生徒会会館 正面ゲート
「……ったく。だからって、なんでオレがこんな格好をしなくちゃならないんだよ」
相沢祐一は、自分の頭部を覆う栗色のカツラの毛を1房摘み上げて不平を零した。背中まで伸びる真っ直ぐなその偽の髪の毛は、もちろんあの倉田佐祐理のそれを模した物である。おまけに、プロのメイク担当スタッフから、口紅をはじめとする数々の化粧品で顔面を改造され、立派なニューハーフとして仕立て上げられていた。
もちろん、女装趣味などない彼にとってこれは大いなる不満であり屈辱である。
「申し訳ありませんが、相沢さん。これも計画の一環です」
傍らに上品に腰掛けたスーツの女性が、香里や美汐を思わせる冷淡な口調で言った。
倉田代議士の秘書、
小野島亜美である。
祐一は小野島女史とは初対面の間柄であるが、佐祐理の口から、彼女は今回の作戦に全面的に協力してくれる人物であると聞いているため、安心して付き合っている。事実、彼女は佐祐理のリムジンに乗って祐一、名雪、そしてあゆを水瀬家まで迎えに来てくれたし、衣装合わせや特殊メイクなどの手配をテキパキとこなしてくれた。
その無駄のない最適化された働き振りは、まさに祐一のイメージする敏腕秘書像にピッタリであったという。
「……代議委員の皆さん、準備はよろしいですか?」
小野島秘書官は、祐一の後ろの座席に並んで座っているスタッフたちに言った。
「間も無く、16時20分。作戦開始時刻です」
その声に、6人の女性たちは神妙な面持ちで肯く。
ジーンズに、『TUT』の刺繍があしらわれた揃いのジャケットと帽子を身に着けた彼女たちは、佐祐理に変装した祐一と揃って、会館の内部に入り込むことになっている作戦実行部隊のメンバーだ。肩書きは、その格好が物語っているように、東北技術科学大学(通称TUT)の代議委員スタッフ。祐一は、その彼女たちと連携を取り、今回の作戦に挑むことになっている。
――そして、その開始時刻は目前に迫っていた。
――じゃあ香里、早速だが計画の概要の方を説明してくれるか?
――OK。まず作戦の決行だけど、これは約3ヶ月後、12月の24日よ。理由は、その日がクリスマス・イヴであり、日曜日あるから。
街に大勢の人が集まる日がいいのよ。この計画の実行日はね。そしてこの大勢の一般人たちには、証人になってもらうの。……まあ、このことに関しては、後日改めて説明するわ。
さて、ここからが本題。みんな、良く聞いて頂戴。作戦開始時刻は、24日の1620時、ジャスト。倉田先輩に変装した相沢君は、TUTの代議委員スタッフ6名を引き連れて、倉田代議士の秘書官である小野島女史と共に、会館に乗り込むの。
「――時間です。皆さん、参りましょう」
小野島秘書官は、左手の腕時計を確認すると事務的に告げた。
「了解、小野島さん」
祐一は栗色のカツラを揺らしながら肯く。そして彼らは胴の長い黒塗りのリムジンから降り立つと、会館正面入り口に向かった。
先頭を行くのは、小野島秘書官。次いで、今日の主役である倉田佐祐理(偽)。そして彼女の腹心となる6人の代議委員スタッフが続く。このフォーメーションも、香里によって予め細かく指示されていた。
計画が持ち上がった9月の上旬から3ヶ月間。今日この日まで、彼らは計画のために様々な訓練や稽古を積んできた。それが存分に発揮される時が来たのだ。
――いい? 会館には、たった1つしか入り口が無いわ。今回は、そこから堂々と入るの。相手は恐らくだけど、小野島秘書官の顔を覚えている筈よ。もしそうでなくても、大丈夫。彼女のために用意された身分証は完璧だから。とにかく、彼女が一緒なら、まず疑われること無く審査はパスされるでしょう。
さて、ここで重要なのは、相沢君が倉田先輩を演じているということ。わざわざ相沢君にやらせるのには、意味があるのよ。半分は遊びだけど。相沢君は、その育ちの悪さを活かして、できるだけ相手に『悪印象』を与えるように務めて頂戴。詰め所の警備員たちに、「とんでもないお嬢様だ」「もう2度と関わりたくない」と思わせることが肝心なの。
……とは言われたものの、どうすればいいんだ?
祐一は、完璧な曲線を描く小野島秘書官のヒップを追いながら、悩んでいた。香里は『育ちの悪さを活かして』などと言っていたが、要するに乱暴に粗暴にいけばいいのだろうか。佐祐理とは似ても似つかない、ワイルドさを演出すればそれも可能かもしれない。
「今日は」
小野島秘書官がゲートに隣接している警備室の受付に声を掛ける。すぐに係の警備員が姿を現し、対応した。
「はい、何か。……ああ、貴女は確か小野島様ですね?」
「ええ。覚えていただいて光栄です」
小野島は微かな笑みを浮かべると、丁寧に頭を下げる。香里の読み通り、警備員たちは小野島の顔を覚えていたらしい。 確かに、あれだけの美人だ。男なら誰しも目を奪われ、そしてその美貌を記憶に焼き付けるものであろう。
「会長から伺っております。ええと、
東北技術科学大学の代議委員の方々ですね。会長は生憎、今日は外出しておりますが――ご自由に見学していただくようにと言われております。一応、案内の者を用意しておりますが」
「あはは〜。いらねーよ、んなもん」
小野島を押し退け、ズイッと前に出ながら祐一は言った。
「なっ……!?」
警備員は、思わず目を見張った。小野島を強引に脇にどかせ、進み出てきた人物の風体があまりに異様だったからだ。
一体、それをなんと表現すべきなのだろうか。敢えて言うなら――失敗した粘土細工といったところか。或いは、車に轢かれたカエルの屍骸。もしくは、首を絞められて窒息寸前のイノシシ。
「あ、あなたは」
「ふぇ〜、オレを知らねえってのか、オゥ?」
取り合えず誰何の声を上げてみると、その人物は眉を吊り上げて不満を露にした。
「オレがかの有名な、倉田佐祐理だ。刻んどけ、魂によ」
その人物は、女性としてはあまりにゴツゴツし過ぎている親指で自分をビシッと指しながら言った。
背中まで真っ直ぐに伸びる栗色の髪。180cm近い長身に、女性としては余りに骨太な身体。厚さ5cmはありそうな化粧と、紫色のアイシャドウ。深紅の口紅。そんな中、むしろあるのが異様な無精ひげ。……立派なバケモノだった。
「あ、あなたが、倉田佐祐理様ですか」
「だから、そうだって言ってんだろうが。なんか文句あんのか、オウ!?」
まるでヤクザのような因縁の付け方だ。警備員は、口元を引き攣らせながら愛想笑いで誤魔化す。
どう考えても、話に聞いていた倉田佐祐理嬢とは違いすぎる。淑やかで、朗らかで、絶えず口元に優しい微笑を浮かべた生っ粋のお嬢様。しかも容姿端麗、学業にもスポーツにも通じ、万人に好かれる女性。それが倉田圭一郎の一人娘、倉田佐祐理だと聞き及んでいた。
だが、どうだろう。今自分が目の前にしているのは――どう見ても、女装に失敗した武闘派ヤクザだ。
「あ、あの、本当に倉田佐祐理様で?」
「アア? 疑ってんのか、コラ!?」
とても女性のものとは思えない筋肉質の腕を伸ばし、彼女は警備員の胸倉を掴んで凄む。
「し、しかし、随分と声が太いような気がするんですが……」
「声が太かったらいけないってのか、オイ。喧嘩売ってんのかテメーは、アァ!?」
「で、でもスネ毛が……」
確かに、彼女の足元に目を向けると、ストッキングの隙間から大量スネ毛が飛び出ているのが分かる。思わず目を背けてしまいたくなるような光景だ。先程の、小野島女史のスラリと艶やかな脚線美とは、雲泥の差である。
「あはは〜。何言ってんだ、コラ。刺すぞ、この野郎。スネ毛があった方が、
強そうだろが。そんなことも分からねェのか、テメエは。……ケジメつけさすぞ、オゥ!?」
掴んだ胸倉を更に捻り上げながら、自称・倉田佐祐理は警備員を睨みつける。しかし、何と言う腕力であろうか。とても女性のそれとは思えない。まるで万力だ。ギリギリと絞めつけられ、息が苦しい。
「も、申し訳ありません……」
「分かりゃあ、いいんだよ。ビビってんじゃねぇぞ」
脂汗を浮かべながら苦しむ警備員を、佐祐理(偽)は漸く開放する。
「――私も保障します。彼女は、倉田佐祐理嬢ご本人です。間違いありません」
「そ、そうでしたか。すみません」
小野島がフォローを入れたことで、警備員は漸く信じたらしい。咳き込みながら、何とかそう言った。
「それで、後の女性たちは。代議委員の方々ですか?」
警備員は小野島と佐祐理(偽)の後に立っている6人の女性たちに視線を移した。彼女たちは皆、淡い青色をした揃いのジャケットと帽子を被っている。そしてジャケットの背面と帽子には、『TUT』のロゴが刻まれていた。
TUTは、Touhoku University of Technologyの略称。つまり、東北技術科学大学のことだ。恐らく、彼女たちが纏っているのは、代議委員スタッフのユニフォームのようなものなのだろう。
「オウ。こいつらは、オレの大学のダチ公よ」
唇の端を吊り上げて、倉田佐祐理(偽)は言った。
「だ、ダチ公……ですか?」
「オゥ。マブのダチンコよ。なんか文句あんのか、コラ!? 言いたいことがあるんなら、シャキシャキ言えよ。指ツメさすぞ、オイ」
「い、いえ。ございません」
再び佐祐理(偽)に胸倉を捻り上げられた警備員は、蒼白な顔で必死に首を左右した。
「なにドモってんだ、オイ。文句があるんだろ、本当はよ?」
「め、滅相も御座いません」
「何やら、オレが倉田佐祐理だって信じてなかったみたいだしよ。テメェ、もしかしてオレのことブスだとか思ってんじゃないだろうな、オイ。この倉田佐祐理をよ?」
「ま、まさか。お嬢様は、お、お美しい方だと思います」
蒼白な表情で、唇の端を振るわせながら警備員は告げる。
「じゃあ、オレのこと噂通りの絶世の美女だと思うか?」
「……え、あ。は、はい。思います」
「なんじゃ、その微妙な間はァ!?」
クワッと
眦を吊り上げて祐一は警備員に怒鳴りつける。
「テメェ、今躊躇したなコラ!?」
「ヒッ、ヒイィ……」
胸倉をつかまれたまま、偽佐祐理にガックンガックンと揺さぶられる警備員。彼は今、目の前の女性(? )に確かな恐怖を感じていた。
「どうなんだよ、オイ。お前、オレのこと本当はとんでもないドブスだと思ってんじゃねぇのか?」
「そ、そんなことは御座いません。本当に、心から本当にお美しいお嬢様だと……!」
相手は地元名士、倉田圭一郎の溺愛する一人娘だ。粗相がないようにと、上からも重々注意されている。ここで彼女の逆鱗に触れる真似はできない警備員は、心にもない賛辞の言葉を精一杯の笑顔で彩った。
「本当か? オレは美人なんだな?」
「も、もちろんです」
「じゃ、ちゃんと口に出してオレの美しさをアッピールしてみろ」
「は、はい。……え、ええと、倉田佐祐理お嬢様は、この世で最もお美しい女性であると私は思う次第であります」
「なに怯えながら言っとんじゃ、コルァ!!」
「ヒッ!?」
祐一は、再び首よ折れんとばかりに警備員の胸倉を揺さぶる。
「それじゃ、まるでオレが言えって脅迫したみてーじゃねぇか、アァン!? そもそも、下々の民がなんでオレ様と直に口きいとんじゃ、オイ!? ワシャ、倉田佐祐理やぞ。オウ!?」
「あ、あぅぅ。平に、どうか平にご容赦を……!!」
「――佐祐理お嬢様、その辺にして差し上げてください。その方が窒息してしまいます」
見かねた小野島が、偽佐祐理を止めに入る。
「それに、もうお約束の時間を過ぎておりますし」
「ん、そうか。それじゃ仕方ねえな」
途端に笑顔に戻った偽佐祐理は、大口を開けて豪快に笑う。
「よぉし。じゃあ、これくらいで勘弁しといてやるか。なあ、警備員。今日は、こいつらと一緒に世話になるぜ。ヨロシクな、オイ!?」
笑顔でそう言うと、佐祐理(偽)はバシバシと警備員の背を叩く。
「……では、とりあえず自己紹介を」
言葉と共に1歩進み出たのは、目の覚めるような美貌の女性だった。女性にしては長身の部類に入るだろう。黒のストレートヘアと知的な風貌が印象的な、掛け値無しの麗人である。
「私は、東北技術大学、工学部4年の
澤内愛です。代議委員のスタッフをやっております。こんな日に申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします」
そう言って、彼女は軽く会釈した。
「オウ、こいつはオレのいわば腹心よ。頭も切れるし度胸もある、頼りになるダチだよ。それにオイ、警備員。彼女、イイ身体してると思わねえか?」
「え、はぁ。まあ」
ニヤリと唇の端を歪めて耳元に囁きかけてくる佐祐理(偽)に、警備員は何とコメントして良いか困り果てる。 だが、確かに思わず唾を飲み込んでしまうような、魅惑の曲線を描く身体をした女性だ。代議委員のユニフォームの上からでも、彼女の持つ扇情的な肢体のラインが容易にイメージできる。
「なに気のない返事してんだ、警備員!」
そう言うと、偽佐祐理は澤内愛の腕を掴みグイっと彼女を手繰り寄せる。
「あっ」
不意を突かれた愛は、佐祐理(偽)の太い腕の中に簡単に収められてしまった。
「ホラホラ、どうよ警備員。この胸」
偽佐祐理は愛の身体を後ろから抱くと、彼女に似合いのツンと上を向いた大きな胸を鷲掴みにする。そして男性警備員たちに見せびらかすように、それを豪快に動かして見せた。異様なほどの柔らかさと、生意気な弾力を持つ愛の胸が、むにょむにょと形を変える。
「ちょっ……なっ!?」
愛は何が起こったのか理解しきれず、佐祐理(偽)の暴挙にただ狼狽する。
「フッフッフ。どうだ、警備員。触ってみたいだろう。でもダメだ。これはオレの胸だ」
「んっイヤ、やめなさぃ……」
薄桃色の唇から思わず零れ出したその熱い吐息は、微かに官能の響きを伴っていた。
「と言う訳で、このいやらしい身体のが澤内愛だ。どうだ、警備員。強烈に覚えただろう?」
「……は、はっ」
予期せぬ快楽に脱力してしまった愛を抱きつつ、偽佐祐理は言う。だが、返ってきたのはリアクションに苦しむ警備員たちの曖昧な相槌だけだった。佐祐理はそれにかまわずに続ける。
「それから、隣が愛の妹の澤内
唯だ」
「こんにちはー。芸術学部1年の、ユイです。よろしくお願いしますぅ」
可愛らしい声と共に、その少女はピコンと元気に頭を下げた。姉妹らしいが、姉の愛とは対照的に少女のあどけなさが残る天真爛漫な娘だ。共通するのは、真っ黒なロングのストレート・ヘアくらいで、後は全く姉妹であることを証明する部分はない。まあ、姉が4年で妹が1年。3学年も違えば、そんなものかもしれない。
「――ええと、わたしは
桜田ゆりと申します。経営学部の4年です。今日は、こちらの生徒会のお仕事を見せていただけると言うことで、とっても楽しみにしてます」
そう言ってニッコリ笑ったのは、またとんでもない美貌を備えた若い女性だった。成熟した大人の女性の色香を備えているくせ、その笑顔は少女の透明さを持っている。肩の辺りで、黒髪を綺麗に切り揃えているのが印象的だ。
「私は
七瀬美由紀です。えっと、経済学部の2年生で19歳です。それから隣にいるのが、親友の
八槻歩美ちゃんです。で、その隣にいるのが、やっぱり親友のカスミちゃん。
岩間霞ちゃんで、教育学部の4年生です」
「や、八槻歩美です」
「岩間です」
天然の茶髪をツインテールにした娘、そして黒髪をポニーテールにした娘、最後にメガネをかけた赤毛の娘が順に自己紹介し、軽く頭を下げた。
「……ま、こんなとこだ。こいつらが、今日連れてきたメンバーだから」
偽佐祐理の祐一が、再び警備員に向き直って宣言する。
「分かりました。それでは、こちらの書類の必要事項に記入された上で、サインをお願いします」
「全員か?」
「はい、規則ですので。皆様に1枚ずつお願いします」
――この前、皆から『指紋』と『髪の毛』と『顔の型』、それから『血液のサンプル』を貰ったのは覚えているかしら?
――うぐぅ。覚えてるよ。しりこんとかいう変なのを塗られて顔の型を取られたのは、大変だったよ。息がしにくくて苦しかったし。でも、指紋とか顔の型とかは分かる気がするけど……血は何で?
――私の趣味よ。
――お姉ちゃんの趣味は、ちょっと普通じゃないんですよね。
――まあ、それはいいとして、無事に会館に入り込んでからが本番よ。案内人がいた場合は私がなんとか引き付けておくから、その間に今から指名する3名をトイレに入るの。これは、トイレには監視カメラがないからよ。そしてトイレに入った3人には、手早くある仕事をしてもらわなくちゃならないわ。これは作戦成功のためには必要不可欠な仕事よ。心してやって頂戴。
「よし、潜入成功!!」
大股でノシノシと館内を練り歩きながら、偽佐祐理は太い腕でガッツポーズを作った。
「生徒会長の久瀬も、スケジュール通り留守にしているようですね」
傍らを歩く小野島秘書官が、少し冷たい感じのする口調で言った。
「案内人がつかないのは幸運でした。これで、かなり動き易くなります」
「……というと、それも計算の内ってこと?」
「ええ。彼はあなたとは勿論、本物の倉田嬢とも面識がありますから。変装など一見しただけでバレてしまいます。案内など買って出られると最悪ですしね。だから、彼がいない日を見計らってここに潜入する必要があったわけです。今日この日を計画実行日としたのも、その辺の事情も考慮した結果です」
「ほう、なるほどね。流石は香里とミッシーだ」
偽佐祐理は納得したように肯いた。
「まあ、それはいいさ。みんな、さっさとトイレに行こうぜ。オレは、早くこの気分の悪い変装を解きたいんだ。このカツラも服も、“魔”にくれてやりたい」
その言葉に、全員が吹き出す。祐一はそれに渋い顔を見せながら、トイレに向かった。
トイレに入ったら、川澄先輩に頼んで“魔”を3体召喚してもらうわ。……そして、ここからがこの計画のミソよ。まず、召喚した“魔”に、3人分のカツラとTUTのユニフォームを着せるの。皆が同じジャケットと帽子を被って中に入り込むのはこのためよ。識別点をなるべく無くすため。ユニフォームで私たちを識別させるためなの。
いいかしら? チームは、予め『居残り組』と『退却組』に分けられているわ。『居残り組』は、相沢君(偽佐祐理)、澤内妹、岩間の3人ね。『退却組』は残りの五名。小野島秘書官、澤内姉、櫻田、七瀬、八槻になるわ。
ここで思い出して。会館の中に入ったのは、合計で8名。そしてトイレでその内の3人が、“魔”と入れ替わることになるの。入れ替わる3人は、勿論『居残り組』の3人よ。彼らはカツラを外し、TUTのユニフォームを脱ぐ。そして、業者に作らせた人工皮膚を被せた“魔”にそれを着せるの。これは、とても精巧にできているわ。近寄らないとまず分からないくらい。顔も、皆から型を取らせてもらって、ソックリのマスクを作ったしね。
とにかく、その“魔”にTUTジャケットを羽織らせ、カツラを被らせ、それを帽子で固定してダメを押すのよ。これで、余程のことがない限り偽装がバレる心配はないでしょう。“魔”の準備を終えたら、ひとまず『居残り組』の仕事は終わり。トイレの中で日が暮れるまで待機していて頂戴。
――作戦開始から14分後
12月24日 16時34分
生徒会会館1階 トイレ前
「全員が一度に入ると怪しまれるわ。入る必要があるのは全部で3人」
1階の1番奥のトイレに辿り着くと、澤内愛は全員の顔を見回しながら言った。
「覚えているわね? 『居残り組み』に振り分けられていた3人よ。倉田さんと岩間さん、それからユイ。この3ヶ月で何度も練習したでしょう。大丈夫よね? 5分で片付けて」
「了解ですー。ではでは、私たちは準備をしてきますね」
澤内唯は、ニコリと笑って宣言すると、佐祐理(偽)と岩間霞を伴って女子トイレに入っていった。そして彼女たち3人は、既に川澄舞の能力で召還されていた“魔”と合流し、素早く作業に入る。
一方、残されたメンバーはその場で待機、同時に見張り役を務める手筈である。とりあえずここまでは、香里と美汐の計画通り完璧に作戦は進行していた。
「よし、シオ……じゃなかった、唯。小麦粉を頼む」
「はいです!」
唯はポケットから小麦粉の白い粉末を収めた小瓶を取りだし、それを“魔”に振り掛けた。すると、透明人間である彼らの輪郭が小麦粉によって白く薄っすらと浮かび上がる。基本的に“魔”は目に見えないため、こうしないと作業がやり難いのだ。
それから3人は、それぞれのバッグから自分の顔を模った特製のマスクを取り出した。特殊メイキャップを専門とするプロと香里が協力し、シリコンその他の特殊素材をフル活用して作った精巧なものだ。間近に近寄り、さらに手で直接触れでもしない限り、偽物とは思えないリアリティを持った代物である。さすがに第一線のプロの技術は、素晴らしいものがあった。
その特製マスクを“魔”の頭部に被せる。そして自分たちの着用していた変装用のカツラをその上から丁寧に被せ、さらにTUTオリジナルの帽子も頭に嵌め込んでやればいい。あとは、自分たちの着込んでいたTUTジャケットとジーンズを脱ぎ、マネキンのように微動だにせず突っ立っている“魔”に着せてやれば、作業は8割方完了である。
もちろん、服を“魔”に渡したとは言え、祐一たちは裸になったわけではない。彼らは、予めTUTのユニフォームの下に全身を黒で固めたアンダーウェアを着込んでいたからだ。TUT代議委員のコスチュームは、これを隠す役割を担っていたに過ぎない。
「カスミもユイも上手く出来たみたいだな」
佐祐理(偽)は、魔に服を着せ終えると、数歩下がってその出来映えを確認する。それから、他の2人の仕事振りにも目を向けた。
「ちゃんと練習したから大丈夫」
「フッフッフ。訓練期間の3ヶ月、私たちも遊んでいたわけではないのですよ。予行練習を積んで、準備は万端。細工は隆々仕上げを御覧じろです!」
岩間霞と澤内唯は、胸を張ってその自信の程をアピールする。
「OK。じゃ、後は靴を履かせて、手にスキン手袋を被せてやるんだ」
作戦決行の時期を12月という真冬を選択したのは、この為でもある。不可視の“魔”を人間に偽装するには、人間の肌を模した特殊な道具が色々と必要となってくる。だが、衣類が肌面積の大部分を覆うこの時期であれば、その必要が軽減されるわけだ。露出の高い9月と、真冬の12月では、作戦の難易度も大きく変わってくるということである。
「よっしゃ、準備完了だ。あとは、舞の遠隔操作と『退却組』に任せよう」
3体の“魔”を、倉田佐祐理(偽)、岩間霞、澤内唯の完璧なダミーに変装させてしまうと、祐一は唇の端を吊り上げながら言った。
「オレたちは、このままこのトイレで夜になるまで待機だ。ちょっと寒いから、身を寄せ合って体温を保っていよう」
「――その前に、その危険なメイクは落としておいた方が良いですよ」
こみ上げて来る笑みを抑えきれない唯は、半ば吹き出しながら言った。
「セリフは格好良いけど、アイシャドゥとルージュをしていたんじゃ、コメディにしかなりません」
「はう!?」
慌てて化粧台の鏡を覗き込む祐一であった。
――さて、『居残り組』3人と入れ替わった“魔”がトイレから出てきたら、今度は『退却組』の出番よ。『退却組』5人は、その変装した3体の“魔”を連れて、素早く会館内から出ていくのよ。勿論、正面ゲートから正規の方法でね。
「OK、良い出来だわ。So cool!」
トイレから舞の遠隔操作で出てきた“魔”を一瞥すると、澤内愛は会心の笑みを浮かべた。
「確かに、これなら顔を伏せていれば誤魔化せるでしょうね」
桜田ユリも、にこやかに同意する。
「では皆さん。準備が整ったならば、長居は無用です」
小野島秘書官は、感情を感じさせない口調で告げた。
「早々にこの会館から退散しましょう」
彼女は言葉と共に踵を返し、高いヒールで廊下に甲高い反響を呼びながら先頭を歩き出した。『退却組』の4人は、その後を駆け足で追った。
退館の時、最も重要となるのは――あたりまえだけど、警備員たちに“魔”の変装に気がれないようにすることよ。だから『退却組』の全員が、彼らの気を引いてフォローするようにするわ。でも多分、ここで相沢君の放ったボディ・ブロウが有効的に作用すると思うの。受け付けの時、相沢君扮する倉田先輩(偽)の暴挙を目の当たりにして、彼らはもう倉田先輩(偽)一味には関わり合いたくないと思っている筈なのよ。さっさと帰ってくれ、そう願っている筈。だから、突然出ていこうとする8人を見ても、あまり追求してこないと思うわ。
生徒会会館が、『難攻不落の要塞』というような評価を受けるのにはそれなりの理由がある。その最大の要因が、進入経路と脱出経路の少なさだ。なんと言っても、外部と内部を繋ぐ唯一の連絡口が、正面玄関に限定されているという点が大きい。つまり、入るにせよ出るにせよ、壁を爆破したり地下を掘削したりするのを別にすれば、絶対に正面ゲートを通らざるを得ない仕組みになっているわけだ。
このゲートを除いて、会館は外界から物理的に完全に隔離されるような造りをしている。それは異様なほどに徹底されていて、施設内には勝手口は勿論のこと窓の1つすら存在しない。そして、唯一の出入り口である正面ゲートは、駐車場や駅の自動改札のように指定のセキュリティ・カードを挿入することで初めて開閉される自動セキュリティ・ゲートと、常に3人以上の警備員が駐在する守衛室によって完全にガードされている。
確かにこれだけ徹底されていては、普通の人間ならば侵入や潜入を諦めてしまうであろう。だが、今この会館に挑んでいるAMSという連中は、普通ではなかった。
ゲート脇の守衛室に詰めている警備員たちが、館内奥からドタドタと慌しく響いてくるその足音に気付いたのは、倉田佐祐理を筆頭とするTUT代議委員のスタッフが、ゲートを通過して消えていってから10分足らずの頃であった。
「おい、何だか騒がしくないか?」
「うん。誰かが館内を走り回っているみたいな音が聞こえる」
警備員たちは、先程から途切れることなく聞こえてくる駆け音に眉間にシワを寄せて顔を見合わせる。
テキサスの農場で家畜が大暴走した時、恐らくこんな地鳴りが聞こえてくるものだろう。少なくともかつての会館でなら、こんな落ち着きのない騒音が鳴り響くことはなかった。
「まあ、騒ぎの源に心当たりがないわけでもないが」
「あのお嬢様か」
「……はぁ」
3人の警備員たちは無言で見詰め合うと、同時に深く嘆息した。それこそ、魂が抜け落ちるほどに。
「あれが倉田佐祐理だったとは」
「山本リンダは正しかった。噂は信じちゃいけない」
「ああ。身に染みたよ」
彼らは、女装に失敗したゴリラの如きお嬢様の相貌と振る舞いを思い出し、再びため息を吐く。あの悪夢の嵐のような人物は、彼らの『良家のお嬢様像』を粉砕するに充分過ぎるほどのインパクトと破壊力を有していた。
それから僅かな沈黙を挟み、それは訪れた。
「急いでゲートを開けてください! 一刻の猶予もなりません!!」
「倉田さんを最優先に! 玄関にリムジンを待たせてるわ!!」
正面ゲートに、血相を変えたTUTのユニフォームを纏った一団が駆け込んできたのである。彼女たちは全速力で廊下を走り抜けると、カードをゲートのセキュリティ・システムに読み込ませ、次々と館外と出て行く。
「な、何事ですか!?」
電光石火の出来事に、警備員たちの対応は一瞬遅れた。その隙に、既にメンバーの内の半数は入り口から出て行き、その背も米粒のように小さく遠ざかっていた。その中には、あの嵐のお嬢様『倉田佐祐理』の姿も見える。彼女は、他のスタッフに背負われてグッタリしたまま運ばれているようだった。
「出てきてはいけません!」
詰め所のドアを開けてゲートに駆け寄ろうとする警備員を、小野島秘書官がなにやら逼迫した様子で制する。クールな鉄仮面を装う彼女にしては、信じられないような慌て振りである。警備員たちも、只事ではないと悟った。
「何があったのですか、小野島様」
結局、警備員は彼女の制止を無視して、守衛室からゲートへと走り寄った。
「お嬢様に発作が起こったのです」小野島秘書官は、形の良い眉をひそめて言った。
「持病のマイコプラズマ肺炎です。飛沫感染の恐れがあります。どうか、守衛室にお戻りを」
「プ……プラズマ肺炎!?」
聞いたこともない肺炎だ。警備員たちは訝しげに顔を顰める。
「あの、飛沫感染というのは?」
「俗に言う、空気感染だよ」八槻と言っただろうか、まだその容姿にあどけなさが残る女性が言った。
「マイコプラズマ肺炎は異型肺炎の一種で、39度の高熱と激しい咳、震えなどを催します。またそのウイルスは、咳やくしゃみなどで細かい唾液とともに空気中へ飛び出し、空中を飛んでいって人に感染するのです。だから、同じ空気を吸っただけで感染する恐れがあります。万が一のことを考えて、貴方がたは守衛室にお戻りください」
近寄ってくる警備員たちの肩を掴み、小野島は強引に守衛室へと押し返していく。
「遺憾ですが、お嬢様がこのようなことになっては今回の視察は中止とさせていただかざるを得ません。申し訳ありませんが、会長にはそのようにお伝え下さい。それから、お嬢様はこのような発作を度々起こされるので、別段心配には及ばないと。自宅で暫く静養なされば回復なさると思います。勿論、詳しいことは後日改めてご挨拶に参りますので、その際に」
早口にそう言うと、小野島は残って状況を見守っていた澤内愛や八槻歩美を伴い、ゲートを潜る。
「それでは失礼します」
慇懃に頭を下げると、彼女たちは足早に去っていった。警備員たちは、半ば呆然とそれを見送る。 まさに、嵐が一瞬で過ぎ去ったような騒ぎであった。
だが、それでも彼らはプロフェッショナルである。
「なんだか良く分からんが、一応確認だけはしておこう」
1人のその言葉に、残りの2人が頷く。
「セキュリティ・カードは? ええと……」
警備員の1人が、入館申請書として提出された書類を捲る。
「倉田佐祐理、小野島亜美、澤内愛、澤内唯、桜田由里、岩間霞、八槻歩美、それから七瀬みゆき。合計8人だ。全員分返却されているか?」
「OK、されてます」
もう1人が、ゲートのセキュリティ・システムにアクセスしてカードの回収状況を確認する。彼女たちに与えられた、今日1日だけ有効とされるゲスト用のカードは8人分全てが回収されていた。
「ゲートの監視カメラの映像も見ておこう。目算で8人が全員出ていったのは見たが、一応、確認だけはしておいたほうが良い」
「分かった。映像を出してみる」
3人目の警備員が、監視モニタとその映像を管理する座席につく。
館内で撮影された映像は、証拠能力を持たせるためアナログのまま、3ヶ月分が保存される。だが、バックアップの為にデジタル化した画像も同時に保存されるシステムになっていて、確認は専らこのデジタル映像の方で行われていた。
「1、2、3、4、……よし。OKだ。8人全員を確認した。帽子を被っているから顔までは確認しがたいが、今日ここに出入りした一般人は彼女たちだけだ。しかもあの『TUT』のロゴ入りの帽子とジャケットを着ていたのも彼女たちだけ。髪型や背格好も、我々の記憶と一致している。問題は一切ない」
「分かった。異常なし――と」
恐らく、非常に高い確率で“魔”たちはゲートの外に無事出られるでしょう。それを見計らって、『退却組』もカードを自動返却口に返して、会館を出るの。
――そう。この時点で、8人は全員外に出たことになる。カードはキチンと返却されているし、警備員もTUTのジャケットと帽子を身に着けた8人のスタッフが外に出たのを目撃している。そして、天井からゲートを監視しているカメラにも、バッチリその姿は写っている筈よ。
でも、その内の3人分はダミー。『居残り組』と入れ替わった“魔”に過ぎないわ。相沢君を筆頭とする3人の『居残り組』は、当然ながら館内のトイレの中にまだ潜んでいる。だから3人は、誰にも警戒されることなく、内部を自由に動き回れることになるわ。
そして、存在しないはずのこの3人の手によって、作戦は第2段階に移行される。会館の機密を派手に暴いてやるの。言い逃れが出来ないくらい、完膚なきまでにね。
to be continued...
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脱稿:2001/12/04
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