イエズス=マリアの御名において申す。
其は天上の王、神の望みたもうところにして、
乙女をして其れを告げせしめたもうなり。
ラ・ピュセル
聖週間の火曜日、認之
DARC
−ダァク−
全てを凌駕するもの
MEDIEVAL VI
「死神と天使の対決」
RETURN TO THE:31 きっとLASTMISSION
RETURN TO THE:32 激突する大地
RETURN TO THE:33 Death,Where is thy soul?
RETURN TO THE:34 サン=ルー陥落
RETURN TO THE:35 崩壊する人格
RETURN TO THE:31
きっとLASTMISSION
豪奢な室内から、とても場にはそぐわない破壊音が響いてくる。蹴り倒された木製の椅子は、足の部分を真っ二つに折られ、破片を飛び散らせながら転がると、壁に衝突してようやく止まった。
彼はそれでも気が済まないらしく、その両の拳を、怒りに任せて卓上に叩き付けた。
「話せ!」
彼女に対し、かつてこんな乱暴な物言いをしたことはない。だが、彼――クレスは今、荒れていた。その怒声を一身に受ける女性――リリア・シグルドリーヴァは、悲し気な眼差しをクレスに向けている。
「知っているだろう? オレは、自分の知らない所で事をどうこう動かされるのが、何より気に入らないんだよ!」
クレスの発する言葉ひとつひとつが、リリアの胸に鋭利な刃物となって突き刺さる。彼女は、表情こそ何時ものように変えはしないが、その痛みと必死に戦っていた。
「これまで、これはリリアひとりの――個人的な問題だと、そう思ってきたから敢えて詳しくは聞き出さなかった。だが、今日のあの男リッシュモン元帥は言ったぞ!
オレたち2人に、抹殺指令が下っていると!」
怒りをそのまま叩き付けるかのように、クレスは再度その拳を卓上に落とした。
鍛えられた拳でも、こう容赦なく痛めつけられてはかなわない。左手の指の付け根、中指から小指あたりにかけて、クレスの拳は目を背けたくなるくらいに酷く腫れ上がった。その痛みを感じないほど、彼は今、感情的になっていた。
なぜ、何も言わない。オレは、それ程までに頼り難い存在か? あまりの悔しさに、涙さえ滲んでくる。
「もう、これはリリアひとりの問題じゃない! 話せっ!」
これがリリアという女性ではなく、ラ・イールあたりが相手であったら、クレスの拳は間違いなくその頬に向かっていただろう。
「なあ、リリア。オレたちは、何のために2人でいるんだ? 何のために絆を深めてきたんだ?」
クレスの声が、低く小さくなる。だが、その声音に憤りが感じられることには、変わりない。
「こんな時、こういう時にこそ2人して、苦境を脱するためじゃなかったのか?」
自分に向けられる、クレスの鋭利な視線をリリアは沈黙を以って受け止めた。
「――少なくとも、オレはそう思っていたよ。そして、リリアもそう考えていてくれるものとそう思っていた」
クレスのその瞳に、怒りと同じくらいの悲しみの色が宿った。
「だけどリリアは違ったんだな」
そう言うと、クレスは力無く項垂れた。
「私は」
その様を見て、感極まったか、リリアがはじめて口を開いた。
「私は、ただ、あなたを危険に巻き込みたくなかった」
「ッ!」
その声を受けて顔を上げたクレスは、キッとリリアを睨みつけた。
「それが気に入らねぇって言ってるんだ!」
それは、これまでとは比較にならないほどの怒号であった。
「あんたは、何も分かっちゃいない!
他人を危険に巻き込みたくないのは、皆同じだ!
だが、それで他人を遠ざけるのならば、その関係はそれまでなんだよ!」
関節が白く浮き上がるほどに強く握られた拳からは、爪が皮膚を破り血が流れ出る。クレスの拳は、もうボロボロだった。
「何時も共に在るという、オレたちの誓いは、その危険を共に分かつという誓いでもあったはずだ!
危険に巻き込みたくないだと? そう言っている時点で、既に一人よがりだって言うんだよ!
抹殺指令だぞ? 殺されるかもしれないんだ。訳も分からないままぶっ殺されるなんて冗談じゃないぜ!」
クレスは椅子に静かに腰掛けるリリアに近付くと、その側頭部に手を掛け、そっと引き寄せた。
「いいか、リリア。絆ってのはな、信じ合っていれば確かに遠くはなれていても、ずっと逢えなくても、切れたり薄れたりするものではないかもしれない。
――だけどな!
共に居なければ、深まることもまたない!
大事な人だけど、そいつを厄介ごとに巻き込んで、一緒に危険な目にあって、危うく死にかけて、ふたりで死地を潜り抜ける。
その行為や過程そのものが、人の絆を深めていくそういうものだろう? リリアが悩んでるんだ。オレはそれに巻き込まれることを迷惑だなんて思わない。そう思うくらいなら、最初から夫婦の契りなど結ばない」
吐息を直に感じられる程に近付けた彼女の顔を、じっと覗き込むと、クレスは続けた。
「現状で、確かにオレは弱い。リリアにとっては、足手まといでしかないかもしれない。だが、技術的なサポートは出来ずとも、精神的な支えにはなれるはずだ。そうでなければ、オレ達が共にある意味はない。違うか?」
2人の間に暫し、沈黙が降りる。
「それで尚、オレには何も言えぬというのなら」
リリアから離れると、クレスは踵を返す。
「オレたちは、所詮それまでの関係だったということだ。ふたりで居るのも、これで終わりだな」
その声からは、もはや何の感情も感じられなかった。涙を堪え、悔しさに耐え、破滅の予感に揺れながら、感情が表に出るのを必死で抑えているのだろう。背を向けたまま、クレスはゆっくりと戸口へ向かい歩を進めはじめた。
彼がこの部屋からひとりで出た時点で、彼らふたりの共生関係は崩壊。終わりを告げるのだろう。それは、リリアにも分かった。だから
「待って!」
弾けるように、立ち上がるとリリアは叫んだ。普段の彼女からすれば、信じられないくらいの音量と勢いだ。その表情は感情も露わに、戸惑いと哀しみにはっきりと彩られている。
「待ってください」
クレスは、その声を受けゆっくりと振り返った。
無言でリリアの言葉を待つクレスの表情は、まだ厳しい。
「全て」
俯き加減の相貌を上げると、リリアは言った。
「全てをお話します。ですから、お願いです私を捨てないで下さい」
その言葉に、クレスはゆっくりと首を左右に振る。
「――違う」
彼は言った。
「捨てられるところだったのは、オレの方だ」
ふたりの頬を、一筋づつ、涙が伝った。
RETURN TO THE:32
激突する大地
ラ・ピュセルは、寝台から飛び起きた。夢の中で、“声”が言ったのだ。戦へ――と。
彼女はオルレアン侯主計官の館に寄宿していたわけだが、一緒に寝ていたその細君と娘を叩き起こすと、甲冑をまとうのを手伝わせた。同時に、小姓や副官には乙女の軍旗とスレイプニールの用意をさせる。
用意が整い次第、ラ・ピュセルはスレイプニールに跨ると、ブルゴーニュ門を目指して疾風の如く駆け去った。
「ちっ! くだらない貴族の見栄が、この始末か」
砦から放たれる雨のような矢の群れを睨み付けながら、クレスは吐き捨てるように言った。ついにはじまった連合との、オルレアン攻防戦。攻囲する砦の一角を崩そうと、撃って出たのはいいが、この戦場にラ・ピュセルの姿はない。
希望の象徴、勝利の女神ともされるラ・ピュセル不在が影響し、士気が上がらぬまま、篭城軍は劣勢に立たされていた。
連合の新兵器である長弓の攻撃を前に、味方兵士は砦に近付く事さえ許されず、次々と襲い来る矢に射抜かれて戦場に倒れて行く。貴族どもが素直に、あのラ・ピュセルの力を受け入れないからこんな事態に陥ったのだ。
クレスは、まだ癒えぬ傷ついた拳を握り締めた。
――5月4日。
ブロワに増援部隊の第2陣を迎えにいったル・バタール(オルレアンの私生児)が、オルレアンに帰還した。その日の内に、そのル・バタールを加えた軍首脳会議が開かれ、市の東側に位置するサン=ルー砦奪還計画の発動が決定された。
無論、ラ・イールをはじめクレスやリリアもその軍議に参加したが
一部貴族の猛反対を受け、ラ・ピュセルの出席は許される事はなかった。
嫉妬に冷静な判断能力を狂わされた彼らには、大抜擢を受けぽんっと自分達の高みまで成り上がり、更には民や傭兵から絶大な支持を受けるラ・ピュセルの存在は、決して歓迎できるものではない。ラ・ピュセルは、彼らの陳腐なプライドのおかげで軍首脳部からの孤立を余儀なくされていた。
彼女の存在を無視し、報せすら与えずサン=ルー砦へ向けて奇襲を仕掛け、連合との戦闘を開始したのも、そ
の陰湿な嫌がらせの一環であった。
だが、生憎とラ・ピュセルは気付いていた。“声”が、開戦の報せを彼女に与えたのだ。故に慌ただしく用意を整えた彼女は、ブルゴーニュ門を抜け戦場に躍り出た。
オルレアンの南側から西側、そして北側までは、半円を描くように連合の砦がガッチリと攻囲を固めているが、東側の囲みには付け入る隙はある。
もっと言ってしまえば、東側には、このサン=ルー砦くらいしか際立った存在はないのだ。まずはこの砦を陥とし、連合の包囲網を崩そうとする試みは、戦略上至極妥当なところである。問題は、救国の乙女不在による、オルレアン兵の士気の低下だ。
ラ・ピュセルの存在は、オルレアン側にとって想像以上のウエイトを占めるまでになっていた。軍首脳は、彼女のもたらすその影響力を見くびりすぎていたのだ。
ズゴゥン! !
「くうっ?」
突然、鼓膜を打ち破るほどの轟音と共に、大地が揺れた。持ち前の卓越したバランス感覚で体勢を立て直すと、クレスは音源に目を向ける。そこには、直径10M近くはあろうか、巨大なクレーターが出来上がっていた。
濛々と上がる土煙に目を凝らせば、その周囲にかなりの味方兵が倒れているのが分かる。
――バジリスト
いや、マンゴノゥ・カタパルトか!
<マンゴノゥ・カタパルト> は現存する兵器の中でも、最強の破壊力をもつ投石兵器だ。
100KG以上の石や鋼鉄の弾丸をバネや平衡錘、テコの原理等を利用して打ち出すもので、大きな放物線を描きながら、200M程の彼方まで飛ばす事ができる、砦などに設置されている主砲である。その威力は凄まじく、城壁を砕き、大地を震わせる程であった。
運用に10人以上の男手が必要で、連射こそ出来ないという欠点を持つものの、その存在そのものが敵兵は脅威となる。
「ちいっ! 奴等、あんなものまで用意していやがった! ――完っっ璧にまずいぞ」
ラ・イールが、クレイモアというとんでもない大剣を振り回し、連合の歩兵を蹴散らしながら、クレスの傍らに寄ってきた。
「ああこのままじゃ、アザンクールの二の舞だぜ」
クレスが預かる独立遊撃隊35は流石に精鋭、手練揃いだけあり死者は出ていないが、このままでは被害を免れないだろう。
「どうする、イール。ラ・ピュセルがいないんじゃ、現状で士気を盛り返すのは難しいぞ。退くか?」
一応、質問の形をとってはいるが、クレスの物言いは明らかに進言だった。
「うむ」
ラ・イールも難しい顔をしている。当然だ。ラ・ピュセルが参加していないとはいえ、市民にとっては救世主を迎えての緒戦。それに負けたとなれば彼らは絶望し、下手すれば連合への投降の声さえ上がりかねない。
ラ・ピュセルの参加如何によらず、この戦は勝って当たり前、そう見られているのだ。そうそう簡単に退けるはずもない。かと言ってこのままではクレスの言う通り、アザンクールの二の舞である。
「そう言えば、リリアはどうした?」
思い出したように、ラ・イールが訊いた。確かに、彼女が本気を出せば相手が何万の軍勢だろうが負ける気はしない。
だが
「彼女は、空だ。――この戦には参加できまい」
「?」
いきなり空だ、と言われてもラ・イールにはさっぱり分からない。だが、質問を返す間も与えず、連合の兵士達が押し寄せてくる。
「ちいっ!」
舌打ちしながら、クレスは配下の兵に指令を出し、自らも向かい来る突撃兵を叩き切る。
「くそっ、退却もままならんな。背を向けた瞬間、後ろから殺られかねん」
「うぅむ完っっっ璧にヤバイぞ。まさに、絶体絶命だ」
とにかく、退路の確保が最優先である。周囲の敵を駆逐し、防御板(弓矢などを防ぐ大きなシールド)の死守を命じようと、ラ・イールが口を開いたその時。
彼らの背後――
即ちオルレアン市の方から、大地を抉るように力強く駆ける蹄の音が、凄まじい速度で近付いてくる。振り向くと、とてつもなく大きな黒い馬が、その背に白い騎士を乗せて駆けてくるではないか。
風を切り、光の軌跡を描きながらゆれる蒼銀の髪。目の醒めるような、純白の甲冑。燃えるような紅の瞳。
その左手には、煌く乙女の長剣。
――紛うことなき、ラ・ピュセルである。
アランソン侯より譲り受けたスレイプニール。彼女の足は凄まじかった。まさに鬼足。他の馬が止まって見えるほどである。
スレイプニールは、ラ・ピュセルが自らデザインした天使の軍旗を引っさげて彼女の後方を走る副官の馬を、グングンと引き放し、一瞬後には、クレスとラ・イールの間を黒い稲妻となって駆け抜けていった。
「何なんだ、あのデカイ馬は。完璧にバケモンだぞ」
その勢いといえば、ラ・イールをしてこう言わしめた程である。
そして、あの少女はそのスレイプニールを完全に乗りこなしているのだ。なんという光景だろうか!
神聖なるラ・ピュセルと、その黒の愛馬が縦横無尽に戦場を駆けるその様は、殺戮の場にあって尚美しかった。
瞬く間に前線に駆け込んだスレイプニールは、天馬の如く飛翔すると連合の歩兵を、まるで地を這うアリの如く踏み潰す。その騎手ラ・ピュセルも、これまた鬼神の如くその長剣を振るいはじめた。
不思議な事に、屈強なる兵士たちに比べあまりに小柄でありながらも、ラ・ピュセルのその姿は遠目にも異様に目立つ。勿論、スレイプニールが他の駄馬と比べてあまりに際立った風格を備えているということもあるが、なによりラ・ピュセルがまとう、神聖なるオーラが人の目をその心ごと引き付けるのだ。
ラ・ピュセル
「聖乙女」
「ラ・ピュセルだ」
「救世天使だ!」
「救国の乙女が来たぞっ!」
ざわざわと、オルレアン軍の間にラ・ピュセルの名が囁かれる。
「あれが、オルレアンの魔女か?」
「まさか、噂が真実とは」
「本当にいたのか」
そして、連合の兵士にとってその存在は畏怖の象徴。
あれが
あの神々しいまでに美しい少女が
あれが
救国の乙女
あれが
あれが――ラ・ピュセル!
そして、ようやく彼女に追いついた副官が、その無口な主に代わり高々に宣言する。
「神聖騎士ラ・ピュセル! 此処に現臨!」
オルレアンの兵達から、大地を揺るがす大歓声が上がる。彼女の登場は、一瞬にしてその士気を最高にまで高めた。
「おうっ! ピュセルに遅れをとるなっ!
今こそ我らが正義を示せ、オルレアンの勇者達よ!
神はオレたちに勝利の天使を遣わした。オレたちは、今、完っっっっ璧にパーフェクトだっ!」
クレイモアを天にかざし、ラ・イールがわけの分からない事を叫ぶ。この、鳥肌がたつような高揚感!
いける!
味方の士気は最高潮。先程まで、あれほどの劣勢に立たされていたはずなのに、今では負ける気が全くしない。まるで、魔法でもかけられたかのように、突然体中に溢れ出した力に打ち震えながら、クレスは確信した。
リリア、オレは行くぜ。
「よしっ、オレたちも出るぞ。クレス独立遊撃隊、およびデス=リバース独立遊撃隊、全軍突撃っ!」
戦場に木霊するクレスのその声に連鎖するかのように、あちこちから突撃の声が上がる。
――戦況は、一転した。
RETURN TO THE:33
死神の真意
オルレアンは既に日没を向かえ、辺りは夜の闇に包まれようとしている。
だが、両軍から放たれた火矢の炎が砦の外壁や、巨大な木製の移動式・攻撃櫓に燃え移り、サン=ルー砦を中心とする戦場は、昼間のように煌煌と照らし出されていた。その戦場上空、400メートル。
死神の化身=デス・リバースこと、リリア・シグルドリーヴァはある一点を目指して飛翔を続けていた。
かといって、彼女の背に翼があるわけでも、未知なる乗り物に乗っているわけでもない。ATフィールドのエネルギー帯を噴射するように展開し続ける事で、推進力を得ているのだ。ATフィールドを完全に使いこなし、尚且つその推進エネルギー出力が充分量に達していなければできない芸当である。
使い方を覚えたとはいえ、まだまだリリアやリッシュモン元帥のレヴェルには及ばないラ・ピュセルやクレスなどでは、到底無理であろう。
「!」
彼女の柳眉が顰められた。目標をその目に捕らえたのである。
――自由天使・タブリス
夜の装いを見せはじめる大空に、ひっそりと浮かぶ半月。その青白い光を浴びて、彼はそこにいた。両の手をズボンのポケットにおさめ、”自由を司る天使”=タブリスは、その穏やかな夜風を感じ入るように瞳を閉じて静止している。
リリアは、飛翔速度を上げると一気にタブリスの高みにまで昇り詰め、充分な間合いを取って彼と対峙した。その左手には既に、彼女のメイン・ウエポンである死神の大鎌、デス・クレセントが装備されている。
「待っていたよ。ゼルエル」
タブリスリッシュモン元帥は、ゆっくりと目を開くと唄うようにそう言った。
「その名は捨てた――そう言ったはずです」
リリアは静かに答える。その声からは、如何なる感情も感じられない。
――2人の間に、場違いとも思えるような優しい風が吹く。
「良い夜だねぇ」
リッシュモン元帥の声は、何かこの緊張を楽しんでいるようにさえ思われる。サラサラと風になびく銀の髪。月の光を浴びて神秘的に輝く白い肌。
穏やかに微笑むリッシュモン元帥のその姿は、まさに天使であった。
突然、彼らの遥か眼下から大歓声が上がった。オルレアンの大地で繰り広げれる連合と篭城軍との戦闘に、黒馬を駆り、颯爽とラ・ピュセルが現われたのだ。それによって、抑えられていたオルレアン側の兵の本来の士気が戻った。今や、形勢は完全に逆転していた。
人の群れが大地に滲む黒い染みのようにしか見えない程の上空ではあるが、”使徒”たる彼には鮮明に捉えられるのであろう。リッシュモン元帥は眼下に繰り広げられる激戦を目を細めて眺めている。
「戦が動きはじめたようだ」
心なしか、その声は弾んでいる。ラ・ピュセルの登場により勢いづいたオルレアン側の勝利は、最早確定的であった。
「――さて。我々もそろそろはじめようか」
スッと、リッシュモン元帥の雰囲気が変わった。
「先にも言ったように、 <死神ゼルエル> 及び <クレス・シグルドリーヴァ> の両名には抹殺指令が下りている。そして、その遂行者にはとりあえず僕が選ばれた」
「貴方に、その任務を完遂することはできません」
「――ほう」
リッシュモン元帥は面白そうに声をあげた。
「私からクレスを奪うもの。クレスから私を奪うもの。そして、私たちから安息を奪うもの。私は、その全てを排除する」
リリアの宣言を、彼は微笑みを持って受けとった。
「だが、こう見えても僕、自由天使タブリスも”最強”と評される使徒のひとりだ。その最強の名に賭けても、そうそう君の思惑通りにさせるわけにもいくまい?」
「最強は――」
リッシュモン元帥の言葉が終わるか終わらないか、語尾に被せる様にリリアは静かに言い放つ。
「ひとりでいい」
「その通りだ」
リッシュモン元帥のその声が、闘いの合図となった。
「なれば、今こそ、最強を決めようッ!」
リッシュモン元帥は、突然に身も凍るような殺気を放出すると、恐るべき速度でリリアとの間合いを詰める。対してそれを冷静に見極めたリリアは、突進してくるリッシュモン元帥に向けてデス・クレセントを一閃した。2枚の蒼い三日月がスティックの先端から剥離され、ブーメランのように回転しながらリッシュモン元帥に襲い掛かる。
今、まさにその三日月型のエネルギー帯によって、リッシュモン元帥の身体が無残に切り裂かれるという瞬間、彼の姿が突然掻き消えた。リリアの攻撃を予測していたリッシュモン元帥は、全く体勢を変えずして急速に真上に上昇したのだ。
彼はそのまま、リリアの頭上に急降下した。その右の掌から、光の杭のようなものが出現する。
――ライトニング・パイル?
この光で構成された杭は、リリアやリッシュモン元帥、ラ・ピュセルと同じく人類監視機構に造られた、水を司る使徒サキエルのメイン・ウエポンだ。
リリアはリッシュモン元帥が生み出した武器を一瞬で見極めると、真上から襲い来るライトニング・パイルを新たに展開したデス・クレセントで受け止める。接触したふたつの高エネルギー帯から弾かれた力の奔流が空気を分解し、周囲にイオン臭をばら撒いた。
この天使だけが作り出すことのできる光の武器は、本来不可視の存在である。時折、空気中に含まれる塵との化学反応により、青白く発光することで人間にも見えることがあるものの、基本的には、”使徒”にしか見ることはできない。
死神の鎌と光の杭。リリアとリッシュモン元帥。どちらも、互いの武器を跳ね返そうと、渾身の力で押し合うが全くの互角。
純粋な腕力勝負では、どうやら2人の決着は付かないらしい。
そう判断したリッシュモン元帥は、空いている左手から瞬時に使徒の光鞭を生み出すと、リリアに向けて一気に振るう。ヒュンッ――と、空気を切り裂く音と共に、リリアに襲い掛かる光の鞭。ライトニング・ウイップ即ち、使徒シャムシエルのメイン・ウエポンである。
自由天使タブリス=元帥が、並居る使徒達の内、最強のひとりとして君臨する理由がこれであった。彼は、数々の使徒達の得意とする攻撃法や、特殊武器をほとんど完全に使いこなすことができる。これによって戦闘におけるパターン・バリエーションに幅が出ることは、当然。いや、なによりもその事実は、並外れて高い彼の戦闘センスを物語っていた。
だが、その戦闘におけるセンスで言えば
到底人間の動体視力と反応速度では、捉え切れないほどの速度で襲い来るライトニング・ウイップを、リリアは右手でしっかりと掴み取った。
「なっ?」
リッシュモン元帥の目が、脅威に見開かれる。
――デス・リバースの方が数段上を行っていた。
無論、如何な天使と言えど素手で高エネルギー・ウェポンを受け止めることはできない。彼女はその右の手に、高圧縮したATフィールドを展開することで、手で掴み取るなどという芸当を可能としたのである。リリアは、手の中でヘビの如く躍り暴れるリッシュモン元帥の光鞭を、そのまま握り潰した。
不意を付いたはずの攻撃をあっさりと受け止められたリッシュモン元帥に一瞬、そう、極一瞬の隙が生じた。それを逃してくれるほど、死神の化身は甘くはない。リリアの鋭いミドル・キックがリッシュモン元帥の腹部に叩き込まれた。
「ぐはぁっ!」
ATフィールドを展開する間も無かったリッシュモン元帥は、凄まじい衝撃を受け、そのまま後方へ弾き飛ばされた。鎧を着ていなければ、確実に肋骨を数本やられていただろうし、内臓破裂の危険もあっただろう。リリアは、間髪入れずに腹を抑えて小さく悶えるリッシュモン元帥との間合いを詰めると、その側頭部目掛けて左のハイキックを放つ。
柔かな膝の関節がその蹴りにしなやかさを与え、先程の光の鞭の如く鋭さを持ってリッシュモン元帥に襲い掛かる。さらに、蹴りのために鍛えられたリリアの脛は、ATフィールドでコーティングがなされていた。回避しきれないと判断したリッシュモン元帥は、とっさに両手を交叉させて、ガードをつくるとその蹴りを受け止める。
ミシィッ!
リッシュモン元帥の両腕の骨が、その強烈な威力に軋みを上げる。リッシュモン元帥自身も、両腕のガードにATフィールドを張っていたが、それはリリアの蹴りのATフィールドと完全に相殺されていた。
当然、蹴り本来の勢いを殺すことはできない。それが、リッシュモン元帥の両腕にダイレクトに襲ったというわけだ。
「くぅっ」
まるで、丸太で殴り付けられでもしたかのような重い蹴りに、リッシュモン元帥は歯を食いしばった。ガードにATフィールドを張っていなかったら――。考えただけでもゾッとする。
体勢を整える暇も与えず、凄まじい勢いで振り払われたリリアのデス・クレセントを何とか後方に飛び退いて躱すと、リッシュモン元帥は大きく間合いをとった。いや、完全には躱し切れてはいない。
リッシュモン元帥のその俊敏さを殺すことのないよう、軽量化を施された胸部限定鎧がパックリと切り裂かれ、覗いた胸の白い肌には薄っすらと赤い血が滲んでいる。
無論、リッシュモン元帥の周囲にはATフィールドが展開されていた。高エネルギー・ウェポンとは言え、ATフィールドを破れるほどの力はないはずだ。
――何故だ?
自由天使タブリスのセンスと力を持ってしても、このデス・クレセントだけはコピーすることができない。この高度すぎる技術を要する武器を形成できるのは、この世で只ひとり、リリアだけなのだ。一体、この恐るべき兵器は、なんなのか。
リッシュモン元帥は目を凝らして、デス・クレセントを観察した。1.5M程の銀色のステッキ先端から展開される、大きな三日月状の二枚刃。リッシュモン元帥は、その二枚刃を形成するエネルギー帯が、それぞれ微妙に異なっていることに気付いた。
つまり、内側の1枚はATフィールド製の刃。外側のもう1枚は、高エネルギー製の刃。
死の三日月と呼ばれるこの武器が、二枚の鎌で構成される理由
つまり、内側のATフィールド製の刃で、リッシュモン元帥の展開する防御用のATフィールドを中和し、外側のもう1枚で、リッシュモン元帥自身を切り裂いたわけだ。
「成る程――。噂というのはあてにならない。僕は君と並んで最強と称されるにはかなりの力不足」
内出血で青く腫れ上がった腕をさすりながら、リッシュモン元帥は苦々しく言った。その口元は皮肉な笑みに歪んでいるが、目は、激痛に細められていた。この両手、数日は使い物になるまい。
「どうやら現状では僕などまったく相手にすらならないようだね、デス・リバース」
しかも、彼女はまだ本気ではない。小手調べとでもいった感じだろう。その証拠に、リッシュモン元帥の息は既に切れ切れであるのに対し、リリアの呼吸は全く乱れていない。
リリアはデス・クレセントを左手に、特に構えは取らず、自然体のまま宙に浮いている。
「僕は君の真意というものに、興味が湧いてきたよ」
「私の真意?」
想像していなかったのだろうか、リリアは少し驚いたようだ。
「そうさ。最初は、有無を言わさず、監視機構を裏切った君たちを処分しようと思っていたのだが」
「僕が耳にしたゼルエルの噂といえば――
その実力は並み居る天使達の頂点にあり、監視機構からも絶対的信頼を得ている、最高のエージェント。そういった類のものばかりだ」
飄々としたリッシュモン元帥の声を、リリアは表情も変えずただ静かに聞いている。
「興味があるね。その最高の天使が、何故に絶対者たる監視機構を裏切るような真似をするのか」
「――あなたは」
しばらくの沈黙をおくと、やがてリリアはゆっくりと口を開いた。
「あなたは、何か間違っていると思った事はありませんか?」
リッシュモン元帥は怪訝な表情をしながらも、無言で先を促す。
「何時からかは知りません。ですが、人類監視機構という存在は、太古の昔よりヒトという存在を、その名の通り監視・管理してきた。私たちエージェントには、全くと言って良いほど情報は与えられていませんが、その任務の内容から、監視機構の目的が人類の安寧であることは、容易に窺い知る事ができます」
「そう。君の言う通り、監視機構は人類を管理し、現在のような戦乱の世には僕らのような存在を以って歴史に介入し、結果彼ら人類を安寧へと導いてきた」
リッシュモン元帥の紅い瞳がリリアを見詰める。それに何の問題がある? とでも言いた気な表情だ。
「あまりに合理的であり、あまりに不条理だとは感じませんか?」
リリアは、蒼い月を静かに見上げる。
「人類監視機構という存在が何であるかは全く知りようがありませんが
彼らは、何故に人類の安定を望むのでしょうか? 時には一国を私たちの手によって滅ぼしてさえ、無理にでも平安を保とうとするのは如何な理由からでしょうか?」
リッシュモン元帥の眉が、僅かに顰められる。何時の間にか、口元からは笑みが消え、紅い瞳はリリアに引き付けられていた。
「私が命じられたのは、スウェーデン王国にある各勢力の力を均一に保ち、互いに疲弊させ合うことで各サイドの力を弱め対立関係を曖昧にさせることでした。この国に送り込まれた、アルテュール・ド・リッシュモン大元帥としての貴方の任務は、イングランドによる支配を妨げ、この国を消滅の危機から守るそうではありませんか?」
ラ・ピュセルのATフィールドを見るまでは、リッシュモン元帥、即ち元帥の任務は想像すらできなかった。だが、ラ・ピュセルが”使徒”であると判明した以上、リッシュモン元帥の任務は限定されてくる。本来、”使徒”は裏から歴史に介入する。
ラ・ピュセルのように堂々と体を晒し、名乗り上げ、国王という公の存在に取り入って歴史に介入することなど従来あり得ないことだった。しかし、彼女は”使徒”であるにも関わらず、”使徒”としての扱いを受けていない。
更には、”天の声”よりダイレクトに任務が送られてくるという。まったく類例の無かったことだ。
これらを総合するに、彼女は、監視機構直々に特殊任務を授けられ、その任務の性質上、”使徒”としての記憶を封じられている。もしくは、自分が”使徒”という存在であることを最初から知らない――そう考えるのが自然というものだ。
そして、それを裏方から支援し、ラ・ピュセルが”使徒”としての職分から逸脱しない様監査するのがリッシュモン元帥の役目なのだろう。そうでなければ、”使徒”という絶大な影響力をもつ存在が一国にふたりも派遣されるわけがない。
リリアの問いに、リッシュモン元帥は答えない。いや、答えられない。彼ら”使徒”の任務は、一国の存亡に直接関わるものである以上、当然のこと極秘事項である。例え同じ使徒同士であっても、明かすことは許されていない。
だが、時に沈黙は下手な言葉よりも、雄弁に真実を語る。この場合、まさにそれであった。
「こうは考えられないでしょうか。人類監視機構は、人類の力を恐れている」
「恐れる?」
「はい。ヒトという種は恐ろしい程の成長力を秘めています。戦という時代の加速を促す流れの中で、彼らは飛躍的にその技術、文化を成長させる。
また、ある存在が他を支配し、人類文化が統合される場合も同様。人類は強大な力を持つ、恐るべき存在となる。逆に、栄華を極めた大国が現われた場合は、私たち使徒にその頂点に立つ人物を暗殺させるか、逆に戦や反乱を誘発させることで、その文化を破壊し時代を逆行させる。
安寧、平和、秩序。破壊、戦、混迷。適度な緊張と均衡。これらの中で人類を飼い殺しにすれば、その成長を抑制・管理することができると云う訳です」
「――それは」
言葉に詰まるリッシュモン元帥。リリアが指摘したようなことは、これまで考えたことすらなかったからだ。
「何故、影から介入するのです? 何故、管理するのです? 何故、支配するのです? 人類監視機構――彼らは神でも気取っているのですか? それとも、神そのものなのですか?」
畳み掛けるように、リリアは問う。無論、一介のエージェントでしかないリッシュモン元帥には答えられるわけもない。
「何故、見守るにとどめないのでしょう。
人類の自由に、人類の可能性に任せればいいのではありませんか? 例えそれで滅びの道を歩んだとしても、それが運命。彼ら人類の種としての限界。そうではありませんか?
現に、人間以外の生物はそうやって自然淘汰の中、存在してきました。ですが、監視機構は人類が生まれた途端に介入をはじめ、管理体制を敷いた。放っておけば、勝手に絶滅してくれるかもしれないのに、あえて介入を果たしてしまうほど人類が怖かったのですか?
それとも、人類に滅びてもらっては困る理由でも存在するのですか?」
リリアは蒼い月からその視線を、リッシュモン元帥に戻した。その神秘的なエメラルド・グリーンと、ゴールドの瞳には強い意志の光が宿っていた。
「この美しくも偉大な地球が生み出したその摂理を、神の理と解釈するならば
それを破り、人類の成長を抑えようとする監視機構の存在は、明らかに神ではありません。ならば、彼らは何者か?
神あらざるものに、他の生物の運命や可能性を管理・操作することなど――
大地の摂理を曲げることなど許さるでしょうか?
答えは、否」
リッシュモン元帥は、その衝撃的なリリアの言葉に口を開くことすらできない。
「――私は、スウェーデン王国である傭兵に出会いました。その名をクレス・シグルドリーヴァ。弱いながらもあらゆる支配を否定し、自由を求める。私は、彼のその生き様にその想いに心を惹かれました。
そして、自分の在り方に疑問を覚えるようになったのです。自分は、天使として彼よりも強い力を持ちながら
強大な現実という壁を打ち壊す力を与えられながら、支配者の歯車となり、ただ命ざれるまま生きている。
わたしたち”使徒”の存在は私の存在は、正しいのか――と」
「君は、それを確認したかったというのか? 自分の存在を、使徒としての自分の力の意味を、そして、人類監視機構の目的を」
リッシュモン元帥は、呟くように問うた。それは何か、その意味を心に確認しているかのようにもとれた。
「もっとも――
そんなことは建前で、本当はただあの人がクレスが欲しかっただけなのかも知れませんが」
そう言って、リリアは薄く微笑んだ。戦士の目で微笑んだ。自らの守護すべきものを、全力を以って守り切ろうという、曇り無き戦士の目だ。
大切な人を命を賭けて、守り抜こうという、そしてその人と共に生きるために戦う、崇高な”人間”の目だ。リッシュモン元帥はそんな彼女を美しいと思った。
――守るべきもの
――生き残る理由と価値
――そして、心
どれも、監視機構には与えられなかったものだ。今まで任務には、必要ないと思ってきたものだ。だが、本当に必要なかったのだろうか。
本当に意味のないものだったのだろうか。必要のないものならば、何故にそれを手にしたこの戦士が、これほどまでに美しく見えるのか?
守るために戦う時、あらゆる存在は
君は生命の実を手にした者でありながら、知恵の実すらも手に入れた。
「――そうか。リリア・シグルドリーヴァ、だから、君はこんなにも強いんだね」
自由天使よ。今まで何をしてきた? 何を見てきた? 僕は、自由を司る者だぞ。その僕が、つまらぬ支配を無条件に受け入れ如何なする? 「フフフ」
リッシュモン元帥は心底おもしろそうに笑った。
「面白いよ、君たちは。なるほど、ゼルエルいや、リリア・シグルドリーヴァ。君が監視機構を裏切ったわけが、何となく分かってきたよ」
「私だけではありません。クレスをはじめてとする人間そのものが、本来そういった自由な存在と成り得るのです。彼らは愚かな存在ですが、また、その秘めた可能性に学ぶところも大きい。彼から学んだことです」
リリアは、静かにそう言った。
「リリア・シグルドリーヴァ。今日のことは謝罪させてもらうよ。最早、僕には君と戦う理由は無くなった」
「――では」
「僕は、これらか真実を知るために監視機構を探る。見方によれば、それは君たちと同じ様に、つまり裏切り者として扱われることにもなるだろうけどね?」
リッシュモン元帥は、微笑んだ。その言葉通り、彼からはもう闘気や殺気は感じられない。
「だが、安心しない方がいい。僕が通用しないと分かった以上、監視機構は次々と君たちに刺客を差し向けてくるだろう。それも、同時に何体もね」
「分かっています」
リリアも、デスクレセントを腰のホルスターにおさめた。
「フッ。そうだろうね。この闘いは覚悟が無くてはできないものだから。僕はしばらく監視機構の任務に従事できない。だが、現状で事の全てをラ・ピュセルひとりに任せるは、些かきついだろう。
彼女のバックアップを頼めないか? 君も連合による支配を是とはしていないのだろう?」
今まで敵対していた者に自分の後任を任せるとは、奇妙な話である。リッシュモン元帥は皮肉に笑った。
「特に政治的要素を考慮に入れたことはありません。あの人が、自分の父親の祖国が無くなるのが忍びない。そう言うものですから、協力しているだけです」
「そう言うでもないさ。いくら君でも、監視機構に正面から挑んでも勝ち目はない。力を持つ仲間を作り上げておくのも悪くはないだろう?
最近、ラ・ピュセルもアランソン侯との触れ合いによって監視機構――
というより、自分の生き方に疑問を抱きはじめている。もっとも、彼女自身はそのことに気付いてはいないがね。
仲間に引き入れるには、もってこいの相手だ。彼女の実力はまだまだ未知数。これから伸びるかもしれないしね」
「――お言葉は、ありがたく承っておきます」
相変わらず、ぶっきらぼうにリリアは言い放った。
「フフ、じゃあ、僕はこのへんで失礼するよ。また逢えることを期待している。その時、僕の持っているカードを、全て君たちに明かすよ」
そう言い残すと、リッシュモン元帥は夜の闇に消え去った。それを見届けると、リリアは再び蒼く優しく光を放つ月に目を向けた。
堕天使として、女として。
彼女の生き残りをかけた戦争は、ようやくはじまったばかりなのだ。
RETURN TO THE:34
サン=ルー陥落
ラ・ピュセル介入により、戦局は一転。勢いに乗ったオルレアン軍は押しに押した。砦攻めにおいては、一気に片を付けることが犠牲者を最小限にとどめる最良の方法なのだ。
破壊槌で砦の門を打ち破る時に、上から射られる弓矢。砦に侵入した際の待ち伏せ。こういった攻防戦には、絶対に犠牲者は出る。
――ラ・ピュセル。
彼女は今、それをつくづく思い知らされていた。
次々と築かれていく死体の山。砦の上から、熱せられた油を浴びせられ悶え苦しむ兵。その上、火矢を放たれ火だるまになる兵。
矢で喉を貫かれ、剣で胸を裂かれ、斧で頭蓋を叩き割られる兵士達。そのひとりひとりの命が、真っ赤な血飛沫と共に戦場に散って逝く。
――神も信仰も関係のない、純粋な心からの目で、戦というものを見詰めてみて
シノンの街から見送りられたとき、アランソン侯はそう言っていた。神の命令でもないのだから、従ういわれはないのだが、ラ・ピュセルは何故かそれを実行する気になった。だから、神から与えられた聖なる壁ATフィールドも使わなかった。
純粋な戦場を感じるには、その危険性も背負わなければならないと考えたからだ。それでもし死ぬようなことがあれば、自分の運命もそれまで。神の目に、自分の存在は適わなかったのだろう。そう思うことにした。
いや、正直に言えば、最初はATフィールドなど必要ないと思っていたのだ。神の遣いである自分が、神の名のもとに聖戦を挑むのだ。相手はラ・ピュセルの名を聞き、ラ・ピュセルの姿を見た段階で揃って投降し、侵攻という大罪に荷担したことを悔い、神に許しを請うだろう。
そう楽観していたのだ。
だが、現実は違う。
敵の反撃を受けた。ラ・ピュセルの名を訊きながらも、相手は向かってきた。口々に魔女め! と叫びながら、自分に剣を振り下ろしてきた。
そして、自らの手でその向かいくる敵兵を切り捨て――命を奪ったのだ。
剣が肉に食い込み、切り裂いていく嫌な感触が、生々しくこの手に残っている。今まさに命の火が消えようという兵の断末魔。この世を呪い、自らの命を奪った敵に向ける憎しみの瞳。
自らの剣一振りで、ひとつの命があっさりと消えてゆく。人の一生を、自分の手で終わらせるのだ。もう笑うことも、泣くことも、心を動かすことも、家族と再会することも許されない、この世あらざる場所へ叩き落とすのだ。
「これが、戦争」
ぽつりと零れたラ・ピュセルの呟きは、戦場に響き渡る怒号と断末魔にかき消された。
――ポワティエでの結果次第だけど
多分、君はオルレアンに派遣される運びになると思う。でも、そうなったら、嫌でも戦場という狂気の領域で殺し合いをすることになる
その中でいつかきっと分かる日が来るよ。戦争は人の命と運命を弄ぶ。そして、戦場では信仰も奇麗事も通用しない。
君にとって、この戦争は神の後押しを受けた、聖戦なのかもしれない。だけど、そこで行われるのは、
守るべき家族や心を持つかけがえのない人間の命のやりとりなんだよ――
アランソン侯の言葉の意味が、今なら少し分かる気がする。聖戦だ、神の命だと言ってはみても、結局は血で血を洗う殺し合いなのだ。戦争というのは。敵も味方も其々が、其々の立場、正義、想い、そして大義を掲げながらぶつかり合う。
彼は、ラ・ピュセルという少女が神や信仰などに縛られず、戦場で人の命を奪うという行為そのものを、純粋に受け止めることを望んだのだ。戦というものを見詰めるとは、そういうことだったのだ。
ラ・ピュセルは、そう理解した。
だが、今、それに心を迷わせる余裕はない。自分が迷う分だけ、戦死者は増してゆくのだ。だから、一刻も早くこの戦を終わらせなくては!
考えるのは、砦を陥としてからでいい。
ラ・ピュセルがそう結論付けたとき、オルレアン東側、すなわち砦を挟んで後方から、砂塵が舞い上がった。明らかに大軍の騎行により、その蹄が舞い上げるものである。連合側の援軍か?
彼女は一瞬戦慄した。だが、直ぐに気付く。もし連合の援軍なら自分達の後方、即ち西側か北側からくるはずである。
オルレアンを攻囲している連合の砦は、そちらに固まっているのだから。ならば、どの勢力だろうか。
真っ先に先陣に切り込んだのは、全身黒の甲冑に身を包んだ無精ひげの騎士。後ろでまとめられた黒髪が、風になびいている。長剣を閃かせ、彼が仕掛けたのは、連合の兵士に対してであった。
つまり、彼らはオルレアン側の増援らしい。
やや遅れて砂塵の中から躍り出たのは、青地にユニコーンの紋章をあしらった軍旗をひっさげた旗手。戦場で生きる兵士で、このユニコーンの紋章が意味するところを知らないものは、いない。
フランス王国最強の精鋭部隊――
アランソンの <ロンギヌス隊>
其を率いるは、美男侯の誉高きジャン・ド・アランソン侯。彼は王太子の要請により、地中海を縦断し、シチリア王国まで軍資金援助の要請に赴いていたのだが、ようやく王国に帰還し、その足で戦線に駆けつけたのだ。
アランソン侯率いるロンギヌス隊とは、彼に忠誠を誓った騎士たちから構成されるインペリアルガードで、40騎と数こそ少ないが、如何なる戦場においても1人の死者も出さずに生還するという、奇跡の伝説を持つ精鋭部隊だ。そのロンギヌス隊の騎士隊長を務めるは、アランソン侯の剣術の師にして、王国最強の剣士、剣匠リジュ伯カージェス。
真っ先に戦線に踊り込んだ、黒衣の騎士が彼である。
「ラ・ピュセル!」
アランソン侯は、混乱の中一際目立つラ・ピュセルの姿を認めると、群がる連合兵をイグドラシルで蹴散らしながら、近寄ってきた。彼女を見守ると心に誓いながらも、王太子の要請により別行動を余儀なくされ、結果ラ・ピュセルをひとりで戦地へ送り出す羽目になった彼の焦燥と心配は容易に想像がつく。
「アランソン候」
白馬イグドラシルの馬上、約2ヶ月ぶりに見えるアランソン侯の姿が、何故か妙になつかしい。ラ・ピュセルは知らずうちに、彼の名を口にしていた。
「ラ・ピュセル。無事でよかった!」
イグドラシルをスレイプニールの傍らに寄せると、アランソン侯はラ・ピュセルに微笑みかけた。
対して、ラ・ピュセルはじぃ――っと侯を見詰めるだけで口を開く気配はない。
「どどうかした?」
もしかして、なにか気に障ることをしたのだろうか。相変わらず、彼女の紅い瞳に見詰められた途端に、平静を保てなくなるアランソン侯であった。
「分からない」
相変わらず会話にならないラ・ピュセルに、アランソン侯は苦笑いした。
たった2ヶ月しか離れていなかったのに、ラ・ピュセルとこんなやり取りをすると、何故かホッと落ち着く。まるで、疲れた兵士が長閑な故郷の村に帰りついた時に感じるような不思議な感覚。彼女の傍らこそが、我のあるべき場所である。そんな気すらしてくる。
一方、ラ・ピュセルは自分の気持ちに戸惑っていた。他人に拒絶されるのは当たり前。ひとり孤独を抱きしめて生きてきた彼女には、寂しいという感情はなかった。
何故なら、彼女には最初から誰もいなかったからだ。理解を示すような家族でさえ、何処か彼女を遠巻きにしている感があった。
――アランソン侯と過ごした、シノン城での月夜のひととき。
それは彼女にとって、はじめての人との触れ合いだったのかもしれない。彼女はアランソン侯にならば、その心を預けることができるのだろうか? 一度別れ、そして今再び出会ってはじめて気付いたことがある。
彼の顔をまた見ることができたこと、彼の声を聞けること、彼が側にいてくれること。何故か安らぐのだ。また、彼と別れるのは歓迎できない。
できれば、彼の姿をずっとこの紅い瞳にしまっておきたい。
彼女は寂しさと、人の温もりとでもいうものをはじめて知ったのだ。そして、はじめて故に彼女は戸惑っていた。
「ともあれ、君の初戦に間に合ってよかった」
アランソン侯は、真顔に戻っていった。
「サン=ルー砦は陥ちるよ。この戦は僕たちの勝ちだ」
侯の言葉通り、このロンギヌスの登場で、砦を死守する連合はオルレアン軍との挟撃を受けることとなり、総崩れ。
今まさに、のりにノったクレスとラ・イール率いる傭兵隊が、扉を突き破り、砦内に雪崩れ込もうとしていた。オルレアンの私生児=ル・バタールも、彼らの後を追って兵達を砦に先導している。既に連合の大方の兵は、投降を申し出ていた。
――その日、サン=ルー砦は陥落した。
RETURN TO THE:35
崩壊する人格
サン=ルー砦奪還。王太子軍、実に2年ぶりの勝利である。当然、オルレアン市はもう夜中だと言うのに大騒ぎ。
とりあえず砦に駐留隊を残して街に帰還したル・バタールやラ・ピュセル、アランソン侯たちは、既に今夜眠ることは諦めていた。眠ろうにも、街ぐるみのドンチャン騒ぎがすぐ館の外で催されているのだ。
夜を明かして、このお祭りが続けられるのは目に見えていた。
「ハハ凄い騒ぎだね。オルレアン市民は長い篭城生活で、絶望に沈み込んでいると聞いていたけど」
馬上のアランソン侯が半ば呆れたように、道という道に溢れ返った市民達を見やりながら言った。
ラ・ピュセルは相も変わらず、無口である。初陣で、堂々たる勝利を手にしたというのに、さして嬉しそうな表情も見せず、淡々とスレイプニールの歩を進めているだけだ。
「いや、閣下。この勝利は、ラ・ピュセル並びに閣下率いるロンギヌス隊のおかげです」
領主シャルルに変わり、このオルレアンの街を預かるル・バタールも、久方の勝利に頬が緩んでいる。彼は、此度の戦においてラ・ピュセルのもつ絶大な影響力を痛感。彼女の存在と、その神性を認めるに至っていた。
このオルレアンの私生児、確かに娘1人に戦を左右されたことにより武将としての面目は潰される結果となったが、そんなことで感情的になるほど器の小さな男ではない。
「ル・バタール、閣下はよしてくださいよ。僕は、そんな柄じゃありません」
アランソン侯は、照れて少し赤面しながら言った。
「そうかい? アランソン侯爵閣下悪くないんじゃないか? 君の父上も、周囲の人間にはそう呼ばれていたことだしな」
侯の傍ら、馬を進めるリジュ卿が、口の端を吊り上げて意地悪く言う。
「もぅ、リジュ卿。からかわないでくださいよ」
あたふたと慌てながら文句をいうアランソン侯に、ル・バタールとリジュ卿が揃って豪快な笑い声を上げる。ピュセルは、それを不思議そうに眺めていた。
「しかし、本当に元気だな。どうやら、今宵は眠らせて貰えそうにもない」
リジュ卿も、オルレアン市民のどん底からの復活ぶりに驚きを隠せない。あちこちで松明が焚かれ、街は昼間のように明るく、にぎやかな喧騒に包まれていた。ラ・ピュセルの出現早々、勝ち戦を目のあたりにした彼らを止められるものは、もう誰もいない。
割れんばかりのラ・ピュセル・コールがあちこちから上がっていた。
絶望の中に見出した希望の光。ラ・ピュセルは、彼らの曙光そのものだった。
「それにしても、クレスさん、元気ないなぁラ・イール、何か知ってる?」
ラ・イール、クレス、そしてアランソン侯はこれまでにも戦場で共に戦った経験がある。年齢はバラバラだが、気心の知れた親しい戦友であった。
「おお、こいつか? 恋人のリリアがいないんで心配してるんだ。完璧に情けないヤツよ」
大口を開けて笑い、クレスの背をバシバシと叩きながらラ・イールは言った。
ラ・イールがいると、場が明るくなる。あまり人と騒ぎ立てるのが好きではないアランソン侯ではあるが、彼が作り出す朗らかな雰囲気には、何故か好感を抱いていた。
「そう言えば、リリアさんの姿が見えませんね。普段から物静かな人なんで気付かなかったけど」
「しかし、ラ・ピュセルは凄いぞ! ――完璧に神の使いだ!」
ラ・イールは、ひとりでウンウン頷きながら言った。アランソン侯の呟きなど聞いちゃいない。彼もまた、ラ・ピュセルの絶対的な存在感と、そして彼女の神秘性が戦にもたらす影響力を痛感したひとりであった。
彼のような傭兵の間では、真面目に教会の教えを考えるような慣習はない。――当然である。そんなことを考えている様では、戦がない時に盗賊まがいの行為などできようはずもない。
だが、ラ・ピュセルが戦場に現われた途端、体中に力が漲り、例え様のない高揚感に包まれたという事実。
「よしっ! オレは完璧に決めた!」
ひとりテンションの高いラ・イールが、高々と叫びを上げた。
「オレも明日から、祈るぞっ! お祈りだ!」
ラ・イールは戦場でのラ・ピュセル効果を、彼女の神性によるものだと結論付けていた。となれば、自分もラ・ピュセルと同じように神様に真面目にお祈りすれば、あのスゴイ力を手に入れることができるに違いない。彼は、そう考えた。
――単純な男である。
「はぁ?」
まぁた、筋肉ダルマが訳の分からないことを言い出したと、周りの人間は溜め息を吐く。「ラ・ピュセル、オレも明日の朝からミサにあずかるぞ!」
その声に、ラ・ピュセルは冷たい一瞥をくれると、すぐに傍らを行くアランソン侯に視線を戻した。
一方、馬上で力無く背を丸めているクレスは、頭の中で必死にリリアに呼びかけを続けていた。リリアの契って以来、徐々にではあるが天使の力を身に付けはじめた彼は、離れていてもテレパシーのように彼女と交信することができるようになった。
あの元帥と対峙した夜、リリアからその全てを聞き出したクレスは、リリアを許しその全てを受け入れた。そして今宵、リリアは自由天使タブリスこと元帥と決着を付けるべく、空に向かったのだ。あのリリアが負けるとは思わないが、元帥とて只者ではない。
天使と天使の対決。不安がないといえば嘘になる。
地上のオルレアン攻防戦を任されたクレスは、見事その勝利に貢献してみせたが、砦を落とし勝ち名乗りを上げて、市に凱旋してもリリアは戻らない。不安は恐怖へと変わり、夜空で繰り広げられているであろう、熾烈を極める戦闘の邪魔になるかもしれないと知りつつ、彼はリリアに呼び掛けを続けるのだ。
――リリアリリア。応えてくれ、リリア。
一体、空では何が起こっているのだろう。リリアは無事なのか。何故、応答がないのか。
クレスは胸を押しつぶされそうな焦燥感に、顔を歪ませながら呼びかける。
――リリア、リリア!
もう何度目になろうか、クレスの精神力も限界に達しようとするころ、
――クレスですか?
ようやくにして、彼女の声が返ってきた。
「リリアっ!」
思わず声にして叫んだクレスを、ラ・イールが怪訝な顔で見ている。そんなことには構っていられないクレスは、応答が途切れない内に続けた。
――大丈夫か? 怪我はないのか? あいつはどうなった?
――クレス、そんなにいっぺんに訊かないで下さい。私は無事ですから。
――タブリスは元帥はどうした?
――彼とは和解しました。問題ありません。直ぐに戻りますから、部屋で待っていて下さい。
――あああ分かった。早くな
もっと詳しく聞き出したかったが、クレス何とか自重した。
数時間後、もう夜も明けようかという頃になって、言葉通り無事な姿のまま帰還したリリアは、手加減ないクレスの抱擁を数時間にわたって受けることになった。
――翌朝、まだ熱狂冷めやまぬオルレアン。
朝のミサに出席したラ・ピュセルとそして、ラ・イールが教会から出てきた。どうやら彼、本当にミサに参加したようだ。ふたりはそのまま、朝食会に出席すべくオルレアン城のホールに入る。
既にアランソン侯、ル・バタール、リリア、そして彼女の無事を知り復活したクレスなど、軍首脳たちは食卓に就いていた。
無言で入室すると、空いた席に静かに腰を落とすラ・ピュセル。そして、その後に続いてホールに入ったラ・イールは何故か、純白のローブをまとっていた。それがまた、恐ろしく似合っていない。
何しろ、彼の大きな身体に合うような聖職者用のローブなどなく、丈が膝までしかないのだ。袖も短く、まるで半袖のようだ。まるで、女装した熊みたいな感じである。
一同、あんぐりと口を開けて見守る中、
「皆様清々しい朝ですね。――完璧に、おはようございます」
彼は大きな図体を窮屈そうに屈めて深々と一礼すると、素早く十字を切り、あろうことかその指先に口付した。
その目には、何かお星様がキラめいているような気がするが、目の錯覚だろうか? ル・バタールをはじめその場の大半の人々が、とりあえず見なかったことにした。
ラ・ピュセルとリリアは、いつも通り平然としている。が、流石に目は合わせたくないらしく、ピュセルはアランソン侯を、リリアはクレスを眺めている。
そのアランソン侯はといえば――脅えていた。まあ、当然の反応である。リジュ卿でさえも、口元を引きつらせながら、無精ひげの顎を人差し指で掻いている。いち早く硬直から解けたのは、ラ・イールのおバカに一番耐性のあるクレスだった。
「おおい、イール。そいつは、何の冗談だ?」
さすがの彼も、声の震えを抑えることはできなかった。
「はい? 冗談とは何のことでありましょう、クレスさん?」
平然と自分の席に腰掛けながら、ラ・イールは言った。運悪く彼の隣席となってしまった貴族達は、こっそり椅子を遠ざけて、彼から距離をとった。正しい判断である。
「ククレスさんっ?」
気持ち悪いものでも見たように、クレスは身を仰け反らせた。
「おおい、リリア、あいつに何が起こったんだ? ほとんど人格変わってるぞ?」
「前々からおかしな人だとは思っていましたが」
「いや、今回のあいつの変態ぶりはなんか、一味違うぜ」
ひそひそと状況を分析しだすふたりだが、ラ・イールを理解できる人間など、この世には存在すまい。
「何かは知りませんが、あまり心配なされますな。クレスさん、貴方に愛を。そして、皆様にも愛を!」
とか何とか、訳の分からないことを言いながら祈り出すラ・イール。この時点で、半数の貴族達が吐き気、目眩、急用などを理由に席を立ち、退出した。勿論、目を瞑って祈るラ・イールに気付かれない様に、そっとだ。
「あいつ何を考えてやがるんだ」
胸のあたりで手を組み、ぶつぶつと祈りの言葉を唱え続けるラ・イールを蒼い顔で見詰めるクレスが、今の彼を的確
「ラ・イールが壊れた…に表現してみせた。
…」
to be continued