ちょっとしたコラム      
               
06.3.25付


1975年 阪急ブレーブスVS広島カープ(前編)

 1975年の日本シリーズは阪急と広島という初めての顔合わせとなった。それもその筈、広島はこの年に球団創立26年目の初優勝を成し遂げての初の日本シリーズであった。広島はこの年、外国人のルーツ監督を起用しチームカラーも燃える赤、闘魂の赤に変えて長年の負け犬根性の払拭に取り組んでいた。当のルーツ監督は試合中の判定を巡るトラブルから開幕早々に退陣したが、その精神は内部昇格で急遽監督となった古葉竹識がしっかりと引き継いでいた。それまで25年間でAクラス1回、前年まで3年連続最下位というチームが見事にペナントレース優勝を果たしたのである。

 それまで経験を積んできた衣笠祥雄、山本浩二、水谷実雄、三村敏之、水沼四郎ら同年代の選手が中心となりチームを支えた。特に7年目の山本浩は.319で首位打者となりチームの顔として大きな飛躍を遂げた。新外国人のホプキンスもリーグ3位の33本塁打と活躍。移籍1年目の大下剛史も44盗塁で盗塁王になり、チームに活力を注入した。投手陣ではエース外木場義郎が20勝、2年目の池谷公二郎が18勝、5年目の佐伯和司も15勝と軸となる3人だけで53勝を稼ぎ出した。チーム防御率は2.96で、球団史上初めてリーグ1位の防御率となった。

 一方の阪急は上田利治が指揮を執って2年目。前年はプレーオフでロッテにストレート負けと苦杯をなめたが、この年はそのプレーオフで近鉄を破っての日本シリーズ出場だった。加藤秀司が32本塁打、長池徳二が25本塁打、マルカーノが23本塁打、福本豊は6年連続盗塁王。さらに大熊忠義、大橋穣、中沢伸二、ウィリアムスとバランスのとれたメンバーが揃っていた。投手陣でも突出した成績の投手はいなかったが、山田久志と山口高志が12勝、足立光宏と戸田善紀、竹村一義がそれぞれ11勝と5人の10勝投手を輩出していた。

 後に名監督と謳われる上田利治38歳、古葉竹識39歳。若き知将2人が初めて日本シリーズの舞台に踏み出そうとしていた。

両チーム主力選手の成績
阪急     広島  
加藤秀司 32本塁打 92打点 打率.309   山本浩二 30本塁打 84打点 打率.319 24盗塁
長池徳二 25本塁打 58打点 打率.270   衣笠祥雄 21本塁打 71打点 打率.276 18盗塁
マルカーノ 23本塁打 71打点 打率.298   ホプキンス 33本塁打 92打点 打率.256
福本豊 10本塁打 51打点 打率.259 63盗塁   シェーン 13本塁打 56打点 打率.281
ウィリアムス 15本塁打 47打点 打率.238 32盗塁   大下剛史 3本塁打 19打点 打率.270 44盗塁
大熊忠義 6本塁打 40打点 打率.261   三村敏之 10本塁打 42打点 打率.281
中沢伸二 6本塁打 27打点 打率.247   水谷実雄 13本塁打 37打点 打率.285
大橋穣 7本塁打 24打点 打率.229   水沼四郎 1本塁打 19打点 打率.208
         
山田久志 12勝10敗2S 防御率4.32 114奪三振   外木場義郎 20勝13敗 防御率2.85 193奪三振
山口高志 12勝13敗1S 防御率2.93 149奪三振   池谷公二郎 18勝11敗1S 防御率3.32 131奪三振
足立光宏 11勝10敗 防御率2.72 66奪三振   佐伯和司 15勝10敗 防御率2.90 127奪三振
戸田善紀 11勝5敗 防御率3.17 57奪三振   宮本幸信 10勝2敗10S 防御率1.70 74奪三振
竹村一義 11勝6敗 防御率3.48 45奪三振   金城基泰 1勝4S 防御率2.67 24奪三振

 10月25日の第1戦、阪急はこの年11勝のベテラン足立、広島は順当にエース外木場を先発に送った。広島は足立の立ち上がりを捉え、ヒットの大下がすかさず二盗し3番・ホプキンスのタイムリーで生還して先取点。しかし外木場も緊張からかいつもの球威がない。その裏、要注意の福本を打ち取ったがシーズン6本塁打の2番・大熊に同点本塁打を喫する。さらに二死後、内野安打の長池を置いて5番のマルカーノにも勝ち越し本塁打されて3失点、逆に広島は2点を追う展開となった。

 2回以降ゼロの続いた広島だったが5回に下位打線の連打でチャンスを作り、2番・三村の犠牲フライで1点を返す。外木場も2回からは立ち直り、2回から7回まではマルカーノの1安打に抑える危なげない投球を見せていた。そして8回、疲れの見えた足立から山本浩が同点三塁打を放ち、ついに3-3に追いついた。一死後、6番・シェーンに四球を与えて足立は降板。マウンドにはこの年の新人王・山口高志が上がった。一死1・3塁のビンチだっだか山口は動じず、代打の山本一そして水沼を三振に切って取った。

 外木場は9回裏四球二つを与えてピンチを招き金城にマウンドを譲った。金城は11回裏まで打者8人から3三振を含むパーフェクトリリーフを見せた。一方の山口も譲らず、3回2/3で6三振を奪い最後まで投げ切った。結局、試合は延長11回時間切れ引き分けとなり、試合時間4時間29分はこの時点でのシリーズ最長時間試合となった。

10月25日・第1戦(延長11回)
広島 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 0   3
阪急 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0   3

本塁打 大熊1号、マルカーノ1号


 翌26日の第2戦は阪急が山田、広島が佐伯の先発で始まった。阪急は初回に福本が四球で出塁。すぐに二盗を決めて二死後に4番・長池のタイムリーで先制した。1安打で1得点という、阪急得意の攻撃パターンでの先取点だった。
 山田はこの年チームトップの12勝は挙げていたが、防御率は4.32で規定投球回到達者24人中23位とエーすらしからぬ投球内容だった。しかし、この試合ではシーズンの不調がウソのような見事な投球を見せた。初回を三振2つを含む三者凡退に抑えると、3回に1安打を許したのみでスイスイとアウトを積み重ねていった。

 5回裏、阪急に好投の山田を援護する待望の追加点が入った。一死1・2塁から福本がタイムリー二塁打。なお続く2・3塁のチャンスに大熊が2点タイムリー。ここで広島の先発・佐伯は降板。阪急はさらに二死後、3番手の池谷からもマルカーノがタイムリーを放ってこの回4点を追加した。
 6回二死からようやく広島は代打・守岡の二塁打で得点圏に走者を送ったが、山田は続く大下をライトファウルフライに打ち取りピンチを脱した。

 結局山田は8回先頭のシェーンに本塁打を喫して完封は逃したが、散発3安打で悠々完投勝利を収めた。過去2度の日本シリーズでは王の逆転サヨナラ3ランなど苦い思いを味わった山田にとって、これがシリーズ7試合目で掴んだ初勝利だった。こうして75年の日本シリーズはまず阪急が先手を取った。

10月26日・第2戦
広島 0 0 0 0 0 0 0 1 0   1
阪急 1 0 0 0 4 0 0 0   5

勝ち 山田 1勝   負け 佐伯 1敗

本塁打 シェーン1号


 舞台を広島球場に移して28日に行われた第3戦は広島が金城、阪急が山口と1回戦でリリーフした2人が今度は先発で投げ合う事となった。前年20勝して最多勝になりながら交通事故でシーズン前半を棒に振った金城は、公式戦では2試合しか先発していない。復帰後はリリーバーとしての登板が多かっただけに意外な先発起用であった。

 案の定、初回から不安定な投球の金城は2回に5安打を浴びてたちまち3失点。3回にも8番・大橋のタイムリーでさらに1点を失い降板。広島は山口の荒れ球に5回まで3四球はあったもののノーヒット。6回先頭の2番・三村がようやく初安打。一死後、3番・山本浩が突破口となる1号2ランで2点を返す。7回にも山口の投球が単調になったところを攻めて一死2・3塁から三村の2点タイムリーで同点に追い付いた。

 金城から渡辺弘、池谷、宮本と継投で阪急の追加点を阻んできた広島だったが、その4番手・宮本が3イニング目に入った9回に力尽きた。無難に二死を取ったものの、代打の切り札・高井にセンター前ヒットを許す。ここで宮本は踏ん張りきれず7番・中沢、8番・大橋の下位打線に連続ホームランを浴びてしまったのだ。その裏、山口は先頭打者を四球で歩かせたが併殺で切り抜け157球を投げ抜いて完投勝ちした。
 2投手でまかなっての2連勝で阪急は投手回転がぐっと楽になった。一方の広島にとっては絶対に落とせない第4戦となったのである。

10月28日・第3戦
阪急 0 3 1 0 0 0 0 0 3   7
広島 0 0 0 0 0 2 2 0 0   4

勝ち 山口 1勝   負け 宮本 1敗

本塁打 山本浩1号、中沢1号、大橋1号

(後編に続く)

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