掴めないもので構わない

ふたり求め合えるなら


MEDIEVAL II
「戦乙女の伝説」
RETURN TO THE:11 『遥かなる過去の現代の夢』
RETURN TO THE:12 『リメンバー・ファースト・コンタクト』
RETURN TO THE:13 『傀儡の乙女』
RETURN TO THE:14 『天国などいらない』
RETURN TO THE:15 『満開の花が似合いのカタストロフィ』




RETURN TO THE:11
『遥かなる過去の現代いまの夢』



――また
彼女は瞬時に悟った。
これは、また、『あの夢』であるということを。

「ほぉら、さっさとしなさいよぉ、ばかシンジ!」
戸口に仁王立ちして、相方を待っている金髪の少女。

――この人、知ってる。
惣流アスカ。いつもあの人の傍らにいる人。
いつもあの人を、あの人しか見ていない人。いつもあの人を苛める人。

「うん、分かってるよ。ホントうるさいんだからアスカは……」
「ぬわぁんですってぇ〜!」
ぱぁぁぁぁん☆
今朝2つ目のもみじが少年の頬に刻み込まれる。

……また、苛めてる。彼、可哀相。

「……」
「それじゃ、おばさま。いってきます」
所在無さげに玄関口に突っ立っている少年をぐいぐいと外に押しやりながら、務めてお淑やかにアスカは言った。

「……いってきま〜す」
「はーい、いってらっしゃい。――ほら。もう、あなた。いつまで読んでるんですか!」

――この人、知ってる。碇ユイ。
あの人の母親。とても、とても温かいひと。ひなたの香りのするひと。

「ああ。わかってるよ……ユイ」
ちゃんと聞いているのかいないのか、気のない返事が返る。

――あなた、誰? いつも大きな紙で、顔を隠している人。
多分、あの人の家族。
『ああ』しか言わない人。
そう言えば、あの人……この人を『父さん』と呼んでいたことがある。
あの人の父親? ……分からない。

もう、何度目になるだろう。
故郷の村、ドン・レミの自宅で初めて天使の“声”を聞いたのとほぼ同時期から、この夢をほとんど毎日のように見るようになった。
此処ではない場所、今ではない時。
その夢の舞台は、彼女からすれば全くの異世界で展開される。
そして、その夢の主人公が……

「おはよう、みんな」
「グーテンモーゲン、ヒカリ」
「おはよう、アスカ、碇君」
「おはよう、シンジ」
「おはようさん、シンジ。また夫婦仲良く登校かいな?」

――碇シンジ。

「おっはよぉ〜、しんちゃんっ☆」
「うわっ! マ……マナ!」
「んふふふぅ」
「ちょっと、マナ! シンジから離れなさいよ!」
「い・や☆」
「か――っ、朝っぱらから羨ましいやっちゃのぅ。シンジは!」
「シンジ……いつかコロス」

そう。線の細く、どこか中性的で、一見頼りげのない少年、碇シンジ。
彼女の夢は、あきらかに彼を中心としたその平凡で平和な日常生活に、スポットが当てられていた。
……今のように戦のない平和な世界。そこで生活している人々の人種も、彼らの生活習慣も――
その何もかもが彼女の知っているものとは全く異なる。

だが、彼女はそれらに捕われること無く、自然にそれらに順応していた。
知らない言語であるのに、何故だか彼らの会話の内容を理解することもできた。
しかし……

――分からない
一体この夢に何の意味があるのだろうか?
一体何故にこんな夢を自分は見るのだろうか?
一体誰がこの夢を自分に見せるのだろうか?

幾度と無く“声”にそのことを訊ねてみた。
だが、答えはなかった。
それに、これは主や天使、“声”等とは何か次元の異なる、全く別のものに思える。

……碇シンジ。彼は一体何者なのか?
自分にとって、彼という存在は一体『何』であるのか?
ただ、1つだけ確かなことがある。
最初は戸惑いを覚えたものの、その日常生活のふとした一瞬に垣間見ることが出来る、恩讐を越えた彼の『優しさ』に触れる度、夢の中で彼の姿を見ることを心に望むようになっていった、ということだ。

碇シンジ。一瞬、彼の優しい微笑みが、今朝出会った『アランソン侯』の相貌と――重なる。

「はっ?」
小さな叫びと共に、彼女は目覚めた。





RETURN TO THE:12
『リメンバー・ファースト・コンタクト』



シノン本城の西側に位置する、ル・クードレ城と呼ばれる塔の一室。
王太子との謁見の後、彼女はそこに居を移すよう命じられ、その世話はトロワ代官である、ギョーム・ベリエの妻に一任された。
この夫婦は、城内きっての消息通として有名な、所謂大物である。
突如現れた、一介の村娘にとってはかなりの厚遇と言えた。

その薄ぐらい室内の柔かなベッドの上で、ラ・ピュセルは上体を起こした。
彼女は自分に与えられた、これまで見たことも無かった豪華な造りの部屋を見渡す。
まだ夜は明けていない。ラ・ピュセルはベッドから出ると、窓際に歩み寄った。
レースのカーテンを捲ると、月明かりが優しく彼女を照らす。

南側に取り付けられたその大窓からは、180度蒼茫とした野の広がりが見渡せた。
美しい眺めだ。
彼女は視線を星空に向けると、今一度アランソン侯爵との出逢いを回想する。

「……お初にお目にかかります。私はアランソン侯爵、ジャン二世です」
あの時、彼女はショールを頭からかけていた。彼女の蒼銀の髪と、赤い瞳は人目を引きすぎるからだ。
ピュセルは、王太子との最初の謁見の時見せた、聖カトリーヌ(信じられないほど機智に富んでいたとされる聖女)を思わせる毅然とした態度を以って、宮廷暮らしで退屈を持て余していた貴族達の心を完全に支配した。

今や、宮廷は彼女の噂で持ち切り。城内を歩く度に人垣に取り囲まれる有り様だ。
それに多少ウンザリしていた彼女は、その遠目でも目立つ容姿を少しでも隠すため、頭にレースのショールをかけていたのである。

初対面であるアランソン侯は、そのショールに隠された素性の知れない自分に、随分と丁寧な挨拶をしてきた。
彼の声を受けて、彼女はゆっくりと掛けていたショールを取り払った。
「ようこそ御出でくださいました、アランソン侯。主の使徒、ラ・ピュセルにございます」
彼女のその声に、彼は目を丸くして硬直していた。

恐らく、彼女の類希な美貌と、神秘的な蒼銀の髪と真紅の瞳に驚いたのだろう。
だが、驚愕したのは彼女も同じだった。
もう4年以上も見続けていた不思議な夢に現れる、『碇シンジ』という名の少年。
その彼を彷彿とさせる人物が、突如目の前に現れたのだから。

黄色人種である『碇シンジ』の漆黒の髪と瞳の色を、薄く茶色がかった黒に変え、肌を少し白くすれば、アランソン侯はまさに碇シンジそのものだった。
武人とは思えぬ、華奢な体つき。澄んだ瞳と、奇麗な顎筋のライン。なにより、その美しいともいえる微笑み。

彼が、碇シンジであることは間違い無かった。
この手の彼女の直感は外れた試しはない。
だが、彼は碇シンジではなくジャン・ダランソン二世であり、夢の中の住人ではないのだ。

――アランソン侯。分からない。あの人、不思議な感じがする。
 “声”すらも届かない、何か大いなる因縁を感じた……

「あ……貴女が……あの、ラ・ピュセルなのですか……?」
掠れる声で彼は言った。
それに答えようとした時、城内から『審問』の再開を告げる使いがやってきて、アランソン侯との暫しの会見は中断された。

アランソン侯と碇シンジ。
この2人の間に、一体何があるのだろうか。





RETURN TO THE:13
『傀儡の乙女』



ラ・ピュセルが月夜を見上げ、夢の謎に思案している同時刻。
シノン城下の外れにある廃屋に、2つの人影があった。
町中が寝静まった深夜。しかも、日のある中でも滅多に人が近寄らない廃屋の中に人影が在るというのは、随分と不自然である。

「……それで、ロレーヌはどうだった?」
「ドン・レミ、ヴォークルール等で洗ってみましたが、特にこれと言って反証になるようなものは見当たりませんでした」
廃屋の屋根は所々腐敗から崩れ落ちており、その隙間から幾筋もの月明かりが屋内に差し込んできている。

うち捨てられ、時が止まった空間を照らす月光。見様によっては、幻想的とも言える光景である。
しかしながら、2人は月光の届かない黒い影の部分にいるので、その容姿を窺い知ることはできない。
ただ、その声からすれば、最初に口を開いたのが男性。それに答えたのが女性だと思われた。

「――まぁ、そうだろうな」
男は、結果を予め予測していたような言葉を発した。
「彼女が入城して来た当初、宮廷には3つの見方があった。これらはオレの見解からしても妥当なものだった」
女は無言で先を促す。

「まず、1つは彼女の主張は真実であり、我らの祖国を救う真のラ・ピュセルである可能性。
もう1つは、彼女の主張は全くのデタラメであり、彼女はおかしな妄想でも見ている狂人である可能性」
男は一度言葉を切ると、おもむろに続けた。
「最後の一つは……」

「彼女の主張は偽りであり、何者かの駒となって動く『傀儡』である可能性」
男の言葉を女が継ぐ。
「そうだ」彼は、埃だらけのかつて家具だったらしきものに腰掛けながら続ける。

「だが、彼女が王太子と謁見した後は少々状況が変わった。
彼女が大太子の前で見せたあの毅然とした態度、それに司祭達の審問に対する機智に富んだ受け答え、どれをとっても狂人だとは考えられないものだったし、彼女には実際『鰊の日』を予見してみせたという事実もある」

「……」
「これらの要素を加味すると、彼女の主張が根も葉もないデタラメだという説は消える。
残される可能性は2つ。彼女は、何らかの力を持つ本物のラ・ピュセルか、あるいは誰かの傀儡か、だ」
「ただの庶民であれば、然程くわしい資料が残されていないのも道理であるし、傀儡説が正しいのなら、過去の経歴は全て抹消されていて然り」

「ま、そういうことになるな」
「……」
「これはオレの私見になるが、彼女が何らかの神秘的な力を持っているのは真実だと考えて良いと思う。
彼女の言う“声”ってやつが、彼女にアドバイスをしているのも多分事実だろうな。
――尤も、これはオレの勘だし、確認する手段も今のところないが」

「傀儡説は如何捉えます?」
「君の意見を聞きたいね」
何やら穏やかとは言い難い話題ではあるが、男の声色からは、どこか状況を楽しんでいるような感じすらする。
男の声を受けて、間髪入れず女は口を開いた。

「傀儡説を採った場合、彼女の予知・予言の類は、内通者の情報を極秘裏に受けていたと見ることで説明が付きます。
――また、彼女が一介の村娘でありながらも高度な知識、宮廷作法、乗ったこともないはずの馬を軽々と扱うなどという不審点にも、予め命令者の筋から訓練を受けていたとすれば、問題ないでしょう」
淀みない口調とその的確な分析から、この女性が優秀な諜報員であることが窺える。

「……なるほど」
「これまでの仮説は、彼女には何ら特殊能力が無かったと考えた場合ですが……。
仮に彼女が“声”なるものの命に従っているという主張が真実だとしても、他人に“声”のようなものを伝達することができるような魔術師の類を雇い、それを彼女に天使や主の“声”だと信じ込ませることで操っていると考えることができます」

「……ふむ。じゃあ、その傀儡説が正しいとして、彼女の裏にあるのは誰だと思う?」
「当然、アルマニャック=王太子派が勝利し、王太子が即位することで利益を得る者だと思われます。
考えられるのは、純粋に王家の血を絶やすのを愁いる者。即ち、王太子本人か、その義母であるシチリア王妃、ヨランド・ダラゴン。
彼女が我が国の将来を案じ、ラ・ピュセルが現われてからは、彼女の熱心な支援者となっていることは周知の事実。ですが、可能性が一番高いのは……」

「――ラ・トレモイユ」2人の声が重なる。

ラ・トレモイユ。
現在、王太子の側近中のナンバー・ワンが彼である。
王太子は彼に莫大な額の借金を負っている。それは、王太子が正式な王位に就いた時、貸し付けた金を武器に彼を自由に操れることを意味する。即ち、事実上の国家の支配である。

「やはり、全てのフラグメントは、一旦このラ・トレモイユに収束するか」男は低く呟いた。
「その様です」
「――分かった。しかし、今まで国の外にいたとは思えない情報量。さすがだな」
「私は、これからしばらくは一応補『監視機構』の任務にあたります」
「ああ。そうしたほうがいいと思うよ。……あ、だができれば、リッシュモン元帥を探ってみてほしい」

「リッシュモン元帥――ですか」意外な人物の名に、女が訝しがる。
「やはり、キミでも知らなかったか……」
「彼とは面識はありませんから」
「――何やら、オレたちのクライアントと関連があるらしい」

「!」女の声にならない声が上がる。「……監視機構と、リッシュモン元帥が?」
「ああ。どうやら監視機構にも、まだまだオレたちの知らない謎がある」
「わかりました。貴方は?」

「オレかい? しばらくすれば、ラ・ピュセルは『ポワティエ』に送り出される」
男は、踵を返し廃屋の出口に向かいながら言った。
「その期間を利用して宮廷の方を探ってみるさ」

――ポワティエ。
シノンの街の南に位置するこの歴史ある都市には、神学者や高位の聖職者、数こそ少ないが王家に忠誠を誓う大学の研究者達がいる。
王太子は、このポワティエにラ・ピュセルを送り出し、彼らの手によって更に高度な審問を受けさせるつもりなのだ。

「……どうか御気を付けて。あなたは王下第7情報局の責任者でもあられるのでしょう?」
女の声が、男の背中にかけられる。
王下第7情報局は、代々の王家のトップのみにその存在が知らされている、王家直属の諜報機関である。
構成員、活動内容など、詳細は一切不明。外部には、存在自体も確認されていない。
国家最高機密であった。

「フッ、バレバレか。あれはただのあるアルバイトだからな。ま、忠告は有り難く受け取っておくよ」
女を振り返って、口の端を吊り上げてそう言うと、彼は再び歩き出した。
崩れ落ちた屋根の隙間から差し込む月明かりに、一瞬彼の相貌が浮かび上がる。
そこには、口元に例の笑みを湛えたリジュ伯カージェスの姿があった。





RETURN TO THE:14
『天国などいらない』



翌朝、王太子殿下がミサに参加するというので、僕はそれに付き合った。
しかしながら、この時世に在って、何と僕はキリスト教徒ではない。
尤も、そんなことを周りに知られれば『異端児』扱いされて、下手をすれば罪人と見なされ処罰を受けてしまう。だから、誰にも勘付かれないようにしていた。

そうは言っても、形式上は僕はキリスト教徒である。
どっちなんだと言われるかもしれないけれど、一応はキリスト教徒なのだ。
これでもアランソン侯領の領主である以上、幼少の頃よりいろいろな教育を受けた。
キリスト教の教義や、告解の仕方、祈りの文句、祭式における作法等、一応敬虔な教徒なら知っていることは僕も身に付けてはいる。

――だが、神の存在そのもの、キリストの主張する救い、祈りによって得られると云う主の慈悲と加護。
そんなものの一切を僕は信じない。
僕は……僕には天国などいらない。

『聖マルタン』に捧げられたという、シノン城内にあるこの礼拝堂にラ・ピュセルが姿を見せたのは、ミサがはじまってしばらくしてからのことだった。
昨日、初めて会った時は男の服装をし、ショールのようなものを頭から掛けていたが、今日は純白のローブをその身に纏っていた。流石に礼拝堂に男装してくるわけにはいかなかったと言うことか。
しかし、彼女は何故男装などするのだろう。

彼女は王太子殿下と僕の姿を確認すると、深々と一礼して自らもミサに参加した。
神は信じないが、教会や礼拝堂に漂う独特の凛とした雰囲気は嫌いではない。
この神に捧げられた空間に、たしかに神々しさを感じると認めることも吝かではないくらいだ。
色とりどりのステンドグラスから差し込んでくる日の光に照らされ輝く蒼銀の髪。
僕は、ミサの間中ずっとラ・ピュセルの後ろ姿を見詰めていた。

「ピュセル、アランソン侯。暫し、私に付き合うがいい」
ミサが終わると、礼拝堂の出口に向かいながら殿下にそう声をかけられた。
「はっ」僕はそう応じると、殿下の後に続く。
ラ・ピュセルも無言で頷き了解の意を示すと、同じく出口に向かった。

シノン城というのは、東西にすらりと伸びる長細い形をしていて、大きく3つの曲輪(くるわ=区画の意)に別れている。
中央にシノン本城、その西側にラ・ピュセルが寝泊まりしているル・クードレ城がある。
更には、この礼拝堂、城門を兼ねる塔、庭園や井戸などがあるわけだが、その建築様式・配置などに統一性は見られない。
これは、歴史と共に様々な施設がその時代に則った様式で建て増しされていったからである。

歴史と伝統ある古城と言えば聞こえはいいが、統一性のない殺風景なこの城は、間に合わせに継ぎ足された部分の多い不格好なものであるという印象を拭いきれない。
一国の王たる者が居を構えるにしては、些か役不足である。

礼拝堂からシノン本城に戻ると、貴族風の男と幾人かの従者が我々を待っていた。
その貴族風の男は中肉中背で、一応兵士としての訓練を積んでいる僕の目から見ても、その挙動に隙を見出せないという奇妙な不気味さがあった。
そして、特に印象的なのは切れ長で鋭い眼光を湛えたその目である。

貴族である故、帯剣こそしていないが一瞬たりとも気を許すことのできない、刃物のような気配を漂わせている。
――この男は危険だ。
師であるとも言えるリジュ卿から散々に鍛えられた、兵士としての本能が警鐘を鳴らす。
知らぬ内に放たれる殺気を抑えるのに、幾らか苦労を強いた。

「おお、ラ・トレモイユ。……丁度良い。これよりピュセルの話を聞く。そなたも同席せよ」
王太子殿下が、その男に声をかけた。
昨夜のリジュ卿の忠告が脳裏に蘇る。

『ラ・トレモイユ。 アランソン侯。この男の名を忘れるな。そして、この男には細心の注意を払うんだ。』
この男が――王太子を陰で動かし宮廷を席捲し、リッシュモン元帥を枢機部から追いやった男。
確かに、リジュ卿の忠告には従った方が良さそうだ。
僕はこの男の言動に逐一注意を払うことを、心に刻み込んだ。

「他の者は下がれ」
殿下はピュセル、ラ・トレモイユ、そして僕以外の人を払うと、僕らを城内の一室に導いた。
そこは宴などが開かれた時、貴族の男性達が酒を酌み交わしながら政や戦に着いて談話するために用意された、一種の休憩所であった。
室内は然程広くなく、丸いテーブルを囲むように幾つか椅子が並べられてある他は、部屋の隅にグラスや酒瓶の陳列された大棚があるだけで、装飾の類は他に比べて少ない。
殿下は、一応上座らしき席に腰を落とすと、僕ら3人にも席を勧めた。

「さて、ピュセルよ。昨日の話より、そなたが主の“声”を聞きその命に従って、このシノンへ来たことは分かった」
一同が席に着き、小姓が飲み物を運んできて再び退室すると、ようやく殿下は口を開いた。
「この席においては、そなたの救国の具体的展望を聞きたい」
テーブルの向かいに座り、沈黙を守っているラ・ピュセルに殿下はそう言った。
ちなみに、僕らの席順は上座の殿下から時計周りにラ・トレモイユ、ラ・ピュセル、そして僕だ。

「……まず、兵を率い『オルレアン』に向かい、イングランド=ブルゴーニュ連合を殲滅。その攻囲を解きます」
十分な間を取って、ラ・ピュセルは静かに口を開いた。
「王太子殿下には、この際に必要と思われるだけの部隊を御預け願いたく思います」

「――待て」ラ・ピュセルの言葉にラ・トレモイユが横から言った。
「ピュセルよ、お前は何故に国王陛下を王太子殿下とお呼びするのだ?」
「殿下は、未だランスにおいての戴冠の儀を済ませておられない。ならば、国王陛下とお呼びするわけにはいかない」
ラ・ピュセルは、きっぱりとそう言った。

発狂し、精神的安定性を欠いたことで民から『狂王』と呼ばれていた前代のシャルル国王陛下は、7年前の1422年に亡くなった。
よって本来ならば、現在の国王はその狂王の御子息である方でなければならない。
そして、それが今、我々の目の前におられる王太子殿下その人であるわけだ。
が、現状はそれに大きく異なる。
その大元たる原因が、『合併王国論』である――。





RETURN TO THE:15
『満開の花が似合いのカタストロフィ』



狂王崩御の2年前――
既に敗色濃厚にして混迷を極めた1420年の5月、我が国の王家に決定的な打撃を与える事件が起きた。
それが、『トロワ条約』の締結である。

合併王国論、すなわちイングランド王冠の下、イングランドが我が国を合併吸収するという計画を推進するパリ大学の力添えにより、このトロワ条約が両国間で結ばれた。
つまるところ、イングランドによる我が国の支配を合法化する条約の締結だ。

この条約では、正統なる我が国の王位継承者である王太子殿下は、その王位継承権より遠ざけられ、代わりにその王冠は当時のイングランド国王『ヘンリー5世』の後に生まれるであろう嫡出児とその後見人に永久に移行されることが定められた。

そして、そのヘンリー5世と、王太子殿下の姉君であるカトリーヌ姫の婚姻の儀が、条約終結の翌月に執り行われた。
彼らの間に出来る子供が、我が国の正統なる王位継承者として合併王国の国王となるのだ。
1429年現在ヘンリー5世は既にないが、カトリーヌとの間にもうけた子息、ヘンリー6世がすでに8歳にまで成長している。今では、彼が我が国の正式な国王であるわけだ。

リジュ卿の情報によれば、『合併王国』の国璽(国の印鑑。条約締結等の時に用いる)さえも既にできあがっていて、それには両国の紋章が描かれているらしい。
話は、もうここまで進んでいるのだ。
我軍最後の拠点オルレアンが陥落すれば、ことは一気に終焉へと加速するだろう。
それを阻止するためにも、ラ・ピュセルの言う通り早々にオルレアンを開放する必要がある。

「――ピュセルよ。確かにオルレアンは我らの最後の砦。あの街がイングランド=ブルゴーニュ連合の手に落ちれば我軍は事実上壊滅。本国の栄誉は永遠に失われるであろう」
殿下は落ち着いた口調で言った。
「が、しかし。そなたの言う通りオルレアンの攻囲を解いたところで、イングランド=ブルゴーニュ連合を倒した事にはならぬ。そこを如何考えている?」

「……私は、救国に必要だと“声”に示された要件を果たすのみ。それがオルレアン開放と、王太子殿下のランスによる聖別、戴冠。それにより、殿下が正統なる国王として王冠を頂けば、国は救われると“声”は告げました」
聞き様によっては、無責任この上ない発言だ。

裏を返せば、彼女がその主の“声”とやらに絶大なる信頼と忠誠をおいている証明にもなるということか。
ただ、彼女の予知・予言というものは、これまでことごとく的中してきたと云う実績がある。
彼女の今の言葉を一種の予言だと捉えると、頭から否定してかかるわけにもいかない。
が、それを全面的に信用し兵を預ける決心がつかない王太子殿下の気持ちも分からないでもなかった。

――この会合はこんな調子で夕食時まで縺れ込んだ。
殿下やラ・トレモイユが取り止めのない質問をし、ラ・ピュセルが淡々とそれに答える。
だが、その答えを聞いたところでその信憑性を今はっきりと確認できるような類の話ではないから、どちらにせよ何の結論も出ようはずもない。
結局これによって決定したのは、王太子殿下は慎重な姿勢をとり、とりあえずラ・ピュセルを『ポワティエ』という聖職者の多く住む街に送り、徹底した審問を受けさせるということだけだった。

夕食後、殿下が近く野のまで散歩に出ると言いだした。
ラ・ピュセルは騎士用の槍を借り受けそれを肩に担ぐと、生まれ落ちた時からの騎士であるかのような手綱さばきで殿下の後を追った。

驚嘆を禁じ得なかった。
これが、つい数ヶ月前まで馬に乗ったことも無かった少女の馬術だと誰が信じられようか?
驚いたのは、殿下や小姓、従者なども同じだ。皆一様に目を丸くして、彼女の姿を追っている。

小柄な体躯に見合わぬ長い槍を装備し、颯爽と馬を駆るラ・ピュセル。
落陽の茜色を浴びて煌く青い髪は、さらさらと風になびき光の軌跡を描く。
その神々しいまでの美しさは、伝説の戦乙女『ワルキューレ』を思わせる。

北欧神話に現れるこの美しき戦いの女神は、キリスト教会の目には異端の魔女にしか映らない。
だが、実際は違う。
彼女たちは戦場に馬を駆り、運命によって戦死を定められた勇者達をヴァルハラという、まぁ、天国のような場所へ連れ帰る。
そこに集められた勇者達は、きたるべき最終戦争『ラグナロク』に備え腕を磨くのだ。

壊れるほどに美しく儚いカタストロフ=ラグナロクを描く北欧神話。
だがキリスト教の教会は、自分達の主を唯一絶対の神と信じるが故に、他の神話に登場する神々を許せない。故に北欧神話をはじめ、異教の神々は悪魔や魔王へ、異教の女神達は魔女へと勝手に貶め、否定するのだ。

自らの信仰を絶対視し、それを他人にも強要し、他を受け入れることを知らず、意に違うものは全て排除する。そんな人間達の信じる神を、ぼくにも信じろというのか?
僕は、そんなものは信じられない。信じたいとも思わない。

――でも、ラ・ピュセルは少し違う気がする。何と言うか、その真摯な姿勢に一貫性を感じる。
信仰と教義を自分達の都合の良いように解釈して、大義を振りかざし、私利私欲に生きる教会とは根本から違う。
彼女は、きっと本当に自分が主だと信じるものの声を聞いているんだ。
それに、一途に……そう、悲しいまでに一途に従っている。
私欲を捨て、命まで捨て、彼女はとても純粋に神の命に従っている。

僕は、それが必ずしも正しい生き方だとは思わない。
いや、寧ろ彼女にはそんな生き方はして欲しくない。
……だが、彼女のそのあまりの純粋さに、強い感銘を受けることもまた確かだ。
ひたむきな彼女のその姿は、とても美しい。心からそう思う。

やはり、彼女を見詰めるべきだ。
彼女のその生き様を。彼女のその強い意志を。彼女のその声に耳を傾け、彼女の想いに心を開く。
そして、全てが終わった時、その向こう側に……なにかが待っているような気がする。
僕の探しているなにかが、きっと待っているような気がする。
――僕は、それを見てみたいのだ。






to be continued...


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