Illusion 2
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「貴方の好きなようにされたらいいわ。だって…貴方なんだもの。」
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透き通るような柔らかな声が聞こえる。
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懐かしい…。
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惑う私に輝く瞳を向け、お前はいつもそう言って微笑んでいた。
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「…そんな貴方を、敬愛していますからね。」
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お前はそう言って…肩をすくめて、いつも私に笑みをむけていた。
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金の長い髪が揺れていた。
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細く長い指を、そっと私の手の甲に触れ、春風のように微笑んだ。
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……お前は、どこに行ってしまったのだ?
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春の香りが鼻腔をついて、ゆっくりと夢の世界から引き戻される。
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こんなに身近に感じるのに。あの女性の匂いを。
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けれど、会う事適わぬ想い。そして、皆の前で知らぬ顔をして取り澄ます、あの女性のヴェールの奥の瞳。
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何もかもが狂おしい。
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いっそ、忘れてしまえれば。
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こんな朝を幾度迎えただろう。
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もう忘れてしまいたい。今日も、その強烈な望みを胸に抱き、宮殿に出る。
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女王陛下が治める宇宙を補佐するため…。
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私は、公私ともに、あの女性の下に跪き続けるのだ。
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永遠に?
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否。
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私は望んでいる。
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信じている。
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微かな「未来」という希望と可能性を。
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…きっといつか。
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必ず、あの女性をこの腕に抱く日を。
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再び近くに逢える日を。
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永遠に近い絶望的な宇宙の時の中で
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その時の流れに1番近い場所に存在する、闇というサクリアを纏いながら
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その天使の翼の元に治められる宇宙を見守り、そしていつか…
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いつか未来は私に微笑みかけるだろう。
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任期の終わりに、奇跡と偶然とをもって。
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それを…私は信じつづけているのだ。馬鹿な事だと我ながら思う。
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そんな幻想を抱いている限り、任期の終わりのその時に感じる、絶望も計り知れないだろうと言う事も判ってる。
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しかし…。
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私は運命を信じたい。
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あの日に戻れない以上…
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未来を信じるしかないのだ。
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そしてその日こそ。。。
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後悔の鎖を断ち切ろう。
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必ず……
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「クラヴィス様…。」
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おずおずと、執務室の扉が開かれる。
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金の髪の女王候補は今日も闇の執務室を訪れた。
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相変わらず遠慮がちに、だが毎日のように。
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「……なんだ。」
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クラヴィスの、声を発しているのだかいないのだか判らないような曖昧な返事にもなれた様子で、金の髪の女王候補アンジェリークは執務机の前へやってきた。
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「あの、今日はお話がしたいのですけれど…。」
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その、彼女の初めての発言に、クラヴィスは眩暈を感じた。
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女王候補の二人が自分の所に大陸育成の依頼に来る事は、ディアから聞いて知っていた。
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それはクラヴィスもしぶしぶ承知していたが、元来他人に執務室に入り込まれる事を好まないクラヴィスにとって、
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たた、単なる無駄話をしに女王候補がやって来る可能性など、今の今まで考えた事もなかったのだ。
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かなりクラヴィスの表情が険しくなった事を見て取り、アンジェリークは不安げな表情でクラヴィスの瞳を見つめた。
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「……お喋りがしたいなら、オリヴィエの所にでもいったらどうだ。」
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「わ、私はクラヴィス様とお話がしたいんです。
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「…………私は…人と話す事は好かぬ。」
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「…えっと…でも……あの、私。。。」
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「すまぬが。」
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「あ、あの。」
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「すまぬが、用が無いのなら出ていってくれ。」
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2人の会話はそこで終わった。
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クラヴィスの発言に、今にも泣き出しそうな表情でアンジェリークが執務室を飛び出したからだ。
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「……なんだと言うのだ。」
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クラヴィスの心の奥がちくりと痛んだ。
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しかし、闇の守護聖は自らの心の痛みを黙殺した。
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「…クラヴィス様。よろしゅうございますか?」
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リュミエールの声がした。
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予想通り、アンジェリークが自分の執務室から飛び出して暫くの後、水の守護聖がやってきた。
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言われる事も大抵予想がついている。
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あの者は線が細く見えて、それでいて平気で私に説教なぞたれるのだ。
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ジュリアスの説教は、考え事でもしていれば知らぬうちに終わっているが、
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リュミエールの説教は噛んで含めるような物言いなだけに始末が悪い。
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クラヴィスが軽く溜息をつくと、リュミエールはもう目の前までやって来ていた。
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「……金の髪の女王候補がお前の所に泣きついたか。」
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苦笑と共にリュミエールにそう言った。
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リュミエールは、やれやれという表情で少し頷いた。
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「…でも、クラヴィス様はご存知なかったようですから無理もありません。
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今、ディアに確認してきた所、彼女はとてもクラヴィス様にそんな事まで言えなかったと言っておりましたから。
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アンジェリークの事なら、私からうまく説明しておきましたからご安心下さい。」
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そこまで聞いて、一体自分が何を知らないのかといぶかしげなクラヴィスの表情をみて、慌ててリュミエールは説明を始めた。
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「つまりですね、今回の女王試験において、わたくしたち守護聖は大陸の育成のお手伝いをするのと共に、
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わたくしたち守護聖と、うまく人間関係を保つ事が出来るのかどうかという部分もみなくてはいけないんですよ。
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つまり、女王の資質は「女王のサクリア」と「女王のカリスマ」の二本柱で測るということなのです。
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だから、2人の女王候補は試験にあたって、守護聖の執務室で「育成の依頼」と「お話」の2つをわたくしたち守護聖にお願いしていい事になっているんです。
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どうやら、ディアはクラヴィス様にお話の事まではとても頼めなかったみたいですね。フフ。」
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失笑しているリュミエールを眺めながら、クラヴィスはぼんやりと考えていた。
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…ディアは、彼女が女王候補時代からの長い付き合いである。
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…何故、私にそんな事も言えなかったのだろうか。
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…そんなに私の事が怖いのか?
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…それとも…件の事をまだ気にしているのか?
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その後、リュミエールが何を話して帰ったのかすら、クラヴィスは覚えていなかった。
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遠慮がちなノックの音がする。
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アンジェリークを追い返してしまった日から一週間ばかりが経っていた。
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あれ以来、相変わらずジュリアスとリュミエール位しか訪ねて来ないこの執務室。
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こんなノックをするのは…。
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「失礼します」
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やはり、アンジェリークだった。そっとノブを回して執務室に入ってくる。
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金の巻き毛が揺れている。伏目がちの姿。
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……たった一度だけ…
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あの、女王候補がこんな風に私の部屋に入ってきた事があった。
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遠い、封印された記憶に稲妻が走った。
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クラヴィスの脳裏にリアルにひとつの記憶がフラッシュバックする。
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いつも快活なあの女性が…うなだれて入って来る。
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薄暗い執務室に、扉の向こうの明かりが逆光になって射し込み、女王候補の姿を黒く縁取っていた。
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光に透かされた金色の髪が揺れていた。
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いつも明るく見開かれていた瞳を伏せて、黙って彼女は部屋に入って来た。
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そのまままっすぐにクラヴィスの元までやって来た…。
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遠い過去の…すっかり忘れ去っていた…と思っていた…想い出の瞬間の断片。。。
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あの時…
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彼女を抱きしめてやれなかった。
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そんな自信が無かったような気もするし
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勇気も無かった気がする
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優しい言葉さえかけてやれなかった。
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ただ、黙って傍にいただけ。
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すぐに彼女は執務室を出ていった。
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……あの時どうすれば良かったのか……。
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今となってはそれは明白で、
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しかし、あの時はそれが出来ずに居た。
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もし。
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時の流れに もし は許されない。
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しかし、もしあの時彼女を抱きしめていれば。
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彼女が自分にそれを強く望んでいた事を、自分は知っていたのだから。
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そうしたら“現在”は変わっていただろう。
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宇宙を導く女王はディアで…
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そして補佐官には、ディアが適当な人物を任命し
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そして…
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そしていま、私の横に……
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いや。
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考えまい。
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取り戻せぬ過去の記憶など。
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クラヴィスは軽く目を閉じて、いましがたの幻想を打ち払った。
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再び目を開けた時…
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目の前に、軽く揺れる金色の巻き毛が飛び込んできた。
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伏せられた金色の睫毛
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しょげかえっている……私の太陽!!
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―――もう、後悔はしたくない!!!!!!!!
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頭の中で、何者かの声が騒ぐ。
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何者?
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長い年月を、後悔という鎖に絡め取られていた己が声か。
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―――抱きしめてさえいれば―――
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目の前に立ち尽くしている、金色の髪の少女を抱き締める。
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少女は…こわばったように身じろぎ一つしない。
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―――あぁ…この瞬間に、どれほど思いを馳せていた事か。。。
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華奢な少女の金色の髪に顔を埋め、クラヴィスの時間が一時的に止まった。
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