ちょっとしたコラム      
               
 04.4.3付


MLB開幕記念特別編
野茂(ドジャース)、颯爽の大リーグデビュー

 1995年1月に近鉄を任意引退し、日本プロ野球に別れを告げた野茂英雄はアメリカ大リーグのロサンゼルス・ドジャースと2月12日に契約を結んだ。前例のないこの行動に対し、日本球界の反応は冷たく「通用するわけないさ」、「どうせすぐに尻尾を巻いて帰って来るよ」などと声高に叫ぶ評論家も多かった。祝福されて海を渡った21世紀の日本人選手とは違う、逆風の中での旅立ちだった。日本での安定した環境を離れ、1965年の村上雅則(SFジャイアンツ)以来となる日本人大リーガーを目指す野茂の挑戦が始まった。

 この年のメジャーリーグは前年途中からのストライキの影響で開幕が遅れており、通常162試合制のところを144試合制で行われることになっていた。4月を調整期間として過ごした野茂は開幕メジャー入りを勝ち取り、5月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に先発登板することとなった。

 そしてその日がやって来た。野茂は1回表の先頭打者・ルイスに内角低めのストレートを投じた。午後0時49分50秒、新しい歴史が始まりを告げた。メジャーリーグの重い扉はついに開かれたのだ。結局ルイスは2−2から5球目のフォークを見逃し三振、野茂はデビュー第1打者を見事に三振に斬って取ったのだ。しかしこの回は2死から3連続四球で2死満塁のピンチを迎える。だが野茂は6番・クレイトンをまたもフォークで空振り三振に仕留めて切り抜けた。

 2回は下位打線を連続三振など簡単に料理。3回一死から2番・トンプソンに初安打を許すが、終わってみればこれが唯一の被安打。4回は四球1つを与えたが三人で終了。5回も11球で片付け2度目の三者凡退。ストレートは最速93マイル(約149キロ)を計測。5回で91球を投げ、100球前後を目途にしていたため予定通りの降板。打線の援護がなく、野茂は勝利を逃したが5回1安打7奪三振無失点の内容は勝利投手に値するものだった。

<5月2日・対ジャイアンツ戦>
    1回 2回 3回 4回 5回
1 ルイス 三振   中飛   右飛
2 トンプソン 一飛   左二    
3 ボンズ 四球   左飛    
4 ウィリアムズ 四球   三振    
5 ヒル 四球     四球  
6 クレイトン 三振     中飛  
7 フィリップス   三振   三振  
8 マンワーリン   三振     三振
9 ポーチュガル   捕邪     中飛

 その後も好投を続けたが、5月一杯の野茂は勝ち運に恵まれなかった。しかし、そのツキのなさも6月に入ると一変する。2日のメッツ戦に8回を投げ1失点で待望のメジャー初勝利。すると7日のエクスポズ戦、14日のパイレーツ戦、19日のカージナルス戦にも勝って4連勝。特にパイレーツ戦では8回で16個の三振を奪い、チームの新人奪三振記録を更新するドクターKぶりを見せつけた。パイレーツには5月17日にも7回で14三振を奪っており、2試合15イニングで30奪三振の荒稼ぎだった。

 そして24日のジャイアンツ戦。デビュー戦以来の対戦だったが、野茂の右腕は冴え渡った。2安打13奪三振とジャイアンツ打線を寄せ付けずメジャー初完投を初完封で飾った。続く29日のロッキーズ戦でも6安打13奪三振で2試合連続の完封勝利を挙げた。これで6月は負けなしの6連勝、防御率も0.89と抜群の数字をマークして月間MVPに輝いた。もう誰も「野茂は大リーグで通用しない」などと言わなくなった。

 この活躍で野茂はオールスターにも選出された。しかもナ・リーグの先発投手の大役を任された。7月11日、テキサスのザ・ボールパーク・オブ・アーリントン。野茂はオールスターゲームの栄光のマウンドに上がる。先頭のロフトンをフォークで空振り三振、続くバイエガにはライト前に運ばれたが、3番・マルチネスはまたもフォークで空振り三振に仕留めた。
 2回も4番・トーマスを直球勝負でキャッチャーファウルフライ、5番・ベルを空振り三振、そして6番・リプケンをライトフライに打ち取った。2回を投げて1安打3奪三振の無失点に抑え、その実力を見せ付けた。

 オールスター後の初登板となった15日のマーリンズ戦も3安打10奪三振で完投勝利。4試合連続の二桁奪三振で7連勝を飾った。8月5日、最早お得意となったジャイアンツ戦では7回二死からの内野安打1本に抑えて1安打完封の9勝目。
 15日のカブス戦では初めて二桁安打を浴び、18試合ぶりに自責点4を記録する苦しい投球。しかしモンデシーの逆転満塁弾など打線がパックアップして区切りの10勝を達成した。

 その後は調子を崩して20日のメッツ戦、25日のフィリーズ戦と大量失点で初の連敗を喫する。31日のメッツ戦では勝利投手は逃したが8回途中まで2安打11奪三振の力投を見せ、不振から抜け出した。
 そして、9月12日のカブス戦では8回を1失点、しかも無四球の内容で約1ヶ月ぶりの11勝目を手にした。

 24日のパドレス戦では自ら同点打を放つなど投打に活躍して12勝目。そしてシーズン最終登板となった30日のパドレス戦では優勝がかかる一戦だった。野茂は11回目の二桁奪三振となる11三振を奪い13勝目。ついにドジャースはワールドチャンピオンとなった1988年以来、7年ぶりの地区優勝を果たした。

 その後チームはプレーオフで敗退したが野茂は236奪三振で奪三振王となり、見事にナ・リーグの新人王にも選ばれた。防御率も2.54という素晴らしい数字で2位。リーグ内で2点台以内は野茂も含めてわずか3人だけ。スト明けでファン離れが心配されたメジャーリーグを救った救世主とも言われた、野茂英雄のトルネード旋風が吹き荒れた1年だった。

<1995年・野茂英雄の全登板成績>
 









   









5月2日 SF   5 1 7 4 0   7月20日 FLA   8 4 9 2 2
5月7日 COL   4 2/3 9 7 2 7   7月25日 HOU ●7勝2敗 4 4 1 2 3
5月12日 STL   4 0 5 7 1   7月30日 CIN ○8勝2敗 8 5 11 0 1
5月17日 PIT   7 2 14 4 0   8月5日 SF ○9勝2敗 9 1 11 3 0
5月23日 NY   6 8 7 2 3   8月10日 STL ●9勝3敗 8 6 7 3 2
5月28日 MON ●1敗 6 1/3 4 9 7 3   8月15日 CHI ○10勝3敗 6 2/3 11 7 3 4
6月2日 NY2-1 ○1勝1敗 8 0/3 2 6 4 1   8月20日 NY ●10勝4敗 7 6 13 2 5
6月7日 MON7-1 ○2勝1敗 8 6 4 4 1   8月25日 PHI ●10勝5敗 3 6 6 2 6
6月14日 PIT ○3勝1敗 8 6 16 3 2   8月31日 NY   7 1/3 2 11 2 0
6月19日 STL ○4勝1敗 8 1/3 3 8 3 1   9月5日 PHI   5 3 7 3 1
6月24日 SF ○5勝1敗 9 2 13 3 0   9月12日 CHI ○11勝5敗 8 6 8 0 1
6月29日 COL ○6勝1敗 9 6 13 2 0   9月19日 SF ●11勝6敗 5 7 3 5 6
7月5日 ATL   7 2 10 5 1   9月24日 SD ○12勝6敗 5 3 2 3 1
7月15日 FLA ○7勝1敗 9 3 10 1 1   9月30日 SD ○13勝6敗 8 6 11 2 1
                        191 1/3 124 236 83 54

 野茂は翌96年も4月13日のマーリンズ戦で自己最多の17三振を奪うなど16勝を挙げた。特に9月17日にはロッキーズを相手にノーヒットノーランを達成。97年も14勝で3年連続二桁勝利をマーク。
 98年途中でメッツにトレードされると、以後は99年ブリュワーズ、00年タイガース、01年レッドソックスと移籍を繰り返した。レッドソックスではシーズン初登板でオリオールズを相手に2度目のノーヒットノーランを達成した。両リーグでのノーヒットノーラン達成は史上4人目の快挙だった。

 そして02年は4年ぶりに古巣ドジャースに復帰し、この年はメジャー自己タイの16勝を挙げチームの勝ち頭となった。4月26日のツインズ戦では日米通算150勝を達成。03年も2年連続の16勝に加え、防御率も1年目以来となる3.09という好数値をマーク。メジャー通算100勝も通過して114勝まで数字を伸ばした。また、日米通算3000奪三振も達成。いまやメジャーでの通算勝利、通算奪三振は日本でのそれを大きく上回った。今季、2年連続3度目の開幕投手として4月5日(現地時間)のマウンドに上がる野茂のトルネード投法は以前よりややコンパクトにはなったが、その輝きは少しも衰えていない。

<通算成績>
  年数 試合 完投 完封 勝利 敗戦 勝率 投球回 奪三振(奪三振率) 自責点 防御率
日本 5年 139 80 13 78 46 .629 1051回1/3 1204(10.31) 368 3.15
アメリカ 9年 283 16 9 114 90 .559 1787回1/3 1802(9.07) 765 3.85
合計 14年 422 96 22 192 136 .585 2838回2/3 3006(9.53) 1143 3.62

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