風祭文庫・人魚の館






「翠色人魚」
(第6話:人魚の歌)



作・風祭玲


Vol.066





「え?、海水浴ですか?」

練習が終わり更衣室で着替えている僕たちに高津先輩が声をかけた。

「あぁ、俺の叔父さんが島で民宿をやっててな、

 で、この夏休み中に遊びに来ないか、と言ってくれたんだけど…
 
 どうする?」

先輩の話に

「へぇ…」

「島ですかぁ」

「いいですね」

たちまち数人が集まってきた。

「まぁ、本土からちょっと離れているけど、

 でも、どこぞの海岸のように芋洗いじゃないから気持ちがいいぞ」

「じゃぁ、プライベート・ビーチみたいなものですね?」

「まぁ、そんなとこだ」

その後日程やら旅費やらなんだかんだの話があり、

結局行くことになったのは、

先輩の他、僕を含めて7人で行くことになった。


「へぇ……海水浴かぁ……いいなぁ」

アイスを食べながら香奈が言う。

「お前だって、この間臨海学校に行っただろうが」

「それとこれとでは話は別よ」

「櫂っ、わかっていると思うけど」

母さんが心配そうな顔をすると、

「大丈夫、大丈夫

 体もだいぶ落ち着いてきたし……

 身体のことがバレるようなヘマはしないよ。」

と言って2階に上がった。




「おう、隆二かよく来たな」

「啓三おじさん、お世話になるよ」

と先輩が民宿の主人に言うと、

「お世話になりまーす」

僕たちも声を合わせて言う。

そして、挨拶もそこそこに僕たちは支度を始めた。

「おい、お前ら、海なんか毎日見ているだろうが」

呆れた口調で先輩は言うが、

でも、初めての場所というのはワクワクするものだ。

「あっ、そうだ」

何かを思い出しように先輩が声をあげると、

「おいっ」

「はい?」

「あそこに岩場が見えるだろう」

と言って浜辺の先にある岩場を指差した。

「えぇ、ありますね」

「あそこには絶対行くなよ」

「何かあるんですか?」

僕が訊ねると、

「あの岩場はなぁ、”冥界の口”って言って

 不幸にもこの海岸で死んだ死者の霊が、

 近づく者を海の中へと引きずり込む魔の岩場なんだよ」

と囁くように言った。

「きゃぁ、こわい」

長瀬が少女のまねをする。

「無気味なことをするんじゃない」

友来が長瀬の頭を殴ると、

「じゃっ俺はヤボ用があるからスグには行けないけど

 あの絶対岩場には近づくなよ、いいな」

と言い残すと先輩は部屋から出ていった。


「おぉ、マジで人がいないぞ」

「本当だ」

ラッシュ状態の本土の海岸とは打って変わって、

広々と広がる砂浜には間隔を置いて

パラパラと海水浴客がいるだけだった。

「おっしゃぁ、泳ぐぞ」

と言うかけ声とともに、

僕たちは一斉に海に飛びこんだ。



散々遊んだ末に砂浜に上がると、

僕たちはゴロリと砂浜に寝転がって甲羅干しを始めた。

「人のいない砂浜と言うのは…

 実に気持ちのいいものだが」

「あぁ…」

「ただ…」

「男だけの海水浴ってぇのもつまらないものだなぁ…」

「これで、水着ギャルでもいれば万々歳なんだけど…」

と目を瞑りながらめいめいが喋っていると、


「じゃぁ、俺、女になってやろうか…」

っと僕が提案してみたが、

「バーカ、無気味なことを言うんじゃないよ」

「お前の水着姿なんぞ、見たくもないわ」

っと呆気なく提案は却下されてしまった。


「そうかなぁ……

 結構いけると思うんだけど」

そういう僕の姿はいつの間にか人魚姿になっていて、

しばらくの間、パタパタと尾鰭をパタつかせていたが、

いい加減、体が乾いてきたので、

スッ

っと人の姿に戻った途端。


「おいっ」

目を開けた西沢が声をあげた。

「ん?」

全員が西沢を注目する。

「あれを見ろ」

そう言って彼がさっきの岩場を指差した。

「なんだ?」

するとそこには数人の水着姿と思わしき女性の姿が見えた。

「女だ……」

「女だな……」

「そういや、先輩、なかなかこっちに来ないな……」

「…まさか、彼女たちを独り占めにするために……」

西沢たちは無言でうなずくと、ダッシュで駆け出した。

しかし、僕の目には彼女たちがこの世のものではないように見えた。

「おいっ」

僕は後を追いかけながら、

「先輩から言われているし、

 やめたほうがいいんじゃないか」

と叫ぶが、

「まだ気づかないのか」

「あの幽霊話は

 先輩が俺達をあそこに近づけないように
 
 するためについたウソだよ」

「しかし……」

「なんだ、水城っお前

 ”水死者の霊”
 
 なんて信じているのかっ」

「いや信じる信じないじゃないけど、

 あの岩場はちょっとヤバイよ」

「じゃぁ、お前はここに残っていろ、

 彼女たちは俺達がエスコートする」

そういうと5人の男たちは、

さらにスピードを上げて砂浜を駆け抜けていった。

まったく、

試合でもこれくらいのパワーと機敏さを出してもらいたいものだ。


それっきり、彼らは戻ってこなかった。

「なんだ?、水城っお前一人か?」

海を眺めていると先輩が後ろから声をかけた。

「他の5人はどうした?」

「あの岩場に女の子がいるといって、

 飛び出していきました」

と例の岩場を指差して言うと。

先輩の表情が急に変わり、

「馬鹿野郎!!、なんで止めなかった」

怒鳴り声を上げる。

「とっ止めたんですが、

 それを振り切って行ってしまったので…」

と説明をしたが、

「おいっ、行くぞ」

そう言って先輩が岩場に向かって駆け出そうとしたとき、

「大変だぁ…」

っと友来・長瀬・大脇の3人が

大声を上げながら駆け込んできた。

「どうしたっ」

「西沢と神泉が……溺れた……」

「なにぃ?」

「何があったんだ」

先輩が友来達に訊ねると。

「水城、お前見ただろう、あの岩場の女達」

「あぁ…」

「あの後、岩場に行ってみると、

 いつの間にかあの女達が海の中に居て
 
 俺たちを手招きしていたんだ。

 で、スグに追って飛び込もうとしたんだけど、

 海の様子が気味悪かったので、
 
 躊躇していたら、

 西沢と神泉が”どけ”っと言って飛び込んだんだよ
 
 そしたら、あいつ等それっきり浮かんでこなくて…」

3人は真っ青な顔で答える。

「だから言ったろうが」

僕たちはスグに岩場へ向かうとそばの砂浜に人垣ができていた。

「すみません、通してください」

先輩がそういいながら人垣を割って入ると、

西沢と神泉の二人がグッタリとした様子で横たわっていた。

「神泉っ、西沢っ」

僕が叫び声を上げると、

「ん?、兄ちゃん達の仲間かい?」

彼らを引き上げたらしい漁師が訊ねる。

「おいっ、しっかりしろっ」

僕はグッタリしている神泉の顔を思いっきり引っ叩いた。

「あぁ、多少水を飲んでいるみたいだが、大丈夫だ」


「………あっ足を…」

「え?」

「ばっ、婆さんに足を……」

まるで譫言のように神泉は繰り返した。


「おい、足がどうしたって」

僕が問いただしていると、

「水城っ、もぅいい、止めろ」

と高津先輩が止めた。そして、

「見ろ」

そう言って先輩が指さした神泉と西沢の両足には、

強い力で握りしめられたような跡がくっきりと残っていた。

「これは……」

僕が驚いていると、

「こりゃぁ、霊に引っ張られたな」

そばにいた別の漁師が納得した顔で説明した。

「霊?」

僕が聞き返すと、

「ん?、兄ちゃん、この岩場の話は知っているかい」

「えぇ」

「この岩場のあたりは潮の流れが妙におかしくてな、

 岩場から海に入った奴を
 
 容赦なく引きずり込んであの世送りにしやがる。
 
 だから、この島の者はここを”冥土の入り口”って呼んで、
 
 近づかないようにしているんだよ」

「じゃぁこの足の跡は?」

「まぁ、恐らくココで命を落とした奴が、

 助けてもらおうと、しがみ付いたんだろうなぁ」

と海を向いて漁師は答えた。

「はぁ」

「まっ、兄ちゃんの友達は運がいい、

 こうして生きて帰ってこられたんだからなっ。

 兄ちゃん達も十分に気をつけるんだぞ」

漁師達はそう言うと、そこから立ち去った。


神泉達を乗せた救急車の後ろ姿を見届けたあと、

僕は、あの岩場のことが妙に気になっていた。

「何かある」

他とは違う妙な感覚がハッキリとそこから感じられていた。


ひゅぉぉぉぉぉぉぉ

オレンジ色に輝く太陽が水平線にかかろうとした頃

僕はその岩場の上に立っていた。


「うわぁぁぁ」

岩場の上から怖々と覗き込むと、

昼間とは様相を一変させていて

夕日に輝く海水と白い波がとぐろを巻き

まるで、僕をここに来させないように見えた。

その様子に思わず尻込みをしたが、

「えぇい、人魚が溺れて死ぬような事はないし……」

そう決心をすると周囲に人が居ないのを確認すると、

「うぉりゃぁっ」

っと海の中へと飛び込んだ。

ザザザザ

上で見ている以上に海中は荒れていた。

「だぁぁぁぁっ……

 潮の流れが早い……」

猛烈な勢いの潮の流れに散々翻弄された後、

突然、流れがふっと止まった。

「なんだ、ここは?」

不気味なほどの静寂さが支配する海の中でキョロキョロしていると、

すっ

と黒い影が僕に近づいてきた。

「魚?………

 !!っ

 違う人だ!!」

そうまるで操り人形のように漂う人の姿が一人…また一人と、

海の底から湧いてくるようにして次々と姿を現した。

「なっなんだ?」

と目を凝らしてよく見て見たとき、僕の背筋が凍り付いた。

「これって、みんな…

 ココの犠…牲……………

 うわぁぁぁぁぁぁぁ…」

あまりにものの恐ろしさに、

一目散にそこから逃げ出した。

が、いくら泳いでも、全然前に進まない…

「うっ、潮に押し戻されている…」

一方で人影は徐々に近づいてくる。

「来るんじゃねぇ」

そう言って追い払うが、

そのとき、

ガシッ

と何かが僕の身体にしがみついた。

「いっ…………」

恐る恐る視線を下に持っていくと、

一人の老女が僕の足にしがみついていた。

「だぁぁぁぁぁぁぁぁ

 離せっ離せっ」

思いっきり足をばたちかせて振り切ろうとしたが、

老女はこの世の者とは思えない力でギリギリと締め付けてきた。

「神泉達に抱きついたのはこいつか……」

なおも振り解こうとしたが老女はビクともしなかった。

「くっ、息が……」

苦しさが徐々に増してくる。

「早く海面に出なきゃ…」

気持ちに焦りが出てきた。

しかし、老女にしがみつかれている身体は重く

思うように泳ぐことが出来なかった。


「もぅダメぇ…

 父さん・母さん・香奈…乙姫様…」

走馬燈のように思い出が駆けめぐる…が

「乙姫様?」

そう彼女の姿を思い出したとき、重要なことを思い出した。

「あっ、忘れてた」

ガボッ

っと海の中で大きく深呼吸をしたとたん、

僕の頭から翠色の髪が吹きだすように伸び始めた。

グググググ

続いて身体が変わりはじめた。

胸に2つの膨らみが現れると、

徐々に女性の華奢な身体に変わっていく、

一方、足は徐々に鰭へと変化し、

魚の尾鰭のような尻尾が生えてきた。

「くぉのぅ〜っ」

生えた尾鰭で思いっきり老女を押し下げる。

「離せぇ〜っ」

やがて足が完全に腰鰭になったとき、

ズルッ

掴み所を失った老女の手から僕の身体は解放された。

さっ、

素早く泳いで間合いを取ると、

ぜぇぜぇぜぇ

「忘れてた……

 人魚が溺れる。
 
 なんてことはないんだよな」

しかし、一度は離れた老女が

再び僕に向かって音もなく近寄ってくる。


「うおぉぉぉぉ」

迫ってきた老女に、

「このっ、おとなしく成仏しろっ」

そう言うと、僕は開いた右手の掌に光の玉を作ると、

思いっきり老女めがけて放った。

ズドォン!!

光の玉の直撃を受けた老女の身体は、

まるで豆腐を崩すように呆気なく粉々に砕け散った。

「おっしゃ」

ガッツポーズをするが、

しかし、様子を見ていた他の連中がこれを機会に、

一斉に僕を目がけて飛びついてきた。

「うおりゃぁ」

次々と押し寄せてくる水死者達を避けながら巧みに泳ぎ回り、

そして、次々と光の玉を打ち込んでいった。

炸裂する光と、もろく崩れていく遭難者の身体。

「お前が最後だ」

最後の一体を葬り去ってホッとしたのもつかの間。

「うぉぉぉん」

と言う声と共に砕け散った身体が一点に集まり始めた。

「おいおい、これって」

ググググググ

一つの塊になっていく、

「うおぉぉぉぉぉぉん」

泣き声ともうなり声とも取れる声を発しながら、

それがムクムクと成長をすると、

やがてそれは巨大な髑髏の化け物となって僕の目の前に姿を現した…


「ひっぃぃぃぃ」

思わず、”竜牙の剣”を構えた。

シュン

翠色の刀身が現れる。

「近づくなよ…、

 近づいたら叩き切るぞ…」

が髑髏は徐々に近づいてくる。

「くっ来るなぁ〜っ」

思いっきり振りかぶったとき、


「お待ちなさい」

女性の声が聞こえた。


「え?、この声って…乙姫様?」

慌てて左右を見るが、乙姫さまの姿は見えなかった。


「櫂っ、そのもの達を力で散らしてはなりません」

僕の行動を抑止する声に、

「え?、なぜです?」

と聞き返した。

「そのもの達は不幸にも水によって命を奪われ、

 その魂を水に縛り付けられている者達です。
 
 櫂、あなたは水の精霊の血を引く者
 
 その者達を水の呪縛から解き放つ力を持っています」

と言った。

「どうすれば、

 あいつらを呪縛から解き放つ事が出来るんですか?」

と訊ねると、

「歌を…」

「え?」

「我々人魚の歌を歌って上げなさい。

 そうすれば、魂は浄化され、あのもの達は旅立っていけます。」

「歌っていっても…人魚の歌ってまだしらないぞ」

「大丈夫ですよ、櫂っ、あなたは既に知っていますよ」

「潮の声を聞きなさい」

乙姫さまからの声はそれを最後に途絶えた。


「潮の声か…」

僕はすっと目を瞑ると潮の声をじっくりと聞き始めた。

・・・・・・

・・・♪・・

・・♪・♪・

♪・♪・♪・

♪♪・♪♪・!

「これか?」

そっと口を開き、そして、潮の声に合わせて歌を歌い始める。

♪・♪・♪・♪

うぉぉぉぉぉぉぉ…

突然目の前の髑髏が泣き叫びだした。

・♪・♪・♪♪

…ぉぉぉぉぉぉ

「僕の歌を聴いて泣いているのか?」

♪♪♪♪♪♪♪


ポウ

髑髏が微かに光り出すと、

それが見る見る全体を覆い砂粒のような

小さな光が海面へと昇り始めた。

サラサラサラ

光は徐々に増え、大きな流れとなって海面へと昇っていく。

そして、髑髏の形が徐々に崩れはじめた。

「ヤツの形が崩れていく

 水の呪縛から解き放たれているのか」

♪♪♪♪♪♪♪

僕は歌を声を大にして歌い続けた。


ぉぉぉぉぉぉ…………

髑髏は徐々に小さくそして細かく砕け散っていった。

「逝ったのか…」

歌うのを止めて海面を見上げていると、

ふと目の前に一人の人影が立った。

「!!」

みると、さっきの老女が立っていた。

老女はしばし僕を眺めたあと、

「ありがとうございました。」

と言って頭を下げ、光の玉となり昇っていった。



パァァァァァ

海岸では巫女装束の一人の少女が天へと昇る魂の筋を眺めていた。

巫女神沙夜…それが少女の名前である。

「ふふん、散らせずに還えしたか。

 それでは、最後の仕上げは俺がやろう」

そう言うと彼女は懐から扇を取り出した。

「どさくさ紛れに逃げようとしても見逃さないぞ」

バッ

扇を開くと少女はすっと構えた。

静かに目を閉じ、精神を静めると、

フォン

扇からオーラが立ち上り始めた。

やがて立ち上る魂の筋から少し離れたところを見据えると、

「海魔……散るのはお前だ」

そう呟き、


「翠玉波っ」


叫び声と共に扇をひと仰ぎした瞬間。

シュゴーン

翠色をしたオーラの津波が起き、目標へと突き進んでいった。


ドン

身の回りから水をはぎ取られた海魔が最後に見たものは、

津波のように迫り来る光の帯………


「水を使って人を殺めた上に、

 その魂達を影で弄ぶとはいい根性してるな

 これはその報い、しっかりと受け取れよ」

オーラの津波に飲み込まれ砕け散っていく海魔の姿を見ながら、

沙夜がそう言い放つと再び魂の帯を見つめた。


「それにしても、

 人魚の歌で浄化してしまうとはなぁ……

 ”竜の騎士”、少しは頼りになるかな?」

沙夜はそう言うと、魂の帯に静かに手を合わせた。



「そうか……

 苦しさから逃れたくて…
 
 それで縋っていたのか」

光の玉となった老女を目で追いながらそう呟いたとき、


パッ

っと光が射し込むと

ゴゴゴゴゴ

大音響が海の中を揺らした。

「なんだ?」

見上げた僕の目には巨大な翠色の光の帯が映った。

「なんだあれは……」

呆気にとられていると


サワッ

潮の流れが頬をなでる。

長い間止まっていた潮が動き出したようだ。

流れ始めた潮は徐々に澱んでいた海の中を浄化しはじめた。

「さて、戻るか」

ふわり

正常化しつつある海の中を、

大きく弧を描きながら、

僕は陸へを向かって行った。



おわり


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