荒屋敷貝塚に行きましょう
「荒屋敷貝塚」の地下には、京葉道路の貝塚トンネルがあります。京葉道路計画当初、京葉道路の荒屋敷貝塚の部分は、切り通しと計画され、荒屋敷貝塚は消滅することになっていたと聞いています。誰の反対によってかは知りませんが、トンネルが作られ、荒屋敷貝塚は残り、どこにでもあるような公園ではなく、何もない公園ができました。遺跡と自然がここに残りました。ここが首都圏か、ここが日本か
と感じさせる光景があります。「貝塚の光景」を紹介します。複雑な関係の結果、意図しない空間ができています。
(1)JR千葉駅 → 車坂下 → 荒屋敷貝塚
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注意!JR千葉駅でバス乗場Gから鶴沢町経由御成台/千城台行き京成バスが出ています。これに乗ると車坂下を通りません。
2000年2月頃に路線が変わりました。
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雑木林には私が勝手に名づけた「縄文の道」がありました。荒屋敷支谷の北端、R51バイパスに至るところでした。雑木林の中で見上げると、木々の間にぽっかりと開いた空間があり、そこに青空がありました。縄文時代にいるような体験をしました。私が好きだった雑木林の大半は切り倒されました。 |
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註)「車坂」は佐倉街道(国道51号線)が沖積平野から洪積台地(下総台地)にさしかかる所にある急な坂です。
右図は三山塚 |
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荒屋敷貝塚を南斜面から上る 数年前この木の右の枝にブランコが作られていました。荷造り用の太いひもが太い枝に結ばれ、木の板がひもの他方の端についていました。近所の子供達が、豪快に遊んでいたのでしょう。縄文時代の子供はブランコで遊ぶゆとりがあっただろうかと考えさせる光景でした。 |
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道を間違えると梅林(2月中旬) 100本以上の梅の木がひっそりと咲いています。公園ではありません。農家所有の梅林です。満開のころは香りが漂います。朝や夕方にこの梅林に行くと、梅は花を観る木ではなく、香りを楽しむものだとわかります。 |
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2/4、梅林で梅花が咲き始めました。 立春です。「梅の香で、たたかれ起きよ、生命(いのち)たち」 動植物は梅花が咲くに連れて、芽を出し、冬眠から覚めて動き 始めます。まるで、梅花が動植物を活性化しているようです。 2/6、今年初めてフキノトウを摘みました。春の味です。 |
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| 数年前の2月末の週末、中学か高校の女の子が梅林に来て、「梅はいつ満開なんですか」と私に聞きました。その言葉の中に、目の輝きの中に、素晴らしい光景を独り占めにできた感動が感じられました。若い人の見方です。本当の素晴らしさは香りの中で、陽光を浴びながら、逆光で見る一輪の花だと私は思うのですが(決して年のせいではありません;強がり)。 |
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道を間違えると色々な花(10月初旬) 荒屋敷貝塚の東の畑にケイトウが生えていました。鳥が運んで来たケイトウの種が、栄養がある畑で生長したのでしょうか。農家の人は、生えてきた草がケイトウとわかり、単なる雑草として除草しなかったのでしょうか。周りの野菜が収穫されても、花が1本だけ残っています。 畑の中に生えているケイトウの風景です。 人の心を表現している光景です。 |
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(3)加曽利貝塚から歩く。
市販地図を参考にして歩くと健康的です。方向感の良い人に勧めます。 地図はこちら
年に数人、加曽利貝塚から荒屋敷貝塚に歩いてくる若者がいます。車で来る人もいます。 荒屋敷貝塚説明板を見ている人がいたら、私は説明をします。 決してクドイ説明はしません。私はスーパードライが好きです。
(4)自転車で加曽利貝塚 → 荒屋敷貝塚に行く場合は、坂月川遊歩道のサイクリングを勧めます(縄文時代は丸木舟で坂月川から都川を下って東京湾に行きました)。
加曽利貝塚 → 坂月川遊歩路 → 加曽利病院付近で右折(小倉大橋という小さな橋)
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→ カプリスでパスタ(小桜橋通り)→ (花輪貝塚があります)→ 長谷部ピーナッツ加工所の裏から市営霊園に入る
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→ 市営霊園正門で国道51を渡る → 東電変電所の外周を西方に進む
→(姥ヶ作貝塚があります)
→ 水田地帯(湿地帯)に下りる → 南西に進み荒屋敷貝塚を探す