風祭文庫・人魚の館






「狙われた乙姫」
【第7話:朝の到来】

作・風祭玲

Vol.171





ココは主が不在の竜宮・乙姫の館…

その中を書類の束を抱えた一人の人魚が、

探し顔で各部屋を一つ一つ回っていた。

「あれぇ…

 何処にいらっしゃるのかしら…」

そう独り言を言いながら彼女が廊下を泳いでいくと、

「ん?、ノンではないか…何をしておる」

彼女の姿を見た老人魚が声をかけた。

「あぁ、シノ様…」

そう叫ぶとノンはシノと呼んだ老人魚に近づき、

「あのぅ?、失礼ですが乙姫さまはどちらに?」

と訊ねると、

「乙姫様はちと事情があって、

 いま竜宮にはいらっしゃらない。

 何かあったのか?」
 
と逆にシノが尋ねてきた。

「はぁ…実は乙姫様宛に2通のメールが届きまして…」

とノンは恐る恐るシノに申告すると、

「ほぅメールとな?」

「はい」

「では私が承ろう」

「よろしいのですか?」

そう彼女が訊ねると、

「乙姫さまより留守中のことは

 このシノが仰せつかるように承っておる」

とシノは告げた。

…シノとは乙姫を幼少の頃から守り育ててきた

 乙姫にとっていわば親代わりのような存在で、

 彼女からの信頼も厚かった。

それを聞いたノンは

「判りましたでは…」

と言いながらメールの内容を読み上げ始めた。

「まず、1通目は織姫様からでして、

 ”オトちゃんへ…
 
  ご注文の品、先ほど発送いたしました。

  そちらへの到着は地球時間で60日ほど後になると思います。

  なお、代金は着払いにしましたのでよろしく。

  それから、今度一度ゆっくりとお茶しましょう”」

と読み上げると、

「あのぅ、乙姫様は織姫様に何を発注なされたのでしょうか?

 経理の方から聞いてくるようにと言われたのですが…」

尋ね顔で彼女はシノに尋ねた。

「さぁ…

 ただ…心当たりと言えば…
 
 乙姫様は竜宮の建物が大分傷んできていることを気になされていたが…」
 
っとシノも首を捻る。

「で、もぅ1通は…?」

「あっはい…これは月のカグヤ様からでして

 ”オトちゃん、元気してる?
 
  今度のお茶会の日程が決まりましたのでお知らせします。
  
  火星・オリンポス山の山荘にて
  
  現地時間310日の午後1時から行いますのでよろしく。
  
  なお、当日は正装にてお越しください。”

 です」

「ほぉ…ガグヤ殿のお茶会が開かれるのか…

 久しぶりだのぅ…

 しかし、310日と言ったら織姫様からの荷物の到着とほぼ同じ頃か…

 どちらにせよ”船”の整備を急がさなくてはならないな…

 ところで、いまの作業の進捗状況はどうなっている?」

とシノはノンに尋ねた。
 
「あっはい

 えっと、ただいまの”船”の整備状況ですが、

 現在全作業の7割ほど進んでいまして、

 ”船”の胴体部の作業はほぼ終わっているのですが、
 
 ただ、織姫様から提供のあった新型動力装置の制作が
 
 まだ半分も進んでいない状況でして…」
 
と書類に目を通しながらすなまそうに報告をする。

「う〜む、そんなに手が掛かる物なのか?」

シノの質問に、

「はぁ…

 技術部が言うには装置の中に宇宙が一つあるようなものだ
 
 と言っていましたが…」

そうノンが説明をすると、

「ふ〜む…宇宙が一つとは…これはまた…

 まぁコレまで使っていた”船”が使えなくなったので、
 
 地上人達が昔捨てた船を再利用してみたのだが、
 
 こんなに手間のかかる物だったとはな、
 
 少々予測が甘かったかな…」

そう言いながらシノは思案顔になった。



その頃…銀河を望む宇宙空間を大きく長い尾をたなびかせながら

巨大な彗星が駆け抜けていた。

ゴォォォォォォォォ…

進路上の小惑星を粉砕しつつ彗星は銀河のある一点を目指して突き進む。

「……五十里…この調子なら60日ほどで地球の土を踏めるな」

巨大なコントロールルームの一角で、

夏目が宇宙航海図を眺めながら現在位置をプロットしてそう言うと

「あぁ…」

そう呟きながら一人の男が手を口の前に組みながらニヤリと笑った。

「ふふふふふふ…待ってろよ…人魚どもめ…」

五十里の新たなる闘志を乗せて彗星は宇宙空間を駆け抜けていく、

彗星の地球到着まであと60日。



そして、その地球上の水城家では新たなる1日が始まろうとしていた。

パチ…

目覚まし時計が鳴る前に水城櫂は目覚めていた。

「はぁぁぁぁ…

 どうして目を閉じて、再び目を開けると朝になっているんだろう」
 
そう、彼にとって昨日までは当たり前に思っていた朝のこの時がイヤに思えていた。

「はぁあ…朝がこんなにイヤな物だったなんて…」

そう思いながら彼がゴロンと向きを変えると、

トタトタトタ…

足音が櫂の部屋に近づいてきた。

そして、

ガチャッ!!

っとドアが開けられると、

「櫂、朝ですよ!!」

と元気な姫子の声が部屋に入ってくるなり、

シャッ!!

っとカーテンが開けられた。

「うわっ」

差し込んだ朝日が彼の視力を一気に奪う。

「………」

しばらくして徐々に回復した視力が彼の前に立つ姫子の姿をとらえると

思わず息を飲み込んだ。

「なっ、おっ乙姫様…そっその格好は…」

指を指しながら櫂が声を上げると、

「あっコレですか?

 香奈さんが櫂を起こすときにはこれを着なさい…

 って言われたもので」

と言いながら櫂の前で姫子はクルリと回って見せた。

「…っ香奈の奴ぅ〜っ…なんてことを…」

頭を抱えている櫂の目の前には、

白の長袖体操シャツにエンジのブルマを穿いた姫子の姿があった。

「あんにゃろう…」

櫂が頭を抱えながら起きあがると、

「あのぅ…なにか問題がありましたか?」

と姫子が訊ねると、

「…いやそうじゃなくて…」

そういう彼の返事を聞くと姫子は、

「そうですかぁ…それでは(よいしょ)…」

と言いながら体操服を脱ぎ始めた。

「わっ…なっなっなっ…」

彼女の予想外の行動に櫂が驚いていると、

姫子は体操服を脱ぎ捨てると

たちまち濃紺地に白と赤のストライプが入った

新体操部のレオタード姿になった。

「………(ポカン)」

呆気にとられている櫂を見た姫子は、

「…あのぅ…」

と恐る恐る彼に尋ねた。

「…こっこれも香奈の仕業か……」

櫂はそう呟くと、

「くおらぁ!!、香奈っ!!」

っと叫びながら部屋を飛び出していった。

しかし、このときのシチュエーションが後に、

重大な結末をもたらすことになるとは櫂も姫子も思いもよらなかった。



「あらおはよ…お兄ちゃん」

制服姿の香奈がパンをかじりながら返事をすると、

「お前…乙姫様になんて言う格好をさせるんだ!!」

と眼下の香奈に怒鳴ると、

「あれ?、お兄ちゃんってあぁ言うのが好きじゃなかったっけ?」

とあっけらかんと答えた。

「お前なぁ…」

櫂は肩を振るわせながら言うと、

「でも、姫子さんも喜んで着替えていたわよ」

「だからといってやって良いことと悪いことがあるぞ!!」

「櫂ったら…なに朝っぱらから声を張り上げているの」

母親の綾乃が朝食準備をしながら櫂に注意すると、

「母さん…ちょっと母さんから香奈に注意してよ」

と櫂が文句を言うと、

「あら…乙姫様…おはようございます」

綾乃は降りてきた姫子に頭を下げた。

「えっ?」

櫂が振り向くと、すでに姫子は制服に着替えていた。

「おっ乙姫様…」

「櫂も早く着替えてきた方がいいですよ」

と言いながら姫子は席に着くと、

ゴツン!!

「痛い!!」

櫂は去り際に香奈の頭の上にゲンコツを一発落すと、

スゴスゴと自分の部屋の戻って行き、

「全く…香奈の奴め、乙姫様にとんでもないことをしやがって…」

と文句を言いながら櫂は着替え始めた。

一方香奈は上の階を睨み付けながら

「全く、お兄ちゃんったらノリが悪いんだから」

と文句を言うが、
 
「香奈もあんまり調子に乗るんじゃありません

 乙姫様…どうも申し訳ありません」
 
綾乃が謝りながら姫子の前に朝食を出すと、

「いえいえ…なかなか面白い経験をさせてもらいました」

と言いながら姫子は香奈の様子を真似しながらパンにかじりついた。


「へぇぇ…庭は片づいて居るんだ」

着替え終わって再び降りてきた櫂が庭を見ながら席に着くと、

「えぇ…マイさんはそんなに散らかさなかったね…」

綾乃がそう言うと、

「それにしても、

 人間界に居候している人魚って聞いたことがなかったなぁ…

 で、巫女神さんって言ってたっけ…

 あのマイが居候している所って、一体どういうとこなんだ?」

櫂は昨夜庭の池から飛び出してきた人魚のマイを思い出しながらそう言うと、

「巫女神家は千年以上前から続く陰陽師の家系で、

 いまは巫女神安曇と夜莉子の姉妹が当主を務めているそうです」

ホットミルクを飲みながら姫子が答えた。

「……姫子さんって結構詳しいんですね」

意外な顔をして香奈が訊ねると、

「乙姫を努めている以上、

 地上人達のそっち方面とは通じていないと

 いろいろと問題がありますから…」

微笑みながら姫子がそう返事をすると、

「それにしても、なんでそんなところにマイは居候して居るんだ?」

櫂が尋ねた。

「あぁそれは、元々巫女神家は水を納めて来たところですので

 その関係もあって、私たち海精族とも長いつき合いがあるのです。

 また最近、我々の神器の一つである”雷竜扇”を使うことが出来る
 
 使い手”竜の巫女”が一族の中に現れたとも聞いていますので…」

と姫子は説明をした。
 
「竜の巫女?」

櫂が不思議そうな顔をすると、それを見た姫子が、

「櫂には以前お話ししましたよね」

と念を押すように言うと、

「…………」

櫂はしばし考え込んだあげく、

「あっ!!」

ポンと手と叩くと声を上げた。

「クス…」

それを見た姫子は軽く笑い、

「竜宮の本当の主、竜王・海彦様には3人の守り神が居ます。

 一人は”竜牙の剣”を持つ”竜の騎士”である、櫂…あなたと

 もぅ一人は”雷竜扇”を持つ”竜の巫女”
 
 そしてもう一人は”飛竜の鏡”を持つ”竜の飛天”

 この3人…

 本来ですとこの3人が常に海彦様の傍に仕えているのですが、

 残念ながら、いまは”竜の飛天”を除いてはバラバラになっています」
 
「そうなの?」

香奈が訊ねると、

「えぇ…”竜の飛天”は水姫さんと言って

 海彦様の傍に仕えているそうなんですが、

 ただ、シノの言う話では竜宮への接触はあるものの、
 
 肝心のその居場所はいまだ明かしてくれません」

と言うと姫子は視線を落とした。

「まぁ、何らかの理由があるんじゃないの?

 へぇ…でも”竜の巫女”に”竜の天女”かぁ…
 
 一度会ってみたいなぁ…」

そう櫂が言うと、

「お兄ちゃん…鼻の下が伸びているわよ」

と香奈はさりげなく注意した。

「あっ、時間大丈夫?」

時計を見た綾乃が声を上げると、

「げっもぅそんな時間か…」

櫂は慌てて残っているパンを口の中に詰め込み、

「乙姫様も早く!!」

と叫ぶと大慌て出ていった。



さてここで時間軸を少し巻き戻して

櫂が体操服にブルマ姿の姫子に起こさ驚いていた頃。

「まっまさかと思っていたが、これは一大事だ!!!」

櫂の様子を近所の電柱より観察していた、

姫子親衛隊・水城櫂監視部隊に所属する山本正は、

この模様をスグに親衛隊本部宛に至急電として打電した。

そしてこの情報は瞬く間に親衛隊内部に、

”学園のアイドル・湊姫子が

 同じクラスの水城櫂(サッカー部所属)と一つ屋根の下”

と言う衝撃的ニュースとなって駆け抜けていった。

しかし、それはウワサという伝言ゲームによって、

たちまちのうちに尾鰭、背鰭、胸鰭がつき、

人々の間を自由に泳ぎ回り始めた。

その結果、生徒達が登校してくる時間には

「許嫁の義理の妹が水城櫂とヨリを戻すためにアメリカから帰国し

 親公認のもと同棲生活をしている」
 
と言う姿の怪魚へと進化し、

さらにの怪魚は教職員のところにも押し寄せ、

慌てた学校側は校長臨席のもと、

緊急の午前会議を開き善後策の協議に入った。

ところが事態は急転直下する。

協議にはいるのと同時に県の教育長夫人より直々に

”湊姫子に関してはいっさいの問題を不問にすること”

と言う内容のFAXが届き、一同を大いに慌てさせた。

結局判断を一任された校長の鶴の一声で、

この問題は不問と言うことに決まったが、

生徒達の注目はすでに”姫子親衛隊”の出方に集まっていった。


同じ頃”姫子親衛隊”では緊急の最高幹部会が開かれ、

そのなかで武闘派で知られる体育会グループが

水城櫂に”死刑宣告”をするようにと、

最高幹部会会議議長に詰め寄ったが、

穏健派並びに非主流派の強い抵抗により幹部会は紛糾、

多数派工作や切り崩しなどが盛んに行われ、

議長の解任決議や総選挙と行った声も聞かれたものの、

とりあえず昼休みまで決定を保留する。

という先送りの事案のみが可決成立したのであった。



キーンコーン

予鈴の鳴る中、学校内の生徒はその話題で持ちきりだった。

「おい、聞いたか…」

「聞いた聞いた…

 水城の奴、湊さんと同棲して居るんだってな」

「あぁ、なんでも血の繋がらない妹なんだとか」

「うわぁぁぁぁ、それってもろギャルゲーの世界じゃなぇかよ」

「それにしても可愛そうなのは美作さんだよなぁ

 あそこまで水城に身も心も捧げたのに
 
 あっさりと寝取られるなんて…」

「おい、表現がきついぞ」
 
「でもおそらく傷心だと思うぞ…」

「それにしても不気味なのが姫子親衛隊だな…」

「あぁ、緊急の最高幹部会が開かれたが案の定紛糾したそうだ」

「昼休みに全体会議を開いて投票によって方針を決めるそうだが」

「これは下手をすると…」

「この学園にに血の雨が降るかも知れないぞ」

などと生徒達がうわさ話をしている所に、

屯するネコをかき分けて水城櫂と湊姫子が登校してきた。

「おっウワサをすれば…」

ズザザザ…

櫂の姿を見た生徒達は一斉に彼に道を譲る。

「なんなんだこれは?」

モーゼのような状態になった櫂は不思議そうな顔をしながら廊下を進んでいくと、

彼らの先を歩いている真奈美の姿が目に入ってきた。

「おっはー…真奈美ぃ!!」

櫂が手を挙げながら真奈美の傍まで走っていくと、

「ザワッ!!」

一斉に周囲がざわついた。

「おい、コレってどういうことだ?」

「美作さんと別れたんじゃないのか?」

「まさか…フタマタ?」

櫂には聞こえないように次のウワサ話が尾鰭をくねらせながら進化し始める。

「あら、おはよう櫂…」

チラっと真奈美は櫂を見ると素っ気なく挨拶をすると、

「おはようございます、真奈美さん」

続いて姫子が挨拶をした。

「おはようございます、乙姫様」

櫂の時とは対照的に真奈美は笑みを作って挨拶すると、

「なんだ…俺の時と随分違うじゃないか」

櫂は真奈美に文句を言った、

「ふん、なに?

 何か文句あるの?」
 
真奈美はジロっと櫂を睨み付けるとスタスタと歩いていく、

「おっおい、何を怒っているんだよ」

櫂が真奈美の後を追いかけていくと、

「良かったじゃない…

 乙姫様と一つ屋根の下なんて」

「あぁ?、それで怒っているのか?」

「怒ってなんかいないわよ」

「立派に怒っていると思うけど」

「しつこいわねぇ…」

真奈美は立ち止まると、

「いぃ、櫂っ

 あたしは櫂が誰と一緒に住もうと
 
 これっぽちも気にとめていませんからねっ」

と彼の耳元で怒鳴ると、

さっさと教室に入っていった。

「どうしたのでしょうか?」

姫子が首を傾げながら櫂の後ろから声をかけると、

「さぁ…女の考えていることはよーかわらん」

と櫂は一言言うと

教室へと向かっていった。



つづく


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