1973年10月5日−1974年3月29日
この作品の放映開始は1973年ですから私は9才だったですよ。
当時、家が近所だった、「なかよしのともだち」が二人おりました。
今、考えれば家が近所だから「なかよしのともだち」というのはあまりにも短絡的ですが
子供の世界というのは概して狭いモノですし
では家が遠ければ「なかよしのともだち」ではないのかなどというのは
これまた面倒な話になりますんで割愛(笑)
花咲く道で両手を合わせて誓いの言葉は言わなかったけれど、
少女小説と世界の偉人伝と江戸川 乱歩が愛読書だった私には
二人は「こころの友」だったのです。
一人は香ちゃん、もう一人は聖美ちゃんといいました。
聖美ちゃんの家に初めて遊びに行ったときに
表札の隣に「アマチュア云々かんぬん」といった看板が掲げられていました。
それは初めて見るものでした。
「これ、なぁに?」と尋ねた私に聖美ちゃんは
「お父さんがアマチュア無線やってんの!」と答えてくれたものの
私の家族や親戚などにはアマチュア無線をやっている人はなく
私は「甘茶ムセン」というお茶の愛好家だと思ったのです。
家に帰り「聖美ちゃんちって甘茶ムセンなんだって!」と言うと
母は「それはハムよ」と答えてくれたものだから
私は「な〜んだ、お茶じゃないんだ〜、ハム屋さんだったのか」って・・・
なんか私って・・・。
当時の番宣シール 何故か「新・エース」の頃、抽プレで入手 |
そんな私がバカタレであった時代の話。
朝、学校へ行くと聖美ちゃんが「エースをねらえ!テレビでやるんだって」とはしゃいでいました。
すると香ちゃんが
「私!中学生になったらテニス部に入る」と
こいつまたナマ言いましてん。
「なんで〜」と聞くと
「テニスは一生続けられるから」
ってあんた!9才でそこまで考えてんのかい!
ま、いいや。
週刊の漫画本は兄が買ってくる「少年ジャンプ」と
従兄弟のお姉さんのお下がりの「セブンティーン」しか読んでいませんでしたし
アニメは「荒野の少年イサム」しか見ていませんでした。
そう!少女漫画は殆ど読んでいませんでしたのよ!
で、本放映は2−3回見たきりでホニャララした絵だな〜と思いました (^_^;)
全話は高校生の頃?の再放送で見て、原作は数年前に買い揃えました。
普通、アニメを見ていると目がカッチリしているのに
この「エースをねらえ!」は目の下がやけにユラユラしていた印象が残りました。
それでね!セルで見たら目の下のラインが色トレスだったですよ!
上の黒い部分はトレスマシン 下の水色部分がハンドトレス |
って、このセルを手に入れた34才の時に思いましたね〜。
(ちょっと説明しますね
ハンドトレスだとどうしてもわずかですが動画の線から
ズレてトレスされている事があり、その微妙なズレがユラユラに見えたのです)
他のアニメキャラはどうでしょう。
「とんがり帽子のメモル」
目の周りはマシントレス
目の中は全て色トレス(ハンド)
「夏への扉」
目の周りはマシントレスと色トレス(ハンド)
目の中はハンドが多くキラキラしています(アップサイズの場合のみ)
(東京ムービー作品やマッドハウス作品には凝った目が多いです)
「花の子ルンルン」
目の周りも中も全てマシントレス
(東映動画作品はこのパターンが多い)
目の中が凝っていてハンドトレス部分が多いと
キラキラしてとても美しいと思いますが
セルを1枚1枚手描きで仕上げるワケですから、手間がとてもかかりますよね
(^_^;)
「旧エース」の話に戻りますが
(「新・エースをねらえ!」があるので区別するために「旧エース」と呼ばれています)
原作との違いや制作スタッフについてや
書きたかったコトはもっといろいろあったのに・・・。
セル1枚じゃ持ちこたえられませ〜ん。
あ・・・余計な話が多いのかしら〜。
その後、10才になって浦和から引っ越し
香ちゃんとも聖美ちゃんともそれ以来会っていません。
引っ越しの朝くれた、二人で作ってくれたスイートピーの造花
嬉しかったです。
涙を見られるのがイヤでちゃんと言えなくてゴメン。
このページ見てはいないと思うけど言うね。
「ありがと」
2000年9月1日作成