誰も今まで貴女のおかげで目にすることができた
あのような出来事を目にした者はいない。
どの歴史書を紐解いても
これに匹敵するような偉功は記されていない。
ラ・ピュセル聴聞僧
ジャン・パスクレル
DARC
−ダァク−
全てを凌駕するもの
MEDIEVAL VIII
「オルレアン開放」
RETURN TO THE:41 『見知らぬ、天井』
RETURN TO THE:42 『ワタシヲ、ミテ』
RETURN TO THE:43 『オルレアン開放』
RETURN TO THE:44 『オペラシオン・ヴィクトリュー』
RETURN TO THE:45 『愛の告白』
「……な……なんのこと?」
彼らロンギヌス隊を残して、単独で出撃するなどという大胆な行動に出たことに隊員全員が腹を立てていることは重々承知の上で、アランソン侯はとぼけてみせた。
「とぼけたって、ダメですっ!」
そんな目論見(?)も空しく、ピシャリと返されるアランソン侯。
隊長のリジュ卿はといえば、一歩下がったところで、面白そうにニヤけながらそんな彼らのやりとりを見詰めている。
「そんなに私たちのことが信用できませんか?」
エイモスが再びアランソン侯に詰め寄る。
どんな戦場からも必ず全員揃って帰還するという、王国最強を誇る超精鋭部隊ロンギヌスの面々である。
どの隊員にも、並々ならぬ貫禄と迫力がある。
戦士としては華奢で、中性的な顔立ちのアランソン侯では勝負にならない。
「あ……いや……、そんなことは……」
ベッドの隅から、弱々しく返すアランソン侯。
実際負い目を感じているので、ほとんど何も言い返せない。
「貴方にもしものことがあったら、アランソンにひとり残られた御母上に何と申し上げればよろしいのですか?」
「若、貴方を御守りするためのオレたちなんですよ?」
「我々一同、若の命のためならば、何時なりともこの命捨てる覚悟はできております! それを……」
「なんでこんな無茶な真似をなさったのですかッ!」
口々に責めながら、更にズズイッと侯に詰め寄るロンギヌスの面々。
自慢じゃないが、ゴツイおじさん達である。かなりの迫力があった。
もはやアランソン侯は、ベッドの端でひたすら縮こまることしか出来ない。
「――よし、もういいだろう。お前たち、今回はここまでだ」
静観していたリジュ卿が、ようやく割って入った。
「しかし、隊長!」
「このままじゃ、オレたちの立場ってもんが……」
まだぶーぶーと文句を言う隊員達だが、それを遮ると、リジュ卿はアランソン侯を振り返りながら言った。
「アランソン侯も、今後こういった無茶はなさらないと言っている」
アランソン侯だけに気付くように、ウインクのおまけ付きだ。
「え……あ、うん。もうしない。……約束するよ。ゴメンネ、みんな」
渡りに船と、アランソン侯はリジュ卿の助けにのった。
絶対の忠誠を誓う主、アランソン侯からこう言われては、ロンギヌス隊もこれ以上何も言うことは出来ない。
渋々といった感は拭えないが、彼らは一応引き下がった。
「まぁ、そういうことだ。今回のことは、これで終わりだ。
――またいつ出撃することになるか分からない。
もう夜も深けてきたし、各自部屋に戻って、ゆっくり休んで英気を養っておけ!」
パンパンと両手を打ち鳴らしながらそういうと、リジュ卿は押し出すようにロンギヌス隊の全員を部屋から退出させた。
「……ありがとう。助かったよ、リジュ卿」
ロンギヌス隊の最後のひとりが部屋から出ていったのを確認すると、ホッと胸を撫で下ろしながらアランソン侯は言った。
意識を取り戻した瞬間、大勢の屈強の戦士達に叱咤されたのでは堪らない……とそんな顔をしている。
「まぁ、貸しってことにしとくさ。……だが、あいつらは全員、心から君を慕い、その身を案じている。
侯の為なら命すら惜しくないというあいつらの言葉は、決して誇張でもハッタリでもないぞ。
そのことを忘れないでやってくれ」
リジュ卿は、いつもの微笑みを絶やさぬまま優しく言った。
「はい……」
流石にアランソン侯も反省しているようで、少し俯き加減で大人しくその言葉を受け容れた。
「……ごめんね、ラ・ピュセル。見苦しいところを見せちゃって」
今まで看病してくれていたのだろうに、部屋の隅に追いやってしまったラ・ピュセルに気付くと、侯は彼女にも詫びた。
無表情ではあるが、小さく首を左右に振って応えたところを見ると、気分を害したということはないらしい。
「傷の方はどうだい? 左肩の傷が特に酷かったらしいが……」
「動かすとまだ痛いですけど、それ以外は問題ありません。
利き腕の右は無事ですし、次回連合に仕掛ける時には参加しますよ」
包帯でグルグル巻きにされ、ミイラ男のようになった自分の上半身を見やりながらアランソン侯は言った。
「おいおい……大丈夫なのか?」
苦笑半分、だが心配そうにリジュ卿は言った。
この場でハッキリと止めないのは、どうせその時になれば、黙っていてもロンギヌス隊の面々が、戦に行こうとするアランソン侯を躍起になって止めに入る様が目に見えるからだ。
「それよりリジュ卿、あの……いったい今、どういう状況にあるのか説明してくれませんか?」
目覚めれば、知らない天井。おまけにラ・ピュセルはいるし、ロンギヌス隊には散々責められるしと全く状況の掴めないアランソン侯は途方に暮れた顔で言った。
「そいつは、付きっ切りで献身的な看護をしてくれたラ・ピュセル殿に聞くといい。
……じゃ、オレは野暮用があるんで、これで失礼させてもらうよ」
無碍にもそう言い残すと、リジュ卿はさっさと部屋から出ていってしまった。
――おふたりの邪魔をするのもなんだしな?
リジュ卿、気配りの男である。
取り残された感じの侯とピュセルは、ぎこちない沈黙の中にあった。
「あの……そういう理由らしいから……ラ・ピュセル、よかったら教えてくれる?」
アランソン侯が遠慮がちにそう頼むと、ラ・ピュセルはコクンと頷き、部屋の隅からベッドの傍らに置かれた小さな木製の椅子に戻った。
ラ・ピュセルがそうそう饒舌に喋ってくれるとも思えないので、こちらから質問してそれに応えてもらおうと考えたアランソン侯は、ラ・ピュセルが傍らに落ち着いたのを見ると口を開いた。
これで結構、進歩しているようだ。
「あの……とりあえず、ここが何処なのか教えてくれる?」
「ここは、レ・トゥーレル砦」
「トゥーレル?
……え……ちょっ……と、待って。じゃあ、オーギュスタン砦はどうなったの?」
レ・トゥーレル砦は、このオルレアンを攻囲する連合の攻囲網の中でも、最も強固な守りを誇る砦であった。
今回、オーギュスタン砦を奪還しようと仕掛けたわけだが、レ・トゥーレルはそのオーギュスタンを落した後の次の目標である。
自分が今、そのレ・トゥーレルにいるというのはどう考えても合点がいかない。
第一、市の南に架かるオルレアン大橋を分断するレ・トゥーレルとオーギュスタンを奪還できたのなら、そのまま橋を渡って難なく市内に凱旋できるはずだ。
もし砦を落したというのなら、いつまでもレ・トゥーレル砦に居残っているのはおかしい。
「――ピュセル、ちょっと訊いていいかな?」
まとまらない思考をかかえ、遠慮がちにアランソン侯は訊いた。
さほど間をおかずに、ラ・ピュセルは小さくコクンと頷いた。
「えっと、僕が君と一緒にオーギュスタン奪還のために出撃したのが5月の6日……だよね?」
ラ・ピュセルはまた頷く。
「それで、えっと、今日は何日? 僕、どのくらい気を失ってたのかな?」
覚醒したというのに、状況が大きく流転し取り残されたような感覚を受ける者は、まず混乱し、次に恐怖のような焦燥を覚える。
地に足が付いていないような気がしてくるのだ。
アランソン侯もまさに、今その状態にあった。
「……今日は5月7日。日没からしばらく過ぎたわ。
貴方は昨日、6日の午後戦場で意識を失って以来、丸1日以上眠っていたことになる」
ラ・ピュセルが務めて事務的に応えた。
実際のところ、余計な気休めの言葉などかけられるより、手早く状況を確認できるのでこの場合はそれがありがたかった。
「そうか……僕はそんなに長く……」
生まれてこのかた、24時間以上もベッドで過ごしたのは初めてのことだ。
華奢な体つきに見えるが、アランソン侯はいたって健康な身体に恵まれているのだ。
「じゃあ……」
――そこそこの時間を費やして質問を繰り返し、アランソン侯はだいたいの状況を把握することができた。
ラ・ピュセルの話によれば、このオーギュスタンを陥落させたのは、ル・バタール率いるオルレアン正規軍とリジュ卿を筆頭とするロンギヌス隊だったらしい。
彼らは、ラ・ピュセルが一部士気の高い兵を臨時に組織して出撃したのを知ると、すぐに出撃の準備をはじめた。
幕僚の意向に反した行動ではあるが、今ラ・ピュセルに死なれては困るからだ。
ル・バタール自身は、ラ・ピュセルの辿ったルートをそのまま追って加勢するつもりだったらしいが、ここに最新の情報を仕入れたリジュ卿が介入した。
リジュ卿の立てた策は、オーギュスタン砦からラ・ピュセルの兵団を奇襲するため出撃した連合の背面にこっそりと着岸し、挟撃するというものだった。
ロワール川を渡河しこの位置に着岸すれば、オーギュスタンと連合の間に割込むように布陣することになり、連合の退路を防ぐ結果になる。おまけにラ・ピュセル達の軍と協力して、挟み撃ちにもできるわけだ。
落しにくい砦からわざわざ敵さんが出てくれたのだ。これを利用しない手はない。
結局、この策は成功し、日没までにはオーギュスタン砦はオルレアン側に戻ったという。
「そうか……。結局、勝てたんだね」
オーギュスタンを奪還出来た事を知り、安心したアランソン侯だが、まだ疑問は残っている。
「でも、僕はどうして助かったのかな?
一緒にいたクレスさんやラ・イールは無事なの?」
――そう。
ラ・ピュセル達の退却を擁護するため、少ない手勢で連合の突撃を防ぎにまわったアランソン侯たちは、やはり多勢に無勢、あっというまに取り囲まれて疲労と傷の痛みから気を失ったはずだ。
いくら、ロンギヌスと正規軍が応援に現われたとはいえ、彼らが間に合ったとは思えない。
意識を失った自分達など、剣で刺し殺すには一瞬あれば十分であるばずだ。
「あなた達は、私と死神とで救出したわ。他の2人も傷を受けていたけれど、死んではいない」
「えっ。ピュセルが……助けてくれたの?」
意外な話だった。
何故なら、そのラ・ピュセルを助けるためアランソン侯は身を呈して戦っていたからだ。
自分の命を賭けて彼女の退路を確保し、ラ・ピュセルをはじめ少しでも多くの兵をオルレアン市内に逃げ込ませるのが彼が自らに課した役割であったはずだ。
それが何だか奇妙な具合に変化し、結果自分が守ろうとした相手に命を救われたとは、何とも情けのない話である。
「……でも、どうやって?」
傭兵の間で <デス・リバース> と呼ばれるリリア・シグルドリーヴァの強さは、アランソン侯も知っている。
何しろ王国に仕える騎士達の中で最強の名を欲しいままにするリジュ伯カージェスを、軽く凌ぐとさえ噂される剣豪だ。
しかし、いくらその <デス・リバース> が一緒だったとは言え、たった2人の兵士が100人を優に超える軍勢の中から自分たちを救出できたとはとても思えない。
いくらデス・リバースと、神の加護を受けたラ・ピュセルとて人間であることには変わりないのだ。
ラ・ピュセルはアランソン侯の問いには直接答えることはせず、ベッドの傍らの椅子から立ち上がると、部屋の隅、アランソン侯の武器が置いてある場所へ歩み寄った。
ラ・ピュセルは、その中からメイン・ウェポンを失った場合の予備として使われるのであろう、小振りの短剣を選び出し抜刀すると、またアランソン侯の傍らに戻った。
何をするのか見当も付かず、アランソン侯はラ・ピュセルの奇妙な行動をポカンと眺めている。
「――見ていて」
チラリとアランソン侯に目を向けて注意を呼びかけると、ラ・ピュセルは左腕の袖を肘の辺りまで捲り上げ、白く細い肌を露出させる。
アランソン侯の視線がこちらに向けられていることを確認すると、ラ・ピュセルは右手に硬く握った短剣を、一気に自分の左腕――肌の露出した部分に振り下ろした。
「なっ?」
アランソン侯は慌てて止めに入ろうとするが、身体を動かそうとした瞬間、傷口から激痛が全身を駆け抜けたせいで思うように動けなかった。
ギンッ!
目を背けようとしたアランソン侯は、その状況からは発せられようはずもない、金属がぶつかり合うような甲高い音を耳にした。
音源に目を向ければ、ラ・ピュセルの白く美しい腕の周囲に金色に輝く壁が展開され、振り下ろされた短剣が肌に突き刺さるのを防いでいる。
『金色の壁』
それはいつだったか、ラ・ピュセルと剣術の試合をした時に一瞬見、幻だったと自分に信じ込ませていた……
――まさにそのものだった。
RETURN TO THE:42
『ワタシヲ、ミテ』
「……ピュセル……君は……」
声が震えているのが自分でも分かる。
その金色の領域は美しかった。――ゆえに、現実感が湧かないのもまた事実。
目のあたりにしながら、彼の脳が頑なにその事実を受け容れるのを拒んでいた。
「これが、私の力。神より遣わされた使徒の証――A.T.フィールド」
驚愕に打ち震えるアランソン侯に向き直ると、ラ・ピュセルは静かにそう言った。
如何なるものをも通さぬ、不可侵の絶対領域――すなわちATフィールド。
それは確かに神に遣わされた使徒の証であった。
だが、その神が決して皆に思われているような存在ではないと、ラ・ピュセルは後に知ることとなる。
――やはり、あの時見た光る壁は幻ではなかった。
「ピュセ……」
詳しくことを聞き出そうとしたアランソン侯が口を開いたとき、廊下からドアをノックする音が聞こえてきた。
「……」
とっさのことで、アランソン侯は返事が出来なかった。
少し間を置いて再度、軽くノックされる。
「あ……は、はい。どうぞ」
慌てて入室を許可するアランソン侯の声を受けると、ドアが開き、ゆっくりとリジュ卿が入って来た。
「いや、返事が無かったんで慌てたよ。もしかしたら、真っ最中にお邪魔したかと思ってね」
イタズラっぽく微笑みながら、リジュ卿は言った。
「え? 真っ最中って……何のですか?」
大貴族であり20歳近いというのに、まだそう言った経験のない純朴少年、悪く言えば鈍感なアランソン侯が素っ頓狂な声を上げて訊く。
普通14〜5歳で成人を迎えるわけだから、アランソン侯の身分・年齢を考えれば、結婚していないことすら驚異的である。
ある意味、ラ・ピュセルが純潔であることと同じくらい凄いことかもしれない。
「……いや何でもない」
軽く溜め息交じりの苦笑を浮かべながら言うと、リジュ卿は真顔に戻って言った。
「それよりラ・ピュセル。君の副官が探していたぞ。
何でも今日の件を幕僚部に報告しなくちゃならないが、君が一緒でなければ格好が付かないと困り果てていた。
まぁ、君から見れば非合理的な話かもしれないが――部下のためと思って、行ってやったらどうだい?」
しばらく名残押しそうにアランソン侯を見詰めていたが、やがて意を決したようにリジュ卿の声に頷くと、彼女は席を立ち戸口に向かった。
リジュ卿は出口から身をずらし道を譲ると、ラ・ピュセルが無言で退室していくのを見届けた。
「相変わらず無口な娘だな。ピュセルは」
「でも、優しい娘ですよ」
呆れたように言うリジュ卿に、思わず反論するアランソン侯。
それを聞いて少し意外そうな顔をしたリジュ卿だが、直ぐに何時もの笑みに戻った。
「それで、ラ・ピュセルには何処まで聞いた?」
リジュ卿は、先程までラ・ピュセルが掛けていた椅子に背もたれを前にして腰を落した。
「……え〜と」
A.T.フィールドといったか――例の金色の壁。
リジュ卿に話していいかどうか、一瞬アランソン侯は迷った。
「とりあえず、ロンギヌス隊とオルレアン市軍が如何にしてオーギュスタン砦を落したか……まで」
「まだ、それだけかい?」
リジュ卿の言葉には、ふたりきりになってから結構時間があったのに? というニュアンスが含まれていた。
「あ、後、一緒にいたクレスさんとラ・イールの安否についても聞きました」
「――そうか」
小さく頷くと、リジュ卿は続けた。
「じゃあ、その先はオレが責任もって話そう。ラ・ピュセルはオレが追い出してしまったようなもんだしな?」
「――はぁ」
「結局、君とラ・ピュセルたちに気を取られてすっかり調子に乗っていた連合の裏側に回り込んだオレ達の挟撃は成功した。オーギュスタン砦から総出で追いでなすっていた兵士たちは全滅。
もぬけの殻になったオーギュスタンは、直ぐに手に入ったってわけさ」
「その戦で、僕はどうなったんですか?」
「少しはラ・ピュセルから聞いたかもしれないが、オレ達が駆けつけた時には、デス・リバース独立遊撃隊長とラ・ピュセルの2人が君たちを守りながら戦っていた。
傭兵隊長のクレスと、君は気を失って倒れていたが、ラ・イールは何とか奮闘していたよ」
「じゃあ、リリアさんとラ・ピュセルの2人に助けられたというのは本当なんですね?」
「……ああ。彼女たちは君が倒れた直後に駆けつけたらしいよ。
それからオレたち援軍が到着するまでずっと君たちを守り続けたんだ。女2人でだぞ? 大したものさ。
後で彼女たちに礼を言っておくといい。
彼女たちがこなければ、君は殺されるか、良くて捕虜に取られていただろうからな」
「……面目ない話です」
「そうでもないぞ。
部下を想い、多くの兵の退却の時間を稼ぐために、絶望的な戦いを挑んだ君たちの行為はオルレアン市民や、篭城軍の間にも伝わっている。
ラ・イール、クレス、デス・リバース、ラ・ピュセル、そしてアランソン侯爵。
この5人を英雄視する声が既に上がっているくらいだ。
オルレアンに凱旋すれば、間違いなく君は英雄として迎えられるだろうさ」
「……はあ、それで……レ・トゥーレル砦はどうやって落としたんですか?」
アランソン侯は、別に自分の武勲や評価など気にしていない。
それよりも状況確認が先決だった。
「デス・リバースと……そして、ラ・ピュセルさ」
思わせぶりな言葉を放つと、リジュ卿は口元を一層歪ませて笑った。
「どういう意味ですか?」
「君もそうだが、クレス・シグルドリーヴァもそこそこの傷を受けていてね。
意識を失ってオーギュスタンに運び込まれた。
意識のないまま包帯でグルグル巻きにされて、ベッドに寝かされいる君とクレス隊長の姿を見た時の、あのピュセルと死神の顔と言ったら――
もう、ただ事じゃあなかったぞ。思い出すだけでも鳥肌が立ってくる」
「……」
アランソン侯はあからさまに分からない、という顔でリジュ卿が続けるのを待っている。
「彼女たちの発する冷気とでも言おうか、2人とも身も凍るような冷たい瞳をしていた。
周りにいた、ロンギヌスの奴等が脅えるくらいのな。君なら――どんなもんか、分かるだろう?」
ラ・ピュセルの神秘的な紅い瞳。
出会って間もない頃は、その瞳に冷たい色を含ませて睨み付けられることもあった。
あの時は恐怖か、驚きか、とにかく身体が硬直してしまって身動き一つすることすらできなかった。
だからアランソン侯には、リジュ卿の言うラ・ピュセルたちの冷たい瞳というのも容易に想像できた。
「彼女たちの怒りは相当なものだったよ。
……そりゃそうだ。自分の想い人を傷つけられたんだからな」
そう言って、リジュ卿は意地悪く微笑んだ。
流石にこの言葉に含まれる意味が分からないほど、アランソン侯も子供ではない。
「え……っ、あ……いや、そんなんじゃ……!」
頬にさっと赤みが走り、慌ててなにやら訳の分からない声を上げる。
「まるで、死神が2人になったみたいだったよ。
トゥーレルは、ほとんどあのふたりの女性コンビが落としたような印象すら受けたほどだ」
「彼女たちが――」
「今日の日没までには、粘っていたレ・トゥーレルも陥落。
ここの責任者であった連合の守備隊長も、ロワールの大河に落ちて溺死したよ」
レ・トゥーレル及び、オーギュスタン陥落。
リジュ卿のサラッとした言い方ではさほどのことには聞こえないが、これの意味するところは大きい。
連合の攻囲というのは、文字通りオルレアン市の周りをグルリと囲み、外界から隔離することに意味がある。
先の東側の要所 <サン=ルー砦> 奪還、そして南側の守りを固める――
<サン=ジャン=ル=ブラン> 、
<オーギュスタン> 、
<レ・トゥーレル>
――の3つの砦を奪還しオルレアン大橋が開通。
ロワール川を挟んで王国南側を主な勢力地とする王太子側との連絡が復活したのだ。
これによって、連合のオルレアン攻囲の意味合いは崩壊。
自由に補給物資や援軍を搬入できるようになったからには、戦況は篭城軍側にとって有利に傾くだろう。
「この数年間、一勝も上げられなかった王太子軍がここに来て連戦連勝、負け知らず。
長きに渡り篭城状態だったオルレアン市ももはや開放まであと一歩。
いや、最強の守りを誇るトゥーレルが陥落したんだ。もう事実上オルレアンは開放されたと言っていい。
全てがラ・ピュセルの登場、そして彼女の予言とシナリオ通りに進んでいる。
こちら側にとっては、まさに奇跡の少女さ。
オレの仕入れた情報によれば、連合側は恐慌状態だよ。ラ・ピュセルに狙われたら100%勝ち目はないってね」
――だから、なんでこの人は敵側の情報まで知ってるんだよ
この時代の密使や間諜……つまりスパイは、女性が多かった。
だが、敵陣に女性が入り込むことは不可能である。
何せ砦にいるのは兵士である”男”ばかりだからだ。
例外として娼婦として入り込むという手はあるが、生憎と彼女たちには街から出入りし、情報を仲介するエージェントに接触できるほどの自由はない。
そんなことを知ってか知らずか、およそ入手経路の分からない情報を手にしているリジュ卿。
一体何処からどうやって情報を仕入れてくることやら。
相も変わらず謎である。
「しかし、何故レ・トゥーレルがこちらの物になったっていうのに、オルレアン市に戻らないんですか?
ロワール川をいちいち船で渡河せずに、橋を渡って行き来できるようになったのに……」
「……おいおい。そいつは、オレにじゃなくて自分の体に訊くべきなんじゃないか?」
苦笑いしながらリジュ卿は言った。
言われて、アランソン侯は自分の体を見下ろす。
成る程、自分は今まで意識を失っていたのだ。
上半身は包帯で固められ、動かすだけで激痛が走る。
橋の向こう側とは言え、倒れて気を失った場所から1KM近くある。
医学といってもなばかり。
輸血も出来なければ、手術のような外科技術もまだまだ幼稚なレヴェル。
馬車などに乗せて無理に運ぶには、いささか距離がありすぎるというものだ。
大貴族ということもあり、丁重に扱われ、とりあえず近くにあるレ・トゥーレルに運び込まれて安静状態に置かれていたわけだ。
「なんか……迷惑をかけちゃったみたいで……」
「まぁ、出撃の時には置き去りにされ、挙げ句主がぶっ倒れたと聞き、心配してここにとどまった我らがロンギヌスの連中には迷惑を掛けたことになったかな?
しかし、さっきも言った通り基本的には君の今回の行動は、騎士道精神に則った英雄的行為だ。
――それほど、気に病むこともあるまい」
「……はい」
「まぁ、今は怪我を治すのが先決さ。
今夜はゆっくり休むといい。
――じゃあ、オレはこの辺で失礼するよ」
「あ、はい。おやすみなさい」
リジュ卿が退出していくと、アランソン侯は小さく溜め息を吐いて目を閉じると、情報を整理することにした。
考えなくてはならないことが、あまりに多すぎた。
まず、オルレアン市を攻囲する連合の出方である。
リジュ卿の情報は信頼できる。
だから、連合側の兵士たちがラ・ピュセルの存在を恐れだしたというのは事実なのだろう。
これは要するに連合側の士気の低下を意味するわけであるから、戦況はますますこちらにとって優位になってきた。
ただ、連合側がこれ以上の戦闘は不利と判断し、兵を撤収させるか――
或いは、ラ・ピュセルの脅威や噂がこれ以上広がるのを防ぐため、このオルレアンで完膚なきまでに叩いて置こうと判断するかは不明だ。
どちらにしても、このオルレアン開放は連合への反攻の口火に過ぎない。
まだまだ楽観視できるような状況ではないだろう。
それに、ラ・ピュセルだ。
彼女の超能力とでもいうような力が明らかになったわけであるが、これによって、逆に謎が増えたような気がする。
――ATフィールド。金色に輝く、神秘的な『盾』とでも言おうか……
明らかに人間とは思われぬ力を発揮したラ・ピュセル。
その奇跡の力が実在するということは、即ち彼女が主張する『神』の存在についても信憑性が高まってくる。
これはアランソン侯にとっては面白くない。
彼は神の存在を嫌悪しているからだ。
確かに、神はいるかもしれない。人間よりも強い力を持っているかもしれない。
だが、何故それを無条件に受け容れ崇めるのだ?
何故それに救いを求めるのだ?
神よりも、人との繋がりを優先するアランソン侯。
何故にラ・ピュセルは、あれほどまでに神に心を――
「ピュセル――
神様よりも……もっと僕を見てよ……」
――アランソン侯の、偽らざる本音であった。
RETURN TO THE:43
『オルレアン開放』
明けて翌朝、5月8日日曜日。
この日は、オルレアンの年譜の中で――
延いては王国全体にとって、後の世にまで語られることになる非常な重要性をもつ日付となる。
日曜日であるため、本来なら慣例に則り戦闘行為は控えられるべき日である。
……だが、連合は動いた。
市の西側から北側に並ぶ『サン=ローラン砦』、『クロワ・ボルゼ砦』、『ロンドン砦』、『ルーアン砦』、『パリ砦』これらの砦を打ち壊し包囲網を解くと、全連合兵を一箇所に集結させ、戦闘隊形を整えはじめたのだ。
この報せは、今やオルレアン全軍の顔として認識されるまでになったラ・ピュセルの元にも届いた。
彼女は手負いのアランソン侯の側にいるため、レ・トゥーレル砦に泊まり込んでいたわけだが、これには迷った。
「――どうする。あちらさん、どちらを取ったのかは知らないが……覚悟を決めたようだ」
アランソン侯専属精鋭部隊ロンギヌスを預かる隊長、リジュ卿の姿は、主アランソン侯ジャンの私室にあった。
他にもラ・ピュセル、ロンギヌス隊のメンバー数人の姿も見える。
「……そうみたいですね」
ベッドの上、アランソン侯も神妙な顔で頷く。
リジュ卿の言う『どちらを取ったのか』というのは、連合が攻囲を諦めて撤退するのか、それとも勝負を決するため全軍集めてオルレアン市に突撃してくるのか、である。
ラ・ピュセルは早朝からこの部屋でアランソン侯の看病をしていたが、今は口を開かず、侯とリジュ卿のやりとりをじっと聞いていた。
「――ピュセル、君はどうするつもり?」
アランソン侯が沈黙を守るラ・ピュセルに訊いた。
「……行く」
彼女の返答はアランソン侯の予想通りのものだった。
「じゃあ、僕も……「なりませんっ!」」
アランソン侯の言葉をピシャリ遮るように、ロンギヌス隊のエイモスが怒鳴り声を被せた。
「若には、しばらく安静にしていていただきます!」
「……そんなぁ」
長老格のエイモスの迫力に押され、情けない声で不平の声を上げるアランソン侯。
「これは、先の若の無茶に対する『謹慎処分』です!」
10分後――
レ・トゥーレル砦の寝室でポツリとただひとり、置き去りにされた哀愁漂うアランソン侯の姿があったという。
――さて、オルレアン市内にラ・ピュセルが到着した途端、篭城軍の全兵及び多くの市民は怒涛の如く街を飛び出した。
オルレアンから飛び出した市民を含む大戦隊は、連合と向かい合って整然たる先陣を展開していく。
両軍は非常に接近した位置にあり、優に1時間は睨み合ったまま対峙していた。
大方の人間が容易に予想できるであろうが、この日のオルレアン軍の士気は非常に高かった。
ここ数年戦う度に負けていた彼らであったが、ラ・ピュセルが舞い下りて以来奇跡とも言える勝ち戦の連続。
つい昨日においては最強の守りを誇るレ・トゥーレル砦を陥落させたのだ。
これで勢い付かない方がおかしいと言うものだ。
だが、ラ・ピュセルはこの日ばかりは別方向の介入を行った。
戦闘行為を行う時間を限定し、日曜日や祝日といった神の定めた安息の日に関しては休戦を厳命し、虐げられる弱者のためだけに強者の剣を振るう。
騎士道の古き掟ではあるが、彼女にとってはどちらかと言えば神の教えであった。
薄く朝霧の立ち込める中、両陣営動かぬまま睨み合いは続く。
周囲には異様な緊張感が漂っていた。
こちら側から仕掛けないのは分かる。
まがりなりにもラ・ピュセルを掲げ、神の軍勢を名乗るのだ。
その神の定めた安息日を無視する訳にはいかないからだ。
まあ、オルレアン側の兵士にも、さっさと突撃して連合を叩き潰したいと考える者がいるにはいるが、今のところはラ・ピュセルの命を聞いて大人しくしている。
だが、連合側が動かないのはどう考えてもおかしい。
むこうは自ら砦による包囲網を瓦解させて、戦陣を敷いたのだ。
どういう形にせよ、モーションを起こさねば帰る場所はない。
取るか取られるか。
今日が、オルレアン攻防戦最後の日になるであろうことは、学のない庶民にも分かっていた。
ある時であった。
戦陣を敷いていた連合の兵に何か号令がかかると、彼らは一斉に踵を返しオルレアン側に背を向けると、退却しはじめた。
オルレアンの野に馬に振り下ろす鞭の音が響き渡る。
拍車がかかり、蹄の音、歩兵や弓兵が駆ける音が徐々に大きくなっていった。
やがて砂埃を上げて加速し出した連合軍オルレアン攻囲部隊は、マン=シュール=ロワールへ続く道を一路北へ向かって消えた。
かくして彼らは1428年10月の第12番目の日よりこの記念すべき日までオルレアンに敷いていた攻囲網を完全に解き、放棄したのであった。
拍子抜けとでも言おうか、これから総力戦がはじまると緊張とともに武者震いしていたオルレアン篭城軍の多くの兵士たちは、その呆気ないまでの攻防戦の幕切れに惚けたような顔をしている。
――王国第2都市 オルレアン開放
徐々に実感の湧きはじめた市民たちの間から、喚声が上がりはじめる。
思えば7ヶ月に及ぶ苦しい篭城生活であった。
市民たちはいつ連合に蹂躪されるやもしれぬ緊張と恐怖から精神的限界を向かえつつあり、立てこもり市を死守する篭城軍の兵士たちの兵糧も底を突きかけ、投降の声さえ上がりはじめていた丁度その時……
ラ・ピュセルという名の天使が舞い下りた。
彼女は言った。
オルレアンを開放してみせると。
そして彼女が兵を指揮し、実際に連合と刃を合わせてから4日目。
たったの4日間で、言葉通りオルレアンを開放してみせたのである。
最早、誰も彼女が神の遣い――天使であることを疑う者はいなかった。
蒼銀に煌く美しい髪に、燃えるような真紅の瞳。透き通るような白い肌を持った17歳の少女。
彼女はこれまで幾人もの英雄、勇者と呼ばれる武将たちが為し得なかった、オルレアン開放という偉業を成し遂げたのだ。
――これを奇跡と言わずして、なんと言おうか?
オルレアンの人々は自分たちの救った天使と、彼女が引き起こした奇跡の感動に打ち震え、天に響き渡るかのようなの喚声を上げた。
どの顔にもこぼれる笑みと、そして喜びの涙があった。
そんな市民たちの間から巻き起こる割れんばかりのラ・ピュセル・コール。
これこそが幾世紀をも通じて、あらゆる自由の獲得に際してそれに携わった人々が味わうことになる、歓喜と勝利の歌なのである。
それは、レ・トゥーレルで彼女の無事な帰還を待つアランソン侯の耳にも届くほどのものだった。
しばらくするとラ・ピュセルは熱狂的に騒ぎ出したオルレアンの民に導かれ、数日前に軍首脳たちが演説を行ったオルレアン市の大広場のステージに連れていかれると、その上に立たされた。
ステージに上がらされたのは彼女ただ1人で、ル・バタールや王国元帥ジル・ド・レ、ラ・イールなどの大貴族や武将達も、市民や傭兵達に混じって彼女を見上げる場所に立った。
ステージ向かって、最前列に元帥、司令官、各部隊隊長などが並び、その後ろに王国に使える騎士、兵士、更にその後列に傭兵、市民の順に彼らは奇麗に整列した。
総勢5000を超える人垣がラ・ピュセル前に奇麗に並んだのである。
その眺めといえば、壮観なものがあった。
オルレアン市に存在する全ての人間がラ・ピュセルの前に並び立ったのを確認すると、オルレアン攻防戦最高責任者であり、この街の領主代理でもある私生児=ジャンが、代表して号令をかけた。
「抜刀!」
響き渡るル・バタールの声と共に、スラリと腰の帯剣を鞘から抜き放つ幾千の音が一斉に広場を支配した。
騎士、歩兵、傭兵たちはそれぞれの剣を。
弓兵は予備の武器とする短剣を、市民たちは護身用のナイフを。
彼ら5000の民たちはそれぞれの剣を抜くと、それを右手に持ち、ヒルト(剣の柄)が顔の前に来るように剣をかざす。
そして、王に謁見を求める時のように、静かに厳かに片膝をついた。
ザッと5000の挙動が一致して行われる音が、静かなオルレアンの朝に木霊する。
主君の前に跪き、剣を翳す。
主とそれに仕え、忠誠を誓う従者との間に執り行われる『臣従の誓約』の儀式を行う時の手順であった。
「我今、貴女、神聖騎士ラ・ピュセルを主として認め――」
ル・バタールが宣誓の言葉を紡ぐ。
その後を残る5000の民が、復唱した。
「勅命に背かず、
我が名、我が誇り、我が一命に賭けて、御身を守護せし事を此処に誓約いたします」
今、オルレアンでラ・ピュセルの奇跡を目にした全ての人々が、彼女を主として認め、忠誠を誓おうとしている。
つい半年前まではただの平民、羊飼いの村娘であった17歳のひとりの少女に、名立たる武将、王位継承権を持つ大貴族、英雄と呼ばれる傭兵隊長、そして歴戦の勇士達が数千、彼女の臣下に自ら入ろうというのだ。
それは、まさに脅威の出来事であった。
「……我が誓いを受けることに異存なくば、我が剣を受け給え」
臣従の誓いは、儀式によって行われる。
封主(主君)となるべき者が、従者となるべき者の誓いを受け容れるのならば、最初の勅命――つまり最初の命令を発するのだ。
それはその封主によって様々だが、我が身を守れだとか、領地の泰平のために人事を尽くせだとかそういう類のいささか抽象的な命令が下される。
それを了解し、従者が受理した時よりその契約は成立し、主従関係が成り立つ。
ラ・ピュセル
「……天上の王、イエズス=マリア、聖処女の名において命ずる。
――汝、謂れ無く虐げられたる弱者の剣となりて、我らに仇なすものを駆逐し、義を以って王国を再建せよ」
決して大声ではない。
か細く消えてしまいそうではあるが、それでも凛とした揺るぎない意志を感じさせるラ・ピュセルの声は、確かにその場に跪く全ての人々に届いた。
「一命に変えましても!」
この比類無き、際立った特性を考えてみたまい。
人類についての歴史が記されはじめて以来、彼女は唯一の人なのだ。
男にせよ女にせよ、最高司令官となりて一国の全兵を、
17にして掌握した人物は、他に誰ひとりとして存在せぬのだ。
後の歴史書においては、彼女はこう記されている。
確かにどの書を紐解いても、徳と誠をもって5000という大都市全ての民、延いては王家の大貴族を跪かせた者などひとりも存在しない。
彼女は神の名を叫ぶ。
だが、彼女は神ではない。
姿見えぬ神などでは、断じてない。
ラ・ピュセルは確かに此処にいるのだ。確かにいたのだ。
――この日、少女は伝説となった。
RETURN TO THE:44
『勝利王計画』
ラ・ピュセルという名の少女の引き起こした奇跡の噂は、瞬く間にヨーロッパ全域に広がった。
人々が等しく認めたことは、このオルレアン開放がヨーロッパ各地で勝ち得た驚異的な評判である。
例えば、フランス王国東の隣国、『神聖ローマ帝国皇帝ジークムント』の財務官エーベルハルトは、ラ・ピュセルの勲功に関心を示し、フランス王国に使いをやり様々な情報を収集すると、年代記にその偉業を記した。
また、フランス王国内に多くの支店を抱えていた『イタリア』の有力商店の代理人たちにも多大な影響を与えた。
というのは、彼らの商取引の対象の大部分は、武器や軍需用に関連していたからである。
ヴェニスの商人、アントニオ・モロジーニの日誌にはこう記されている。
ラ・ピュセルと呼ばれる少女。
彼女は多くの貴族および平民たちに尊敬されているという。
彼女がポワティエにて神学博士たちとの論議で見事に相手を打ち負かしたことは既に
周囲の町々では伝説に近い話になっており、それは彼女を地上に舞い降りてきた
『聖カトリーヌ』のような女性だと思わせることに一役買っている。
多くの騎士達が、彼女があれだけの偉業を為し得たという事実、さらには人柄、
機智に富んだ振る舞い……それらを目の辺りにして、まさに一大奇跡だと言い合う。
それも無理はなかろう。彼女が言ったことはすべて実現されており、
彼女の言葉は常に事実によって裏付けされているのは周知の通りであるからだ。
また、同じくイタリアのミラノ公爵夫人ボナ・ヴィスコンティは、彼女の奇跡的な偉業を聞きつけて、自分の奪われた公爵領を取り戻してくれとの内容の嘆願書をラ・ピュセルに送ったほどである。
――さて、予告通りオルレアンの包囲を開放してみせた後、ラ・ピュセルやアランソン侯、ル・バタール、ラ・イール及び、シグルドリーヴァ夫妻はロッシュの街に赴いている。
今ではシノンの街から、このロッシュに居を移している王太子にオルレアン開放の報告をするためだ。
ロッシュの街は、ラ・ピュセルが武具一式を揃えたトゥールの街から南東へ約30KMに位置する。
ラ・ピュセルたちは、まず、このロッシュで王太子と謁見し今後の方針を決定した。
当初軍首脳から上がっていた案は、オルレアンから北上し連合に占拠されている首都『パリ』や『ルーアン』といった大都市のあるノルマンディー方面への進軍であった。
戦略上問題のない、まあ妥当な案である。
ところが、ここにラ・ピュセルが介入した。
彼女は、ノルマンディーの東に位置する『ランス』の街へ向かうべきだと言うのである。
何故ランスかと問えば、代々王位戴冠の儀式は、このランスの街の聖堂で行われていたからだ。
正統なるフランス王国国王を名乗るのであれば、当然過去の慣例に則り、このランスで戴冠式を上げなくてはならない。
ちなみに、現在イングランド・フランス両国の王冠を頂くイングランド国王ヘンリーY世は、まだこのランスでの戴冠式を済ませていない。
ラ・ピュセルは、このランスの街を奪還し、連合が掲げるヘンリーよりも先に戴冠式を済ませてしまえば良いと言うのだ。
そうすれば、僭称という惨めな形ではなく王位継承権を持ち、本来フランス王国の王となるべき王太子は、晴れて堂々と国王を名乗り上げることが出来る。
これによって、連合の戦闘意義とでもでも言おうか、相手の気勢を殺ぐことができると彼女は主張した。
この時代、戴冠など神の名において行われる儀式は、偽物には執り行えないと信じられていた。
本当に王位を継ぐべきだと神に認められた者だけが無事に儀式を終えることが出来、もし、その資格を持たぬ者が儀式を強行しようとしても、必ずや神が御怒りになりそれが為されるのを阻止されるであろうと。
だから、ランスの街にて伝統的な手順を以って戴冠式を終えてしまえば、神に認められた真の王として君臨てきるわけであり、連合がその後でいくら難癖つけてこようが一蹴してしまえる。
頭の固い宮廷貴族や、軍首脳からすればコロンブスの卵的発想だが、ラ・ピュセルにとっては当然の主張をしたまでに過ぎなかった。
だが、彼女の意見が玄人受けするものだったことは確かである。
今更ながらに、王太子付きの貴族たちはラ・ピュセルの機智に感嘆するのであった。
無論、反対者もいた。
侍従長を気取っている、ラ・トレモイユがそうである。
彼はこの戦争が長引けば長引くほど私腹を肥やせるシステムを作り上げていた。
ラ・ピュセルの唱える説を採用し、手っ取り早く戦を終結させようとする動きに反発するのは、彼とすれば当然のことであった。
が、ラ・ピュセルとてもう数ヶ月前の孤立無縁の状況にはない。
アランソン侯というバックに、オルレアンで勝ち取った貴族たちを含む多くの忠義・忠誠の従士たちの後ろ盾があるのだ。
如何な侍従長と言えど、彼らを押え込むのは難しかったと見え、結局ラ・ピュセルの案、ランスへの進軍が可決された。
それに際し発案されたのが、勝利王作戦。―― <オペラシオン・ヴィクトリュー> である。
これは、ランスの街への進軍にあたり、王太子の安全に万全を期すため、ロワールの大河周囲に残存する連合の拠点、砦などを一掃するという作戦であった。
確かにランスは連合の勢力地である、ロワール大河を挟んで北側の大地に位置する。
進軍のためには、それを妨害しようとする連合の兵団と幾度も剣を合わせることになるかもしれない。
後方の安全を確保するためには、やはりこれらの連合の兵力を潰しておくに越したことはない。
だが、このとき王太子軍の兵員は物凄い数で増えつつあった。
オルレアンの奇跡の話を聞きつけた多くの兵が、ラ・ピュセルの元で戦いたいとロッシュの街に集結しつつあったからである。
これだけの勢力を持つ兵団なら、生半可な挟撃作戦など力押しでどうとでもなる。
結局は、王太子の臆病さがこの些か用心深すぎる作戦を発動させる切っ掛けとなったのである。
結局、増員した兵の配備や遠征に際する各方面への準備・連絡などで、オペラシオン・ヴィクトリューの発動は6月の8日、オルレアンを始点として開始されることとなった。
RETURN TO THE:45
『愛の告白』
オペラシオン・ヴィクトリューの作戦行動が開始されるのが6月の8日から。
発動まで、1ヵ月間近くも間があることになる。
ラ・ピュセルに思いもしない休暇が舞い込んできたわけだ。
「――つまり、総合すれば『騎馬兵』はその突進力ゆえに『歩兵』に強く、長い槍で突進したところを貫かれるため『槍兵』に弱い。
歩兵はさっき言った通り騎馬兵には弱いけど、長い槍を持つ故に小回りの利かない槍兵には有利に戦える。
弓兵は、遠距離戦で威力を発揮する。
例えばまだ両陣営、睨み合っている段階で弓兵に矢を射らせる。
または、突進してくる騎馬兵がまだ防衛ラインに到達する前に攻撃すると効果的だね。
実際、僕ら『王国軍』が『連合』に敗戦を強いられていたのは、彼らが効果的な弓――長弓隊を組織して、それを上手く利用して戦況を優位にしたからだしね」
ラ・ピュセルは、今日もアランソン侯の私室を訪れ今では兵法を学んでいた。
2人だけの勉強会が開かれるようになってから既に1週間。
ラ・ピュセルは真綿に水を染み込ませるように、様々な知識を驚くべき速度で吸収していった。
――5月12日。
アランソン侯が意識を取り戻してから、まだ5日しか経っていない。
なんとかレ・トゥーレルからこのロッシュの城塞都市まで馬車で移動はしてきたものの、まだベッドで大人しく安静にしている必要があった。
彼は枕を腰の部分にあてがい体を支えると、ベッドに上体を起こした形でラ・ピュセルに兵法を教授していた。
ラ・ピュセルは彼の傍らに持ってきた椅子に腰掛け、その講義を真剣に受けている。
彼女のような優秀な生徒を相手にものを教えるのは結構楽しい。
アランソン侯にとって、病人が感じるような退屈や孤独は、彼女といる限りは無縁のものであった。
「ゴメンね、論理ばかりで。
本当は、剣技や馬術なんかも実戦形式で教えてあげたかったんだけど……。
この体じゃ満足な動きはできそうもないから」
すまなそうに言うアランソン侯に、ラ・ピュセルは静かに首を左右した。
実際のところ、彼が左肩に受けた傷はかなり深かった。
まあ、数週間は満足に動けまい。
戦や剣術の稽古などはもってのほかだった。
夜の帳が下りはじめたロッシュの町角から、喧騒が漏れ来た。
今宵は、オルレアンの開放祝いとランスへの旅路の安全を祈願して、野外にて市民も交えた宴が開かれるのだ。
「……そうか、今日はお祭りだったね」
窓の外から、松明で明るくライトアップされた街を見下ろしながらアランソン侯は言った。
「滅多にないことだし、行ってみようか?」
「――あなたには、無理」
ラ・ピュセルは静かに言った。
何時ものように抑揚のない口調ではなく、どこか諭すような感じである。
「大丈夫だよ。
ちょっとフラフラするけど、君が支えてくれさえすれば。
……お願いできるかな?」
にこやかに言うアランソン侯の顔をしばらくじっと見詰め、決め兼ねていたようだが、ピュセルはやがてゆっくりと頷いた。
「じゃあ、ちょっと起きるから手伝ってくれる?」
コクリと頷くと、ラ・ピュセルは速やかにアランソン侯の傍らに近付いた。
右手をラ・ピュセルの細い首に掛けると、抱き着くようにしてアランソン侯は何とか立ち上がった。
一瞬、相手の吐息が感じられるほどに接近し合う侯とラ・ピュセル。
2人の頬が、カッと紅くなった。
「ゴ……ゴメンね、なんか……」
慌てて言訳するアランソン侯に、
「……いい」
と、消え入りそうなか細い声でラ・ピュセルは言った。
何とか立てはしたものの、数日歩くことすらしなかったアランソン侯の両の足はすっかり萎えてしまっている。
そのままラ・ピュセルの左から肩を抱くような格好でもたれると、2人はゆっくりと宴の会場へ向けて歩き出した。
ロワール大河の支流、アンドル川の谷間の小さな街ロッシュは、戦史の上で名高い、強固な城塞都市である。
その街の中央にある広場で、吟遊詩人たちがリュートやハープを奏ではじめた。
周りには出店が所狭しと並び、あちこちに用意されたかがり火が、街を明るく照らし出している。
王国側にとって明るいニュースが続いたおかげで、ロッシュの街の人々は明るく活気があり、今宵ばかりは戦のことは忘れ、祭りを楽しもうと騒ぎ立てていた。
その喧騒の輪の中に、リリアとクレスの姿があった。
オーギュスタン攻防戦で倒れたクレスが意識を取り戻したのも、やはりアランソン侯と同時期であった。
ただ彼の方はそう深手を受けてはおらず、小さな傷こそ無数にあったが、どちらかと言えば疲労により昏々と眠り続けていたようである。
目を醒ました瞬間、彼はずっと付き添っていたリリアの強烈な平手を頂戴した。
彼女は本気で怒っていた。
クレスですらはじめて見る程怒りを露わに、彼が独断で死にに行ったことを責めた。
そして散々小言を言った後、リリアは優しく彼を抱いた。
――それまで2人の関係は、正直ギスギスしたものがあった。
だが、泣いているリリアを見てクレスは思ったのだ。
彼女を信じてみようと。
立腹しながらも、自分のことを思って泣いてくれるこの女性を、信じてみよう。
下らない嫉妬や意地で彼女との関係を終わらせたくない。
そう思わせるほど、彼女の抱擁は温かかった。
それ以来、彼らは何とか以前の2人に戻ったように見える。
「……いいんですか、寝ていなくて」
リリアはクレスに肩を貸しながら、彼に訊いた。
「――いいさ。ここ何日もベッドの中から1歩も出られなかったからな。気分転換だよ」
「……」
丁度良い位置でクレスに肩を貸すリリアは、女性にしては大柄な部類に入るであろう。
何せ170と、この時代にしてはそこそこ高い身長を誇るクレスとほぼ同じ背丈なのだから。
なのに――
クレスは自分の腰に手をやる。
次いで、位置を変えずにそのままリリアの体まで手をスライドさせた。
「……クレス。街中でどこ触ってるんですか」
リリアが感情の篭らない声で言った。ちょっと、怖い。
――そう。
彼の手は、リリアの形の良いヒップに触れていた。
「オレのが短いのか、リリアのが長いのか……」
「何を、わけのわからないことを言ってるんです」
ポツリと呟くクレスに、リリアが容赦なく突っ込んだ。
「いや、前々から思っていたんだが、リリアのお尻って柔らかいよな?」
「そうですか?」
「ああ。リリアのって普通考えられないくらい、人間の限界まで絞った身体だろう?
なのに女性らしい身体のラインも崩れてないし、普通鍛えたら筋肉で硬くなるはずのヒップも柔らかい。
――何故だ? 使徒だからか?」
「……恐らく、筋肉の質でしょう。
生まれもっての部分も多分にありますが、鍛え方によっても筋肉の質は大きく変化します。
肥大しすぎ、硬くなった筋肉はある一定ラインを超えると、動きの邪魔になりスピードを殺してしまう結果にもなります。身体は柔らかいに越したことはありませんよ。怪我も減りますし」
なんて色気のない話だと、内心溜め息を吐きながらクレスは聞いていた。
お尻の話をしていたのに、何故にトレーニングの話になるんだろう……
だが、身体は柔らかいに越したことはないと言うリリアの言葉には、別の意味で賛同するクレスであった。
「ところで、リリア」
「何です?」
「――愛してるよ」
いきなり真顔で告白しだすクレスに、流石のリリアも狼狽した。
「……なっ」
頬を桜色に染めて、言葉を詰まらせている。
そんな彼女を尻目に、クレスは務めて静かに続けた。
「――だから、あれ、買って」
そう言って彼の指差す方向には、パンに野菜や肉をサンドして売る出店の看板があった。
数秒後、宴に賑わうロッシュの街にクレスの絶叫が響き渡ったと言う。
to be continued....