ちょっとしたコラム      
               
04.4.17付


清原(西武)、ルーキー4番打者

 1986年、PL学園で猛打を振るった高校球界ナンバーワンスラッガー・清原和博が西武ライオンズに入団した。何しろ甲子園では5大会連続で合計13本塁打を放っている。それまでの記録が香川伸行(浪商−南海)の5本であるから、清原の強打ぶりがわかる。3年夏には大会5本塁打、2試合連続2ホーマーという前人未到の記録も残している。就任1年目の森監督もこの大物新人の扱いには気を遣った。

 清原のポジションは一塁。85年の西武の一塁はその年限りで退団したスティーブが123試合を守っていた。従って空いていたわけではあるが、森監督は指名打者での起用が主体となっていた左打ちの片平晋作と競わせる形を取った。オープン戦での清原は1本もホームランを打てず打率も.220とプロの壁にぶち当たった格好となっていた。当然の如く開幕戦の一塁は片平が守り清原はベンチを温めた。

 翌日の2回戦。0−4とリードされた6回から一塁守備に付いて初出場を果たす。7回裏にプロ初打席が回って来たが四球。そして9回裏、ツーアウトランナーなしで2打席目が回った。完投勝利目前の南海・藤本修から清原は左中間スタンドに1号本塁打を叩き込んだ。飛び上がってベース1周した清原だったが、後で先輩から「負け試合なのにはしゃぐな」と注意を受けたという。

 初安打翌日の6日の試合にも2打数2安打した清原だったが、そこからノーヒットが続いていく。8日の日本ハム戦で初めて先発したものの2打数2三振で途中交代。以後20打席ノーヒットと苦しんだが27日の南海戦で2安打を放つと、翌日は25日ぶりの2号ソロと復活の手ごたえを掴んだ。
 5月10日のロッテ戦では初の1試合2ホーマー、そして初の猛打賞となる4安打を放ち打率も3割台に乗せた。15日の南海戦では2度目の4安打。22日の阪急戦では250勝投手の山田から5号ソロ。27日の近鉄戦ではついに5番打者に起用された。結局5月は月間打率.324と良く打って、通算打率も丁度.300となっていた。

 しかし6月に入るとまたもスランプに見舞われた。ひと通りの対戦が終わって、相手チームの攻めが厳しくなったせいもあり、ヒットが1本出ても2本目が出ない。6月21日の阪急戦で2安打したが、これれが実に20試合ぶりの1試合2安打だった。ホームランも6月13日の8号を最後に途絶えた。
 7月に入っても不調は続き、4日の日本ハム戦では45試合ぶりにスタメンから外れた。13日の近鉄戦で1ヶ月ぶりの本塁打となる1試合2ホーマーを放ち、高卒ルーキーでは27年ぶり5人目となる二桁本塁打を達成した。翌日も打って初の2試合連続本塁打を記録するが、結局7月は打率.188と月別では最低の成績に終った。

 そんな中、オールスターにもファン投票1位で選ばれた清原は大洋のエース・遠藤から大ホームランを放ってファンの度肝を抜いた。高卒ルーキーがオールスターで本塁打を放ったのは史上初の快挙であった。
 後半戦が始まり、8月に入るとようやく復調の兆しが見えて来た。大活躍した夏の甲子園大会の季節、パ・リーグの投手陣にもへばりの見える季節でもあった。7日の近鉄戦で約3ヶ月ぶりの猛打賞となる4安打を放ち、うち2本はホームラン。

 8月3日に.243まで落ちた打率は7日に2割5分台、12日に2割6分台、29日に2割7分台、9月6日に2割8分台、そして14日には2割9分台と上がり続けた。打率が上がり始めるとホームランもポンポンと飛び出して、8月25日から9月16日まで19試合で11本塁打と量産体勢に入った。その9月16日の本塁打はシーズン27号で、15試合を残して早くも1953年豊田泰光(西鉄)の高卒ルーキー最多本塁打記録に並んだ。

 その後6試合足踏みしたが、9月27日の近鉄戦で左腕・小野から28号、29号を放ち豪快に記録を塗り替えた。9月11日から3番に定着していた清原は10月5日の南海戦で新人としては史上2人目の30号本塁打を放つ。すると次の試合となる7日のロッテ戦ではついに4番打者に起用された。19歳1ヶ月のルーキー4番打者の誕生である。この試合、清原は臆することなく31号本塁打で4番デビューを飾った。1959年桑田武(大洋)に並ぶ新人最多本塁打タイ記録の達成である。

 そして10月9日のロッテ戦では2打数2安打で5月31日以来の打率3割に到達。すでにチームは優勝を決めており、3割を維持するためには欠場する方法もあった。しかし、森監督の打診に清原はきっぱりと答えた。「出場します」、と。そして5打数3安打で9度目の猛打賞、3本目はプロ入り初のサヨナラヒットだった。新人本塁打記録更新はならなかったが、打率を.304に上げて有終の美を飾った。ラスト5試合での打率は19打数11安打で.579にも達していた。

<86年ラスト5試合の成績>
日付 カード 打順 成績 打率 備考
10月5日 対南海 3番 5打数3安打2打点 .295 30号
10月7日 対ロッテ 4番 3打数1安打1打点1四死球 .295 31号
10月8日 対ロッテ 4番 4打数2安打1打点 .297  
10月9日 対ロッテ 4番 2打数2安打1打点3四死球 .301 131日ぶり3割
10月10日 対ロッテ 4番 5打数3安打2打点1四死球 .304 サヨナラ打

 広島との日本シリーズでも全試合4番打者としてフルイニング出場した清原はトータル31打数11安打、打率.355でシリーズ首位打者となった。この年の清原は打率.304、31本塁打、78打点と高卒ルーキーとしては並外れた成績を残し、文句なしの新人王に選ばれた。
 入団1年目にして日本一と新人王、オールスターでも活躍と順調過ぎるほどの1年を送った清原だったが、その後は日本一こそ何度も経験したものの、打撃タイトルにも縁がなく19年目のシーズンを迎えている。今季は2000本安打を目前にしながら控え選手の立場も味わい、苦しい日々が続いている。だが、その名がコールされた時の球場内の大歓声はチームナンバーワンである。

<86年の月別成績>
  試合 打数 安打 本塁打 打点 打率(通算)
4月 14 26 6 2 3 .231
5月 21 74 24 4 11 .324(.300)
6月 18 67 15 2 9 .224(.269)
7月 20 48 9 4 5 .188(.251)
8月 26 89 29 8 20 .326(.273)
9月 21 77 28 9 23 .364(.291)
10月 6 23 12 2 7 .522(.304)
126 404 123 31 78 .304

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