風祭文庫・人魚の館






「翠色人魚」
(第4話:竜玉)



作・風祭玲


Vol.064





パシャッ

海面に僕と母さんが顔を出すと外は星空になっていた。

「なぁんだ、また夜か…」

僕がそう言うと、

「まぁ…この方が好都合だけどね」

母さんはそう言うと香奈と落ち合う事になっている岩場へと向かった。

岩場に近づくと一人の人影が立っていた。

「お母さん、お兄ちゃんこっち」

そう言って手にした明かりを円を描くように回すのを見ると、

「よっ」

っと近くの岩場をよじ登り、

そこで体を人魚から人間へと切り替えた。

無くなっていく胸、太くなっていく腕

人間へ…そして男へと戻っていく身体…

「ふぅ…」

完全に変化し終わったころ、バ

サっと上からタオルがかけられた。

「ご苦労様」

そう言う香奈に、

「サンキュー」

と返事をすると濡れている体をタオルで拭き、そして着替えた。

「うぅ寒っ」

春とはいえ、まだ夜風に冷たさが残る今は人間に戻ると寒さが応える。

「陸に上がると身体が冷えるからね、

 さっ早く家に帰りましょう」

母さんはそう言うと僕と香奈と共に家路についた。

その途中、

「ねぇ、お兄ちゃん竜宮どうだった?」

香奈が尋ねてきた。

「うん、そうだなぁ…

 まぁスゴイ所だったよ」

と感想を言うと

「あっ、そうだ、これ」

そう言って、

ずぶ濡れのリュックからビデオカメラを取り出すと。

「むこうの様子を撮って来たから、あとで見るといいよ」

と言って香奈に渡した。

「わぁぁ…

 ちゃんと約束を守ってくれたんだ」

香奈が喜ぶのを見ながら、

「まぁ、それくらいは当然だよ」

と言うと、

「ありがとう、お兄ちゃん」

と言って香奈が俺に抱きついた。

家につくと、

「疲れたから寝るわ」

そう言って自分の部屋に入ると

机の上に”竜玉”と”竜牙の剣”の柄を置き、

そしてそれらをマジマジと眺めた。

「はぁ、たったひと月の間なのに、

 俺の運命って無茶苦茶変わったなぁ…」

っとひと月の間に起きたことを思い返した。

そう、すべてはあの日から始まったんだっけ………




ドガッ

鈍い音を立てて蹴られたボールが鋭く飛ぶ

「水城っ、行ったぞ」

「おぅ任せておけ」

僕は自分めがけて飛んできたボールを

身体で受け止めると思いっきり蹴った。

シューン

ボールは一直線に飛んでいくと、

キーパーの手をはじいて見事ゴールに収まった。

「おっしゃぁ」



「よぅ、絶好調だな」

勝った試合の後は気持ちいい、

更衣室での会話も思わず弾んでしまう。

「……まぁな」

ちょっと間を置いた返事をすると。

「おいっ、水城っ

 なんだ?今の間は…

 間があるということは、
 
 何か問題があるのか?」

と西脇先輩が尋ねてきた。

「いっいえ、別に何ともありませんよ」

そう言いながら僕が上着を脱ぐと、

「おっお前…なに?その胸?」

と他のメンバーが僕の胸を指さして言った。

「え?

 あぁ、これ?

 うん、なんだか知らないけど
 
 最近膨らんできたんだよなぁ…

 太ったのかな?」

と言って、男にしては膨らんでる胸をさして言うと、


「どれ」

坂本の背後から声がしたとたん、

突然2本の腕がにゅっと飛び出すと、

ムニュッと僕の胸を鷲掴みにした。

「うわぁぁぁぁ」

脇を思いっきり締めて、奴の手を払いのけると、

「いきなりなにをする」

と叫び声を上げたが、

坂本は手の残った僕の胸の感触を確かめるように、

「う〜ん、Aカップのちょっと手前ってとこかな」

などと妙に納得をしていた。

そして、僕の顔を見ると

「水城…」

「なんだよ」

そう言った後、坂本はポンと僕の方を叩くと

「きみには苦労を掛けたね

 後は僕がしっかりと引き継いであげるから

 無理しないで明日からセーラー服を着てきなさい。

 あっ、体育の時にはブルマを履くのを忘れないでね……」

と言った直後、

パッカーン!!!

更衣室に響きのいい音がこだました。

「ってぇ…」

「ぬわにぃがセーラー服じゃ」

「駄目よ、女の子がそんな乱暴なセリフを言っちゃぁ」

「俺は、男だ」

「また、無理をしちゃって」

「そうそう、膨らみかけはいたわってあげなきゃぁダメよ」

「おめぇら……いい加減にしろっ」

僕の声が更衣室に響いた。



「全く、人の気も知らないで」

更衣室での一悶着に腹をたてながら歩いていたが、

でも、確かに最近身体の様子がちょっと変だ。

このように胸が膨らんできたり、

また体中が妙にむず痒くて仕方がない。

そして何よりも判らないのが、

今日はばれなかったけど

お尻の所に出てきた奇妙な膨らみ…


少し前あたりから、尾てい骨のあたりが膨らみ始め

尻尾とは行かないけど、でも、確実に座りづらくなってきている。

なんだか自分の身体が別のモノへと変わりつつあるみたいで、

怖い感じがしていた。



「どぅ?、香奈」

「だめ、まだ何も感じないわ」

ふぅっと妹の香奈が息を抜くとそう答えた。

「変ねぇ…」

「母さんがお前の頃にはとっくに目覚めていたのに」

「うん…」

「一度、”潮見の婆様”に診てもらおうかしら…」

「ごめんなさい」

「香奈、あなたが謝ることではないわ」

「でも…」

「ハイハイ、今日はこれでおしまい」

「もぅしばらく待ちましょう」

そう言ってテーブルの上に置いてある玉を仕舞うとしたとき、

ピッキーン

これまで何の反応を見せなかった玉の表面に波紋が浮きだした。

「え?」

「まさか」

綾乃はあわてて香奈の側に”玉”を持っていったが、

玉は香奈ではなく別のものに反応している様だった。

「なんで?」

そして、彼女たちが不思議に思っているとき

「ただいまぁ」

と言う声と共に僕が帰ってきた。

「お帰りなさい」

「どうしたの」

リビングのテーブルで顔をつきあわせている母さんと香奈を見て僕が訊ねると、

「ううん」

「何でもない」

「お兄ちゃんどうだったの試合は」

と香奈が試合の結果を聞いてきた。

「ははは、楽勝楽勝」

そう言いながら僕は自分の部屋に上がっていった。

バタン

部屋のドアを閉めたとたん、

「ぐぅぅぅぅ…もぅ駄目」

とその場に崩れ落ちるように僕は倒れ込んだ。

身体に異変が起きてから、

2・3日に一度このような脱力感に見回れるのだが、

今日の感じは何時にも増して強烈なものだった。

「くそぉ…なんだ…

 全然、身体に力がはいらねぇ…」

僕はまるで浜に打ち上げられた魚のように、

床の上にゴロンと寝っ転がっていた。



「櫂っ、ご飯どうする?」

階下から母さんの声がした。

「あぁ」

少し寝たせいかさっきよりかは幾分力が戻ってきたので

ふらふら

と立ち上がると、テーブルについた。

「どうしたの?お兄ちゃん」

香奈が心配そうな顔をする。

「う〜〜ん

 風邪でも引いたかなぁ」

「風邪?」

「あぁ、かもしれない」

「あれ、お兄ちゃん?」

「どうした」

香奈は手を伸ばして僕の髪をいじると、

プチ

っと一本の髪の毛を抜いた。

「ん?」

「ほら」

と言って見せた香奈の掌には、鮮やかな翠色をした髪の毛があった。

「あぁ、またこれか…」

僕が言うと、

「香奈っ、ちょっとそれ、母さんに貸して」

母さんが驚いた顔をして香奈から抜いた髪を受け取ると、

それをじっと眺めた。

「櫂、あなた、いつぐらいからこれが?」

「えっ、髪は2週間ぐらい前からかなぁ」

「”髪は”って、他にも何かあるの?」

と聞いてきたので、

「うん?………」

「う〜ん、実は最近身体の様子がおかしいんだ」

「え?」

母さんと香奈が顔を見合わせた。

「なんだろうななぁ、この感覚…

 何かこう、
 
 別のものになっていくような
 
 そんな感じがするんだよ」

と言うと、

「櫂っ、ちょっとこっちに来なさい」

突如母さんが立ち上がると、

僕の手を引き居間の方に連れていった。

そして、着ているものを脱がせようとしたとき、

キーーーン

母さんのポケットに入れていた玉が激しく反応を始めた。

「まさか…」

母さんが僕を見つめたその時、


「うぐぐぐぐぐ…

 くっ苦しい」

突然おそってきた苦しさにその場に倒れた。

「お兄ちゃんっ」

駆け寄ろうとした香奈を母さんが制止した。


ふぁさっ

吹きだすように伸び始めた翠色の髪が視界を覆う

グググググ

目立たなかった胸が大きく膨らみはじめ、

腕は細く、肩は小さく変わり、

僕の上半身は女性の身体へと変化していった。


そして、下半身はズルズルと両足がズボンの中に潜り込むと、

尻の膨らみがまるで尻尾のように伸び始めた、

やがて、はち切れんばかりになったズボンを引き裂くようにして、

それが表に出てくると、

鰭のようになった両足を飲み込みながら大きく成長していった。

もはや、尻尾とは言い切れないくらい大きく成長すると、

尻尾の先にニュッと大きな鰭が生え、

さらに、紅色の鱗がびっしりと生えそろうと

僕の下半身はまるで魚の尾鰭と化した。


「櫂、あなた…」

そう、母さんと香奈の目の前で僕は翠色の髪を持つ人魚へと変身した。


しかし、人魚になっても苦しさからは解放されず、

それどころかさらに酷くなっていった。

「苦しいぃ〜」

喉をかきむしるようにして苦しみ、

さらに、体中から泡が吹きだし始めた様子を見て母さんは

「いけないっ」

と声を上げると、僕の身体を抱きかかえて庭に出ると、

そのまま庭の隅にある池にザブンと沈めた。そして

「櫂っ、構わないからそこで思いっきり息を吸いなさい」

と命令した。

むぐぐぐぐ

がぼっ

苦しさに耐えかねて思いっきり水を吸い込むと、

不思議にも身体が楽になってきた。

そのまま僕は池の底に沈み、動かなくなった。

さらに母さんは、丸い玉のような者を池に投げ込んだ。

それは、ゆっくりと沈んで僕の身体の上に落ちると、

ムクムクと大きくなり、やがて

パーーン

と弾けると、中からクラゲのような姿をした粘菌が姿を現し

ぬぉぉぉぉ

っと僕の身体を包み込み始めた。



「お兄ちゃん」

心配そうに覗き込む香奈に、

「とりあえず大丈夫よ

 いま放したのは海の中で病気になったりケガをしたときに

 体を治してくれる精霊だから…」

と言って宥めた。

「それにしても困ったわ」

「え?」

「まさか、男の櫂に人魚の能力が目覚めるなんて」

「どうなるの?」

「判らない」

「ただでさえも人魚の能力が目覚めるときには

 前もってちゃんと準備をして置かなくてはならないのに、
 
 櫂の場合、それがいきなり…
 
 しかも、男で…となると、
 
 悪い予感がするわ」

そういうと母さんは動かない僕の様子を眺めた。

しばらくして

「香奈、母さん、ちょっと竜宮へ行ってきます」

「え?」

「とにかく、このことを乙姫様に相談してみます。

 戻ってくるまでの間、櫂のこと頼むわよ」

そう言うと、母さんは竜宮へと出発していった。


一方で僕は香奈が心配そうに覗き込むなか池の中で眠りについていた。



どれくらい、経っただろうか、

『…櫂…』

遠くから僕の名前を呼び声がした。

『…櫂…』

『聞こえますか?』

「誰?」

僕は相手に尋ねたが、

『今は名乗れません』

と言う答えが返ってきた。

「ん?」

『でも、すぐ会うことになります』

「そう…

 で、何の用?」

『貴方にお願いがあります』

「お願い?」

『もぅすぐ貴方の力を借りる時が来ます。

 そのときは貸していただけますか?』

「僕の力を?

 なんで?」

『それは…今はいえません』

「なんだ?」

『けど、貸してくれると約束してくれませんか?』

「うん、なんだかよくわからないけど、いいよ」

と言うと

『ありがとうございます。』

妙に安心したような声が聞こえてきた。そして


『そうそう、貴方の身体』

「あぁ、なんか変なことになっているな」

『えぇ、実は貴方には海の精霊の血が流れているんです』

「海の精霊?」

『はい、陸の人達は”人魚”と言っていますが』

「人魚?俺って人魚だったのか」

『はい』

「知らなかったなぁ」

『本来なら貴方は人魚になることなく生涯を送るはずだったのですが

 貴方には特別な力を感じたので、私があえて呼び起こしました』

「特別な力?

 僕にそんなのがあるのか」

『はい」

「でも、人魚のままではここでは暮らせないぞ」

『それは大丈夫です。

 今から貴方の元へ”竜玉”を送ります』

「竜玉?」

『はい、竜玉は人魚が生きていくための糧となる大切なもの

 それを用いれば、貴方は人魚と人とを自由に往き来することが出来ます』

「そうなのか?」

『それでは、また会う日まで』

「あっちょっと…」


うっすらと目を開けると

僕の左手にはいつの間にか小さな玉が握りしめられていた。

「これが”竜玉”?」

僕はそれを握りしめると、

「元の身体に戻れ!!」

と念じた。

すると、

ぐぐぐぐぐ

再び身体が変わり始めた。

尾鰭が小さくなり、足が生え

人魚から人間の男へと僕の身体は元の姿へと戻っていった。


ざばっ

「ふぅ」

池の中から這い出ると、外は丁度朝を迎えているところだった。

「はぁ、なんだかなぁ」

朝日を見ながら、手にした”竜玉”を眺めた。



「ただいま」

母さんが竜宮から帰ってくると、

「お母さん、大変!!」

血相を変えた香奈が飛び出してきた。

「どうしたの?」

「お兄ちゃん居なくなってる!!」

「なんですってぇ」

母さんと香奈が、僕が居なくなった池を見て騒いでいると


「どうしたの?」

と僕が母さんに声をかけた。

「どうしたのって………

 櫂……あなた……」

引きつった母さんの顔が急に綻ぶと、

「良かったぁ」

と言って抱きついてきた。

「え?

 なに?」

僕は今ひとつ要領が掴めなかったが、

そばで泣いている香奈の頭を

ポン

と叩くと


「心配かけちゃってごめん。

 面倒なことはとりあえず解決したから」

そう言って、手にした”竜玉”を母さんと香奈に見せると、

「無茶疲れたんで、寝るわ

 学校は休むって言っといて」

と言うと

ふわぁぁぁ〜

あくびをしながら僕は自分の部屋に戻っていった。


「全く、心配かけちゃって…」

あきれた顔で母さんは僕の姿を見送った。

「でも、良かった」

っと香奈はほっとした表情で呟く。


布団にもぐると、手にした”竜玉”を眺めながら

「う〜ん…

 僕が人魚だったとはねぇ…」

と思っていると、

キーン

竜玉が微かに光った。



おわり


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