セントラル・アベニュー ステーション・スクエア
「しおゃん?」
意識の外側から、小さな声が聞こえてくる。
「うぐぅ、美汐ちゃん!!」
「えっ……?」
その声で我に返ると、途端に大きな一対の瞳と視線が合った。あゆが、心配そうな顔つきで美汐の顔を覗き込んでいるのだ。
「どうしたの、みしおちゃん。ボク、何度も呼んだんだよ」
あゆは怪訝そうな表情で、尚も顔を接近させてくる。
「それは失礼しました、あゆさん」美汐は慇懃に頭を下げた。
「お腹痛いの?」
「いえ。なんでもありませんよ」美汐は軽く微笑んで、首を左右する。「――少し、昔を思い出していただけです」
「むかし? むかしの何を思い出してたの?」
あゆはそう言って、不思議そうに首を傾げた。
「昔。もう10年も前の……家族のことを少し」
美汐は普段とは違った、どこか歯切れの悪い口調で告げる。だが、あゆはその違和感に気付かない。
「うぐぅ、そうなんだ」心の底から安堵したように、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「良かった。いきなり目を瞑っちゃうから、びっくりしたんだよ」
「申し訳ありません。以後、気をつけますので」
そう謝罪しながらも、美汐の意識は思考の海に深く没入していた。
10年前――
この世から、2つの命が消え去った。
彼らは、『妖狐』と呼ばれる一種の物の怪の親子。天野美汐の母と弟だった。
両者の間で子が生まれること自体は極めて異例のことではあるが、妖狐と人間との交わり自体は、遥か千年の昔から、常人が住まう世界の裏側でひっそりと続けられてきた。
それを示す代表的な例が、芸能の世界、『信田妻』ものや、古浄瑠璃『しのたまづまつりぎつね 付 あべノ晴明出生』等でも有名な、妖狐『
葛葉姫』と安部晴明とを巡る物語である。
平安時代、希代の陰陽師として知られていた安部清明。その父である保名がある日、襲われている狐を助けた。するとその狐は女に化して、保名の妻となったというのだ。そして、彼らの間に設けられた子供――安部の童子が、即ち清明であるという伝承だ。
この伝説が真実であるか否かは別としても、妖狐が実在するは事実。そして、清明の母親である狐が『葛葉姫』とも呼ばれていたため、裏社会では妖狐のことを『葛葉』と呼ぶようにもなった。
美汐の故郷であるこの地、ものみの丘にも――その葛葉一族が僅かながら生息していた。そして、葛葉の彼らと古より関わりを持っていた人間の一族もまたあった。それが
天之葛葉神社の神主一族、天野家である。
その当主でもあった、天野
圭吾と葛葉との間に何があったかは知らない。だが、祐一と沢渡真琴が出会ったように、圭吾は女性に化身した妖狐と出会い、結ばれた。そして、葛葉の血を引く人間の子として『天野美汐』は誕生したという。
美汐が、祐一の連れていた沢渡真琴を一目で妖狐と見破ったのも、彼女がやがて避けられぬ消滅を迎えるであろうことを予見できたのも、美汐自身に葛葉の血が流れており、そして母と弟を以って既に死別を経験していたからに他ならない。
――そう。天野美汐は、人でありながら人ではない半妖。葛葉の血を宿す異能者なのだ。
『祐一には、私と同じ力がある』
ふと、かつて川澄舞が呟いていた言葉が脳裏に甦った。
美汐が異能者であることを認め、密かに打ち明けてくれた時の言葉だ。
『私は本当なら、あの時死んでいた筈だった。だけど、生きている。それは祐一の力。……でも、祐一には言わないで。祐一は自分でそのことに気付いていない。気付かないなら、そのままでいた方が良い。力があることを知れば、祐一はきっと悲しむから。普通の人間として生きられることは、とても幸せなこと』
確かに、舞の指摘は正しい。
祐一は恐らく、潜在的に何らかの特殊な能力を持った異能者だ。少なくともその面で、美汐と舞の見解は一致していた。
あゆが昏睡状態にいながら、思念体として街を歩き回っていたこと。あゆや舞に、幾つかの常軌を逸した奇跡が起こったこと。そして、異常とも言えるほど、あまりにも多くの能力者が彼の周囲に集まってきていること。
これらを総合してみても、これは間違いあるまい。――相沢祐一は、自覚のない『異能者』なのだ。
実際、超能力を持っていながらそれに自分で気付かない例はかなり多い。いや、むしろ能力者が自分の能力を把握している舞のケースなどが異常なのだ。超能力を持っている人間は、一般人が認識しているよりも遥かに多く、程度の差はあれ大抵の人間には小なり備わっていると言ってしまっても過言ではないくらいだ。
ただ、その力があまりに弱すぎて人間が知覚できるほどの影響力を持っていなかったり、本人が使い方を知らず無意識に行使していたりするから、表立って認識されないだけ。
祐一もまさしくその例に属するタイプで、彼は自分の能力で不確定要素をダイナミックに操作・変動させながら、その結果を『奇跡や偶然』と片付けることで、自分のやったことや力そのものに全く気付いていない人間なのだ。
その祐一の中に眠る潜在能力。川澄舞の能力。あゆの能力。そして、妖狐としての真琴の能力。同じく、妖狐を母に持つ自分――天野美汐の能力。水瀬の血にも不思議な空気を感じる。これだけの人間が、広い世界の1箇所に集い、互いに出会った。果たしてこれが偶然と言えようか?
極めつけは、世界でも指折りの能力者である鷹山小次郎。そして財団エージェント"皇聖五歌仙"の砕破、三十六手、頓破だ。
そう、これはただの偶然ではない。こうして巡り合ったのは、そこに必然があったからだ。
『我等が血胤たるお前の咒は、同じく非業の宿命を背負う者たちを引きつけよう』
母のあの言葉。
あれは、このことを予見したものであったのではあるまいか。美汐はそう思った。
異能者、すなわち人間をどこかで超えてしまった者たちは、互いに惹かれ合い、時に激突する。
そしてそこには――
『過ぎた力が悲劇を生むは必定。故にお前の往く所、常に哀しみが着いて回るでしょう』
そう。必ず悲劇が生まれる。
母の残した言葉通り、恐らく忌まわしき血の命運が尽き果てるその日まで。
それが逃れることのできない宿命であるというのなら、せめて抗うしかあるまい。
「葛葉の母。まるで予め何者かの手によって仕組まれてでもいたかのように……ここでこうして相沢さんと砕破が再び出会ったのも、我等の定めだと言うのですか」
美汐は、10年前に亡くした母にそっと問いかける。勿論、応えは返らなかった。
「――そんな酷なことはないでしょう」
−24−
セントラル・アベニュー ステーション・スクエア
「う、うぐぅ。ねえねえ、みしおちゃん」
あゆが目尻に涙をためて、美汐の服を引っ張る。
「祐一君たち、ピンチみたいだよ。どうしよう、みしおちゃん!?」
彼女が食い入るように見詰めているモニタを覗き込むと、確かに祐一たち潜入班が本日最高の危機を迎えているのは歴然だった。
「Tally-Ho! Target insight……ってところか?」
祐一は、背後に女の子たちを庇いながら砕破と対峙する。
「これで3度目。しかもクリスマスにこの場所で再会とはね。こうまで続くと、運命感じちまうぜ。……なぁ、砕破よォ!?」
「――安心しろ。お前はオレがここで仕留める」『闇の左脚』は静かに言った。「偶然はこれが最後だ、ワイズロマンサー」
「言ってくれるじゃねえか。砕破」祐一はゆっくりとファイティング・ポーズを取る。「手加減はいらねえみたいだな」
――
闘るつもりですか、相沢さん。
美汐は眉を顰めて、モニタの祐一を睨むように凝視する。相手はアジア最強の男、LODの砕破だ。祐一に勝ち目など万に1つもあり得ない。
「ど、どうしよう。祐一君、あの人と喧嘩するみたいだよ!?」
あゆはミトンの手袋で、美汐の服の裾をグイグイと引っ張る。
「うぐぅ。無理だよ、祐一君! いくら祐一君が強くても、その人には絶対敵わないよ」
「大丈夫。相沢さんには何か考えがあるようです」
――そう。あゆでさえ、その程度の計算はできる。ならば、砕破の強さを身を以って経験している祐一に、同じ計算ができない筈はない。祐一は、基本的に自制を苦手としている気の短い直情型の人間ではあるが、決して馬鹿ではない筈だ。
「ユイ。お前たちは早く逃げな」
「で、でも」
背中を向けたまま追い払うように手をヒラヒラとさせる祐一に、ユイは抗議の声を上げる。
「でもはなしだ。奴は本気で強い。正真正銘、本物のバケモンだ。それに非戦闘員がいたんじゃ足手まといなんだよ。殺されないうちに、さっさとバックレな」
祐一は反論を許さない断固とした口調で言うと、改めて砕破と三十六手に向き直る。
「――オーケイ、はじめようぜ。第3ラウンドだ」
岩間カスミがTVカメラを持ち去ったため、映像は途切れた。
祐一の腰にぶら下げられた無線機から、その声だけが聞こえてくる。
「Come on,wise guy. Get serious or get lost!」
「三十六手、奴はオレが殺す。お前は逃げた2人を追って殺せ」
「分かったわ。5分で戻るから。それから任務に戻りましょう」
「させるかよ」砕破と三十六手のやりとりに、祐一は横から鋭く言った。「舞ッ」
祐一の叫びと共に、何かが爆ぜる音がした。
次の瞬間、ズンッ、ズンッと、凄まじい重量を持つ何かが地に降り立つ音が響き渡る。――数は6つ。
現れたのは、恐らく6体の“魔”。財団が認定するA級能力者・川澄舞が操る超具象思念体だ。
「オイ、何か1体増えてないか?」
祐一の怪訝そうな声が聞こえてくる。
「――まあ、いいや。三十六手だったな、先生。あんたの相手はこの舞の“魔”だ。そして、砕破。お前にはオレの相手をしてもらうぜ」
「相変わらず賢しい真似をしてくれるな、ワイズロマンサー」
「本体がいないんじゃ、1体増えたところで私を倒せるかは分からないわよ?」
砕破も三十六手も、既に戦闘モードだ。
マッチングも決まったらしい。砕破VS祐一、三十六手VS舞の2組だ。
「う、うぐぅ。ずし〜んって音は6つだったね。舞さんの魔は5人の筈なのに」
「確かに……」
不思議そうな顔で言うあゆの声に、美汐は神妙な顔つきで頷く。
「川澄先輩は、今まで己の能力を忌み嫌っていました。それも当然でしょう。彼女はそのせいで、色々な迫害を受けてきたと聞きます。人は人を越えた強大な力を安易に求めますが、彼女はその本当の意味を身を以って知っているのですから……」
"過ぎた力が悲劇を生むは必定。お前の往く所、常に哀しみが着いて回るでしょう。"
美汐の母親は、その言葉を残して死んでいった。彼女もまた、人間社会で人間の伴侶と共に生きることを決めたその時から異能者として生きてきたのだ。
「――ですが、彼女は今その力を受け入れつつあります。いえ、既に受け入れたと言って良いでしょう。特に倉田先輩と相沢さんに出会えたことが、その大きな要因でしょうね。守るべきものができた彼女は、今、自分の力をそのために役立てることに躊躇いを覚えない。拒んできた力を受け入れたということで、彼女はまさに大成しようとしています。彼女にはまだまだ可能性がある。その潜在能力を今後、さらに大きく開花させていくことでしょう」
「えーと、つまり、うぐぅ。舞さんは、これからもパワーアップするっていうこと?」
「はい、それは間違いないでしょう」美汐はハッキリと頷いた。「彼女の本当の力は、まだまだ"魔"の数が増えたどころで語り切れるものはではありません。世界の頂点を狙えるポジションにあります。――私に流れる葛葉の血がそう告げていますよ」
−25−
生徒会会館 最上階
「ハァッ!」
自然と発せられる気合の声と共に、『圧殺』の右拳を放つ。
それを起点に、祐一のコンビネーションは始まった。放った右を引くと同時に、腰の回転を利用して左のミドルキック。それを防御させて――
「BUST YOU UP!!」
基本3形態中で最強を誇る、神鳴の一撃と繋ぐ。
瞬間最大電圧121万ボルト。絶縁破壊を齎す、激しい雷撃がスパークした。
――相手が格闘技の経験を持つ場合、単発の打撃が有効打に直結することは極めて稀だ。
チェスは、地道にポーンを進めて相手の陣形を崩し、時にナイトの変則的な動きで撹乱し、最後に強力な力を持つビショップやルークで敵陣深く切り込む。上級者同士での打撃戦の場合も同様のプロセスが必要で、細かい打撃を以って相手の防御と体勢を崩し、そこから有効打となる一撃で相手を倒すしかない。最強の力を持つクイーンが牽制や抑止力に使われるように、一撃必殺のハイ・キックなどが同様の役割を担うと言う面でも両者は似ている。
「どうした。お前の戦闘技術はその程度か?」
だが、祐一が必死で組み立てたコンビネーションを、余裕の表情で砕破は捌いていく。
――そう、チェスと格闘戦に共通する事項がもう1つある。それは、プロとアマチュアの絶望的な実力差だ。
先程から、祐一に敢えて撃たせる機会を与えている砕破であったが、まだ一撃も有効打を食らってはいない。しかも、それを純然たる人間の技術と身体能力で行っている。それはつまり、祐一相手なら超能力で身体能力と感覚、反射速度を加速するまでもないということを、あからさまに主張していた。
特殊部隊のプログラムを正式導入している『チョコレイト・ハウス』では、勿論、砕破のような能力者に素手での格闘戦の訓練も行わせる。特に砕破を排出した
楼蘭のチョコレイト・ハウスは、格闘能力の力を入れていることでも有名で、楼蘭出身のホーリィ・オーダーは全員が非常に優れたテコンドー使いである。
またテコンドーの弱点である組んでからの戦闘及び寝技に対しては、コマンド・サンボで対応できるよう、これに関しても兵士たちは厳しいトレーニングを日夜積んできた。
コードネーム『砕破』は、PSIを別に考えても、生身の兵士として超一流のエキスパートなのだ。
元より、祐一のように正規の訓練を受けたことがない、我流の喧嘩術をベースとする人間に太刀打ちできる相手ではない。
「ク……ッ!!」
砕破の右足が鞭のように撓り、祐一の左側頭部に襲いかかる。咄嗟に左腕でガードを作るが、蹴りの軌道が急激に変化した。
上段から抉るような
中段へ――
変幻自在、足技のボクシングと呼ばれる、多彩で技巧的な砕破の
CQBに、祐一は成す術なく翻弄される。
「その程度か」砕破の右足が、祐一の脇腹にめり込んだ。鈍い音と共に、肋骨が軋む。
「アグッ!!」
衝撃と痛みに祐一の体が流される一瞬を逃さず、青白い炎を纏った『闇の左脚』が祐一の顔面目掛けて放たれた。猛獣の頭蓋すら軽く粉砕する、恐るべき左足だ。
ミシィ!!
視界の外から轟音と共に襲い来る必殺の一撃。何とかロマンサーでガードしたものの、威力を全く殺しきれない。この世で最も硬い金属"無重力Ti合金"製のロマンサーが、衝撃に悲鳴を上げる。
祐一は、自動車から衝突を食らったように、体ごと吹っ飛ばされた。まるで人間とは思えない速度で、弾丸のように宙を滑る。
「それがお前の限界か?」
その飛翔する祐一の体が、何の前触れもなく、唐突にピタリと空中停止した。砕破のPK−MTに捕らえられたのだ。もはや自分の意思では、指1本自由に動かすことができない。
祐一は、天井から吊るされた見えないピアノ線に操られるように、空中に浮遊したまま砕破に操作される。異様な光景だった――。
「どうした。抵抗してみろ」
A級能力者のPK−MTに絡め取られ、十字架に磔にされたジーザスの様に宙に固定された祐一に向かい、砕破はゆっくりと歩み寄っていく。
「この程度なのか?」
言葉と共に、砕破の右拳が身動きできない祐一の無防備な腹に埋め込まれた。
「ぐふ……ッ!!」祐一の口から、鮮血が溢れ出た。
「これがお前のベストか。これがお前の限界なのか?」
入れ替わるように、左の拳。そして、また右拳が連続して祐一に浴びせられる。
「だったら、死ぬしかないな」
冷たく言い放つと、砕破は祐一の戒めを解き、不可視の力で彼の肉体を投げ捨てた。
「ぐあ……ァッ!!」
受身すら満足に取ることが出来ないまま、祐一は突風に弄ばれる空缶のように床を転がるしかない。
「ぐ……、ゴホ、ガハッ……!!」
咳き込みながら四つん這いになり、血の混じった胃液を吐き出す。
激痛と、内臓および脳を激しく揺さぶられた影響で視界が歪んで見える。込み上げてくる嘔吐感が収まらない。――が、その眼からまだ戦意は失われていなかった。
ヨロヨロと力なくふらつきながら、祐一は立ち上がり、再び砕破と対峙する。
アジア最強の能力者と呼ばれる男を相手に、祐一に全く計算が無かったわけではない。確かに正面からぶつかっては、絶対に勝利することはできないだろう。特に、砕破の最大奥義である『フォールディング・ソリッド・カノン』を前にしては、ロマンサーなど無力だ。
「だけど砕破、お前はここでは
F.S.C.は使えないぜ。こと戦闘においての舞の分析は確かなのさ。アンタのあの技は出力が大きすぎる。ここで使っちまうと、エーテルを巻き込んで大爆発を起こしちまう。……どうだ、違うか砕破さんよ?」
「それがどうした。大技1つ封じられた程度で、お前に遅れをとると思うか」
砕破の左足が、一際輝く青白い炎を纏った。トントンと、爪先が床を叩く。ウォーミング・アップは、遂に終わったらしい。
「その右腕を手にしたところで、お前は所詮シロウト。それに、お前は『能力者』において最も重要な要素を見誤っている」
「――なに!?」祐一の眉尻が釣り上がる。
「能力者に本当に必要なのは、オレのFSCのような強大な攻撃力ではない。それが必要なら、バズーカや高性能爆薬を持ち出し、代用すればいいだけのこと」
砕破は、言葉と共に懐に手を伸ばした。
「真に必要とされるのは攻撃力より、寧ろ防御性能――」
取り出されたのは、1挺の大型軍用拳銃。グロックの.45モデルだ。
「お前の負けだ、ワイズロマンサー」
ゴォンッ!!
「しまっ……!!」
全く想定していなかった攻撃に、祐一は目を見開いて驚愕するが遅い。回避の暇を与えることもなく.45の大型口径が火を吹いた。
祐一は、無駄だと分かってはいたが、思わずロマンサーで頭を庇い、硬く目を閉じて衝撃に備える。
――だが、いつまで経っても、予想された痛みは襲ってこなかった。
恐る恐る目を開いてみると、祐一の手前1mほどの場所で弾丸がピタリと停止している。
「え……ッ!?」祐一は驚きに小さな叫びを上げた。
まるで静止画を見せ付けられているようだった。が、直ぐにその原因に思い至る。舞の“魔”だ。祐一に弾丸が当たる寸前、その間に入り込んで盾になってくれたのである。
いつかイギリスで、砕破のフォールディング・ソリッド・カノンから祐一を守ってくれた時と同じだ。
「身の程を思い知ったか、ワイズロマンサー」
九死に一生を得た祐一に、容赦のない砕破の言葉が突き立てられる。
「お前の右腕など、所詮その程度でしかないのだ」
「なんだと……!?」
「
腕から炎を放てる能力者など、お前以外にも幾万も存在する。だが、それでも実働部隊『ホーリィ・オーダー』に名を連ねることができるのは1割にも及ばない。何故か。――簡単だ。それだけでは、戦場では使いものにならないからだ」
美汐は、無線機から聞こえてくるその言葉に思わず頷いていた。確かに、砕破の言葉は正しい。
誰もが1度は考えたことがあることだろう、つまり『超能力でスプーンを曲げて、それが何になる?』
超能力でなくとも、他の科学的・物理的手段で実現できる範囲内の現象では、意味がないに等しい。砕破が言わんとしているところは、それに近かった。
「なるほど。そう考えた時、ミクロ(個人)レヴェルの戦場で必要となってくるのは攻撃面での超能力より、寧ろ防御面での超能力になるというのも頷けます」
「うぐぅ?」
言葉の意味を理解できないあゆは、美汐の顔を見詰めたまま小首を傾げた。
攻撃力と防御力の関係は、加熱と冷却の関係に似ている。つまり、前者には限界(上限)がないが、後者には限界(下限)が存在するのだ。
攻撃力の上昇には殆ど上限がない。そのことは、人間の戦闘の歴史を見てみれば歴然としている。戦で使われる武器は、白兵戦用の原子的な棍棒や石弓にはじまり、やがてそれは剣や大砲に、そしてピストルやミサイル、最終的には原子爆弾や細菌兵器へと変わっていった。武器の破壊力と性能は、技術の躍進と共に飛躍的に向上してきたのである。無論、これからも小型化・高性能化が進み、より強力で凶悪な武器は生まれ、人が滅びるその日まで進化を続けるであろう。
だが、対する防御力を見てみるとどうであろうか。原始時代、中世、そして現代。実のところ、殆ど変わっていない。皮の鎧、鋼鉄の鎧、そして現代の防弾チョッキやボディ・アーマーと、一見進化の過程があったように見えるが、どの時代でも防御を上回る武器が存在するということでは全く変わりがない。温度が絶対零度を事実上の下限とするように、防御力の追求には限界が存在するのだ。
防弾チョッキやボディ・アーマーは、確かに通常のピストルの弾なら、何とか防げる。だがそれでも、鋼鉄貫通弾(フルメタル・ジャケット弾)を防げるものは少ないし、爆弾やミサイルなどの大量虐殺を可能とする兵器の前には全くの無力である。
原爆、水爆、生物・科学兵器、中性子爆弾の炸裂を前にしては、個人レヴェルの防御システムでは身を守る術は全く無いと言って過言ではない。増して、将来的に反物質爆弾などが実用化された場合、果たしてこれを防ぎきれるシェルターやバリア・システムは存在しようか?
防御の追及には限界がある。それを早々に悟った人類は、故に『防御』を捨て、『攻撃』のみを追求し続けてきた。
だが、その『防御』の限界を超えた人間達が存在する。それが、通常物理を凌駕した性能を持つ『独自の防御システム』を備えた、異能者たちだ。
「――例えば、お前の知る
鷹山小次郎。あの女が『無敗伝説』を築き上げているのは何故か。世界最強のデス=リバースが、『死神伝説』を築き上げているのは何故か。それは、彼女たちが高い攻撃能力を持つ能力者だからではない。通常の攻撃手段では、絶対防衛圏『サイ・リフレクター』を破るのが極めて困難だからだ」
「……ッ!?」
その砕破の言葉に、祐一はある意味開眼した。
――確かにその通りだ。普通の人間には、防御の面において限界がある。防弾装備をしていても、防げない武器の方が多い。人間を殺すなど、手段さえ選ばなければ簡単なことなのだ。
だが、鷹山小次郎のサイ・リフレクターは、本人の言い分を信じれば、1発ならば核兵器の直撃にも耐えられると言う。そんな人知を超えた絶対防衛手段を持った兵士を、一体どうやって倒す? 彼女には、狙撃、核、放射能は勿論、電磁波も放射線も、細菌や化学兵器でさえ通用しない。
「その通り。鷹山さんが財団からAランク指定を受けているのは、間違いなくあの『リフレクター』があるからでしょうね」
美汐は、砕破の指摘を認めた。
「あのリフレクターが無ければ、鷹山さんを倒すのは普通の人間でも容易。狙撃で充分です。逆に、あのリフレクターがある限り、普通の人間では拳銃を持ち出そうが、ミサイルを撃ち込もうが彼女を倒すのは極めて困難でしょう」
砕破のフォールディング・ソリッド・カノンのような、超能力による絶大で派手な攻撃に目がいきがちだが、実戦で本当に重要視されるのは、逆に防御力なのだ。
人間の限界を超えた、超物理的な防御手段を持つ者。その者こそが、戦場で最強の座に着くことができるのである。
「お前は、その腕を装備したことでオレや荒鷹と同じ、Aランク能力者に並んだつもりでいるのか? もしそうだとするなら、それは勘違いも甚だしいぞ。ワイズロマンサー」
そう言うと、砕破は自分の頭に銃口を向け、躊躇うことなくトリガーを引いた。
「な、なにを」
突如、広い5階フロアに鋭い銃声が木霊した。だが、砕破は倒れなかった。無論、血飛沫が舞うこともない。弾丸は、砕破のPK−MT(念動力)で、頭部に触れる寸前でピタリと止められていた。まるで、時が凍てついてしまったかのように――。
「分かるか、相沢祐一。オレには確かに核撃にも耐えられるような、荒鷹ほどの『絶対防衛圏』はない。だが、拳銃の弾丸や手榴弾の爆発力なら、ある程度までは防ぎきれる。そして、個人の兵士にとってそれは充分過ぎる防御能力だ」
祐一は沈黙する。だがそれは、時に何よりも雄弁に物を語るものだ。
コトリと小さな音を立てて、砕破の頭部直前で停止していた弾丸が、事切れたように床に落下した。
超心理学の専門用語で言うところの『PK−MT』とは、動く物体に影響を及ぼすサイコキネシス(念動力=超能力)を意味する。
普通の能力者は、転がるサイコロを操作し好きな目を出させる程度が関の山だが、砕破のようなA級能力者ともなると、音速を超える弾丸に影響を及ぼし、その運動エネルギィを奪ったり、軌道を変えたりすることとて容易い。
「――オレたちエンクィスト財団実働部隊『ホーリィ・オーダー』に属する兵士には、絶対条件としてそのレヴェルでの防御力を持っていなくてはならない。だがお前はどうだ、ワイズロマンサー。その右腕は接近戦用の武器。こうして中距離以上の位置から拳銃で撃たれただけで、お前の敗北と死は確定する」
「くっ!」
祐一は、奥歯を噛締めた。砕破の言葉は、先程まさに証明された事実だったからだ。
「その右腕"ロマンサー"は、200ドルで買えるこの拳銃以下の玩具に過ぎない。この意味は理解できよう。財団が認定する能力者の最低ランクは、武装した陸軍兵士1〜3人に匹敵する戦闘力を有す者」
「何が言いたいんだ、テメエ。ハッキリ言ったらどうだよ」
「ならば言おう」
砕破は目を細める。祐一の目に、それは嘲笑めいた微笑にも見えた。
「お前は財団では実験体として扱われ捨てられる、最低ランクのゴミにすらなれないと言うことだ」
「なんだとォ」怒りに祐一の髪が逆立った。
「来い、相沢祐一。お前の勘違いを完結させてやろう」
「砕破ァ〜ッ!!」
祐一は地を蹴って、猛然と走り出す。その目には、もはや砕破しか見えていなかった。
「
瘴烟!直列!煉獄のォ!!」
祐一は、Romancerのリミットを解除し、その潜在能力を全て開放した。『瘴烟直列煉獄モード』は、圧殺・煉獄・神鳴の3モードを同時に発動させるため、真っ赤に発熱した右腕が稲妻を纏っているようにも見えた。無論、相手が常人であった場合、一撃でも入れれば即死させてしまう危険と破壊力を秘めている。
『駄目よ! 挑発に乗っちゃダメ、殺されるわよ!!』
我を失って突進する祐一に、無線の香里が必死に呼びかける。
『お願い、やめて!!』
だが、その制止の声は全く祐一に届くことはなかった。
「うるせぇ、女は引っ込んでろ!!」
『……ッ!!』
「こいつだけは、ブン殴らなきゃ気が済まねェんだよッ!!」
「――そして教えてやろう。オレの武器はF.S.C.だけではない」
怒りに我を忘れて直進してくる祐一に、砕破はカウンターのモーションに入る。頭に血の上った相手ほど料理しやすい敵はいない。その一撃は、確実に決まることは確実だった。
『相沢君、ダメーッ!!』
『相沢さん!!』
『うぐぅ、祐一君っ!!』
悲鳴にも似た少女達の叫びが、虚しく木霊した。
「食らえ、砕破ッ!!」祐一が吼える。
「死ね。BLAZING TOR……」
対する砕破は、冷静に闇の左脚を放つ。
――そして祐一を思う全ての者たちが、その最悪の瞬間を覚悟し絶望の悲鳴を上げた。
「なぁ〜〜〜んちゃって、ね」
「……!?」
と、祐一は突然走る方向を変え、『シャングリラ』が詰められた木箱に渾身のロマンサーを叩きこんだ。その強烈な打撃で箱が連鎖的に崩壊し、あたりにシャングリラの粉末が広範囲に撒き散らされる。
周囲に、あたかも白い霧のように粉塵が立ち籠めた。
「悪るいな、砕破。実はこの展開、最初から狙ってたんだよな」
祐一は笑っていた。その目には、先程までの激怒の色は全くない。
「オレたちの仕事は、この会館の機密を持ちかえること。アンタ等と無意味な喧嘩やってる暇はねえんだ。……舞、バックレるぞ」
「ハッ、思念体が」
砕破が祐一と闘り合う一方、“魔”と交戦していた三十六手は、相手の気配の消失を悟る。どうやら、敵は本当にこのまま逃げるつもりらしい。
「くっ、逃がすものですか!!」
「待て、三十六手」
相手を失い、今度は祐一との距離を詰めようと駆け出す三十六手を、砕破は鋭く制止した。敵の狙いを、この時点で正確に予測していたからだ。
しかし、その声が届くよりも、ワイズロマンサーの第2撃目の方が一瞬早かった。
「オレのこの手が真っ赤に燃える。退路を掴めと轟き叫ぶ。いくぜぇ、煉獄のロマンサー!!」
祐一は素早く『煉獄』モードを起動し、そして周囲に漂う白紛の薄霧に向けて――
「HEAT END!!」
表面温度が1204℃に達し、赤く発光した右の拳を叩きこむ!!
ドオォ…ン!!
瞬間、漂うシャングリラの白い粉末を中心に爆発が起こった。
エーテルのドラム缶に影響を与えるほど大規模なものではないが、それでも対人戦闘においては充分過ぎる威力を持った爆撃である。
「――キャアァッ!!」
間合いを詰めようとしていた三十六手は、その直撃を受ける。慌ててサイ・エネルギィで防御結界を展開するが、衝撃を殺しきれず後方に跳ね飛ばされた。
幸い、宙を舞う彼女の身体は、砕破の腕によって着地の前に保護された。
「なるほど。粉塵爆発ね」
無線機の香里が、呟いた。実際に映像で確認したわけではないが、祐一が煉獄モードを使ったことから、それを連想したのだろう。
「うぐぅ。みしおちゃん、ふんじん爆発ってなに?」
美汐に訊けば何でも分かると信じているあゆは、今回も彼女に説明を求めた。
勿論、美汐は今回も彼女の期待に応える。
「――昔、日本がまだ石炭を盛んに採掘していたころ、炭坑で良く発生した炭塵爆発と原理は同じです。あゆさんにも分かるように簡単に説明すれば、空気中に広がった細かい粉が、急速に燃えあがることで爆発を引き起こす現象ですね。……今度、小麦粉で実験してみますか?」
粉塵爆発の発生には3つの条件があり、これらが全て満たされた時に起こる。その条件とは、「酸素」「爆発下限濃度以上の粉塵」「最少着火エネルギー」の3つだ。
小麦粉や石炭は、普通の状態では爆発しない。これは、密集していて急速には燃え上がらないからだ。だが、粉末状にして酸素と理想的状態で交じり合うようにし、そこに点火すると、それは爆発的に燃焼して大音響を撒き散らす。この単純な原理が『粉塵爆発』だ。
「うぐぅ。死んじゃうくらいの凄い爆発なの?」
「4年前の11月28日、香川県の建材製造工場で、大きな粉塵爆発による事故がありましたよ。あれは木材の粉塵によるもので、確か2人が死亡、2人が重体、9人が重軽傷を負った筈です。まあ、あれは爆発による被害だけではなく、それに伴って発生した火災による影響もありますが」
「浮遊している状態の粉末は、確かに粉塵爆発に必要な酸素を含んでることもあるけど……。でも結構、高度な計算がいるはずなのよね。配合とか散布濃度とか。相沢君、その辺のこと分かってたのかしら?」
「いえ」香里の指摘に、美汐は苦笑しながら首を振った。「恐らく、その辺のことは考慮に入れてないでしょう。運良く成功しただけのことでしょうね」
「悪かったな、運任せでよ」
「あ、祐一くんだ」無線機から聞こえてきた祐一の声に、あゆはマイクに噛り付いた。
「おう、あゆあゆか。あんまり本名で呼ぶなよ。傍受されたとき厄介だろ?」
「うぐぅ、そんなの祐一君が無事ならどうでもいいよ」あゆは嬉しそうに言った。
「とにかくだ。Complete mission RTB. ……任務、完了。これより帰還する」
「――了解。マンションで落ち合いましょう」
美汐は微笑みながら頷いた。
「でも相沢君。気を抜いちゃダメよ。幼稚園の頃、言われたでしょ。遠足は、お家に帰るまでが遠足ですってね?」
「はいはい」
いかにも香里らしい指摘に、祐一は苦笑した。
「ところでこの遠足、バナナはおやつに入るのか?」
to be continued...
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脱稿:2002/01/02 21:37:28
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