AMSマンション 4階 カフェテリア
――生徒会会館。
大使館級の警備網に守られたその要塞に忍び込み、最深部に眠るとされる最高機密を盗み出す……
かつて誰も考えることさえしなかったその計画は、9月4日の相沢祐一の発案から正式始動、そしてその日の内に夜を徹しての最初の作戦会議が行なわれた。
計画発案当初は情報量の少なさから難航したものの、始動から今日までの5日間、AMSの面々は放課後になると毎日佐祐理と舞のマンションに集まり、計画を着々と練り上げていった。会館に関する調査も進み、佐祐理の伝手で必要な機材の類も揃いつつある。
そして9月の第2土曜であるその日も、学校が休みということもあって、既に昼から彼らは集いを開いていた。
「よーし。飯も食ったし、さっそく第6回『生徒会館潜入計画』作戦会議を開くぞ! オレに――」
「違います!!」
「ん、なんだよ栞。突然大きな声だして」
景気付けの一言を思いもよらぬ形で遮られて、祐一は怪訝そうな表情をする。
「祐一さん、間違えてます!」
去年まで死に至る病を患っていた気配など微塵も感じさせず、栞は元気に宣言した。
「作戦名は『生徒会館潜入計画』じゃなくて、『オペレーション・スネイク』です!」
鼻白む祐一を真っ向から見据えると、両の拳を握り締めて彼女は主張する。だが、周囲の反応は極めて冷ややかなものであった。
「……はぁ。また栞の病気が始まったわ」
「コラ〜っ、誰とは言いませんがそこの美坂香里・三等兵! 病気とは何ですか、病気とは!!」
頭を抱えて呆れ返る香里の声を、栞は耳聡く聞きつけてプンプンと怒り出す。
「栞ってば、昔からそうじゃない。勝手に大袈裟な名前をつけてそれに陶酔するのよね。わ〜、ドラマみたいで格好良いですぅ〜〜……とか言ってね。あと、私は最低でも士官クラスよ」
「むー。酷い言われようですが、そんなことでは挫けません。……とにかく、です!」
バンっと栞はカフェテリアの机を叩く。
「この作戦は、オペレーション・スネイクと呼称して下さい。それでもって、『お前ら時計合わせろっ』――です!」
「なんだそりゃ?」
「いいから、呼称はオペレーション・スネイクです。これは義務です」
「はあ。もう、仕方ねえな……」
言い出したら聞かない栞を知る祐一は、諦めたように肩を落として嘆息する。
「よーし、飯も食ったし、さっそく第6回「オペレーション・スネイク」作戦会議を開くぞ! オレについて来い、ヒヨっこども!!」
「おー!!」
祐一の号令に、名雪、あゆ、栞のお元気3人娘が拳を振り上げて応える。
予定では、みんな揃っての昼食を終えると例のように4階のカフェテリアに集まって、食後の紅茶を飲みながら会議を進行することになっていた。
「じゃあまず、ここ数日の間、双眼鏡で会館を観察していた偵察係のシオリン少尉。報告をお願いするぞ」
「がってん承知です!」
議長役を務める祐一の指定を受け、栞は元気に立ちあがる。派手な立ち回りの必要の無い『偵察係』に任命された彼女は、放課後になると毎日のように会館に関する情報収集を行ってきた。
まず、その愛くるしいキャラクターと社交性をフル活用し、聞き込みによって周囲の生徒から情報を得る。そしてそれが一段落すると、今度は双眼鏡を持って外から会館の様子を観察するのである。
「えーと、それでは私の調査結果を報告しますね」
「うんうん。お願いするよ」
名雪は嬉しそうに頷く。それを受けて、栞は鞄をゴソゴソと漁り、中から書類の束を取り出した。
どうやら、それに調査で得られた様々なデータや結果が記されているらしい。
「とりあえず、皆さん!!」
突如、クワッと目を見開き、栞は大きな声でAMS全員に迫る。
だが勿論のこと、元がヌイグルミのように可愛らしい栞なので、全然怖くはない。
「ん、なんだ。調査は順調に進んでるんだろう?」
祐一が少し訝しげな表情で、話の先を促す。
「はい。調査は、思いのほか順調に進んだのですが」
「それは良かったよっ」順調と聞いて、あゆはニコニコと笑った。
「ですが、皆さん。この計画の実行は――」
「うんうん。この計画の実行は?」
「諦めましょう」
ズコッ!!
栞の報告に集中していたAMSのメンバーは揃って脱力した。
特に祐一とあゆは、期待していただけに豪快にズッコケている。まあ、しょっぱなから栞のやる気ナッシングな報告を受ければ、それも無理は無い話であった。
「な、なんで!?」
「うぐぅ……思いっきり不意を突かれたよ」
「あはは〜」
「栞、あなたイキナリ何を言い出すかと思えば――」
口々に不平を零すメンバーたちであったが、当の栞は1歩も退こうとしなかった。
「だって、ものすごい警備体制なんですよ!? あんなの人類の敵です! 忍び込むなんて、絶対に不可能ですよ。ここは素直に諦めたほうがいいです」
「でも、警備体制が厳重なことくらい最初から分かっていたことじゃない」
香里は、何を今更といった表情で言った。
「いーえ! 聞くと見るとでは、破壊力が違います。確かに事前にお姉ちゃん達から聞いていた話で、警備体制が凄いことは分かってました。でも実際に見て、目が覚めたんです。それが、どれだけ凄い事か理解できたんですよ」
「……百聞は一見に如かず」
栞のコメントを、舞はボソリと一言で的確に表現して見せた。
「そう! まさに、百聞は一見にしかずです。ここのところ毎日会館の玄関を観察していて分かったんですが、あの警備網には全くスキがありません。忍び込むのは勿論、機密を盗んで首尾良く脱出するなんてもってのほかです」
「まあ、美坂さんがそう言うのも分かる気がしますね」
デュアル・ブレインの方割れ、天野美汐は軽く頷いて見せた。
「先日、私も実際に会館の中に入ってみたのですが――確かに、中々のものでしたよ。あれは。余ほど後暗いことがあるんでしょうね。たかが生徒会の会館にあれ程の警備を敷くとは」
「え、あれ? 美汐ちゃん、あの中に入ったの!?」
「……む。なんか、サラリと言われたので聞き逃しそうになったが、それは確かに妙だな」
小さく目を見開いて驚く名雪に、祐一も同調する。
「あの会館には、生徒会役員しか入れないんじゃなかったか? 少なくとも、学級委員長以上の関係者じゃ無いと、セキュリティ・カードを発行してもらえないとか。このメンバーの中で、あの中にオフィシャルな口実で入り込めるのは、学級委員をやってる香里だけの筈だろう。どうやって侵入したんだ、ミッシー」
「――申し訳ありませんが、例によってその手の質問には応えかねます。そんなことはこの際どうでもいいんです。私は会館に正式な手続きを踏んで入り、内部を見てきました。今は、この事実が大切なんですよ」
「むう……。ミッシーは相変わらず謎だな」
呟く祐一の言葉に、香里は内心で頷いていた。ある意味で、天野美汐という少女に纏わる謎は、生徒会のそれを凌駕している。
「とにかく、会館の内部は厳重なセキュリティ・システムによって固められています。廊下には死角を作らないように、配置を計算してズラリと監視カメラが並べられていましたし、上の階へと続く階段は、強力な電子ロックを施した分厚いドアで守られていました。各部屋はもちろんのこと、廊下、階段、トイレに至るまでかなりの警戒網が敷いてあるようです」
「え、トイレにも監視カメラがあるの?」
名雪は顔を顰めながら言った。特に女性の場合、トイレを覗かれるというのは耐え難い行為なのだろう。
「いえ、流石にカメラはありませんでしたが、センサーが取りつけられていました。取り合えずあれがあれば、どのトイレが使用されているかを知ることができます」
「ジャミングの方はどうだった?」
メンバーの話を聞きながら何か考え込んでいた香里が言った。電子工学は、法律と医学に並んで彼女が最も得意とする分野の1つだ。
「流石に、それはありませんでした。内部からは、携帯電話も通じます。ただし、傍受される危険性はあるでしょう。それが可能な設備が屋上にはありました」
そう言って、美汐はガラス張りのテーブルに、何枚かの大きなカラー写真を置いた。メンバーたちは円陣を組むようにして、仲良くそれを覗き込む。
「うぐぅ……美汐ちゃん、これなに?」
「それは気象観測用の小型気球を改造したものにカメラを搭載して、会館施設を上空30メートルの地点から撮影したものと、隣の校舎屋上から別アングルで撮影した写真です。屋上に、衛生受信用のアンテナを巨大化したような物体があるでしょう?」
「――広帯域の電波受信機ね。用途は様々だけど、周波数を合わせれば電波の傍受にも使えるわ」
「はい。美坂先輩の言われる通りだと思います」
香里の言葉に、美汐は肯いて見せた。
「デジタル信号は簡単な暗号化が施されているので、そのままでは傍受できませんが、それでもちょっとした装置と技術があれば暗号は解読できます。つまり、盗聴や電波の傍受は比較的容易にできるというわけです。会館に下手に電波を飛ばせば、直ぐに探知されてしまうでしょう」
「ねえ、ところでこの屋上の写真だけど」
名雪の白い指先が、テーブルに広げられた写真の1枚を指す。
「ここの所、ドアが見えるよ。隣の校舎からロープを飛ばして、インディ・ジョーンズみたいにそれを伝って屋上に直接行けば、このドアからいきなり5階に入れるんじゃないかな?」
「その可能性はありますが――」
「そうね」
美汐と香里が視線を合わせ、小さく頷き合う。
「ん、どうしたの。私、良いアイディアだと思ったんだけど?」
「正面玄関と違って、このドアがどういう仕組みになってるのか分からないのよ。システムが分からないと、川澄先輩の“魔”を使っても開けようがないでしょう? よしんば、このドアの鍵を開けて中には入れたとしても……」
「外部からの侵入に、問答無用で警報がなるような仕掛けだと、何もする前にアウトです。外と内を直接繋ぐ連絡口ですから、会館内部の扉とは違って、通常ロックの他に警報やセンサを備えているであろうことは容易に想像できます」
香里と美汐はそろって肩を竦めて見せた。
「うーん。なるほど。そう簡単にはいかないってことだね」
名雪はその柳眉をハの字にして、残念がっている。
「まあ、でも脱出経路には使えるわよね」
項垂れる親友の肩を軽く叩いて、香里は彼女を慰めた。
「――そうですね。中から見れば、どんなセキュリティが仕掛けられているか分かりますし。その解除も手動で可能になってるでしょうから、脱出経路としては1番のルートかもしれません」
抜群のコンビネーションを発揮して、美汐がフォローに回った。
「それに出る時は別にバレても構わないでしょう。脱出された形跡が残っても、侵入された事実を証明できなければ、捜査の目は自然と内部にいくものです」
「ふぇ〜。そうなると、やはりセキュリティの種類とその水準に関して、きちんとしたデータが揃っている正面玄関から入って、役員が辿る正規のルートで1階から地道に最上階を目指すしかないですね」
チーム最年長の佐祐理が、分かり易く話を纏め、結論を出す。
「うぐぅ。なんだか大変だね」
あゆもそれなりに、この計画の難しさが理解できたようだった。
「……ったく。どこの物好きが、たかが生徒会館ごときにここまで厳重な警備を施したんだ!?」
クシャっと髪を掴むように、祐一は頭を抱え込んだ。
「相沢さんもそう思いますか。確かに、これは些か常軌を逸しています」
「とても高校生の生徒会が使うような施設と警備体制じゃないわよね」
美汐や香里も、これには同感らしかった。
「あはは〜、でも結構ズサンなところもあるんじゃないですか? 会館の機密を知って自殺に追い込まれた澤田さんにせよ、殺されてしまった武田さんにせよ、機密を知ること自体はできたわけです」
佐祐理は重くなりかけている場の雰囲気を払拭するように、柔らかく笑った。
「武田さんがどうやって機密を知ったかは今では知り様がありませんが、澤田さんはどうやらハッキングでメイン・コンピュータに侵入してそれを知ったようですし。穴はあるはずです。なんと言っても、同じ人間が考えたセキュリティ・システムですから。頑張れば、突破できないことはありませんよーっ」
「――その通りね」
香里は神妙な顔つきで肯いて見せた。
「そして、それがハッタリじゃないということを皆にも説明しておきましょう。実は、天野さんと倉田先輩に協力してもらって、既に計画の大筋は出来上がっているの。必要な機材の類いも来週中に揃う予定よ」
「わ、びっくり。いつの間に?」
「あなたが寝ている間によ。名雪」
本当にびっくりしているのか甚だ怪しい口調で驚く名雪に、香里はピシャリと言った。確かに、名雪は夜の9時には夢の世界に旅立ってしまうため、殆ど役に立っていない。作戦会議と称される会合にも、殆ど寝ながら出席していたものだ。
「で、香里。その計画ってのを聞かせてくれよ」
「勿論」
急かす祐一に、香里は余裕のウインクで応える。
「……その前に1つ確認しておかなくちゃならないわ。いいかしら。今度の作戦では、とことんまで素性を隠し通すことが最重要事項になってくるの。これはつまり、仮に事が発覚したとしても、生徒会や理事会に私たちの仕業であると悟られてはならないということよ」
「そうですねー。だから、今回はなるべく波風立たないような方法でいきたいんです。脱出はともかくとして、入る時くらいは合法的にいきたいですね」
「合法的に入るって……佐祐理さん。それは無理なんじゃないの?」
「いえ、可能です」
佐祐理の発言に難色を示す祐一であったが、美汐はアッサリとそれを瓦解させてしまう。
「倉田先輩の伝手で、既にその段取りもつけてあります。我々は、生徒会の視察という形で真正面から会館に入ることができる筈です」
「え、どうやってですか!?」
「そうね。まず、そこから説明しましょう」
目を丸くして驚いている妹に、香里は優しく微笑みかけた。
「倉田先輩のお父様は、倉田
圭一郎。地元でも有名な代議士よ」
「お姉ちゃん、代議士ってなに?」
「呆れた。栞、あんた代議士も知らないの」小首を傾げる妹を見て、香里は閉口する。
「代議士っていうのは、衆議院議員のことよ。選挙で選ばれて、国民の意見を代表して国政を行なう人」
「ああ、政治家さんのことですか」納得したように栞は肯いた。
「まあ、そうね。……じゃ、話を元に戻しましょう」
香里は再び、カフェテリアに集った全員の顔を見回しながら言った。
「倉田代議士は、ウチの学園の生徒会の後援会に名を連ねていて、学園に多額の寄付金を納めていることでも有名な人なの。それ故、彼は理事会や生徒会に多大な発言力と影響力を有しているわ。つまり、倉田圭一郎の名前を出せば、ある程度の無理は通るということよ」
「――そこで、私たちは倉田代議士の秘書官を、生徒会に送り込みました」
香里の後を継いで、今度は美汐が説明をはじめる。
「そして、彼女……
小野島秘書官は、予め私が用意したシナリオ通りに事を運びました。つまり、倉田先輩が生徒会を視察したがっているから、会館を見学させてやってくれと頼んだわけですね。そして生徒会長の久瀬透は、これに事実上のYESを寄越してきました」
「なるほど」祐一は顎に手をやると唸るように呟いた。
「生徒会の承認を得て、会館の見学と言う形でいけば、確かに正規のルートで部外者も入り込める」
「はい。そういうことですね。ですが名目上、見学に行くのは佐祐理の大学の代議委員のスタッフ10人前後ということになっています。それと、佐祐理自身ですね。佐祐理が来年、代議委員会に入るから、参考のために『生徒会』を研究したい――というのが、久瀬さんに伝えた見学の動機になってるんですよー」
「でも、佐祐理さん。それだと、会館に入り込めるのはオレたちAMSの中じゃ、佐祐理さん1人ってことになるぜ?」
「はい。そうですねー」
にこにこと楽しそうに佐祐理は言った。勿論、彼女は何時どんな時にでも絶えず楽しそうだ。
「いや、はいそうですねって言われてもね……」
「ですから、祐一さんには佐祐理になってもらいます」
「……は?」
計画の概要を知る香里と美汐を除く全員が、思わず耳を疑った。
「え、えーと。さゆりさん。今、なんて言ったの?」
思わず聞き返すあゆに、彼女は再び薄桃色の唇を罪の無い微笑と共に開いた。
「ですから、祐一さんには佐祐理になってもらうんですよー」
にこやかに告げられたその言葉の内容が、相沢祐一の脳に浸潤していくまでたっぷり1分は掛かった。
祐一さんには
佐祐理に
なってもらうんですよー?
「……」
「……」
「……」
祐一、名雪、あゆ、そして栞はそれぞれ顔を見合わせる。
そしてキッカリ30秒後、声を合わせて叫んだ。
「な、なぬ〜〜!?」
to be continued...
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脱稿:2001/11/23 01:56:36
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