忠誠の指輪8

01.09.24改



 王立研究院のオフリミット区画では、幼い光の守護聖が時空の門の前で
 茫然と立ちつくしていた。
「いくらかくしたところで、かくしきれるものではない。
 もうすぐみな気づくはずだ。
 この宇宙がまもなく、ほろびの日をむかえることに。
 私たちがこの宇宙最後の守護聖だ…。」
 幼いジュリアスは、白く変色した唇をわななかせ、あえいだ。
「私たちのしてきたことは、みんなむだだったのか?
 あんな苦しい思いをして、これまで必死に宇宙を守ってきたのに…」
 光の守護聖は、うわ言のようにつぶやく。
「つらくて、苦しくて、泣きたくて、あきらめたくないことを数え切れないほど
 あきらめて…それでも…それでも…! 宇宙には、まだ明日があると
 信じていたからこそ、これまでがまんしてこられたのにっ!」
 そのあとは叫び出すことすらかなわないほどの、底知れぬ絶望が彼を襲った。
 幼くとも誇り高い光の守護聖が、関節がばらばらになってしまったように、
 そこに崩れ落ちた。ジュリアスは床に膝をつくと両手で顔を覆った。
 涙が、彼の白い袖を濡らしていく。
「まさか自分がほろびの日に立ち会うことになるなんて…」
 彼の声は、悲痛なすすり泣きに変わっていった。


「諦めてはなりません!」
 オスカーの鞭のように鋭い声が飛んだ。
 はっとして顔をあげたジュリアスを厳冬の星のような氷青色の瞳が捉えた。
「オスカー…?」
 半ば驚き、小さな光の守護聖は縋るような目つきでオスカーを見上げた。
 オスカーは懐から出した白い大判のハンカチを幼いジュリアスの手に握らせ、
 ジュリアスはそれでぎこちなく顔をぬぐった。
 強さを司る炎の守護聖は、幼い光の守護聖の細い肩を包むように両手を置き、
 消えかかった望みの火を新たに灯すように、力強く確信に満ちた口調でこう告げた。
「絶望するには早すぎます。たとえ、宇宙そのものを救うことはできなくても、
 我々には、まだ出来ることがあります。」
「だが、いったい何ができるというのだ、宇宙が滅びるというのに…?」
「次元を超えた、宇宙規模の大移住。俺たちにはまだ、その手段が残っています。」
 幼い首座は、雷に打たれたようにはっと息を呑んだ。
「それは…この宇宙ではぐくまれたものを、
 あたらしい別の宇宙にうつすということか?」
「そうです。この宇宙の民や星々を導き、新しい若い宇宙へ移動させるのです。」
 天成の指導者であるジュリアスは、オスカーの提案が、
 取りうる唯一の正しい選択肢であることを直感した。
「確かに、それしか方法はないと思う。
 …だが、そのようなこと、過去に前例がないが。可能であろうか?」
「あなたが諦める時は、すべてが終わる時です。」
 間髪を入れず返ってきた刃の一閃のごときオスカーの返答。
 炎の守護聖は、強い口調でたしなめる。
「俺は、座して滅びを待つような方を首座として仰いだ覚えはありません。」
 ジュリアスは、この時初めて気がついた。
 目の前の青年は、自分と同じく宇宙の終末を知りながら少しも恐れる様子を見せない。
 彼は、なんという強靱な精神の持ち主だろう。
 宇宙の意志たる神鳥は、生命の終わりに炎の中に身を投じ、
 燃えさかる炎の中から再び蘇る不死鳥だと聞いたことがある。
 神鳥は命尽きる間際に、この宇宙の森羅万象を託すにふさわしい
 守護聖を選んだのだ、とジュリアスは本能的に悟った。
 オスカーは、ジュリアスが幼いからといって容赦せず、弱音めいた言葉を
 口にすることを一切許さなかった。だが、その苛烈さこそ、実は最もよく
 ジュリアスを支えるものであった。
 ジュリアスは、慰めではなく励ましを必要としていたのだ。
 オスカーの叱咤激励はジュリアスの心の底まであやまたず届き、
 彼の心を揺り動かして、一時は絶望の淵に沈みかけた彼を
 新たな挑戦に向けて今一度立ち上がらせた。


 オスカーの毅然とした態度に深い感銘を受けた幼いジュリアスは、
 すっくと立ち上がるとオスカーを仰ぎ見た。
「たしかに、そなたの言うとおりだ。
 私たちには逡巡している時間などない。」
 ジュリアスの天上の青の瞳に強い意志の光が再び宿り始める。
 オスカーの励ましによって再び光の守護聖としての
 己に立ち返ったジュリアスは、東の空が明け初めるように
 再び輝くばかりの誇りを取り戻していった。
「ありがとう、そなたのおかげで、私は道を見失わずにすんだ。」
 幼いジュリアスは、オスカーの顔を見上げてふっと顔をほころばせる。
「そなたは、強いのだな。
 このような状況に直面して、すこしもゆらぐところを見せぬとは。」
「強さを司る炎の守護聖とは、そういうものです。」
 オスカーは、当然のごとく答えた。
「この宇宙の終焉の日まで時間との競争だな。」
 だが、私は運命にせり勝ってみせるとジュリアスは神鳥にかけて約束した。
「あなたならば、この宇宙を救うことができます。」
 オスカーは即座に、ジュリアスが今最も必要としている言葉を返した。
 俺はあなたを信じる。だから俺に恐れはない。
 道を示してください、ジュリアス様。
「どんな困難があろうと、必ず俺がやり遂げてみせます。」
 オスカーは自信に満ちた態度で言い切った。
 そして、あなたを支える何かが必要になった時は。
 そう言ってオスカーは、幼いジュリアスの前に改めて膝をついた。
「俺の炎の強さを、我ら守護聖の導き手であるあなたに捧げます。」
「オスカー…」
 ジュリアスは、磁石に吸い寄せられるようにオスカーの方へ両手を差しのべた。
 ――次元移動のために、お前の強さがほしい。
 お前の強さを私にくれないか。
 ジュリアスの発する無言の訴えを、オスカーはしっかりと受け止めた。
 オスカーは、今後これまで以上にジュリアスを常に側で支え続ける
 頼もしい同志、心のより所となるだろう。


 幼いジュリアスが宇宙を救うという己の使命を自覚し、宇宙の終焉と創世に
 立ち会う自らの宿命を自覚したのは、まさにこの時だった。
 幼い光の守護聖は半ば目を閉じ、祈るように歌うように自らの使命を口にする。
「私は、この宇宙が終わるとき、終わりにとびらを閉ざす者。
 新たな宇宙が始まるとき、始まりのとびらを開く者。」
「道を示すのはあなた、それを支えるのが俺です。」
 オスカーがそれに唱和する。
 我が身を燃やして行く手を照らす光を招くことこそ、
 炎の守護聖の務めですから――。
 幼いジュリアスは再び目を開くと時空の門の縁に歩み寄り、いとしむような
 眼差しを宇宙の深淵に向けた。彼は、今はもう感情を隠すのをやめていた。
 ジュリアスは両手を宇宙に向かって差し伸べた。天にかざした
 手のひらから黄金色の光のサクリアが惜しげもなくこぼれていく。
 ジュリアスの黄金色の髪がサクリアの風になびいて、揺らめく。
「私は、この宇宙がとても好きだった。」
 歴代の女王が、守護聖が愛し、守り、この上もなく
 大切にしてきたこの宇宙――。
「私が見ている前で、手から砂がこぼれていくように宇宙はくずれ落ちていった。
 救っても救っても、星々はすぐにほろびてしまった。」
 どれほど深い思いを注いでも、身を削るようにしてサクリアを送っても、
 結局は徒労に終わってしまうことを、いやと言うほど知りながら。
「それでも残されたわずかのものをすくうために、私たちは、みな、
 必死で力をそそいできた。」
 限りない後退の日々、失望ばかりが続く切ない歳月。
 この方はよくぞ虚無感に陥らず耐えてこられたものだ、
 とオスカーはあらためて感心した。
 そして、光の守護聖がこの宇宙に向ける愛惜の念の深さを思い、
 少しだけ感傷的な気分になった。
 オスカーは剣を抜きはなち、両手で目の前に掲げると誓いの言葉を述べた。
「俺は、今、ここで誓います。
 俺は、宇宙の命運を担うあなたをいかなる時も支えていくと。」
 呼応するように幼いジュリアスも、胸に手を当てて誓約の姿勢をとる。
「私もちかおう。そなたの期待にこたえ、この宇宙をすくうために全力をつくすと。」
 ジュリアスは、全身に輝くばかりの光のサクリアをまとった。
「私にできることは今はない。だが、この時代のそなたにもう一度めぐりあったら、
 そのときは、ともにこの宇宙をすくう手だてをかんがえよう。」
「お約束、しかと承りました。」
 オスカーの力強い声が、あたりに響いた。
 宇宙を救う神聖な誓約が、今ここで結ばれた。


 その時、あたりは一面の星空へと変わった。
 頭上はもちろん、前後左右、そして足下も。
 幼いジュリアスとオスカーは星々に照らされて青く光る宇宙空間のただ中に立っていた。
 二人には自分たちが、守護聖特有のトランス状態に入ったことがわかった。
 幼いジュリアスとオスカーは、宇宙に身を委ねていた。
 幼い光の守護聖が半ば魅入られるようにさしのべた両手から粉雪のように散っていく
 美しい光のサクリア。その細かい光の粒子の一粒一粒が、輝く星になるのだと。
 そんな不思議な感覚を覚えながら、炎の守護聖は砕ける光のサクリアの散華を見守っていた。
 オスカーは剣の鞘を抜きはなった。たちまち生じた熱く激しい炎の渦が光の粒子を攪拌し
 炎をまとった輝く軌跡となって宇宙の四方八方へと飛んでいく。
 二つのサクリアが共鳴して高い音楽的な音を立てる。
 幼いジュリアスは、炎の守護聖オスカーを見上げた。
「礼を言おう。そなたの強さが、私の迷いをはらってくれた。」
 光の守護聖はそう言うと、ふとはにかんだような表情を浮かべた。
「オスカー。私は、そなたのように強くなりたい。
 私も大きくなったら、そなたのようになれるだろうか?
 どんな困難にも立ちむかう、つよい意志をもったすぐれた男に。」
「なれますとも。」
 オスカーは、即座に答えた。
「あなたは、必ずそれ以上の存在におなりになります。俺が保証しますよ。」
「ありがとう。これから、そなたは私の目標だ。」
 オスカーは、微笑を浮かべた。
(あなたこそ、俺が自分を導くに足ると認めた唯一の方ですよ。)
 幼いジュリアスから憧れと尊敬の眼差しで見つめられて、
 さすがのオスカーも多少、面はゆく感じた。
 彼は、その一瞬の心の隙を突かれた。


 王立研究院のオフリミット区域に足を踏み入れた風の守護聖ランディと
 緑の守護聖マルセルは時空の扉の前に幼いジュリアスがいるのを発見した。
 二人はうなずき合い、それから声を合わせてこう叫んだ。
「ジュリアス様、戻ってきてください!」
 そう叫びながら、年若い二人の守護聖は一斉に時空の扉へ向かってかけ出した。
「僕たちみんな、ジュリアス様のお帰りをお待ちしてるんです!」
「だから、帰ってきてください! 俺からもお願いします!」
「なっ…! お前ら!」
 オスカーが怒りの声をあげたその時。
 それまで、彼の傍らの幼い光の守護聖は驚いたように目を見張っていたが。
 ランディとマルセルが近づくにつれ押されるように、後ろ向きに
 すっと時空の扉の中に吸い込まれていった。
 とっさに差し伸べたオスカーの腕が届くか届かぬといったあたりで
 一瞬黄金色に光り輝くと、幼い光の守護聖の姿はふっとかき消えてしまった。
「ジュリアス様――!」


「あー、ジュリアスはまだ戻ってこないんですか?」
 光の守護聖の執務室を再び訊ねたルヴァは、ゼフェルからジュリアスが
 王立研究院から戻ってこないと聞いて首を傾げた。
「ちっとばかり、遅すぎるよな。研究院に行ってみてくっか。」
 そう言ってゼフェルが腰を浮かせたその時。
 宮殿の廊下を駆けてくる、あわただしい足音。
 ノックの返事も待たず光の守護聖の執務室の扉を激しい勢いで開け放ったのは、
 普段から優雅なふるまいで知られる水の守護聖だった。
「ゼフェル! ルヴァ様もここに…!」
「っ!? どうしたんだよ、リュミエール?」
 血相を変えたリュミエールのただごとでない様子に、ゼフェルは思わず机から
 飛び降りた。その勢いで、サイドテーブルに置いてあった
 チェスの駒がカタンという音と共に幾つか倒れる。
「守護聖全員に非常召集がかかりました。どうか王立研究院においでください。」
 息を切らしたリュミエールが、とぎれとぎれに口にする。
「ランディとマルセルが…。」
「ランディとマルセルがどうしたんですか?」
 水の守護聖は、風の守護聖と緑の守護聖がやったことを(彼らしく、
 二人の行動に対する弁護を差し挟みながら)かいつまんで説明した。
 ゼフェルのひきつった顔が、みるみる紅く紅潮していく。
「なに考えてんだ、あいつら!」
 ルヴァはすかさずそれを制して、リュミエールに説明の先を続けるよううながした。


「女王陛下のお力で、小さなジュリアス様を元の時代へ送り返すことが
 できたのは、ほぼ確実なのですが…」
 なぜか私たちの時代のジュリアス様のほうは戻ってこられないのです、
 と困惑した表情のリュミエール。
「安直すぎるぜ!」
 うめくような声をあげるゼフェルにどうか押さえてと合図を送りながら、
 ルヴァはリュミエールに訊ねる。
「状況はわかりました。それで、リュミエール。  オスカーは今どうしています?」
 水の守護聖はすっと眉をひそめ、気がかりそうに唇に手をあてる。
 現在オリヴィエが間に立って、ランディやマルセルと無理矢理
 引き離している、と水の守護聖は告げた。
「ならばここは私に任せて、今すぐオスカーのもとへ行って下さい。」
 日頃のおっとりとした彼とは別人のような有無を言わさぬ口調で、
 ルヴァはリュミエールに指示を下した。
「オスカーは、ジュリアスを守れず目の前で失ってしまったことに
 相当深刻なショックを受けているはずです。
 彼の怒りが外へ向いている時はまだいいのです。ですが…」
 強烈な原始のエネルギーを体内に抱える炎の守護聖は、ある意味、その在任中、
 己の精神力だけを頼りに常に危ういバランスを保っている存在である。
 もしもオスカーの意識が自分を責める方向へ向かったとき、炎の守護聖である彼は、
 自分の精神を内なる炎で焼き尽くしてしまいかねない――ルヴァはそう続けた。
「それを押さえることができるのは、対である水の守護聖であるあなただけです。」
 オスカーが何と言おうが、あなたを邪魔にしようが、決して彼の側から
 離れないでください、とルヴァは水の守護聖に念を押した。
 リュミエールは緊張した面もちでうなずくときびすを返し、
 裾をたくしあげると小走りに光の守護聖の執務室を出ていった。
「私たちも行きましょう、ゼフェル。今晩は長い夜になりそうですよ。」
「ルヴァ…ジュリアスは戻ってこられるのか?」
 鋼の守護聖は、おそるおそる自分の教育係に訊ねる。
 地の守護聖は顎に手を当てると、謎めいた表情を顔に浮かべた。
「…ジュリアスに私たちのもとへ戻ろうという強い意志があれば、ね。」
 そう言いながら、地の守護聖は絨毯の上に落ちて転がっていたキングの駒を拾い上げた。


(続)




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