風祭文庫・人魚変身の館






「狙われた乙姫」
【第56話:人魚の歌】


作・風祭玲

Vol.584





「うひゃぁぁぁ!!!!

 どこもかしこも大騒ぎね」

某国より櫂が乗った月ロケットを見送った

アトランの人魚・ミールが実質上根城にしている水無月高校・職員室に戻ってくるなり、

「お帰り、ミール」

落ち着いた表情で白衣姿のリムルが迎えた。

「あぁリムルぅ

 羽田も成田も東京駅も避難する人でごった返しているわよ、

 無論、平壌や北京もパニクっていたけどさ」

ゴトッ

背負っていたリュックを床に置きながらミールは周囲の状況を説明する。

「あら、そう…」

そんなミールにリムルはそっけなく返事をすると、

「なによ、その態度は…

 あの竜宮の人魚を勝手に月に送った事、怒っているの?」

とミールは両腰に手を当てながら尋ねた。

「そうねぇ…

 それもあるかしら…」

ミールの言葉にリムルは考える仕草をして見せ、

そして、

「なんで、一言

 私に相談してくれなかったの?」

と眼光鋭くリムルが睨みつける。

「なっなによっ

 仕方が無かったのよ、

 時間無かったしぃ」

そんなリムルに向かってミールは弁明をすると、

「まったく、あの将軍様に不必要な借りを作っちゃって…

 どうするのよ」

「いやぁっ

 まぁ…

 でっでも、

 借りだなんて言っても、

 向うだって儲けたんでしょう?

 ロケットは無事に月にたどり着いたんだから、

 お相子じゃない!!」

自分を責めるリムルにミールは言い返した。

すると、

「いえ、あっちはそうは思ってないみたいよ」

そう言いながらリムルは意味深な笑みを浮かべる。

「へ?」

その笑みにミールの目が点になると、

「うふっ

 それでね、

 持って帰ってきて欲しいんだって、

 打ち上げて月に行ったカプセルを…」

ミール向かってにリムルはハッキリと言い切った。

「ほぇ!?

 ……んなにぃ!!!!!」

一瞬間をおいてミールの叫び声が職員室中に響き渡ると、

「もぅ大声を出さないでよ、

 それで、戻ってきたばかりで申し訳ないけど、

 大至急、タクラマカンに行ってくれない?

 私の方でチャイナロケット・神舟を準備しておいたから、

 それに乗って月まで行って欲しいのよ…

 日本のH2ロケットは値段が高くて手配できなかったけど、

 でも大丈夫だって、

 チャイナロケットと言っても、

 あの質より量で勝負のロシアロケットのコピー品だから、

 滅多には落ちないって…」

唖然とするミールに向かってリムルは

かつて誰かが言った台詞と同じ言葉を言って聞かせ、

「あっそれと、

 どうせ月に行くのなら、

 ウールーが月の傍を通ったときに

 ウールーの結晶を一つ手に入れてきて欲しいの。

 うふっ

 その結晶があれば

 これから私達が行うことになる”お仕事”がスムーズに運ぶからね」

とリムルはミールに櫂が乗っていったカプセル回収の他に、

もぅ一つ頼み事を頼んだ。

「あは…

 あは…

 あはははは」

それを聞かされたミールは乾いた笑いをあげる中、

「(そう…

  これから始まる、

  私達の戦いのために…ね)」

窓から見える海原をみながらリムルは呟いていた。



『ただ今、私達取材班は…

 ここハワイ・マウナケア火山の山頂にあります”すばる望遠鏡”の前に着ております。

 現在、ハワイは午前1:00を回ったところですが、

 これから始まる天体ショーに

 ここに詰めております研究者を始めとした多くの人々は

 みな固唾を飲んで見守っております』

緊張した面持ちのレポーターがTVに映し出されると、

直ぐに画面は望遠鏡からの中継画像に変わる。

「お父さん、お母さん、

 始まったよ」

TV画面が変わったのと同時に櫂の妹である香奈は声をあげると、

「どれ?」

その声と共に両親が居間に入って来る。

そしてTV画面には

上下に極環を頂く赤い火星の姿がぼんやりと映し出され、

それよりも少し離れて、その数倍の大きさの青い星が姿を見せていた。

「あの星が…

 始まりの星・ウールーなんだ…」

母・綾乃からウールーのことを聞かされていた香奈は感慨深げに呟くと、

「えぇ…

 地球に水を命を与えた星…

 でも…」

なぜか綾乃の表情が曇る。

すると、

「なぁに、大丈夫だ、

 櫂も竜宮もみんなあそこに行っているんだろう?

 今回も何事も無く終わるんじゃないのか?」

そんな家族の姿に父・恵之が励ますようにして言うと、

「え?

 お兄ちゃん、

 あの星に行っているの?

 どうりで姿が見えないと思ったわ」

櫂が姿を見せない理由を知った香奈が驚きの声をあげた。

「あれ?

 そうだったんじゃないのか?

 違うのか?

 綾乃?」

香奈のその声に今度は恵之が驚きながら綾乃に尋ねると、

「いえっ

 私は何も聞いていませんよ。

 ただ、竜宮より、

 全員揃ったのでこれより乙姫様の奪回をする。

 と言う連絡があったので、

 てっきり櫂も合流できたと思っただけですから…」

話が自分に振られたことに困惑しながら綾乃は説明をすると、

その反面、

「(櫂っ

  いまどこにいるかは判らないけど

  でも、これからが勝負どころよ…

  しっかり、乙姫様を守ってね)」

と心の中で櫂のことを思っていた。



ひゅぉぉぉぅ…

ザザザザザ…

これまで浮城を支配していた五十里達が消え、

乙姫や櫂たちが事実上この城を制圧したのと時を合わせるようにして、

晴天だったウールーの空がにわかに曇り始めると、

嵐が吹き始めだした。

『荒れてしましたね…』

コントロールルームの窓よりマナが外を眺めると、

「みんなっ

 この星が火星に接近しているわ」

とコンソールを叩く水姫が声をあげた。

「え?」

その声に一同が近寄ると、

「この嵐も火星接近に関係しているみたい、

 そうだ、直ぐに竜宮の成行博士に連絡を…」

ウールーの位置と火星との距離を計測しながら水姫は竜宮のことを思い出すと、

「竜宮応答して!!」

とマイクに向かって叫んだ。

すると、

『おうっ!!!

 ご苦労じゃったな

 乙姫殿は無事か?』

コンソール画面にあの成行博士の顔が映し出され、労をねぎらう。

『はっはいっ

 わたくしは大丈夫です。

 それに真奈美さんも同じく』

自分の安否を尋ねられた乙姫は割り込むようにしてそう報告をすると、

『ふむっ

 それはよかった。

 あっそうそう、

 月の美少女戦士たちがの

 宇宙港の反対側で横転している宇宙戦艦を見つけてな、

 そこで、海魔たちと接触をしたそうだ』

と成行はあの美少女戦士たちが動力炉等の制圧後、

特攻に失敗し、横転している宇宙戦艦ヤマモトを発見したことを告げる。

『そうですか…

 あそこにいる海魔たちはハバククに利用されて、

 ここまで来てしまった可愛そうな者たちです。

 なにとぞ、地球に返してあげてください』

漂流したシャトルの中、そして、ヤマモトの中と

苦楽を共にしてきた海魔たちの行く末を乙姫が案じると、

『判っておるっ

 あの者達はちゃんと地球に送り届けるすもりじゃ』

そんな乙姫の意を汲んでか、

成行は笑って見せると、

『ありがとうございます』

乙姫は幾度も頭を下げた。

『乙姫様…』

『よかった…

 本当によかった…』

目から涙を流す乙姫の姿に

その場に居合わせた者達がホッと一安心をすると、

『感動の場面の最中に申し訳ないのだが、

 まもなくウールーが火星に大接近をするぞ』

と成行がこれから始まることを告げた。

「!!!」

その言葉に全員の表情に再び緊張が走ると、

『えぇ判っています』

顔を上げた乙姫はそう返事をする。

『それでじゃ…

 安全のため、

 竜宮は浮城より一時的に離れる。

 そっちもエネルギーの釣り合いに十分気をつけてくれ、

 火星への最接近時には暴風雨が予想されるのでな』

成行はそう告げると、

フッ!

画面よりその姿を消した。

『火星に大接近か…』

成行が言った言葉をカナ(櫂)が復唱すると、

『見て!!!

 火星があんなに大きくなっている!!』

雲間より地球で見る月の数倍物大きさを見せている火星をマナが指差した。

「相当接近しているな…」

その模様を見上げながら藤一郎が口走ると、

「やはり最接近時にはこっちの水が向うに引っ張られるみたい…」

モニターの画面を見つめる水姫は呟く、

「ココは大丈夫か?」

「うん…

 ギリギリ警報エリアから離れるみたいだけど、

 でも、大嵐の真っ只中になることは間違いないわ」

浮城の安全性について尋ねた海人に、

水姫は直ぐに避難をしなければならないレッドゾーンの外側であることを告げるが、

「移動できないのか?」

「ムリよ、

 この浮城は竜気の吊り合い点にいるのよ、

 いまの魔導炉の状態ではとても離れなれないわ」

もっと安全なエリアへの移動を提案する藤一郎に向かってそう返事をする。

「難しいところですね」

「とにかく、ここで踏ん張るしかないみたい。

 外の風速はすでに20mを越えたわ…

 あっ竜宮が移動を始めたわ…」

ひゅぉぉぉっ…

接近する火星の引力を受け、

ウールーの中央部に発生した巨大低気圧に向かって雲が流れ、

また海も大シケになり、浮城を揺さぶり始めた。

「だっ大丈夫か?」

「大分暴れたし、海に落ちなければいいけど…」

瞬く間に40mを越し始めた風速と、

激しく窓を叩く大粒の雨に皆が怯え始めだした。

『大丈夫…

 織姫が作った浮城ですもの…

 簡単には沈みませんよ』

そんなみんなを元気付けようとして乙姫はそう言うと、

「あっ、ザケンナーの制御システムが再起動したわ。

 これで、破損個所の修理が出来る…」

月の美少女戦士たちによって

止められたドール・ザケンナーの制御システムが回復したことを水姫は告げると、

「ねぇ、その制御卓を使ってザケンナー達を動かして」

とチェス版を思わせる円卓を指差した。

「これ?」

コト

コト

その声に夜莉子と小夜子が円卓上に駒を置いてゆくと、

程なくして、

『修繕に参りました。ザケンナー』

の声と共に捻りハチマキに仕事着姿のドール・ザケンナー達が

コントロールルームに入ってくるなり、

トンカントンカン

カナが操縦するモビルスーツの突入で崩れ落ちた壁を修繕し始めだした。

「へぇ…便利なものね」

その様子を眺めながら沙夜子は感心していると、

「!!っ

 おいっ、あれを見ろ!!」

何かに気づいた海人が窓から見える海を指差した。

「ん?」

その声に皆が集まると、

「あれは…」

「まさか津波?」

ドドドドドドド!!!!

浮城のはるか沖合い、

暴風雨で荒れ狂うその海面が白く浮き出るように持ち上がると、

次第にその範囲を広げていった。

「まもなく火星の真横を通るわ!!!」

それと同時に水姫が声をあげると、

ゴゴゴゴゴ!!!!

その海のさらに向こうから響くような音が木霊した。

そして、

「あっあれを見て!!!」

ひときわ大きく光った稲光に浮き上がるようにして、

水平線の向うが盛り上がっていく。

「そんな…海の水が…」

「持ち上がっている…」



ゴゴゴゴゴゴ!!!

雲を切り裂き、ねずみ色をしたウールーの海面が盛り上がって行くと、

風の流れが大きく変わった。

そして、雲の切れ間から巨大な火星の地表が見えたとき、

ズォォォォォォォッ!!!

まるで天と地を繋ぐ橋が架かったかのように、

盛り上がる海水は巨大な帯となってウールーから伸び、

そして、火星へと落ちて行った。

「うっ…」

いまだかつて誰も見たことが無い光景…

その光景を目の当たりにした者達の口は半開きになったまま、

ただ呆然と眺めているだけだった。

バリバリバリ!!

ゴゴゴゴ!!!

水の帯を取り巻く雲より無数の稲光を輝かせ

ウールーの水は火星へと落ちてゆく、

そして、その水が注ぎ込まれる火星では、

ドバッ!!!

落ちてきた水は巨大な津波となって火星全土を覆っていった。



程なくして、ウールーと火星との距離が開き始めると、

ズズズズズズズ…

ウールーから伸びる水の帯は徐々に細くなり、

やがて小さな線となると、

プツン!!

二つの星を結んでいた橋は外され、

ウールーは火星より去っていった。

また、火星から離れるにしたがってウールーに発生していた低気圧は姿を消し、

青空を取り戻したその空には小さくなってゆく火星が姿を見せる。

しかし、火星の姿は接近前に見せていた赤茶けた姿ではなく、

その全体を覆う赤茶色に濁った巨大な海と

その海の中、

赤道付近でポツンポツンと島になってしまったオリンポスの山々の頂きを

見せるだけの姿になっていた。

「………あーぁ…」

そんな火星を見送りながら海人は呟くと、

『困りました…

 これではカグヤとのお茶会が開けませんですね』

乙姫はカグヤと約束をしたお茶会の会場が無惨な姿になったことを憂う。

すると、

『……乙姫……』

そんな乙姫の脳裏にまたあの声が響いた。

『(あなたは…

  やはり…)』

その声に乙姫は驚きながらもある確証を持つと、

鎮まってゆく海を見つめた。

「ねぇ…

 次は…地球じゃないよね」

そんな時、ふと夜莉子は沙夜子に尋ねると、

「うん、地球は太陽の向こう側になるから…次じゃない。

 次は確か金星のはず」

夜莉子の言葉に沙夜子はそう返事し、

『カナ…

 マナ…』

大きく頷いた乙姫はカナとマナに話し掛ける。

『なっなんですか?』

乙姫の声に二人は振り返ると、

『あなた達はこれよりわたくしと共にウールーの海に潜ってもらいます』

と乙姫は真剣な表情で言う。

『ウールーの海にですか?』

乙姫のその言葉にカナは驚くと、

『でも、何をしに…』

と聞き返した。

『ウールーの意志に会いに…』

『意志ですか?』

『えぇ…

 この惑星・ウールーはただの星ではありません。

 人と同じ意志をもっております。

 その意志に伝えるのです。

 私達の希望を…』

光を増してくる太陽を見上げながら乙姫はそう告げると、

『でも、どうやって?

 言葉が通じるのですか?』

『いえっ

 ウールーは言葉を持っていません』

『そんな…』

『大丈夫です』

『大丈夫って言っても、

 言葉が通じない相手にどうやって意思を伝えるのですか』

意思疎通の手段についてカナが食い下がると、

チラッ

乙姫はカナをじっくりと見つめ、

『カナ…

 あなたは人魚でしょう?

 人魚であるなら判ると思いますよ

 人魚ならではの方法が』

と指摘した。

『え?

 人魚ならではの方法?』

乙姫の指摘にカナは首をひねると、

『それってひょっとして歌のことですか?』

話を聞いていたマナが身を乗り出した。

『はいっ

 ご名答!』

マナの答えに乙姫は笑みを浮かべながら正解であることを告げると、

『なんだよっ

 歌なら歌と言ってくれよ』

カナは膨れっ面をしながら文句をいう。

『カナ…』

そんなカナに向かって乙姫は名前を呼ぶと、

スッ

と手を差し出し、

『土星では破壊をする歌を聴きました。

 でも、歌は本来、聞くもの、歌うものに希望をもたせるものです。

 今度は私達の番です。

 さぁ、このウールーに私達の希望の意志を伝えましょう』

と告げながらカナの手を握る。

『はっはぁ…』

『うふっ

 大丈夫ですよ』

未だに困惑気味のカナに乙姫は笑みを浮かべると、

パチパチパチ!!!

いきなり拍手が沸き起こり、

『うんうん、

 実によい話を聞いた。

 のぅ、スケさんにカクさん』

そう言いながらあの金色の頭巾にえび茶の着物、

そして小豆色のちゃんちゃんこ姿の老人が姿を見せた。

すると、

『ははっ』

ポヒュン!!

ポヒュン!!

乙姫とマナの脇より光の玉が飛び出すと、

その老人の脇を固めるように二人の供の者スケとカクが姿を現した。

「なんだこれぇぇ!!」

突然姿を見せた老人に海人や藤一郎達が驚くと、

『えぇいっ

 控えぃ、控えぃ、

 そのお方をどなたと心得る!!!』

とスケとカクが声を張り上げると、

『これこれ、

 スケさんにカクさん。

 このようなところで声を張り上げる出ない』

老人はすかさず注意をした。

『だっだれ?』

老人の正体を知らないカナは隣のマナに尋ねると、

『櫂さん!!!

 水神様の御前でなんてことを言うのですか!!!』

あの摩雲鸞・オギンが飛び出してくるなり、

カナの頭を突っつき始めた。

『うわっ

 オギンっ

 やめろ!!』

『いいえっ

 やめません。

 水神様のことをあれほど言って聞かせたのに、

 櫂さんは何を聞いていたのですか?』

『えぇ?

 この爺さん、水神様なの?

 大体、水神様なんて直接見たことが無いんだから、

 仕方が無いだろう?』

攻撃をするオギンをカナは手で払いのけていると、

『あぁ、オギン…

 そのくらいにしてあげなさい。

 確かに、櫂いや、カナ殿が申す通り、

 ワシは会ってはいない。

 だから知らないのも無理は無い』

オギンに向かって水神はそう言うと、

『はぁ…』

パタタタタ…

水神に諭され、

オギンはやや不満そうな面持ちながらカナから離れていった。

『いやいや、

 ご迷惑をかけたな。

 オギンが申す通り、わしは水神じゃ』

コツンッ

手にした杖を叩き、水神は自己紹介をする。

『あっはい…

 で、その水神…水神様がなんでこのような所に居るのですか?』

そんな水神に向かってカナが浮城に水神が来ている理由を尋ねると、

『ほっほっほっ

 ワシがここにきている理由か、

 それはだ…

 十郎太。

 藍姫。

 お前達の行く末をしかと見ておこうかと思ってのことじゃ。 

 戦国の世に散ったお前達は

 本来ならもっと普通の人間としての人生を歩むはずであった。

 しかし、このワシの下に使えていたためが故、

 ワシの下から離れてゆくことが出来ず。

 再び巡り合ってしもうた。

 まっそれ故のお節介と思ってくれのっ

 ほっほっほ』

クルリ

背中を向けた水神はそう言うと、笑い声を上げ、

カツン!!

杖を床に向けて一体叩く、

すると、

『あっ!!』

マナの記憶のかなたを覆っていた暗幕が外され、

戦国時代のあの日のこと、

そして、守山の山中で会った十郎太の思念体のことを思い出すと、

『そうだった、あたし…』

マナは自分の手を眺めながら呟く。

『マナ?』

マナの変化にカナは覗き込むと、

『カナ…いえ、十郎太…』

カナの顔を見つめながらマナはそう呟くと、

『あの時はありがとう…』

と囁いた。

『え?

 あっいっいや…

 別にぃ…』

十郎太としての記憶はアヤフヤのままだが、

しかし、オギンと共に戦国時代に行き、

そこで、藍姫と十郎太にあってから間が無いカナは、

落城の際に起きたであろう悲劇を想像すると、

妙な気恥ずかしさを感じ、

それを誤魔化すように鼻を掻いた。

『ほっほっほっ

 ちょっと約束破りじゃが、

 でも、これから御主たちにしてもらうことを考えて、

 あえて、記憶の封印を外してもらった。

 よいかな…

 我々が住む世界は決して安穏とした世界ではない。

 さまざまな争い、

 さまざまな問題を抱えておる。

 じゃが、決して希望が無いわけではない。

 むしろ、混沌としておるから希望を見出せるというものじゃ。

 頼むぞ、

 そのことをこのウールーに

 しかと、伝えて欲しい』

カナとマナを見据えながら水神はそう告げると、

『スケさん、

 カクさん、

 そしてオギン』

と3人の共の名前を呼び、

『はっ』

瞬く間に3人が前に跪づくと、

スッ!!!

その3人に向かって杖を軽く振って見せた。

すると、

ポヒュッ!

ポヒュッ!

ポヒュッ!

3人の姿は瞬く間にマイクとなり、

『え?』

『これは?』

『あら?』

カナ・マナ・乙姫の手に握らされた。

『ほっほっほっ

 それで歌うがよい、

 地球の歌をな…』

水神はそう告げると、

カツン!

杖で床を叩き、背を向ける。



『はいっ!』

その言葉に3人は大きく頷くと、

「金星よ」

と水姫が声をあげた。

『金星ですか?』

その言葉の意味をカナが尋ねると、

「そう、地球時間で2日後、

 ウールーは金星に接近するわ、

 そのときにウールーから金星に向けて、

 火星に降り注いだ倍の水を落とさせれば、

 ウールーの質量が変わり、

 その結果、軌道は狂って地球接近時には従来の反対側

 月の向こう側を通ることになるわ、

 だからお願い、

 金星には悪いけど、

 水を多く降らせるようにして」

と水姫は頼み込む。

その頼みにカナとマナはお互いに顔を見合わせ、

そして、乙姫を見たのち、大きく頷くと、

『判りました』

と返事をした。



『じゃっ行って来ます!!』

ウールーの海面から顔を出しながら

カナとマナは声を合わせると、

「頑張れよ」

一緒には行かない海人はそう励まし、

その声に送られながら

クルッ!!

海人の目の前を朱色の鱗が一気に流れ、

パシャッ!!

3つの尾びれが海面を叩いた。

「ふぅ…」

見送った後、

海面に立つ海人は空に輝き始めた金星を見上げながら息を吐くと、

『犀は投げられたか』

その背後に水神が立つ。

「あの星にたどり着く前に決着をつけて欲しいよなぁ」

ゴロン…

海面で大の字になりながら海人は呟くと、

ズズズズズ…

その視界に巨大な浮城が影を落とした。



ゴボゴボゴボ

シャッー!!

陸地の無いウールーの奥へと向かって3人の人魚が真っ直ぐ泳いでいく、

『あの…乙姫様?』

先頭を泳ぐ乙姫にマナが話し掛けると、

『なんですか?』

乙姫は振り返らずに返事をする。

『このウールーの意志とはどこまで潜れば会えるのですか?』

『そうですね…

 恐らく…

 ウールーの中心でしょう…』

マナの質問に乙姫はそう答えると、

『でも、ウールーって…

 地球よりもすっと大きいんですよね、

 確か地球の5倍って聞いていましたが』

乙姫の返事にカナが聞き返すと、

『うそっ

 そんなに大きいの?』

それを聞いたマナが悲鳴に近い声をあげた。

『うん…

 だから…

 のんびり泳いでいても始まらないと…』

驚くマナにカナはそう言って聞かせた。

『じゃぁ早く行かなきゃ…』

あせり始めたマナはスピードを上げるが、

しかし、次第にその光が差し込まなくなってくると、

カナたちは光の届かない暗闇の中へと進んでいく、

『くっそう…

 真っ暗だ…』

地球なら深海魚の一匹でも居るとこなのだが、

しかし、ここは始まり星・ウールー…

当然、魚などの生物は存在せず、

音も、光も、何もない空間へとカナたちは踏み込んでいった。

『おいっ

 マナ!!!』

ふと不安怒られたカナが隣を泳ぐマナに話し掛けるが、

しかし、期待した返事はどこからも帰ってこなかった。

『え?

 マナ?

 乙姫様?

 どっどこですか?』

ハッ

とカナは立ち止まり声をあげるが、

けど、いくら叫んでも何の返事は返ってこなかった。

『どうしたんだ…』

まさに

”無”

の世界だった。

『うっ…』

これまでに感じたことの無いいい様も無い恐怖にカナは駆られると、

『うわぁぁぁぁぁ!!!』

思わず悲鳴をあげると

訳もわからずに泳ぎ始めた。

けど、行けども行けども

明かりも音もない”無”の空間が続くだけで決してたどり着くことは無かった。

『うわぁぁぁぁ!!!』

無限に広がる無にカナはパニックに陥り、

そして消耗してゆく。

やがて、泳ぐことに疲れ果てたとき、

『…………』

カナは闇の中にただ漂っていた。

どこが海面かも、

どこに女神が居るのか判らない無間地獄…

その真っ只中にカナは居た。

『疲れた…』

1日近く泳ぎ続けたカナはピクリとも尾びれを動かさずに漂っていたころ、

ザザザザ…

ひゅぉぉぉぉっ…

海面上では大きさを増してきた金星の姿が空に係り、

その引力によってウールーに巨大低気圧が発生していた。

「カナ達からの返事はあったか?」

ザケンナー達によって修繕された浮城のコントロールルームに成行の声が響くと、

「まだでーす」

その声に配置についていた人魚達が返事をする。

「あの、成行博士…」

かつて五十里が座っていた席でふんぞり返っている成行に沙夜子が声をかけると、

「ん?

 なんじゃ?」

面倒臭そうに成行は見上げる。

すると、

「竜宮は大丈夫なのですか?」

そんな成行に向かって沙夜子は尋ねると、

「あぁ、問題は無い。

 なんじゃ、そんなことを聞きに来たのか」

と嫌味半ばに答えた。

「問題は無って言っても…

 もし万が一のときはどうするのですか」

接近する金星の姿を横目で見ながら、

沙夜子は成行不在による竜宮の指揮について食い下がった。

「なぁに、

 その辺はマーエ姫に一任したから大丈夫じゃ、

 それよりも、

 まだ、下からは何も言ってこないのか、

 大丈夫か?

 金星まで時間が無いぞ」

と成行はカナ達からの返事が無いことを気にしていた。



『ご覧ください…

 ハッブル宇宙望遠鏡が捕らえた最新の火星の映像です。

 太陽系に突然現れ、ツルカメ彗星を砕いてしまった謎の水惑星は

 ご覧のように火星のほぼ全域を水没させて、

 現在金星へと向かっております』

TV画面に無残に水没してしまった火星の模様が映し出されると、

「うひゃぁぁぁ!!!」

それを見た香奈は驚きのあまり、

ドタンッ!!

座っていた椅子事ひっくり返ってしまった。

「香奈っ」

それを見た母・綾乃は慌てて声をかけると、

「おっお兄ちゃん…

 早く何とかして…」

天井を見つめながら香奈はそう呟いていた。

そして、この騒ぎはさまざまな方向に波紋を巻き起こし、

「何をしておるっ

 建造を急げ!!!

 あの水惑星は地球に接近するといっているではないか」

いまだ傷がいえない猫柳泰三が病院のベッドの上で、

避難用の新型空母建造の下知を飛ばすと、

「奥様っ

 今しばらくお待ちを!」

痛む身体を引きずりながら幻光忠義も

猿島雪乃の前で頭を下げていた。

また、アルプスやヒマラヤ・アンデスなど

世界各地の高山地帯には続々と避難する人々が押しかけ、

地球は文字通りパニック状態に陥っていた。



コポコポ…

『何もない…

 無の空間か…』

真っ暗な闇を見つめながらカナはふと呟くと、

『櫂さん、しっかりしてください』

どこからか小さくオギンの声が響いた。

『え?

 オギン…』

久しぶりに聞いたようなその声にカナはハッとすると、

ギリッ…

手にしていたマイクを握り締めた。

『マイク…

 歌?』

そのマイクの感覚にカナは浮城を出たときのことを思い出すと、

『歌…

 そうだ、歌だ…』

ようやく気を取り直し、

そして、マイクを口の傍に持って来たとき、

『櫂さん…

 何もなくても歌があります。

 歌は無から有を生み出す唯一のものですよ』

とオギンが囁いた。

『う…ん』

その声に励まされるようにカナは大きく口を開けると、

♪〜っ!!

自分を飲み込んでいる闇を吹き飛ばす勢いで歌い始めた。

『(いまは、これしかない。

  いや、いまこれをしなければいけないんだ)』

そう決心したカナは更に声を張り上げたとき、

♪〜っ

♪〜っ

遠くからマナと乙姫が歌う歌声が聞こえ始めてきた。

『乙姫様…

 マナ…』

その歌声に応えるようにカナも声を張り上げると、

ポゥ…

カナの身体が光り始め、

そして、

シャッ!!

一気に突き崩されるように闇が崩壊してゆくと、

カナは眩いばかりの光の中にいた。

『(ここは…)」

歌いながら周囲を見回していると、

『……申し訳ありません…

 あなた達の意志を見るために、

 あえて試練を与えてみました…』

と女性の声が響き渡る。

『(試練って?)』

『はい…

 あなた達の希望の力を見るための試練です』

まるでカナの心の中が判るかのように声は答えると、

ポウッ

カナの正面に光の柱が立った。

『(これが、

  ウールーの意志?)』

神々しい光を放つ光の柱をカナは見ていると、

『はい…

 わたしはウールー…

 宇宙に希望の種を撒くものです』

と柱は答える。

『(希望の種?)』

『はい、生まれたばかりの星々に水とともに希望の種を無くのが私の定め 』

『(そうなのか)』

『でも、ここに来た甲斐がありました、

 私はかつて撒いた種がこうも逞しく

 大きく成長していることを知ることが出来ました。

 私は嬉しいです』

『(いやっ

  そうでもないんだけど…

  このままだと地球がとんでもないことに…)』

再会を喜ぶウールーの意志にカナは地球に迫っている危機のことを思うと、

『判っております。

 ココに根付かせた種は決して押し流しません。

 さぁ、戻りなさい…

 あなた達のみんなを思う気持ちは痛いほど判りましたから』

歌いつづけるカナに向かって声はそう告げると、

ポヒュンッ!!

『うわっ!』

カナの周りをいきなり光が覆ったと思った途端、

その次の瞬間には、

ドターーーーン!!!

ドタドタドタ!!

『きゃぁぁぁ!!!』

『痛ぇぇぇっ』

カナはどこかに落ち、

ほぼ同時にその上に次々と別の者が落ちてきた。

『くぅぅぅっ

 一体なんだよぉ』

文句をいいながらカナが起き上がると、

『あれ?』

そこは浮城のコントロールルームで、

またカナの傍には、

マイクを握るマナや乙姫も倒れていた。

「おっおいっ

 何をやっているんだ?」

「めっ女神には会えたのか?」

ウールーの海の中に潜っていったはずのカナたちが

いきなり降って沸いたことに居合わせた全員が驚くと、

ズゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!

振動とともに大音響が響き渡った。

「馬鹿な…

 まだ金星には最接近していないぞ」

火星のときよりも早く響き渡った音に成行が腰をあげるが、

ゴゴゴゴゴゴ…

ウールーの海は逆巻き、そして持ち上がっていくと、

接近する灼熱の星・金星へとその先端を持ち上げていく。

『ウールーの意志だ…』

それを見たカナがそう呟くと、

ズォォォォッ!!!

まさに金星に銛を打ち込むかの様にウールーから水の帯が飛び出すと、

分厚く灼熱の亜硫酸ガスの大気が覆う金星へと降り注いだ。

無論、最初の一撃は灼熱の岩とぶつかり、水はたちまち蒸発するが、

しかし、続々と降り注ぐ水は高温高圧の大気と岩から熱を奪い、

また、湧き上がった莫大な水蒸気は金星の大気は白濁させると、

ザザザザザ!!!!

金星の表面に何十億年ぶりに水の雨が降り注ぎ、

そして、水を拒む岩を冷やすと海を作ってゆく。

「うんっ

 ウールーの軌道が変わって行くわ…

 大丈夫、

 これならウールーは地球に接近はするものの、

 その距離は大分開いたものになるから、

 影響はあっても限定的なものなるわ」

火星に降り注いだ水以上の水がウールーから飛び出し、

そして、質量が大きく変動したことで、

ウールーの軌道が当初計算された軌道から外れてゆくことに

水姫はホッと安堵の息を吐くと、

「そうか…」

それを聞いた成行は一言そう返事をし、

身体を椅子に深く沈めた。



つづく





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