――でも怖くはない。


中世編最終話

MEDIEVAL X
「あした世界が終わる夜に」
RETURN TO THE:51 『幸せの涙よ』
RETURN TO THE:52 『I Have No Mouth,and I Must Scream』
RETURN TO THE:53
『あした世界が終わる夜に』
RETURN TO THE:54 『綾波レイと、碇シンジ』
RETURN TO THE:FUTURE→ 『時空の扉たたいて』





RETURN TO THE:51
『幸せの涙よ』



 アランソンの街は、田舎だ。特に主要とする産業もなければ、商業の中心地というわけでもなく、戦略的な重要地というわけでもない。長閑で平和な、ただの田舎だ。領主である僕が保証する。
 だからというわけではないが、自然はとても奇麗だ。そのことは、口には出さないがピュセルも気に入ってくれたようだった。その証拠に、日が落ちると毎日のように、彼女は夜空に浮かぶ月を見に城内の庭園に散策に出ている。月を司る使徒だからか、彼女は月を見るのがとても大好きらしい。
 僕も毎日それに付き合うようにしていた。特に何をするわけではない。ただ、夜風を感じながら月下の庭園をふたり並んで歩くだけだ。でも、そんな平和な時間が僕らには必要だったし、掛替えのないものだった。
 アランソン城の庭園は、とても美しい。実を言うと、ここの手入れをしているのはエイモスである。何かにつけて僕の後ろを着いて回りたがる、ロンギヌス隊の長老格の、あのエイモスだ。彼は庭弄りが大好きで、ちゃんとプロの庭師がいるにも関わらず、なにかと手を入れたがる。ここのところ、僕に随伴して戦場を駆け回っていたおかげで、庭に触れることができず鬱憤がたまっていたらしい。この数日というもの、植木にかじりついている彼の姿が幾度か確認されていた。

 5月27日。その日は、月が新円を描く夜だった。
「奇麗な満月だね」
 僕は、傍らを静かに歩くピュセルに言った。彼女は、コクリと小さく頷く。
「知ってる? 月、特に満月には魔力があるって言われてるんだ。ルナティックって言ってね、狂気を象徴するんだって」
 ピュセルは何も応えない。でも、彼女と付き合うのならこんなことでしょげていてはいけない。何故なら、彼女は決して話を聞いていないわけでもないし、応えないからといって煩わしく思っているわけではないからだ。もし、何らかの不快な感情を抱いたのなら、「さよなら」と言うか、或いは無言で去っていくことだろう。ピュセルの美しさに惹かれて言い寄る騎士や傭兵達が、幾人もそうやって撃退されているところを何度も僕は目撃している。つぶさに観察している内、いつしか僕はちょっとしたピュセル研究家になっていた。
「ピュセル、少し休まない?」
 結構広い庭園内を一周すると、僕は彼女にそう言った。ピュセルは頷くと、風にそよぐ芝の上にチョコンと御行儀良く腰を落とした。
 彼女は、この時間だけは男装を解き、普通の少女の服装に戻る。今日は白いレースの付いたドレスに、薄いショールを羽織っていた。自分だけが、女性の服を着た兵士としてではない、女の子としてのピュセルを知っている。僕の密かな自慢だった。
 何故だろう。今、僕はすごく落ち着いていて、すごく心地良く、すごく安らかだ。ピュセルといると、決まって時がゆっくりと優しく流れるような感覚がする。傍に居るだけで、なんだか安心できる。凄い包容力をもっている娘なんだろう、彼女は。
 でも最初は――シノン城で初めて出会った頃は、こんなものじゃなかった。ドキドキと胸は高鳴るばかりで。ちょっとした沈黙が、とても居心地が悪くて、あせって話題を探して。その紅い目で見詰められる度に、僕は酷く狼狽して途端に平常心を失ってしまっていた。
 それも今は違う。沈黙は、恐怖じゃない。自然と言葉が交わされるし、紅い目に僕の姿が映されるのが、たまらなく嬉しい。妙な焦りも何も感じず、ただ静かな夜が過ぎてゆく。それが、とても楽しく、とても大切なものに思えるのだ。

「あなたは……」不意に、ピュセルがささやくように口を開いた。「あなたは、何故、この街を作ったの?」
 その言葉の意味を、僕は受け止めきれなかった。
「今のこの街を作り上げたのは、あなただわ」
「この街――?」
 確かに、そうかもしれない。僕は父が亡くなって爵位を継いだ時から、この街のシステムを基盤ごと変革していった。結果、街の雰囲気や所によっては外観さえもガラッと変わってしまっただろう。ならば、この街の今を作り上げたのは、僕だという解釈は多分に成り立つことになる。
 考えをまとめると、僕は口を開いた。
「僕は、神様が嫌いだ。神様に頼るのも嫌いだ。前に幾度かそう話したよね?」
 ピュセルが頷くのを確認してから、続ける。
「じゃあ……って考えたんだ。人は、どんなときに神様に縋っちゃうんだろう。どんな人が神様を必要としているんだろうって」
 ピュセルは、じっと僕の横顔を見詰めたまま、僕の話を真剣な表情で聞いている。
「答えはそう難しくはなかった。自分の力ではどうしようもない、環境や社会によって不幸にされている者。そういった人間が、信仰に逃げ出すんだ。具体的に言えば、貧困だよ。お金がない。働いても働いても生活が楽にならない。その上、傭兵や野盗たちがいつ襲い来るか分からない。そんな荒廃した世の中。力無きゆえの絶望。それを支えてくれる人など、彼らには誰もいない。だから、心の在り所をついには神に、信仰に求めてしまう」
 これは、僕自身の調査によって導かれた結論だ。現に極度の貧困地帯、経済的に不安定な村であればあるほど神への深い信仰と、崇拝が見られるという事実がある。
「このアランソンもそうだった。やっぱり、餓えて死んでいく者、苦しさあまりに物を盗む者、今でこそほとんど無くなったけど、依然はそんな人たちが大通りに溢れ返っていた。そんな状況じゃ、たしかに神様にも縋りたくなるよ。誰も頼れない、誰も信じられないような荒んだ環境の中で、人との絆を信じて諦めないで生きようよ、なんて奇麗事を言えば翌日死体になって転がっているような世の中では」
 彼女は一言も口を挟むことはしなかった。その表情からは、僕の話に何を感じているのか、どんな考えを持っているのかを窺い知ることはできない。
「――だから、変えたかった。まずは、獣としてではなく人として心を大切に育んでいけるような環境を作りたかった。その為には、傭兵や盗賊からの自衛のための力と、そしてせめて人として最低限の暮らしを営めるだけの経済力が必要だった。経済力を持つと、人の心には余裕が生まれる。秩序も受け入れられやすい。だから、僕はその方面のエキスパート達を掻き集め、知識を深めると共に、彼らをブレインとし基盤を固めていった」
 思えばそれを実行に移した時、僕は生まれて初めて自慢できる行動をとったのだろう。自分で考えて、自分で決めて、一生懸命努力して、自分を好きになれる行いをした。それこそ、このことでなら、僕は神に胸を張れる。そして、そのことをピュセルに話せるのは何よりの喜びだった。
「難しかったよ。物凄く大変なことだった。自分の無力を何度も呪った。自分がどれだけ甘かったか、無知だったか、街ひとつ蘇らせるのが如何に大変なのか、身に染みて分かったよ。
 だけど、母上もリジュ卿も、エイモスも、ロンギヌス隊のみんなも僕を支えてくれた。力を貸してくれた。少しずつ良くなっていく街を見て、一緒に喜んでくれた。そして、今のアランソンの街が出来上がった」
 僕はピュセルに微笑んで言った。
「だから、僕たちが作り上げた街で皆が笑って暮らしていける。通りを歩けば皆がありがとうと言ってくれる。アランソンをそんな街に変えることが出来た、そのことが僕にはとても嬉しいよ」
「――どうして、あなたがそんな役を買って出たの」
 じっと僕の話を聞いていたピュセルが、はじめて口を開いた。
「これでも領主だからね。それに、自分を好きになりたかった。これだけはやり遂げたんだぞって自信が欲しかった」
 あの頃は、母上を支えられる一人前の男になろうと、幼いなりに必死だった。僕はひ弱で泣き虫だった頃の自分を、懐かしく思い出していた。
「そして、なにより皆に笑って欲しかった。民あっての領主。本当に守られているのは僕の方なんだけど、それでも領主として、人間として皆の生活を守りたかったんだ」
 ピュセルは何も言わなかったが、そんな僕を優しい目で見詰めていてくれた。

 謂れの無き虐げを、環境から、社会から、世界から受け苦しむ者。生まれながらの試練に流され消えてゆく、弱き者たち。
 僕は、その人々を微笑ませようとした。そのために強くなろうとした。世界の弱者達の支えとなりたかった。
「私は、その支えを神に求めた――」
 ピュセルは、寂しそうにそう言った。彼女の言葉の意味が、今ならわかる。
 拒絶の対象でしかなかった自分。人とは明らかに違う容姿をし、明らかに異なる力を持ち、悪魔の子と冷たい視線に苛まされて育ってきた。だから自分は、人という生物には決して受け入れられることのない存在であると信じ込んでいたのだろう。
 故に人を超えるもの『神』に縋るしかなかった。全ての創造主たる神ならば、きっと自分を全て受け入れてくれるであろうと。
 人あらざる、蒼銀の髪も、白すぎる肌も、真っ赤な瞳でさえも。父なる主であれば、愛してくれるかもしれないと、ただそれだけを信じて、それだけに願いを託して、彼女は信徒となったのだろう。
 そして、その日から人との関わりを捨ていた。自ら孤独を選らび、心を閉ざした。だけど、その迫害の対象となった『異形』と『悪魔の力』を彼女に与えたのは、他ならぬその神たる存在そのものだった。
 信じ、唯一の心の拠り所たる存在の恣意が、彼女を苦しめるその元凶であったとは――皮肉で、哀しい事実だ。真実はいつも辛くて厳しい。

「私は、どうすればいい……」
 何を信じればいい。
 ポツリと、ピュセルは呟いた。とても、とても哀しい瞳でそう呟いた。
 胸が軋む。その横顔を見るだけで、押しつぶされそうなほど、胸が痛くなった。
 思えば小さな、小さな女の子。この華奢な肩に、いままで幾つの悲しみを抱えて生きてきたのだろう。
 僕の傍らで、自分の両膝を抱くようにポツリと佇む、この愛すべき少女が、とても小さく見えた。
 心に、言い知れぬ想いが湧いてくる。今なら、言えるかもしれない。不意に、僕はそう思った。
 この期に及んでも、肝心な時に臆病な僕は、ずっと言えないでいたけど、月の不思議な魔力のおかげだろうか、今ならピュセルに言えそうな気がした。守りたいのは、故郷の民だけじゃない。……勇気を出して。
 傍ら座る、小さな少女を僕は改めて見詰めた。
 ――ピュセル。
 神に弄ばれ、戦場という狂気の舞台に押し出された可哀相な少女。生まれながらに、他人と姿が違うというだけのことで迫害を受け、独りぼっちだった少女。
 彼女もまた、環境と社会による犠牲者なのだ。涙どころか、悲しい表情すら見せないけれど、彼女は誰にも言えぬ想いを抱え、誰の助けも得られないまま、ずっとひとりで泣いてた。
 誰も自分を見てくれない。誰も自分を人として扱ってくれない。
 だから、君は神に居場所を求めたんだ。
 謂れ無くして虐げられ、人に絶望し、自分を呪い、たったひとりで世界と戦っていたピュセル。
「ピュセル」
 この人だけは、譲れないと強く思う。神様、あなたにだって。
 自分に力がないことは知っているから、人類全てなんて言わない。ただ、この人ひとりだけは。
 僕は、神様のように全能なんかじゃない。なんにもできない人間だから。でも。
「誰も傷つけず、全ての人を愛す神様のようにはなれないけど、僕は君を幸せにしたい」  彼女を守ることが、神と戦わねばならない背徳行為だと言うのなら、僕は、悪でいい。
「ラ・ピュセル、貴女が好きです」
 僕は彼女の手を取った。そのの手はとても小さくて、あたたかくて、柔かだった。

 ふいにピュセルの目から並だが溢れだし、頬を静かに伝っていった。
 その涙は、きっとピュセルの凍てついた心が溶け出した時にうまれた、証としての雫だったのだろう。それは、月の光を浴びて光の軌跡を描き――
「ピュセル……」
 僕は生まれてはじめて、愛しいという想いを理解した。それは、強い想念だった。身体が震え上がるような、鼓動が揺さ振られるような、絶え間のない想いの力。もし永久機関、そして無尽蔵のエネルギーがこの世に存在するのなら、それはここから生まれてくるに違いない。
 彼女を失えば、この力は無くなるだろう。だけど、彼女さえいてくれれば、どんなことも出来よう。
「約束するよ。もし神が、世界が貴方を拒んでも僕だけはずっと共に在りつづけ、神が、世界が貴方を虐げるというのなら、僕は己の誇りにかけて貴方の剣となるでしょう」
 僕は、彼女の頬に触れた。涙を拭いてあげる。彼女も、僕の頬に手を伸ばし、そして包み込むように触れた。
 潤んだこの世で1番奇麗な赤の宝石は、しばらく僕の顔だけを映していた。
 そしてゆっくりと、本当にゆっくりと、ピュセルは僕の胸に包まれていった。
「ピュセル」
 僕は、その溢れる想い全てをかけて彼女を包み込んだ。
 どうか、この抱擁で彼女を全ての哀しみから守れますように、と。
 そして、その耳元に囁くように告げた。 「アランソン侯爵ジャン二世は、この世でただひとり、ラ・ピュセル。貴女のものになります」
 優しい、沈黙の時。静かな月夜の晩にピュセルは僕の腕の中で震えていた。そして、泣いていた。
 僕は彼女の銀色の髪を撫でてあげた。何度も何度も撫でてあげた。
 幸せの涙は、とてもあたたかい。溢れ出す涙があたたかければ、人はその想いを胸に生きてゆけるはず。その涙は絆の証なのだから。
 だから乙女の涙よ、幸せの涙よ降りつづけ。

 どれくらい時が過ぎただろうか。ピュセルは頬を僕の胸に擦りつけて小さな声で言った。
「我、今、貴公を主として認め、勅命に背かず、御身を我が名、我が誇り、我が一命に賭けて守護せしことを此処に誓約する――」
 少し顔を上げると、真っ直ぐに僕を見詰めて彼女は続けた。
「我が誓いを受けることに異存無くば、我が誓いを受け給え」
 僕はゆっくりと首を左右しながら言った。
「僕は君の主になるつもりはないよ。だけど、君の誓いは喜んで受けさせてもらう。人の好意は素直にうける主義なんだ。だから、僕はその証として勅命を下すね」
 コクリと彼女は頷いた。
「――アランソン侯ジャンの名において、汝、ピュセルに願う」
 真顔を微笑みに変えて、僕は続けた。
「ずっとこの時を忘れないから。どうか、いつまでも側にいて」
 僕のその言葉に、ピュセルはまた涙をぽろぽろと零した。
 そして、急いでコクコクと頷いた。
「でも、いいの? 神様……監視機構より僕を選んじゃって」
「いい」
 彼女は、何の迷いも無く即答してくれた。すごく、嬉しかった。心が震えて、僕の瞳からも涙が零れはじめた。
「さっきも言ったけど、僕は神様のようには――神様の代わりにはなれないよ?」
「例え神に逆らったとしても……あなたと共にずっと在ること。それを、今、私は望んでいる」
 そう言うピュセルの涙は、まだ止まらない。
「だから、私を捨てないで。どうか捨てないで」
 その紅い瞳から、止めど無く大粒の涙が溢れ出してくる。一生懸命に、捨てられた子犬の様に縋り付き、哀願する。
「捨てるわけがない。僕に君が捨てられるわけもないよ。僕は捨てない。なにも、捨てない。だから、もう泣かなくて良いんだ。今からそんなに泣いていたんじゃ、涙がなくなっちゃうよ」
 自分も涙を流しながらだと、説得力の欠片もないけど僕は言った。
「でも止まらない。どうすればいいの……?」
 彼女は一生懸命、涙をこらえようと頑張るが言葉通り、溢れる涙は止まらない。
 だから、僕は、言った。
「笑えばいいと思うよ」
 幸せの涙も良いけれど、やっぱり心が震えた時には微笑んで欲しい。
 そして彼女は、まさしく月の女神の微笑みを――

 その日、僕はずっと探し求めていた答えの1つを。
 その想いを、この少女のなかに見つけたのかもしれない。





RETURN TO THE:52
『我には口がない、それでも我は叫ぶ』



 ――ピュセルは夢を見ていた。そして、確信していた。これが近い未来、確実に現実に変わり得るであろう、『予知夢』であることを。

 舞台は広大な荒野である。ひとつは大部隊同士の乱戦。そして、数キロ離れた場所で行われる2人対1個小隊の戦闘。
 それは、突如天空より舞い降りた!
 土煙を上げ、大地に足を付いた彼らの着地点には、小さなクレーターが出来上がっている。
 落下地点がかなりの上空であったこともあろうが、なによりもそれは、彼らの並外れた重量を物語っていた。
「なんだ、こいつらはっ?」
 着地の衝撃から立ち直ると、ユラリと上体を起こしはじめた彼らに戦慄する、
 クレス・シグルドリーヴァが、叫んだ。
 自分でA.T.フィールドを操っているところを見ると、リリアに特訓でも受けたのか。
 ならば少なくとも数週間は先の未来だと言うことになる。
 だが、そう遠くない話であることも、また確かなようだ。
「――クレス、気を付けてください!」
 彼の傍ら、蒼く輝くデスクレセントを装備したリリアが珍しく緊迫した声を発する。
 どうやら相手に只ならぬものを感じ取ったらしい。
 敵数は全部で5体。
 今や使徒の力をマスターしつつあるクレスと、地上最強の兵士DEATH=REBIRTHが
 相手をするなら、ものの数分で片が付く数である。
 ただし、相手が人間であったならば――。
 彼らの身体は、明らかに金属と思われるもので構成されていた。
 鈍く光沢を放つ銀のメタリック・ボディーは、甲冑を纏っているわけでは無く、彼らそのものなのだ。
 一応人型をしてはいるが、手足が妙に長く、まるで操り人形のようにダラリと無造作に垂れ下がっている。
 首が無く、胴の上に直接飾り物のような頭が直接生えていた。
 ……ちょうど、土偶を思い浮かばせる様相だ。
 目も人間のような有機体で構成されているのではなく、普通目のある位置に円形のガラスのような物がはめ込まれているだけ。
 口のかわりであろうか、菱形に窪んだ穴のようなものが目の下に付いている。
 他には鼻も、耳らしきものもない。
 ……ハニワを思い浮かべれば、近いイメージが得られるだろう。
 体長は約2M半。
 見上げるような巨体だが、長細い骨組みだけのような胴体は猫背で、どこか見る者に何処か気味の悪さを感じさせる。
「なんだってんだ、こいつらはっ?――アイアンゴーレムか、おとぎばなしの?」
 クレスの言う <アイアンゴーレム> とは、魔法の力で動く鉄で出来た巨人である。
 確かにその表現は的確で、彼らからはまったく生気が感じられない。
 有機体でもなく、生物でもないのは確実だと思われた。
「これは……まさか……」
 リリアの顔が青ざめる。
「知ってるのか、リリア?」
 ジリジリと迫り来る5体の鉄人形たちに、剣を構えつつ後退するクレスが訊いた。
 しかし、このバケモノ達に、果たして剣が通じるだろうか?
「――タブリスが、人類監視機構に探りを入れた折りにある噂を聞いたそうです」
 リリアがゆっくりと語り出した。
「噂?」
「私をはじめとする離反者が続出したことに危機を感じた監視機構が、
 新たなるプロジェクトを始動させたと言います」
 ブゥン……と鈍い唸るような音を立てて、彼女のデスクレセントが一層輝きを増す。
「監視機構の奴等、一体何をはじめたんだ?」
「無機物で構成された、無人稼動の心無き使徒。
 ――心や意志ではなく、学習型のプログラムで作動する機械仕掛けの使徒ならば、裏切ることもない。
 そう考えた監視機構が計画した、全く別の構想による新型の使徒開発プロジェクト……」
「……?」
「コードネーム『J.A.』――まさか、既に完成していたとは」
 その声に応えるように、5体のJ.A.の無機質な瞳が一斉に光を放った。
 ――同時刻。
 その数キロ西においては、イングランド=ブルゴーニュ連合と
 アランソン侯率いる国王軍が激戦を繰り広げていた。
 オペラシオン・ヴィクトリューの一環だろうか。
 アランソン侯は明らかに最高責任者の位置にあり、全軍を指揮していた。
 だが、その傍らにあるべき自分の姿がないことに、ピュセルは気付いた。
 王太子を戴冠式を行うべき『ランス』の街へと導く際に、障害となるであろうと予測される周囲の連合勢力を殲滅する作戦……オペラシオン・ヴィクトリューに自分が参加していないはずはない。
 ……となれば、これはもっと先の話なのであろうか。
 それを判断するには、この夢だけでは情報が少なすぎた。
 ピュセルはともあれ、夢とは知りながらこの予知夢に意識を集中した。
 いや、集中して見るまでもない。
 この戦の勝敗は既に明らかであった。
 ――アランソン侯の敗北である。
 兵数の差もさることながら、国王軍の兵の動きが酷く鈍い。
 大半の兵が憔悴しきっているようで、皆一様に頬がこけてゲッソリしている。
 それは明らかに、長期に渡る遠征と、激戦の連続に起因する誤魔化し様のない疲労からくるものであった。
 何故に彼らがそんな境遇にあるのかは、ピュセルには知りようもない。
 が、ただ1つ明らかなのは、このままではこの戦、『戦い』ではなく連合による一方的な『虐殺』となるであろうということだ。
 事実、もはや国王軍は総崩れに近い状態にあった。
 ここにクレスとリリアという有能な武将が参戦していれば、また事態も変わってこようが、
 生憎と彼らはJ.A.なる無人稼動の鉄人形に足止めされている。
 明らかに仕組まれた敗戦であった。
 では、何者がこのアランソン侯の敗北を仕組んだのか。
 確かなことは言えない。
 だが、ピュセルの脳裏には『人類監視機構』の名が浮かんでいた。
「ジャン・ダランソン、覚悟ッ!」
 連合の兵達が4人まとめてアランソン侯に襲いかかった。
 総大将を守る壁すら崩壊した今、襲い来る敵は、侯自らが退けるしかない。
 ――4対1。
 圧倒的な数の差に、余裕の表情で連合兵は切りかかってくる。
 だが、アランソン侯とてただの貴族ではない。
 剣匠の誉高きリジュ伯カージェスにその剣技を仕込まれた、手練の兵士である。
 4人の連合兵士を相手に、神技とも言えるほどの剣さばきで何とか持ちこたえていた。
 それにしても、そのリジュ卿を筆頭とするロンギヌス隊のメンバーすらいないというのは
 如何なことか。
 アランソン侯が指揮を執る戦に、親衛隊の彼らの姿がないというのはどう考えても不自然である。
 無論、既に屍となって地に倒れた兵の中にも、彼らの纏う鮮やかな青の鎧は見て取れない。
 戦自体に参戦していないのだ。
 ――やはり、おかしい。
 ピュセルがその疑惑を、確信に変えた丁度その瞬間……
「……ッ!」
 アランソン侯の声無き悲鳴が彼女の耳に届いた。
 見れば、彼の左脇腹に連合兵のブロード・ソードが深々と突き刺さっている。
 急所は外れているが、大した外科技術も、輸血の手段もないこの時代においては致命傷になりかねない。
「うっ……おおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!」
 焼けるような痛みに咆哮しながら、アランソン侯は渾身の力を込めて自分の身体を貫いた連合兵を切り捨てる。


 ――後、3人。

返す刀で、向かい来る連合兵の喉を貫く。
 甲高い喉笛が鳴り、連合兵は噴水のように血を吹き出しながら絶命した。


 ――後、2人!
 ……だが、突きのモーションから体勢を整える間も与えず、残りの2兵の剣が同時に侯に襲いかかって来た。
 ピュセルは、思わず彼の名を叫んだ。
 だが、声は出ない。
 叫ぼうにも、彼を呼ぼうにも、肝腎の身体が無くては仕方がない。
 自分はただ、傍観者としてその様を見守るしかないのだ。
 何と言う苦痛だろうか。
 やっと見つけた小さな希望が……、
 やっと見えた曙光が……、
 まだ小さいけれど、これから育む最後の灯火が……、
 今、まさに消え逝こうとする瞬間でさえ何の行動も起こせぬとは!

  ポールドロン
とてつもなく鈍い音と共に、アランソン侯の <肩甲> が弾け飛んだ。
 同時に、彼の右肩から鮮血が吹き出す。
 受けた剣は1つだけだ。


 2人同時には倒せないと踏んだアランソン侯は、1人を捨て、片方の兵士が剣を振り下ろす直前に渾身の力を込めて左の拳を、敵の鼻っ柱に叩き込んだのだ。
 殴り飛ばされた連合兵は、意識を失って仰向けに倒れ込んだ。
 この混戦の中だ。
 一度倒れれば、馬の蹄に踏まれたり、流れ矢に当たったりとまず生きてはいられない。
 ――後、1人!
 だが、彼は右肩に斬撃を受けた時にメイン・ウエポンである長剣を失ってしまっていた。
 どちらにせよ、肩の腱をやられる程に深い傷だ。
 もう2度と、この右腕は使い物にはなるまい。
 兵士としての直感でそう判断した侯は、ともすれば激痛で気を失ってしまいそうな自分を叱咤し、
 意識を呼び戻す。

「ピュセルッ!」
 知らずうちに、彼はその女性の名を叫んでいた。
 そんな侯には全く構わず、目を血走らせた連合兵は、大金星を逃すまいと再び剣を振り下ろす。
 咄嗟に抜刀した予備のショート・ソードで、侯はそれを受け止めた。
 涙が止まらない。
 いや、自分は登場しない夢の中なのだ。
 なのに、何故だろう……
 涙を流すべき身体もないはずなのに、ピュセルは自分が泣いていることを知っていた。


 剣がかち合う甲高い金属音が、何度か鳴った。
 そして――
 一瞬の出来事だった。



バシャッ!


 ――という、水を勢い良くぶちまけたような音ともに、連合兵の顔面が赤く染まった。
 アランソン侯の返り血である。
 狂気を秘めた連合兵のロング・ソードは、板金甲冑[プレート・メイル]の胸部を突き破り、
 アランソン侯の背中から突き抜けていた。
 その途中には、侯の心臓があった。













少女は、絶叫した。











RETURN TO THE:53
『あした世界が終わる夜に』

 頬を伝い、涙は流れた
 ポツリと、純白のシーツに雫が落ちる
 ――私は、泣いていた
 やっと掴んだ希望が……
 指の隙間から零れてゆく……
 私を見てくれる人
 私を愛してくれる人
 私に心をくれた人
 全てを凌駕するもの

夜着の胸元を、ギュッと握り締める。

 やっと見つけたのに
 やっと巡り合えたのに
 やっと……やっと、気付けたのに
 あの人への想い
 やっと、気付いたのに
 あの人さえあれば、何も要らないのに
 ただ、あの人だけで良いのに
 一緒にいたい、側に在りたい、時を共有したい……
 それだけで……
 あの人は、私の希望なの!
 まだ、心を覚えたての私には、ちっぽけな星の瞬きのようなものだけど……
 それでも確かな光なの……
 でも、それさえも消える定め
 神は、それさえも私に許さない――
 神は、それさえも私から奪ってゆく――
 何故……
 私は、あの人を求めることすら許されないの……?
 ささやかな最初で最後の私の願い……
 それさえも、かなわないの?

 嗚咽が漏れる。
 流れゆく涙が止まらない。

 神よ!
あの人から、愛していると言われた時、
抱擁された時、
どんなに私が救われたか……
どんなに幸せだったか……

 あなたに、分かりますか

私の夢は、いつか、真実となるでしょう
 あの人は、夢の如く、きっと死んでしまう
 死んでしまう
 消えてしまう
 殺されてしまう
 私が信じた、神に、殺されてしまう――
 それは、世界の終わりに等しい
 私にとって、
 その日は、世界が終わる日なのだ
 それが、運命だというのなら……


 私が、世界を終わらせる
 あなたは、光となり、

時を越え、闇を越え、

夢で見た未来に旅立つの

神の手ではなく、定めではなく、私の意志で世界を終わらせる


 私は、生まれて初めて自らの意志で決意した。
 あした世界が終わる夜に――

RETURN TO THE:54
『綾波レイと、碇シンジ』

「……ねえ、我愛しの侯爵さま」
 蒼銀の髪をそよ風になびかせて彼女は言った。
 月明かりに照らされたその白い肌は、とても幻想的で女神もかくやと思わせるほど美しい。
 最初、僕は自分が呼びかけられたことに気付かなかった。
 彼女の声が聞こえなかったわけではない。分からなかったのだ。
 これが、あのピュセルの声だろうかと思わせるほどに、彼女の言葉には……
 なんというか、妙な違和感が在った。
 良く見れば、頬がほんのりと……いや、真っ赤だ。
 恐らく、かなり酔っているのだろう。
 彼女の吐息は、ワインの香りがした。
 珍しいこともあるものである。
 少なくとも、ピュセルが酔うほどにアルコールを飲んだ姿などこれまで見たことがない。
 何かあったのだろうか?
 ――僕は、少し不安になった。
 彼女は、純白の夜着に黒いカーディガンを羽織って僕に優しく微笑んでいる。
 こんな穏やかな表情をしているのを見るのも初めてだ。
 でも、確かな微笑みであるのに、なにか寂しさを感じるのは何故だろう……。
 ……しかしこうして見ると、男装して鎧を纏い馬を駆る戦場での凛々しい姿と裏腹に、彼女が普通の女の子であることを改めて気付かされる。
 もっとも、彼女が女性らしい服装で現れるのは、僕と2人きり、こうして密かに会っている時だけなのだが。
「2人きりの時でも名前で呼んでくれないのかい、ピュセル?」
『我が愛しの侯爵』というのは、宮廷で極頻繁に用いられる敬称であり、なにも僕個人を示すものではない。
「フフ……貴方こそ、名前で呼んでは下さらないの?」
 まるで作ったかのような笑い。
 今夜のピュセルは、なにか変だ。まるで彼女ではないような、そんな感じがする。
 酔いのせいだろうとは思うが、妙に饒舌だし、妙に……艶めかしい。
 それに、彼女が声に出して笑ったのを見たのはこれがはじめてだ。
「はは……そうだったね」
 戸惑いを隠しながら笑ってみせたせいで、口元が少し引きつってしまった。
 ピュセルもまた、”乙女”を意味する敬称のようなもので、名前ではない。
 彼女には、綾波レイというれっきとした名前があるのだった。
「……もうしばらく2人きりになれる機会が無かったから、つい何時もの癖で」
 ――そう。
 ずっとこうして2人きりの時間が欲しいと思ってはいたけれど……戦場という狂気の世界の中ではそんなささやかな願いすら叶えられない。
 2人きりでいた時間が無かったというわけではないが、そういった時間はピュセルへの講義に費やしていたから、ほとんどゆっくり話ができるような時間はなかったのだ。
「……私……夢を見たの」
 夜空で輝く蒼い月を見上げながら、彼女は言った。
「夢? …… <声> が聞こえたんじゃなくて?」
 彼女は、神からの声を聞き、天使の姿を見るという『ミスティック(見神者)』の一種だ。
 少なくとも、真実を知らない一般にはそう認識されている。
 まぁ、連合からすれば悪魔と契約を交わした魔女、魔人になるらしいけれど。
 ――不意に、彼女の雰囲気がガラっと変わった。
 これまで、何か演じるように饒舌でよく笑う少し違和感のあったピュセルは消え、いつもの寡黙で、どこか神秘的な少女にかえったのだ。
 酔いが覚めたのだろうか?
 それとも、月の魔力が解けたのだろうか?
 或いは……或いは、もう偽りの感情を纏い、何かを演じきることに限界を感じたのか。
 愚かにも、僕は彼女のそんな心境を――
 まったく分かってあげられなかった。
 気付いてあげられなかった。
「……いえ」
 その声は、いつものように感情を抑えた、小さくて静かで奇麗な声だった。
「……夢よ。
 ……神も天使も関係のない、只の夢」
 彼女の真っ赤な瞳は、真っ直ぐに月を見詰めている。
「へえ、どんな夢?」
「……遠い未来の夢。
 ……此処ではない、今ではない、遠い時空を超えた所の夢」


 ――貴方は、これからそこへゆくの


 彼女は、本当にいるのだろうか……?
 彼女を見ていると、時々そんな感覚に襲われる。
 あまりに純粋で、あまりにも儚い……。
 一瞬でも目を離すと何処かに行ってしまいそうで……消えてしまいそうで……。
 だから、恐る恐る彼女の頬に手を伸ばすのだ。
 極上の絹よりも滑らかな彼女の頬の感触。
 ひんやりと冷たいようで、微かに……でも、確かに伝わってくる温もり。
 彼女の存在を確かめるため頬に触れた僕の手に、決まって彼女はその手を重ねて微笑んでくれる。
 そして、こう言って僕を安心させてくれるのだ。
「……大丈夫。私はここにいます」
 僕は彼女に微笑みを返した。
「――ゴメン。話の途中だったね。続けてよ」
 彼女はその真紅の瞳に優しい光を湛えて、コクンと頷いた。
「……そこは見たこともない遠い場所。こことは何もかも違う場所……」
「……ふーん、どう違うの?」
「言葉ではとても語りきれない……。
 でも、今のように戦のない平和な時代」
「……戦のない平和な時代」
 それは、僕らの理想とする世界だ。
「貧困も、略奪も、暴君による税の搾取もない、ある意味において自由な世界」
 ある意味……?
 本質的には自由ではないということか?
 疑問に思ったが、どうせ訊いて理解できる話ではないだろう。
 僕は黙って彼女の話を訊くことにした。
「――その世界に貴方はいるのです。侯」
 彼女はそういって、彼を静かに見つめた。
「ぼ……ぼくが?」
 突然の言葉に僕は狼狽した。
 これが普通の人の夢ならばさしたる問題もないのだが、彼女はミスティックである。
 監視機構から与えられた『使徒の力』か、それとも人間としての超能力かは定かではない。
 だが、彼女の予知夢は無条件で信じられる。
 僕の知らない力が宿ったその夢自体にも、何らかの神聖な意味が込められているのかもしれない。
 時代も場所も違う、その夢の舞台に自分が登場したと言われたのだから、この場合当然とも言える反応だった。
 僕の驚く様を見て、彼女は悪戯っぽく目を細めた。
「……そう。
 喋る言葉も、住む環境も……髪や肌や、瞳の色も違うのだけれど、魂は確かに貴方」
 彼を魅了して止まぬ微笑みを湛えたまま彼女は続ける。
「そして、其処ではその名も違うのです。侯」
「違う……ぼく」
 姿形、名前すらも違うもうひとつの自分……
 彼には全く実感が湧かない。
「それで……その……夢の中での僕の名は何と?」
「碇――シンジ」
 彼女は小さく、だがはっきりとその『名』を口にした。
「……『イ』……『カリ』……『シンジ』……か。……発音の難しい名だね」
 彼女は流暢に発音したが、僕らの母国語に似たような音がないためうまく発音できない。
 それにしても不思議な感じのする名前だ。
「でも、その僕の名は君しか知らないんだよね?」
「……ええ」
「だったら、今度から僕のことをそう呼ぶようにしてくれないかな?
 ――君と、僕との間でだけ通じる、不思議なその名前で僕らは互いに呼び合うんだ」
「私と貴方との間だけで通じる……名前」
 彼女は、何か考え込むような顔で呟いた。



 綾波レイ  と  碇シンジ

「そう。何だか、2人だけの絆みたいで素敵だよね?」
「……2人、だけの、『絆』」
 彼女は一言ずつかみ締めるように呟くと……
「……ええ。喜んで」
 微笑して、そう言った。
「そ……そういえば、その夢に君は出てこないの?」
 彼女の微笑みに赤面してしまった照れを隠すように、僕はそう訊いた。
「……」
 彼女が少し寂しげな表情になる。
「……どうかした?」
「……貴方が……」
「……え?」
「貴方が、私を迎えに来て下されば……
 私を其処へ連れていって下されば……きっと、一緒にいられます」
「――?」
 僕は少しその表情を不思議に思ったが、彼女を安心させるためその言葉を紡いだ。
「良く分からないけど、君を迎えに行く。
 君が夢の中で見たその場所に連れていくよ」
「……約束?」
 彼女は、真摯な瞳で確かめるように訊いてくる。
 小首を傾げるような仕種が可愛らしい。
「うん。約束」
 僕は言葉とともにしっかりと頷いてみせた。
 彼女は、胸の前で手を組み静かに目を閉じて、僕の言葉に感じ入っているようだった。
 しばらくして目を開けると、
「……侯、貴方を信じます」
 と、そう言って僕の大好きな微笑みを浮かべて見せてくれた。
 ピュセルは、ゆっくりと目を閉じた。
 神聖なる誓いの口付。
 約束の証。絆の証。
 でも、それは……
 ――そして、2人はその証として……静かに唇を合わせた。

RETURN TO THE:FUTURE→
『時空の扉たたいて』


 ――静かな口付は終わった。
 今宵は、あなただけが夢の使者に呼ばれる夜。
 私があなたを失う夜。
 世界が終わる夜。
 ……でも、いい。
 絆は、終わらないと信じているから。
 誰もが絶望と思うような状況にあろうと、私は信じているから。
 あなたとの、全てを凌駕するもの。
 ――でも、お願い。
 ただ、ひとつだけ聞かせて……
「あなたは……」
 最後に、ひとつだけ教えて……
「いつまでも、私のことを忘れないでいてくれますか?」
 あなたは、不思議そうな顔をした。
 でも、微笑んで言ってくれた。
「僕は、何が起きようと、どんなに遠く離れても、
 どんなに時が過ぎても、君だけは忘れない」
 ……ありがとう。
 その言葉を、あなたから聞くことが出来ただけで
「……全てに呪縛され、神に呪われた私ですら、
 生きていて良かったと思うことが出来る」
 さようなら、我が愛しの侯爵様。
 あなたは、この時代に留まってはいけない。
 神があなたの命を奪うから。
 だから、運命に逆らうの。
 光となって、未来へ旅立つの。
 そして、碇シンジとなり、幸せに生きるの。
 ……
 だけど、いつか、迎えに来て。
 お願い、私を迎えに来て。
 時空の壁さえ飛び越えて――。
 ずっと……ずっと、いつまでも待っているから。
――A.T.フィールド」
さようなら。
「……全開!」

「はっ?」
「……ッ?」
 リリアとクレスは、同じ寝台の上、同時に跳ね起きた。
 胸を押しつぶされるかのような強力な力の奔流を感じたからだ。
「な……なんだ、こいつは?」
「……」
 それは、使徒ならば容易に感じ取れるA.T.フィールドの爆発であった。
「――月天使リリスです!」
 リリア程の領域に達すると、A.T.フィールドの放つ固有のパターンや強度、クセなどを感覚的に読み取り、相手を限定するなど容易い。
「何処かで、リリスが強力なA.T.フィールドを展開しています」
「……リリスって、ピュセルだよな?」
「はい。間違いありません。
 ――ただ、彼女が既にこれほどまでのA.T.フィールドを展開できるまでに成長していたとは……」
「彼女は確か、今、アランソン侯と一緒にアランソンに居るはずだろ?
 此処から何百KM離れてると思ってんだ?」
 クレスは、オペラシオン・ヴィクトリューが発動されるまで、リリアに使徒としての戦闘訓練を受けていた。
 人里離れた、ロレーヌ地方の山奥で。
 ロレーヌ地方といえば、ピュセルの故郷ドン・レミの村がある王国東部だ。
 アランソンの街とは、王国のまるで反対側に位置する。
 そんな遠距離にありながら、まるですぐ隣にいるかのようにピュセルのA.T.フィールドを感じる。
 恐るべき事実であった。
「ピュセル……こんなに強力なフィールドをどうしようっていうんだ?
 ……まさか、監視機構から送られてきた刺客の”使徒”と抗戦でもしてるのか?」
 ――だが、リリアは、別の可能性を予測していた。
「このレヴェルだと……虚数回路……ディラックの海……ま……さか……」
 リリアの額に、一筋汗が伝った。
「次元封印――」

凄まじい吸引力に何とか抗いながら、必死に叫ぶ。
 だが、歪んだ空間のせいで上手く音が伝達できない。
 届かない叫び。
 何故……
――なぜっ?」
 何故こんなことを……
 向き合った彼女に手を伸ばす。
 が、届かない。
 彼女の蒼銀の髪が、発せられる強力なエネルギーの奔流に激しく躍る。
 彼女はその白磁のように白く滑らかな肌に、珠の汗を浮かべながら精神を集中し、場を制御する。
 ――それは、突然の出来事だった。
 ピュセルの強力なA.T.フィールドの力によって背後にこじ開けられた時空の門−ゲート−。

光さえも喰らうかのような、絶望的な無の暗黒が、ポッカリと口をあけ、僕を引きずり込もうとする。

まさか、彼女がこれほどまでの術者とは……。
「ピュセルっ!」
 声の限り叫ぶ。
 ――貴方と共に……ずっと
 あの言葉は
 ――御慕いしております。我愛しの侯
 そう言ってくれたのは
 ――御身を我一命に賭けて守護せしことを此処に……
 あの時の2人だけの誓いは
 ――たとえ、神に逆らったとしても……
 そう言ってくれたじゃないか!
「あれは全てウソだったのか?虚言だったのか?」
 踏みとどまっていた足が、吸引力に引き摺られていく。
 徐々に、だが確実に体がゲートに飲み込まれていく。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!」


 それは魂の咆哮だった。


 だが、彼女は何も答えてはくれない。
 ただ哀しみに彩られた真紅の瞳をこちらを向けている。
「何故だっ! なんでこんなことをっ?」

 ついに体が時空の歪みに捕われはじめた。
 必死に手を伸ばすも、掴むのはただ空しく虚ばかり。
「やめてよ! やめてくれ!」

 この闇に飲まれたら、彼女にもう逢えない。もう、あの大好きな微笑みを見ることは叶わない。
――嫌だ!
 理由も分からぬまま、こんな……こんな形で彼女と離れたくはない。別れたくない!
 嗚呼……もう半身を飲み込まれた。
 下半身は完全に闇に飲み込まれて見ることはできない。
 上半身だけを無理矢理に彼女に近づける。
「オオオオォォッ! ピュセル―― ッ!」
――その時だった。
 彼女が、小さく唇を動かす。
 それが、『ごめんなさい』と形作るのがはっきりと分かった。
 何故、謝る?
 それは裏切りへの謝罪か? それとも、今は窺い知れぬわけがあると言うのか?
 必死の抵抗も空しく、その視界が時空の歪みから生まれる闇で閉ざされるその――
 最後の瞬間
 涙よりも悲しい
 彼女の
 微笑みを見た。

to be→













そして、あの人は旅立った。

この世界に、私はまたひとり。


 ・
 ・
 ・

――でも怖くはない。
 あの人は約束してくれたから
 いつの日か、私を迎えに来てくれると

貴方が、私を迎えに来て下されば……
 私を其処へ連れていって下されば……
 きっと、一緒にいられます
 良く分からないけど、君を迎えに行く。
 君が夢の中で見たその場所に連れていくよ
 ……約束?
――うん。約束


あの日、ふたりは約束を交わしたから……

侯、あなたを信じます


あした世界が終わる夜に


終わらない過去
 全てを凌駕するものを信じ
 時を越えて、シンジは、アランソン侯は目覚めてゆく

新たなる伝説が生まれ

そして、消えて逝く
 伝説は終わらない……


TOBECONTINUED……


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