高橋慶彦(広島)、日本新の33試合連続安打
1979年夏、高橋慶彦はプロ入り5年目を迎えていた。75年夏の甲子園には東京・城西高のエースとして出場した高橋は佐世保工業を相手に完封勝利をマークするほどの投手だったが、プロでは俊足・強肩を生かして内野手そしてスイッチヒッターに転向していた。
3年目の77年後半に一軍定着すると打率.292、14盗塁をマーク。翌78年には遊撃のレギュラーポジションを獲得し、いきなり打率.302で日本人スイッチヒッター初の3割打者となった。遊撃手としてベストナインにも選ばれ、その野球センスの高さを実証していた。
4年目を終わり通算打率は.2998と切り上げながら3割に達していた。走攻守揃った高橋は時代の寵児として、22歳ながら早くもスター選手の域に近付いていたのである。
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) | ||
75 | 広島 | 一軍出場なし | ||||||||||||
76 | 広島 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | − |
77 | 広島 | 58 | 130 | 23 | 38 | 6 | 2 | 0 | 48 | 6 | 14 | 9 | 33 | .292 |
78 | 広島 | 110 | 427 | 72 | 129 | 19 | 10 | 7 | 189 | 47 | 15 | 43 | 46 | .302(13位) |
計 | 173 | 557 | 95 | 167 | 25 | 12 | 7 | 237 | 53 | 29 | 52 | 79 | .300 |
歴史に残る連続試合安打は6月6日の中日戦でのセンター前ヒットから始まった。続く8日の阪神戦では3安打。12日の大洋戦では4打席目の二塁打で記録はつながった。その後は最終打席より前に必ずヒットを積み重ねて記録はじわじわと伸びていった。7月3日の阪神戦では4打席目までに本塁打・三塁打・単打を放ち、二塁打が出ればサイクルヒットというチャンスを迎えたが、第5打席は四球に終った。
7月10日からの巨人3連戦はヒット1本ずつだったが、いずれも長打で7日のヤクルト戦から通算して5試合連続長打となった。13日の阪神戦ではこの年22勝の小林を相手に3打数ノーヒットと苦戦したが、迎えた第5打席にしぶとくセンター前ヒットを放った。翌14日は第1打席の三塁打で波に乗り、6月23日以来となる猛打賞をマーク。
オールスターを挟み27日の大洋戦では2打席目にヒットを放ち、76年に張本勲の作った30試合連続安打のセ・リーグ記録に並んだ。翌28日は第1打席でヒットを放ちあっさりとセ・リーグ新記録の31試合連続安打を達成した。また、野口二郎(阪急)と並ぶ歴代2位タイ記録である。そして続く29日の大洋戦でまたも第1打席に二塁打を放ち32試合連続安打として、71年長池徳二(阪急)の日本記録についに並んだ。前日に続き猛打賞も記録して、プレッシャー知らずの勢いを見せつけた。
そしてついに日本記録のかかった試合を迎えた。7月31日、相手は巨人で場所はホームの広島市民球場。新記録にもってこいのシチュエーションの中、試合は始まった。1回裏先頭打者の高橋は巨人先発の左腕・新浦に対して右バッターボックスに歩を進めた。1球ボールの後の2球目を捉えレフト前に運ぶクリーンヒット。3試合連続の第1打席安打でいとも簡単に長池の記録を破って見せた。
しかし、その直後にアクシデントが高橋を襲った。2回表の守備で一塁走者の山本功と二塁ベース上で交錯し左足を痛めて退場を余儀なくされたのだ。第1打席でヒットを打っていなかったら・・・。このあたりに記録の織り成す微妙なあやが垣間見える。
1週間休んで8月8日の阪神戦で戦列に復帰した。しかし江本の前に三振2つを含む4打数ノーヒットに抑えられ、記録は33試合連続でストップした。不運な怪我がなければ、どうだったか。いつの時代も野球に「れぱ」「たら」は付き物である。
70年代にはこの高橋を含め4人の打者が30試合以上の連続安打を記録した。しかし、80年以降は同一シーズンで30試合連続安打を達成した打者は出ていない。
日付 | 成績 | 内容 | 日付 | 成績 | 内容 | |||
1 | 6/6中 | 2-1 | 四球・三振・安打 | 18 | 7/4洋 | 5-2 | 二ゴ・二ゴ・安打・三振・安打 | |
2 | 6/8神 | 4-3 | 安打・三振・安打・安打 | 19 | 7/5洋 | 5-1 | 安打・投ゴ・遊ゴ・中飛・投ゴ | |
3 | 6/9神 | 5-1 | 安打・一邪・二ゴ・遊ゴ・一ゴ | 20 | 7/7ヤ | 5-2 | 二ゴ・安打・三塁打・捕ゴ・三ゴ | |
4 | 6/10神 | 5-2 | 遊ゴ・三塁打・捕邪・遊ゴ・安打 | 21 | 7/8ヤ | 4-2 | 二塁打・二ゴ・二塁打・三振 | |
5 | 6/12洋 | 4-1 | 三振・投ゴ・右飛・二塁打 | 22 | 7/10巨 | 4-1 | 遊ゴ・三振・三塁打・左飛 | |
6 | 6/13洋 | 4-2 | 安打・安打・中飛・左飛 | 23 | 7/11巨 | 4-1 | 二ゴ・遊ゴ・二塁打・一ゴ・四球 | |
7 | 6/14洋 | 4-1 | 投ゴ・遊ゴ・安打・三振 | 24 | 7/12巨 | 4-1 | 二ゴ・三振・本塁打・遊ゴ | |
8 | 6/16巨 | 5-2 | 安打・遊飛・三振・安打・遊ゴ | 25 | 7/13神 | 4-1 | 一ゴ・左飛・四球・一ゴ・安打 | |
9 | 6/17巨 | 3-2 | 四球・遊直・安打・二塁打 | 26 | 7/14神 | 5-3 | 三塁打・三ゴ・安打・安打・三振 | |
10 | 6/18巨 | 4-1 | 安打・三振・投ゴ・三邪 | 27 | 7/15神 | 4-2 | 一ゴ・死球・安打・三ゴ・安打 | |
11 | 6/19ヤ | 5-2 | 三ゴ・安打・安打・二ゴ・遊飛 | 28 | 7/18中 | 5-2 | 遊ゴ・安打・遊ゴ・安打・二ゴ | |
12 | 6/20ヤ | 5-1 | 二ゴ・安打・三振・三振・投ゴ | 29 | 7/19中 | 5-1 | 遊飛・遊飛・安打・一ゴ・遊飛 | |
13 | 6/21ヤ | 5-1 | 投ゴ・二ゴ・投ゴ・二塁打・遊飛 | 30 | 7/27洋 | 5-2 | 遊飛・安打・中飛・安打・遊ゴ | |
14 | 6/23中 | 5-3 | 安打・安打・二ゴ・中飛・安打 | 31 | 7/28洋 | 4-3 | 安打・安打・死球・遊ゴ・安打 | |
15 | 6/24中 | 4-1 | 二ゴ・遊ゴ・二ゴ・安打・犠打 | 32 | 7/29洋 | 4-3 | 二塁打・安打・遊ゴ・安打 | |
16 | 7/1神 | 3-2 | 二飛・安打・安打・死球 | 33 | 7/31巨 | 1-1 | 安打 | |
17 | 7/3洋 | 4-3 | 本塁打・三ゴ・三塁打・安打 ・四球 |
8/8神 | 4-0 | 三振・三振・中飛・遊ゴ |
最終的にこの年の高橋は前年を上回る打率.304をマークして2年連続3割打者となった。ヒット数はリーグ3位の149本を数えた。また、55盗塁で初の盗塁王、7三塁打で2年連続リーグ最多三塁打を記録した。さらには2年連続ベストナイン受賞にチームは初の日本一とまさに順風満帆の1年であった。
その後の高橋は84年に27歳で1000本安打、88年には31歳で1500安打を達成して順調にヒット数を伸ばした。2000本安打はもちろん、2500本も狙える勢いだった。しかし、その後調子を崩して大きくペースダウン。90年にロッテ、91年には阪神に移籍して再起を図ったが打撃の調子は戻らなかった。快調にヒットを積み重ねた20代を思うと92年オフに35歳、通算1826安打で引退したのは何とも惜しまれる。
選手名(所属) | 記録 | 期間 | この間の成績 | |
1 | 高橋慶彦(広島) | 33試合 | 79.6.6〜7.31 | 139打数57安打 打率.410 |
2 | 長池徳二(阪急) | 32試合 | 71.5.28〜7.6 | 125打数53安打 打率.424 |
3 | 野口二郎(阪急) | 31試合 | 46.8.29〜10.26 | 131打数48安打 打率.366 |
4 | 張本勲(巨人) | 30試合 | 76.5.13〜6.20 | 123打数51安打 打率.415 |
4 | 福本豊(阪急) | 30試合 | 77.5.18〜7.10 | 124打数47安打 打率.379 |