磯山(60m)・向山(67m)・泊山(40m)・居守山(40m)  
                   姫路市          25000図=「姫路南部」


行基ヶ鼻から海辺の山の初秋を歩く 1

遊漁センターあたりから見る向山山塊
(右端:行基ヶ鼻、 右手草地:磯山、 中央付近の高所:向山、 左端:泊山)

 磯山・向山・泊山の名は、現地の標識による。居守山の名は、「姫路の山々 山名の由来と周辺の歴史 1996」による。

 行基ヶ鼻は、福泊海岸の東にあって、向山から続く岩場が海に突き出ている。奈良時代の高僧・行基が、ここに上陸したという伝説が残っている。
 今日は、ここから向山(67m)を経て海嶽寺に下り、その西の居守山を越えて再び海岸へ。そして、小赤壁の上に連なる燈籠寺山(54m)、姫御前山、木庭山(61m)を巡るコースを歩いてみた。

1 行基ヶ鼻から磯山・向山・泊山へ

 行基ヶ鼻の岩の上には、ツルボがかたまって咲き、房状のピンクの花を風に揺らしていた。ここから、道がウバメガシの林の中へゆるやかに上っていた。
 ときどき、トベラが混じっていた。ハゼノキの葉は、枝先から赤く染まり始めていた。

岩に咲くツルボ 行基ヶ鼻登山口

 分岐を左にとって坂道を登り、クヌギの木をくぐると、広い草地に出た。吹流しのたなびく、パラグライダーの基地である。
 目の前に瀬戸内海が広がっている。遊漁センターの桟橋が海に伸び、その右に小赤壁三山が海に向かってたたずんでいた。

パラグライダー基地

 そこから少し進むと、横穴式石室が露出した古墳(梅山古墳)があった。この古墳は、「媼が懐(おんばがふところ)」と呼ばれている。この名には、どのような伝承が残っているのだろうか。

 そこから坂を登ると、小さな高みがあった。アベマキ林が開かれ、テーブルとベンチが置かれている。ここは向山の南の肩にあたるところで、磯山と呼ばれている。
 東が開け、手前には伏せたお椀を並べたような日笠山から延びる山並み。その向こうに、伊保山から高御位山への稜線が見える。

 次の分岐を左にとり、坂を登ると向山の山頂に達した。
 山頂は広く、アベマキ、ウバメガシ、ヤマザクラ、ハゼノキなどの木の下にマメヅタが地面をおおっていた。
 ところどころに、ツユクサが青い花をつけている。ケチヂミザサの花をルーペで見ると、おしべの周りの白い毛がつややかに光っていた。

向山山頂 ケチヂミザサ

 突き当たった竹林の中に道が続いていた。下っていくと、先ほど分かれた道と合流した。林から畑に飛び出したところに、大きなクスノキが立っていた。
 ここから下に、山に囲まれた的形の街が見下ろせた。ここが向山の北の肩にあたるところで、泊山と呼ばれているところ。
 小学校のグランドで遊ぶ児童たちの姿が見え、そこから歓声が上ってくる。あそこからこの山を見ると、きっとここがてっぺんに見えるのだろう。

泊山から的形の街を見る

2 居守山へ

 畑の中を下り、海嶽寺にお参りして的形の街に下った。

 向山から道路をはさんで西にあるのが居守山。標高40mちょっとの小さな山である。小赤壁三山に行くのに、ここを越えることにした。・・・が、それが、なかなか大変だった。

 東から取りつこうとしたがしたが、急な斜面の深いやぶが山を区切り、どこからも入れない。西へ回って、養泉寺の墓の奥の斜面をよじ登って山に入った。
 白くなめらかな幹はヤブツバキ。黒くなめらかなのはヤブニッケイ。シュロも、かなり侵入している。

居守山

 昔は、段々畑になっていたようで、高さ1、2mの崖が上へと続いている。ヤブの中、登れそうなところがなかなか見つからない。その崖を一つ一つ越えていくのが難しかった。
 それでも、標高わずか40m余りの小さな山。蚊に刺され、クモの巣にからまれながらも、山頂らしいところまで登ることができた。
 そこには、崩れ落ちた作業小屋が植物におおわれていた。

居守山の林(ヤブツバキが多い) 居守山山頂の崩れた作業小屋

 下りは、もっと大変だった。この山の南側は、メダケにつるがからみついた密林。やはり、段々畑跡の落ち込みが続く。
 なかなか前に進めない。少しでも体の動きを止めると、集まってきた蚊に刺されてしまう。
 つるに足が巻き取られ、メダケの中に倒れこんだ。ふと空を見上げると、パラグライダーが優雅に舞っていた。
 山頂から20分もがいて、居守山を転がり出た。

「行基ヶ鼻から海辺の山の初秋を歩く 2」へ

山行日:2017年9月27日


行基ヶ鼻〜磯山(60m)〜向山(67m)〜泊山(40m)〜海嶽寺〜居守山(40m)
 車を福泊キャンプ場の駐車場に止める。福泊海岸の砂浜を歩くと行基ヶ鼻が近い。
 行基ヶ鼻から海嶽寺までの道は、道標も整いよく整備されている。
 居守山には道がない。登るには覚悟がいる。

山頂の岩石  白亜紀後期  流紋岩質溶結火山礫凝灰岩
行基ヶ鼻の溶結凝灰岩
 歩いたルートには、白亜紀後期の流紋岩質溶結凝灰岩が分布している。大規模な火砕流によってできた岩石である。
 登山口の行基ヶ鼻で、この岩石の観察ができた。

 流紋岩の岩片を多量に含んでいるのが、この地点の特徴である。流紋岩の岩片は、細長いものが多く、ほぼ一定の方向を向いて並んでいる。この岩片は周囲より硬いので、風化面では飛び出していてわかりやすい。
 流紋岩の岩片の大きさは数cmのものが多いが、10cmを超えるものもある(最大23cm×8cm)。大きな岩片が集まっている部分は、凝灰角礫岩といえる。
 軽石がレンズ上に伸びた溶結構造は明瞭である。また、大きさ数cmの頁岩の岩片を含んでいる。
石英と長石の結晶片をふくみ、石英は融食されているのがルーペで観察できる。

「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ  登山記録へ