尾花(ヤクルト)、2試合連続の延長戦1−0完封
1982年、ヤクルトスワローズは苦しいシーズンを送っていた。開幕から13試合目までは6勝6敗1引き分けで勝率5割を保ったが、その後の24試合に8連敗を含む20敗を喫し、あっという間に最下位に定着すると二度と5位に上がる事はなかった。
そんな中、新日鉄堺から入団して5年目の投手・尾花高夫は絶好調の日々を迎える事になる。1年目から1勝、4勝、8勝と徐々に力を付けた尾花は、4年目となる前年は二桁勝利が期待されていた。しかし6勝6敗と伸び悩み、82年を迎えていた。この年は最初の2度の先発登板で2勝と幸先の良いスタートを切っていたが、チームの低迷と歩調を合わせるように勝てなくなっていた。
5月は勝ち星なしの4連敗。とは言え、打線の援護がなさ過ぎた。1日の大洋戦は相手のエース・遠藤との投げ合いとなり、初回にラムに打たれたソロ本塁打の1点に抑えながら0−1で敗れた。18日の阪神戦も初回の2失点のみで7安打完投したが1−2で敗れた。23日の巨人戦も8回を7安打3失点ながら2−3で敗れた。
そうこうしているうちに調子を崩し、6月12日の広島戦では初回アウト1つを取ったのみでノックアウトされた。ここで武上監督は、4月14日以来勝ち星から遠ざかっている尾花をリリーフで起用した。16日・17日の阪神戦に救援登板した尾花は連続セーブを挙げた。
これが1つのきっかけとなったか、20日の大洋戦で先発に戻ると1失点完投で4月14日以来、実に67日ぶりの白星を手にした。試合が終ってベンチに向かう尾花はボールだけでなく、嬉しさのあまり何とグラブまでスタンドに投げ入れた。この日から約2ヶ月にわたり、毎試合2失点以下の好投が続いて行く。
続く26日の中日戦は8回1失点も打線の援護なく0−1の状況で降板。2番手・宮本が追加点を許し敗戦投手となったが、内容は十分合格点だった。
30日の広島戦に中3日で先発すると見事に3安打無四球で完投勝ち。尾花はまたもウイニンググラブをスタンドに投げ込んだ。尾花の快投で試合時間は2時間28分だった。
7月に入ると3日の大洋戦でのセーブに続き2試合に先発した。しかし、その2試合では尾花がマウンドにいた14イニングの間にヤクルト打線は1点の援護も与える事が出来なかった。この年のヤクルトはチーム打率・得点とも12球団中12位。1試合平均3.3得点という攻撃力だった。しかし、尾花の場合はその3点すら取ってもらえない事が多かったのだ。
そんな状況にもめげず、15日の巨人戦には2安打完投で5勝目を挙げた。試合時間わずか2時間4分で巨人打線を片付けた。球宴前最後の登板となった22日の中日戦も2失点で無四球完投したが、打線が遠藤−斎藤明のリレーの前に1点しか奪えず敗戦投手となった。
球宴明け初戦となる22日の広島戦では北別府と投げ合いまたも無四球完投するが、7回裏に山本浩二に打たれた本塁打が決勝点となって0−1で敗れ、8敗目を喫した。
そしてこの年の尾花のハイライトとも言える2試合がやって来る。8月4日の阪神戦はまたしても息詰まる投手戦となった。工藤−山本のリレーの前に苦戦したヤクルトだったが、時間切れ引き分け寸前の延長10回裏二死から3番・ブリッグスがサヨナラヒットを放ち、尾花を救った。尾花は9安打を許したが要所を締めて1年ぶりの完封勝利を挙げた。
阪神 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 1 |
延長戦を投げ抜いた後にもかかわらず、中3日で8日の広島戦に尾花は先発した。山根との投げ合いとなりまたもスコアボードにはゼロが並んだ。両投手譲らず0−0で延長戦へ。そして10回裏に一死満塁から代打・岩下がサヨナラ内野安打。尾花はわずか2安打しか許さず、2試合連続の延長戦1−0完封の快挙を成し遂げた。
広島 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 1 |
2試合連続の中3日登板となった8月12日の巨人戦。さすがの尾花も毎試合完封とはいかない。それでも無四球完投で1失点に抑えた。7月22日の広島戦で、7回裏に山本浩二に喫した本塁打以来、実に25イニングぶりの失点であった。しかし・・・、この1点が決勝点となってまたしても0−1で敗れる。これで7勝9敗、2つの負け越し。5試合連続で1点以下の援護と言う過酷な状況下で尾花は投げ続けたのだ。この時点で防御率は2.14に達し、1点台に迫る勢いだった。
6月20日から8月12日まで先発した11試合で92イニング投げる間に15点の援護しかない。9回平均1.46点である。この厳しい状況の下で5勝5敗と勝率5割をマークした尾花の力投は見事だった。しかも11先発中、8完投5無四球と内容も立派である。負けた5試合はすべて2失点以下で、勝敗の付かなかった中日戦を含め本来なら11連勝していてもおかしくはなかった。
この年の尾花は最終的には12勝16敗と4つ負け越したが、防御率は2.60をマークして投手成績6位に名を連ねた。先発して2失点以下で勝てなかった試合が9試合もあり、実質的には18勝前後の価値はあったと思われる。
この12勝をステップに85年まで4年連続二桁勝利を挙げ、尾花はスワローズのエースの座に付いた。91年まで14年間の現役生活で通算112勝を挙げている。現役時代のほとんどをまだ優勝が遠かった頃のスワローズで過ごした為、負け数が多かった。86〜88年にかけては3年連続リーグ最多敗戦。これは秋山登(大洋)の4年連続に次ぐ日本歴代2位の記録となっている。79年から88年まで10年連続30試合登板、うち82年から85年までは4年連続40試合登板。この時期は先発の合間にリリーフ登板してセーブを記録していた。獲得タイトルもなく、派手さはなかったが先発と抑えの両方をこなした最後のエースである。
チーム勝敗 | 途中降板時 のスコア |
尾花勝敗 | 投球回 | 安打 | 三振 | 四死球 | 自責 | ||
6月20日 | 対大洋○3−1 | − | ○3勝4敗 | 9回 | 8 | 4 | 2 | 1 | 完投 |
6月26日 | 対中日●2−4 | 0−1 | ●3勝5敗 | 7回 | 6 | 1 | 5 | 1 | |
6月30日 | 対広島○4−1 | − | ○4勝5敗 | 9回 | 3 | 3 | 0 | 1 | 完投・無四球 |
7月3日 | 対大洋○5−2 | − | 3セーブ | 1回 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
7月6日 | 対巨人●0−2 | 0−2 | ●4勝6敗 | 7回 | 10 | 5 | 2 | 2 | |
7月10日 | 対中日○3−2 | 0−1 | − | 7回 | 8 | 4 | 0 | 1 | |
7月15日 | 対巨人○2−1 | − | ○5勝6敗 | 9回 | 2 | 7 | 0 | 1 | 完投・無四球 |
7月18日 | 対中日○3−1 | − | 4セーブ | 1回2/3 | 1 | 2 | 0 | 0 | |
7月22日 | 対大洋●1−2 | − | ●5勝7敗 | 8回 | 8 | 5 | 0 | 2 | 完投・無四球 |
7月30日 | 対広島●0−1 | − | ●5勝8敗 | 8回 | 8 | 4 | 0 | 1 | 完投・無四球 |
8月4日 | 対阪神○1x−0 | − | ○6勝8敗 | 10回 | 9 | 3 | 1 | 0 | 完封 |
8月8日 | 対広島○1x−0 | − | ○7勝8敗 | 10回 | 2 | 8 | 2 | 0 | 完封 |
8月12日 | 対巨人●0−1 | − | ●7勝9敗 | 8回 | 6 | 9 | 0 | 1 | 完投・無四球 |
合計 | 5勝5敗2S | 94回2/3 | 71 | 55 | 12 | 11 | 防御率1.05 |