この比類無き、特性を考えてみたまい。
有史以来、彼女は唯一の人なのだ。
男にせよ女にせよ、最高司令官となりて一国の全兵を、
つづにして掌握した人物は、他に誰ひとりとして存在せぬのだ。



CHAPTER II 「la pucelle」
SESSION・11 『遥かなる過去の未来の記憶』
SESSION・12 『ラ・ピュセル』
SESSION・13 『サマー・ヴァケイション』
SESSION・14 『誰にしようか?』
SESSION・15 『碇ゲンドウの場合』
SESSION・16 『碇ユイの場合』
SESSION・17 『惣流アスカの場合』
SESSION・18 『鈴原トウジ及び相田ケンスケの場合』
SESSION・19 『洞木ヒカリの場合』
SESSION・20 『マナの真名(まな)』



SESSION・11
『遥かなる過去の未来の記憶』


「……親愛なる我が侯」
 蒼銀の髪をそよ風になびかせて彼女は言った。
 月明かりに照らされたその白い肌は、とても幻想的で女神もかくやと思わせるほど美しい。
 気付くと、涼やかな風が吹く月明かりの下、広い草原に彼女と並んで腰掛けていた。
 彼女は純白の夜着に黒いカーディガンを羽織って、こちらに穏やかな微笑を投げかけている。こうして見ると男装して鎧を纏い馬を駆る戦場での凛然とした姿とは裏腹に、彼女が普通の少女であることを改めて意識させられる。
 もっとも、彼女が女性らしい服装で現れるのは、こうして二人きり密かに会っている時だけなのだが。
「こんな時でも名前で呼んでくれないのかい、ピュセル」
 自分の口が無意識のうちに言葉を紡ぎ出す。
「貴方こそ、名前で呼んでは下さらない」
「そうだったね。もうしばらく二人きりになれる機会が無かったから、ついいつもの癖で」
 ――そう。ずっとこうして二人きりの時間が欲しいと思ってはいたけれど戦場という狂気の世界の中ではそんなささやかな願いすら叶えられない。

「……夢を見た」
 夜空で輝く蒼い月を見上げながら、彼女が唐突に言った。
「夢? 君がいつも言っている <声> ではなくて?」
 彼女は、神からの声を聞き、天使の姿を見るという見神者の一種だ。
「いえ。夢。神も天使も関係のない、只の夢」
 彼女の真っ赤な瞳は、真っ直ぐに月を見詰めている。
「へえ、どんな夢?」
「遠い未来の夢。此処ではない、今ではない、遠い時空を超えた所の夢」
 彼女は、本当にいるのだろうか。
 時として襲われる感覚だった。乱世の最前線に身を置いているからか、それともどこか憂いを帯びた彼女の風格がそう思わせるのか、それは分からない。だが、ふとした瞬間、忽然とその姿が消えてしまうような、恐れにも似たものを彼女は他者に抱かせる。
 一瞬でも目を離すと何処かに行ってしまいそうで消えてしまいそうで……
 だから、恐る恐る彼女の頬に手を伸ばすのだ。
 極上の絹よりも滑らかな彼女の頬の感触。ひんやりと冷たいようで、微かに、しかし確かに伝わってくる温もり。その存在を確かめるため頬に延ばした手に、決まって彼女は自らの手を重ねて応えてくれる。そして、こう言って安堵させてくれるのだ。

「――大丈夫。私はここにいます」
 僕は彼女に微笑みを返した。
「ごめん。話の途中だったね。続けてよ」
 彼女はその真紅の瞳に優しい光を湛えて、コクンと頷いた。
「そこは見たこともない遠い場所。こことは何もかも違う場所」
「ふうん。どう違うの?」
「言葉ではとても語りきれない。でも、今のように戦のない平和な時代」
 それは、僕らの理想とする世界だ。
 国を束ねるべき王の発狂。内紛、侵略、宮廷闘争。黒死病の猛威。
 長引く戦争は社会を疲弊させ、膠着する戦況は傭兵を略奪者に変える。自らを守るために存在するはずの兵士の襲撃を受け、家を焼かれ、陵辱され、隠した家財の在り処を吐かせるための拷問にかけられる農村部の弱者たちには、もはや絶望しか残されていない。
 貴族として生を受けてさえ、三人にひとりしか成人まで生きていけないのが今の世だ。

「貧困も、略奪も、暴君による税の搾取もない、ある意味において自由な世界。……その世界に貴方はいるのです。侯」
 彼女はそういって、こちらを見つめたままやわらかく目を細める。
「僕が?」
 突然の言葉に狼狽した。これが普通の人の夢ならばさしたる問題もないのだが、彼女はミスティックである。その夢自体にも、何らかの神聖な意味が込められているのかもしれない。
 時代も場所も違う、その夢の舞台に自分が登場したと言われたのだから、この場合当然とも言える反応だった。そんなこちらの醜態を見て、彼女は口元に薄っすらと微笑を浮かべた。
「あれは間違いなく候。喋る言葉も住む環境も、髪や肌や瞳の色さえ違っても、魂は確かに貴方だった。そして、其処ではその名も違うのです。侯」
「違う、僕」
 姿形、名前すらも違うもうひとつの自分。全く実感が湧かない。想像だにできない。

「それで……その、夢の中での僕の名は何と?」
 その問いが返ることを予測していたのだろう。彼女はすぐにその名を口にした。
 それは遠い異国を思わせる、不思議な響きを持つ言葉だった。
「発音の難しい名だね。使っている音の種類が全然違うみたいだ。舌を噛みそうだよ」
 彼女は流暢に発音したが、自分でも試してみると、これが母国語に似たようなものがないためかうまく発音できない。ラテン語独特の発声を習得しようというのとは、また別種の困難がある。
「でも、その僕の名前は君しか知らないんだよね?」
「ええ」
「だったら、なにかの合図になりそうだね。そんな乱世の中じゃ、いつどんな備えが役立つとも限らないから。君と僕との間でだけ通じる、そういう不思議な響きの符号はいつか必要になるかもしれない」
「私たちの間だけで通じる……」
 彼女は、何か考え込むような顔で呟いた。
「そう。何だか、二人だけの絆みたいで良いよね」
「二人だけの、絆」
 彼女は一言ずつかみ締めるように呟くと、宝物を手にしたかのような微笑を浮かべた。

「そういえば、その夢に君は出てこないの?」
 彼女の微笑みに赤面してしまった照れを隠すように訊く。
 思わぬことに、瞬間、彼女の表情が翳った。
「どうかした?」
「貴方が……」
「え?」
「貴方が、私を迎えに来て下されば私を其処へ連れて行ってくれたなら、きっと、私も名を得られるでしょう」
 晴れない表情とその言葉を訝しくも思ったが、彼女を安心させるためにその言葉を紡いだ。
「良く分からないけど、僕にできるなら連れて行くよ。本当に僕がその世界に行くことがあったとしたら、君と一緒に行く。もちろん、君が良かったらだけど」
「……約束?」
 向けられた瞳は思いのほか真摯なものだった。小首を傾げるような仕種が、それとは不似合いなほどあどけなく、愛らしい。
「うん。約束」
 言葉とともにしっかりと頷いてみせた。彼女は、胸の前で手を組み静かに目を閉じて、その言葉に感じ入っているようだった。しばらくして目を開けると、
「侯、貴方を信じます」
 彼女の相貌に待望の笑顔が戻った。
 それから少しの間を置いて、示し合わせたように互いの顔を寄せ合う。
 合わせた唇は、誓約の証だった。



SESSION・12
『ラ・ピュセル』


 突然未だ目を醒まさないシンジの瞼から、一筋の涙がその頬を伝う。
「シンちゃん……?」
 保健室の大きな窓から入り込む朝日を反射して輝くシンジの涙は、マナに神聖を感じさせた。
「どんな夢を見ているの」
 これほど儚く、神々しい涙を流す何がこの少年にあるのだろう。マナは、その壊れるほど美しい光景を暫し眺めつづけた。
「――はっ?」
 目を見開いた途端、見慣れぬ天井が視界に飛び込んでくる。ここは……確か、保健室のアスカにずたぼろにされて何度か来たことがある。
「あっ! シンちゃん、気が付いた?」
 覗き込まれるように、少女の相貌が視界に被さってくる。
「きり……しまさん?」
「うん。大丈夫?」
 まだ意識がハッキリしないのか、のろのろと上半身を起こして頭を左右に振るシンジ。
「あの時の……女の子……」
「えっ? ……それって、わたしのこと?」
 シンジの小さな呟きを聞きつけたマナは、小首を傾げてそう訊く。(あれは確かに、アスカと買い物に行った時に見た……青い髪の少女……確かに彼女だった……僕とふたりだけの……約束……夜空の……ラ……ピュセル……)
「ちょっちょっと、シンちゃん? 本当に大丈夫なの?」
 ぼーっとしたまま、まるっきり反応のないシンジに不安になったマナは、彼の両肩を掴んで軽く揺すった。
「え、あ……うん。ありがとう。霧島さんだよね、手当てしてくれたの」
「もぅ、シンちゃんったら霧島さんじゃなくてぇ、『マナ』でしょっ?」
「……あ、ゴメン」
 ――フフ……貴方こそ、名前で呼んでは下さらないの? ――一瞬、夢の中でピュセルと呼んだ蒼銀の髪の少女の言葉が過(よ)ぎる。
「えっと、僕どれくらい気を失ってた?」
「ん――、一〇分くらいかな」
 顎に人差し指を当てて、かわいらしく考えてからマナ言った。
「そうゴメンね、なんか迷惑かけちゃったみたいで。授業ももう終わっちゃうし」
「それは構わないけど……シンちゃん、ちょっと変わった力がない?」
 本人はそれとなく訊いてみたつもりなのだが、思いっきりストレートなマナ。このあたりが、彼女の性格を物語っている。
「え、別に。……なんで?」
 漠然と超能力の類のことを言われてると思ったシンジは、キョトンとして否定する。
「ただ、何となくそんな感じがしちゃって……別に深い意味はないんだけど……」
 マナは説明に困った。あなたが寝ている間に、普通でない波動を発していた――などといきなり本人に言ったところで信じてもらえるわけはない。
(でも……本人にこれまで自覚が無かったってことは、やっぱり私が引き金になって『覚醒』した……? )



SESSION・13
『サマー・ヴァケイション』


「バカシンジ!」
「えっ?」
 突然現れたアスカに驚くシンジ。
「もうすぐ夏休みよ。分かってんでしょうね?」
「えうん。分かってるよ」
 だから、どうしてそう威圧的なのさ? 
「夏といえばプールよ」
「そそう?」
「そうよ!」
 シンジは、話が見えずに対応に悩む。
「あんた、私がこのまえ新しい水着を買ったのは知ってるわよね?」
「ううん。この前無理矢理に荷物持ちをやらされた時に買ったや」
 そこまで言いかけたが、ギロリとアスカに睨みを利かされてあわてて口をつぐむ。
「最近、新しい市営プールがオープンしたのは、当然チェックしてるわよねっ?」
「え、あ、確かケンスケがそんなことを言っていたような」
「どうせ夏休みの宿題は、私のお世話になるのよねっ?」
「そそうかも」
 事実、例年宿題をため込んでアスカのを写させてもらってきたシンジ。今年もそうなる可能性は、多分にある。
「だったら、今の内からこの天才アスカ様に恩を返しておくのが当然というものよね?」
「う……うん。……そうだね」
「なら、私に言うことがあるでしょ?」
 凄みを利かせて訊いてくるアスカ。
「えっ? ……そうなの?」
 彼は相変わらず、恐竜並みに鈍感だった。
「はぁ〜〜〜、ほんっと、あんたって底抜けのバカねぇ」
 思いっきり呆れるアスカ。
「ええっ! なんでそうなるのさっ?」
「あたしがこれだけヒントをやってるのに、まったく気付かないじゃない!」
「ヒント……?」
「はぁ〜〜〜」
 シンジの鈍感さには慣れていたアスカも、ここまでくれば最早溜め息しか出ない。
「あっ、わかった!」
 言われっぱなしだったシンジは、何か考えるような仕種を見せると突然叫んだ。
「え、ホントに分かったの?」
「うん!」
 意気揚々と頷くシンジ。
「じゃ、あたしが何を言いたかったのか言ってご覧なさい」
「ようするに、ご飯を食べ過ぎて前の水着を着られなくなった……ってことだよねっ?」
 自信満々でシンジはそう言った。ぷるぷる……
「……どうしたの、アスカ? 苦しいの?」
 急に小刻みに震え出したアスカに、シンジは驚いて言った。
「ッ……このっ……大バカシンジぃっ!!!!!」
 どこぉっ☆! この日ばかりは……アスカは『ぐー』でヤキをいれた。良く晴れた、ある日の放課後のことだった。



SESSION・14
『誰にしようか?』


 霧島マナが転校してきてから一ヵ月あまり。その明るく人当たりの良い性格で、すんなりとクラスに溶け込んだ彼女であったが、その胸に全くの問題を抱えていなかったわけでもない。
 それが碇シンジの存在だった。
 あの保健室での一件以来、常に彼を観察してきたのもそのためだ。
 一見、地味で目立たない少年があの時見せた力は、明らかに常人のものではない。それがどの種の力なのかは、現時点では判断できないが――本人の話では、自分にその様な力が備わっていることは自覚していない。
 あるいは自分の存在が何らかの切っ掛けとなり、今まで潜在していた彼の能力が覚醒しつつあるのかもしれない。それが、現在のところ有力視できると思っている仮説の一つだ。
 事実、シンジから発せられる波動はこの一ヵ月の間で徐々に強まってきている。例え間接的にであれ、自分が影響を及ぼしているのなら放っておくわけにもいかない。とりあえず今のところは静観するしかないが……


 その碇シンジはと言えば、 <ピュセル> ――例の蒼銀の髪の少女のことを考えていた。保健室で夢の中で出会って以来、度々頭の中に彼女のリアルなヴィジョンが浮かんでくる。
 忘れようにも忘れられない。考えないようにしようとも、そういうわけにもいかない。だが幾ら考えても、実際会えるわけでもない。
 シンジはどうにもならない夢と現の狭間で、ひとり悩みつづけていた。
 誰かに相談してみようかとも思う。しかし、その対象として誰を選択するかが難問だった。

SESSION・15
『ゲンドウの場合』


「あの……父さん、相談があるんだけど」
「問題ない」
 いや、問題ないって言われても……。相談することに問題がないってことかな? それとも、僕の相談事なんて問題にもならないってことかな?
 まあ、いいや。とりあえず勇気を出して――
「実は、最近、僕変な夢を見るんだ」
「全てはシナリオ通りだ」
 そんな……!
 僕の前に現れた、あの青い髪の女の子は彼女との出会いは父さんのシナリオだったのか?
 父さんって何者なんだ? ぼくは躍らされてたの? ぼくはどうしたらいいんだ!
 ――って、駄目だ。ダメだ。父さんじゃ駄目だ。第一、父さんとじゃ会話が成立しないし。
 それじゃ、誰にしようかな……



SESSION・16
『碇ユイの場合』


「あの母さん、ちょっと相談があるんだけど」
「あら、何かしら? シンジ」
 うん。やっぱり、母さんはいつも優しい。ときどき何考えてるのか分からない時はあるけど、親身になってくれるし。まぁ、親身って言っても実際親なんだけどね。
「実は、最近変な夢を見るんだ」
「夢? どんな夢なの」
「うん……あの女の子が出てくるんだ」
「女の子?」
「う、うん」
 いきなり目を輝かせはじめたユイに、何だか引きのはいるシンジ。
「そう。シンジもついに女の子と」
「あの、母さん?」
「楽しみだわぁ。私ホントは娘が欲しかったのよねぇ……。そうよ。シンジが結婚すれば、どの道娘ができるんだったわ。わたしったらウ・カ・ツ」
「あの」
「それに孫娘って手もあるわぁ……うふふ、楽しみねえ」
「……母さん?」
「それでっ、その娘はどんな子なの?」
 突然妄想の世界から舞い戻るユイ。
「えっ……そ、それは……えーと、髪の毛は青くて、目がウサギみたいに赤いんだ。で、すごく肌が白くって。たぶん色素が薄いと思うんだけど、でも、全然変じゃないんだ。そりゃ、口で言われて想像する分はちょっと怖い感じがするかもしれないけど、でも実際に合ってみるとむしろ神秘的っていうか、そんな感じで。あんまり喋らないけど、性格もすごく優しくていい子なんだ。自分のことなんかお構いなしで、他人のために平然と命を投げ出したりして。だから放っておけないっていうか、ずっと見てないとどこかに消えちゃう気がするって言うか……って、なに言ってんだろ僕」
「そう……。要するに、奇麗な良い娘なのねぇ。これは孫は絶対可愛いわ。あ、でも孫ができるのはせめて四〇になるまで待って欲しい気も。でも……ああん、どうしてそのほっぺはそんなにぷくぷくなのぉ……なんていいわあ」

 いやいや、よく考えてみるとやっぱり母さんも駄目だ。父さんとはまた違う意味で駄目だ。
 意外とミーハーなところがあるんだよなあ。絶対変なこと妄想して、暴走してあとで散々からかわれるんだ。
 こうして改めて見てみると、僕の家族は相談もできないような人ばっかりなのか。
 じゃあ、家族はやめて同級生は……? 



SESSION・17
『惣流アスカの場合』


 ……って、駄目だよ。アスカには、一度話したんだった。
 髪が青くて瞳の赤い人間なんているわけないじゃない、なんてことを言われたんだよね、確か。それでなくてもアスカは超が付くほどの現実主義者なんだ。こんな夢みたいな話をしたとしても、
「あんた、バカぁ? そんな人間がいるわけないじゃない。仮にいたとしても、その娘はあんたの夢の中で出てきたんでしょ。あんたの妄想の産物よ、このスケベシンジっ!」
 とかいって、結局は僕が引っ叩かれて終わるに決まってるよ。
 そもそも、アスカは僕が女の子の話をするとなぜか怒るんだ。本人は否定するけど、あれは絶対怒ってるんだ。あからさまに機嫌が悪くなるし、いつもの平手打ちとはまた違って、妙に細かい嫌がらせとか無理難題とかを押し付けられるパターンで苛められるんだ。
 きっと、アスカは他人の異性問題とかそういう面倒な話は聞かされたくないタイプなんだろう。
   とにかくアスカは、やめとこう。



SESSION・18
『鈴原トウジ及び相田ケンスケの場合』


「なんやて、髪が青くて目が赤いべっぴんさん?」
「シンジお前というやつは惣流だけでは飽き足らず、そんな娘まで毒牙にかけてたのか」
「見損なったで、シンジ」
「そうだ。お前は裏切ったんだ。俺たちの気持ちを裏切ったんだ!」
「ちょっと待ってよ。なんでそこでアスカが出てくるのさ。それに毒牙ってなんだよ」
「おい、聞いたかトウジ」
「おう、聞いた聞いた。なんでそこでアスカが出てくるのさ、やて」
「惣流は遊びだったんだな」
「いけ好かん女やったけど、ボロ雑巾のように男に捨てられるほど罪深こうはないと思うで」
「哀れな」
「だから、なんでそうなるのさ!」
「まあええ」
「そう。惣流が完全にフリーだと分かれば、今までの懐疑派を顧客に抱き込めるからな」
「一儲けできそうやな」
「フフフフフフ……」
 やっぱり駄目だ。この二人は何か勘違いしてるんだ。ぼくとアスカは姉弟みたいなもんなのに。
 とにかく、女の子の話題をトウジとケンスケの前に出すと、ろくなことになりそうにない。
 やっぱり、こういうことは男子生徒じゃ駄目だ。
 ――と、なると女子か。



SESSION・19
『洞木ヒカリの場合』


 うーん、委員長ねぇ。特別仲がいいってわけではないんだけど、アスカ以外に普通に話しをしてきたのって、彼女くらいだし。
 ああ、駄目だよ。
 それ以前に、委員長はアスカの大親友なんだった。彼女にもたらされた何らかの情報は、必ずアスカのもとへリークされるんだ。
 つまり、委員長に話すことはアスカに話すことと同義であり、そのアスカは自分の知らないところで僕が何かすると何故か烈火の如く怒り出すんだ。
 そして、その結局は……
「このバカシンジ、わたしに隠し事するなんて一〇〇億とんで七八億六〇〇〇万年早いわよ!」
「アスカその数字ってとんでないよ……」
 ってなことになるんだ。
 委員長とアスカはセットで考えるべきだから、やっぱりこの線もあきらめたほうが良い。
 でも、委員長以外に相談事なんて持ちかけられる女子なんていないしなあ。
 そもそも――自分で言うのもなんだけど――僕って、友達多いタイプじゃないんだった。まして悩み事をまじめに話せる関係なんて、ないに等しい。
 そうなると他には、ミサト先生……は、母さんより質の悪いミーハーだし。
 う〜ん、うう〜〜〜ん……あっ? 



SESSION・20
『マナの真名』


 ――そうだ、霧島さんはどうだろう。
 彼女とは結構話もするし、優しいし、席も隣だし、可愛いし、実は胸も案外大きいし。こんなおかしな話でも、意外と受け入れてくれるかもしれない。
 そう言えば、いつか保健室でちょっと変わった力がないかって訊かれたことがあったし。やっぱり、超能力に興味があるくらいだからちゃんと聞いてくれるよね。
 うん。うまくいきそうだ。
 そのようなわけで、シンジは早速、放課後を利用してマナに相談をすることにした。
 幸いアスカはヒカリと一緒に、最近アップルトルテが評判になっている喫茶店に寄って帰るようだし、トウジとケンスケは何とでも誤魔化せる。
「おう、シンジぃ。帰りにゲーセン寄っていかへんか?」
 いつも通り、トウジが声をかけてきた。その隣には、当然ケンスケも帰り支度を整えて立っている。
「――あ、ゴメン。今日は母さんに夕食の買い物を頼まれてるから、スーパーに寄って帰らないといけないんだ」
 あらかじめ用意しておいた言い訳を発動するシンジ。月に何度かシンジが実際に買い物を頼まれることを彼らは知っているので、疑われることはないだろう。
「何時もながらシンジも大変だな」
「ホンマや。遊び盛りの高校生が帰りにゲーセンにも寄らせてもらえんとは不憫なやっちゃのう」
 案の定、あっさりと二人は納得してくれた。
「それほどのことでもないと思うんだけど」
 シンジにとって買い物ぐらいなら、別段苦にもならない。
「ほな、センセは今日はパスやな」
「じゃ、また明日な。シンジ」
「うん。じゃあね」

 トウジとケンスケが談笑しながら教室から出て行くのを見送ると、シンジは隣の席のマナに声をかける。
「あの……霧島さん、ちょっといいかな?」
「ん、なに?」
 帰り支度をしていたマナは顔を上げて応えた。その表情は努めて明るい。多少緊張していたシンジを、何となく落ち着かせる雰囲気を持つ笑顔だ。
「あの、今日これから何か用事とかある?」
「ううん。べつにないけど」
「そう。じゃあ、よかったら今からちょっと付き合って欲しいんだけど、ダメかな」
「それもしかして、でぇーとのお誘い?」
 マナはミサトのような怪しい笑みを見せながら言った。
「違うよ、そんなんじゃなくて相談したいことがあるんだ」
「相談?」
「うん。ちょっと……」
「いいよ」
「ホント? ありがとう。助かるよ」
 あっさり承諾を受けることができたシンジは、安堵の笑みを浮かべて礼を言った。
「いいのよ。シンちゃんとわたしの仲じゃない。それで、どこにする?」


「――ふうん」
 マナは、ストローから口を離すとそう呟いた。グラスの中の氷が涼しげな音をたてる。
 シンジとマナは洒落た感じの喫茶店で向かい合って座っていた。勿論、アスカとヒカリが向かったのとはまったく違う店だ。シンジはそこで、自分が見たピュセルと呼ばれた蒼銀の髪の少女に関する不可思議な夢や幻に関して、言葉を選びながら慎重にではあるが全て包み隠さずマナに打ち明けた。はじめて他人に打ち明けたことで、些かスッキリした感覚を覚えながらも、シンジはマナが果たしてこの話を信じてくれるかどうか、不安を捨て切れずにいた。
「あの……霧島さん?」
 話が終えても、じっと手元のグラスを見つめたまま、何かを考え込むように深刻な表情を作っているマナにシンジは更なる不安を抱く。
「ねえ、シンちゃん」
「え、な何?」
「最初にその女の子の姿を見た、はっきりとした日にちは分かる?」
「えうん。三連休前の木曜日の放課後だったよ」
 マナの異様とも言える真摯な表情に些か戸惑いながらも、シンジははっきりと答えた。
(やっぱり……。わたしとおじいちゃんが、一度この <第三東京市> を訪れた日と一致する)
 シンジが蒼銀の髪の少女の姿を初めて見たというその木曜日に、現在の高校に編入するための手続きをするためマナは彼女の祖父と一旦この第三新東京市に訪れたのだ。

「その後、しばらくは全然彼女の姿も夢も見なかったのよね?」
「うん。次に見たのは、霧島さ……マナに運ばれた保健室で寝ている時だった」
(つまり、私が転校するため再び第三新東京市に来た日と一致するわけね)
 マナは手続きに来て以来、一度も第三東京市を訪れていない。二度目に来たのは高校に転入した日である。いま独りで住んでいるアパートにも、転校初日の放課後入居したのだ。
「保健室で夢を見てからは、結構頻繁に彼女の幻を見るようになったのね?」
「うん。程度の差はあるけど、ほとんど毎日彼女のヴィジョンが頭に浮かんでくるんだ」
(二度の偶然、そして一つの状況証拠。これは……必然と考えた方が自然よね)
 マナは情報を整理して確信に近いものを得ると、覚悟を決めて告白することにした。
「シンちゃん」
「え、なに?」
「多分、シンちゃんがその女の子の姿を見るようになったのは、わたしにも原因があると思うの」
「ええっ?」
 予測もしていなかったマナの反応に狼狽するシンジ。
「えっと、あの、じゃあ、僕の話……信じてくれたの?」
「うん。もちろんよ」
「でも、どうして?」
 自分でさえも俄かには信じ難い、現実離れした話をあっさりと受け入れてくれたマナにシンジは純粋に驚いていた。

「ねぇ、わたしのマナって名前、変わってると思わない?」
「えまあ、珍しいかも……」
 突然の話の切り替わりに、シンジはついていけない。
「マナっていうのはね、昔、万物の力の根源と考えられていたものなの」
「……へ?」
「まぁ、魔法にも <ウイッチクラフト> とか <ウィザード・マジック> とかカテゴリーは様々あって、その中でも召喚術や陰陽五行の <式神> や <守護者> 、 <精霊> 、 <言霊> 、 <図形> の持つ力を借りるものとか、咒術とかいろいろあるんだけど」
 すでにシンジには理解できない世界だった。
「一般的に魔法使いがステッキを一振りして起こす魔法っていうのは、このマナを色んな形にエネルギー変換して起こす奇跡のことを指すの」
「はあ」シンジはただ適当に相槌を打つしかない。
「わたしの名前はね、そのマナに由来するんだ」
 そう言ってちょっと胸を張るマナ。どうやら、その道の人には結構誇らしいことらしい。
「へぇ。そうなんだ」
 シンジはそれに適当に感心してみせた。

「それでね。私の血筋……霧島家ってのはね、古来から日本に伝わる特殊な力を持つ家系なのよ」
 またまた胸を張るマナ。シンジにはさっぱり分からないが、やっぱり誇らしいことらしい。
「人には見えない魍魎が見えたりぃ、不思議な力……超能力みたいなこともできたりしたらしいわ」
「らしいわって?」
「実はわたしもあんまり詳しくは知らないんだ」ぺろっと舌を出しそうな調子でマナが笑う。「なにせ、両親が西洋の方の魔術っぽいものも取り込もうとして本家から破門されちゃったから、家では禁句らしくてあんまり教えてくれなかったんだもん」
「マナの御両親ってなにやってる人なの?」
 まさか怪しげな魔術師一家ではあるまいかと、不安になりながら聞くシンジ。
「よく知らない。ずっと前に二人とも死んじゃったし」
 あっけらかんとそう言われたのでしばらく意味を飲み込めなかったが、その意を理解するとシンジは慌てて謝った。
「ゴメン。変なこと訊いちゃって……」
「別に気にしないで」

「あの、じゃあ、今はどうしてるの?」
「転校してくる前は、おじいちゃんと京都の山奥にある総本山に住んでたんだけど、今はアパートで独り暮らしよ。管理人さんが色々お世話をしてくれてるんだ」
「へぇ、凄いんだね。霧島さんって」
 普段の爛漫な雰囲気からはそんな込みいった家庭事情があるなどとは微塵も感じられない。シンジはマナにある種の強さを感じていた。
「ねえ、それで霧島さん……じゃなかった、マナには何か特別な力があるの?」
 シンジのその言葉に、良くぞ聞いてくれましたといった感じでにっこりと微笑むマナ。
「わたしはねえ、他の人の力を感じ取れるんだ。まあ、これは力を持ってる人なら程度の差はあれ誰でも持ってる能力なんだけど」
「他にはないの?」
「ふふん。わたしにはねえ、他の人の力を増幅させる能力があるっておじいちゃんが言ってたんだ。それも、とっても強い能力なんだって」
 またまたまた胸をはるマナ。なにやら特殊能力があるのは確かに誇らしいことなのだろうと、シンジも今度ばかりは納得する。
「あの……それと、僕の話とどういう関係があるの?」
 結局、マナの言いたかったことが半分も理解できなかったシンジは、関連性を全く掴めないでいた。
「だからあ、私は他の人が本来持っている力を増幅――つまり何倍にも高める能力があるのよ。おじいちゃんがいうには、潜在っていって普段は表に出てこない、本人も持ってることに気づかないくらい弱い力にも効果があるの。それって、そういう潜在的な力を本人が自覚できるレヴェルまで高めて、よりはっきりした姿にすることができるってことでしょ」

「それって結局、霧し……マナ本人だけでは何の意味もないってこと?」
 その言葉で調子に乗っていたマナが、ものの見事に萎んだ。どうやらタブーに触れてしまったらしい。ガックリと肩を落とし、心なしかマナの周囲だけ幾分空気が重くなった感じがする。
「シンちゃん、それ言わない約束だったのに」
 マナは消え入らんばかりのか細い声でそう呟いた。
「えっ、そうなの?」
「そうなの」
 俯いているせいでどんな表情をしているのかは窺い知ることはできないが、そうとう落ち込んでいるようだ。
「ゴ、ゴメン。でも、それでも普通の人にはない力なんだから、やっぱり凄いことだよね?」
「そうよね、やっぱり」
 シンジの見え見えのフォローであっさり復活するマナ。
「うん。スゴイよ、霧島さんは」
 こうなったら持ち上げるだけ持ち上げることにしたシンジ。
「そうよね、わたしもそう思ってたのよぉ。自らを省みずひたすら他人に尽くすなんて、私のいじらしい性格がそのまま能力に反映されたって感じよね?」
「う、うん、そうだね。まったくその通りだよ。マナは素晴らしい女性だよ。鑑だよ。天使だよ」
 すっかり御機嫌を治したマナは、腕を組んでうんうん頷きながらひとり悦に入っている。
「あの……霧島さん?」
「ああ、ゴメンね。何処まで話したっけ?」
「確か、他人の力を増幅させるとかなんとか」
「あ、そうそう」
 ぽんと、手を打つとマナはようやくもとに戻った。

「要するに、ブースターみたいなもんね。私の増幅能力は別に意識してなくても発動されるの。だから無意識のうちに誰かに影響を与えてしまう可能性は多分にあるわ」
「はあ」
「分からない? もともと何らかの原因で眠っていたり、弱すぎて表に出てこなかった特別な力が、私の能力で増幅されて突然発動することだってあるってことよ」
「えっと……今までは普通の人だったけど霧島さんの力に触発されて、本来の力が表に出ることがあるってこと?」
「そうそう」
 マナは嬉しそうに何度も頷いた。
「シンちゃんの場合は多分そうなのよ。シンちゃんがその女の子の幻を見るようになったのって、私がこの町に来た時期と一致するもの」
「じゃあ……」
 シンジはごくりと喉を鳴らした。
「そう。シンちゃんには、何らかの特殊な能力が備わってるってこと!」


to be continued...


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