奥津城とてなく
絵姿すら残さざりし
嗚呼、ラ・ピュセルよ――




MEDIEVAL III
「ラ・モルト
RETURN TO THE:16『le duc d'Alençon VS la Pucelle』
RETURN TO THE:17『MY SOUL FOR YOU』
RETURN TO THE:18『HOLLY LONELY NIGHT』
RETURN TO THE:19『DEATH=REBIRTH』
RETURN TO THE:20『DEATH CRESCENT』



RETURN TO THE:16
『侯 VS ラ・ピュセル』


 ――何故こんなことになったのだろう?
 こめかみを伝う汗を妙に意識しながら、僕は思った。そこは、古代ローマのコロセウムを小さくしたような円形の部屋で、壁には様々な種類の武器が並べてあった。室内は、内回りに取り囲む低い壁によって、舞台と観客用の席とに仕切られている。
 
<鍛練の間> 。通常、この場所はそう呼ばれている。騎士達が剣技の訓練のために素振りをしたり、練習試合をするために専ら使われるわけだ。その舞台側に、僕はいた。
 十分な間合いを取って対峙しているのは、ブロード・ソードを青眼に構えているラ・ピュセル。腰の辺りまでの低い仕切りの向こう側では、王太子殿下とラ・トレモイユが緊張した面持ちでこちらを凝視している。
 ――何故こんなことになったのだろう?
 この異様な状況を生み出す原因となった出来事を思い出すため、僕は記憶を辿った。そう、切っ掛けは他愛のない一言だった。

「その乗りこなしであれば、剣技の腕も期待できるな」
 夕食後、ちょっとした散歩に出た王太子殿下。
 僕とラ・ピュセルはそれに随伴したのだが、その時見せたラ・ピュセルのあまりに見事な手綱さばきに、王太子殿下はそうおっしゃったのだ。そうして、あれよという間に僕とラ・ピュセルが練習試合をすることが決定されてしまった。押しに弱い僕は、急速にまとまっていく話に着いていけず呆けている間に、事は決定事項になっていたわけである。我ながら、情けない話ではあるけど……。
 ――いや、こうなった以上集中しなくては。これは、遊びではないのだから。ましてや、殿下も見ておられるんだ。いい加減な態度で臨む訳にはいかない。
 僕が選んだ武器は、この鍛練の間の壁にかけてあったブロードソードだ。訓練用だから刀身は丸く削られてはいるが、まともに食らえばただの怪我では済まない。
 対して、ラ・ピュセルが構えているのは、ボードリクール守備隊長から旅の手向けにと渡された真剣である。油断して一太刀浴びれば死ぬことだってあるわけだ。
 実際、訓練中に事故や怪我で死ぬ騎士見習い達の数は、結構多いのだ。

 僕はブロードソードの切っ先を下に向け、少しだけ左右に振りながらリズムをとりはじめた。剣の師であるリジュ卿が編み出した <振り子> と呼ばれるオリジナルの構えだ。
 剣の試合には、その剣士の全人格がそのまま現れるという。
 得物――ブロード・ソード、ロング・ソード、クレイモア(両手持ちの大剣)、槍、手斧などの選択にも個性が出るし、戦闘におけるスタイルにも同様に性格があらわれる。
 因みに、僕の戦闘スタイルは勇猛果敢に攻め込むといったものではなく、相手の攻撃を受け流しその力を利用して倒すという、受けのタイプだ。ラ・ピュセルのスタイルは――分からない。ただ最もポピュラーな構えである青眼の体勢のまま、微動だにしない。
「それでは、これより開始する。両者開始位置へ」
 王太子殿下が明らかに命令し慣れた者の口調で、厳かに言った。僕とピュセルは、お互い手を伸ばせば丁度相手に触れることができる位の距離まで近付き、向かい合う。
「はじめっ!」
 閉鎖された空間に殿下の声が木霊した。僕らは一旦構えを解き、手首を返して剣を眼前に翳し一礼する。騎士の礼に則り、切っ先を互いに軽く合わせると、バックステップで間合いを取った。
 張り詰めた空気が周囲を支配する。ピュセルの青眼に隙はない。

(……妙だ)
 ふと理屈ではなく、兵士の勘が何か違和感を感じ取った。ラ・ピュセル。この感じは何だ?
 彼女はただ、じっと剣を構えているだけだ。見た目には別段妙なところはない。
(……なにが、こんなに気になるんだ)
 改めて、彼女に注意を向ける。構えられたブロードソードは、ぴくりとも動かない。普通、初めて武器を持ち相手と向き合った時には、緊張のあまり小刻みに手が震えてしまう。彼女のような少女なら尚更だ。彼女は、どこかで訓練を積んだことがあるというのか?
「――そうか」
 その時、ようやく違和感の正体に思い至った。彼女から、如何なる気配も感じられないのだ。殺気も、闘気も、脅えも、恐怖も……一切の感情が感じられない。ただ静かに、波紋一つない水面のような落ち着きをもって、じっと僕を見詰めている。
 その曇りない赤の瞳。彼女は、一体あの瞳に何を見ているのだろう……。
 瞬間、空気が流れた。ラ・ピュセルが間合いを詰めてきたのだ。
(速いっ!)
 絶妙な踏み込みと共に繰り出された、素人のものとは思えない鋭い突き。彼女の真紅の瞳に魅入られていて、一瞬反応が遅れた。身体ごと避ける暇はない。
 咄嗟に出た剣で、何とかその突きを受け流す。だが、慌てた僕は体勢を崩した。その隙をついて、ラ・ピュセルは突きのモーションから直接剣を横に薙ぎ払った。しかし、今度はその動きを予測していたし、確かに鋭い剣圧ではあるが、それはシロウト目での話。一撃目は油断と集中力を欠いたせいで、不覚を取ったが、如何に才があろうと訓練を積んでいない者が経験ある兵士にいきなり勝てるほど戦闘はあまくない。

 振り払われるその剣をサイドステップで躱し、体勢が崩れたところを一気に攻めて終わらせる。それが僕が一瞬で組み立てた作戦だった。
 大きな軌道を描くラ・ピュセルの剣にタイミングを合わせて、左方向……真横に跳ぶ。
 ――が、
 左肩に鈍い衝撃が走る。
 まるで、何か巨大な岩盤に強か打ち付けたような感覚だ。一瞬、僕の左側の空間に、金色に光る八角形で構成された壁が見えたような気がした。とにかく、飛び退こうとした方向に身体が動かないのだ。
 当然、このままでは真横に払われるラ・ピュセルの真剣を躱し切れない。余裕で躱し切れるはずのブロードソードが僕の胴に襲い掛かる。何もない空間にあり得ない抵抗を受け混乱すると共に、絶望的な距離に迫る剣圧に戦慄する。
 勝負は一瞬で決した。
 静まり返った室内に、些か耳障りな金属音が甲高く響き渡る。ボードリクール卿がピュセルに送ったというブロードソードは、コマのように回転するとやがて糸の切れた傀儡の様に床に倒れた。
 そして、手首を抑えたラ・ピュセルの首に、僕の剣の切っ先は寸止めされていた。

「勝負あった。それまで!」
 神聖な静寂を、殿下の決着を告げる声が破る。
 ――あの一瞬、不思議な壁で身体を固定された僕は、負けたと思った。だけど、日頃の絶え間ない鍛錬の成果だろう、僕の身体は自分の予測を上回る速度で反応してくれた。真横に薙ぎ払われたピュセルの剣を下から掬い上げる様に撥ね飛ばし、そのまま切っ先を彼女の首に突き付けたのだ。
「流石、アランソン侯」
 白熱した勝負を目の当たりにし、興奮気味の殿下が珍しく頬を緩ませている。
「が、アランソン流皆伝の侯を相手に、ここまでの勝負をして見せたピュセルよ、そなたも見事であった」
(――ちがう)
 確かに、試合には勝った。しかし本来、相手の力を受け流しそれを利用して相手を倒す、技巧を重視した僕のスタイル。
 だが僕は、我を忘れてラ・ピュセルの剣を払い上げるという力技でしか勝利することができなかった。しかも、訓練を受けたことのない、年下の女性を相手にである。
 勝ちは勝ちだが、全く誇る気にはなれない。第一、あの薙ぎ払いが少女の非力な手によるものだからなんとかなったものの、彼女がもし男性であったなら、剣を跳ね飛ばされていたのは僕の方だったはずだ。そして、防ぎきれなかった真剣を胴に受けて、死んでいた可能性も高い。油断し集中力を欠いたせいもあるが、この勝負は僕の完敗だった。

「あの、大丈夫だった?」
 ピュセルがまだ手首を抑えているのに気付いて、僕は慌てて傍らに駆け寄った。
「ゴメンね、手加減できなくて、つい。……手首捻ったの?」
 俯いて手首を見ていた彼女は、僕の声を受けてすっと顔を上げると、視線を合わせた。
 ――どくん
 心臓が一気に跳ね上がり、早鐘のように忙しく鳴り出す。彼女の赤い瞳に、僕は身動きすることすらできなくなった。
「……いえ」
 彼女の透き通るような声に、僕ははっと現実に回帰した。それが、僕の問いに対する返答であることをようやく理解すると、取り繕うように口を開く。
「え、ああ……そう。良かった」声が震える。
 何故だろう。彼女を目の前にすると、訊きたいことは沢山あったはずなのに、何を話ていいのか分からなくなる。
「馬だけじゃなくて、剣も使えるんだね。訓練を積んだことがあるの」
 何とか疑問の一つを焦る脳から掘り起こすと、僕は彼女に訊いた。
「いえ」
 彼女は表情ひとつ変えず、短くそう答えた。
「え、でも、あの青眼の構え」
「あれは、ボードリクール卿に剣を授けられた時に」
「そうなんだ。彼に教えてもらったのか」
 短い受け答えの中でも、ラ・ピュセルは僕から瞳を逸らさない。まるで、僕の瞳から他愛のない会話では得ることのできない、心の奥底にある何かを覗くかのように。
「そういえば――」

「侯!」
 試合中に一瞬見たような気がした、あの金色に輝く壁のことを訊こうとした時、殿下の声がかかった。
「それに、ラ・ピュセル。疲れたであろう。場所を変えてなにか冷たいものでもどうか」
「あ、はい」
 既に、ラ・トレモイユを伴って退出しようとしている殿下に返答する。ラ・ピュセルは床に転がったボードリクールの剣を拾い上げると、無言でその後を追った。僕も自分の剣を元あった場所に返し、急いでその列に加わると、ピュセルの後ろを歩きながらあの光の壁について考えを纏めることにした。
 あの時――
 ピュセルの剣を左に飛び退くことで躱そうとした時、突如何もないはずの空間に抵抗を受けた。そして一瞬ではあるが、視界に金色に光る壁を見たような気がする。あれは、何だったのだろう。焦燥感と混乱状態に起因する幻覚の類だろうか?
 いや。仮にあの光る壁が何かの見間違いであったとしても、何らかの抵抗を受けたのは事実だ。なぜなら、あの時見えない何かに打ち付けた左肩がまだ痛む。この痛みは、あれが勘違いでも幻でもなかったことの何よりの証。
 では、あの壁は一体どこから現われたのだろうか?




RETURN TO THE:17
『想いは調べにのせて』


 我が想いは貴方の 彼の想いは我の
 想いと生る
 想いは 調べに乗せ 悠久の彼方へ
 想いを 調べに乗せ 全ての心へ
 想いは 調べに乗り 全てを凌駕せしものと成る

 風を感じ、薄い月明かりを浴びながら――彼女は唄っていた。朧月夜に響く彼女の歌声と、その想いは一体誰に向けられたものなのか。調べに乗せられたその想いは、その者に届いたのだろうか。答えを知る彼女の瞳は、少しだけ潤んでいるようにも見える。
 儚く、美しい余韻を残し唄を終えた彼女は、気配を感じてそっと後ろを振り返った。そこには、どこか驚いたような、何かに感じ入ったような、複雑な趣を湛えた貌のアランソン侯がいた。両者の間に、不思議な沈黙が降りる。だが、見詰め合ったまま動かないふたりは、何故かその沈黙に居心地の悪さを感じることは無かった。
 ピュセルは、じっと唯一無二の紅い瞳でアランソン侯を見詰めている。その瞳は、鍛練の間で対峙した時に見せた感情無きものではなく、どこか柔らかさを感じる。
「……その、唄は?」長い沈黙の後、アランソン侯が静かに口を開いた。
「想いは調べにのせて」
 アランソン侯を見詰めたまま、ピュセルは静かに答える。か細い声だったが、夜の無言の中、侯にはっきりと届いた。
「……となり、座ってもいい?」
 アランソン侯爵は、アランソンという都市の領主であり、王太子と血縁も近い真正の貴公子である。対して、ラ・ピュセルは何の教養もないただの村娘。その身分の違いは天地の差がある。本来、侯がラ・ピュセルにどんな行為を働こうにも、いちいち断る必要などない。が、アランソン侯は何故かこの少女に敬うような態度をとってしまうのであった。
 いや、侯だけではない。このシノンにいる貴族達のほとんどが、彼女の内から感じられる高潔さに、横柄な態度をとれなくなっている。ラ・ピュセルが小さく頷くのを確認してから、アランソン侯は遠慮がちに彼女の傍らに腰を下ろした。両手を後ろに突くと、雲の隙間から見える星空に目を向ける。下手に彼女と視線を合わせると、またドギマギして慌ててしまうからだ。
「――君と話がしたかったんだ。ラ・ピュセル」
 緊張に押しつぶされぬ様、一言一言区切りながらアランソン侯は言った。
「……わたしも。我が愛しの侯」
『我が愛しの』というのは、言葉通りの意味ではなく、この時代に非常に良く使われる形容詞である。身分の高い貴族の男性に呼びかける時に等は、この『愛しの』という表現がよく耳にされる。五〇〇年後の世界で使われる『ミスター』といった日常的な敬称と何ら変わりはない。
「君も……?」ピュセルの意外な反応に、アランソン侯は些か驚いたような声を上げる。
「――はい」
「そ、そう。あ、昼は本当にゴメンね。手首、大丈夫だった?」
 彼は、鍛練の間での出来事をまだ気にしているようだった。確かに、素人の女性相手に力技で勝利するなど、誇りある騎士のすることではないが。
「……問題ありません」ピュセルは全く気にしていないらしく、素っ気無くそう答えた。
「そう。よかった。あ、それと僕にはそんな堅苦しい敬語は使わなくて良いよ。歳も近いんだし、せめて周りに人がいない時くらいは」
「……」
 彼女は、その真意を窺うかのようにしばらくの間無言でアランソン候の顔を見詰めていたが、やがて「はい」と、小さく答えた。
「それにしても、馬術も剣も凄く上手いんだね。驚いたよ」
 颯爽と馬を駆るピュセルの姿を思い浮かべて、アランソン侯は言った。
「……そうだ。その妙技に敬意を表して、君にとっておきの馬を進呈しようか」
 フランス王国において、馬とは小型〜中型の馬や『ポニー』等が主流であり、これらはあまり良い馬とは言えない。そこで、候は西アジア地方、特にアラブから優れた馬をアランソンへ持ち込んで育てていた。理由は単純明解。戦において、馬の足は強力な武器となるからだ。
 彼女なら、駿馬に跨る資格としては十分なものがある。アランソンで育てている馬は、ピュセルには少し大型かもしれないが、良く走るし、頭も良い。彼女の腕ならきっと見事に乗りこなして見せるだろう。
「そうだな。『スレイプニール』なんてどうかな?」
「スレイプニール?」
 スレイプニールとは、北欧神話における主神『オーディン』の愛馬で、八本の足で風のように駆けるという伝説の馬だ。それにあやかって、一番足の速い、黒い大きな牝馬をスレイプニールと名付けたのだ。
「そう。君なら、きっと彼女と仲良くなれるよ」
「……」会話はそこで途切れ、また静寂が訪れる。ラ・ピュセルは、他愛のない会話などには興味がないといわんばかりに、ひたすらアランソン侯の顔を見詰めていた。澄んだその瞳を見詰め返していると、吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「――君は、恐くないの?」
 少し、声のトーンを下げてアランソン侯が言った。僅かにその眉が顰められている。
「何が?」
「何がって……その、神様だかの声に従って、戦場に行くことが。戦うことが」
「あなたは、恐いの?」その言葉に、侯の脳裏を例の迷いが渦巻く。
 ――戦って何になる? 何故、戦う?
 戦場でやりとりされるのは、人の命そのものだ。自らの一振りで、ひとつの命が消えてゆく。ひとつの絆が消えてゆく。勝者が立ち残り、敗者が倒れた、空しい静寂の支配する死の領域。そこに漂う、咽返るような血の匂い。
 次の戦で、その血の海に屍を晒すのは自分自身かもしれないのだ。アランソン侯は、初めて戦場に出た時のことを忘れない。あの時は、体中が震えて、押さえようにも止まらなかった。何度も取り落としそうになった、やけに重く感じる剣。怒号を上げ、狂気に顔を歪める兵士達。最初は、ただ、前線後方で震えながら立っているだけだった。ふと見ると、ひとりの敵兵が自分に襲い掛かってくる。
 ――その瞬間、恐怖に我を忘れた。気付いた時、戦は終わっていた。自分の周りには、無数の屍。味方のものもあれば、敵のものもある。手に持った剣は、乾いて変色した血糊で赤黒く染まっている。自身もおびたたしい返り血を浴びていた。ふと、目を落とせば、そこには戦がはじまる前まで談笑していた側近の死体。その大きく見開かれた目を見た時、彼は気を失った。
「……そりゃ、恐いよ。恐くないって言う方がおかしいんじゃない?」
 戦場は、地獄だ。繊細で感受性の高い彼の心に、その真実が深く深く刻み込まれたのである。
「貴方は、神を信じられないの……?」
 ピュセルは、はじめて侯から視線を外し俯いて言った。
 彼女は王太子に言っていた。神を信じて戦えば、勝利は神より授けられる、と。だが――
「信じられるわけないよ……神様なんて……」
 神を信じて戦って、勝利が授けられるのなら、何故自分の目の前で仲間達は斬り殺されていった?
 何故、自分の父親は戦で命を落とした?

 神が、いるというのなら……
 神が、救いをくれるというのなら、何故、夫や父親の戦死の知らせを聞いて涙する残された家族に救いの手を差し伸べない?
 何故、父の死を哀しみ涙した母に、そして僕に何もしてくれはしなかった? 何故?

「信じられるわけないよ……」
 アランソン候が、はっきりと神を否定する言葉を他人に吐いたのは、それが初めてだった。不意に、ラ・ピュセルが立ち上がる。そして、ゆっくりとアランソン侯に視線を落とす。その目は、ぞっと寒気の走るような、蔑みとも・哀れみともとれる冷たい光を放っていた。
「私は――」
 アランソン侯は、その瞳に射竦められ、呆然と彼女を見上げている。
「……信じている」
 ラ・ピュセルの瞳に宿る光が、輝きを増す。それは、彼女の揺るぎない意志を、強弁に語っていた。
「私が信じているのは、唯一天上の主だけ」
「っ……!」
 そう言い残すと、ラ・ピュセルは踵を返し月明かりの下、城内に帰っていく。アランソン侯は――ただ、それを見送ることしかできなかった。




RETURN TO THE:18
『HOLLY LONELY NIGHT』


 気付いた時、彼女は四肢を一本の柱に固定されていた。あまりに強く縄と鎖で――それも幾重にも縛りつけられているせいで、手首と足首の先に血が通わず感覚がない。無理に四肢を操ろうとすると、その度に喩え様もない激痛が襲ってきた。
「……くっ」
 戒めを解こうと必死にもがくが、それは新たな痛みを呼ぶだけで、何の効果も得ることはできなかった。彼女を縛り付けた大きな木の杭は、広大な広場の中央に据え付けられて、その周囲には千にも及ぼうかという群集が異様な熱気を放ち取り囲んでいる。
 ――公開処刑。この狂気の光景は、まさに自分が大衆の面前において処刑されようとしているものだと彼女は悟った。
 “命惜しさに悔悛するは、汝の裏切りなり”
 “殉教を恐れるな”
 “汝、主を崇めよ、主を湛えよ”

 不意に、彼女を戦場へ導いてきた”声”が頭の中に響きわたる。それとは別に、役人風の男達が彼女の前に立ち、書を掲げ何かを言っている。彼女はもはやそんなことに関心はなかったが、「破門」だとか「異端」だとか言う単語が耳に入って来た。
 ――そう。この日

 彼女の半身を隠すまでに積み上げられた『薪』に、やがて火が点火された。瞬く間に火は紅蓮の炎となり、彼女の全身を舐めるように炙っていった。その小さな体躯が、紅く染め上げられた。
 ――全ての役目を終えて、その命に意味を失う

 髪に炎が引火し、首筋と白い耳を焼き焦がしていく。瞼越しに伝わる熱気で、眼球が沸騰しそうなほどに熱い。凶凶しい黒煙が、晴れ渡った大空に昇ってゆく。
 ――わたしは、無に帰るのね

 使徒をも焼き尽くす煉獄の炎が、彼女を焼き尽くしていく。肌が爛れ、肉が焦げ、遂には炭化した四肢が崩壊し、大地に崩れ落ちていった。ピュセルは、ただ時を隔てた彼に、最後の言葉を残す。その頬を伝う涙さえ、炎は焼き焦がした。そして最後の瞬間が訪れる。彼女の魂がこの世から消滅する刹那、1羽の白鳩が大空に舞いあがった。


 ――目覚めると、全身にびっしょりと汗をかいていた。夜着が肌に張り付き、シーツも水気を含んで湿っている程だ。まるで本当に火炙りになりかけたかのようだった。だが、ここはル・クードレ城に用意された、彼女のための寝室。見知らぬ広場に建てられた、火刑台の上ではない。
 真夜中、小姓たちを起こさない様に気を付けながら、彼女は女性用の沐浴場に足を運ぶと、寝汗に濡れた夜着を脱ぎ、一糸纏わぬ姿になる。庶民の平凡な家に育ちながらも、外で走り回ったり大きな怪我をしたことはない彼女の裸身は、傷ひとつ無く、神々しいまでに美しい。彼女は、水浴びをして汗を流し、身を清めると新しい夜着に着替えた。
 ――夢。あれは事実起こったことではない、ただの夢だ。だが彼女は、恐らくこの夢が真実に変わる日が来るであろうことを、直感していた。そして、彼女の直感は未だ外れたことはないのだ。


 私は信じている。私が信じているのは、唯一天上の主だけ――。
 同時刻、アランソン侯ジャンは自室のベッドに仰向けになり両手を頭の後ろで組んで、先程のピュセルの言葉を反芻していた。信じるのは、天上の主。即ち、すなわち神だけ。ピュセルのその言葉は、ある意味、俗世との絆の一切を否定しているともとれる。
 もしそうであるならば、彼女の信仰は些か度を過ぎているとも言えるだろう。狂信的という言葉があるように、確かに通常では考えられないほど敬虔に神の教えに従う信者はいる。だが、信仰に命まで投げだすことに、如何な意味があろうか。人は、人の中で、人として生きるからこそ意味があるのではないのか。侯は、そう考える。それともこれは、俗世に生きる矮小で汚れた人間の、浅はかな考えに過ぎないのか?

 射竦められるような、真摯な瞳。柔かに細められる、優しい瞳。何の感情も感じられない、静かな瞳。背が凍り付くような、戦慄の瞳。
(……どうして、そんなにまで神のことを?)
 無口な彼女ではあるが、その瞳は時に雄弁に語る。彼女を良く見ていれば、そのことに気付くであろう。だが、アランソン侯は知らなかった。ラ・ピュセルは、彼以外の人間にはその瞳の色すら変えて見せぬことに。
(ヘンだな。他人のことがこんなにも気になるなんて……)

 だが、もし教会の主張通り神が実在したとすれば、その声に従うピュセルの安全は、その加護によって保証されるだろう。彼女は、神から選ばれた救国の乙女なのだから。しかし、もし彼女の聞いている“声”が、神のものではなかったら?
 彼女は一体、何の“声”を聞いているのだろうか? 彼女は、どうなってしまうのだろうか?

 それ以外にも、ラ・ピュセルに関しては多くの謎と疑問がある。まず、今朝の剣の試合の時に見せたあの瞳と攻撃。ある程度熟練した兵士ならば、相手の踏み込みや剣圧、攻撃の勢いなどを見れば相手の『覚悟』というものを推し量ることができるものである。
 ――あの時、ピュセルが見せた無感動な瞳。まるで、人形のように何の感情も浮かんではいなかった。『自分の命など、神の司令の前には何の価値もない』とでも言うような、あの瞳。
 それに、最初に見せた突き。あの深い踏み込みと、一撃に対する勢い。この一撃を外せば、もう後がないという覚悟で臨まなければ、剣にあそこまでの勢いと力は生まれない。彼女は、死ぬのが恐くないのか? そう思えるほど、彼女の攻撃はほとんど捨て身のものだった。
 それから何もない空間に突如出現した、抵抗。見間違いでなければ、金色に輝く光の壁。あの時彼女は、右手に持ったブロードソードを真横に振り払い、彼を攻撃してきた。それを左に飛び退いて躱そうとした時に、タイミング良くあの壁が現われたのだ。
 何かの偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎる。アランソン侯が剣を左に跳んで躱すことを計算に入れて、それを阻止し、彼を追い込むためにラ・ピュセルが展開した、トラップだと考えた方が自然である。だが、彼女にそんな魔法のような力が本当にあるのだろうか?

 ピュセルが、真に神の使いであるならば、確かに神より特殊な力を授かっていてもおかしくはない。現に、彼女には未来が見えるとしか思えない『予知能力』のようなものを発揮したとの正式報告もあったではないか。それに、彼女のあの真摯な目は、とても嘘を言う人間のものではない。その彼女が、主の“声”を聞き、その命令に従ってシノンまでやって来たと言っているのだ。疑う気にはなれない。
 結論として、ラ・ピュセルは『神』か或いは『神ではない別の存在』の“声”を聞き、それに従うかわりに、その加護の証として普通の人間にはない、魔法のような特殊な力を授けられている――という仮説がなりたつ。これは、根拠はないが限りなく真実に近いような気がする。問題は、ラ・ピュセルの後ろ側にいる者が、神ではないという可能性と、仮に神であっても、その存在が必ずしも我々の味方とは限らないということだ。
「どちらにしても――」
 アランソン候は、芝に倒れこんだまま呟いた。
「今の僕にできることは、この戦争を終わらせるために、敵と戦うしかないんだ」





RETURN TO THE:19
『DEATH REBIRTH』


 震えていた。抑えようにも、意志とは無関係に湧き出てくる絶対的恐怖に抗うことが出来ない。彼らは最強の傭兵隊であった。そうであったはずだ。数々の戦場を駆け抜け、その中で最低でも一〇年は生き延びてきた戦闘のプロフェッショナル。超一流の兵士達で組織された一〇〇人の傭兵隊「ラクライム」といえば、この一帯に暮らす者ならば知らない者はいない。
 住人達から上へ討伐願いが出され、数度それは実現したのだが、その度に彼らの返り討ちに遭い、今では手の付けられない状況にある。その部隊内でも最強を誇る彼が、今、恐怖に身を支配されていた。まるで、他人の体であるように小刻みに震える自らの掌を見つめる。
 簡単な仕事であったはずだ。長引く内紛の中、大方の兵を戦地へ遠征に出し、守りの薄くなった小さな辺境の一領地を落とす。ただそれだけの仕事だった。今まで彼らがこなしてきた村盗賊まがいの仕事に比べれば、確かに領地をひとつ略奪するのは大事かもしれない。が、そう無理な話でもない。
 現在、その街に残されている守備兵団は、なんと僅か30。選り抜きの傭兵一〇〇人を集めた彼らラクライムは、ただの野盗とは別格なのだ。熟練した腕を持つ傭兵、正規の訓練を受け騎士の叙任を受けながらも、戦に破れ国を失った者たちが集ったのが、このラクライムであるからだ。
 その彼らにすれば、三分の1の兵力しか持たぬこの領地を落とすのは、容易いとも言える仕事だった。だが、手を抜いたわけではない。その油断で命を落としてきた仲間を幾千と見てきている。どんなに易しい任務にも常に全力を持って当たる。簡単なようで難しいこの自己管理が出来ない人間が、戦場で最初に死んでいくのだ。
 そのラクライムの前に、ひとりの女が現れた。街を捨てて命乞いをしにきたか、自殺志願者のどちらかである。彼らは人間狩りに乗り出した。人を殺すことだけを追求して訓練された彼らである。俄仕込みの新兵や、農民を集めただけの烏合の衆では相手にならない。……増してや、相手は一人。しかも女である。彼女は一瞬して、彼らの仲間に取り押さえられ戦利品として慰みものにされるか、殺されるかのどちらかであった。
 ――だが、その予想を裏切って、後方で指揮する彼に最初に入った連絡はこうだった。
「女に、七人が殺られた」
 彼は驚愕した。一瞬で七人? そんなことは、自分の腕を持っても不可能だ。いや、例え世界最強の兵士を連れてきたとしても無理だろう。とても現実のことだとは思えない。そして今、彼はまさにその相手と対峙していた。
「……抵抗すれば、殺します」
 静かに彼女は言った。澄んだ、美しい声で。
 ――そう。報告に間違いはなかった。まるで、女神の彫刻のようなプロポーションに、息を呑む程に整った顔立ち。その手に装備されるのは……蒼く朧げに光を放つ、死鎌。
 その神々しいまでの姿に、彼はひとつの伝説を思い出していた。北欧の兵士達の間に伝わる「死神伝説」。彼女は、二メートル近くある死神の鎌を振り、たったひとりで一個大隊を全滅させる。彼女には剣はおろか弓・火筒すら通用せず、その『死神の鎌』を防ぐ手立てはないと言う。
 ――地上最強の兵士。彼は、それを虚像としてしか見ていなかった。そんなやつがいるはずがない。大方、この土地に伝わるヴァルキリャ(ドイツ語では「ワルキューレ」。英語読みでは「ヴァルキリー」となる)の伝説から派生した迷信の一つだろう。
 確かに彼女は伝説の中のみの存在だった。彼女に関わったと思われる人間全てが死ぬ。それ故、誰もが事実関係を立証出来なかったからだ。戦場に立つ者に伝わるジンクス。

“戦場でその女を敵にまわしたものは、生きて帰れない”


 闘えば、100%死ぬ。それは何よりも確実な死の宣告。そしてその伝説から彼女は、こう呼ばれるようになった。死神の化身――。
「デス・リバース!」
 実在していたのか……!
 彼の背を冷たい汗が伝った。


 ――時に西暦一四二九年、二月六日。二月六日といえば、ピュセルがまだヴォークルールで、守備隊長ボードリクールとの会見を要請していた頃である。だが、話の舞台はヴォークルールではない。
 ヴォークルールの街から北東へ二五〇〇KM。北の海を越えて、スカンディナヴィア半島を見ると、そこにはスウェーデン王国の領土が広がっている。
その王国中央部に流れる山脈沿いに、地図にも載っていないような小さな街があった。名を、シグルズ。人口4百を数えるばかりの、小さな街だ。
 後に、『魔皇戦争まこうせんそう』と呼ばれることになる人類史上最大の大戦をアランソン候と共に戦い、そして勝利に導く二人の英雄がこの街にはいた。
これは、彼等がアランソン候と出会い、そして志を同じくするに至るまでの物語である。

 ――さて、その二人の英雄を輩出するシグルズの街だが、これはそこそこ大きな『ルーレ』という名の河で市街地と北部の一端とを分かたれており、街を支配する領主の館は、その北部の一端に設けてあった。河と後方の山脈に囲まれた、一種の自然の砦となるからである。
 そのシグルズ領主の館は今、騒然としていた。鋼鉄の鎧と腰の帯剣で物々しくも完全武装した兵士たちが、忙しなく館内を駆けまわっている。何事か、指令を叫ぶ声があちこちで上がり、力仕事が得意ではない小姓たちまでが借り出され、台車に載せられた大砲を移動させる手伝いを強要させられていた。全館に漂う不穏な空気は、まるで戦を迎えようとでもいるかの如き緊張感を孕んでいた。いや、実際に戦は近付いていた。街に、賊が襲撃を仕掛け様としているという情報が入ったのである。

 最近、スウェーデン王国を騒がせている手練の傭兵団がある。戦で国と職を失った騎士や傭兵くずれの兵達が集い、小さな村や集落をターゲットに略奪行為を繰り返している、凶悪な武装集団だ。傭兵団というより、もはや野盗の軍勢と表したほうが相応しかろう。
 自らを『ラクライム』と名乗る彼等が、最も新しい獲物として選んだのが、このシグルズであるというのだ。一四二九年現在、スウェーデン王国は革命と内乱による戦乱の最中にあり、このシグルズもその内乱鎮圧のため、大方の兵を戦地へ遠征に出していた。その手薄を狙われる形である。シグルズは政治的・経済的・地理的いかなる要素から見ても重要視されることはない、真の辺境の地。
仮に全兵を外に出したとしても、侵略を受ける要素はない。それ故の出兵であったのだが……

 その計算には、ラクライムのような強すぎる力を持ったフリーの武装集団は入ってなかった。普通の盗賊団や野盗は、だいたい一〇〜三〇人の中隊規模で構成されており、これはシグルズに残された30の守備兵たちでも十分防ぎきれる数時であった。砦というのは、攻める方より守る方が、数倍有利であるからだ。
 ――だが、ラクライムは誤算であった。彼等の規模は、中隊クラスの100。30足らずの守備隊では、防ぎきれるかどうかは保証できない数だ。それを計算に入れているからこそ、彼等は襲撃を仕掛けてくるのであろう。ラクライム側からすれば、王国正規軍が討伐隊を出すには遠征をしなければならない辺境にあり、しかも領主の館が自然の砦と化している街、シグルズは根城とするには格好の条件を揃えている街だったのだ。
「ク、クレス。どうすれば……どうすればいいのでしょう?」
 シグルズの領主である、クレア・シグルドリィーヴァ伯爵は、会議室の上座に設えてある領主の座から半分腰を浮かせると、オロオロと慌てふためいて言った。
「まあ、まあ。落ち着いてください、母上」
 クレスと呼ばれた傭兵風の装備に身を固めた青年は、うろたえる女伯を苦笑しながら宥める。骨格のガッシリとした北欧の人間からすれば、やや細身の部類に入ろうか。鴉の濡羽を連想させる艶やかな長い黒髪を、後ろで無造作に束ねているのが印象的な青年だ。瞳の色は、南海の珊瑚礁を思わせる澄んだブルー。北欧では些か珍しい取り合わせだが、彼がフランス人との混血であることを知れば、多くの人はその事実に納得することだろう。
 青年の名は、クレス・シグルドリーヴァと云う。『三日月』という名のこの青年は、シグルズ伯のクレアとフランスの男爵騎士との間に生まれた次代のシグルズ伯である。彼は、父の故郷であるフランスで傭兵として暮らしていたが、シグルズの危機を聞きつけて、急遽帰郷していた。
 何とか間に合ったのは良いものの、着いた日がまさに予測される襲撃の日とあっては、旅の疲れを落とす暇もない。襲撃を目前に、領主クレア女伯、その息子クレス、そしてクレスの妻リリアと、シグルズに残った守備隊長の計四人は、この円卓の間に集い軍緊急の議を行っていた。卓上には、シグルズの街の地図が広げられており、ラクライム総勢100をあらわすコマが置かれている。
 因みに、クレア女伯の夫はフランスで行われたイングランドとフランス国王軍との最初の戦闘、アザンクールの会戦でフランス側の騎士として戦死した。余談になるが、アランソン侯の父が戦死したのもこのアザンクールの会戦である。
「お、落ち着けとは何ですかクレス。落ち着いていてこのシグルズが陥落したらどうするつもりです!」
「慌ててシグルズが落ちたらどうするんです?」
「おお、オーディーンよ。我が子を許してやって下さい。この子は何にも分かっていないんです」
 さめざめと涙しながら祈り出すクレア。
「誰がオレのために祈ってくれなんて頼んだ?」
 クレスは何だか馬鹿にされたようで、気に入らない。憮然とした表情で母を睨む。
「……あなたのような無責任きわまりない息子を持って、私は幸せだわ。ああ! きっと、もうすぐあの盗人どもがこの館にも攻め入ってきて、私のこの美しい肉体は、その男達に玩具にされて汚されるのよ。さめざめ」

「大丈夫ですよ、母上。いくら奴等が貪欲と言えど、シワの婆さんには興味は示さないでしょう。皺のババアにはね。オレのリリアのような若くて優しくて超絶美人な女の子ならともかく」
 そっと慰めているつもりのクレスだったが――

どごっ☆
「はぐっ!」
 無論、クレアにぐーでヤキを入れられる。顎に鉄拳を戴いたクレスは、激痛にのた打ち回ることになった。
 ――どうでもいいが、彼等には緊張感というものが決定的に欠如していた。
 いや、クレアの方は真面目に悩んでいるようだが、クレスは無責任に余裕綽々である。だがそれは、別にクレスが自分に絶対の自信を持つ歴戦の勇士だからでも、恐れを知らぬ大器だからでもない。ただ、負けるとは微塵も思っていないからだ。では、何故彼が負けるとは考えないのか――

 それは、先程から親子漫才を繰り広げているクレスの傍らにそっと寄り添うように立っている、ひとりの女性が存在するからだ。
 彼女の容貌において最も目を引くのは、やはりその極端なオッドアイだろう。左の瞳がエメラルド色、右の瞳が金色と左右の瞳の色がそれぞれ違うのだ。
 このオッドアイというのは突然変異の一種で、生物学的には然程珍しいという程のものではないらしい。本人すらも気付いてはいないが、左右の瞳の色が微妙に違う生物は、意外と多いのだ。が、彼女のようなケースは、生物学的にみて大変珍しい。
 彼女の瞳の色に次に目に付くのは、究極の造形美とまで評される美しい顔立ちと、そして女性にしてはやや大柄だが、無駄な肉付きの一切ない洗練されたスレンダーなボディだろう。彼女が特注して用意させた、能動的な戦闘服は黒一色で統一されており、その体にぴったりと合っている。そのため、彼女の形の良い胸の双丘や、ほっそりとした腰のラインなどが強調されていた。恐らく戦場に出るつもりなのであろう、帯剣こそしていないが、その服の腰の辺りには銀色に輝く短い棒状の武器が革のホルスターに収められている。
 リリア・シグルドリィーヴァ。それが、彼女の名である。二〇歳前後であろうか、知的な雰囲気を醸し出す彼女は信じられないかもしれないが、クレスの妻である。妻とは言っても、彼等は正式に挙式したわけではない。周囲に妻として認識されているというだけで、法的、形式的には恋人という関係になるだろう。
 ――そして、このリリアこそが、クレスに勝利への確信を抱かせるファクターそのものなのだ。
「……まあ、母上。リリアの話を聞いてから慌てて下さいよ」
 顎を襲った激痛から、しぶとく復活したクレスは、不敵な笑みを浮かべて母に言った。
「じゃあ、リリア。頼むよ」
 クレスの要請を受けてリリアは頷くと、椅子から腰を浮かせ、卓上の地図に目を落とした。
「予想される襲撃時刻は間も無くです。そのため、早々に守備兵を配置しなくてはなりません」
「配置準備は完了しております。我隊30、何時でも構いません」
 守備隊長が硬い表情で言った。彼の双肩にかかる重責に、その表情には些かの緊張が窺える。
「ラクライムの構成員は、約100。我々の3倍以上です。敵数は確かに私たちより数倍上ですが、ここが事実上の砦である以上、条件は五分と考えて良いでしょう」
 一旦言葉を切ると、リリアは傍聴者たちの表情を一通り確認し、そして続ける。
「それから彼等の行動パターンですが――今回彼等は、は市街地を襲うのではなく、直接この館に攻め入ってくると思われます。街への略奪に準ずる行為は、配備される30の守備隊を全滅させた後に行われると見て間違いありません」

「なんで街で略奪をしないんだ? 街を襲って、オレたち守備隊を街中に引っ張り出した方が、あいつらも戦い易いだろう」
 クレスの素朴な質問に、リリアは即座に返答した。
「彼らは時間と戦っています。既に、遠征に出ているシグルズの本隊にもこのラクライム襲撃の話は行っています。その知らせを受けて本隊が帰ってくることを彼らは一番恐れているはずです。となれば、一刻も早くこの館を抑えて、来るべき帰還した本隊との戦闘に備えなければなりません」

「なるほど……」
 クレア女伯は、納得したように何度か頷いて見せる。
「また、この街を奪い本拠とするつもりである以上、その構成員となるべく民を傷つけることは彼らとしても避けたいはずです。それに民を刺激して、下手に抵抗でもされると余計な時間を食いますから」

「ふーむ、略奪なんてしている暇はないってことか。分かった。続けてくれ」
 クレスも得心が入ったらしく、リリアに先を促した。
「――先程も言ったように、ここは自然の砦となっています。後方にはスカンディナヴィア山脈が聳えていますし、他の3方は蛇行する川で囲まれる形となり、これが堀の役目を果たしているからです。ですから、ラクライム本隊は当然この館の正門から直接乗り込んでくるでしょう」

「ならば、問題ありませんな。館を取り囲む壁上には弓兵を配置、一つしかない門は狭く、大勢が一度に入ってくることは不可能。ここで抑えればなんとかなります」
 守備隊長が厳かに言った。
「……セオリーに従えば、その通りです。ですが、今回彼らは部隊を二つ以上に分けてくるでしょう。その本隊は、七〇〜80から組織され、恐らく正門から門を打ち破り乗り込んでくると予想されます」
「では、残りの二〇〜30はどこに?」クレアが訊いた。
「――その前に、ここを見て下さい」
 リリアは、地図中の館の周りを流れる川の一点を指した。館の西側に当たるポイントだ。
「そこがどうかしたか?」クレスが怪訝そうな顔で訊いた。何が言いたいか分からないらしい。
「ここは、この館を砦として考えた時構造上の欠陥として唯一上げられるポイントです」
「どこが?」やはり、そうは言われても、欠陥と思わしきところは見当たらない。
「――いいですか、この西側のこのポイントは屋敷と正門の位置関係から生まれる死角となるのです。つまり、正門から見るとこのポイントは館の影となって見えない訳です」

 リリアの言葉に、守備隊長とクレスが「あっ?」という声を上げる。一方クレア伯は、まだ何が何だか分からないという表情でそんな二人の顔を交合に見やっていた。
「それがどうかしたの?」
「母上、分かりませんか? ――敵が川に橋なんかを架けて、このポイントから壁を越えて内部に侵入したとしても、正門で戦っている守備隊は気付くことができないってことですよ」

「じゃあ、分けられた20だか30だかの敵兵は、ここからこっそり侵入する気なのかしら?」
 ようやく合点したようで、晴れやかな表情でクレアが言った。が、一転表情を曇らせると、いとも悔しそうに叫ぶ。
「なんてインチキな連中なのっ。まるで盗賊じゃないっ!」

「母上、彼らは盗賊なんですよ」呆れ顔で呟くクレス。
「なるほど……。この地点から侵入したラクライムの分隊は、正門に釘付けされている我らに前後から挟撃を仕掛け、一気に勝負を決するつもりか」
「――恐らく」守備隊長の言葉に、リリアは静かに頷いた。
「ではどうするの? やはり、このシグルズは盗賊風情の手に落ちるしかないとでも?」
 また泣きそうを顔して、クレア女伯が言う。実は、彼女の家系は涙腺がゆるかった。
「……クレス」
 突然、リリアは悩まし気に眉を顰めると、少しだけ瞳を潤ませてクレスににじり寄った。軽く開いた彼女の桜色の唇から漏れる吐息が、甘い香りとなってクレスを刺激する。
「……な、なな……なに、リリアさん?」
 脳髄がとろけそうなリリアの魅惑の表情に、クレスは即術中に嵌まる。守備隊長もその強烈な余波にやられて、ぼーっと頬を染めているのは御愛敬だ。
「実は、お願いがあるんです」
 リリアがこういった態度で、こういう言い方をする時は決まって無茶なお願いに決まっているのだが、それに気付くのは、何時も知らない内に約束させられて、事が決定事項となってしまった後のことなのだ。
「な、なにかな? もう何でも言っちゃってくださいっ!」
 頬を真っ赤に染めてクレスは言った。守備隊長もその余波を受けて、こくこくと頷いているのはやはり、御愛敬だろう。
「正門の守りは、あなた一人にお願いしたいんです。構いませんか?」

「ええ、構いません。構いませんとも。当たり前じゃないか、リリアくん!」
 リリアの両肩をぽんぽんと叩きながら、あっさりと承諾するクレス。彼は完全に飼い慣らされていた。
「ありがとうございます、クレス。引き受けて下さって助かります」
 クレスの了解を得た瞬間、リリアはもはや用済みと言わんばかりに彼から身を離すと、何事も無かったかのように守備隊長に向けて言った。
「……では、守備隊長。あなたの指揮下の兵力30は、全て西側に回して下さい。数の上でも有利。抑えられない条件ではありません」

「はっ。それは一命に変えましても。……しかし、良いのですか?」
 守備隊長は敬礼と共に、だが心配そうに言った。
「80の兵にクレス様たったひとりなどとは、余りに無謀」

「そうそう。たったひとり。オレひとり。……って、オレひとりぃ?」
 クレスは、ようやくリリアの魅了から解けて正気に戻った。
「オレ一人で、ラクライムの主力80全部?」

「――はい」きっぱり頷くリリア。
「……リリアぁ、ちょっとまってくださいよぉ〜! 殺されるよぉ。死ぬのは嫌だ!」
 今までの余裕はあっさりと消え失せ、顔を真っ青にいながらクレスはリリアに縋り付く。その姿は非常に情けない。クレア女伯の目に、思わず涙が込み上げてきた。
「安心して下さい。私も一緒ですから」
「えっ? 一緒? オレと? リリアが?」
「はい」
「じゃあ、やる。……でも、守ってくれよリリア。でないと、本当にオレは殺されるから」
 安堵に胸を撫で下ろしながら、クレスはようやく了承した。
「では、守備隊長、総員配備を開始して下さい。それから、クレア女伯」
「なんです、リリアさん」
「館の周りは戦場となります。流れ矢に間違っても当たらぬ様、窓際には立たないようにして下さい」
「分かりました。……でもクレス。本当に彼女と二人きりで八〇人も相手にできるの? ラクライムは手練揃いと聞きますよ」
 クレアは心配そうに、クレスを気遣う。
「母上、彼女はオレ専属の守護騎士です。彼女の肌に触れることができるのはこの世でオレひとり。そして、その彼女にオレは守られるわけです。心配ありませんよ」
「……しかし」
「母上、彼女は地上最強です。ご安心を。さぁ、行くぞリリア。奴等がもう来るはずだ」
「――了解」軽く頷くと、リリアは戸口に向かうクレスの背を追う。
 かくして、平和な農村シグルズを部隊に熱戦の火蓋は切って落とされようとしていた。




RETURN TO THE:20
『死の三日月』




 リリアの予測通り、武装集団ラクライム本隊八〇人が、分隊を用意してシグルズ領主の館の正門前に姿を現したのは、守備隊配備完了から半刻ほどしてからのことだった。首領らしき男が、弓の射程に入らない程度に正門に近付いてくる。何処から見ても、装備を整えた騎士風の男。とても盗賊には見えない。程度の差はあれ、それは後方に控えて陣取っている兵士達全員に共通する。これだけ見ても、ラクライムという集団が単なる野盗では片付けられないことが分かる。
「――開門! シグルズ領主、クレア・シグルドリーヴァ女伯に最後通告する。領主館内に配備された守備隊の武装を解除し、速やかに降伏せよ! 我々とて、無用な争いは望むところではない。開門し、我らが軍門に下り館を明け渡せば我が名誉に掛けて、捕虜の命は保証しよう!
 尚、この通告が受け入れられない場合は我々は武力を行使する!」

 正門へと続く橋は川の幅が広すぎるため撥ね橋のように持ち上げることはできない。ラクライムはこの橋を渡って、簡単に対岸の館側まで辿り着くことはできるわけだ。尤も、橋の幅はそう広くないため、騎馬による一斉突撃という手段はとれない。しかしながら、ラクライムの陣営には彼らの手によって作られた、門を破壊するための破壊槌が用意されている。これは彼の叫ぶ武力行使が、脅しではないという何よりの証である。
 この最後通告に対する領主側の解答として、人ひとりようやく通れる位に正門が開かれた。やがて、その隙間からひとりの女性と、その背中に隠れるように男が姿を現す。リリアと、クレスである。
「見ろよ、いい女だぜ! あんな上玉見たことねェ!」
 ラクライム側から、リリアに下劣な野次が飛んだ。が、当の彼女はまったく気にした様子はない。彼らが門外に出ると、門はまた閉じられた。どうやら、通告通りラクライムへ素直に開門したのではなさそうだ。
「……クレス」
 リリア・シグルドリーヴァは、彼女を盾にして後ろをこそこそと歩くクレスに振り返って声をかけた。
「な、なに」どうやら緊張しているらしく、彼の表情は硬い。
「あまり強く裾を握らないでください。これでは前に進めません」
 そう言うと、彼女はクレスの手に視線を落とした。確かにクレスの手は、彼女の黒装束の裾をぎゅっと握っていた。男女の立場が逆である。
「あ、すまん。つい……」
 クレスの手が、服から離れたことを確認すると、リリアは対岸に控えるラクライムに声を上げた。
「我々に降伏の意思はありません。領主の代弁者として、貴殿等に退去を命じます。これに従わない場合、我々は貴殿達に武力制裁を加える用意があります」
 凛としたリリアの声が木霊して消えると、両陣営に奇妙な沈黙が降りる。が、次の瞬間ラクライム側からどっと笑い声があがった。
「おもしろい。貴女が我らの相手をしてくれるというのか? これは是非とも制裁を加えてもらわねば!」
 この声に、ラクライムがまたどっと沸く。それをまったく表情を変えずに受け入れると、リリアは腰に吊るされたホルスターから、一振りのスティックを取り出した。クレスもそれに習い、同様のスティックを構える。が、彼の場合は堂々と直立するリリアとは違い、思いっきり腰が引けている。
「――了解。交渉を決裂と見做し任務を継続。これより敵小隊殲滅に移行します」
 感情を感じさせないこのリリアの言葉は、流石にラクライム側の勘に障った。
「くっ、女が。図に乗りおって!」
「そんな棒きれ一本で何ができる!」
 その声に答えるかのように、リリアは手にした銀色のステッキを軽く振る。
 シャキ……ン

 涼やかな金属音と共に、一五CMほどの長さだったステッキが、一Mほど伸びる。恐らく一本の筒に、幾重にも同様の筒が収納されていたのだろう。それが、スイングにより生じた慣性によって、一気に外に飛び出たのだ。しかし、それでも只の長い金属棒にしか過ぎない。殺傷力においては、短剣にも劣る貧弱な武器と言わざるを得ないだろう。だが、その物怖じしない態度が、ラクライムの気を更に逆撫でする効果があったのは確かだった。
「それで何をしようというのだ、小娘! 全軍、突撃っ! シグルズ領主館を陥せっ!」
 首領らしき男が、ついにシグルズ攻防戦の火蓋を切る。先に仕掛けたのはラクライムだった。声と同時に、まず前衛の騎馬隊が数列に並んで橋を渡り、リリアとクレスに突撃を仕掛ける。
「女は、生かしたまま捉えろ! 後ろの男は殺せっ!」
「なんだと……」
 クレスの青い瞳に、一瞬陰が兆した。傭兵たちに生け捕りにされた女がどう扱われるかは、同じく傭兵として生きてきたクレスが1番良く知っている。
「リリア、こいつらに手加減はいらねェ!」

「――了解」
 リリアは小さく頷いた。と同時に、彼女が構えた長い銀色の棒から、自ら青白い光を放つ三日月型の刃が現れ、それは巨大な『死神の鎌』となった。デス・クレセント。そう名付けられた死神の鎌は、スティックの先端からリリアの精神エネルギー帯とも言えるもので構成された光の刃を展開する、彼女オリジナルの武器である。本来、刃の部分を構成するエネルギー粒子帯は不可視であるが、エネルギー・フィールド内に入り込んだ空気中に含まれる塵や埃が化学反応を起こして、青白く発光して見えるのだ。
 リリアの後ろで、クレスも同様の武器を構えた。が、これもリリアに与えられた物で、三日月型を形成するエネルギー粒子帯を構成しているのはクレス本人ではなく、リリアの遠隔操作によるものである。彼にはまだ、自力でデス・クレセントを展開できるほどの力は育っていないのだ。
 デス・クレセントは刃渡り二Mちかい巨大な鎌ではあるが、固形物質ではなくエネルギー粒子帯によって形成されているので、重量は限りなくゼロに近い。リリアは、デス・クレセントを軽々と振り上げると、気合一閃、橋を渡り突撃してくる騎馬兵に向けて振り払った。
 驚いたことに死神の鎌の光の三日月の部分がスティックの先端から離れ、ブーメランのように回転しながら凄まじい勢いでラクライムの兵達に襲い掛かる。狭い橋の上をお行儀良く縦列で突撃してくる騎馬隊にそれを躱す術はない。分厚い板金鎧を、まるで熱したナイフをバターに入れるかのように易々と切り裂き、敵兵を文字どおり真っ二つにしながら跳び行く蒼い三日月のその様は、まるでカマイタチである。七人目のラクライム兵を切り裂くと、光の刃はようやく消えた。
ブオォ……ン

 唸るような音共に、リリアの銀のスティックに新たな蒼い三日月が展開された。しかも今度は同時に二つ。二枚刃のデス・クレセントだ。如何な武器、如何な防具も全く意味を成さず切り裂かれ、しかもその蒼い光の刃は飛び道具にすらなる。白兵戦及び中距離戦闘において、このデス・クレセントは間違いなく地上最強の武器であった。
「なんなんだあの武器は……ッ?」ラクライム側が動揺に揺れる。当然だった。手も振れずに、七人もの騎馬兵を一瞬で切り裂かれたのである。
「どうした、何をしている? 状況を報告しろ!」
 陣の後方に下がって指揮を執っていた首領が、突然ラクライムを襲った混乱に事態を把握しきれず怒号をあげた。
「突撃をかけた騎馬兵が一瞬で七騎殺られましたっ!」
「何? バカを言え、一瞬で七人をどう殺す。何がおきたというのだ」
「分かりません!」副官らしき男が悲鳴にも似た声をあげる。その額には、焦りから来る脂汗が滲んでいた。
「よし、陣形を立て直し、引き続き騎馬は突撃。弓兵で援護しろ!」
「はっ」
 一度は混乱するものの、号令がかかると直ぐに体勢を立て直してみせるあたり、流石に手練の集団である。
「クレス、私はこのまま敵陣に入り込み一気に殲滅します。貴方はこちら側に残って、万一私がとり逃した兵を処理して下さい」
「分かった」クレスは緊張の面持ちで頷いた。
「くれぐれも弓の射程には入らない様に気を付けて下さい」
 そう言い残すと、彼女は橋を渡り対岸に組織されるラクライムの陣営へ駆けて行った。その瞬間、ラクライムの弓兵が放った矢がリリアの頭上に、雨のように降り注ぐ。
「リリアっ!」
 クレスは、その絶望的状況に思わす叫んだ。しかし、確実に起こると思われた惨劇が現実になることはなかった。リリアの頭上から彼女の全身を包み込むように、金色に輝く8角形の壁が展開され、襲い掛かる矢を全て跳ね返したのである。矢尻がその壁に跳ね返される金属音が、幾千と起こり戦場にけたたましく鳴り響く。その間にもリリアは橋を駆け、向かってくる兵士達を今度はデス・クレセントを通常の鎌のように振りかざし、次々と切り捨てていった。
 そして終に対岸まで辿り着いたリリアは、何事も無かった様にラクライムの兵達の中に踊り込むと、再び鬼神の如く死神の鎌を振るいはじめた。青白く輝くデス・クレセントは、血飛沫をあげて真っ赤な軌跡を描き、次々とラクライム兵達を切り裂いていく。一方のラクライム側は、リリアの周囲に展開される金色のフィールドに阻まれて、彼女に触れることすらできない。
 矢、剣、斧、槍。全ての武器が例外なく、彼女に届く前にいとも簡単に跳ね返されてしまうのだ。リリアがデス・クレセントを一閃する度、ズバズバと凄まじい音を立ててラクライム兵達を切り裂き、噴水のように血潮が吹き出すが、彼女自身は、金色の壁が防いでくれるせいでまったく返り血を浴びることはない。
ゴォンッ!

 突如、雷鳴のような轟音が空気を震わせた。ラクライムが、リリアに向けて大砲を放ったのだ。
ギィンッ!


 ――が、鈍い音と共に、その襲い掛かる巨大な鉄球すらも、彼女の展開する金色の壁に呆気なく跳ね返された。逆に兆弾(跳ね返った砲弾)は、彼女の近くにいたラクライム兵たちに向かい、数人を轟音と共にふっ飛ばした。
「こ、この女、バケモノだ!」
 築かれていく死体の山。終に、ラクライム側に立ち残るのは数人にまで減った。正確に言えば、残っているのは、指揮に当たっていた首領を含め、たったの四人だけである。リリアひとりが、七〇人以上の兵士を倒した勘定になる。
 因みに、リリアの攻撃を擦り抜けてクレスの待機する正門側まで辿り着いたラクライム兵は、只のひとりもいなかった。これだけ暴れまわったというのに、リリアはと言えば軽く息を弾ませているだけで、大して疲労した様子はない。まさに伝説の戦乙女ヴァルキリーである。
「――もう、無駄な抵抗は止めて下さい。貴方達が西側に配置した分隊も、守備隊三〇が相手をしている以上、勝機はありません。既に勝負は決したのです」
 リリアは、静かに言った。が、その声を打消すように怒号を上げながら、左右・後方から三人が同時に襲い掛かってきた。リリアは慌てず、デス・クレセントを一閃する。三人は胴体を両断されながら、一瞬で絶命した。残ったのは、首領只ひとり。
「抵抗すれば、殺します」
 その言葉に戦慄する首領。彼の身体は襲い来る絶対的恐怖に、小刻みに震えている。
「死神……」
 死人でも見るような、呆然とした表情で彼は呟いた。
 その神々しいまでの姿に、彼はひとつの伝説を思い出していた。北欧の兵士達の間に伝わる死神伝説。彼女は、二メートル近くある死神の鎌を振り、たったひとりで一個大隊を全滅させる。彼女には剣はおろか弓・火筒すら通用せず、その死神の鎌を防ぐ手立てはないと言う。
 ――地上最強の兵士。
 そして、同時に伝わるジンクスはこう告げる。
「戦場で死神を見たものは生きて帰らない」
 それは何よりも確実な死の宣告。そしてその伝説から彼女は、こう呼ばれるようになった。死神の化身、デス・リバースと。
 噂は真実だったのか……
 暫しの、沈黙。やがて、首領は悲痛な叫びを上げて剣を構えると、死を司る女へ駆けた。そして蒼い光が閃く。
 ――その瞬間、死神伝説に新たなる一頁が刻まれた。




to be continued...


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