ちょっとしたコラム      
               
03.9.27付


阿波野(近鉄)VS西崎(日本ハム)、ライバル対決

 阿波野秀幸(近鉄)と西崎幸広(日本ハム)。共に1987年にドラフト1位でプロ入りして、1年目に熾烈な新人王争いを展開した。出足はまず阿波野が好スタートを切った。開幕2試合目となる4月12日のロッテ戦に初登板初先発すると6安打8奪三振1失点で見事に完投勝利。16日の日本ハム戦でワンポイント登板を挟み、18日には王者・西武を相手に何と毎回13奪三振の力投で完封勝利。25日の南海戦にも2失点完投勝利で4月は3勝0敗、防御率0.99の好成績で月間MVPに輝いた。

 その後は約1ヶ月勝ち星から遠ざかるなどややペースダウンしたが5月1勝、6月3勝、7月2勝を積み上げてオールスターまでに9勝7敗という成績を残していた。9勝はチームトップで、10勝の藤本修二(南海)に次ぐリーグ2位という立派な成績だった。もちろん新人王争いでも阿波野が独走状態だった。

 一方の西崎は開幕第2戦となる4月11日の西武戦に救援で初登板。2-2の同点でのマウンドだったが、ロングリリーフとなった5イニング目に決勝点を許して敗戦投手となる黒星スタート。3度目の登板となった22日のロッテ戦で2安打完投して初勝利を挙げる。その後はなかなか勝ち星に恵まれなかったが、6月4日の近鉄戦で43日ぶりの2勝目を挙げた。7月に入って初めて月間2勝をマークして通算4勝6敗でオールスター休みを迎えた。そしてこのインターバルをはさんで2人の勢いは逆転していく。

 8月2日の西武戦で2安打完封勝利を挙げて後半戦最初の登板で好スタートを切ると、西崎の快進撃が始まった。続く8日のロッテ戦にも2試合連続完封を記録するなど、8月中は6試合で5勝0敗。月間MVPを獲得した。トータルでも9勝となって足踏みを続けた阿波野に一気に並んだ。

 阿波野は打線の援護にも恵まれなかったが、8月は1勝も出来ずオールスター前から通算4連敗で10勝への挑戦に失敗を続けていた。9月5日の南海戦で4失点ながら完投勝ちし、7月18日以来49日ぶりの勝利でようやく10勝目を手にした。同じ日に西崎も完投で10勝目を挙げた。今や新人王の行方は混沌として、先の見えない展開となっていた。

 9月10日に再び揃って登板したが、西崎が3失点ながら完投で11勝目を挙げたのに対し、阿波野は8回途中でノックアウトされ11敗目を喫した。
 初めて勝ち星で阿波野を上回った西崎は、9月15日のロッテ戦で4回連続の中4日登板にもかかわらず、2安打完封の快投で12勝目。すると翌16日には阿波野が阪急を相手に11奪三振完投で11勝目。西崎が20日の南海戦にまたも中4日で13勝目を挙げると、阿波野も22日のロッテ戦に10奪三振の無四球完封で12勝目と追いすがった。

 ここで西崎にアクシデントが発生する。6連続の中4日となった25日の南海戦で腰に張りを訴え、1イニング投げたところで降板し、しばらくマウンドから遠ざかる事になったのだ。
 この間に阿波野は29日のロッテ戦に準完全試合となる1安打無四球の完封勝利で13勝目、そして10月5日の南海戦でも1失点完投で14勝目を挙げて西崎を逆転した。

 こうなると西崎も負けられない。10月8日の阪急戦で13日ぶりに登板すると無四球の1失点完投で14勝目を挙げて阿波野に並ぶ。3日後、今度は阿波野が無四球完投で15勝目。再び頭1つリード。
 13日、西崎は15勝目を目指して登板するが阿波野の新人王援護に奮起した近鉄打線に5点を奪われ7月21日以来の敗戦投手となり、連勝は10でストップした。

 ここで西崎を突き放すチャンスだった阿波野だが、17日のロッテ戦では延長10回痛恨のサヨナラ負けで16勝目ならず。西崎はチーム最終戦となる18日の西武戦に、阿波野に並ぶ最後のチャンスを懸けて先発した。この試合の西武は1週間後に迫った日本シリーズに備え、一線級投手を2イニングずつリレー登板させてきた。先発の渡辺から東尾−工藤−郭のリレーである。4本柱の総動員に8回まで日本ハムは散発3安打の無得点と西崎を援護する事が出来ない。それでも西崎は西武打線を無得点に封じ、試合は0-0のまま延長戦に突入した。

 そして迎えた11回裏、5番手の左腕・小田から大宮が劇的なサヨナラ2ランでついに西武を振り切った。西崎は延長11回をわずか2安打に抑えてこの年4度目の完封で15勝目を飾った。勝ち星で阿波野に並び、防御率でも2.89として2.91の阿波野を追い抜いた。
 こうなると阿波野も黙ってはいられない。21日の最終戦に中3日でリリーフ登板し、2回を無失点に抑え防御率2.88として西崎を抜き返した。

 勝ち星は同じ、防御率・投球回・奪三振は阿波野が上回り、西崎は後半戦に10連勝と猛アピールし勝率(.682)でも優れていた。新人王投票は激戦が予想されたが、結果は阿波野141票、西崎51票と意外な大差が付いた。一生一度のチャンスを逃した西崎に、リーグは会長特別賞を贈りその活躍を讃えた。

<オールスター後の両投手の成績>
阿波野






  西崎






              8月2日 対西武○2-0 9 2 5 1 0 5勝6敗
対西武●1-5 6 10 5 2 4 9勝8敗 8月4日              
              8月8日 対ロッテ○4-0 9 5 10 2 0 6勝6敗
対阪急●1-6 9 5 6 4 4 9勝9敗 8月9日              
              8月14日 対西武○3-2 9 7 8 1 2 7勝6敗
対ロッテ●3-6 5 7 2 3 5 9勝10敗 8月15日              
              8月20日 対阪急○5-4 5 7 5 3 4 8勝6敗
対日本ハム△4-4 7 12 9 1 4   8月21日              
              8月26日 対ロッテ2-2 8・1/3 9 6 1 2  
対阪急△1-1 10 10 7 2 1   8月27日              
              8月31日 対近鉄○13-3 9 10 9 2 3 9勝6敗
対西武○5-4 9 8 6 1 4 10勝10敗 9月5日 対南海○3-2 9 8 10 3 2 10勝6敗
対阪急●3-6 7・1/3 6 8 1 5 10勝11敗 9月10日 対ロッテ○4-3 9 8 3 3 3 11勝6敗
              9月15日 対ロッテ○4-0 9 2 8 1 0 12勝6敗
対阪急○11-3 9 7 11 1 2 11勝11敗 9月16日              
              9月20日 対阪急○10-6 9 9 6 5 4 13勝6敗
対ロッテ○6-0 9 8 10 0 0 12勝11敗 9月22日              
              9月25日 対南海 1 1 0 2 1  
対ロッテ○1-0 9 1 8 0 0 13勝11敗 9月29日              
対南海○3-1 9 8 6 3 1 14勝11敗 10月5日              
              10月8日 対阪急○3-1 9 8 3 0 1 14勝6敗
対南海○7-2 9 8 5 0 2 15勝11敗 10月11日              
              10月13日 対近鉄●1-5 9 10 8 2 5 14勝7敗
対ロッテ●3-4x 9・1/3 8 8 2 4 15勝12敗 10月17日              
              10月18日 対西武○2-0 11 2 11 4 0 15勝7敗
対西武 2 0 1 0 0   10月21日              

 翌88年も西崎が15勝、阿波野が14勝と揃って2年目のジンクスをものともしない活躍を見せた。しかし、それぞれチームの主戦投手でありながら、なぜか2人が先発投手として顔を合わせる事はなかった。月日は流れ3年目も押し詰まった89年10月8日、ついに初対決の日がやって来た。この日まで阿波野はリーグトップの17勝を挙げていた。対する西崎は16勝で、勝てば阿波野と並ぶ17勝目となり2年連続の最多勝利に望みをつなぐ事が出来る。日本ハムにとってシーズン最終戦に当たり、タイトルには最後のチャンスであった。一方の阿波野もゲーム差なしで2位に甘んじた前年の雪辱を晴らすべく激しい優勝争いを続けるチームにあって、絶対に落とせない試合であった。

 試合は予想通りに投手戦となった。4回裏に近鉄がブライアントの44号ソロで先制したが、西崎もその1球以外は近鉄打線を抑え、6回終って1-0という緊迫した試合となった。だが、逆転優勝へ意気揚がる近鉄と、5位が確定的だった日本ハムとではチーム全体のモチベーションにも差があった。7回裏、近鉄はついに西崎をとらえ金村のタイムリーツーベースで待望の2点目。気落ちした西崎は続く山下に2ランを浴びて4失点。この回限りでマウンドを降りた。
 阿波野は6安打8奪三振で18勝目を5度目の完封勝利で飾り、初のライバル対決を制した。同時に初の最多勝利もほぼ確定させた。近鉄はこの6日後に9年ぶりのリーグ優勝を達成している。

日本ハム 0 0 0 0 0 0 0 0 0   0
近鉄 0 0 0 1 0 0 3 0   4

 この後2人が先発で投げあった試合が2度ある。90年7月29日の顔合わせは6回まで1-1と互角の投げ合い。7回表に日本ハムが中島のソロで勝ち越すと8回には主砲・ウインタースの3ランが飛び出して5-1とリードを広げた。完投勝利目前の西崎だったが9回裏に走者を出して武田と交代。しかしこの武田が石井に同点本塁打を喫し西崎の勝利は消えた。試合は延長戦で近鉄が勝ったが、阿波野・西崎共に勝敗は付かなかった。
 そして3度目にして最後の対戦となったのが91年4月6日、この年の開幕戦であった。日本ハムが4回表にウインタースのソロで先制。近鉄は6回裏にトレーバーのタイムリーで追い付くが、直後の7回表に阿波野が下位打線の中島、田村に連続ホームランを喫してスコアは日本ハムが3-1と2点の勝ち越し。その後両チーム1点ずつを取り合うが、結局西崎が5安打完投勝ちで2年前の雪辱を果たした。

<阿波野・西崎の先発対決>
    阿波野の成績   西崎の成績
年月日 スコア(球場)





 





89年10月8日 近鉄4-0日本ハム(藤井寺) 9 6 8 1 0   7 5 6 2 4
90年7月29日 近鉄6x-5日本ハム(藤井寺) 8 9 5 2 5   8・0/3 8 4 0 4
91年4月6日 日本ハム4-2近鉄(藤井寺) 6・1/3 6 4 2 3   9 5 6 4 2

 阿波野は91年に2勝に終ると、以後は故障もあって野茂の影に隠れた格好になった。95年に巨人、98年には横浜に移籍し、00年限りで引退した。奇しくも86年のドラフトで阿波野を1位指名した3球団に在籍する事となり、それぞれの球団で優勝を経験した。プロ14年間で305試合に登板して通算75勝68敗5セーブ、985奪三振を記録した。
 西崎も持病となった内転筋痛に悩まされながら96年には7年ぶりに14勝という成績を残す。しかし翌年3勝に終ると戦力外通告を受け、98年は西武に移籍。阿波野より1年長く01年まで現役生活を送った。プロ15年間で330試合に登板して通算127勝102敗22セーブ、1573奪三振を記録した。

 下に示すとおり、共にローテーション投手としてプレーした87〜90年の合計勝利数はぴったり同じ58勝である。防御率もわずか0.02差。まさにライバルと呼ぶにふさわしい数字が残っている。

<87〜90年の二人の成績>
阿波野秀幸 完投 完封 投球回 奪三振 防御率   西崎幸広 完投 完封 投球回 奪三振 防御率
15勝12敗 22 3 249・2/3 201 2.88 87年 15勝7敗 16 4 221・1/3 176 2.89
14勝12敗 15 3 220・1/3 181 2.61 88年 15勝11敗 21 4 241・2/3 181 2.50
19勝8敗1S 21 5 235・2/3 183 2.71 89年 16勝9敗 17 2 208 164 3.55
10勝11敗 10 0 190・2/3 141 4.63 90年 12勝13敗 10 2 192・2/3 154 3.88
58勝43敗1S 68 11 896・1/3 706 3.14 58勝40敗 64 12 863・2/3 675 3.16

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