−10−
――作戦開始から40分後
a assembly hall of the student council
Sun,24 December 2000 17:00 P.M.
Christmas EVE
12月24日 午後5時ジャスト
生徒会会館 1階 トイレ
「……ザザザ……
Good evening SNEAKERS,A.M.S.Control.Do you copy?」
腰にぶら下げた軍用無線機から、聞きなれた硬質の声が聞こえてくる。だが決して不快な声音ではない。上等のカクテルのように、喉越しは抜群。祐一は、彼女のこの声が好きだ。
それにしても、教科書に載せたくなるようなこの完璧な発音。彼女は一体、これをどこで身に付けたのだろう。天野美汐は、アメリカ国防省より多くの秘密を持っている。
「
A.M.S.Control,SNEAKERS,We read you.」
無線機を美汐に教わった通りに扱い、祐一は申し合わせ通りの返答を返す。因みに、この無線は佐祐理(本物)のボディ・ガード、鷹山小次郎から借り受けた軍御用達の逸品である。
どんな環境下でもパワフルに活躍してくれるが、容易には多機能過ぎて使いこなせないのが難点だ。
「問題は発生していない。オレ以外の2人も元気だ。女子トイレの居心地の悪さ以外は概ね良好だぜ、ジェネラル・ミッシー。無線が入ったってことは、そっちもOKみたいだな?」
「はい。総員の退館を確認しました。第1ステージは
成功です」
「ん」祐一は満足そうに頷いた。「で、オレたちはこれからどうすればいい?」
「基本的に、打ち合わせ通りです。とりあえず、日が落ちるまでそこで待機していて下さい。こちらはこれから計画を第2ステージを移すための準備に入ります」
「分かった。カメラの手入れでもやっとくよ。錆付かないようにな」
「お願いします。これより60分おきに連絡を入れますので。それ以外でも、何か問題が生じた時は遠慮無くこちらに連絡を入れてください」
こんな時、いつも変わらぬ美汐の事務的な口調はピッタリと雰囲気に合っていた。
「了解。――念のために確認しておくが、この無線は傍受される心配はないのか?」
「大丈夫です。電波を傍受される可能性はありますが、盗聴は不可能です」
「分かった」
「Good luck, "SNEAKERS". Over.」
−11−
AMS Control center
Sun,24 December 2000 17:01 P.M.
同日 同時刻
AMSマンション AVエリア(作戦本部)
天野美汐は、ヘッドフォン式のマイクを外すと静かにデスクに戻した。彼女の隣には椅子に腰掛けた美坂香里がいて、幾つものモニタを凝視しながらパソコンのキーボードに似たも制御盤を流れるような手捌きで操作している。
そこはまるで、TV局の編集室だった。素人には甚だ用途が判別し難い多種の機材が6畳程度の室内に所狭しと並べられ、美汐と香里を取り囲んでいる。10台を超える無数のモニタとレコーダー、編集機器には全てに電源が入れられており、既に低い稼動音を立てながら各々の処理に没頭させられていた。
「相沢君たち、どうだった?」
作業を忙しく続ける香里が、モニタに視線を釘付けにしたまま訊いてきた。彼女を包囲するモニタから発せられる光が、彼女の相貌を青白く照らしている。
「問題ないようです。女性用のトイレにいるということに、多少戸惑っているようでしたが」
「これから何時間か待機するんでしょう。お腹空かないかしら?」
「空くかもしれませんね。ですが、携帯用の食料を渡してありますから」
「抜かりはないってことね」香里は手作業を続けながら、器用に肩を竦めて見せた。
「でも、トイレで食事を採らせるの?」
「そんな酷なことは言いませんよ」美汐は微かに目を細めた。彼女にとって、それは微笑に相当する。「応接室には監視カメラが少ないんです。タイミングを見計らって、相沢さんたちにはそこに移動してもらう予定です」
「そう」
応接室とは、勿論、来客を迎え入れる専用の部屋だ。生徒会長である久瀬が、小野島秘書官を迎え入れたのもその応接室の1つである。こういった部屋は、その性質上、あからさまに監視カメラを取り付けるわけにはいかない。カメラに見張られているという事実は来客に対して圧迫感を与えるし、監視という行為は場合によっては相手にとって失礼にも当たるからだ。
そんな事情もあって、応接室は会館の中でも監視カメラが極めて少ない、一種の聖域である。祐一たち『スニーカーズ』が作戦開始時刻まで身を潜めるには絶好のポイントと言える。
「――それにしても、あの演出はちょっと大袈裟過ぎなかった?」
香里は思い出したように言った。
「異型肺炎まで持ち出さなくても、あそこからでることは出来たと思うけど」
香里が指摘しているのは、会館脱出の際、佐祐理を偽の発作に仕立てたことだ。
「確かに、遊びが過ぎたかもしれませんね」美汐は肩を竦めて認める。「美坂先輩は、茶番と茶羽ゴキブリがお嫌いだったと記憶しています」
「覚えていてくれたなんて感激だわ」香里は微笑を浮かべた。
「気にしないで。あれは許容範囲よ。面白かったしね」
「それは幸いでした。以後気をつけるようにしますので」
「でも、倉田先輩が異型肺炎を患っていたのは事実に基づくのよね?」
「はい。小学生の頃、既に完治したそうですが」
「なら大丈夫ね。特に問題は生じないでしょう」
香里は納得したように1つ頷く。演出としては確かに大袈裟かもしれないが、そう無茶な話でもないということだ。さすがに天野美汐だけあって、ハッタリにも年季が入っている。
「――それはそうと、B−2の準備完了したわよ」
香里はそう言うと、美汐のモニタに映像を渡した。
「流石ですね」予測を上回る香里の手際に、美汐は素直に感嘆した。大した腕だ。
「スタンド・アローンとは言っても、完全に外部との接点を持たないわけじゃないからね。そこが、生徒会のシステムの盲点よ。彼等は外部からの攻撃には神経質だけど、内部からの崩壊にはそれほど気を使ってない。素人の限界よね」
「いずれにせよ、これでバックアップは万全です」
生徒会館内のコンピュータは、基本的に外部との接点を持たない、ネットワークから隔離された『鎖国』的な存在だ。そのため、通常の手段では外側から内部に侵入することはできない。たとえるなら、ドアの無い建物のようなものである。
だが、普段は閉じられているだけで、外部との連絡が可能な回線そのものが存在しないわけではない。内側からこの回線を開いてやれば、鎖国は解ける。つまり、外から見ると一見ドアの無い建物に見えるが、それは外側にノブが付いていないからそう見えるだけ。実は、ドアはそのもの存在していて、内側に付いているノブを回してやれば、そのドアは簡単に開き、外側に繋がる出入り口となるわけだ。
今、香里と美汐が話題としている『B−2』プランとは、会館のその性質を突く一種のクラッキング作戦である。具体的には、会館内部の端末に予め侵入させてあるプログラム(ウイルス)を起動させ、秘密裏に外部とのアクセスを行わせるという計画だ。
つまり、香里と美汐は『ウイルス』という名の内通者を建物の中に潜ませており(これは巧妙に、無害な存在に変装している)、合図があれば、このウイルスは動き出して、会館の内側からドアを開ける。そして、香里という名の侵入者をコッソリと招き入れてしまうという仕組みだ。
これによって、外部から会館のシステムに侵入し、警備システムを掌握することが可能となる。監視カメラの映像も自由に操作できるし、時間をかければドアの電子ロックも自由に操ることが可能である。しかも、高度なダミーの情報を同時に流すようになっているため、誰にも悟られる心配はない。
プログラムの起動は、祐一に預けている無線式の起動用端末で簡単に行うことができる。香里が指示を出せば、祐一がプログラムを起動させ、外部とのアクセスポイントを開く。そこから香里が館内のシステムに侵入し、これを掌握する手筈になっている。
「でも、これは最後の手段よね。できれば、使わずに済ませたいわ」
「そうですね。トリックに『コンピュータを使ったシステムの掌握』という手段を用いるなら、犯行は誰によっても可能ということになります。ならば、嫌疑は1番最初に私たちに向くことになる。それは出来れば避けたいところです。この計画は、あくまで不可能なまま行われ、不可能なまま完了されなければなりません」
だから、このB−2の発動は事実上の作戦失敗を意味する。つまり、会館の忍び込んでいる祐一たちの脱出と身の安全を確保するための、一種の保険に過ぎないのだ。保険になど頼ることなく作戦が進めば、それが1番良いに決まっている。保険とは、何らかのトラブルが生じた時にはじめて必要になる存在なのだ。
「侵入させてあるウイルスは、一種の自爆装置を積んでる。25日の午前5時になった瞬間、自己の存在を完全に消滅させるようにプログラムされているわ。まあ実際には、消しても微かな痕跡が残るわけだけど……とにかく、無事に自動消滅してくれるような展開になることを祈るのみね」
「はい」
「まあ、大丈夫だとは思うけど」
「それでは」美汐は静かに席を立った。「準備も整いましたし、私はこの辺で失礼します」
「これから、駅前広場に直行?」
香里がはじめてモニタから目を離し、美汐に直接視線を向ける。
「ええ。水瀬先輩にせよ、月宮さんにせよ、彼女たちに全てを任せるのは技術的に不安がありますから」
「確かに」香里は思わず笑った。
あゆは不器用だし夜の暗闇が怖いなどと子供のようなことを言い出す少女だ。また名雪は、9時を過ぎると本人の意思如何によらず、強制的に夢の世界に旅立っていく。現場を任せるには、確かに心許ない人材であった。
「私は当初の予定通り、これより20分後からステーション・スクエアで陣頭指揮に当たります」
「ええ、お願いするわ。映像編集と中継は任せて」
そう言って、香里は同性の目から見ても自然で魅力的なウインクを見せた。
「心配なんて微塵もしていませんよ、美坂先輩。安心してお任せします」
美汐が出入り口の前に立つと、ドアはスライドして自動的に開いた。そして首だけを反転させて、香里を一瞥する。
「無線の周波数は合わせてありますね? 回線は常に開いておきますので」
「Okey-Dokey」
−12−
例えばAMSは、この会館の堅固な警備網を『大使館級』と表現してきた。確かに、大使館の警備というものは非常に厳しい。国によっては、重火器を常に帯銃した兵士を何人も巡回させている程だ。これは海外に駐在する大使および大使館は、その性格上、テロをはじめとする様々な危機に曝される危険があり、これから安全を守る必要があるからである。
生徒会会館の警備は、確かにこれに比肩し得るほど高度なものである。館内に所狭しと並べられた監視カメラと対人センサは、その最もたるところであろう。だが、それは大使館と『≒』のものであって、決して完全な『=』ではない。大使館と比較した時、会館には明らかに劣る部分が幾つかあるのだ。
大使館にあり、会館にはない警備システム。これは両者が想定する『危機』の定義が若干異なってくることから生じる僅かな、だがAMSに目を付けられた時決定的となる相違である。大使館は過激派などによるテロリズムから、武力という意味合いでも安全を守らなくてはならない。つまり、それに備えるようなシステムが必要となってくる。対して会館は、武力による脅威に曝されることは考えていない。彼らが警戒すべき敵は、機密を白日の元に曝すような外部からの侵入者の存在だけである。この作戦で、美坂香里が狙うのはまさにそこだった。
彼女は、大きく会館に存在する3つのセキュリティ・ホールを即座に見出した。1つは、1度会館に入る資格を得た者に関しては、それ以上のチェックが行われないことだ。具体的には、武器を所持しているかどうかを確認するボディ・チェックや、持ち物検査などか存在しないことである。裁判所や空港、そして大使館に出入りする時には、金属探知機を潜ることを義務付けられたり、持ち込む物の検査が行われるのが通常であるが、生徒会館にはそれがない。身分が証明され、入館を許可されれば、武器でも爆発物でもカメラでも持ち込みたいだけ持ち込める。
2つ目の穴は、ジャミング(電波妨害)が存在しないこと。大使館は、時に国家機密や対外政策の上で非常に重要な情報を取り扱うことがある。それ故、盗聴などによってそれらの情報が盗まれることがないよう、様々な電波が館内に出入りするのを防ぐシステムが存在することがあるのだ。
生徒会会館には、これが存在しない。美汐が指摘した通り、基本的に携帯電話だって通じる。無線式の盗聴機や発信機も、ものによっては完全に機能するのである。
そして、3つ目にして最大の穴は、彼らがAMSの脅威を認識しきれていないということだ。理事会も、生徒会も、会館を警備する守衛たちも、あくまで常識レヴェルの危機管理の意識しか持っていない。所詮は政治屋であり、危機管理のプロフェッショナルではないのだ。だから、彼らは最大の見落としをしている。相沢祐一率いる7人の少女たちに、常識など通用しないのだ。
彼らは、常人ならば尻込みするような厄介事を常に自ら探すだろう。誰もが避けたがるリスクを伴う難事に、彼らは嬉々として取り組むだろう。大使館級の警備網を誇ることを知っているから、誰も生徒会会館には近づくことすらしない。が、彼らはスリルを楽しみながらそれをやるだろう。
世間一般に通用する常識や倫理観、背徳観念は全く通用しない集団。それが、AMSなのだ。
「だから、あいつらは負ける。オレたちに、負ける」祐一は、唇の端を吊り上げた。
「勝手にルール決めるなよ、生徒会。AMSのルールと手前らのルール、どっちが強いか教えてやるぜ」
「うーむ」澤内唯は、顎に小さな手を当てて唸った。
「確かにセリフはドラマみたいで格好良いんですけど、女子トイレの便器をバックにしていると悲しいほどヘッポコですね。偽倉田さん」
「……へっぽこぽー」岩間カスミもそれに同調した。
「う、うっせーな。仕方ないだろ、ここはトイレなんだから便器があるのは当然だ」
自分でもチョッピリ恥ずかしかったのか、祐一は少し赤くなって憮然とした顔をする。
「それから、偽倉田って呼ぶのは止めてくれよ。もう変装も解いたわけだし、普通に呼んでくれ」
「だめ。それは危険過ぎる。少なくとも作戦が終わるまでは」
カスミが、お姉さんらしく年下の祐一を諭した。
「へいへい、分かりましたよ」
彼女の言うことも尤もだったので、祐一は渋々ながら了解を示した。
「もう、どうでも良いや。唯さんもカスミさんも、好きに呼んでくれ」
確かに、どこで音声を拾われているか分からない以上、常に細心の注意を払った方が良い。少なくともこの会館の内部にいる間は、偽名で呼び合った方が賢明だろう。
「それにしても、日が落ちたせいかチョット肌寒いですね」
「私も寒い」
唯とカスミは、自分の身体を抱きしめるようにして言った。
「そうだな。オレも実は我慢の限界だ」
寒さが苦手の祐一も、それは随分と前から感じていたことだった。ただ、士気の低下を考えて黙っていただけのことである。
TUTのユニフォームを“魔”に渡してしまった彼らは、夜の隠密行動に向いた薄手の黒装束に身を包んでいる。足音がたちにくい特殊な処理を施された靴も黒なら、ズボンも上着も真っ黒だ。会館の内部は、閉館時間と共にセキュリティ・システムを除いて電源が落とされる。これは、その闇に紛れ、監視カメラの包囲網を潜り抜けながら館内を探索するための格好だ。
「腹も減ったし、予定よりちょっと早いが場所を移すか」
祐一は化粧台の上に置いてあったリュックから、香里と美汐が作成した会館の平面図を取り出した。
それには1階の完璧な見取り図が書き込まれている。それに加え、守衛の予想され得る巡回ルートや監視カメラの設置位置、その死角になるポイントなどか分かり易く書きこまれている。
「それが、この会館の平面図ですか」
唯が大きな目をクリクリさせながら覗き込んでくる。彼女の長く真っ直ぐな黒髪から女性特有の甘い香りが漂ってきて、祐一は少し胸を高鳴らせた。
「ああ。デュアル・ブレインが英知を結集して作成してくれた全館の平面図さ。
特に1階のは完璧だ。どこに何があるのか、警備システムを含めてこいつを見れば1発で分かる」
「でも、2階から4階の分までありますね。一体どうやって調べたんでしょう」
「……発信機さ」祐一は、まるで自分が考えたことのように胸を張って言った。
「オレたちのデュアル・ブレイン(香里と美汐)が考えたんだ。朝早く登校して、ロッカーにある生徒会役員のシューズ――つまり、上履きに発信機を超小型の発信機を仕掛けたらしいんだ。ゴム底を剥ぎ取って発信機を仕込み、ボンドで元に戻す。こうすると、まずバレる事はないし回収も簡単だ」
「……それから?」カスミが小さく首を傾げて、話の続きを促す。
「あとは簡単だろう。生徒会長の久瀬の靴にも仕掛けたんだぜ? 放課後になってヤツが会館に入るのを見計らい、発信機の反応を追えば良い。あとでそれをコンピュータで3次元データに換算したのさ。歩いた方向、方向転換のタイミングと向き、これらから迷路になっている会館の道筋を大まかに辿ることが出来る」
「なるほど。――でも、ちょっと聞くと簡単そうだけど、極めて高度な技術と知識が要りますよね。
発信機の小型化もそうですけど、データを三次元化するなんてカナリ難しい計算がいるはず。1階の平面図が完全な形で作成されているから、それを参考にある程度の数値を割り出すことは出来るでしょうけど……」
「うむ。カオリン&ミッシー以外には極めて困難だろう」
「発信機を作ったのは、きっとカオリンちゃんですね。妹のシオリンちゃんに聞きましたが、彼女は結構そういった無茶な小道具を作るのが好きらしいですし」
「そうなのか?」祐一には新鮮な話だったらしい。
「そうですよ。高圧電流を使う工作に良い絶縁素材が欲しいからって、貯蔵施設に不法侵入してPCBを根こそぎ回収してきたこともあるとか」
「オイオイ。回収って、それは犯罪と違うのか?」
恐るべき女の秘密が、いま白日の元に曝されようとしていた。
「立派な窃盗ですよ。不法侵入のオマケつき。軽トラックを運転したそうですから、無免許運転も追加ですね。しかもPCB自体、扱いが難しいので法律で製造禁止にされているって本人が言ってましたよ」
「……目的のためには手段を選ばない。恐ろしい女だ」
香里を敵に回すのだけはやめよう。心に誓った祐一であった。
「――で、私たちはどこに移動するの?」
気付くと、赤毛の天然パーマが特徴的な女性の相貌が目の前にあった。
彼女の眼鏡越しに目が合う。マイペースな岩間カスミは、誰かに釣られて話を脱線させるということがあまりない。
「ああ、そうだったな」祐一は、改めて1階の平面図を広げて見せた。
「ええ、現在地がここ。会館入り口から1番遠いトイレだ。ここから1番近い応接室だな。
ミッシーの指示によると、ここ。廊下に出て角を曲がれば直ぐだ」
「じゃあ、そこに移ってご飯にしましょう」
「……色々持ってきた」
ユイの提案に頷きながら、カスミが自分の大型リュックをズイっと突き出して見せた。
中には、2リットルの魔法瓶やランチ用のバスケットなどが詰め込まれている。
因みに、1番大きくて重い荷物であるTVカメラを運んできたのは、祐一であった。
「いや、勝手に動くわけにはいかん。まず、コントロール(中央司令室)に了解を取ろう。
この作戦で1番重要視されるのは、隠密行動の精度と他チームとの連携だ」
「では、偽倉田さん。さっそく連絡を取って下さい」
「OK――」祐一は頷くと、腰に装着してある軍用無線を持ち上げる。
「A.M.S.Control,We're SNEAKERS……」
−13−
NEW TOKYO INTERNATIONAL AIRPOLT
Mon,24 December 2000 20:06 P.M.
12月24日 午後8時6分
成田空港 第2ターミナル 到着口
"NH920, you're cleared for ILS approach runway one-niner."
(NH920便、こちら管制塔。第1-9滑走路に進入して下さい)
"You are intercepting glide path and you're looking good."
(グライド・パスに会合しました、滑空姿勢及び進入角度は良好です)
上海から飛んできた全日空の航空機が、管制塔の指示を忠実に守りイルミネーションで彩られた夜の滑走路に無事着陸を果たしたのは、定刻より16分遅れの20時6分のことだった。
無事、到着口につけた機から速やかに降りると、コードネーム『
砕破』及び『
三十六手』は、偽造パスポートを手に慣れた手付きで入国審査を終え、羽田空港・第2ターミナルのゲートを潜る。
「……はあ。憂鬱な仕事ね」
三十六手は溜息を吐きながら、傍らを歩く砕破の表情を窺った。彼女の言葉は、教科書に載せたいほど完璧なイングリッシュである。
チョコレイト・ハウスでは、極一部の例外を除き英語が公用語として使われている。また、彼らには全員に特殊部隊が採用している訓練が施されるので、エージェントとして実戦に投入されるころには、主要国の言語は大方完全に喋ることができるようになっているのだ。
砕破や三十六手が所属する楼蘭のチョコレイト・ハウスは、“猛虎”と呼ばれる『KNP868』、それからアジア最強と名高い“飛虎”の異名をとる『SDU』などの訓練様式を採用している。前者は、部隊と武道「テコンドー」に深い繋がりを重んじる特殊部隊で、CQBに関しての能力が突出しており、蹴殺、殴殺に優れた特殊部隊として有名であり、また後者は、イギリスの占領下にあった時、世界最強のSAS直伝の訓練を行っていた部隊である。
生まれた頃から兵士としてこれらの訓練を積んできた彼らは、だからその身に宿る先天的な特殊能力を別にしても、普通の人間として非常に高い能力を備えている。人を殺すために、財団の兵士となるためだけに生まれてきた強化人間。それが、チョコレイトハウスが誇る実働部隊『ホーリィオーダー』なのだ。
「ねえ、砕破。あなたは少し愛想というものに欠けると思うわ」
まるで相棒など存在しないように無遠慮に歩きつづける砕破に、三十六手は頬を膨らませた。
「今回の任務に愛想は必要無い」
「それは、そうなんだけど……。でも、あなたは若い男性で、私は若い女性なのよ。もっと、こう、なんて言うのか、そういうのがあっても良いと思うの」
その言葉に砕破はピタリと足を止めた。そして感情を感じさせない切れ長の目で、三十六手を見下ろす。上海を出てから、はじめて2人の視線が交錯した。砕破の相貌は、控えめに言っても極めて端整だ。その彼に見詰められ、三十六手の頬に薄く赤味がさす。
彼女が遺伝子プールから引き上げられ、試験管の中ではじめて番号を貰ってから今年で22年目になる。つまり、22歳。まだ若い彼女にとって、同じ年頃――19歳の美男である砕破は非常に興味深い存在だった。
「三十六手。お前の言葉は支離滅裂だ。意味を理解できない」
それだけ言うと、彼は三十六手に興味を失ったように再び歩き始めた。
「……はぁ」
自分でも理解できない何かを期待していた三十六手は、それを裏切られて肩を落とす。だがそれも一瞬、遠ざかっていく彼の背を追った。
「あ、そうだわ」
空港の出口で漸く彼に並んだ三十六手は、新たなアプローチ方法を思いつき手を打った。砕破は我関せずと、タクシーを呼止めている。
「ねえ、砕破。あなた、異性には興味あるのかしら?」
黒塗りのタクシーの後部座席に並んで座ると、三十六手は切り出した。
砕破は真っ白なロングコートに、真っ黒な厚手のレザージーンズ。三十六手は紺色のパンツ・スーツに乳白色のコートを着込んでいる。2人並んだ彼らは、美男美女の若いカップルにしか見えない。少なくとも、タクシーの運転手はそう推測していた。そして彼がもし英語会話ができたなら、その推測に確信を持ったことだろう。
「ええと、質問が曖昧だったわね。異性というのは、つまり、その女性の身体ということ。性的な意味合いで、それに興味があるかしら。性欲はあるわよね?」
砕破なら、「ない」と応えてもおかしくない。そう覚悟しながら、三十六手は恐る恐る訊ねた。
「オレにも性欲はある。対象は異性の肉体に向く。だが、そのことに興味は無い」
砕破はじっとフロントガラスを見詰めながら応えた。
「それにオレたちはバイオフィードバックの訓練を積んだはず。性欲はコントロールできる」
「それは、そうなんだけど……」
バイオ・フィードバックとは、体温、脳波、心拍など、本来無意識に属する身体機能を、計測器の表示を参考にしながら訓練することによって、意識的に制御できるようにすることである。これによって、感情やホルモンの分泌、代謝速度などをある程度コントロールできるように砕破や三十六手は鍛えられている。拷問やフィジカルな誘惑を完全に退けるためだ。
よって、彼らは性欲も性による感覚も、自分の意思で抑制できたりするのは事実であった。
「でも、ほら。1度くらい実体験しておいた方がいいと思わない?」
「――思わん」即答だった。
だが三十六手は、挫けない。良く分からない感情に突き動かされて、再びアプローチする。
「ええと、でもね砕破。そういう経験があった方が、お互い今後役に立つかもしれないわよ。任務で。だって……えーと、それを利用して異性から情報を引き出すとか。使えそうじゃない?」
「エネルギィの無駄だ。合理性に欠ける。情報が欲しいなら、他に手段は幾らでもある。命と引き換えにしてまで情報を守ろうという人間も少なかろう」
砕破は、手っ取り早い手段を好む。そして、暴力の使い方が上手い。大抵の場合、彼が相手に苦痛を与える手段を選ぶことは、三十六手も知っていた。
「何が言いたい、三十六手」
彼女の心理が理解できず、先程から必要と思えない会話ばかりを求めてくる三十六手に、砕破は訝しげな視線を向けて単刀直入に問うた。
「なにがって、ええと……」
聞かれて困惑するのは三十六手である。ただ、“皇聖五歌仙”として彼とチームを組み、長く行動を共にしてきたことで、彼に自分でも奇妙に思えるほど興味が沸いてきたのだ。
とにかく、砕破の一挙手一動足が気にかかる。彼が自分をどう思っているのか知りたい。常に彼を観察していると奇妙な充足感を覚える。この不可解な感情のために、三十六手は自分でも無意味だと自覚できる行動さえ進んで起こしてしまうのであった。
「良く分からないわ。ただ、あなたの意識というか、興味というか、そういうのを私に引き付けておかなければならないような、そんな気がするのよ」
「それは、お前の能力が命じているのか?」少し考えた後、砕破は訊いた。
「それも分からないの。私の中に流れる特別な血が、本能的にそれを推奨しているのか――それとも他に動機のようなものがあるのか。私には分からない」
「お前と性交渉を持てば、その目的が達成されるのか?」
砕破が目を合わせてくる。それだけで三十六手は自分の心拍数が上昇するのを自覚した。
「分からない。自分でも何故そんな発想を持ったのか分析できないの」
「ならば、今は考えるな。任務に専念しろ。少なくとも、オレはお前の前から逃げも隠れもしない」
「……そうね」
今回、彼らに与えられた任務は、失敗した仕事の後始末である。すなわち、砕破が北川潤として、三十六手が現代国語の教師として潜入していた学校の、生徒会の会館施設を破壊すること。
財団は、会館の存続に見切りをつけたのである。そして痕跡を残さないのが、彼らのやり口。汚点も過去も、全てを破壊してこの世から抹消する。それは砕破や三十六手にとって、簡単な仕事だった。
−13−
――作戦開始から7時間40分後
a assembly hall of the student council
Mon,24 December 2000 23:56 A.M.
12月24日 クリスマス4分前
生徒会会館 1階 第8応接室
「コーン・ポタージュはまだあったっけか?」
「ありますよ。最後の1人分になりますけど」
トポトポと、2リットル入りの大きな魔法瓶から、ポタージュがカップに注ぎ込まれる。
潜入から既に7時間余りが経過しているため、かなり温度が下がってしまっているようだ。
立ち上る湯気も頼りない。
「サンドウィッチも、もうなくなるな」
唯からポタージュを受け取りながら、祐一は言った。
「さすがサユリン(佐祐理)女史お抱えのシェフ陣だ。美味かったよな」
「……ツナサンドは絶品だった。ごちそうさま」
カスミもお気に召したらしい。珍しくストレートな賞賛の声をあげつつ、丁寧に手を合わせる。
――間も無く日付が変わり、クリスマスを迎えようという時分、祐一たちは女子トイレから場所を移動し、第8応接室に潜伏していた。
会館は当の昔に閉館時間を迎えており、その殆どの照明が落とされている。
そしてその暗がりの中を、守衛たちが巡回を始めているはずだ。
その巡回にさえ気をつけていれば、応接室は監視カメラが少ない一種の聖域。
ここに潜む限り、発見される危険性は限りなく低い。また、大型のデスクやソファがあるため、部屋のチェックが入っても隠れる場所が多くて助かる。
それ故、こうして持ちこんだサンドウィッチのバスケットや水筒を広げて、ささやかな夕食をとる事だって可能なのだ。
「もう数分で25日ですよね」無骨な軍用時計を覗き込んで唯は言った。
その細い手首に嵌められていると、ただでさえ文字盤の大きな時計が異様に巨大なものに見える。
「良い子の元に、サンタさんがやってくる夜……」
スープの入った水筒の蓋を傾けながら、祐一は言った。
そして殻になったカップを水筒に戻すと、ニヤリと笑う。
「そして悪い子の元には破滅がやってくる夜さ」
「まさかこんな辺鄙な場所で聖夜を迎えることになるとは、思ってもみませんでした」
唯は大きな目を悪戯っぽく煌かせる。
「イエスさまに、ちょっと申し訳ないですね。良い子は教会で讃美歌を歌ってなくちゃいけないのに。
きっと今年はサンタさんはやってきてくれないでしょう」
「お姉様がたは、もうサンタさんって歳でもないでしょう?」
祐一は冗談めかして言う。だが、唯は右の人差し指をメトロノームの様に左右しながら返す。
「分かってませんね。乙女というのは、常に心に夢を抱きつづける女性のことを言うのです。
心に子供のピュアな部分が残っていれば、年齢なんて関係ないんですよ」
「なるほど……」
確かに『乙女』の定義なんて曖昧だ。夢を見るのは自由ということだろう。
ある意味、現実を知りながらそれでも夢を見られる人間――乙女こそが真に強い人間なのかもしれない。
「乙女道とは、夢見ることと見つけたりってか。深いな」
「……でも、クリスマスは本当はジーザスの生誕日なんかじゃない」
ボソリと呟くようにカスミが言った。
「単なる北欧のお祭り。だから、信仰に関係なくこの日を楽しむのは誤りじゃない」
「えっ、そうなの?」ユイはちょっと驚いたらしい。大きな目を更に大きく見開いている。
「へえ、良く知ってるなあ」
心底意外そうに、祐一は方眉を上げて見せる。
「その通りさ。実は、クリスマスってのはでっち上げなんだよな。
聖書のどこにも、ジーザス・クライスト――つまり、イエス・キリスト大先生の誕生日なんて記されてない」
「確かに、具体的な出典を聞いたことはないですね」
今更ながら、ユイは『クリスマス=キリスト聖誕祭』の図式を言われるままに信じていた自分に気づいた。
「12月25日のクリスマスは、元々『ユール』と呼ばれる北欧の冬のお祭りなんだ。
それを北欧に侵攻したキリスト教徒が取り入れて、いつのまにかキリストの聖誕祭にすり替えちまったってのが真相らしいぜ」
「北欧というと、スカンジナヴィア半島のあたりですよね。スウェーデンとかデンマークとか。
北極圏に近くて、オーロラとか百夜とかがみられるような。あと、トナカイも」
「そう」祐一はユイの言葉に頷く。
「クリスマス・ツリーも、その北欧に伝わる神話から来ているって話だよ。
向こうの神話には無茶苦茶デッカイ木に関する伝説があるんだ。世界樹『ユグドラシル』っていうんだけどな。クリスマス・ツリーはそれを象徴している、いわば世界樹のミニチュア版ってとこだ。
ユグドラシルは巨大なトリネコの木らしいから、本当はモミの木じゃなくてトネリコにするのが正しいのかもしれない」
「……その伝説に、サンタクロースの話なんかが後で付け加えられて、今のような行事が成立したんですね。ああ、夢がまた1つ死んでいく」
ヨロっとオーバーアクションで哀れむ唯。祐一はそれを見て思わず苦笑した。
「そう悲観することもないさ。少なくとも、恋人たちは町に出て甘くて熱い夜を過ごす。
アメリカの場合は家族で過ごすのが普通で、みんなが食卓で七面鳥を囲んでアットホームな一時を過ごす。どちらにしても、この日はいつもより笑顔の割合が多いってことさ。それで充分、元はとれてる」
「……一理ある」カスミは祐一の肩を持つ気らしい。
「確かに、その通りかもしれませんね」唯もにこやかに頷く。
「――ま、良く考えもせずに西欧の文化を無節操に取り入れるのはどうかと思うが、クリスマスに関してはワケも分からずお祭り騒ぎするってのが、偶然正解の1つだったりするわけだな。
だからさ、オレたちもオレたちなりの聖夜を楽しもうぜ」
祐一のその言葉を待っていたかのように、彼の腰にぶら下げられた軍用無線機が極めて控えめに自己主張をはじめた。
「ホラ、おいでなすった。24時ジャスト。ミッシーたちからの定時連絡だぜ、きっと」
1つウインクを決めると、祐一は無線を取り上げた。
「Merry Christmas "SNEAKERS",A.M.S.Control.Do you copy?」
「A.M.S.Control,SNEAKERS.We read you.ご馳走はまだか?」
通算7回目の通信。その相手は、やはり美汐であった。
「Time to party.長らくお待たせしました。第2ステージ、作戦開始時刻です」
「Yeah! 待ちかねたぜ、ミッシー。Where're you talking me?」
祐一と美汐のやり取りを、唯とカスミは傍らでじっと聞き入っている。
「予定通りです。パーティ会場はAngels 4(4階)からAngels 5(最上階)にかけて。恐らく、その2フロアにパーティのご馳走は眠っている筈です。とりあえず、ALT1〜3までは無視して構いません。"SNEAKERS"はカメラをスタンバイし、監視カメラの死角とダクトを利用しながら、速やかに会場に向かってください」
「――了解した」
「そちらの動きは、カメラの映像を通してこちらでもリアルタイムで把握できます。バックアップもB−1からB−4まで準備は万端です。万全の体制で臨みますので、安心してパーティを楽しんで下さい。
なお、巡回の守衛にはくれぐれも気をつけてください。最悪の状況に陥るまで、みだりにロマンサーを使わないようくれぐれもお願いします」
「Charlie,分かってるよ」祐一は苦笑する。年下相手だというのに、まるで子供扱いだ。
「ああ、それから情報を1つ。――サンタクロース(生徒会長・久瀬)が公務を終えて帰宅しています。
有事の際は直ぐにそちらに駆けつけることになるでしょう」
「大丈夫さ。ヤツが呼び寄せられるのは、オレたちの仕事が終わった後。今年は、赤鼻のルドルフに出番はなしだ。Over.」
「……そう願っていますよ」
祐一は無線をホルダに戻すと、相棒たちに視線を戻す。
「聞いてのとおりだ。お待ちかねのパーティ・タイム。ご馳走が待ってるぜ」
「準備は万端です」そう言って頷いた唯は、頭部に奇妙なゴーグルを被っていた。
サーモグラフィやスターライト機能を持った、多機能スコープだ。
熱探知モードにすると、壁越しにも機能するので、守衛が近付いて来ると直ぐに察知できる。
これも無線と同様、佐祐理の護衛隊の長である鷹山小次郎から拝借してきたものだ。
買うと、目玉が飛び出るくらい高いらしい。
「――大丈夫。今なら安全です」
唯の視界は今、青色に染まっている。唯一の例外は、天井付近に一定間隔で付いた小さな赤い塊だけ。これは、恐らく監視カメラだろう。
温度が低いものは青白く、高いものほど赤く見えるのが熱探知スコープの機能だ。
だから無機質の廊下や壁は青く見え、熱を持った人間や、電源の入った機械などは赤色として捉えられる。
「ドアの向こうにも、近くの廊下にも巡回の守衛の姿は見えません。進路はクリアです」
「OK。じゃあ、おっぱじめるか」
祐一は肩に小型の無線式TVカメラを担ぎ上げると、応接室のドアを開けた。
そして緊張と興奮に1度体を大きく震わせて、ニヤリと笑う。
「Let's Party!!」
to be continued...
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脱稿:2001/12/15 01:27:23
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