セルギャラリー 20

ホームへ

エースをねらえ!

1973年10月5日−1974年3月29日

この作品の放映開始は1973年ですから私は9才だったですよ。
当時、家が近所だった、「なかよしのともだち」が二人おりました。
今、考えれば家が近所だから「なかよしのともだち」というのはあまりにも短絡的ですが
子供の世界というのは概して狭いモノですし
では家が遠ければ「なかよしのともだち」ではないのかなどというのは
これまた面倒な話になりますんで割愛(笑)

花咲く道で両手を合わせて誓いの言葉は言わなかったけれど、
少女小説と世界の偉人伝と江戸川 乱歩が愛読書だった私には
二人は「こころの友」だったのです。

一人は香ちゃん、もう一人は聖美ちゃんといいました。
聖美ちゃんの家に初めて遊びに行ったときに
表札の隣に「アマチュア云々かんぬん」といった看板が掲げられていました。
それは初めて見るものでした。
「これ、なぁに?」と尋ねた私に聖美ちゃんは
「お父さんがアマチュア無線やってんの!」と答えてくれたものの
私の家族や親戚などにはアマチュア無線をやっている人はなく
私は「甘茶ムセン」というお茶の愛好家だと思ったのです。

家に帰り「聖美ちゃんちって甘茶ムセンなんだって!」と言うと
母は「それはハムよ」と答えてくれたものだから
私は「な〜んだ、お茶じゃないんだ〜、ハム屋さんだったのか」って・・・
なんか私って・・・。

当時の番宣シール
何故か「新・エース」の頃、抽プレで入手

そんな私がバカタレであった時代の話。
朝、学校へ行くと聖美ちゃんが「エースをねらえ!テレビでやるんだって」とはしゃいでいました。

すると香ちゃんが
「私!中学生になったらテニス部に入る」と
こいつまたナマ言いましてん。
「なんで〜」と聞くと
「テニスは一生続けられるから」
ってあんた!9才でそこまで考えてんのかい!
ま、いいや。

週刊の漫画本は兄が買ってくる「少年ジャンプ」と
従兄弟のお姉さんのお下がりの「セブンティーン」しか読んでいませんでしたし
アニメは「荒野の少年イサム」しか見ていませんでした。

そう!少女漫画は殆ど読んでいませんでしたのよ!
で、本放映は2−3回見たきりでホニャララした絵だな〜と思いました (^_^;)
全話は高校生の頃?の再放送で見て、原作は数年前に買い揃えました。

普通、アニメを見ていると目がカッチリしているのに
この「エースをねらえ!」は目の下がやけにユラユラしていた印象が残りました。

それでね!セルで見たら目の下のラインが色トレスだったですよ!

上の黒い部分はトレスマシン
下の水色部分がハンドトレス

全ての謎は解けた!

って、このセルを手に入れた34才の時に思いましたね〜。
(ちょっと説明しますね
ハンドトレスだとどうしてもわずかですが動画の線から
ズレてトレスされている事があり、その微妙なズレがユラユラに見えたのです)

他のアニメキャラはどうでしょう。

「とんがり帽子のメモル」
目の周りはマシントレス
目の中は全て色トレス(ハンド)

夏への扉
目の周りはマシントレスと色トレス(ハンド)
目の中はハンドが多くキラキラしています(アップサイズの場合のみ)
(東京ムービー作品やマッドハウス作品には凝った目が多いです)

「花の子ルンルン」
目の周りも中も全てマシントレス
(東映動画作品はこのパターンが多い)

目の中が凝っていてハンドトレス部分が多いと
キラキラしてとても美しいと思いますが
セルを1枚1枚手描きで仕上げるワケですから、手間がとてもかかりますよね  (^_^;)


「旧エース」の話に戻りますが
(「新・エースをねらえ!」があるので区別するために「旧エース」と呼ばれています)
原作との違いや制作スタッフについてや
書きたかったコトはもっといろいろあったのに・・・。
セル1枚じゃ持ちこたえられませ〜ん。
あ・・・余計な話が多いのかしら〜。

その後、10才になって浦和から引っ越し
香ちゃんとも聖美ちゃんともそれ以来会っていません。

引っ越しの朝くれた、二人で作ってくれたスイートピーの造花 
嬉しかったです。
涙を見られるのがイヤでちゃんと言えなくてゴメン。
このページ見てはいないと思うけど言うね。
「ありがと」

2000年9月1日作成

次ページへ