜。
いきなり『引越しぢゃ!』とか言い出してっ! ……私にだって色々準備があったんですからね!」
京都の実家にいきなり降り立った、軍用ヘリコプターに有無を言わさず押し込まれ、連れてこられたその先は、なんと第三新東京市であった。
市内に到着するや否や、マナはヘリより降ろされ、とりあえず家に帰っていろと言われた。
そして、宗主は、そのままヘリに乗って何処かへ消えていったのである。
つい最近、マナはこの第三新東京市に越してきたのだから、ヘリから放り出されたことには問題ないが……しばらくして、宗主が彼女のアパートに転がり込んできたのだ。
これは、大問題である。
実際、このアパートは、マナのひとりぐらしを前提とした間取りであるため、結構狭い。
そこに、宗主がしばらく逗留するというのだ。
全てが、突然過ぎた。
「……うむ」
「……うむ、じゃなぁ〜いっ! どうしていつも何時も、おじいちゃんはそう勝手なんですかっ!
人には其々事情ってものがあるんですからねっ! ちょっとは私のことも考えてよ」
何やら、ボー―っとして話を聞いているのか聞いていないのか分からない宗主に、マナはますますヒートアップする。
「ノープロブレムぢゃ」
「全然ノープロブレムじゃありませんっ! 住民票だって移さなきゃいけないし、第一、この部屋は独り暮らしの学生さん用だから、お宗主のスペースなんてないんですからねっ」
「ぢゃから、ノープロブレムぢゃと言うとる」
「どこがよっ?」
「今、それなりの新居を手配させちょる。早ければ今週中にでも引っ越しぢゃ」
「ええっ?」
これまたいきなりの展開である。
勿論、マナはこれまでそんな話は1度として聞いたことがない。
じいちゃんが、また勝手に何処かで決めてきたのだろう。
「もう! ようやく身の回りの物も揃って落ち着いたところだったのにぃ〜」
「まあ、そう言うでない。引越し先は、コンフォートなんたらとかいう高級マンションぢゃ。
あそこには碇シンジをはじめ、お前の級友たちが居るんぢゃから、お前も何かと便利ぢゃろうて。
しかも、設備が良いからの。……此処よりかなり快適ぢゃ」
「えっ?」
マナは意外な思ってもみなかった厚遇に、ちょっと驚く。
「シンちゃんが住んでる、あのおっきくて奇麗なマンションに住めるの?」
「うむ」
「やった――っ☆」
先程の不機嫌はどこへやら、飛び上がって喜ぶマナ。
通学距離が随分と短くなる上に、近代的な家電やサポート・システムの整った広い部屋。
おまけに、仲の良い級友たちが隣人となるのだ。
多少の手続きの面倒を除けば、理想的な条件である。
さて、これで取り敢えず、納得したマナは静かになるだろう。
宗主は、再び思考の海へ埋没することにした。
何しろ、考えなくてはならないことが山のようにある。
まあ、その内のほとんどが考えて如何こうなるような問題ではないのも確かではあるが……。
相手は何と言っても、人類監視機構である。
NERVがそれに対抗し、アランソン侯抹殺を目的として監視機構使徒が襲来することが半ば確実であることからも、宗主としては今の内に自分のポジションを明確にしておきたい。
退くにせよ、戦うにせよ、彼自らが語ったようにここから先は確固たる決意と覚悟が必要となってくる。
戦士の領域だ。
アランソン侯爵は、ある意味愛した少女の復讐のため。
NERV総帥碇ゲンドウは、息子を守るため。
ゼーレ延いてはエンクィスト財団の場合は、人類の支配者としての立場を維持していくため。
それぞれに戦う理由を持っている。
ただ、これら全てに共通するのは、あくまでその戦う意志が個人的な感情によるものであるということだ。
これは、何も新世紀における者たちに限定された事ではない。
監視機構からの離反者、リリア・シグルドリーヴァは、自らの自由を勝ち取るため。
同じくタブリスも、己の自由を求めて支配者たる監視機構に抗う。
そして、ラ・ピュセル。
彼女がもし、監視機構と真っ向から戦う姿勢を固めたと仮定した時、その動機となるのは、やはり人として生きるために必要となる、彼女個人レヴェルでの自由の獲得のためだろう。
全ては、掲げる理想やイデオロギーの為に戦うのではない。
あくまで、個人――自分がこの先、自由であるために必至である戦いに挑むだけだ。
人類監視機構……
彼らの存在は、あまりに遠すぎる。
敵として認識するには、あまりにも大きく、あまりにも謎が多すぎる。
彼らの支配体制があまりにも自然で、かつ人間の現在の力では認識できないほど巧妙なものである以上、彼らの存在を知った所で人々は戸惑うだけだ。
支配されているという事実を受け容れられない。
それだけでは、この強大すぎる監視機構と敵対するには動機が希薄すぎるのだ。
まるで幻のように、朧で実体のない敵。
これに挑むのは、或いは、ドラゴンに挑むつもりで風車に突撃した、ドンキホーテとなる必要があるのかも知れぬ。
今の人類に、それを求めるのは些か酷か――
いや、果たしてその必要があるのか――
宗主自身、悩まずにはいられない。
彼にもまた、戦う理由がないのだ。
人類監視機構が、古来より使徒――天使を使って都合のいいように人類の進化の歴史を操作してきたことは理解した。
だが、それがどうだというのだろう。
もし、それを受け容れず、監視機構との戦争を引き起こすというのならば、それはそれなりの民意とも言えるものが必要だろう。
人類として監視機構に挑むというのなら、それはその時代に生きる全ての人々の総意を以って為さねばならない。
現状で人類にその力がない以上、やはり監視機構と戦うには個人的な理由と事情が必要となる。
「戦えぬな……このままでは」
苦々しく宗主は、いや、財団理事長は呟いた。
確かに彼は監視機構の存在を知り、アランソン侯の想いと過去を知った。
だが……
それだけでは、戦えぬ。
それが正直なところの彼の思いである。
だが、かといってこのままでは確実に殺されるであろうアランソン侯=碇シンジを、みすみす監視機構の思い通りにさせるわけにもいかない。
「……フム」
結局のところ、わしは監視機構を前に……負けると分かった戦に挑むだけの強さを持てぬということか?
「どうしたの、おじいちゃん。……なんだか、何時にも増して顔が凶悪化してるよ?」
何やら難しい顔をしている宗主の顔を覗き込みながら、マナが言った。
眉間に深い皺を寄せて、獣のような低い唸りを上げながら何かを考え込む宗主は、確かに怖すぎる。
10歳以下の子供なら、確実に泣く。絶対泣く。
「……」
このまだ若すぎる少女は、監視機構を如何な捉えているのだろうか。
宗主は、ふと興味を抱いた。
「……のう、マナよ」
「なに?」
「おぬしは、監視機構のこと、大方は理解しておるな?」
「えっ」
いきなりの話題転換に、マナは軽く狼狽する。
「人類監視機構ぢゃ。碇シンジの過去に幾度と無く、この名は登場した」
「うん」
神妙な顔つきで、マナはこくりと頷く。
「――わしは今日、NERV本部を見てきた」
「?」
訳の分からない展開だ。
シリアスな話である上に、聞いたこともない固有名詞。
マナは首を捻るしかない。
「NERVとは、人類監視機構に対抗するために作られた特務機関ぢゃ」
「ええっ?私たち意外にも、監視機構のことを知っている人たちがいるの?」
「……まあな。
アランソン侯は600年の時を経て、この新世紀に遣って来た。このアランソン侯の存在は、人類を管理する監視機構にとって非常に都合の悪いものぢゃ。これは、分かるな?」
「……うん」
確かに、監視機構の存在を直に知り、あまつさえゼルエル、リリス、タブリスと直接接触した経験を持つアランソン侯の存在は、この新世紀にあらずとも邪魔以外の何者でもない。
監視機構にとって、特級の不穏分子だ。
「このことを踏まえ、NERVは監視機構がアランソン侯抹殺を実行するぢゃろうと予測しておる。
これは、わしも正しい見解であると思っちょる」
「アランソン侯……抹殺……」
マナの顔色が蒼白になる。
監視機構がこの新世紀にも存在しているかもしれない。
その可能性に辿り着いただけでも竦み上がったマナである。
監視機構がこの先、どのように動くか等想像もしてみなかった……いや、したくなかった。
「……そのためのNERVぢゃ」
「えっ?」
「つまり、アランソン侯抹殺の任務を帯びた監視機構の刺客から彼奴を守る。
NERVはそのためにあるというわけぢゃ。少なくとも、あの腐れゲンドウにとってはな――」
「……」
「ただ、そのためには人類監視機構と真っ向から戦わねばならぬし、そのための覚悟、そして力が必要となる。
ぢゃが、現状で人類に――そしてNERVには、監視機構と正面きって渡り合えるだけの実力はない。
……負けは目に見えちょる。
このままでは、明らかにアランソン侯は抹殺され、多くを知り過ぎてしまったNERVも潰されるぢゃろうな」
1度言葉を切ると、彼は厳かに続けた。
「マナ、お前はどうする。……どうしたい?」
「わたし……」
俯いたまま、マナは小声で応える。
「わたしは……」
実際のところ、自分はどうしたいのだろう。
監視機構と戦うって、どういうことなのだろう。
まだ、分からないことの方が多すぎる。
戦うことの恐怖なんて、戦争の恐ろしさなんて、まだ良く分からない。
いや、全然想像もつかない。
でも、ひとつだけ言えるのは――
「シンちゃんたちと一緒にいたい……」
アランソン侯が、ラ・ピュセルが、英雄たちが、絶望の彼方にあるものを目指すというのなら……
人間のあらゆる『負』の想いを凌駕するものを、全てを凌駕するものを探すというのなら……
「わたしも、同じもの目指してみたい」
このまま、震えてるだけなんて……
このまま、シンちゃんに置いていかれたままだなんて、絶対、嫌だから――
だから、強くなりたい。
英雄たちと肩を並べられるくらい、戦士と認めてもらえるくらい、強くなりたい。
その為に、何をすればいいのかすら、今は分からない。
だけど、このまま逃げてたらきっと後で後悔する。
だから……
「マナ」
その声に、マナは顔を上げる。
そこには、やはり険しい表情の祖父の顔があった。
「……分かっておるのか? これは、途中で『やっぱり、辞めました』等と言うことの許されぬ戦いぢゃぞ。
途中下車はナシぢゃ。監視機構を叩き潰すか、或いは監視機構に殺されるか、ふたつにひとつ。
そして、現状では勝てる可能性は限りなくゼロに近い」
「――うん」
「おぬしは、それでも監視機構と戦えるか?」
「……分からない」
マナはしばらく考えると、正直に思ったままを答えた。
「でも、シンちゃんはこのままじゃ殺されちゃう。……それを黙って見てる気はないよ。
勝つんじゃない。
いつも弱い側に立って、どうしようもなく強大な”現実”という敵に、負けつづける戦いを挑みつづける。
弱さを抱きしめるんだ。
本当に誰かの心を動かせるのは……栄光を掴んだ”勝利者”じゃない。
クレスさんの言ってた大地母神ニーサに、胸を張って誇るに値するのは、決して勝利だけではない。
本当に輝けるのは、弱さを抱きしめて諦めずに最後まで戦いつづけた、優しい”敗北者”なの。
負け続ける戦いを、挑み続けるその姿勢こそが、その勇気ある行動と心こそが、全ての心を動かすの。
そして、それが本当の強さ。
霧島マナは、アランソン侯爵にそう学んだから……。
――そう。
何も難しいことなどなかった。
私の見た過去の英雄たちが、輝いていた理由。
それが、これだった。
ただ愛しいもののために、守ると決めたものを守り通すために、どんな強大な敵にも挑む。
負けると分かった戦いにも、背を向けずに向かって行く。
決して瞳そらさない。
何度でも。そう、何度でも。抗ってみせる。
彼らのそんな姿に、私の心は揺さ振られた。ラ・ピュセルさんの心の封印さえも解き放たれた。
彼らから学んだことは、決して幻なんかじゃない。
そして、こんな自分にでもできることなんだ。わたしにもきっとできることなんだ。
私はそう信じることにしたから。
挫けない彼の後ろ姿を見ていた。
今度は追いついて、隣に並んで戦う。
その勇気、支え合える人たち、見つけたから。
だから、私もきっと頑張れる。
だから、私は……
何が出来るわけじゃないけど、私は私なりに出来る事を考えて、それを一生懸命やることに決めたの。
たとえ今は力が及ばなくても、気持ちだけは負けないって決めたの」
「……ほう?」
「とりあえず、今は監視機構が使徒を送り込んできたら、やられちゃう前に1発、はんまーでガーンと叩きに行けるだけの強さを持てるように、ね?」
重い空気を払拭するように、マナは無理にでも微笑んでみせる。
「フッ……言うではないか、マナよ」
妻を失い、娘夫婦を失い、たったひとつ残った掛替えのない家族の絆。
それが、マナ。
まだ子供だとばかり思っていたのだが……
何時の間に、こんなにも大きくなったのだろう。
何時の間に、こんなに強くなったのだろう。
できることなど、何もないと知りながらも……
自分は無力と知りながらも……
それでも、我武者羅に何かを守ろうとするその姿勢。
――女、か。
ならば、何も言うことなどない。
女として生きられるようになったのなら……
これから先、マナは全てを自分の意志で決め、自分の意志で生き、そして死んでゆくだろう。
だが、ちょっとはこの老いぼれにも何かさせて欲しい。
愛しいものが、ただ未来を見詰めている。
深い闇の向こう、辿り着きたいという。
ならば、影としてでよい。
せめて道標にでもなれれば……。
孫娘に、1発カッコイイところを見せてくれちゃる。
一生忘れられないくらいのインパクトで、こんなじじいがこの世に居ったこと、そのハートに刻み込んぢゃる。
老いたるじじいの、人生最後の大舞台。
このまま、ちまちま無駄に生きるより、パッと咲かせる男の花道!
敵は、神。人類の超越者、人類監視機構。
――相手に不足無し。
ノッてきた彼は、ニヤリと邪悪に微笑んで、ユラリと立ち上がった。
「やっちゃる! !」
なにをやる気かはまったく不明だが、とにかく……
――彼は、燃えた。
SESSION・43
『コード・ナンバー601』
特務機関NERV。
古ヨーロッパの王侯貴族を発祥とし、この数世紀のうちに各国の特権階級層を取り込むことで、裏世界を席捲してきたエンクィスト財団の手により設立された非公開組織である。
このNERVは、『人類監視機構』と呼ばれる人類のオーバーロード的存在によって、近い将来、送り込まれて来るであろうと予測される『使徒』と呼称される敵性存在の調査、研究、殲滅を主な役割とする。
が、その『使徒』や『人類監視機構』と同様、NERV延いては財団の実態も、一般には知らされていない。
世界数箇所に支部が建設され、本部は箱根山中第三新東京市の地下、ジオ・フロントに建造されている。
そして、そのジオ・フロントの地中深くに幽閉されるJ.A.に関しても、その詳細は――
「……まったくの不明です」
肩のところで切り揃えられたブロンド。
整った鼻梁。
全身に纏われた理知的な雰囲気が印象的な女性が、事務的にそう告げた。
NERV技術開発部主任、赤木リツコ博士である。
女性にしてはやや長身であり、その白衣の下からでも窺える見事なプロポーションを誇るものの、如何見ても彼女は日本人だろう。
アスカのようなハーフでもあるまい。
ならば、そのブロンドは黒髪を染めたものか……。
財団理事長は、そんなことを考えながら総帥、碇ゲンドウと並んで彼女の報告を受けていた。
何もない空間に投影されたスクリーンには、様々なグラフ、公式、解析データが文字通り流れていくが、彼らにはその半分も飲み込めない。
「しかし……このNERVにはMAGIとかいう、世界最高のスーパーコンピュータがあるんぢゃろう?」
「はい。前世紀のブルー・パシフィックを遥かに凌駕する演算速度を持つ、現存する最高のマザーです」
ゼーレのトップの問いにも、表情ひとつ変えることなく、淡々と答える。
「それを以ってしても解析できんのか?」
「いえ、解析を試みることは可能です。霧島理事長」
ちらりと理事長を一瞥すると、彼女はまた端末に向かう。
「まず、JUDGE ADVOCATE……通称『J.A.』の表面を覆っているこのマテリアルですが……」
プロジェクター型のスクリーンに、ぱっと訳の分からないデータが表示される。
何やら様々な固有名詞がずらりとラインナップされているようで、その脇にはパーセンテージが記されている。
「これは、その疑似金属の解析データです」
「なんぢゃこりゃ? “un-known”が99.999999999%。
――結局、何でできとるのか分からんと言っとるのと変わらんではないか」
「構成物質の分析という面でなら、そうです」
「ほう……」
「これは、金属による装甲や甲冑ではなく、人間にすれば皮膚に相当するものなのですが……」
「あのメタリック・ボディーは、その名の通り彼奴の躰そのものぢゃと言うのか?」
「――そうです」
「それで?」
「霧島理事長のおっしゃる通り、確かにこの金属らしきものがどのようなもので出来ているかは分かりません。
地球上に、存在しない成分で構成されているからです」
「……それだけではない」
これまで、置物のように仁王立ちするだけで、ひとことも発しようとはしなかったゲンドウが、はじめて口を開いた。
「その物質は、驚くまでの高純度を保っている。これほどの超々高純度であれば、仮に我ら人類にとって既知物質であろうと極微量元素の解析が追いつかんだろう」
「……しかも、その耐食性を保持しながら、電気抵抗は極大。理論上あり得ない数値を記録しています」
リツコがゲンドウの後を継いで言った。
「フッ……分からん」
なにやら怪しげな専門用語が連発され、財団理事長こと霧島の宗主は既に話しについていけない。
「要するに、地球上には存在し得ない超レア・メタルである……ということです」
「ほほう。最初から、そう言えば良いものを。……まあ、良い。続きを訊いちゃる」
口髭を撫で付けながら、宗主は偉そうに言った。
「――はい」
リツコは誰にも気付かれないように、小さく吐息を吐くと、気を取り直して続けた。
「それで、この物質の特徴なのですが、純度が極めて高いというだけには留まりません。
耐衝撃・耐摩擦・耐熱・切削実験にも信じられないほどの数値を示し、超高硬度合金に近い存在であることが判明しています」
「……つまり、おっそろしく硬いんぢゃな?」
「端的に言えば、そうです」
「……現在のところ、NERVの装置をもってしても、この物質に掠り傷ひとつ付けることは叶わずにいる。
これは、それ程の強度と硬度を誇る」
「ダイヤより硬いのか?」
ダイヤと言えば、一般的にこの世で1番硬いものと認識されているわけであるが……
「それは確実です」
「ふむ……それは大したもんぢゃの」
珍しく感心したように、財団理事は思わず呟く。
「現在のところ、詳細の確認はとれておりませんが、この物質は周囲の状況によりその性質を微妙に、柔軟に変異させ、各種電磁波の撹乱・吸収効果、荷電粒子による界面変化の相殺もしくは、位相転換等も可能とする特性を備えているようです」
「それがあると、結局どうなんぢゃ?」
「フッ……ゼーレのトップのくせに学のない奴だ。
つまり、センサー類による関知が難しいということだ。また、通常兵器に関する防御能力が驚異的に高い」
ニヤリと意地悪く唇を歪めると、ゲンドウが言った。
「最強の装甲にして、ステルス機能のようなやつも備えておるわけか?」
「そうです」
「また強電荷に対しては、導体域と絶縁域を偏在させることで放散・蓄積することも可能です。
もしかしたら、荷粒子の衝突や爆発による加圧をエネルギー化して分散することすら出来るかもしれません。
これらのことを考えた時、兵器の装甲としては理想的な素材だと言えます」
「通常兵器はほぼ完全防御、爆破やビーム兵器すらも半端なものならば無効化し、ステルス機能を備えるため、視認するか、かなりの近距離からソナーによって発見するしかない」
「……フム」
「そういった金属――もはや、金属と呼べそうにもないマテリアルですが、をこのJ.A.は皮膚として纏っているわけです」
努めて冷静に、リツコは事実だけを並べ立てる。
「バケモンぢゃな」
「ああ。まさに、バケモノだよ」
珍しく、ゲンドウが宗主の見解を素直に肯定する。
「それを量産できるだけの技術を、監視機構は持っているわけです」
「皮膚は分かったが、肝心の中身の方はどうなんぢゃ?」
難しい話はもうウンザリだと言わんばかりに、理事長は話題を変えた。
「それなんですが……」
カタカタと撫でるようにキーボードをタッチすると、たちまち画面が移り変わる。
表層分析画面と入れ替わりに出てきたのは、黒のバックに、煌煌と自己主張する無愛想な3桁の数字。
601
「なんぢゃ、こりゃあ?」
理事長の素っ頓狂な声が、狭い室内に響き渡る。
「解析不能を示すコードナンバーだ」
ゲンドウが、面白くなさそうに呟く。
「使徒は、粒子と波……その両方を兼ね備える光のようなもので構成されているようです」
「プログラムで作動する、無人稼動の使徒と言うからには、機械人形ぢゃと思っておったが、違うのか?」
顎を撫でながら、素朴な疑問を口にする理事長。
「生物、無生物の概念は当て嵌まりません。どちらでもない……としか、現状では言えないでしょう。
ただ、霧島理事長のおっしゃる通り、このJ.A.が感情や心をもたず、一種のプログラムによって動いていることはほぼ確実です」
「やはり、心がない人形であることには変わりないということか――」
「J.A.は、大きくふたつの学習機能を備えていると思われます」
「そこまで分かっておるのか?」
理事長は、コンソールに手を掛けモニタに食い入るように身を乗り出す。
「いえ、先も言いました通り、詳細は不明です。分かっていると言うよりは、ある程度概要の予測がつくという程度です」
小さく首を左右すると、少し残念そうにリツコは言った。
やはり、基本的にJ.A.が未知の存在、謎の固まりであるという事実は変わらないようだ。
「まあ、それでも良い。聞かせてくれい」
「――はい」
そう言って、リツコは再びキーボードに指を走らせる。
思わず見入ってしまうほどに洗練された、無駄のない流れるようなタイプだ。
だが、スクリーンに表示されたのは、もはや素人には解読不能な幾何学模様としか見えないもの。
「……」
既に1度説明を受けているゲンドウと、チンプンカンプンな財団理事長は、だまってリツコの解説を待つ。
「J.A.の中核をなす機能は大きくふたつ。
ひとつは、戦闘をはじめとする各種データの蓄積による、学習機能。
もうひとつも学習機能なのですが、こちらは遺伝的アルゴリズムに似たような機能です」
「その遺伝がなんちゃらとは、なんぢゃい?」
「そのもの、と言うわけではないのですが、自然淘汰の法則にヒントを得た学習機能の発展型とも言えるものだと思われます。
ある命題を次々と生み出し、それを自然淘汰の如く篩に掛け、最適なデータを選択し実用化する。
外部から取り入れて学習するのではなく、自己の内部で行われる学習です」
「フン。なんだかんだと御託を並べはしても、人殺しを常に合理化、最適化し、それをオートで実行する鉄人形か……くだらんの」
SESSION・44
『使徒粛清』
「それで――
結局のところ、あのドグマのJ.A.とやら……NERVの手でどうにかできるのか?」
NERV本部技術部主任赤木リツコの私室では尚も極秘事項、J.A.に関する報告・検証が行われていた。
「どうにか、とは?」
霧島財団理事長の抽象的な質問に、ゲンドウがぶっきらぼうに応える。
「確か、あれはまだ生きておるのぢゃろう? セントラル・ドグマとやらで凍り付けにした挙げ句、特殊処理まで施して生体機能を意図的に低下させてはおるが、生かしたまま幽閉しておるというのは、あれを如何にかして利用できまいかと考えておるからぢゃろう」
故意にであろう、リツコもゲンドウも彼と視線を合わせようとしない。
沈黙を守ったまま、彼の話を聞いている。
「NERVは、無力ぢゃ。監視機構を敵に回そうとするならばな。
仮に今、使徒が一体この第三新東京市に舞い降りて、全てを破壊しながらアランソン侯抹殺に向かったとして、NERVは彼奴を守り切れるか? その手段はあるか? その力はあるか?」
一応、裏から人類の歴史に介入するという姿勢を取り続けていた監視機構が、いきなりそんな大胆な行動をとるとは考えにくいが……あくまで、これは仮定だ。
「――答えは否。
現存する兵器では、使徒のA.T.フィールドを破ることはできん。つまり、使徒には敵わんということぢゃ。
NERVの駒といえば、自由天使タブリスこと『渚カヲル』だけぢゃろう。
彼奴が、何故に中世と現世ふたつの世に存在しておるのかは知らぬが、あやつが侯を守るという保証も、NERV側につくという保証も、そして、監視機構使徒に勝てるという保証もない。……ならば、どうする?」
険しい表情のまま、彼はリツコ、そしてゲンドウを見据える。
「こちらが保有する唯一の力の可能性……J.A.をこちらのものにするしかあるまい?
J.A.を解析して、プログラムを改変し、こちらの戦力として利用する。
あわよくば、そのノウハウを投入した量産型の生産にも着手したい。
――NERVは、各国に支部を設置しようとしておる。アランソン侯を守護するためなら、ここで十分。
では、各支部は何のために存在するか?
容易に想像がつくわい。J.A.の解析、量産化計画を多角的に検討するためぢゃ。違うか?」
――JUDGE ADVOCATE
ある意味、この存在がこれからの対監視機構戦の鍵となるかもしれない。
現在、NERVが保有しているターミナル・ドグマのJ.A.は、恐らくDEATH=REBIRTHが倒した600年前のものだ。
NERVはこれを解析し、手駒としようとしてはいるが……
監視機構はどうだろうか。
この600年の間、J.A.に改良を全く加えることが無かったと言い切れるか?
もし、NERVの知るJ.A.のスペックを遥かに凌駕するニュータイプが既に完成されていて、それらの量産体制もが整っているとすれば……監視機構は、更に恐るべき存在となる。
そして、NERVとアランソン侯の生き残りの可能性が、ますますゼロに近くなる。
このJ.A.というものを如何様に扱い、如何様に見ていくかが今後の焦点のひとつとなることは、確実である。
「――わしの見るところ、アランソン侯はここ数日の内に覚醒するぞ。その秘めた力と共にな」
理事長は、厳かに言った。
「……なに」
思わず、ゲンドウが反応する。
表情こそ変わらないが、感じられる雰囲気が切迫したもの変わった。
「貴様、一体……」
ゲンドウ自身、――いやエンクィスト財団最高幹部である『ゼーレ』の誰もが、完全に理事長の一種超常的な能力の全てを把握しているわけではない。
得体の知れないブラックボックス。そんな部分がこの男にはある、その程度の認識だ。
ただ、やはり特筆すべきは、彼のその能力が十分信用するに価する信憑性と実績を誇るということだろう。
永年に渡って培われてきた霧島の血。
古来より続く、霧島の歴史。
常人が興味本位で首を突っ込んだところで、柔軟性のない無粋な科学のメスを入れたところで、一筋縄に扱えるものではない。
「わしに何故、それが知れるかはこの際問題ではなかろう、碇。
今、お前が考えるべきは、これからのことぢゃよ。
NERV総帥として、如何に足掻いてみせるか……今は、それを考えるんぢゃな」
「――貴様に言われずとも、重々承知だ」
そうは言ってみても、やはりゲンドウの声音にはいつものような力がない。
それも当然。
如何考えても、数日でJ.A.の全てを解析し、NERVの尖兵として作り替えるのは不可能である。
長期的な目で見れば、J.A.解析プロジェクトは対監視機構へのひとつの布石として意味を成すだろうが……
その前に、NERVの存在意義のひとつ――ゲンドウにとっては最重要事項、アランソン侯守護に失敗しては全く意味がない。
「碇司令……」
リツコも、そのゲンドウの胸中を察して悲痛な視線を送る。
が、ゲンドウが今必要としているのは、そんなものではない。
NERV総帥にして、人類監視機構対策実行特殊部隊の総司令官としての力だ。
迫り来る使徒迎撃に向け、それを為すために必要なだけの力を、彼は欲しているのだ。
「……赤木のりっちゃんよ」
研究資料に埋もれるような、雑然とした赤城博士の研究室内を支配する重い空気を払拭するかのように、突然、財団理事長が口を開いた。
「えっ……あっ、は……はい?」
断っておくが、リツコは財団理事長とは初対面である。
とんでもない爺だという噂は聞いたことがあったが、その男から……いや、初対面の人間に『赤木のりっちゃんよ』などという呼ばれ方をしたのは初めてだ。
「実際のところ、アランソン侯が中世にの記憶と共に覚醒した場合、監視機構がそれを察知し、なんらかのモーションを起こす可能性、それまでの時間はどれくらい掛かると考える?
……御自慢のスーパー・コンピュータ『MAGI』とやらで、そのくらいのことは既にシミュレート済みぢゃろう」
「はい」
話題が予想外に事務的なことだったので、リツコは辛うじて平静に応えることが出来た。
「確かに、それらに関しては既にシミュレートを試みましたが……データ不足のため、MAGIは判断を保留しました。出た結果はあくまで参考用の可能性の列挙でしかありません」
「……まあ、そうぢゃろうな」
リツコの方向を聞いても、彼はさして動揺したようには見えない。
恐らく、最初からその回答を予測していたのだろう。
監視機構自体が、全く謎のベールに包まれているのだ。
ある意味、MAGIが判断を保留するのは、当然のことだろう。
「ただ、渚カヲルから得た600年前の監視機構の性格上、アランソン侯の存在が察知された場合、ほぼ100%に近い確率で、監視機構は動くとMAGIは予測しています」
「……フム。それで、その動きとは具体的になんぢゃ?」
「MAGIは67通りの可能性を提示しましたが、もっとも確率が高いのは、『使徒』若しくは『J.A.』に類するものによるアランソン侯の抹殺です」
「……」
ゲンドウは、沈痛な面持ちでリツコの言葉を受け止めている。
今のところ、口を出すつもりはないようだ。
それにここまでは、MAGIを使わずともネルフ総帥として既に予測済みの展開である。
「……ただ、MAGIはJ.A.が送り込まれてくる可能性は低いと見ています。
刺客として送り込まれてくるとすれば、恐らく、監視機構所属の天使――すなわち、使徒でしょう」
「その根拠は?」
「監視機構の性格上……無論、これは600年前の、と言うべきでしょうが……とにかく、彼らは歴史の表舞台に立つことを望まないと考えられます。
中世のように、ロボットやアンドロイドといった知識や概念が無ければ話は別ですが、人型とはいえ、誰が見ても人あらざる存在、J.A.がこの新世紀に送り込まれてきたら、広く一般にも監視機構の存在が知れ渡る可能性があります。
また、もともとJ.A.は、リリア・シグルドリーヴァ――即ち、ゼルエルのような監視機構に反目する『使徒』粛清を目的として開発されたものだと渚カヲルは語っています。
これらを総合した時、目立ち過ぎるJ.A.がこの新世紀に送り込まれて来る可能性は低いと結論づけることができるでしょう」
「無論、それはJ.A.が600年の間改良を加えられず、外見上の変化もないと仮定した時の話ぢゃな?」
「――はい」
中世からこの新世紀にかけて、J.A.がどのように変わっていたのかなど想像すら出来ない。
もし、人間そっくりのJ.A.が出来ていたら?
そういった可能性も、十分考えられるのだ。
だから、MAGIのシミュレートはあくまで参考程度にしかならない。
「我々人間が考えるような、通常兵器……ミサイルや爆雷などによる攻撃の可能性は?」
「勿論、あり得ます。ですが、やはりそれは目立ち過ぎるでしょう。
私見ですが、監視機構がそういった人間的な動きを見せるとは、統計上考え難いとは言えると思います」
あくまで、監視機構は隠密行動として、アランソン侯=碇シンジ延いてはNERVの消去を実行する。
それが、MAGIの予測である。
「いっそのこと、監視機構の存在を全世界に公表して、人類と監視機構双方の反応を窺ってみたいものぢゃな?」
「……危険過ぎる」
ゲンドウが、此処にきてようやく口を開いた。
「結果、監視機構が人類全てを敵として捉えた場合、それが、即座に人類の滅亡を意味することを忘れるな」
「分かっておる。
……ぢゃが、碇。監視機構が人類を滅ぼす気があるのなら、既に実行し、それは成功しているとは思わぬか?」
「確かに、監視機構はあくまで我々人類の進化の過程への『介入』を行うに留めている。
それが、何故かは分からん。奴等の目的もまったく不明だ。
しかし、奴等に今のところ我々を滅亡させる意志はないにしても、それだけの根拠で刺激を与えるわけにはいかん」
「では、他になにか妙案でもあるのか、碇?」
「……」
そのゲンドウの沈黙は、何よりも雄弁に現状を語っていた。
「フッ……まあ、よいわ。これからの対策は頼りないが碇に任せることにして――赤木のりっちゃんよ。J.A.に関する考察を続けてみようかの?」
「……はい」
感情を面に表さない女性としてNERVではその名を知らぬものなどいない赤木博士ではあるが、少し心配そうな一瞥をゲンドウにくれると小さく頷いた。
「わしなりに幾つか疑問点を挙げてみた。まずは、これらに関する研究結果から教えてもらおう」
「はい」
理事長はひとつ満足げに頷くとはじめた。
「まず、あのJ.A.はフランスで発見されたといったの? この新世紀に至るまで、監視機構がこのJ.A.を放置しておったのは何故ぢゃ」
中世あたりの技術では、仮にこのJ.A.を解析してみても何も分かるまいが……
新世紀となると事情は違う。
オーバーテクノロジーの固まりとして重宝される、研究材料の提供だ。
結果、人類の科学技術を飛躍的に助けてしまう可能性すらある。
監視機構にとって、これはどうやっても避けたい事態であるはずなのだが、現に今、NERVはそのサンプルを入手している。
理事長ならずとも、疑問を抱くのは当然であった。
「それは、DEATH=REBIRTHのおかげです」
リツコは落ち着いた口調で言った。
「ほう。リリア・シグルドリーヴァの……」
興味を覚えたのか、口髭を撫でながら理事長は面白そうに呟く。
「渚カヲルの話によれば、彼女は力を司る使徒『ゼルエル』であるそうなんですが……、彼女は監視機構を裏切りました」
「……うむ。ノープロブレムぢゃ」
「そして監視機構に反目するこのリリア・シグルドリーヴァを殲滅せんと、送り込まれたのがこのJ.A.です。
しかし結果的に彼女の手によって返り討ちにされたと予想されます。そのうちの数体を、リリア・シグルドリーヴァは各地に隠したようです。後の世の為に――」
「つまり、それを発掘できるだけの技術を人類が持ち得た時、人類監視機構に対抗するためのサンプルをDEATH=REBIRTHは残しておいてくれたというわけか?」
「そうです。彼女は、戦闘員としてのみでなく諜報員としても超一流の腕を持っていたようですから、ある意味この程度のことはやって当然かもしれません」
「フム……」
納得したのか一頻り頷くと、彼は続けた。
「DEATH=REBIRTHが出てきたんでついでに訊くが、J.A.にもやはり彼女のようなA.T.フィールドとかいう能力が備わっちょるのか?」
「――いえ。確かなことは言えませんが、このサンプルを解析した限り、A.T.フィールドを展開するだけの能力を持っていたとは思えません。なにしろ、J.A.には心がありませんから」
「……心?」
怪訝な表情で訊き返す理事長に、リツコが解説する。
「これもまだ良く分かっていませんが、A.T.フィールドはそのエネルギー源を魂や心といった、人間からすれば概念的なものから引き出していると考えられます。厳密な意味では違ってきますが、掴み易いイメージで言えば精神エネルギーのようなものです」
「ほう……。成る程。監視機構は不確定要素ともなるべき心を何故使徒に与え、何故それを封印するといった無意味にややこしいことをしておったのか合点がいかなかったのぢゃが……」
確かに、彼の言うことも分かる。
心や情緒が精神攻撃の類に左右される弱点と考えたのなら、わざわざ封印などという手を使わず、最初から使徒に与えなければいいのだ。
「心がA.T.フィールドを生み出す1種の発生装置であるとすれば、それらの疑問は解消される。
そしてプログラムで作動するJ.A.にA.T.フィールドが備わっていないというのもまた納得できるのう」
「ゼルエル、タブリスといった最強の天使たちの反抗を相次いで受けた監視機構は、それなりに焦ったのかも知れません。我々の兵器のほとんど全てを無効化する絶対領域――即ち、A.T.フィールドさえなければ人類にも勝利できる可能性はありますから」
「しかし……J.A.は監視機構に反目する使徒の粛清を目的とするんぢゃろう。
A.T.フィールド無くして使徒を殲滅できるのか、このJ.A.に?」
彼の疑問も尤もである。
使徒がこの世で最強の生命体であるという所以は、A.T.フィールドにあるからだ。
このA.T.フィールドを破らずして、彼らに勝利することはできない。
そしてそのA.T.フィールドを破る手段は、同じA.T.フィールドによって中和或いは侵食して無効化するくらいしかないのだ。
「それなんですが……」
霧島理事長のその言葉を予期していたらしいリツコは、落ち着いた口調で解説しだした。
「理事長もご覧になったかと思いますが、J.A.の人間で言う口に当たる部分には、窪みがあります」
リツコのその言葉とともに、モニタにJ.A.の頭部画像が映し出される。
「詳細は不明ですが、この部分の窪みはJ.A.にとってある種、粒子砲のようなものであると思われます。
ただし、我々が知っているような通常の認識が通用する粒子ではなく、A.T.フィールドをある程度まで無効化する特性を持った特殊粒子によって構成されるビーム砲であるとMAGIは予測しています」
「ほぅ……攻撃面では、A.T.フィールドに対する問題は解消されるわけぢゃな」
「恐らく。……防御面では、彼らの皮膚の役割を果たす先程の超硬質マテリアルが彼らをサポートするのでしょう」
「そのJ.A.の装甲は、我々人類が有する兵器で破れるのか?」
「まだデータ不足ですが、論理的には可能だと思われます。恐らく、核兵器クラスの武器を応用すれば。
国連軍にはNN爆雷という非放射性の強力な通常兵器があります。あれなら通用するでしょう」
「それに――」
ここにきて、また生ける彫像と化していたゲンドウが口を開いた。
「何も破壊する必要はない。貫通力の高い粒子を用いて中身やプログラムだけ破壊するか、或いは分子振動で分解でもすれば良い」
「……どちらにしても、結構大変そうぢゃのう? そのNNなんちゃらを使った日にゃ、どでかいクレーターなんぞ出来て、地図を書きかえる羽目になりそうぢゃ」
「確かにかなり大規模な兵器を用意しなければ、J.A.に有効な打撃を与えることが出来ないことは否定できません」
リツコは冷静にそう言った。
そして、今度は一転、驚嘆の念を込めて続ける。
「しかし、このJ.A.は下半身が溶断されたように切り取られています。
一体、DEATH=REBIRTHはどんな手段を使ったのか……まったくもって面白いサンプルです」
そのリツコの声を聞いて、理事長は少し驚いた。
「なんぢゃ? おぬしら、あのDEATH=REBIRTHのことを詳しくは知らんのか?」
「我々の持ち得る監視機構と、使徒、そしてJ.A.の情報とデータは渚カヲルの話から断片的に窺い知るか、このサンプルを解析して得るかしたものでしかない」
ゲンドウは仏頂面のまま、抑揚のない声でそう言った。
「DEATH=REBIRTHには、『デス・クレセント』と呼ばれる光の死鎌があるんぢゃ。
確か、A.T.フィールドとサイ・エネルギーを応用した2枚刃のエネルギー・ウェポンでのう。
1枚目のA.T.フィールド製の刃で相手の防御用A.T.フィールドを侵食し、2枚目のサイ・エネルギー製の刃であいてそのものを両断するという、そりゃもう恐るべき武器ぢゃ。
あれを以ってすれば、J.A.の装甲なんぞ、半洋紙を切り裂くようなもんぢゃ」
「A.T.フィールドの武器への応用……」
唖然ととした表情で、リツコが呟く。
そういえば、アランソン侯の過去を体験した財団理事にすればA.T.フィールドはお馴染みの存在であったが、この新世紀の全ての人間、エンクィスト財団もゼーレも、そしてNERVもA.T.フィールドを、そしてあの凄まじいばかりの死神と天使の対決を実際見たことがあるわけではないのだ。
「やれやれ。結局はこれがネルフの実情ということかの……」
――リリア・シグルドリーヴァ。
彼女の存在、必要性が、財団理事長のなかで急速に大きくなりつつあった。
再びこの目で見たいものぢゃ。
新世紀の人間すらまったく歯が立たぬバケモノの集団に立ち挑み……
そして、たった1騎で全てを殲滅してみせるあの最強の天使。
今、彼らには彼女のような絶対的な力が、必要なのであった。
SESSION・45
『堕ちてゆく神の欠片』
凄まじい勢いで渦巻く乱雲。
深淵の闇を切り裂く、稲妻の閃光。
目にするだけで、呼吸に支障をきたすかのような、絶望的な暗黒の霧をその躰に纏いながら、ゆっくりと力を解放する。
目も眩むばかり光り輝くそれは、闇を切り裂く天使の翼。
限りなく無限に近いA.T.フィールドのエネルギー帯で構成された、12枚の光の翼。
その溢れ出す力の奔流が、大気を激震させる。
ねっとりと重い暗黒に支配された『世界の中心』で、神に挑む。
宙より矮小なる得物をじっと見据える猛禽の如く深い闇と空に抱かれて、全ては終焉を迎えるか。
時は、来た。
――最後の聖戦ははじまる。
「さあ、はじめよう……」
“彼”は、唄うように言った。
「貴様、我らを敵に回し……勝てるつもりか?」
対峙する、4体の大天使を統べる長が吠えた。
彼の背にも、“彼”と同じく12枚の光り輝く翼がある。
パワー・スレイヴと呼ばれるこの翼は、『A.A.』即ち、エンシェント・エンジェルと呼ばれる天使の最上層しか纏うことの出来ぬ、力の証である。
下次元に送り込まれる使い走りの使徒クラスとは、訳が違う。
神に最も近しい存在たるエンシェント・エンジェル――大天使は、全てを揺るがす圧倒的な力を持つのだ。
そして集いたる大天使たちは、この世界の中心に、まさに彼らを神たらしめるシステムを作り上げていた。
それが――
「勝てずとも良い」
“彼”は、あっさりとそう言った。
「これは、反抗の意志。ただ、それを貴兄たちに思い知らせば、それで良い」
「何故――」
“彼”を取り囲むようにして対峙する、4体のエンシェント・エンジェルのひとりが呟いた。
が、それは何処かに轟く雷鳴か、プラズマの溜め息かに掻き消される。
「ただ、自らに反目する者とて存在し得る。……身を以って其れを知るがいい」
「下級層使徒たちを統べる位置にあり、明星と呼ばれた貴公が、自らの神たる地位を捨て我らに挑むというか」
「……そうだ」
“彼”は、無感動にそう言った。
「神など必要ない。我々の行為はただの戯れに過ぎぬ。
受け容れることを知らぬ、虐げることしか知らぬ神なら、滅びて然り。神を気取る貴兄らにこそ、死は相応しい」
「必要故に、彼奴等は神を――使徒を望んだのではないのか?
人は支配を望む。より強い者に、より強大なシステムに管理されることを望む。それ故の我らではないのか?
我らは、彼奴等が必要によって存在し、永久に在り続ける。我らに死は必要ない。
……死は、貴公に与えよう」
それが闘いの合図となった。
羽ばたく光の翼は、それだけで大気を激しく振動させ、強力な真空波、衝撃波を生み出す。
しかし、これらの爆発的な攻撃力も、彼らA.A.にとっては一挙手の際に生まれる副産物にしか過ぎない。
羽ばたきによって生まれたエネルギーは、同じく光翼の瞬きによって相殺される。
ただ、それだけのことだ。
戦闘が開始されると同時に、ただ漆黒の闇の中に佇んでいた4騎の大天使たちが、“彼”の周囲を旋回するようにゆっくりと動き出した。
如何な荒ぶる者を統べる軍団長たる“彼”でも、この4騎の偉大なるA.A.を相手にどこまで抗って見せるか。
徐々に旋回速度を上げてゆく大天使たちは、それぞれ虚数空間で生み出した対消滅エネルギーを召喚した。
それをA.T.フィールドを以って物質化寸前まで縮退し、内圧が最大に達したところで、指向性を持たせて一気に放出する。
下級の使徒クラスでも、この技術を扱える物があるが、大天使のそれは扱うエネルギー量と規模の次元が違う。
また、A.T.フィールドに加え強力な電磁界、意図的な電離域を生成するという高等技術を応用してみせることで、大気中にありながらもそのエネルギー帯は拡散すること無く一直線に突き進む。
無論、その軸線上には“彼”の姿が補足されていた。
4本の光の奔流は、周囲の大気をイオン化し、光軸を中心として半径300Mに渡って強烈至極なプラズマ渦流と超高熱を巻き起こしながら、“彼”へと向かう。
やがて4本の光軸は目標である“彼”を中心に交わり、小惑星クラスなら、瞬時にして蒸発させるほどの爆発を引き起こした。
現に、膨大なエネルギーの衝突と暴走に、クロス・ホエンが揺れる。
更には、あれほどの勢いで渦巻いていた黒い積雲は瞬時に消し飛び、漆黒に支配されていた空間に無数に漂う小遊星の数々が気化した。
あまりの爆発力に僅かながらも空間が歪んだか、高熱とプラズマが爆心点で渦巻き視界が晴れず、4本の光軸の直撃を受けた“彼”がどうなったのか、未だ窺い知ることは出来ない。
ただ、あれ程の攻撃を一身に受けた以上、“彼”が如何な最強を誇る大天使のひとりと言えど、とても耐え切れたとは思えない。
蒸発して、このクロス・ホエンより消し飛んだか……
それが、その世界の中心に佇む、4騎の大天使たちの一致した見解であった。
暫し沈黙の時が続く中、遥か遠方より黒き乱雲のようなものが近付いて来るのに彼らは気付いた。
招集を受けていた、下級天使――すなわち、使徒たちの軍勢である。
本来魂だけの存在である彼らだが、具象思念を用いて擬似的な肉体を纏っている。
その総数、約1億2300万。
全天を覆うかの如き黒雲とも写るのは、その数ゆえである。
突如反抗の意志を表明した、“彼”は、この天使たちの軍勢を統べる総司令官として君臨する最強のA.A.だった。
だが、遅れ馳せながらその配下であった下級天使たちが、他でもない“彼”を殲滅すべくこの象限へ駆けつけたのだ。
皮肉以外のなにものでもなかった。
「少し遅すぎたか。既に、奴は――」
ようやく援護に現れた下級天使たちの群れを見詰めながら、そっと口を開いた大天使の1人ではあったが、その声は、突如轟いた獣の咆哮のようなものに乱暴に遮られた。
「!」
空間が裂けるのではないかとも思わせるほどの圧倒的な衝撃と轟音。
「おおッ!」
音源に目を向けた大天使の1人から、驚愕の声が上がる。
ようやく視界の利くまでに晴れた爆心点の中心に、光り輝く繭が見える。
いや、それは正確には、12枚のパワー・スレイヴでその躰を包み込んだ“彼”の姿である。
絶対的な防壁であるA.T.フィールド製の翼でその身を覆うことで、あの驚異的な光の暴走を受け止めてみせたというのか。
彼は、まだ冷めぬ熱に蒸気を上げるその翼をゆっくりと開いていった。
一瞬後に、暗き闇に支配されたこの空間を、白熱で支配せんとばかりに放たれた眩い閃光が、大天使たちの網膜を焼いた。
先程、4人のA.A.が“彼”に放ったそれを遥かに凌駕する光の奔流が、逆に襲いかかってきたのである。
“彼”が、反撃を開始したのだ。
4騎の大天使たちは恐るべき反応速度を発揮せんと、その光の翼を大きく羽ばたかせ、放射線上から急速離脱を図る。
「……ぬぅッ!」
が、2騎が間に合わず其々――光翼、右腕部を、その狂気とも言えるほどに強大な光の奔流に抉り取られる。
当然、それ程のことでは光帯は些かも勢いを失わず、更に直進を続けた。
4騎の大天使を掠めて突き進むその延長線上には、まさに、今飛来しようとしている下級天使たちの群れがあった。
大天使たちの目には、遠方の使徒たちの群れに、まるで一斉に花開いたかのような橙色の群れが写った。
使徒たちが、向かい来る光帯を防がんとするため、各々A.T.フィールドを展開したのである。
だが、“彼”のパワー・スレイヴと下級天使の脆弱なA.T.フィールドでは比較にもならない。
光の奔流は天使たちの群れに接触すると、それまでの直進から軌道をずらすように真横に薙ぎ払われる。
瞬く間に、使徒たちの群れは、巨大な光の流れに飲み込まれていった。
遠方から凄まじい爆音が、大天使たちのもとまで轟いてくる。
狂気じみたと表現しても、些かも大袈裟ではない恐るべき威力を秘めた光の奔流が、ようやく消え去った後、残ったのは、何とかその直撃を免れた幸運な者たちのみ。
1億2000万を数えた彼らは、1瞬にしてその9割5分を失っていた。
「我らの攻撃を無効化されたばかりか、一瞬にして使徒たち1億を葬り去るか。恐るべき奴よ」
大胸筋から先、右腕全てを溶解された大天使の1人が感嘆の声を洩らす。
失われたその部分は、既に驚くべき速度で再生をはじめているが、何しろ右胸をごっそりと奪われたのだ。
体力をかなり喪失したし、再生が完全に終わるまでかなりの時間を要するだろう。
「このまま彼奴と戦い勝利を上げたとしても、我が方も甚大な被害を被ることは必至」
同じく、光翼を数枚抉り取られた大天使のひとりが、苦痛に顔を歪めて言う。
「……ならば、終わり無き次元の狭間で永遠の眠りにつくがいい」
彼らを統べる大天使長が、宣言した。
あらかじめ用意されていた、最後の手段である。
「コアと本体を別離させ、本体を次元封印にて亜空間へ。コアは下級層の次元へ転生させることで封じる!」
「承知」
其れを合図に、また4騎の大天使たちは散開し、“彼”を取り囲むように布陣を敷いた。
「むっ――?」
これまでとは全く違った動きを見せる相手に、“彼”はその柳眉を顰める。
一応の警戒態勢を取るが……相手は、何か法式を整えているようで動きを見せない。
恐らく、何か大規模な禁呪を放とうとしているのだろう。
「させぬ!」
呪力が発効する前に、相手を叩く!
“彼”はそう判断して、大天使の1騎に攻撃を仕掛けんと飛翔したが――彼の放った光の奔流を免れた下級天使600万の残群が、その進路に割込むように大挙して襲いかかってきた。
如何に下級天使相手とはいえ、これ程の数に接近戦を挑まれると、些か厄介ではある。
「邪魔をするなッ!」
明らかに、エンシェント・エンジェルたちが禁呪を開放するまでの時間稼ぎである。
開き直って、守りに徹した相手を切り崩すのは困難を極める。
それでも“彼”は、その手に作り出した光の大剣をかざし、1振りごとに幾体もの使徒を葬っていく。
だが、相手は数百万の軍勢である。
一向に道は開けない。
「心を持とうとせぬ貴様ら人形に、何が分かるッ!」
“彼”は使徒たちの群れからようやく距離をとると、今一度虚数空間で引き起こした対消滅によるエネルギーを、このクロス・ホエンに転移させる。
A.T.フィールドで閉鎖空間を作り、そのエネルギーを閉じ込めて圧縮していくまでは、先程の過程と全く同じだ。
だが、ここからは違う。
この次元に現出させた爆発的なエネルギーを、A.T.フィールドを用いて空間の一点に閉じ込め、内圧極限まで膨れ上がったところで、A.T.フィールドに無数の小さな開放点……穴を開けてやるのだ。
抑えられていた力は、高圧によって二次的エネルギーに変換されて無数の熱線となって周囲の対象に襲いかかる。
恐るべき貫通力を秘めた、A.T.フィールドでは防ぎきれない光線のシャワーが、600万の使徒たちの中心から放出される。
瞬く間に全身を無数の光に貫かれ蜂の巣となった下級天使たちは、あっけなくその生命活動を永久に停止された。
――全滅である。
「遅かったな……」
何とか使徒たちを全て片付けたものの、時既に遅し。
禁呪の体勢を整えた大天使たちから、終焉を告げる声が掛けられた。
「ッ……!」
その声にキッと鋭い視線を走らせる――と、同時に“彼”に向けて四方から『グレイプニル』が放たれた。
禁呪が効力を発揮するまでにはいささか時間が掛かる。
それゆえ相手が十分な力を有する場合、それまでに回避行動をとられてしまうのだ。
グレイプニルはそのために開発された、タイムラグを埋めるための超高密度のアンチA.T.フィールド製呪縛網である。
いくら雑魚相手とは言え、一気に片付けるために大出力の召喚系法術をもちいた“彼”に、一瞬の隙を突かれた形で仕掛けられたその攻撃を避けることは不可能だった。
「ぬかったッ!」
光り輝く強靭な呪縛網が瞬く間に“彼”に絡み付き、その四肢を拘束する。
グレイプニル自体がANTI-A.T.フィールド――すなわちA.T.フィールドを無効化する呪力帯で構成されているため、パワー・スレイヴを以ってしてもその呪縛から逃れるのは難しい。
なんとか可能にしても、かなりの時間が掛かるだろう。
無論、そんな時間を与えてくれる相手ではない。
「さあ、出口無き次元の狭間を永劫に漂い続けるがいい……」
「我ら神たる存在に挑んだ己の過ち……」
「悔いるがいい……」
「さらば、同士……」
最後の言葉とともに禁呪が執行された。
次元封印である。
「悔いるのは貴様らよ!」
“彼”は叫んだ。
もはや、彼を次元の彼方へ幽閉せんと迫り来る4つの次元の門から逃れることは出来まい。
しかも、送り込まれる亜空間はANTI-A.T.フィールド粒子のみで構成された、大天使としての能力がすべて無効化される閉鎖空間であろう。
となれば、内側からはフィールドを使った如何なる技も使用することは叶わぬ。
つまり自力で次元の歪みを生み出して、内側からその閉鎖空間から脱出することは不可能であるのだ。
神を気取ったこの大天使たちの言う通り、“彼”は永遠にその無効化粒子の海を漂い続けることとなるだろう。
だが、それでも彼は叫んだ。
「我は必ずや戻って来る! その時こそ……」
最後の咆哮は、次元の歪みが織り成す暗黒の雫のなかに消えていった。
だが……
――それは、魔の誕生を意味した。
TO BE CONTINUED……
あ〜、ちなみにですね。
私は文系出身なんで、科学考証はとってもデタラメです。
見逃してくれ! 甘い私を(笑)!
「――無様ね」
次回予告
突如相田ケンスケの招集を受ける人々。
待っていたのは、怪しげな闇と、
世にも不思議な演出であった。
「ちょっと、相田君! それってどういう意味よぉ?」
「オレの時代が来たっ!」
恐怖の色が浮かんでる……
次回
おまけコーナー
第17回
『ピュセル・デ・カルタ!』
PUCELLE DE KARUTA
ケンスケ 「寝起きの写真? 学校で撮ったんだよ」