今井(阪急)、完全試合達成
1978年夏、今井雄太郎(阪急)は充実の時を迎えていた。それまではノミの心臓と言われた弱気の虫が度々顔を出し、上田監督がコップ酒を飲ませてマウンドに送ったという逸話もあるほどだった。この年も前期は14試合に投げて1勝2敗と目立った成績ではなかったが、後期に入ると別人のような投球が続いていた。
7月7日からの対南海4連戦に中2日で2度先発し、共に完投勝ちした。ただ、その後3試合の先発では勝利を得られずしばらくリリーフに回っていた。3週間ぶりに先発した8月21日の日本ハム戦で8回を投げて5勝目を手にすると、中1日で23日の南海戦にリリーフ登板。5回を無失点に抑える好投で6勝目。さらに27日のクラウン戦では4安打無四球で完封勝利を飾っていた。今井にとって2年ぶりプロ入り2度目の完封であった。
まさに絶好調の状態で今井は8月31日のロッテ戦を迎えることとなった。投げ合う相手は村田兆治。この年の村田はここまで12勝11敗とやや不本意なシーズンを送っていた。
立ち上がり、今井は先頭の弘田を三振に仕留める。続く2番・得津をファーストゴロ、3番・山崎をピッチャーゴロに打ち取り上々のスタートを切る。
2回はリー、有藤、レオンの重量打線を三振1つ内野ゴロ2つで抑え3回も下位打線を三者凡退。9番・飯塚の打球は初めて外野に飛んだがセンターフライに終った。相手の先発・村田も3回まで阪急打線を0点に抑えて試合は投手戦の様相を示していた。
4回裏、2巡目のロッテの攻撃も弘田が三塁ゴロ、得津がセカンドフライ、山崎が三塁ゴロでまたも三者凡退。そして5回の表、阪急は待望の先取点を挙げた。その裏のロッテは中軸に2度目の打順が回ったが、リーがセカンドゴロ、有藤がサードゴロ、レオンがショートフライとまたも三人で攻撃を終えた。
続く6回には3点を追加して試合は阪急ペースとなった。ロッテはその裏も下位打線が三者凡退。打者二巡していまだに1人のランナーも出ない。
7回表に阪急はさらに1点を加え5-0と勝利を引き寄せ、いやが上にも今井の完全試合達成への期待が高まった。7回裏、1番からの好打順であったが弘田がショートゴロ、得津がセカンドフライ、そして3番・山崎もショートゴロと突破口を開く事は出来なかった。
強打者の並ぶ8回は最大の難関であったが、4番・リーはキャッチャーファウルフライ、5番・有藤はショートゴロ、6番・レオンはピッチャーゴロと7回に続き打球は外野にすら飛ばずに三者凡退。
そして試合はついに9回裏を迎えた。大記録目前の今井だったが、落ち着いた投球を続けた。先頭の代打・末永を三振、続く途中出場の榊がピッチャーゴロでたちまちツーアウト。あと一人、ここで打席に入ったのは代打の土肥健二。しかしあえなくピッチャーゴロ。打球を捕った今井はゆっくりと一塁手に送球してゲームセット。史上13人目の完全試合が達成された。
この年のロッテ打線は最終的にチーム打率は阪急に次ぐリーグ2位と、悪くはなかった。1番・弘田は73〜76年と4年連続打撃ベストテン入り。2番・得津も75年に.301でベストテン6位、前年も規定打席不足ながら.305のアベレージを残していた。3番・山崎は通算1300安打、150本塁打を突破する東京オリオンズ時代からの中軸打者。4番のリーは前年に本塁打・打点の二冠に輝き、5番・有藤も前年に首位打者を獲得していた強打者だった。
6番を務めるこの年入団のレオンはリーの実弟で、前評判通りの強打を見せていた。7番・岩崎はしぶとい打撃が持ち味で、8番・高橋博も75年に12本塁打するなど打てる捕手であった。9番の飯塚も規定打席不足ながら77年は打率.306をマークする好打者だった。
このバランスのとれた打線を相手に今井の快挙は見事であった。73年10月10日の八木沢荘六(ロッテ)以来、5年ぶり13人目の完全試合だった。奪三振3個は後の槙原寛巳(巨人)を含めた14度の完全試合の中では2番目に少ない。その代わりに今井は18個という内野ゴロの山を築いた。それも毎回きっちり2個ずつの内野ゴロを記録した。内角シュートで詰まらせる今井らしい内容だったと言える。
阪急 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 5 | |
ロッテ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
当時のテーブルスコアを見ると観衆4000人とある。実数はそれより少ないのだろうと想像されるが、消化試合でもないのに少ない。この年のパ・リーグの観客動員は1試合平均10600人で今の半分ではあるが。それでも彼らは一生に一度見られるかどうかの完全試合を生で見る事が出来たのだから幸運な4000人であった。
1回 | 2回 | 3回 | 4回 | 5回 | 6回 | 7回 | 8回 | 9回 | |||
1 | 中 | 弘田 | 三振 | 三ゴ | 遊ゴ | ||||||
2 | 右 | 得津 | 一ゴ | 二飛 | 二飛 | ||||||
3 | 二 | 山崎 | 投ゴ | 三ゴ | 遊ゴ | ||||||
4 | 指 | リー | 一ゴ | 二ゴ | 捕邪 | ||||||
5 | 三 | 有藤 | 三振 | 三ゴ | 遊ゴ | ||||||
6 | 一 | レオン | 二ゴ | 遊飛 | 投ゴ | ||||||
7 | 左 | 岩崎 | 遊ゴ | 二ゴ | |||||||
打 | 末永 | 三振 | |||||||||
8 | 捕 | 高橋博 | 二ゴ | 中飛 | |||||||
捕 | 榊 | 投ゴ | |||||||||
9 | 遊 | 飯塚 | 中飛 | 二ゴ | |||||||
打 | 土肥 | 投ゴ |
この年はその後も近鉄戦で1つ負けた以外は全て完投勝ちし、トータル13勝4敗の好成績を収めた。後期だけで12勝2敗、そのうち10勝は8月10日から9月27日までのわずか49日間で記録したものである。阪急の前後期制覇はこの今井の活躍なくしては有り得なかった。
回数 | 安打 | 三振 | 四死 | 自責 | |||
7月3日 | 対ロッテ | 救援 | 2回2/3 | 6 | 3 | 1 | 3 |
7月7日 | 対南海○4−1(2勝2敗) | 完投 | 9 | 5 | 7 | 1 | 0 |
7月10日 | 対南海○5−2(3勝2敗) | 完投 | 9 | 5 | 10 | 0 | 2 |
7月17日 | 対日本ハム●4−5(3勝3敗) | 完投 | 9 | 6 | 8 | 4 | 5 |
7月20日 | 対ロッテ | 先発 | 5 | 5 | 3 | 3 | 1 |
7月30日 | 対日本ハム | 先発 | 4回2/3 | 8 | 4 | 2 | 5 |
8月5日 | 対近鉄 | 救援 | 3回1/3 | 1 | 2 | 1 | 0 |
8月8日 | 対クラウン | 救援 | 1回2/3 | 3 | 1 | 1 | 0 |
8月10日 | 対クラウン○6−4(4勝3敗) | 救援 | 3 | 4 | 3 | 1 | 0 |
8月14日 | 対近鉄 | 救援 | 2 | 4 | 1 | 1 | 3 |
8月21日 | 対日本ハム○6−5(5勝3敗) | 先発 | 8 | 10 | 6 | 5 | 1 |
8月23日 | 対南海○5−1(6勝3敗) | 救援 | 5 | 3 | 2 | 0 | 0 |
8月27日 | 対クラウン○3−0(7勝3敗) | 完封 | 9 | 4 | 5 | 0 | 0 |
8月31日 | 対ロッテ○5−0(8勝3敗) | 完封 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 |
9月5日 | 対ロッテ○8−3(9勝3敗) | 完投 | 9 | 7 | 4 | 2 | 2 |
9月9日 | 対日本ハム○4−1(10勝3敗) | 完投 | 9 | 4 | 3 | 0 | 1 |
9月13日 | 対近鉄●3−11(10勝4敗) | 先発 | 7 | 13 | 3 | 0 | 6 |
9月17日 | 対南海○7−2(11勝4敗) | 完投 | 9 | 8 | 3 | 1 | 1 |
9月19日 | 対クラウン○4−1(12勝4敗) | 完投 | 9 | 6 | 7 | 1 | 0 |
9月27日 | 対ロッテ○4−1(13勝4敗) | 完投 | 9 | 8 | 2 | 1 | 1 |
この年の活躍で主力投手としての地位を固めた今井は、3年後の81年には19勝、84年にも21勝でそれぞれ最多勝利のタイトルを獲得。投手としては歴代2位タイとなる実働21年の現役生活を送り通算130勝を挙げて91年に42歳で引退した。