ちょっとしたコラム      
               
03.6.21付


2年目斉藤明(大洋)、大車輪のリーグ10勝1番乗り

 1978年、入団2年目の斉藤明雄(大洋)は開幕から大車輪の活躍を見せた。ドラフト1位で大阪商業大から大洋に入団した斉藤は、前年に8勝を挙げて新人王に輝き、自信を付けて2年目のシーズンに臨んでいた。大洋のエースと言えば平松政次が長年その座についていたが、世代交代の時が訪れようとしていた。斉藤は期待通りのピッチングを見せ、風格さえ漂わせてマウンドに君臨した。

 この年の初登板は苦かった。開幕カードの中日戦で、2日目のダブルヘッダー第1試合にリリーフ登板して井上弘昭にサヨナラ本塁打を打たれたのだ。しかし斎藤はすぐ気持ちを切り替えた。期待の2年目を迎えながら開幕カードの先発から外れたのには理由があったのだ。この年から大洋ホエールズは長年慣れ親しんだ川崎球場から横浜スタジアムに本拠地を移していた。

 前年最下位の大洋では開幕権を得られるはずもなく、新球場でのホームゲーム第1戦は開幕2カード目となる4月4日の巨人戦だったのである。4月1日・2日の中日戦に先発で起用しては横浜スタジアムこけらおとしの4日には先発出来ない。歴史的な新ホーム球場での開幕試合、新生・横浜大洋ホエールズにとってどうしても勝ちたいこの試合の先発投手に選ばれたのが斉藤明雄だったのだ。

 ベテランの平松を差し置いての斉藤指名。その理由として、斉藤は前年8勝のうち半分の4勝を巨人から挙げているという巨人キラーぶりがあった。その中でも巨人の王貞治が755号に王手を掛けていた8月30日の後楽園での試合では周囲がほとんど王に大声援を送る中、5安打完封を飾っている。重圧をものともしない、ふてぶてしい程の度胸がルーキー時代から斉藤には備わっていた。

 そして横浜スタジアム開幕戦の日がやって来た。斉藤は初回に1点を失ったが、3回には三者三振を奪うなど立ち直りを見せた。終わってみればこの失点だけで6安打完投勝ち。4-1で勝った大洋は記念すべき試合を飾り、斉藤は見事に大役を果たしたのであった。

<78年4月4日大洋-巨人1回戦>
巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0   1
大洋 0 0 1 1 2 0 0 0   4

 続く阪神戦ではプロ入り初セーブを含め、連続セーブを記録。中2日で12日の巨人戦に先発したが、今度は5回4失点で途中降板した。
 16日の広島戦では11安打を浴びたが要所を締めて2失点完投勝利。続く21日の中日戦でも同じく2失点で完投勝ちした。前年の8勝が巨人戦4勝、ヤクルト戦3勝、阪神戦1勝と偏っていた斉藤だったが、これでセ・リーグの他の5球団全てから勝利を挙げた。
 4月後半は先発した2試合で共に敗戦投手となったが、5月に入って阪神戦に3連勝。24日の巨人戦では3回2/3のロングリリーフで4連勝となる7勝目を飾った。

 翌25日も先発のルーキー・門田が7回無死で張本、シピンに連続本塁打され1点差に迫られると連投のマウンドに上がった。斉藤は落ち着き払った投球で巨人の打者9人を完璧に封じた。見事なパーフェクトリリーフで3つ目のセーブを挙げ、門田にプロ入り初勝利のウイニングボールをプレゼントした。
 チームも近年になく好調で、この時点で25勝15敗の貯金10。2位の巨人に1.5ゲーム差を付ける堂々の首位であった。

 そんな斉藤も5月30・31日の巨人戦では連日の敗戦投手となる痛い思いも味わった。30日の試合は6-6の同点で迎えた8回裏からマウンドに上がったが、柳田に勝ち越し三塁打を喫した。翌31日は雪辱を期して先発マウンドに上がったが、張本に本塁打を浴びるなど6回までに11安打6失点と打ち込まれて連夜の黒星を喫した。

 6月に入ってからはリリーフ中心となり、6試合連続の救援登板。10日の巨人戦では2回2/3を抑えて、お返しの8勝目を挙げた。14日の中日戦は2-2の同点で登板し、4回2/3のロングリリーフもマーチンに決勝本塁打を浴びた。
 しかし、やられたらやり返すのが斉藤の真骨頂。20日の中日戦で約3週間ぶりに先発すると、自己最多の11奪三振で見事に完投勝利を収めた。

 7月2日の巨人戦では6安打、自責点0の好投で7度目の完投勝利をマーク。見事にリーグ10勝1番乗りを果たした。チーム68試合目の到達だったが、ここまで実に27試合に登板していた。先発12、救援15で救援しながら最後まで投げ切らなかったのは6月27日の広島戦ただ1度と、首脳陣の絶大な信頼ぶりがわかる。

      勝敗 回数 安打 三振 四死 自責  
4月2日 中日6-7x 完了 ●1敗 1 1 1 0 1 井上にサヨナラ弾喫す
4月4日 巨人4-1 完投 ○1勝1敗 9 6 8 4 1 新球場第1戦飾る
4月8日 阪神5-2 完了 セーブ 2・1/3 1 0 0 0 プロ入り初セーブ
4月9日 阪神9-4 完了 セーブ 3・2/3 4 0 0 3  
4月12日 巨人4-4 先発   5 8 5 2 4  
4月16日 広島4-2 完投 ○2勝1敗 9 11 7 1 2 広島戦プロ初勝利
4月21日 中日7-2 完投 ○3勝1敗 9 9 6 1 2 中日戦プロ初勝利
4月26日 ヤクルト1-4 先発 ●3勝2敗 8 7 6 2 2  
4月30日 広島4-10 先発 ●3勝3敗 2 4 0 1 3  
5月4日 阪神4-3 完投 ○4勝3敗 9 9 7 0 3 無四球試合
5月9日 阪神7-4 先発 ○5勝3敗 8・1/3 9 7 5 4  
5月13日 ヤクルト7-7 完了   3・2/3 2 1 1 1  
5月14日 ヤクルト5-10 完了   1 6 2 1 5  
5月20日 阪神10-1 完投 ○6勝3敗 9 7 5 3 1  
5月24日 巨人9-7 完了 ○7勝3敗 3・2/3 2 4 2 3  
5月25日 巨人8-2 完了 セーブ 3 0 5 0 0 打者9人パーフェクト
5月30日 巨人6-8 完了 ●7勝4敗 1 2 0 1 2  
5月31日 巨人1-6 先発 ●7勝5敗 6 11 1 1 6  
6月4日 中日6-0 完了 セーブ 2 0 1 0 0  
6月6日 広島2-2 完了   2/3 1 1 0 0  
6月8日 広島5-6 完了 ●7勝6敗 1 2 0 0 0  
6月10日 巨人6-5 完了 ○8勝6敗 2・2/3 2 2 2 0  
6月11日 巨人3-5 完了   2 2 0 1 1  
6月14日 中日2-3 完了 ●8勝7敗 4・2/3 3 3 0 1 決勝本塁打喫す
6月20日 中日4-1 完投 ○9勝7敗 9 7 11 4 1 自己初の二桁奪三振
6月27日 広島6-9   ●9勝8敗 1・2/3 4 0 1 3  
7月2日 巨人4-1 完投 ○10勝8敗 9 6 5 2 0 10勝1番乗り

 この年の斉藤は最終的には16勝15敗4セーブ。負け数の多さが最後に響き、最多勝は1勝の差で同僚の野村に持って行かれたが、47試合に登板してリーグ最多の241イニングを投げ抜いた。47試合の内訳は先発26、救援21とまさに大車輪の活躍だった。

 82年から名前を明夫と改名した斉藤は本格的にリリーフへ転向、いきなり日本新の30セーブを挙げる。その後38歳まで現役を務め、88年には江夏豊、山本和行に次ぐ史上3人目の100勝100セーブを達成した。プロ17年間の通算成績は601試合で128勝125敗133セーブ、1321奪三振、防御率3.52であった。

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