荒屋敷貝塚に行きましょう

「荒屋敷貝塚」の地下には、京葉道路の貝塚トンネルがあります。京葉道路計画当初、京葉道路の荒屋敷貝塚の部分は、切り通しと計画され、荒屋敷貝塚は消滅することになっていたと聞いています。しかし、荒屋敷貝塚の保存運動が起こり、荒屋敷の下を通るトンネルが作られることになりました。荒屋敷貝塚は残り、どこにでもあるような公園ではなく、何もない公園ができました。遺跡と自然がここに残りました。ここが首都圏か、ここが日本か と感じさせる光景があります。「貝塚の光景」を紹介します。複雑な関係の結果、意図しない空間ができています。

(1)JR千葉駅 → 車坂下 → 荒屋敷貝塚

  1. JR千葉駅でバス乗場H道場経由御成台/千城台/都賀駅行き京成バスに乗ります
     (乗場Gに鶴沢町経由御成台行がありますが乗らないでください。運転手さんに「車坂下を通りますか?」と聞くのが適切です。)。 
  2. 車坂下で下車します。 国道51号のこの付近は道幅が狭いのでご注意を。
  3. 車坂 -都賀 線と命名されている細い道路を北(乗ってきたバス進行方向を左折)に進みます。小輩は「貝塚川」と個人的に言っています。水源は貝塚町中心で荒屋敷貝塚東を流れ、姥ヶ作(東京電力変電所)下からの小川と合流して千葉刑務所東で高品支谷を流れる小川と合流して西に流れる川です。縄文時代には祐光町にあった沼で都川/葭川と合流したと思います。この小川の両岸に咲くアジサイは赤色で貝塚の貝の成分が川に流れ込んだ影響と思います。
  4. 都川水系の小川(右上図)までは下り坂で、その後、坂(左下図)を上りきります。
    (左下図の右方は台門貝塚跡です。歩いている道は昭和25年頃工業用水道を敷設するために拡幅され、台門貝塚をかすめるようになりました。当時のことを知るこの画像に見える家の人は「トラックがいっぱい来てよーすごい突貫工事だった」と話してくれました。京葉コンビナート建設が始まる時期の話です。10年前はこの画像の左に貝層が見られましたが、この貝層は江戸時代/明治時代に貝を土地改良材として使うために台門貝塚と西光院貝塚の貝を掘り出した集積場とのこと、10年前にこの道路を更に拡幅する際にこの貝層がなくなりました。簡単な調査が行われましたがその際に馬の骨等が出土したとのことです。)
  5. 徒歩約10分で荒屋敷貝塚(進行方向の右)に着きます(光景は右下図)。
  6. この道は車の交通量が多いので注意してください。 ダンプ/コンテナトラック等の大型車のう回路になっているので。 また、千葉市街に向かう道をあまり知らない運転手が通る道でもあります。

    荒屋敷貝塚の入り口には、千葉市教育委員会の説明板が立っています(1997年設置、斜めになっているように見えますが、錯覚のようです)。画像右には1968年設置の石碑が立っています。

参考 : 荒屋敷貝塚 説明板内容 (無修正、?マークが付く所がありますが)

国指定史跡 March 1997
荒屋敷貝塚 Arayashiki Shell Mound
所在地  千葉市若葉区貝塚町726-1他
指定日  昭和54年3月16日

 葭川本谷の河口から北へ向かう高品支谷と北東に向かう荒屋敷支谷の間に挟まれた広大な舌状台地の東縁辺部に位置しています。貝層部の直径は約180mで、南に開口した環状に近い馬蹄形をしており、ハマグリ、アサリ、キサゴを主とした貝塚です。貝塚は表面に散布している土器片により、縄文時代中期(約5000年前)から後期(約3500年前)にわたるものと考えられていたが、昭和48年の発掘調査で、この貝層を形成する以前に、すでにここで生活が営まれていたことがわかりました。
 この台地上には草刈場貝塚、台門貝塚等6ヵ所の貝塚が近在し「貝塚町貝塚群」と呼ばれており、これらは縄文時代の集落の形態や社会構造を解明するうえで貴重なものとなっています。
 This large shell mound is shaped like a horseshoe formed in the middle Jomon period about 5000 years ago. The neighborhood is crowded with the Daimon shell mound, Kusakariba shell mound, and many other large shell mounds, so they are called “Kaizuka-cho Kaizuka-gun(a group of shell mounds at Kaizuka-cho).

平成9年3月 千葉市教育委員会 Chiba Municipal Board of Education

(2)JR千葉駅 → 都橋 → 荒屋敷貝塚
  1. JR千葉駅でバス乗場H道場経由御成台/千城台/都賀駅行き京成バスに乗ります。
  2. 都橋で下車します。
  3. 京葉道路側道を貝塚トンネル方向(北西方向)に歩きます(京葉道路下り車線側歩道の方が景色がいい)。
  4. この道を勧めします。貝塚トンネルの上が荒屋敷貝塚です。貝塚トンネルの上を目指して探検して下さい。
  5. この辺りは雑木林(クヌギ等)が丘の斜面に続き、低地部には水田がありました。
 雑木林には私が勝手に名づけた「縄文の道」がありました。荒屋敷支谷の北端、R51バイパスに至るところでした。雑木林の中で見上げると、木々の間にぽっかりと開いた空間があり、そこに青空がありました。縄文時代にいるような体験をしました。私が好きだった雑木林の大半は切り倒されました。

註)「車坂」は佐倉街道(国道51号線)が沖積平野から洪積台地(下総台地)にさしかかる所にある急な坂です。

  1. 年貢を納めるのに苦労した場所であることを昔の人は伝えたかったか、
  2. 佐倉街道は数百年の人の試行錯誤によってできた道ではなく、江戸時代初期に参勤交代などのために、直線的な道が作られたか、元禄時代から成田山詣でが盛んになった際、商業目的により人の苦労を考慮せずに、直線的な道が作られたためと思います。
  3. 現代は、大八車はなくなり、市民の生活が楽になったので、「車」という字がバス停留所の名前から除かれたようです。
  4. 2003年5月、停留所が「車坂下」になりました。バス会社も歴史を大切にするようになったのでしょうか。

右図は三山塚

荒屋敷貝塚を南斜面から上る

数年前この木の右の枝にブランコが作られていました。荷造り用の太いひもが太い枝に結ばれ、木の板がひもの他方の端についていました。近所の子供達が、豪快に遊んでいたのでしょう。縄文時代の子供はブランコで遊ぶゆとりがあっただろうかと考えさせる光景でした。
道を間違えると梅林(2月中旬)

100本以上の梅の木がひっそりと咲いています。公園ではありません。農家所有の梅林です。満開のころは香りが漂います。朝や夕方にこの梅林に行くと、梅は花を観る木ではなく、香りを楽しむものだとわかります。
2/4、梅林で梅花が咲き始めました。 立春です。
「梅の香で、たたかれ起きよ、生命(いのち)たち」
動植物は梅花が咲くに連れて、芽を出し、冬眠から覚めて動き
始めます。まるで、梅花が動植物を活性化しているようです。

2/6、今年初めてフキノトウを摘みました。春の味です。
 数年前の2月末の週末、中学か高校の女の子が梅林に来て、「梅はいつ満開なんですか」と私に聞きました。その言葉の中に、目の輝きの中に、素晴らしい光景を独り占めにできた感動が感じられました。若い人の見方です。本当の素晴らしさは香りの中で、陽光を浴びながら、逆光で見る一輪の花だと私は思うのですが(決して年のせいではありません;強がり)。
道を間違えると色々な花(10月初旬)

 
荒屋敷貝塚の東の畑にケイトウが生えていました。鳥が運んで来たケイトウの種が、栄養がある畑で生長したのでしょうか。農家の人は、生えてきた草がケイトウとわかり、単なる雑草として除草しなかったのでしょうか。周りの野菜が収穫されても、花が1本だけ残っています。 畑の中に生えているケイトウの風景です。 人の心を表現している光景です。


(3)加曽利貝塚から歩く。
  市販地図を参考にして歩くと健康的です。方向感の良い人に勧めます。 
地図はこちら
   年に数人、加曽利貝塚から荒屋敷貝塚に歩いてくる若者がいます。車で来る人もいます。 荒屋敷貝塚説明板を見ている人がいたら、私は説明をします。 決してクドイ説明はしません。私はスーパードライが好きです。

 

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