左:井戸尻遺跡の石碑です。遺跡の中央にあります。 右:住居址の向うに段丘が広がります。住居のクボミは50cmくらいあります。冬は寒いから妥当。 |
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左:縄文人はヤマモモも採取したでしょう。 右:井戸尻遺跡の東に湧水があります。集落が存在するためには湧水が必須。 |
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左右:浅鉢がやや多い。千葉市では、大型貝塚で浅鉢が出土することは稀で、内陸の遺跡ほど浅鉢の出土が増えますが、井戸尻考古館の学芸員によると、この地方で深鉢に比べて浅鉢が特に多いことはないとのこと。 井戸尻/曽利付近では人骨が発掘されたことはありませんが、松本近辺の遺跡で発掘された人骨のコラーゲン分析によると、ドングリなどの木の実を多く食べていた。ドングリを調理するのに浅鉢を使ったのではないかというのが小輩の想像ですが、ここでも回答は得られませんでした。右の浅鉢は内面の装飾が外面より優っている。 |
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左右:藤内式土器は底部に逆台形の構造を持ちます。茨城県の縄文中期遺跡で出土する大木式土器の一部に、底部の逆台形の構造を持つものもあります。 しかし、長野県の縄文土器の文様は独創性が強い。器形のゆがみや模様のシンメトリのこだわりがあまりありません。千葉市の縄文土器は対象性にこだわりすぎて、堅苦しい感じを覚え始めました。 小輩は8/21、加曽利貝塚博物館で藤森栄一著「縄文の世界」を34年ぶりに読みました。今でも新鮮な考えに接することができた と学芸員に話したところ、藤森栄一の縄文農耕論その後を書いた「甦る高原の縄文王国」を紹介してくれました。打製石器にこめられたアイデア、その創造性が土器の造形に表現された。そんな感じです。 カエルのモチーフについて宗教的な説明がありましたが、小輩はそのような解釈は好まないので、ここらへんはカエルがさぞかしたくさんいるんだろう、かなり食べたんだろう、そんなことはありませんか と話しました。 |
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左:水煙土器。重要文化財になっている水煙土器は写真を撮ることができませんが、このように指定されていない水煙土器がたくさんあるようです。 なぜ、縄文中期に長野県/山梨県が栄えたのか、富士見町教育委員会「坂平遺跡発掘調査報告書」平成16年に井戸尻考古館の考え方が書かれているので、参考にして欲しいとのこと。\5000弱の本なので、博物館などで見せてもらおう。 右:オミナエシが満開でした。 |
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